http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/722.html
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(回答先: 「吹雪で動けない」 爺ケ岳の女性 投稿者 中川隆 日時 2015 年 2 月 16 日 18:41:18)
2015年2月 自分達が遭難したと認識できなかった学習院大アホ学生の八ヶ岳遭難
八ヶ岳 阿弥陀岳 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%B2%B3
八ヶ岳で学習院大パーティー遭難か りんどう山の会 2015年02月10日
大学山岳部の男女各一名が、八ヶ岳の阿弥陀岳からの下山中に、行方不明となっている模様。
信越放送などによると、
行方不明となっているのは、学習院大学に在学する22歳の男子学生と、19歳の女子学生とのこと。
同大学パーティーは五人で、一昨日、阿弥陀岳登頂し、下山中に道に迷いビバークし、その後、三人は近くの山小屋に到着したが、二人は到着せず消息不明となったようだ。
二人は装備は持っているらしいので、冷静に行動していることを願いたい。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/804630
学習院大の二人は雪の中から発見 りんどう山の会 2015年02月11日
一昨日(2/9)から消息不明となっていた学習院大学山岳部の二人は、阿弥陀岳南側の斜面の雪の中に埋まった状態で発見された。
二人共死亡が確認されている。
報道などによると、
二人は八ヶ岳連峰の阿弥陀岳の南側の急斜面の約200m下部で、1.5mの雪に埋まった状態で発見されたが、現場で死亡が確認された。
二人の体はロープで結ばれていて、複雑に絡まった状態だったという。
無事下山した山岳部員の話しでは、遅れた19歳の女性部員をリーダーで主将の22歳の男性が、ロープで結び引っ張りながら歩いていたと証言している。
現場の状況などから、滑落した可能性が高いとみられている。付近に落ちていた赤い手袋が目印となり、ビーコンの電波に反応した場所を掘ったところ、1.5mの雪の中から二人を発見したようだ。
今日は、学習院大学山岳部OBも捜索に加わり、捜索に期待がもたれたが、視界が回復した午後、ヘリコプターで現場に投入された救助隊により残念な状態で発見された。
今年も、信州の山で、若い命が奪われてしまった。装備も揃っていた上、リーダーの男子学生は海外登山の隊長を務めるなど経験があったようだが、冬の八ヶ岳には勝てなかったのか、本当に残念です。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/805966
学習院大しっかり遭難事故を検証すると りんどう山の会 2015年02月13日
阿弥陀岳ルート
※写真は、硫黄岳付近から昨年9月に撮影したもの。
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/a97db268f4a2cf8358284fbe59c84607/4896547
前途ある二人の学生が亡くなった遭難事故を受けて、学習院大学は検証し、原因究明も行う考えを示した。
警察によると、二人の死因はリーダ―の男子学生が多発外傷、女子学生が低体温症だったことから、二人はロープで体をつなぎ稜線を歩いていて滑落し、その後、雪崩に遭った可能性があるとみている。
学習院大山岳部パーティーは、登山計画もしっかりして、装備にも不備はなかったと思われているのに事故は起きてしまった。
2月の八ヶ岳で天候が悪化した場合の対策が、やはり甘かったのか。視界がきかない中で、方向を間違え道に迷ってしまったのが、最初のミスであった考えていいだろう。
道に迷ってビバークするまでは冷静な行動ができていたのに、翌日は体力差から、パーティーが同一行動をとれなくなったことが事故につながってしまったのだろうか。
二人の尊い命を無駄にしないためにも、しっかり検証し原因究明をしてほしい。
しかし、あまりにも大きな代償となってしまった。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/806841
検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故@ りんどう山の会 2015年11月14日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1101892
今年2月、学習院大学山岳部の学生二人が、八ヶ岳連峰の阿弥陀岳で遭難し亡くなった。
学習院輔仁会大学支部山岳部及び学習院山桜会(山岳部OBOG会)では、この事故の検証と原因究明を行い一冊の報告書にまとめている。この報告書は、我々のこれからの山行においても教訓になるので、要約し当方の考察を加え数回に分けてお伝えしたい。
【登山予定】
学習院大学山岳部の5人パーティー(4年男子主将、2年男子2人、1年男女各1人)は、行者小屋から阿弥陀岳北稜を上り、日帰りで行者小屋に戻る。
※今後は、主将をCL、2年生のサブリーダーをSL、もう一人をA、1年の男子をB、女子をCと表記する。
地図
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/e49a4e71937eb389d04d467a1c779caf/5144904
【行動】平成27年2月8日(第1日目)
5:00 行者小屋のテントを出発。出発時は視界も良かった。
6:00 雪が降っていたが風が弱く阿弥陀岳はよく見えた。ハーネス、アイゼンを装着。
7:00 北稜の岸壁に到着。2パーティーに分かれ登攀開始。
降雪は強まり天候は悪化してきたが、阿弥陀岳頂上は確認できた。
岩稜を抜けたあたりから既に視界は悪くなり、5〜10mの範囲しか見えない。
吹雪ではないが風は強かった。
岩場を2ピッチ、スタカット。雪稜を1ピッチ、コンテニュアス。
頂上手前でロープをしまいゴーグル着用。CLが指示。
8:00 阿弥陀岳山頂に到着。風強く積雪あり視界5〜10m。山頂標は膝より下にある。
赤岳への標識を確認。天候悪化のため早々に下山を始める。
稜線上を下降中急斜面に出る。急斜面を時計回りに巻いて下降。前方に尾根が続いていた。
文三郎尾根を下山する予定であったが、風が強いので中岳沢を下ることにする。CL指示。
実際には、中岳方向へ下山せず、南東方向へ下降してしまう。コンパスで確認することはなかった。
沢を降りている時、SLは違和感を覚える。
下降し続けると斜面が平らになり川沿いに出た。Aが方向に違和感を感じたが確認はせず。
学習院大遭難ルート
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/ed8cb8c006301710c4798fc8170f81de/5144905
しばらくして、行者小屋への時間がかかりすぎるため、疑問に思ったSLがCLに声をかけ相談した結果、ルートが間違っていることに気付く。
立場川の中にいて舟山十字路方向に進んでいることを確認。
南稜に続く尾根が近いので、ひとまず南稜の尾根を目指す。
南稜の尾根を目指し何度も迂回しているうちに沢沿いに大きく落ち込んだ崖に出たので、ロープで10m懸垂下降。
舟山十字路より南稜を経由した方が行者小屋は近いことから南稜を目指すこと、今夜のビバークの必要性について話し合う。
SLは手袋が濡れBから予備を借りる。
CLとCは(遭難で亡くなった2人)は、雪を踏み抜き沢の水に浸かり靴下まで濡らす。Cは靴下の予備がなくBから借り交換する。
この時点でCには疲労が見られたためSLが後ろからサポートした。
Bも疲れていた。
16:30CLとAは、南稜の尾根に取り付く上り口を探し、比較的上りやすい場所を見つけた。立場岳へ続く尾根の樹林帯、推定2100m付近をビバーク地とする。
18:00 CLとAは半雪洞を掘りツエルト二張りを張る。残りの三人は30分遅れて到着。
Cは靴下を交換したが靴が濡れていたため、また靴下が濡れた。CLは濡れたまま交換していない。
雪洞の中で、枝、マット、ザック、シュラフカバーを敷き、全員サバイバルシートを羽織る。Cはシュラフカバーに入った。
20:00 雪は降っていたが樹林帯で風はほぼなかった。
ガスストーブで暖をとる。その後、一晩中燃やし続ける。
Cは震えていたが、他に着るものを持っていなかった。
非常食や行動食を食べ、テルモスのお茶を温めみんなで飲む。
このとき、CLとSLのドコモの携帯電話は通信可能であったが、本部への連絡はしなかった。なお、Aのソフトバンクは不感だった。
【考察】
この遭難事故が発生した際、ネット上では、
「なぜ、明瞭な中岳のコルでルートを間違うのか」、
「コンパスを確認しなかったのか」、
「なぜ南稜を登り返したのか」
など、様々な疑問が投げかけられていた。
この報告書により、その辺の疑問も少しは判明してきた。
登頂後のルートは、中岳のコルへ下り、中岳沢を行者小屋まで戻ることを想定していたことは、多くの人が予想していたルートだ。
ただ、視界が悪くなってもコンパスで方向を確認することなく、斜面を時計回りに下降してしまい。かなり下ってから初めてコンパスで確認をしている。
この辺が遭難への助長だったことになる。
こうなるとは想定はしていなかっただろうが、手袋や靴下の予備を持っていないことは反省点だろう。
ビバーク地点で遭難を自覚していれば、携帯電話が通じたことから救助要請はできた。
ここで最初の通報の機会を逃してしまった。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1101892
検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故A 2015年11月21日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1107655
山行2日目、彼らはどのように考え、どう行動したのか?
