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http://www.news.janjan.jp/column/0910/0910051212/1.php
五輪東京招致=反対論が消えた21世紀日本の病(やまい)
田中良太2009/10/05
2016年夏期五輪開催都市はリオデジャネイロに決まった。国際オリンピック委員会(IOC)総会の投票で、東京はビリから2番目。オバマ大統領夫妻が訴えたシカゴがビリだったことが救いだとしても、惨敗だったことは間違いない。
日本の夏季五輪招致は、名古屋がソウルに敗れた1988年大会、大阪が北京に敗れた08年大会に続いて3連敗。名古屋・大阪の敗北のとき、勝利したのはアジアの都市だった。「アジアの番」のときに手を上げるという合理性はあったといえる。
08年北京があったのに、12年ロンドンをはさんだだけで16年東京というのは、どう考えても無理な話だ。非合理的な目標にチャレンジして、150億円の招致費用を無駄遣いした責任は、厳しく問われるべきだろう。
どうしてこの非合理的な招致運動が、最後まで突き進んでしまったのか? 一つは石原慎太郎都知事の「業績稼ぎ」の意味があるだろう。新東京銀行などで、史上最低の知事と評価され、小泉純一郎国政と石原都政の「暗愚の時代」として歴史に名を残すのは確実。それが見えるだけに、「2度目の東京5輪を決めた」という業績が欲しかったのだろう。
スポーツ界の「上意下達」体質も大きい。「多少は常識をわきまえている」と評価できる人でも、スポーツ関係者ならすべて「東京招致」に協力姿勢をとっていた。
自分のことを「体育会系です」と言う若者が増えており、これは「身体を動かすことを苦痛としない」とともに「上の人の命令には絶対服従」も意味するのだという。就職の面接などでは絶対有利な言葉だから、日頃から言い慣れておこうということかもしれない。
スポーツ界の人間たちはまさに「体育会系」だったようだ。アジアの順番でもない5輪に東京が立候補することを「非合理」と批判するスポーツ人はいなかった。
メディアの批判もなかった。テレビにとってスポーツイベントは大きな「儲け口」である。「世界陸上」とか「世界水泳選手権」クラスのイベントでも、各局が争って「独占中継」しようとしている。
新聞もまた、スポーツ界とは縁が深い。マラソンや、高校の野球・サッカー・ラグビー大会やは、たいていが新聞社主催である。
ここで日本の夏期5輪招致3連敗の最初、名古屋の敗北を振り返ってみよう。名古屋招致活動は、73年4月から3期12年つとめた本山政雄市長(故人)の下で展開された。本山氏は名大教育学部長から、社共両党にかつがれて市長選に勝ったバリバリの革新市長だった。これに対して同じ名大で経済学部長をつとめ、親しかった水田洋氏が「市民生活本位の市政を忘れている」と批判、反対運動の中心となった。
名古屋が敗北し、ソウル5輪の開催が決まったのは、1981年9月、ドイツ・バーデンバーデンで開かれたIOC総会だった。水田氏はこのとき、IOC委員全員に手紙を書いたり、総会のさい1万2千人の反対署名を提出したりした。その時点で、「名古屋5輪は是か非か」をテーマにした健全な国内論争は存在したのである。
その後、28年経過して、今回「東京招致反対」運動はなかった。石原慎太郎都政は自公が与党で、民主党など国政与党が野党という構図。今年7月の都議選は自公与党対民主党という構図だったが、民主党は「五輪招致」批判を封印した。「スポーツ界の票を失う」ことを恐れたのだろう。都議選で「東京招致批判をしない」という選択が、今回の鳩山由紀夫首相が出席するという選択につながった。
バーデンバーデンでの名古屋敗北が決まった81年から今年(09年)までの28年間、日本は急速に「論議・論争する力」を失ったと言えないだろうか。大勢に刃向かうと「KY(空気が読めない」とバカにされ、排除される現状は、「論争する力」の衰えを端的に示している。
80年代日本はバブルに踊り狂い、「安楽の全体主義」(故藤田省三氏)が支配する社会となってしまった。大半の日本人は、「カネ本位」教の信奉者となってしまったのである。バブル崩壊後の日本と日本人は、「安楽の全体主義」の克服が課題だったはずなのに、見果てぬバブルの夢を追って、逆に「カネ本位」教信奉を強めてしまった。そのため、社会の活力の源泉である、「論争する力」を失った。それがいまの日本社会の実像だろう。
東京敗北後の新聞論調もひどかった。朝日の社説は<五輪リオへ―「南米初」に喝采を送ろう>というタイトル。「52年ぶりの東京五輪の夢は消えた。だが落胆している人の耳にも、地球の裏側からサンバのリズムに乗る歓喜の歌声が届いていることだろう」という書き出しで、「おめでとうリオ」に逃げてしまっている。「東京への誘致は、「世界初のカーボンマイナス(二酸化炭素削減)五輪」を訴える試みだった。敗れたとはいえ、今後の都市づくりに生きれば、これまでの誘致の努力も決して無駄にはなるまい」が結び。招致費用150億円(うち100億円が税金)の無駄遣いを許すための理屈を用意してやったとしか思えない文言だ。
驚いたのは毎日の1面コラム「余録」だ。<「アジアの一角に全世界の若者が集まるとき、世界は平和の幕開けを迎える」。柔道の父でIOC委員だった嘉納治五郎は世界にこう訴え、東京五輪招致に成功した。結局は戦争で流れた1940年の「幻の東京五輪」のことだ▲この時、嘉納は「五輪は当然日本に来るべきだ。もし来ないなら正当な理由が退けられたことになる」と気を吐いた。>
1936年ベルリン五輪、そして40年幻の東京五輪という流れを考えると、嘉納の「五輪は当然日本に来るべきだ」という発言は、「アジアの一員」としての主張だけではない。ヒトラーのドイツと並ぶ、新興大国の一員としての主張も織り交ぜた「強要」だったはずだ。こうした歴史観も持っていない人物を「余録」の筆者にしている毎日の現状はひどい。社説のタイトルも「東京落選 五輪の夢語り続けよう」である。産経の「主張」(<「東京五輪」落選 次の20年に再挑戦しよう>)とほとんど変わらない。毎日の産経化が、言論界の流れなのかもしれないという印象を持った。
東京は社説のタイトルが「五輪招致失敗 東京の課題克服が先だ」だった。それだけでなく、1面コラム「筆洗」を、<「招致は実らなかったが苗は植えた」。石原慎太郎都知事は再挑戦に前向きだが、今回の招致費は約百五十億円。なぜ、また「東京五輪」なのか、明確な説明がなければ、都民の理解は得られない>と結び、明確に再挑戦を否定していた。
私にとって東京の論調は、常識的なものでしかない。しかしいまの新聞論調の中では「孤立した正論」になろうとしている。日本の世論の病は重篤だといえる。
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