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2009年7月27日 (月)
鬼頭弁護士寄稿「植草氏の収監を前にして(1)」
弁護士の鬼頭栄美子氏が、私の収監を前にして、企業献金全面禁止の意義についての論文 を本ブログに寄稿下さったので、3回に分けて掲載させていただく。鬼頭弁護士にはココログによる本ブログに対するアクセス禁止に際しても、貴重な専門論考を寄稿下さった。再度、ご多忙の中で重要問題について専門的視点から寄稿論考を執筆下さったことに対して、この場を借りて深く感謝申し上げる。
本ブログで記述してきたように、「企業献金全面禁止の是非」は次期総選挙の最大の争点のひとつでもある。大資本の利益を追求する政治が存続し続けた最大の背景に巨大な企業献金の存在がある。
「政治とカネ」の問題に対する究極の解決策が「企業献金の全面禁止提案」である。鬼頭氏が専門的視点から、問題に対する的確な考察をまとめて下さった。総選挙に向けての最重要論点のひとつとして、3回にわたる寄稿論文をじっくりとご高覧賜りたい。
(その2)、(その3)と併せてご高覧下さい。
植草一秀氏の収監を目前にして(その1)
―企業献金全面禁止の意義−
選挙権を持たない企業が、金の力で、政治を左右してよいのか!
弁 護 士 鬼 頭 栄 美 子
植草一秀氏の収監が、刻一刻と近づいている。
かかる緊迫した状況下においても、植草氏は、日々ブログを更新し、政治・経済情報を発信し続けている。強靭な精神力である。
今、日本は「政治を刷新する最大のチャンス」を迎えている。
「国民はこのチャンスを絶対に逃してはならない。国の命運がかかっている。」という思いが、植草氏を支えているのだと思う。この重要な時期に、収監され、発言を封じられる植草氏の無念はいかばかりか。氏の悔しさを想像するに余りある。
国民にとっても、総選挙を控えたこの時期、優れたオピニオン・リーダーである植草氏の言論に接し得なくなる損失は、計り知れないほど大きい。
副島隆彦氏、平野貞夫氏、鈴木淑夫氏、梓澤和幸氏、渡邉良明氏、紺谷典子氏、マッド・アマノ氏、山崎行太郎氏、ベンジャミン・フルフォード氏、をはじめ、(ここにお名前は書かないが)、多くの人が、植草氏を支え、見守っている。
また、ブログや掲示板投稿などで、植草氏支援を表明する方々の数は、日ごとに増え続けている。
次期総選挙の最大の焦点は、(以下、植草氏の文章をお借りして書くが)、「日本の政治を「政官業外電の悪徳ペンタゴン」から国民の手に奪取できるか」である。
具体的には、植草氏の7月22日ブログ記事に詳しいが、端的に言えば、「献金・天下り・消費税」が最重要争点とのことである。
「自民党政治は『企業献金』によって支えられている。巨大な企業献金が自民党政治を国民の側でなく、大資本の側に向かせてしまうのだ。だから、企業献金の全面禁止が有効な施策になる。」と植草氏は述べている(6月17日記事)。
また、「『大資本のための政治』を排するうえで、もっとも重要な公約」の一つとして、植草氏は「企業献金の全面禁止」を挙げている(7月22日記事)。
(民主党が2009年6月1日に提出した「政治資金規正法等の一部を改正する法律案」については、ここをクリック。)
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そもそも、企業からの政治献金は、何が問題なのか。
一言で言うなら、それは、「選挙権を持たない企業が、金の力で、国の政治・政策を左右することを、許してよいのか!」という問題である。
国民主権(憲法前文、1条)、議会制民主主義(憲法1条、15条、41条)、普通選挙制度(憲法15条、44条)の根幹に関わる事柄であり、企業献金を認め続けることは、主権者国民の参政権を実質的に侵害する、違憲の疑いが濃い重大問題なのである(この点、(その3)に後記する元最高裁長官の意見表明−特に、赤字アンダーライン部分−を、じっくり読んでほしい)。
企業の政治献金については、第一に、「参政権の性格」から考えるべきである。
参政権の性格(参政権・選挙権の本質は、自然人のみが主権者として有する政治的基本権であること−憲法15条、44条)を踏まえれば、献金額の多寡に関わらず、企業の政治献金を許してはならないことは、自明である。
