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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu203.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本郵政人事に見る小沢流官僚掌握術、民主党の脱官僚政治も
自民党系官僚を排除する目的であり、党主導の権力構造を築く。
2009年11月4日 水曜日
◆小沢一郎氏への権力一元化 11月4日 山崎 元
http://diamond.jp/series/yamazaki/10104/
日本郵政人事のメッセージ
権力は、それがどう行使されるかによって、世間の評判が変わる。世間が満足する間は、権力の存在はさして注目を集めないが、その影響に誰もが満足する訳ではなくなると、俄然、その権力がどんな構造に支えられているのかが問題になる。われわれの経験からすると、多くの国民が権力に不満を感じるようになっても、権力のありようによっては、なかなかこれを取り除くことが出来ない。かつて、自民党政権の背後にあった権力の構造も、いざ取り除こうとすると、なかなかに手間の掛かる代物だった。
民主党政権が発足して1月半が経過したが、同党幹事長である小沢一郎氏の周辺の権力構造もまた、これを取り除いたり修正したりすることが困難なものになるのではないか。こう思うに至った、象徴的な出来事は、日本郵政の首脳人事だった。
西川善文社長の退任に大きな違和感はないが、元大蔵次官の斎藤次郎氏の社長就任には大きなインパクトがあった。
この人事の当事者である亀井郵政改革担当相によると、適材適所の人事を行う上で元官僚だからといって排除の条件にはならないとのことだが、この人事は、「天下り根絶」を訴え、日銀総裁人事などで「元官僚」を主な理由に複数の候補者に反対してきた民主党の主張とは明らかに矛盾する。報道によると、鳩山首相は亀井大臣からこの人事案を聞いて驚いたらしいが、これを承認した。また、かつての野党時代なら批判が噴出したのではないかと思われるが、民主党内から批判の声は殆ど出ていない。連立相手である国民新党と亀井大臣への配慮もあろうが、これは異様だ。
推測するに、かつて細川政権時に共に国民福祉税構想を推進しようとした仲である斎藤次郎氏に対する小沢一郎氏の信認が厚いことを、どの関係者も意識したからではないか。だとすれば、その先には小沢氏の絶大な権力が見える。
この人事が承認される運びになった場合、その人事のメッセージ効果は極めて大きい。端的に言って、民主党、最終的には小沢氏に協力する官僚は、将来、何らかのポストに登用される可能性があるということだ。この可能性を見せられて、民主党になびく官僚は少なくないだろう。
加えて、民主党は、これまでのところ日本郵政を完全に官営に戻すと言っているわけではない。また、その株式を一切売却しないと言い切っているわけでもない。
日本郵政は建前上民間会社であるから経営幹部には高給を払うことも出来る。同時に政府が大半の株式を保有するので、経営者は株主に気を遣う必要もないし、買収される心配もしなくていい。経営者のポストだけではないが、こうした特殊会社のポストを配分できる権力は、特に官界に対しては強力な影響力になり得る。もちろん、これが先例として承認されるなら、他の組織に対する天下り(的)人事にも影響力を行使できるから、官僚を相当程度コントロールできるようになるだろう。
この強引な先例作りは、亀井大臣による、民主党、ひいては小沢氏の権力に対する大きな貢献となる可能性がある。
行政刷新会議のお粗末から見えたもの
来年度予算に関連して「事業仕分け」を行おうとした仙石担当大臣の行政刷新会議は、仕分けの担当者の人選に関して、小沢幹事長に手順の不手際を詫びて、当初案を撤回・修正する運びとなった。
ビジネスの世界で考えるとしても、この根回し不足はお粗末だが、この件に関して、仙石担当大臣と平野官房長官が小沢氏に謝ったことが報じられており、一応は一人前の大人であり、選挙を経た議員でもある当事者の議員達も「事業仕分け」の担当をおとなしく降りた。
