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澪標 ―みおつくし―
歴史に学べ!!裁判員制度
ル・トーア東亜美容専門学校講師・言語考古学・法制史研究家
寺脇 純一
2009年4月14日
一月二十日付『澪標』で、裁判員制度が現憲法に抵触することを述べましたが、今回は歴史面から検証してみます。
■わが国では
荒木又右衛門・忠臣蔵といった仇討(あだう)ちが、また姦夫(かんぷ)を殺す妻敵討(めがたきうち)があり、これを美挙(びぎょ)とする人も多く黙認されてきました。
これはわが国の封建時代には、奉行や代官が裁くのは、ごく一部で、ほとんどは「村掟(おきて)」のような習慣や道徳に基づき村で、また五人組や十人組に連帯責任を負わせ、その集落の中で、住民による裁判を行っていたのです。
刑罰を執行する施設もないため「村八分」や「簀(す)巻き」「追い払い(追放)」などの処分が、力のある者には有利に、また被害者には納得できない形で為(な)されることが多く、「仕返し」を当然のこととしていたのです。
それで明治政府は国家が厳正な裁判を行うことを約束し、一八七三(明治六)年、復讐(ふくしゅう)禁止令を、そして十三年に刑法を制定し、従来行われていた集落の顔役などによる、いわゆる「人民裁判」に基づく私刑をも禁止したのです。そして国民は罪刑法定主義に基づく裁判官の専断に委ねる裁判制度に納得してきたのです。
■一方、欧米では
一七七六年、米国は英国王の権限が裁判に及ばぬよう「独立宣言」に、またその後の憲法にも「陪審裁判」を謳(うた)ったのです。
仏国は八九年、フランス革命後の「人権宣言」で、国王の任命する裁判官によらない、人民による裁判を人民の権利としたのです。
英国では、さらに十三世紀のマグナカルタにまで溯(さかのぼ)ります。
日本が人民による裁きから裁判官による裁判に移行したのとは、全く逆なのです。
米国の「シンプソン裁判」のように問題点を指摘する識者は多いのですが、憲法だけでなく「独立宣言」や「人権宣言」をも否定することになるので、欧米では陪審・参審制度を変えることはできないのです。
■猿まねはやめよう
中国の歴代王朝には「宦官(かんがん)」の制度があり、特にこの弊害が唐や明を滅ぼしたとされています。
大和朝廷は多くの中国文化を摂取しましたが、「宦官」と「科挙(かきょ)」の制度は採り入れませんでした。それはいったん採り入れれば、やめたくてもやめられない制度であることが、分かっていたからです。
■裁判員制度は
まさに、欧米がやめたくてもやめられない制度なのです。
行政や司法に携わる公務員や裁判官を希望する者には、国民に等しく(選考などを経て)就任する権利が与えられています。
裁判に民意が反映されていないという中傷的・抽象的な論議で、欧米でも問題のある制度を導入するのは疑問です。
もし実施するなら、「裁判員」は義務ではなく、志望する者から選挙や選考によって任用し、職業裁判官と同等の処遇にすべきだと思います。
(てらわき・じゅんいち 大阪市阿倍野区)
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