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(回答先: 俺の言うとおりにしないと、自民党は終わりだ!=舛添要一(その1) 投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 1 月 06 日 12:14:03)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090105-03-0501.html
俺の言うとおりにしないと、自民党は終わりだ!=舛添要一(その2)
2009年1月5日 中央公論
避けては通れない財源問題
こうした見直しを実行するうえで解決すべき課題は三つある。
第一に、制度一体化の方法、財政調整をどうするか。さきほど述べた三世代間のお金のやり取りのほか、国保のバスの隣りを走っている、より「裕福な」健保組合との財政的な相互調整も具体化する必要がある。
第二に、市町村から都道府県に保険料を統一する際の、激変緩和措置を講じなければならない。
そして第三に、都道府県が運営主体となるための条件整備である。現行の長寿医療制度では、知事が県の財政難を恐れた結果、広域連合という妥協の産物の運営主体が生まれてしまった。新制度は、都道府県にきちんとやってもらわなくてはならない。そのためには財政支援も含め、必要な手を打つ必要がある。
これらについて一年をめどに詰めていきたいと考えているが、最大の問題は、やはり財源である。医療費の増加が避けられない以上、どこかで財源を創出しなくては、長寿医療制度の見直しもへったくれもない。
結論を言えば、財源の多くを消費税増税で賄うのがベストだと私は思う。消費税に逆に累進性があるのは事実だ。しかし一方で、広く浅く、かつ公平な税でもある。よく、低所得のフリーターから税金を取って、ベンツを乗り回しているような老人の給付に回すのはおかしいという言い方がされる。しかし、貧しいフリーターは高級車を買わない。お金持ちが一〇〇〇万円のベンツを買えば、仮に消費税率が一〇%なら一〇〇万円を納めることになる。そこに負担の公平が生まれるのである。食料品などの必需品に対する税率を低くする複数税率の採用など、逆累進性を緩和する手立てもある。
長寿医療制度における医療給付の公費負担は五割、残りが現役世代と高齢者の保険料で賄われる仕組みだが、私は新たな制度を導入の後、徐々に公費負担を拡充すべきだと考える。保険料負担分の割合が減れば、それだけ世代間の調整額も小さくできる。
公費の増加分には、述べたように消費税を充てる。フリーターのなけなしの手取りから保険料を徴収するより、お金持ちが支払う消費税を再配分するほうが、よほど社会的公平が実現するのではないだろうか。
自分のことしか考えない
世界に冠たる公的医療保険制度を将来にわたって維持していくためには、何よりも国民の理解、協力が必要になる。しかし、私は先行きを楽観してはいない。国民に正確な判断材料を提供すべきマスコミ、なかんずく映像メディアが、その役割とはかけ離れた報道を繰り返していることも、そう考えざるをえない大きな理由である。加えて、情報を「受け取るほう」にも問題がありはしないか。
論壇誌や新聞であれば、読んだ人間は多少なりとも「考える」。だが、テレビはそれを許さない。「衝撃映像」にかぶさる印象的な一言が脳裏に刻み付けられ、次の瞬間、別の話題に切り替わる。みのもんた氏は「ほっとけない!」と叫びはするが、代替案はない。そして視聴者も、多くはそこで思考停止になってしまう。
国の社会保障のあり方を議論する時に、特に大事になるのはイマジネーションだ。高齢者の介護に苦労する人たちの集会で、「介護目的で消費税を一%上げれば、金銭的な負担なしに充実した介護が提供できる。二%上げればスウェーデン並みも実現できます」というと、税率アップに反対する人はいない。では、「当事者」以外の人に同じことを語ったらどうだろう?「私は関係ないから負担増はごめんだ」「親の面倒をみるのは当然だ」という反応が、おそらく多数を占める。「いつかは自分の親や自分自身が徘徊を始めるかもしれない」「その結果、どんな生活を強いられるのか」という想像力はそこには希薄だ。もっと言えば、「そうなった時には何とかしてもらいたい」と考えている人が多いのかもしれない。
自分のことしか考えられないところに、「相互扶助」は成り立たない。この当たり前の事実を、もう一度自分の頭で思い起こしてもらいたいのだ。
必要なグランドデザイン
OECD諸国で最下位に近いような低負担で、高水準の医療そして長寿命を実現したのが日本だ。しかし、繰り返しになるが、高齢社会の到来で「奇跡」の継続は困難になっている。またしても起こってしまった妊婦さんの「たらい回し事故」は、"安かろう・良かろう"だったわが国の医療が、"安かろう・悪かろう"になりつつある象徴的な出来事といえる。
こうした現状に鑑み、麻生総理は"中負担・中福祉"の国づくりを提言されている。個人的には、思い切って"高負担・高福祉"に座標軸を据えるぐらいの高い目標が必要なのではないかと思っているが、いずれにしても新しい時代に見合った社会保障を築き、維持していくためには、負担増は避けられない。
今必要なのは、そのことも含めた将来像を指し示す、本当の意味でのグランドデザインの作成である。国民のイマジネーションがウンヌンと述べたが、もっと大きな問題は「国民が想像力を欠如させているという想像力」が働かず、結果として「スモールデザイン」しか打ち出せないでいる為政者の側にある。長寿医療制度が軌道に乗らなかったのも、根本原因はそれだと私は思っている。
高齢者医療制度に話を戻そう。取るべき道は、あくまでも開国であり維新である。自らが掲げる長寿医療制度撤廃の世論が後退したことに焦りを感じたのであろう、民主党は躍起になって与党や私に対する攻撃を仕掛けている。だが、彼らの主張する「公武合体」すなわち、すべての医療制度を統合して一元化するなどというのは、暴論に等しいものだ。二〇〇〇年七月、「金大中フィーバー」に乗ってサラリーマンも自営業者もすべて一元化を図った韓国が、その後どんな混乱状態に陥ったのか。彼らは何の教訓も得ていないらしいが、そんな事態を日本で招来するわけにはいかない。私が開国に転じたのは、混乱に乗じてこの公武合体論が台頭し始めたことも理由の一つだ。
幕末期、最も的確に国の将来を見据え、グランドデザインを描いたのは、西郷隆盛であろう。口幅ったいが、私は今、西郷のつもりで事に臨んでいる。先が読めない人たちにはスタンドプレーに映るかもしれないこの間の行動も発言も、すべてはその気持ちの発露であると理解していただきたい。強がりではなく、反発は想定内のものである。むしろ世論の変化も含めて、確実な手応えを感じている。
薩長が最後まで攘夷にこだわり、開国への方針転換を潔しとしなかったら、日本は植民地になっていたかもしれない。はっきり言う。今、私の提言を受け入れなかったら、自民党政権は終わる。
ますぞえよういち/厚生労働大臣・参議院議員
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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