【行動】(第2日目)平成27年2月9日
5:45 ストーブのガスが尽きたので、固形燃料で出発前最後の暖をとる。朝食はなし。
6:00 出発準備。天気予報が聴けなかったが、7日時点の予報では、晴れるが風が強いと確認していた。
7:00 出発。南稜へ向け登り返しを始める。
天気は晴れ、樹林帯のためか風はほとんどなかった。
CL及びSLの足の感覚は無くなっていた。
CL「手は調子が悪く、足は感覚がない」と発言。CLとSLは、Aから毛手袋を片方ずつ借りる。
SLは、隊員がここまでそれなりに元気に登っていたので、南稜を進み阿弥陀岳を越えられると考えていた。
9:30 南稜正規ルートに合流。立場岳付近と思われる。
トップAは、南稜のトレースに従いひたすら行動。SLは、トレースと合流地点でかなり高度を稼いだ感覚があり、頂上が近いと実感。
青ナギの下りの途中で、BがCLに「このまま下るのですか」と尋ね、CLは「阿弥陀岳まで登り返すよ」と答える。
11:00 青ナギ付近で休憩。各隊員のレーションはほとんどなく、各自の判断で食べていた。
SLはCLからカロリーメイト1/4とハチミツ一口をもらう。
飲み物は冷たかったのであまり飲まなかった。
Cは頂上までどれくらいか尋ね、SLは「まだまだ」と答える。
トレースを辿り、赤旗を確認しながら進むが、Cのペースが一気に落ちる。
13:00 無名峰の先に到着。SLとCは30分遅れる。
Cは遅れていたが疲れたとの発言はしなかった。
風は強まり曇り始める。太陽は見えなくなり体感温度が下がる。
CLの指示で、アイゼンとハーネス装着するが、CLとCのハーネスのバックルが凍結して使用できず、ロングスリングと安全環付カラビナでハーネスをつくる。
CLとCはコンテニュアス開始。他はアイザイレンはせず。
生還した三人の時計は、SLはザックの中、Aは故障、Bはテントに忘れたため、以下は推測の時間となる。
15:30頃 SL、A、BがP3に到着。CL、Cは30分遅れ。
C「ここを登ったら頂上ですか」、SL「ここじゃないよ」
CLとCがコンテニュアスでP3へ取り付き、P3のルートを確認し、CLが「このまま行こう」と判断。
あとの三人は、ロープ無しで取り付く。
ルンゼに回り込むところは岩場が狭く、Cは少し疲労していた。
ルンゼの中に入ったとき、Cの靴が脱げかけていた。Cは靴を履こうとしていたが、コンテニュアス状態のため、C自身がロープに体重をかけて靴を履ける状況でなかった。
夏道北稜
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/d31d26b37bfd05f9f222cf395409ee96/5148607
CLは、急なルンゼで全員が止まった状況は危険と感じ、SL、A、Bに、先にルンゼを抜けるよう指示。A、Bの順にCLらを抜き、SLも続いた。
「このままでは危険すぎる。お前たちは先に行き、頂上に出たら、中岳沢の夏道を使って行者小屋に降りろ」とCLが指示。
ルンゼを抜ける際、Aが振り返ったときはCは既に靴を履き直し登り出していた。
その後、先行した三人は二人を見ることはなかった。
16:30頃 先行する三人が阿弥陀岳頂上に着。8日より視界は良く、8日に登った北稜の最後の雪稜が確認できた。
行者小屋までの下降ルートを検討。8日、中岳沢と立場川本谷を間違えた不安と、自分たちのトレースが北稜に残っている可能性から北稜を選択。
岩場を右から迂回。岸壁の少し下で 25m懸垂下降。樹林帯に入り30分くらいヘッドランプを点ける。コンパスを行者小屋に合わせ下るとすぐに行者小屋の水場を目視できた。
18:00 テントに到着。隣の東京農大山岳部に現在の時刻を聞く。
暖を取り凍傷箇所を確認。SL、Bの状態が特に悪いと感じぬるま湯で温める。
19:45 二人の安否が心配で監督に連絡も繋がらなかったため登山本部に連絡し詳細を報告。
後方の二人との差が1時間から1時間半程度と考えていたためこの時間になったようだ。
