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http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1-fabc.html
介護報酬の引上げは保険料の引上げなしでも可能である〜介護保険財政の現状分析(その1)〜
年末以降、雇用を打ち切られ、住まいも失った人々が日比谷公園の年越し派遣村に集まってくる様子やイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃で多数の死傷者が出ている模様を伝えるニュースを見ていると、年の切れ目を実感できません。しかし、それでも皆様それぞれの思いを込めて新年を迎えられたことと思います。今年も細々ながら、日々の体験や感想をこのブログに綴っていきたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。
新年最初の記事は介護保険財政をテーマに3回に分けて取り上げることにしました。
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介護報酬の引上げも財政規律を「底抜け」させるものなのか?
2009年度予算の大蔵省原案をめぐって、多くのマスコミは、@定額給付金の計上や一般財源化後も道路特定財源の予算の大半を道路整備に回す仕組みにしたことも、A社会保障費の伸びを2,200億円抑制する小泉内閣以来の方針を事実上、覆したことも、おしなべて、「財政規律『底抜け』」という大見出しで報道し、介護報酬の3%の引き上げなど数百億円の歳出増を「2,000億円枠」外側で掲げながら抑制枠の数字合わせに終始する現実を自嘲する厚労省職員の声を紹介している(『毎日新聞』2008年12月20日)。
このように、@を選挙目当てのばらまき財政と評することに異論はないが、それとAの社会保障費の増額を同列に置いて、どちらも財政規律を骨抜きにする放漫財政の象徴かのように評価する報道は、日本のメディアが、小泉政権が掲げた「構造改革」というワン・フレーズを中身の吟味なしに賛美した思考停止の呪縛から、いまだ解脱できていないことを物語っている。
問題を社会保障全般から介護保険に絞っていうと、介護報酬を引き上げる以上、それに見合う保険料の引き上げなしには介護保険制度の持続可能性はないかのように信じ込む発言が社会保障審議会(内の介護給付費分科会)の委員の間にも見受けられる。たとえば、昨年12月12日に開催された同分科会第62回会合に事務局が提出した「平成21年度介護報酬改定に関する委員のご意見」(未定稿)と題する参考資料では、それまでの会合で出された委員の意見が列挙されているが、その中で目立つのは次のような報酬増と負担増の連動論である。
「介護報酬の引上げと給付の適正化、被保険者の負担増について国からの説明が必要」
「介護報酬を引き上げると保険料も上がることから、報酬引上げの理由をきちんと説明すべき」
「介護報酬を引上げれば保険料が上がるのは当たり前。如何に財源を確保するかという問題がある。」
「利用者負担の増加を避けるのであれば、介護報酬の引上げは不可能である。」
しかし、介護保険の財源(原則1割の利用者負担を除く保険給付の財源構成)は大きく分けると、
1.公費50%(国25%+都道府県12.5%+市町村12.5%):各一般会計よ り繰入れ
2.保険料50%
*第1号被保険者(65歳以上):3年ごとに市町村が決定。所得に応じ て5段階。公的年金より天引き
*第2号被保険者:医療保険から自動払い
このように介護保険の財源(利用者負担は別枠)が公費と保険料から構成されている現行の制度の下で、介護報酬を引上げるには保険料の引上げに頼るほかないかのように決め込む発言は一体、何を根拠にしているのだろうか? 昨今わが国では、社会保障費増額のための財源というと自明のように消費税引上げを予断する論調が一部の「有識者」やマスコミから流布されている。介護報酬の引上げの財源というと保険料の引上げを自明のように唱えるのも、根拠のない予断という意味ではこれと同種である。
しかし、予断はそれにとどまらない。そもそも新たな財源の手当てなしに介護報酬の引上げは不可能かのように論じること自体、私に言わせると初歩的な予断である。なぜなら、
@介護報酬の引上げに新たな財源が必要かどうかは、介護保険財政の現 状――収支の均衡状況――を確かめることなしに判断できない。
