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(回答先: 言い訳に回り始めたネオナチ在特会(ただの「揚げ足取り」でしか):プレカリアート氏BG4/21 投稿者 ヒゲ-戸田 日時 2009 年 6 月 10 日 10:29:43)
ブログ旗旗 2009 年 6 月 8 日
外国人排外勢力の主張も「言論の自由」?
http://bund.jp/md/wordpress/?p=1957
◆くりかし言う「左右対決」ではない
かねてより個人的に呼びかけておりますこちらの賛同署名は公開募集3日めの集計で450人を突破しました。
一日100〜150人のペースで増えていることになります。
在特会の主張に違和感を持つ人が多かったことの証明だと思いますが、こういう集会が行われることや、賛同
人を募集していることは、まだ一般にはほとんど知られていません。多くの方に知ってもらえたら、もっと一日
1000人のペースで増えていくのにと思います。
私はこの賛同署名を決して「左右対決」のように考えてはいけないと思います。
排外的民族主義、ファシズムの台頭には、すべての人がそれぞれの立場からきっちりとした抗議の声をあげて
いかなくてはなりません。
私はいわゆる北朝鮮の拉致問題に抗議する運動について、それが何かしら極右的な主張と二人三脚を組んで進
めようとする行き方では、それを応援したくても、この極右的な主張に同意できない人は、応援も協力も参加も
できないことが不満でした。反ファシズム・レイシズムの運動が、それを裏返したような構造になってはいけな
いとも思っています。
もちろん、在特会や北朝鮮に対しては、いろんな立場からの批判が可能です。
たとえば、拉致問題から意図的に排除されてきた左派の人々の中には、個人的に、あるいは自分たち独自で拉
致問題に取り組むことを模索し続けてきた人々もいるわけです。
ですからこの集会呼びかけの文面に同意できない人もおられると思いますが、そういう方でもご自分なりに何
か声をあげることができないか、一度考えてみたらどうでしょうか?そういう視点からの議論や提起も歓迎した
いと思います。
◆在特会のレトリックは本当か?
さて、そのような視点から考えた場合、前の投稿に書いたように、在特会やその支持者の方々が、その主張を
微妙に軌道修正(後退)させたことが、一定の効果をあげているように思えることがあります。
つまり、蕨市での理不尽な少女追い出しデモをはっきりと覚えている左右を問わないすべての人にはそのよう
なペテンはいっさい通用しませんが、この賛同要請などから彼らの主張をはじめて見聞きしたような、(特に左
右どちらでもないという意味での)一般の人にはということです。
いわく、「外国人参政権付与に反対しているだけ」「意見を表明することは言論の自由」だという主張への後退
です。
これに動揺するような人がいたら言いたい。本当にそうなのでしょうか?
結論から申せば、これは「ヤクザにも人権がある」という当たり前の主張から、「だから暴力団を取り締まる
のは憲法違反だ」というトンデモな結論を導き出すに等しい暴論です。
実は先の名古屋情宣の報告記事を投稿していただいたトチローさんの文章にもあるように、「外国人参政権付
与に反対している」のはなにも右派だけではなく、左派にもそういう意見はあります。
ですがそういう「外国人参政権付与に反対しているだけ」の人すら、在特会のやり方や主張には抗議の声をあ
げているのです。いったいどうしてでしょうか?
彼らがこういう線まで主張を「穏健化」させる前の行動はどんなものだったかを見て行けば、その答えは一目
瞭然です。
たとえば蕨市での問題では、いろいろな人が自分の立場からできるだけ最良の結果を求めて議論を積み重ねて
いる中、彼らはその議論をふっとばし、完全に合法的に日本に滞在している中学生になったばかりの子供を、
100人の大人で吊るし上げるための「デモ」を強行しました。
この子供の実名を「犯罪者」「追い出せ」と書かれた横断幕を掲げ、この子の近所を大声で練り歩こうとした。
これじゃあ彼らこそが「犯罪者」にほかなりません。
この犯罪行為が彼らのいう「言論の自由」の実態であり、それを「もっとやらせろ」というのが「言論の自
由」だと強弁しているわけです。
埼玉県警にいたっては、この名誉毀損行為を許可したのみならず、その内容に驚いてとっさにこの暴力的な横
断幕の掲示をやめさせようとした一人の青年を逮捕するという、その任務とはまったく逆のことを行っています。
これが在特会の主張している「極左暴力集団の妨害行為」の実態だったのです。
◆蕨市の人権侵害デモには私(たち)にも責任があるのではないか?
