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*現役大臣がこんなこと書いていいんでしょうか!?
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090105-02-0501.html
俺の言うとおりにしないと、自民党は終わりだ!=舛添要一(その1)
2009年1月5日 中央公論
もはや、低負担ではもたない!
長い間この国は、「低負担」でありながら奇跡的に「高福祉」を実現した国だった。国民皆保険制度を実現し、ほんの少しの自己負担で誰でも病院に通うことができ、世界一の長寿を誇っていたことを考えれば明らかだ。
ところが今、日本は本格的な高齢社会を迎える途上で財源不足に陥り、低負担、低福祉の国になりつつある。東京都内の妊婦さんの受け入れ拒否問題をはじめとする医療崩壊、見直しも迫られているが、高齢者の利用する療養病床の削減を打ち出さざるをえない状況にあることなどはその表れである。かつてのような高福祉を願うなら、日本は高負担を選択せざるをえない。その方向転換を図るべき時期にきている。だからこそ、私は、九月末に長寿医療制度の見直しを提言したのだ。
後述するが、この制度の見直しは、膨れ上がる財源の問題に触れざるをえない。選挙前に負担増について触れることが自殺行為だと覚悟した上で、私は、あえてこの見直し案を提案していることを先に申し上げ、以下、改革案について説明したい。
福田、町村に相談するわけがない
この「舛添私案」について、メディアや野党はもとより、与党内からも批判の声が聞こえる。中身について論じる前に、「福田内閣の閣僚として、長寿医療制度推進の立場だったではないか」「根回しもなく独断専行するのはけしからん」という、私の「政治姿勢」に対する攻撃に反論しておきたい。
第一に、今回の見直し案は、今の制度をめぐる厳しい現実を身をもって知る私だからこそ、提出できたものだ。
幕末、攘夷を叫んでいた薩長は、一夜にして開国に主張を転換させる。薩英戦争や、長州が四ヵ国連合艦隊を相手にした下関戦争を通じて列強の持つ大砲の威力を知り、攘夷路線の維持は困難だと悟ったからにほかならぬ。
私は、担当大臣として長寿医療制度を定着させようと努力した。自らが設計に携わったわけではなく、内容も完璧とは言えなかったが、さりとて喧伝されるような"悪の制度"とは、今も思っていない。それどころか、この改革の流れを逆行させるようなことがあれば日本は危ないと思えばこそ、太平洋上の敵に向かって応戦し続けた。
「敵」には、例えばみのもんた氏のような、メディアで「活躍」する人物もいた。彼が毎朝のように「老人いじめですね」と浴びせる砲弾の威力は、凄まじい。対するわが方の大砲はといえば、まるで威力がない。国会の厚生労働族の方々は、私に噛み付く前に、みのもんた氏の番組に出て彼と対決したらどうなのか。
ともあれ、現場の「砲手」は私以外にはあまりいなかった。敵の砲撃により世論が一定方向に燃え上がっていくのを目の当たりにし、私は現行のまま制度を定着させるのは無理だと判断したのだ。
第二に、ならば、いつどんな形で見直しを打ち出すか。政権交代時がその最高のタイミングであることは、論を待つまい。だから「次期総理」が確実視された麻生さんには、就任前にご相談し賛同を得た。
ちなみに、時の福田総理や町村官房長官に相談などするはずがない。すればその時点で、彼らも「責任者」としてこの一件に引きずり込まれることになり、無用な混乱も生む。「一人の大臣が、勝手にとんでもないことを言い出した」という状況を作ることが重要だったのである。
もう一度幕末の話をすれば、犬猿の仲だったはずの薩摩と長州が手を組んだこと自体、「なんじゃそれ」という事件であった。しかし、「なんじゃそれ」で世の中は動く。
長寿医療制度の見直しを打ち出すまで、現行制度を廃止して元に戻すという、財源を無視した民主党などが掲げる方針を支持する人が多数を占めていた。ところが、麻生内閣発足時に『読売新聞』が行った世論調査では、制度見直しに自公両党が合意したことに対して七割近い人が賛意を示している。「元に戻せ」は、およそ二割である。あれこれ批判する人たちに、こうした民意の変化をどう理解、分析しているのか、うかがってみたいものだ。
フレンチが嫌ならイタリアンに
さきほども述べたように、私は現行制度が悪いものだとは思っていない。しかし、「嫌なものは嫌だ」という感情に支配されてしまった以上、維持するのは難しい。料理にたとえるのならば、「最高級の材料を何時間も煮込んで仕上げたフランス料理です」「味も栄養価も保証します」と説明し勧めても、「フランス料理は口に合わない」と門前払いされたようなもので、いくら論を尽くしても理解される可能性は低い。「悪い制度」ではないが、たしかにソッポを向かれる理由もあった。
一つは、七十五歳で切り離したこと。たとえば六十五歳だったら「定年だから」、二十二歳ならば「もう学生じゃない」と説明がつく。今回は、「何の意味もなく」七十五歳になるやみんなと別れて乗せられるバスが、"うば捨山行き"に見えたのだ。七十五歳という年齢には、生活習慣病を患う危険性が高まるといったそれなりの意味合いがあるが、「八十になるが元気だ」という人を前に、説得力には乏しい。
もう一つ大きかったのは、保険料の徴収を一部の例外を除き年金からの天引きに限定したことだ。介護保険料の徴収は年金の天引きでもすんなりいったが、介護保険はゼロからのスタートだったから、「新しい制度ができるのなら」と、抵抗感があまりなかった。一方、長寿医療制度はもともとあった保険をつくり変えたものだったために「なぜ今度は天引きなのだ」という反発を招き、「制度改悪」のイメージを増幅させる結果になった。
どうしても受け入れがたいものであるならば、その障害を取り除くしかない。フランス料理が苦手と分かったのだから、イタリアンなり中華なりに作り変えて提供すべきなのである。
詳述は避けるが、「七十五歳以上の専用バス」という切り離しをやめ、国民健康保険は「県単位の大型バス」に集約し、その中で高齢者に対する優遇措置を残す−−というのが私の提案だ。たとえば現役世代の運賃が一五〇円なら六十五〜七十四歳は一〇〇円、七十五歳以上は五〇円というような形で、シルバーシートやゴールドシートを設ける。一律天引きというやり方も改め、運賃を自分で料金箱に入れたい人にはそうしてもらう。
医療制度改革に取り組みながら痛感したのは、時代は変わって、高齢者も「すべてをお上に任せる」という意識ではなくなってきていること。おばあちゃんが、五〇〇円の保険料を納めるためにバス代を払い、炎天下日傘をさして来るのは大変でしょうと思うのだが、そうしたいと思う人にはその権利も認めるべきだろう。
実は、年金からの天引きである「特別徴収」だけではなく、十月からは多くの方が保険料の自動引き落としも可能になっている。周知徹底が遅れ、まだ利用率は五%に過ぎないのだが、こういった点も積極的にアピールしていきたいと考えている。
ますぞえよういち/厚生労働大臣・参議院議員
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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