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(回答先: 「血の日曜日事件」(帝政ロシア時代) 投稿者 新世紀人 日時 2009 年 1 月 13 日 15:27:30)
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ワルシャワ蜂起
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この項目では1944年8月にワルシャワで発生した武装蜂起について記述しています。1943年4月にワルシャワ・ゲットーで発生した武装蜂起についてはワルシャワ・ゲットー蜂起をご覧ください。
ワルシャワ蜂起 ( - ほうき、Warsaw Uprising) は、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起である。
目次 [非表示]
1 経過
1.1 蜂起
1.2 ドイツ軍の対応
1.3 終焉
1.4 ワルシャワの破壊
1.5 ソ連軍の進駐
2 背景
3 ワルシャワ蜂起を題材とした作品・文献
4 関連項目
[編集] 経過
[編集] 蜂起
1944年、ソビエト軍によるバグラチオン作戦の成功により、ドイツ中央軍集団は壊滅し、ナチス・ドイツは敗走を重ねた。ドイツ軍は東部占領地域に再編成・治安維持のために駐屯する部隊をかき集めて戦線の穴を埋めて防戦に努めた。
解放地域がポーランド国内に及ぶと、ソ連軍はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた。7月30日にはソ連軍がワルシャワから10kmの地点までに進出する。ソ連軍のワルシャワ入城も時間の問題と思われた。ポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日にドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワで武装蜂起することをソ連軍と打ち合わせた。
しかし、7月31日にはドイツ軍が反撃、ソ連軍は甚大な損害を被る。さらにドイツ軍の増援部隊が戦線に次々と配備され、これ以上の進撃は不可能な状態となる。ソ連軍は進軍を停止して防戦に転じた。しかし、国内軍には進撃停止の情報は伝えられないまま、8月1日午後2時頃に約5万人の国内軍は蜂起した。国内軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。
[編集] ドイツ軍の対応
ワルシャワ市内には治安部隊を中心に約1万2千名のドイツ兵が駐屯していた。その内、戦闘部隊と呼べるのはオストプロイセン擲弾兵連隊の約1千名だけであった。ドイツ軍治安部隊は数で劣っていたものの奮戦し、国内軍は目標地点のほとんどを占領できず、わずかにドイツ軍の兵舎、補給所を占領しただけであった。即日報告を受けたヒトラーは、これをみて、ソ連軍がワルシャワを救出する気が全くないと判断し、蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命ずる。
国内軍は引き続き、目標地点に攻撃を仕掛けるが、成果は上がらず、警察署、電話局では取り残されたドイツ軍部隊が徹底抗戦を行っていた。しかし、ドイツ軍の補給所、兵舎の占領により、当初数人に一人しか銃が無いという状態を脱し、奪ったドイツ軍の小火器、軍服が国内軍兵士に支給され、装備面で改善が見られた。これにより、敵味方が同じ軍服を着用するため、国内軍兵士はポーランド国旗の腕章を着用し、識別を行った。さらに多くの市民が国内軍に参加、協力をして、ドイツ軍の反撃に備えバリケードを築いた。
鎮圧軍司令官に任ぜられたエーリヒ・フォン・デム・バッハSS大将は8月3日には現地に入り、周辺の部隊をかき集め、5日には反撃に出る。急遽近隣に駐屯していた部隊をかき集めたドイツ軍は殆どが大隊規模の部隊だけで、臨時に戦闘団に編成し、市街地西側から攻撃を開始する。しかし、国内軍の猛烈な防戦に会い、進撃は遅々として進まなかった。攻撃部隊にはカミンスキー旅団やSS特別連隊ディルレヴァンガー といった素行の悪さで有名な部隊が加わっており、これらの部隊の兵士たちは戦闘より略奪や暴行、虐殺に励んだ。このことはワルシャワ市民と国内軍の結束を一層強め、戦意を高揚させた。
7日には市街地を何とか横断し、国内軍占領地を分断し、包囲されていた部隊を解放した。しかし、市街地に立て籠もる国内軍の抵抗はすさまじく、激しい市街戦が続く。国内軍も8月19日に総反撃に出て、電話局を占領し、120名のドイツ兵が捕虜になった。ディルレヴァンガー連隊、カミンスキー旅団の残虐行為の報復として、捕虜のうち武装SS、外国人義勇兵は全員その場で処刑された。
[編集] 終焉
