元厚生次官宅襲撃事件の報道で、メディアはいっせいに「年金テロ」説を流したが、事実とはあまりにひどくかけ離れていた。なぜそうなるのかをシリーズで考えてみたい。今回は、「国民に恨まれている」という被害者意識濃厚な厚労省の思い込みが捜査を動かし、1つの「可能性」にしか過ぎないものが1面トップの大見出しになってしまったのだろう。新聞には、確認された事実中心の報道・論評を展開してほしかった。 【シリーズで書く理由】
◆テロ説流し続けたメディア 11月17・18両日、さいたま市南区と東京都中野区であい次いで元厚生事務次官宅が襲われた。この事件の報道で、メディアはいっせいに「年金テロ」説を流した。 ◆事実に即した報道に徹する 事件がショッキングなものであればあるほど、メディアの報道は、事実に即したものに徹しなければならないというのが私見である。日々の報道は締め切り時間の枠内で行われるのだから、多少の「揺れ」があるのはやむをえない。しかし事件の発生から終息(何をもって「終わり」とするのか難しいが)まで読み通してみると、おのずと真実が浮かび上がってくるというのが「理想像」であろう。 ◆年金テロ説で大騒ぎ 今回の報道は、その理想像からあまりにひどくかけ離れていた。とくに事件発生直後、テレビ、新聞、週刊誌などあらゆるメディアが「年金テロ」説で大騒ぎしたのはひどかった。 ◆「そんなもの」と割り切れない私 「新聞なんかそんなものさ」という割り切りもあるだろう。しかし私は31年間も新聞報道の世界で過ごしてきた人間なのである。そこまで割り切ると、自分の人生を否定してしまうような気がする。 このさい、割り切れない人間の思いを、書き連ねてみたくなった。とりあえず、第1回は厚生次官連続襲撃事件報道をテーマにする。 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ◆事件の発生と認知 厚生次官連続刺殺という異様な事件の発生が認知されたのは、11月18日である。とりあえずおさらいしておくと、18日午前、さいたま市南区の元厚生事務次官山口剛彦(66)宅で、山口と妻、美知子(61)が殺害されているのが発見された。山口が胸と背中に計4か所、美知子も胸と脇腹に計3か所、長い片刃の刃物で刺され、肋骨(ろっこつ)を砕いて心臓に達した傷があった。 同日夕、東京・中野区の元厚生事務次官吉原健二(76)宅で、宅配便業者を装った男に妻靖子(72)が刃物で刺され、重傷を負った。肺まで達する大きな傷だった。 ◆すぐに流れた「テロ」情報 次官連続襲撃を報じた18日夕のテレビニュースでは「厚生事務次官OBをねらったテロ」との見方が流された。厚労省は、歴代幹部の身辺警護や庁舎の警備を警察に要請。舛添要一厚労相は「仮に歴代幹部を政治的目的で狙ったテロだとすれば許しがたい。卑劣な行為は断じて許せない」と声高に語った。 ◆「許せない」と力む社説 新聞各紙も19日朝刊で「連続テロ」の見出しを掲げ、社説で「テロは断じて許されない」(読売19日付)、「社会の敵を許さない」(朝日20日付)などと断罪した。 ◆週刊誌は「天誅の時代」犯行声明を入手! 25日(火)までに発売の週刊誌も、「テロ」でメーンの記事をつくり、「週刊ポスト」は<年金テロ「天誅の時代」犯行声明文を入手!>とやってしまった。 ◆「ペットを殺された仇討ち」のメール 「年金テロ」説をくつがえしたのは22日夜、一部の報道機関に送られたメールだった。差出人はさいたま市に住む無職、小泉毅(46)で<今回の決起は年金テロではない。34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである。やつらは今も毎年、何の罪も無い50万頭ものペットを殺し続けている>という内容。小泉はメールを送った直後警視庁に出頭、逮捕された。 ◆「不可解」と迷走するメディア 小泉の父親などからの取材で、34年前の「愛犬処分」は事実だと分かった。しかし何故それが厚生次官襲撃と結びつくのか? 「不可解」というのがメディアの報道だった。朝日は24日付で<凶行の理由が知りたい>と「おねだり」としか言えない社説を掲載するという醜態を演じた。 ◆発生直後はテロの可能性強調 犯人不明の20日付「社会の敵を許さない」では <官僚の元トップと家族が続けざまに狙われるとは、きわめて異様な事態である> <警察は連続テロの可能性もあるとみている> とテロの可能性を濃厚にうち出した。 ◆小泉逮捕後は「信じがたい」 小泉逮捕後の24日付で <こんな理由で人の命を奪ったというのだろうか。