21:40 監督と連絡が取れ状況説明。監督「2回目のビバークになるため、OB会の会長らと相談し、長野県警へ救助要請。家族への説明
OB、部員6名が深夜に八ヶ岳へ向かう。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1107655
検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故B 2015年11月28日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1113359
中阿弥陀
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/d3f1296fecd1dac1b2e1439e071883b3/5153636
山行3日目、いよいよ行方不明の学生二人の捜索が始まる。二人はどうなったのか?
5人パーティーの主将で4年の男子学生をCL、2年の男子学生のサブリーダーをSL、もう一人の2年の男子学生をA、1年の男子学生をB、1年で唯一の女子学生をC。
今回の山行に参加していない山岳部の副将をS、三年の男子学生をUとGとする。
【行動】平成27年2月10日(第3日目)
19:45 SLから連絡を受けた登山本部のGは,山岳部監督に連絡したがつながらず、ヘッドコーチにこの件を連絡する。
21:30 ヘッドコーチは、副将のSに、U及びGと出発の準備をして新宿に行くよう指示。
21:40 監督からGに連絡が入る。監督が状況を把握する。続いて、行者小屋のテント場にいるSLに連絡し詳細をしることに。
22:00 監督は、贄田山桜会(学習院大学山岳部の卒業生組織)会長と長野県警への救助隊出動要請について協議。
23:06 長野県警茅野警察署へ捜索依頼をする。
続いて、今回の山行に参加した5名の部員の家族に現地の状況を説明「翌朝から長野県警と捜索活動に入る」と。
行動軌跡
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/e49a4e71937eb389d04d467a1c779caf/5144904
【捜索開始】平成27年2月10(第3日目)
0:30 OBのN、副将S、部員U、部員GがOBのHの車に合流し、OBのT宅(山梨)へ向かう。
2:30 H、N、S、U、Gが中央道長坂インター近くで、監督及びOBのTと合流しミーティング。
4:00 T宅で装備の確認。
6:00 OBを含む6人が八ヶ岳山荘に到着。
部員のUは八ヶ岳山荘で待機し、5人は出発の準備をする。
この頃、行者小屋テント場の三人が起床。
携帯電話を見ると、長野県警から着信履歴があったので、電話をかけて詳細を伝える。
朝食をとり、凍傷箇所を確認する。
長野県警山岳遭難救助隊、山岳部OBからなる捜索隊が到着するまで待つ。
6:15 救助隊と学習院隊が八ヶ岳山荘を車で出発。
6:40 救助隊と学習院隊が赤岳山荘に到着。車はここに駐車。
7:00 山荘を出発
行者小屋
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/bc42df2485e3dc6c4cc5bcc9922f58f0/5153626
8:55 行者小屋(左写真)に捜索隊到着
テントにいる三人と合流。
救助隊が三人の凍傷の患部を確認し、ミーティング。
三人はヘリコプターを使わず、自力で下山できると判断。
副将SとGは三人に付き添って下山することになる。
下山した三人は、美濃戸口から救急車で病院へ搬送される。
OBのHはテント場で待機(無線所持)。
OBのTとNは県警救助隊と共に捜索を行うことになる。
9:45 捜索隊(県警救助隊4名、OBのTとN)は、行者小屋を出発。
中岳沢経由で阿弥陀岳山頂へ向かう。
午前中は、風が強く視界不良のため、ヘリコプターは山頂付近から帰還しヘリポートで待機。
12:00 救助隊が阿弥陀岳山頂に到着し、南稜を下降しながら捜索を開始。