私たちは、そして何よりも私は、こんなことがこの日本でおこってしまったことを、痛苦に受け止めないとい
けません。
逮捕された青年の救援会の方々は、急を聞いて集まったにすぎないバラバラの個人が無謀な行動に出てしまっ
たことについては救援を呼びかけるにあたってちゃんと謝罪しておられます。
が、私はこの青年がとっさにやったことは「左翼」の「組織的な行動」としては問題があるとしても、人間と
しての驚きと怒りのあまりに体が動いてしまったことを重々理解しますし、それこそ危険をかえりみず「日本人
の良心」を自己犠牲的に代表してくれた行動には、こんな事態にいたってしまうまで彼らを黙認し続けた一人と
して、心からの感謝を捧げたいと思います。
こんなひどい事態になってしまう以前、在特会に類する人々や、それを支持するような一部の人々は国籍法改
正に反対する運動をネット上で大々的に繰り広げました。
しかしその内容は国籍法の中の婚外子差別をどう解消するのが一番いいのか、どうすれば何の責任もないこの
子たちを救済できるのかという真面目な議論ではなく、この人権問題を排外的な民族主義や、在日外国人問題を
「治安問題」であるかのように扱う主張、一言で言って外国人排斥運動へと捻じ曲げ収斂していくものでした。
(たとえばこういう主張など)リンク
私たちは、いいえ、言い訳はやめましょう。他ならぬ私は、彼らの主張を鼻で笑ってまともに相手にしません
でした。
しかしそうではなく、これは排外的な民族主義、はっきりと言えばファシズムの側からする「大衆運動」だっ
たわけでしょ。
彼らの主張を全面的に打ち出すのではなく、大衆の素朴な不安、いわばそういう不安を抱くことは自体は必ず
しも非難できないような不安を極限まで煽って、「その不安がもし実現したらどうするんだ」という論法で人権
の救済そのものを否定する。そして大衆の素朴な意識を人道的な観点ではなく、自分たちのような排外主義の方
向に囲いこんでいく、そういう運動でした。
これに良心的な人は個別の主張に的確に反論はしたけれども、こういう欧州で言えばネオナチに相当する運動
の存在そのものには反対しなかった。
法案には左右の立場からいろいろな人々が賛否の議論を積み重ねていたわけですが、まるでその「仲間」のよ
うな扱いをしてしまったのではないでしょうか。
そして気がつけば彼らは大手をふって街頭に登場してきた。
それに大衆の支持が集まるとかどうとかの問題ではありません。
「こんなファシストの主張は冷静な人から受けいれられるはずがない」確かにそうです。
ですが、彼らの主張や行動によって傷つく人がいるのです。
彼らに抗議しない、あるいは抗議しなかった私(たち)のような日本社会の住人も、そういう人から見れば同
罪だし、少なくとも味方ではなかったでしょう。
◆「便所の落書き」にどういう態度をとったらいいのだろう
蕨市のデモは「人を傷つける」ことを目的にしたものでした。いわば便所の差別落書きのようなものです。
それは主張がどうとか表現の自由とかとは全く無関係です。
人の人権を踏みつけにする自由、人の心を傷つける自由など誰にもありません。
私たちは今まさに、便所の中に差別落書きをしようしている人がいる、その現場に立ち会っているのです。
その落書きで心のそこから傷つく人がいます。どうすればいいのでしょうか?
この種の運動に恐怖や不安を感じたり、心を傷つけられる人に対して、あなたならどう言いますか?
「こんな落書きに同意したり、ましてや影響を受ける人なんていないから、いくらでも書くにまかせておけ」
とでも言って、かかわりあいにならなければいいのでしょうか?
「オレはあんな奴らとは違うから」、私たちにできることは何もない、あるいはするべきではないとでも言う
のでしょうか?