普通選挙権獲得の歴史に鑑みても、また、憲法論的意味においても、政治意思の形成・政治過程への参画は、自然人のみに期待されており、企業の出る幕ではない。参政権・選挙権の分野において、企業(法人)と個人(自然人)を、同列におくことがあってはならない。
第二には、現代社会における企業(法人)と個人(自然人)の、圧倒的資金力の違いを前提に、「大資本による、参政権歪曲化」の観点から考えるべきである。
企業による巨額の政治献金は、個人献金の価値を低下させ、その比重を著しく減殺する。企業から特定政党への献金額(7月22日記事)を見れば、選挙戦においても、その後の政策決定においても、企業が政治に多大な影響を及ぼしてきたであろうことは明白である。
企業の献金先は、企業の利益を代表・代弁する特定の政党・政治家に集中すると考えられる。献金を受け取った特定の政党・政治家の政治活動は、自ずから、献金をしてくれた企業の利害に配慮したものとならざるを得ない。これでは、政党・政治家の政治活動が、参政権・選挙権を有する主権者「国民を代表」する(憲法43条)ものになり得ない。
選挙の過程においても、資金力の差による様々な悪影響が考えられる。
かかる「大資本による、参政権歪曲化」状況を、個人の選挙権自由行使への直接干渉でないから構わないとして、座視してはならない。
また企業は、時として、自社従業員を通常業務から外し、立会演説会のサクラ役を命じるなどその他様々な方法で、特定政党への選挙支援・その後の政治活動支援を行うことがある。
「金」の献上ならぬ、「人」の献上である。会社員は、その経済的生殺与奪を会社に握られている。納得いかないにせよ、社命を帯びた業務命令には、容易に背けない。その結果、企業の圧倒的資金力を前提に、マン・パワーの供給が可能となる。これも、形を変えた、企業からの政治献金の一種であることを忘れてはならない。
企業献金を許すことは、国民主権、議会制民主主義、普通選挙制度の根幹を揺さぶる問題、これらの空洞化を招来しかねない問題であり、主権者国民の参政権行使を歪曲化するものである。
現状を許し続けてはならない。
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財界人も、
「企業が議員に何のために金を出すのか。投資に対するリターン、株主に対する利益を確保するのが企業だから、企業が政治に金を出せば必ず見返りを期待する。」
(石原俊・経済同友会代表幹事(当時)。日本経済新聞1989年6月3日朝刊)、
「企業献金はそれ自体が利益誘導的な性格をもっている。」(亀井正夫・住友電工会長(当時)。東京新聞1989年1月1日朝刊)と発言している。(いずれも、憲法問題としての政治献金−熊谷組政治献金事件福井地裁判決を素材に−中島茂樹教授論文から)。
このように、献金をする企業側の意識は、極めて明確である。
そもそも、企業は利潤追求を旨とする存在である。
見返り狙いなしに金を出すと考える方がおかしかろう。
経済合理的理由なく金を出せば(そのような頓珍漢な取締役が存在するとは思えないが)、株主からは、取締役の裏切り行為と評価される。見返りを得られない献金は、会社にとって「損害」に他ならず、取締役等に特別背任罪が成立する疑いが濃厚となる。
企業献金は、「涜職罪(刑法第193条乃至第198条)か、しからずんば、特別背任罪(会社法第960条)か。」というアンチノミー(二律背反性)を、本質的に内含している行為なのである。
過去を振り返るなら、大企業を中心に会社から政権与党・与党政治家等への多額の政治献金がなされ、それが利権等と結び付き、数々の疑獄事件、汚職事件へと繋がった。
そのたびに世論の厳しい批判を受け、政治資金規正法(昭和23年制定)の改正が数次にわたって行われてきた。しかし実効性に乏しく、60年余の長きにわたって「ザル法」と陰口を叩かれ続けているのが現状である。
困難ではあっても、政治資金規正法を抜本的に改正し、企業献金を全面的に禁止する方向へ、一歩ずつ、歩みを進めていかねばならない。
(その2)、(その3)に続く
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