14:00 P3付近を救助隊が通過
15:00 青ナギで待機
天気が回復したため、ヘリによる捜索を始める。
ヘリから、立場川に伸びるトレースを確認する。
沢筋(広河原沢本谷第2ルンゼ)に、赤い点を確認し写真撮影。
16:00 立場岳山頂付近で立場川からのトレースを発見
17:00 舟山十字路に下山し、この日の捜索を終了する。
ヘリも捜索を終了
18:00 八ヶ岳山荘に戻る
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1113359
検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故C 2015年12月05日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1123108
前日に見つかった赤い点は何だったのか、行方不明の二人の学生は二日目をむかえる。
そして、捜索活動はどのように行われたのか?
【行動】平成27年2月11日(第4日目)※遭難から二日目
5:00 捜索隊の長野県警山岳救助隊2名、学習院大OBの2名が、車で八ヶ岳山荘を出発し、赤岳山荘へ向かう。
5:30 赤岳山荘に到着後車を停め、徒歩で入山する。
7:30 行者小屋に捜索隊が到着。ここで、県警機動隊5名、救助隊員1名、OBのHと合流し、捜索方針を決める。
捜索隊を二班に分け、より詳しく捜索することを確認。
第一班は、機動隊員5名とOBのTで構成し、阿弥陀岳山頂から南稜を下降しながら捜索する。
第二班は、山岳救助隊員2名とOBのMで構成し、山頂付近を捜索する。
残る、OBのHと山岳救助隊員1名は美濃戸口へ下山することになるが、その理由は不明。
8:00 救助隊は、中岳沢より阿弥陀岳へ出発する。
長野県警のヘリコプターは、阿弥陀岳山頂周辺を上空より捜索したが、ガスが出てきて視界が利かなくなったため一旦帰還する。
※写真は、報告書より引用。第2ルンゼ下の赤い丸が、二人が発見された場所。
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/e3182649726ee491e4f7b582df568251/5159245
10:07 捜索隊地上部隊が、阿弥陀岳山頂に到着。
山頂班は、学生2名の手がかりを求め山頂周辺で捜索を始める。
南稜班は、下降しながら捜索を開始する。
12:00 ヘリコプターによる捜索を再開する。
13:00 地上部隊の南稜班は、青ナギまで下降し待機する。
13:30 広河原沢右俣上部に、へりから隊員3名が降下し血痕を確認する。
ビーコンの反応があったが、その後消える。
14:00 落ちていた登山計画書を見つける。
14:22 降下地点より100mほど下るとビーコンの反応がある。
14:24 雪面の下80cmに、二名の反応があり掘り出しを始める。
14:26 一名を発見。
14:29 二人目を発見。
14:35 体の三分の一を掘り出す。体の上には、1〜1.5mの雪が積もっていた。
14:40 体の三分の二を掘り出す。
二人は、ロープで絡み合った状態で、ともに心肺停止状態であった。
雲行きが怪しいため、収容を急ぐ。
15:07 二名を掘り出す。
15:40 収容を開始する。
15:50 ヘリへの収容が完了し、ヘリポートへ向かう。
18:00 南稜班は、ヘリコプターによる二人の収容を見届け、舟山十字路に下山した。
二人の学生は、冷たい雪の中から見つかった。残念な結果となってしまった。
捜索活動は、二次遭難もなく任務遂行し終了となった。
しかし、失った二人の若い命の代償は大きい。
この後、本格的な原因究明が行われることになる。
遭難の原因はどこにあったのか。
亡くなった二人の学生は、どのように行動したのか。それは少しずつ明らかなる。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1123108