このイベントは、単に行政刷新会議のお粗末というだけでなく、今次の政権の政府に対する党の優位、個々の議員に対する党の管理の優位を形にして世間に見せたところに大きな意味がある。そして、党の管理の中心に居るのが小沢一郎氏だ。
今や、閣僚も議員も、小沢氏の胸中を推測して、少なくとも彼が反対しないような行動を取らなければならない。小沢氏の監視と力を意識して、小沢氏が指示しなくても小沢氏の指示を受けたかのように動くのだから、これは権力として一つの完成形をなしつつある。(後略)
◆新政権、憲法どこへ 小沢幹事長「法の番人」封じ 11月3日 朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/1103/TKY200911020402.html
日本国憲法が1946年に公布されてから、3日で63年。改憲問題をめぐる民主党の対応に注目が集まるなか、小沢一郎幹事長が唱える「官僚答弁の禁止」が論議に悪影響を及ぼしかねないと心配する人たちがいる。ただ、目の前の課題や党内事情もあって、新政権にとって改憲は「後回し」の状態だ。
「これは官僚批判の名を借りて、憲法の解釈を変えてしまおうという思惑では」
神戸学院大法科大学院の上脇博之教授(憲法学)は、ニュースで見かけた民主党の動きを気にかけている。
発端は先月7日の小沢一郎幹事長の記者会見。「法制局長官も官僚でしょ。官僚は(答弁に)入らない」と語り、国会法を改正して内閣法制局長官の国会答弁を封じる意向を示した。
内閣法制局は「法の番人」とも呼ばれる。法理を駆使して、ときの政府の意向をかなえる知恵袋の役を果たす一方で、例えば海外での武力行使をめぐって「憲法9条の下ではできない」との見解を守り続け、憲法解釈に一定の歯止めをかけてきた。
一方、小沢氏はかねて「国連決議があれば海外での武力行使も可能」と主張し、何度も法制局とぶつかってきた。新進党首だった97年には、日米ガイドラインの憲法解釈をめぐって橋本首相に代わって答弁した法制局長官を「僭越(せんえつ)だ」と国会で批判。03年には自由党首として「内閣法制局廃止法案」を提出した。
こうした過去の言動を見れば、憲法解釈も政治家が行うというのが、小沢氏の隠れた真意だと上脇教授は見る。(後略)
(私のコメント)
政治主導が民主党のマニフェストですが、天下りの根絶もその中に含まれている。しかし日本郵政の社長に大蔵省OBの斉藤次郎氏の就任は、マスコミがいっせいに公約違反だと噛み付いている。日曜日のテレビでもそればかりやっていたような気がするほどだ。確かに公約違反なのでしょうが、民主党が天下りの根絶や脱官僚政治を言っているのかと言うと、自民党に忠実な官僚を排除する為であり、民主党に忠実なら斉藤次郎氏のように天下りを面倒見るよという権力掌握術なのだ。
表向きは亀井大臣が一存で決めたという事になっているが、「株式日記」では亀井ー小沢ラインで決めたのだろと以前書きました。鳩山首相はいつでも差し替えの効く存在であり、直前まで日本郵政の社長人事を聞かされていなかったようだ。つまり小沢氏に率いる党主導で民主党政権が動いているのであり、小沢氏への権力集中がはっきり見えてきた。
つまり民主党のマニフェストなどと言うものは国民を欺く事の手段なのであり、真の狙いは官僚たちへの民主党への忠誠を迫る為の手段なのだ。だから鳩山首相もかつては政権を取ったら局長以上の官僚から辞表を出させるという事まで言っている。民主党に逆らったらすぐに首だぞという脅しなのですが、官僚は小心者が多いからすぐに民主党になびいてしまったようだ。
自民党政権時代の官僚は政治家をバカにしきって「民主党政権が出来ても三ヶ月で潰してみせる」と言った官僚がいたそうだ。安倍政権時代は大臣のスキャンダルをマスコミにリークして安倍首相を辞任に追い込んだし、公務員制度改革に積極的な渡辺大臣を自民党から追い出したのも官僚だろう。渡辺氏自身が、官僚たちが地元にまで押し寄せてスキャンダルネタを探し回っていたと証言している。
鳩山首相の政治資金スキャンダルも官僚たちの抵抗なのでしょうが、小沢幹事長は官僚を天下り禁止で恫喝しながらも、日本郵政の社長に大物大蔵次官だった斉藤氏を据える事でアメとムチを使い分けて官僚を使いこなそうとしている。権力の掌握術とは以下に人事で組織の権力を固めるかにあり、麻生首相のように「官僚は使いこなす」と言ってみた所で、バカにされてピエロにされるのがオチだ。