憤りとともに、信じがたいとの思いがぬぐえない> <動機ともいえない動機。退任して久しい2人の元次官の住所をわざわざ調べ、宅配便の配達員を装うような計画性。3人を死傷させた結果の重大性と社会に与えた衝撃。いまのところ事件の糸はしっくりとつながらない> とこぼしているのだから、始末に悪い。 ◆事件の糸「つなげてくれ」 <「事件の糸」がつながらないのなら、取材してつなげてくれよ>と叫びたくなる。 たぶんつながるのである。34年前に殺された「家族」とは、当時小学校高学年だった小泉が可愛がっていた飼い犬のこと。吠える声が近所迷惑だと、父親が保健所に持ち込み処分されたという事実があったらしい。父親は自分で連れて行ったとは言わずに、「保健所が野犬扱いして処分した」と小泉に告げたのだろう。 ◆動物愛護で活動も 小泉はさいたま市の動物愛護団体に入り、ペットの世話をするボランティア活動に参加していたという。ペットは大好きであり、「毎年50万頭を殺している」保健所行政のトップに対して「仇討ち」するという動機はやや偏執狂的ではあるが不自然ではない。 ◆人間には憎悪 それなのにというより、だからこそと続けるべきだろう。人間相手にはやさしさのかけらも見せず、憎しみをぶっつけるような行動をとる。つまりペットを偏愛し、ペットとしかつきあえない人格なのである。 ◆愛犬処分が人格を歪めた? 愛犬が保健所で処分されたことによるショックが、小泉の人格形成に大きな歪みをもたらしたということではないか? 河合隼雄の書いたものなどを読むと、少年少女にとって「夢」とか「物語」は極めて大切なものであり、夢や物語とともに生活しているといえる。小泉が少年だったとき、愛犬を通して夢を見、物語を構築していたと思われる。その原点を失われたことによって、人間不信・社会不信に陥ったとしてもおかしくない。小学校高学年だった小泉はすぐに中学校に進学する。思春期に入り、人格の形成が始まっていくのである。 ◆小泉が、他人には理解できない行動をとった初めてのケースは、大学時代の英語受講拒否であるらしい。必須科目である教養課程の英語の受講を拒否し、単位がとれないため、中退を余儀なくされた。もともと理数系が好きで、成績も良かったらしいが、受講拒否で中退までするのは異常であろう。 これはおそらく、思春期から積み上げてきた人格の歪みを行動面で露出させたものだろう。中学・高校時代は、歪みが行動に出るのを抑えていたのだろう。それだけ「英語拒否」は強烈な行動となったのかもしれない。 ◆多数の「被害証言」 大学中退後、人格の歪みは、行動の歪みとして露出する。それも徹底していたようだ。アパート内を含めて、接触のあった人たちの行動に、さまざまな難癖をつける。さらに企業などに対するクレーマー(クレームをつける人)としても超1級だった。その「被害証言」がさまざまに報じられている。 ◆誰でもいい殺人の変種? 日ごろの行動から推察すると、世間一般への不満をぶっつける「誰でもいい殺人」の変種と考えた方が良さそうだ。予断は慎まなければならないが、本人が否定している「年金テロ」というよりはマシな推測であるはずだ。 ◆7年前の池田小事件 7年前の01年6月に起きた、大阪教育大教育学部付属池田小学校(大阪府池田市)襲撃事件を思い起こす。同市に住む無職宅間守(当時37歳=04年9月死刑執行)が出刃包丁を持って乱入、1・2年生の4教室で児童たちを次々と襲い、男児1人、女児7人を刺殺、児童と教師計15人に重軽傷を負わせた。 ◆「何もかも嫌になった」 逮捕された宅間の「第1声」は「何もかも嫌になった」だった。自殺すればすむような動機で、世間を騒がせる犯罪を犯したわけだ。そのとき選んだ行動は、受験エリートを目指す親たちに人気の高い「付属」の小学校襲撃だった。これもいわば「何処でも良かった」はずだ。 ◆秋葉原無差別殺傷事件 今年6月、東京・秋葉原で、静岡県裾野市の派遣社員加藤智大(当時25歳)による無差別殺傷事件が起きた。加藤はまず歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人をはねた。その後、救助しようとしていた人たちも含めて次々と大型ナイフで刺し、7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた。 加藤の逮捕後第1声も「世の中が嫌になった。生活に疲れた」など、自殺同然のものだった。 ◆「生きていく意欲失せた」 小泉もまた「生きていく意欲がなくなった」「体力的に見ても、(犯行が可能なのは)いましかないと思った」などと供述しているという。「世の中が嫌になった」と紙一重である。 ◆借金も重なる 小泉の場合、仕事をしていたとは思われないのに、月6万2千円の家賃は滞りなく納めていたという。その「財源」は、仕事を辞めるとき持っていた1千万円ほどの預金。それを元手にネット株取引などで暮らしていたらしい。 預金はなくなり、いまは借金に転じた。数百万円の借金と報じられている。経済的に苦しくなったというのが、犯行に結びつく直接的な要因なのではないか? ◆犯行声明・遺書などの虚飾 犯罪でも自殺でも、その理由を自己主張した文書(犯行声明、遺書、日記等)がそのまま真の動機というのはレアケースでしかない。人間は自分を飾るものであり、犯罪や自殺直前につくる文書は、最高度の虚飾を施し、タテマエ論だけで押し通したフィクションとなる。ほんとうの動機は生活と密着した、つまらない問題でしかないケースが多いのである。 ◆小泉は宅間と同世代 池田小事件の宅間は1963年11月23日生まれで、生きていれば45歳。小泉と1歳違うだけだ。2人とも自殺すればいいだけの「絶望感」を、大きな犯罪をし遂げようというエネルギーに転化することを目指す、そしてそれができる人物だった。この世代以降、そういう人間が育つようになったということになるのではないか。大げさに「世代論」など言うつもりはないが……。 ◆無差別殺人にはしなかった 小泉は、極端なペット偏愛という歪んだパーソナリティーに忠実だった。自殺するかわりの犯行を、宅間や加藤のような無差別殺人とはしなかった。 ◆「報復」というフィクション貫く 「ペットが殺され続けていることへの報復」というタテマエをつくりあげ、そのフィクションに忠実な犯行を組み立てた。中央省庁で保健所を管轄しているのは厚労省(旧厚生省)だという認識は正しい。野犬の処理という業務は環境省だが、2001年に実現した環境庁の省昇格に伴う担務変更で実現したことだから、間違えた認識とは言えない。 国会図書館などで旧厚生省などの名簿から厚生事務次官OBの住所を調べたというのだから、その意欲・能力もなかなかのものといえる。 ◆推測の一つ 以上私が書いてきたことは、元厚生事務次官があい次いで襲われたという犯罪が何故起こったか、推測の1つにすぎない。それでも元次官連続襲撃=テロという条件反射的反応よりマシであろう。 ◆後出しジャンケンでいいのでは…… 私は連続襲撃と判明した翌日に書いているわけではないから、「後出しジャンケンだ」というご批判もあるだろう。しかしジャンケンではなく、事件の本質を解明する作業なのだ。何故「早出し」でなければならないのか。きちんとデータがそろうまで待って「後出し」となるなら、それで結構ではないか? ◆第1感は厚労省勤務経験者 私の第1感は、厚生省勤務歴のある人物の個人的な恨みだった。官庁・企業はさいきん幹部の住所等を明らかにしない傾向を強めている。厚生省・厚労省勤務経験がある人物なら、元次官2人の住所を知るのは比較的容易だろう。 ◆強い怨恨を示す手口 刃物を振るって、何回も斬りつけたり、刺したりするというのは、強い怨恨がある場合の手口である。元次官本人だけでなく、次官の妻までねらっている点も、強い怨恨の存在をうかがわせる……というところだ。 ◆厚労省内部でも噂 週刊誌などの報道を見ると、厚労省内部で「厚労・厚生省勤務経験者、とくに社会保険庁で処分を受けた者」といった噂がささやかれていたという。いずれにせよ全く外れてしまった。 ◆テレビはバラエティー手法の謎解き テレビはバラエティー番組流行り。ニュースショーなどでは、警察官OBなどを出演させて「推測」を語らせる。そのうちいちばん衝撃的だったのが、「年金テロ」説であろう。 ◆役人たちの被害者意識 厚労省は、「国民に恨まれている」という被害者意識濃厚だから、警察に警備・警護を要請する。 ◆余儀なくされた「テロの可能性」報道 そんなところから新聞もまた「テロの可能性」をうち出さざるを得なかったという事情は分かる。しかし「可能性」が1面トップ大見出しになるのはどうか。 ◆事実を中心にした報道・論評を 新聞はやはり「真実の報道」を大切にしてほしかった。確認された事実を中心に据えた報道・論評を展開してほしかったというのが、私のホンネである。 (文中敬称・呼称略)
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