検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故 まとめ 2015年12月06日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1124162
この遭難事故の問題点は何だったのか。どうして二人は亡くなったのか。今明らかになる。
5人パーティーの主将で4年の男子学生をCL、2年の男子学生のサブリーダーをSL、もう一人の2年の男子学生をA、1年の男子学生をB、1年で唯一の女子学生をC。
この遭難事故を受けて、学習院大学山桜会(学習院の大学、高等科、短大の山岳部の卒業生の会)は、阿弥陀岳遭難事故対策本部を立ち上げる。
そしてOBを中心としたチームを結成し、計三回の現場検証などを行っている。
一回目が2月20日、二回目が3月27日、三回目は9月5日だが、ザック等の捜索が中心である。
この現場検証では、立場川本谷に下降を始めた地点については、特定できなかったようだが、考えられるルートは二通り。
考えられるルート
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/cfdbbface95ad454685e5a9d8cfa8d9a/5160908
一つは、山頂から下山後すぐに正規のルートから外れ、立場川本谷方面へそれたとするもの。
もう一つは、正規のルートは10〜20m下ってから、立場川本谷方面へそれたとするもの。
前者のルートが有力だというが、断定はできなかったようだ。
滑落発生状況は、阿弥陀岳南稜でCが靴が脱げかけたことで、CLが隊を分けた。
このとき、山頂付近は気温氷点下20℃、風速9〜14mの風が吹いていて、天気は晴れ時々曇りだった。
雪質はよく、アイゼンは蹴り込めばよく効く状態だった。
隊が分かれた後、Aが振り返ったとき、靴が脱げかけていたCが靴を履き直していたことから、CLは何かを支えにして、Cを確保し、Cに靴を履かせたと推測できる。
その後、二人は登り続け頂上に立ったのだろう。それは、Cのザックに、ヘッドランプが入った状態だったことから、二人は明るいうちに頂上に到着したと推測できる。
CLのザックは9月に発見されたが、ヘッドランプがあったかどうかは不明。雨蓋のファスナーと本体の口が開いていた状態だったという。
二人の落下地点は広河原沢本谷第2ルンゼであることから、登頂後、方向を誤り摩利支天方向へ進み滑落したと推定したようだ。
【事故原因】
この報告書では、現役部員が主体となり、事故原因を分析。直接の原因以外にも様々な問題があったことを明らかにしている。
以下、その問題点を記載する。
なお、本書には対策も併記されているが省略する。
《登山計画立案段階》
◇山行計画が妥当かどうかを十分に考慮しなかった
@過去に同じ内容の山行計画を実施したという理由だけで、計画を遂行できると考えた。
A緊急事態が起こることまで想定して山行計画が妥当かどうかを十分に考慮しなかった。
◇計画書に記載された装備表の軽視
@計画書に載っているアタック装備を全て持っていかなかった。
行動をより早くするために、装備表の中から必要なものとそうでないものを自分たちで選び、予備の手袋や個人マットなどを持っていかなかった。
《山行中》
◇北稜を引き返さなかった
@天気の変化に対して、停滞、撤退、同ルート下降等の適切な行動をとらなかった。
A撤退の判断が遅かった。
先行したA、Bが岩稜に取り付いた時にはまだ視界が良好だった。その後2ピッチ目にとりかかった時点では視界は悪くなり始めていたが、引き返す判断をしなかった。
◇視界が悪い中、地形図とコンパスを使わずに下降した
@視界が悪い中で、地形図とコンパスで現在地や方角を確認しなかった。
◇中岳沢の概念が頭に入っていなかった
@中岳沢に関する知識が不足していた。
Aどの程度、事前学習をすればよいか把握していなかった。
B事前学習を疎かにしていた。
