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(回答先: ニュース番組出演を拒否された城内実の告発(天木直人のブログ) 投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 2 月 26 日 19:09:11)
http://www.amakiblog.com/archives/2009/02/26/#001363
2009年2月26日発行 第0075号
田原総一朗の言葉の軽さ
言論人としての田原総一朗の最大に問題点は、辛口評論家佐高信によれば、その言説の無節操さである。彼には定まった主義主張はない。時流に乗った人物や話題に飛びついて自分を売り込む、そういうメディア業界人に過ぎない。それがメディアを取り仕切っているところが問題だという。
私もそう思う。実際のところ彼の発言の不誠実さを示す言動は枚挙にいとまがない。その中でも取っておきの記事を私はファイルに残している。それは自らの連載である週刊朝日の「田原総一朗のギロン堂」(昨年12月5日号)の中で述べられていた「残されたゆえに背負う『反戦』の使命」という記事である。
ちょうど筑紫哲也がガンでなくなった直後だった。同じく共産党の上田耕一郎やテレビマンユニオンの村木良彦もあい前後して亡くなった頃だ。彼はこの三人をしのびながらこう言っていた。
「取り残されたのだから、逆に使命感を覚えないわけにはいかない。戦争と敗戦を知っている人間として、戦争の残忍さ、バカバカしさは何といっても若い世代に伝えなければならない・・・」。そう言って、憲法9条は素晴らしい、あのような戦争は二度とやってはいけない、というこれら三人の遺志を、田原総一朗は引き継いでいくと宣言しているのである。
その言やよし。今後の言動で彼がそれを実践していくのなら私は歓迎する。 しかし彼のこれまでの言動は反戦だったか。安保体制を基軸とした戦後の日本の政治を考えた時、反戦活動をすることはすなわち反体制を意味する。反体制を貫くことの厳しさと重さを、これまでの田原総一朗は理解し、共有していただろうか。反体制の立場に立って言動していたというのか。いとも簡単に「反戦の使命を背負っていく」と言ってしまうところが田原の軽さと厚かましさである。
そして私は再び田原総一朗の言動のあまりに軽さを目撃した。週刊現代で連載されている「霞ヶ関大研究」の第4回目(3月7日号)は「日本の北朝鮮外交はなぜアメリカに裏切られたのか」であった。その中で彼はいとも簡単にこう言ってのけている。
・・・5年前、ブッシュ政権がはじめたイラク戦争に対して、私自身『北朝鮮から日本を守ってくれるのは、アメリカしかいない』という理由で、小泉首相の『イラク戦争支持表明』に賛成の論陣をはり、日米同盟の重要性を訴えてきた。イラク戦争のその後の経過に、率直にいうと、この間の言論人としての責任を痛感せざるを得ないとの思いを常に背負ってきたし、それについての論評を、自己検証を目的にいくつも書いてきた・・・
驚くべき発言だ。こんな簡単に誤りを認めていいのか。日本の国論を真っ二つにしたあのイラク戦争について、週刊誌の中でさらりと述べて自らを免責しようとする無責任さ。そのあまりの軽さと節操のなさにはただあきれ返るほかはない。
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