Aかりに収支の不均衡が構造的なものとみなされ、歳出増のためには新 たな財源が必要と判断された場合、それを公費の負担増に求めるの か、保険料の引上げに求めるのかという議論を国民的規模で行う必要 がある。新たな財源というと、保険料引上げ(広い意味での受益者負 担)を自明のこととみなしたり、公費負担というと消費税引上げが自 明であるかのように論じたりするのでは、国民誰もが健康で文化的な 生活を送る権利の保障に関わる社会保障の財源論に値しない。また、 そのような貧困な発想しかできない人物に果たして社会保障審議会の 委員としての資質なり知見が備わっているのかはなはだ疑わしい。
保険料の引上げなしでも介護保険特別会計は持続できる
上の2つの論点のうち、議論の因果からいって、@の論点に判断を下すのが先決である。そこで、特別会計で運営されている介護保険財政の全国ベースの状況を調べてみると、結果は表1のとおりであった。
表1 介護保険特別会計の収支と諸基金の残高の推移(2000年度〜2006年度)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/table1_kaigohoken_tokubetukaikei_shusi_kikin.pdf
(注:歳出項目に計上されている「介護給付費準備基金」とは3年間とされる介護保険計画期間の初年度に生じると見込まれる剰余金を後年度に生じると見込まれる欠損金を補てんする財源として留保するために設けられる基金である。「財政安定化基金」については後ほど説明する。)
表1を見ると、次のような特徴を指摘できる。
@市町村が運営主体となって設置している介護保険特別会計は制度発足 以来2006年度まで毎年度歳入余剰を計上し、収支率(歳入/歳出)は 101.3〜105.9の範囲で推移している。
A歳入・歳出の項目別の推移を2000年度を100とした2006年度の指数で 調べると(2000年度は制度導入の初年度でイレギュラーな金額が混入 した可能性があるため、2001年度を100とした指数を括弧内に併記し た)、歳入総額は172.9(141.1)、保険料は656.0(214.0)、公費は 135.5(133.7)であった。他方、歳出総額は176.6(139.3)、保険給付
費は180.9(142.7)となっている。ここから、収支率はほぼ横ばいで あるが、保険料の大幅な伸びに対して保険給付費の伸びはその約4分 の1(2001年度を基準年度とすると約3分の2)にとどまっている。
B表1は厚労省の公表資料に基づく2006年度までの市町村の介護保険特 別会計の全国集計値であるが、厚労省がまとめた2007年度の暫定推計 値によると同年度の全国集計値では3,800億円の黒字を記録したとい う(『朝日新聞』2008年12月9日)
こうしたデータを見ると、介護保険財政の持続可能性に不安材料は何もないことがわかる。むしろ、保険の原理にならって被保険者全体としての負担と受益の関係を確かめると、制度発足以降の負担の増加との対比で給付が極めて低い水準で推移してきたことがわかる。特に、介護保険計画の第3期の初年度に当たる2006年度から介護保険料は25%引上げられた結果、保険料収入が1.28倍(=12,621億円/9,835億円)に増加したにもかかわらず、保険給付費は1.01倍(58,842億円/58,119億円)で伸びはほぼゼロとなっている。これでは、「保険料あって介護なし」といっても過言ではない。
こうした介護保険財政の実態を直視すれば、保険料の引上げなしには介護報酬の引上げはあり得ないかのような議論がいかに現実に関する無知に基づく稚拙で無責任な予断であるかが判明する。
となると、次には、なぜこのような「保険料あって介護なし」の実態が生まれたのか、その原因を究明することが必要になるが、その前に、介護保険財政と介護報酬(保険給付費)を引上げる財源をより的確に把握するには、表1の歳出項目に計上されている財政安定化基金(市町村が通常の努力をしてもなお生じる第1号保険の未納、見込みを上回る介護給付費の伸びなどによって財源不足が生じた場合に、それを補てんするために市町村に貸し付けや交付金の交付を行うための基金)と介護給付準備基金(介護計画期間3年の初年度に生じると見込まれる剰余金を後年度に生じると見込まれる欠損金を補てんする財源として繰り越すために設けられた基金)の運用の実態を確かめておく必要がある。次回の記事ではこの点を取り上げることにする。
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