冬に中岳沢を通って下山する際には、雪崩の危険を考慮してまず中岳のコルまで降りる必要があるが、頂上付近から中岳沢に向かおうとしていた。
また、夏道では雪崩の危険性が非常に高く通るべきでない。この辺の知識がなかった。
◇地形図ではなく概念図で現在地を確認した
@(立場川本谷に迷い込んだ際、)地形図ではなく概念図で現在地を確認した。
◇遭難しているという意識が欠如していた
@ビバーク時、装備、食料の状況、翌日の天気について、最新の情報を確認せず、翌日の行動について検討しなかった。
A緊急事態であるにも関わらず、遭難の意識がなく、計画書にないルートを選択しながら、監督と登山本部へ連絡をしなかった。
山行する3名が帰幕した際も、すぐに登山本部への連絡をせず、1時間半以上経過してから連絡した。
◇ビバーク時に適切な行動がとれなった
@ピンチ食を食べる際は、リーダーに許可を取るべきであるというルールを知らなかった。
Aビバーク時、水を作らなかった。
B残量が十分でないガスカートリッジを持っていった。
ビバーク中、隊員は個人の判断でピンチ食を食べていた。また、軽量化のためガスが満タンのカートリッジを持っていかなかった。
◇南稜を登った
@凍傷への認識が甘く、凍傷になった状態でそのまま行動を続けた。
A装備、食料、水が不足している中で行動した。
B極度に疲労している状態で南稜を登った。
Cルートの難易度だけで南稜を登ることを判断した。
D計画書に記載されていないルートを登った。
立場川本谷に迷い込んだ際、CLとCは足を濡らしていたことから、凍傷になる危険性を考慮して直ちに下山することや救助を要請すべきであった。
CLとCのハーネスが凍り装着できない中で南稜を登った。
天気や雪の状態、または登山する者の状態によって、ルートの危険性や難易度は変わることを考慮すべき。
◇危険地帯を適切な確保がない状態で登った
@(P3ルンゼは滑落すれば止まらない斜面であるので、スタカットで登るべきであったが、コンテニュアスで登った)
◇隊を分けた
@隊を分けることを危険地帯に入ってから判断した
山行中に隊を分けることは、状況にもよるが基本的には良い事とは言えない。CLが隊を分けた考えは不明であるが、危険地帯に入る前に、確保の方法や通過の仕方について検討すべきであった。
◇行動記録をとっていない
@メンバーが記録を付けていなかった。
山行中、計画と実績の差異を確認することは、活動の変更等を考慮する重要な情報となる。
この報告書には、今回の遭難事故に要した経費についても掲載されている。
経費は約140万円だったという。
内訳は以下のとおり。
■事故処理費 1,228,882円
◇捜索費用 491,140円
(内訳)救助隊員謝礼 203,100
宿泊費 143,800
消耗品装備代 63,000
山岳保険料 47,100
交通費 34,080
◇入院治療費(3名分)465,438円
◇教職員交通費等 169,573円
◇遺族交通宿泊費 97,160円
◇雑費 5,571円
■事故後の経費 171,136円
◇検証登山費 85,500円
◇交通費 36,760円
◇教職員交通費等 48,876円
今回の学習院大学の阿弥陀岳遭難事故は、前途ある若い二人の学生が亡くなるという非常に痛ましいものでした。それだけに社会に与えた影響も大きく、いろいろな意見がネット上でもありました。
学習院大学、同山岳部及び山桜会は、この事故と向き合い、三度にわたる現場検証を重ね事故の報告書をまとめられました。
この報告書は、事実の確認、検証、問題点とその対策を細かくまとめている。
同大学に限らず、山に登る者はこれを教訓とし、今後の安全登山に役立てるべきである。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1124162
- 無謀すぎる... 登山家 栗城史多、エベレスト落下事故 中川隆 2021/10/25 06:07:41
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