小沢氏のやり方が良いとか悪いとか言っているのではなくて、権力を掌握するには知恵と能力と恫喝力がなければ出来ない。国会中継でも菅義偉議員が噛み付いていましたが、鳩山首相は「省庁の斡旋による天下り禁止だ」とかわしている。つまり天下りも政治主導で天下りさせると言う事だ。これでは官僚は民主党に逆らえなくなる。
自民党の菅氏が脱官僚天下り禁止を繰り返して攻撃していたが、政治主導で決めた事と各大臣も受け流していた。それで菅議員も追及に立ち往生してしまっているが、亀井大臣のヤジに逆切れしているのは自民党議員がいかに能力劣化しているかの証明だ。自民党議員がいかに攻撃しても鳩山首相から「あなた方に言われたくない」と言われて怯んでいたのでは情けない。
自民党政権では憲法解釈まで官僚に依存していましたが、これでは官僚政治といわれても仕方がない。官僚の国会答弁を禁止したり官僚の記者会見を禁止したのは、政治主導の政治には欠かせなき事だ。官僚は従わせるべき存在であり、国民の選ばれた政治家が主導しなければ自民党のようになってしまって、集団的自衛権まで官僚の解釈が決めてしまう事になる。
小沢氏の権力を実感させたのは郵政人事もそうですが、事業仕分けに新人議員を外させた事にも現れている。自民党政権にはこれだけの権力を持っていたのは金丸信ぐらいなものであり、彼は海部首相の「重大な決意」を捕らえて辞任させてしまった。旧経世会にはこのような権力体質があったのだろう。人事権を持つものが最高権力者であり、郵政人事から見えるようにいま権力を持っているのは小沢氏と亀井氏なのだろう。
小沢氏も亀井氏も元自民党議員であり、権力闘争で破れて自民党を飛び出した人たちだ。だから一癖も二癖もある議員であり、マスコミから叩かれ続けてきた。このような人がいったん権力を握れば、なかなかしぶとい存在になりマスコミも彼らの逆襲を覚悟しておくべきだろう。マキャベリも権力を取るまでに苦労した人は権力を失う事は少ない。君主は愛されるよりも恐れられる事が大切だ。
政治の世界に倫理や道徳を持ち込む事は間違いなのであり、力こそは政治であり、権謀術数をふるえる人物でなければ政治の世界に入るべきではない。それこそ倫理や道徳を振りかざして判断したら政治が混乱する。何が善であり何が悪であるかは時代の変化で変わってしまう。だから政治の世界で善悪を論ずるのは間違いだ。
マスコミがいつも間違えるのは善悪の判断で記事を書くからだ。確かのその時は善であっても時代が変われば悪になり、だからマスコミは間違った記事ばかりになってしまう。かつては小沢氏や亀井氏が悪であり、小泉氏や竹中氏が善だった。昨日のNHK特番では小沢氏と小泉氏の権力闘争を放送していましたが、自民党と民主党が「改革」の旗印をめぐって争っていた。
その戦術転換をしたのは小沢氏であり、小泉改革が地方を疲弊させている事で「国民の生活が第一」と言うスローガンが参院選挙でも国民大衆の支持を受けて参院選挙で大勝利した。つまり小泉改革がまやかしであり郵政を民営化させても日本はちっとも良くならなかった。もし自民党の幹部が「株式日記」を読んでいれば間違いに早く気がついたことだろう。
民主党政権も国民生活の建て直しに成果が上がらなければ、政権から転落して元の木阿弥になる事は分かっているだろう。そのためには出来る事は何でもやる姿勢が必要であり、子供手当てや農家への戸別所得補償はその政策の一つですが、消費が落ち込むデフレ経済に対しては政府が積極的に金をばら撒いて消費を増やす事だ。小沢氏はそれで「国民の生活が第一」と言ったのだ。
小泉内閣では財政再建を第一としたから増税して消費が減ってしまった。だから民主党では減税して財政拡大して赤字国債を恐れない事だ。亀井大臣は10兆円の補正を組めと言っているが、やれる事は何でもやるべきだ。今の小沢一郎なら何でも出来る。マキャベリではないが目的の為に手段の善悪を論じてはならない。赤字国債も日銀に買い取らせればいいのであり日銀は無制限に一万円札を刷る事が出来る。それで景気が良くなれば善なのだ。