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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2045?page=1
元大蔵省事務次官の斎藤次郎氏が日本郵政の社長に就任した。「ミスター大蔵省」の異名をとった、かつての大物官僚の起用は、小泉・竹中路線には逆行するものの、民主党が原点に立ち返って郵政改革の道を追求するのであれば、むしろ適材だ。
その道とは、国家管理下で「郵貯・簡保」をフェードアウトさせること。すなわち民営化失敗による破綻で金融市場を混乱させるのではなく、静かなる安楽死へと導くこと。これに道筋をつけることは、大物官僚にふさわしい最後の大仕事となる。
【改革後退ではなく、数年後の行き詰まりを先取り?】
「民から官だ!」
郵政民営化の見直しを旗印に掲げた国民新党の代表として、亀井静香郵政・金融相が東京金融取引所の社長だった斎藤氏を指名したのは確信犯だろう。「官から民へ」の改革路線を「民から官へ」に巻き戻すつもりであることは疑いの余地はない。
新聞各紙はこぞって「改革後退」と書きたてているが、郵政改革の実情に照らせば、もともと民営化は無理筋で、遅かれ早かれ国家管理に戻る可能性が高かった。つまり、数年後の経営行き詰まりを先取りしただけのことなのだ。
簡単に郵政改革の問題点を解説したい。
そもそも、郵政改革の目的は、肥大化しすぎた公的金融を縮小させ、国全体として、資金の効率活用を図ることだった。それを実現する手段としては、(1)民営化する(2)国営状態で縮小する――の2つの選択肢があった。
【なぜか手段に拘泥した小泉郵政改革】
「殺されてもいい!」と言うほど、手段である「民営化」にこだわった〔AFPBB News〕
豚と郵政、太るか、死ぬかしかない?〔AFPBB News〕
有能な民間経営者も、手かせ足かせをはめられて力発揮しきれず・・・〔AFPBB News、JBpress〕
公的金融が縮小できれば、本来ならば、どちらでも良いはずなのだが、小泉純一郎元首相はなぜか、手段に過ぎない「民営化」を「改革の本丸」と思い込み、「俺の信念だ。殺されてもいい」とまで言い放った。国民も、アジテーションに乗せられ、熱狂的に小泉・竹中路線を支持した。
もちろん、「民営化」は公的金融縮小のための選択肢の1つであり、それ自体に問題があるわけではない。しかし、あまりに障害が多すぎた。
郵貯・簡保は資産規模300兆円を超える巨体ではあるが、その中身は低利の国債の塊でしかない。民間企業として生き残っていくためには、拠点の見直しなど大胆なリストラを進め、運用多角化で収益性を高めるしかない。ところが、リストラは政治介入で思うようにできず、収益の多角化も民間金融が過当競争に陥る中では限界があった。
『豚は太るか死ぬしかない』(ウォーレン・マーフィー/ハヤカワ・ミステリ文庫)という米国のミステリー小説がある。民営化が決まった郵政はこのタイトル通りになった。リストラが阻まれ、固定費が減らせない郵政は巨体を維持し、太り続ける以外に生きる道はなくなった。なぜなら、資産減少は収益源につながり、膨大な固定費が賄えないからだ。痩せると死んでしまう豚は必死に太ろうとするが、競争過多で太りようもなかった。
超巨大組織の効率化は、民間企業ですら難しい。公的事業ならなおさらだ。舵取りを担う経営トップは、超強力なフリーハンドが担保されなければならない。ところが、政治は民営化だけ決め、雇用やネットワークなどの維持という手かせ足かせをはめた。これにより民営化は「ミッションインポッシブル」と化し、生田正治氏や西川善文氏らの奮闘は報われないものとなった。
【公的性格強めても、国債引き受けマシンにはなれない】
では、斎藤氏率いる新生・日本郵政の将来はどうなるのか。副社長陣には、大蔵省と郵政省出身の元官僚が名を連ね、社外取締役になぜか女性作家が加わった。顔ぶれを見ても、民営化推進の意志が皆無なのは明白。今後、官制色を強めるのは必至だ。その方向性は2つあるが、それを提示する前に、一部に根強い「民主党は郵貯を財政赤字の受け皿にするつもりだ」との観測を検証しておこう。
結論から言えば、郵政が赤字国債を引き受けても、国債増発が容易になるわけではない。郵政が国債を買い増すには財源が必要だ。あいにく郵政は中央銀行ではなく、お金は作れない。従って、預金限度の拡大や利息引き上げで資金を集めなければならないが、その大半は民間銀行などからのシフトとなる。
預金が抜けた民間銀行は国債を保有する余力がなくなる。何のことはない、郵政が国債保有を増やすと民間保有が減る可能性が高いのだ。国内資金循環において、政府債務は民間(企業・家計)貯蓄で吸収される。郵政が新規に預金を集めれば、民間貯蓄が減るだけで、国内の国債消化力は基本的に変化しない。残念ながら郵政は国債引き受けマシンとしては機能しないのだ。
さて、斎藤郵政の行方だ。先の「豚」に例えると、少なくとも民間に放り出されて頓死しない国営「豚」として生きることになる。
【官業縮小への抵抗と戦う、真の大物官僚たれ!】
亀井静香郵政・金融相の「新しいネットワークを生き生きとさせ、事業展開をやっていく」との方針に照らせば、国営状態で業務多角化を図る公算が大きい。一般論として公営事業のサービス拡充は非効率的に展開されるため、郵政は赤字を垂れ流しながら民業を圧迫する最悪の存在となりかねない。
一方、そうはならない選択肢がある。冒頭に触れた国営状態における規模の縮小、そして最終的には消滅である。具体的には、ゆうちょ銀行の預金受け入れ限度額を徐々に引き下げていくことだ。払い戻されたお金は民間金融機関にシフトし、民間経済を循環する。結果的に国債に向かうとしても、保有主体は民間金融機関であり、国債価格は市場原理に委ねられる。
極論すれば、郵便事業も同様だ。民間宅配業者が優位な市場からは可能な限り撤退していくのが望ましい。最終的に消滅まで向かうかどうかは、公的なサービスを必要とする地域が残るかどうかにかかっている。民間による代替が不可能な地域が残るにしても、大幅に縮小した状態であれば、公的負担はかなり小さくなる。まさに、最小限のコストによる民業補完が実現すると考えられる。
4年前は「郵貯の徹底的な縮小」を主張〔AFPBB News〕
実は、この段階的縮小案はもともと民主党が唱えていたものだ。
4年前に時計の針を逆戻りさせてみよう。2005年9月の郵政総選挙で、小泉純一郎首相の民営化案に対し、民主党は「預金限度額引き下げによる郵貯の徹底的な縮小」を主張。岡田克也代表(現外相)は「お金の預入先を民間銀行などへ変更されることになり、官から民へのお金の流れが自ずと実現する」と正論を展開していた。
これまでのところ締まりのない経済運営を見せる民主党だが、自民党政権がなし得なかった郵政改革に本気で着手するのであれば、立派な責任政党となる。
官業縮小は官僚の抵抗も凄まじく、これを抑え込めるのは、10年に1人の大物官僚をおいて他にいない。そのための起用だったと信じたい。郵政安楽死という大仕事をやり遂げれば、斎藤氏にとっても「国民福祉税」の汚名から解放され、最後に自らの花道を飾った名官僚として歴史に刻まれるだろう。