人を傷つけ、人を踏みにじる、そういう主張そのものを許してはなりません。そういうことを目的とする団体
そのものの存在を許してはなりません。それは表現の自由とは何の関係もありません。彼らがその主張を一時的
に後退させて乗り切りをはかっても、私たちは彼らが蕨市でしたことを絶対に忘れはしない。何度でも何度でも
何度でも何度でも何度でも抗議し続けます。
上に書いたように、暴力団の取締りに対して「ヤクザにも人権がある」という人がいます。その通りです。
人権を認め、人として認め尊重しているからこそ、人権を踏みにじる行為を糾弾し、暴力団の「存在そのも
の」を許さないのです。
人権を認めないといっているのではありません。人として許せないことはやめろと言っているのです。
暴力団の被害者への責任は、「ヤクザ」を英雄視したり、その存在を部分的にでも容認する社会全体にもその
一端があるのです。
何も権力に逮捕させろとか、公権力で取り締まれと言っているわけでもないのです。そのように言論内容を権力に精査・区分させる権限を持たせることには断固反対です。
そうではなく、「あなたは(そして私は)どういう態度をとるのですか?」と自分自身を含めて問うているの
です。
私は「またか」と思わずにそのつど、しつこく、そしてちゃんと抗議するべきだと思います。それくらいは許
されるでしょう。
そうしなかったすべての人の責任として、蕨市のようなひどい事がおこってしまった。
大手を振ってこんな(表現の自由なんかでは断じてなく)人権侵害をやらせてしまった。
今はまだ「少数の変な奴ら」だけれども、これに抗議しない、黙認することで、たとえ社会の主流になること
は不可能でも、次には「珍しくもない」存在になるかもしれない。
確かに自分には関係ないし、鼻で笑って軽蔑していればすむかもしれません。
しかしそのことで不安にかられたり傷つく人がいる。そのことの責任は社会全体で負わなくてはならないので
す。
【参考記事】 → 「おいコラ!在日!」と言われた時 http://bund.jp/md/wordpress/?p=192
◆欧州での経験をいかそう
それとも、在特会は世界各地で台頭が見られるネオナチ・ファシズム勢力とは違う「素朴な右派市民団体」な
のでしょうか?
この外国人排斥行動の主催者側の一部である右翼のブログでは、高らかにこう宣伝しているのです。
> 確かに「大不況」「失業」「貧富の差の拡大」「外国人労働者」などの問題で、
> 西欧社会では2000年に入るや極右政党と呼ばれた新しい右派政党が台頭しました。
> だから、遠からず日本でも台頭すると思っているのでしょう。
> しかし、日本ではまだまだですから反日左翼の皆さん、そう焦らずにお待ちください。
> それともそんな余裕がないのですか?
> お仲間の民主党が政権奪取に成功すれば、あなた方の天下が来るのでは?
> 我々の運動が本格化するのはそれからです。
> 国民大衆の右傾化こそ、時代の流れであり、もはや避けられないものと知るべきである。
(http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52258140.html)
まずは民主党政権ができたら私たちは民主党政権とも闘うのは自明のことであり、問題はどういう立場で闘う
かということである。あんまりにも自分の相手している「反日左翼」とやらの対象分析がなさすぎるとしか言え
ない。
なんでもかんでも自分と意見が違うだけにすぎない人を「反日(戦前で言うところの非国民)」だとすべての
人を一括して脅しまくるような政治を打っているから、左翼と民主党が「お仲間」などということを平気で書く
ようなデマが身に染みてしまうのだと言いたいです。
それはともかく、ウィキペディアでは、在特会はこの右翼団体の「関連団体」(要するにこの右翼団体の大衆
組織ということでしょうか?)として紹介されています。
実際に名古屋デモなどにも協賛団体として堂々と名を連ねていたそうですし、今回の京都デモでは団体名を出
すのは控えたようですが、副代表個人(のブログ名)で協賛しているのです。
たとえば欧州ではネオナチの主張や「存在そのもの」に対する抗議行動が盛んに行われています。
オーストリアでネオナチ政党が政権に参画した時には、国境をこえた抗議デモがあった。それは「内政干渉」
でもなんでもありません。「人を傷つけ、人間の尊厳を否定するようなことはすべきでない」という、ただそれ
だけの主張なのです。
こんな欧州ですら、ドイツの外国人排外主義者(の過激な部分)が、「不法移民」が多く住むアパートに放火
して子供が焼け死ぬまで事態が進むことを阻止できなかった。それから猛烈な抗議行動がおきましたが、そうな
ってからでは遅い。日本ではまだこういう運動への対処に慣れていないのだけなのです。
すべての方に、さらなる集会への賛同署名、そして可能なら当日の参加を呼びかける所以です。
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ブログ旗旗 http://bund.jp/
戸田HP http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/
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