しかし、ドイツ軍は重火器、戦車、火炎放射器など圧倒的な火力の差で徐々に国内軍を追いつめていった。8月27日、あまりにも目に余るカミンスキー旅団の残虐行為に、ハインリヒ・ヒムラーは司令部に対し、カミンスキーの処刑を許可した。カミンスキーは逃亡を図るが、逮捕されて処刑された。カミンスキー旅団はワルシャワから撤退し、解散した。8月31日には、国内軍は分断された北側の解放区を放棄し、地下水道を使って南側の解放区に脱出する。9月末には国内軍はほぼ潰滅する。
ソビエトはイギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による反乱軍の航空支援に対し同意せず、質・量に勝るドイツ軍に圧倒され、蜂起は失敗に終わる。
[編集] ワルシャワの破壊
その後、ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われる。しかし、イギリス政府がワルシャワのレジスタンスを処刑した者は戦犯とみなすとラジオを通して宣言したため、レジスタンスへの処刑は止んだ。10月3日、国内軍はドイツ軍に降伏しワルシャワ蜂起は完全に鎮圧された。翌日、ワルシャワ工科大学に国内軍は行進し、降伏式典の後、武装解除された。降伏した国内軍は、捕虜として扱われて捕虜収容所に送られた。しかし、武装解除に応ぜず、地下に潜伏して抵抗を続ける者も多かった。
市民の死亡者数は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。また、蜂起に巻き込まれた約200名のドイツ人民間人が国内軍に処刑されたと言われている。国内軍は1万6千人、ドイツ軍は2千名の戦死者を出した。
[編集] ソ連軍の進駐
ソ連軍は1945年1月に入ってようやく進撃を再開し、1月17日に廃墟と化したワルシャワに入城した。その後、ソ連軍はレジスタンス幹部を逮捕し、自由主義政権の芽を完全に摘み取った。
生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、ソ連軍進駐後は裏切ったソ連を攻撃目標とするようになった。共産政府樹立後も、要人暗殺未遂などしばらく混乱が続いた。
[編集] 背景
ワルシャワ蜂起を指導したのは亡命ポーランド政府である。ポーランドには第二次世界大戦勃発時にパリそしてその後にロンドンに亡命した亡命ポーランド政府が存在した。亡命ポーランド政府にとってソ連は自国をドイツとともに侵略した国家であったが独ソ戦開始後は亡命ポーランド政府はソ連に接近する。さまざまな問題により決してよい状態でなかった両政府の関係はカティンの森事件の発覚により決定的に悪化することとなった。
東欧を解放してきたソ連は、ロンドンの亡命ポーランド政府とは別に共産党系主導の親ソ派政権の樹立を目標としており、敵対する亡命政府側主導の武装蜂起とは、政治的にあいいれるものではなかった。そのためワルシャワ蜂起は亡命ポーランド政府主導の組織を壊滅させるためのソビエトの意図的な陰謀であったという説も根強い。
[編集] ワルシャワ蜂起を題材とした作品・文献
「世代」・「地下水道」(1957年、ポーランド映画):反独レジスタンスを描いたアンジェイ・ワイダ監督の三部作の第一作・第二作。「地下水道」はカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞している。
「灰とダイヤモンド」(1958年、ポーランド映画):同名の長編小説を、作者の協力を得て映画化したもので、反ソ化したレジスタンスの生き様を描いたワイダ監督の三部作の第三作。平凡に生きようとするが生きられず、共産党要人暗殺を命じられ、最後はゴミ捨て場で死ぬ様は、共産政権下でありながら、かなり中立的な視点で描かれている。ヴェネチア映画祭批評家連盟賞を受賞しており、映画史上でも評価が高い。
「鷲の指輪」(1992年、ポーランド映画):「灰とダイヤモンド」により共産政府の不興を買っていたワイダ監督が、共産政権崩壊後再びワルシャワ蜂起を問い直した映画。
「戦場のピアニスト」(2002年、フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス映画):物語はワルシャワを舞台にし、映画の終盤はワルシャワ蜂起後の廃墟のワルシャワ。
梅本浩志/松本照男 『ワルシャワ蜂起』 社会評論社 1991年
J.M.チェハノフスキ/梅本浩志訳 『ワルシャワ蜂起1944』筑摩書房 1989年
[編集] 関連項目
ウィキメディア・コモンズには、ワルシャワ蜂起 に関連するマルチメディアがあります。ポーランド人に対するナチスの犯罪
ポーランドの反独闘争
レジスタンス運動
ワルシャワ・ゲットー蜂起
第36SS武装擲弾兵師団ディルレヴァンガー
カミンスキー旅団
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カテゴリ: 反ナチ運動 | 第二次世界大戦 | ポーランドの歴史 | ワルシャワの歴史 | 1944年
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