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http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090516-10.html
裁判員・参加せずとも罰則なし:大久保太郎(元東京高裁部総括判事)(1)
2009年5月19日(火)13:00
本当に「国民の義務」か
「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(通称「裁判員法」)が本年5月21日から施行され、裁判員制度が実施されようとしている。
政府(法務省)と最高裁は、「裁判参加」は国民の義務であると強調し、裁判員候補者とされている人々が、具体的な事件についての裁判員等選任手続期日への呼出状を受け取ったときは、呼び出しに応じて裁判所に出頭するように呼び掛けている。
しかし、裁判員法を憲法との関係において検討すれば、国民には「裁判参加の義務」などはなく、むしろ国民には裁判に参加する資格がなく、裁判参加は、法的に違法(違憲)であるとともに、倫理的に参加者自身および被告人に対する二重の冒涜であり、また、裁判所に出頭しなかったからといって過料の制裁を受けることはないと考えられる。
裁判員法には、国民に対し作為または不作為を命じる多くの規定があるが、裁判参加との関係で根本的なものは、国民に裁判所への出頭を命じる規定である。すなわち、同法23条1項は、呼び出しを受けた裁判員候補者は裁判員等選任手続期日に出頭しなければならないと定め、また52条は、裁判員および補充裁判員は公判期日に出頭しなければならないと定めており、これらの規定違反の罰則として、112条は、正当な理由がなく出頭しないときは、10万円以下の過料に処すると定めている。
このような規定の体裁を見るかぎり、裁判所への出頭は「義務」といわざるをえないであろう。政府(法務省)と最高裁が裁判参加は国民の義務だと強調するのは、この裁判員法の規定を根拠とするものであろう。
しかし、この「義務づけ」は、(1)裁判員法の立法が憲法13条に違反すること、(2)「裁判員」自体が合憲であるとの説明はなく、むしろ違憲の疑いが非常に強いことから、憲法上許されるものではないと考えられる。
権利侵害には抵抗権がある
日本国憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定しており、憲法の基本的人権保障の要ともいうべき重要な規定である。
ところが裁判員法は、憲法上の根拠もないのに、国民に対し、重大刑事事件の裁判に裁判官と同等の評決権を持って参加するという重い責務を課すものであり、明らかに国民の自由および幸福追求に対する権利を制約するものである。それゆえ国は、少なくとも立法前に全国民に対し、つくろうとする制度の目的と内容、その必要性、憲法上それが許される理由等を十分に説明したうえ、国民の意見を十分に聴取しなければならなかったと考えられる。
しかし国は、全国民に対する説明や意見聴取を行なうことなく、ただただ立法を急いだのであった。これは、裁判員制度の内容を国民に説明すれば、国民から制度に反対する声が湧き上がって、制度ができなくなることが十分に予想されたからであろう。
つまり、裁判員制度は、国が国民多数の意向とかかわりなく制度をつくって、「さあ協力して参加せよ」と押しつけているのである。
このことのもっとも明白な証拠は、裁判員制度が始まろうとするいまでも多くの国民が「こんな制度を誰が言い出し、どうしてつくったのか」との強い疑問を抱いている事実である。平成20年12月6日に放映された「NHKスペシャル 検証・裁判員制度」のなかでも、討論に参加した人々のなかから「裁判員制度はどうして国民によく説明もされず、国民の意見も聴かずにつくられたのか」との趣旨の声が強く上がっていた。
また、いままでの累次の世論調査でも、圧倒的に多数の人々が「絶対に参加したくない」「本心は参加したくない」との意向を示している。前記NHK番組中のリアルタイムの視聴者に対する調査でも、「参加したくない」が「参加したい」の2倍以上の数字を示していた。このことも、裁判員制度が国民の意向とかかわりなくつくられたことを物語っている。
裁判員制度のこのような“押しつけ性”について、元最高裁判事の東京大学名誉教授團藤重光氏も、「この制度は、あくまで『官製』のものでしょ。司法の民主化、公開性、透明性を本当に言うのであれば、それは国民の中から、民衆の中から湧きあがってくる力でなければならない。それなら僕は尊敬しますけどね。要するに法務省あたりで考えて、誰かが裁判員って名前を考えついて、そうしただけのことでしょう。だから僕は、この裁判員ってのは、くだらないの一言に尽きるんです」と批判している(朝日新書『反骨のコツ』134頁)。
すなわち、以上のような裁判員法の立法状況は、国民の自由および幸福追求に対する権利について、立法という国政のうえで「最大の尊重」がされなかったことを明白に示している。国の当局者は、裁判員制度をつくることは「公共の福祉」だというのかもしれないが、それが当局の独善であることは上記のような国民の声からも明らかである。裁判員法は、この点で憲法13条に明白に違反するものであり、国民に対する前記裁判所への出頭の義務づけは無効だ(憲法の最高法規性を宣言する憲法98条1項参照)といわなければならない。
しかも、この「出頭義務」に従うことは、直ちにその国民の自由および幸福追求に対する権利が侵害されることを意味し、その国民にとって被害は切実(重大)である。このような場合、憲法の人権保障が空文であってはならない以上、その国民には抵抗権があり、出頭しなくても、「正当な理由」の有無にかかわらず、過料の制裁を受けることはないといわなければならない。
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