★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK57 > 177.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 岸信介首相・佐藤栄作首相(兄弟)の、…巨大な負の遺産と許し難い従米二枚舌外交 (森田実の言わねばなぬ) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 12 月 25 日 17:50:34)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04892.HTML
2008.12.24(その2)
森田実の言わねばならぬ【939】
平和・自立・調和の日本をつくるために[934]
【森田実76歳の日記〈24〉】戦後史を見直し、日米関係の明らかにし、真の自立・平和・対等の日米関係を構築しなければならない――ティム・ワイナー(ニューヨーク・タイムズ記者)著『CIA秘録(上)』の「岸信介」に関する部分は、戦後の日米関係についての重要な記述である。いまこそ岸信介・佐藤栄作時代の日米関係を再調査しなければならない
「悪人は非を飾ろうとし、善人はこれを改める」(サミュエル・ジョンソン)
--------------------------------------------------------------------------------
2008年11月15日に刊行されたティム・ワイナー著『CIA秘録(上)』(文藝春秋社刊)が多くの人々に読まれている。数名の友人から「『CIA秘録』読みましたか? 面白い本です。とくに岸信介とCIAの関係のところを読んでみてください」と言われた。ティム・ワイナーの記述は検証してみなければならないが、ここまではっきり書かれた以上、岸信介について再調査する必要があると感じた。
ティム・ワイナーは次のように記している。4カ所引用する。
《岸信介は、児玉と同様にA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に三年の間収監されていた。
東条英機ら死刑判決を受けた7名のA級戦犯の刑が執行されたその翌日、岸は児玉らとともに釈放される。 釈放後岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座までのぼりつめるのである。》(p.178)
《岸信介は日本に台頭する保守派の指導者になった。国会議員に選出されて四年も経たないうちに、国会内での最大勢力を支配するようになる。そしていったん権力を握ると、半世紀近く続く政権党を築いていった。》(p.178)
《他にも岸と同じ道をたどったものがいた。戦時内閣の大蔵大臣を務めていた賀屋興宣である。戦犯として有罪となり、終身刑の判決を受けていた。一九五五年に保釈され、五八年に赦免された。その後、岸に最も近い顧問となり、自民党外交調査会の主要メンバーになった。
賀屋は、一九五八年に国会議員に選出された直前もしくは直後からCIAの協力者になった。》(p.183)
《賀屋とCIAの断続的な関係は、賀屋が佐藤栄作首相の主要な政治的助言者だった一九六八年に頂点に達した。その年、日本国内での最大の政治問題は、米軍がベトナム爆撃の重要な後方基地として利用し、核兵器の貯蔵場所ともなっていた、沖縄の巨大な米軍基地の問題だった。〈中略〉CIAは選挙を自民党側に有利に動かそうと秘密工作を展開し、賀屋はその活動で重要な役割を果たしたが、その試みはわずかの差で失敗した。沖縄自体は一九七二年に日本の統治に返還されたが、沖縄のアメリカ軍基地は今日まで残っている。〈中略〉「われわれは占領中の日本を動かした。そして占領後も長く別のやり方で動かしてきた」。CIAの東京支局長を務めたホーレス・フェルドマンはそう述懐した。「マッカーサー元帥は元帥なりのやり方でやった。われわれはわれわれなりの別のやり方でやった」。》(p.184)
最近、政界だけでなく政治ジャーナリズムの主流である大新聞の政治記者までが、岸信介を戦後日本最大の政治的英雄であるかのように讃美する傾向が強い。私は、岸信介こそ戦後日本が自立・独立国家として生きる道をつぶし、従米国家にした最悪の政治家だとの見方を述べてきたが、マスコミ界にはほとんど同調者はいなかった。
岸信介は日本を米国に売り渡した政治家である。岸信介が強行した日米安保条約改定によって、日本は米国の永遠の従属国にされたのだ。もしもティム・ワイナーが述べているとおり、岸信介がCIAの協力者だったとしたら容易ならざることである。われわれは真実を明らかにするため、戦後史を見直す必要がある。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK57掲示板
フォローアップ: