映画"モーターサイクル・ダイアリーズ"に寄せて――遍在するチェ・ゲバラ 越川芳明 http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/koshikawa/kwork/motorcycle.html バナナ共和国(バナナ・リパブリック)とチェ・ゲバラ ユナイテッド・フルーツCo.は 自分たちの土地を 新たに「バナナ共和国」と名づけた 眠っている死者たちの、その上で―― (ネルーダ「ユナイテッド・フルーツCo.」) チェ・ゲバラといえば、一つ星の輝く黒いベレー帽に長髪なびかせた髭づらの顔、眉間に皺を寄せて遠くをにらむ眼光鋭い眼差しといった、よくTシャツの図柄になっているかれの肖像写真が思い浮かぶ。というより、そうした商品化されたゲバラ・イメージしか頭に浮かばず、ゲバラについて書かれたものはもちろん、ゲバラ自身が書いた著作すら読んだことのない僕のような者にとって、太田昌国の『ゲバラを脱神話化する』や、ゲバラ自身が二十代の初めに南米各地を貧乏旅行して書き残した旅日記『モーターサイクル南米旅行日記』、さらにはそれを原作にしたウォルター・サレス監督の映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、ゲバラを「伝説の英雄」としてではなく、太田氏の著作の帯文を借りていえば、「傷つき、悩み、苦しみ、絶望する等身大の人間」として理解するための最良のテキストだ。 Tシャツの図柄にもなったゲバラの肖像を撮ったコルダの写真集をはじめ、ゲバラ関連書を系統的に出している現代企画室の太田氏には、個人的に取材を申し込み、話を聞く機会を得たので、その一部を小論の最後に紹介することにする。三十数年にもわたって、ゲバラを追いかけてきた氏の言葉には、こちらが圧倒されるほどの説得力がある。 一方、ゲバラの『モーターサイクル南米旅行日記』は、ロードノヴェル顔負けの楽しい読み物だ。こっそり船にもぐりこんで密航したり、地方新聞に自分たち医者としてのウソの業績を載せさせたり、とあたかもピカレスクロマンのような物語性に富む。独善的な記述がまったくなく、むしろ旅先で出会う人々の善意にたかりまくる寄生虫のようなおのれのやり口に対しても皮肉やユーモアを飛ばすことを忘れない、醒めた口調が特徴だ。 ヨーロッパ系の血をひくアルゼンチン人のゲバラにとって、インディヘナの歴史と現実を目のあたりにするアンデス山脈に入ってからの記述は、ひときわ冴えわたる。たとえば、チリの鉱山での労働搾取の現状、あるいはペルーの思想家マリアテギによって提唱された先住民復権のための運動<インディヘニモ>を唱える教師から得た知見など、単に冒険譚の域を超えた深みが見られる。 「インカの大地」と題された章で展開される民族学的省察では、スペイン人によって破壊されたケチュアの人々の遺跡についての考察に、その当時政治的、経済的に南米に君臨した北米ヤンキーに対するラテンアメリカ人の矜持が重ねあわされる。 「確かなこと、重要なことは、僕らはここで、アメリカ大陸で最も強大であったインディヘナ文明の純粋な表出を、目前にできるのだということである。(中略)またこの景色は、ここの遺跡の間を意味もなく徘徊する夢追い人や、あるいは旅慣れた北米人を恍惚とさせるのに必要な環境を提供している。彼らは旅で目にする今は落ちぶれてしまった民族の象徴を、かつては生彩を放っていた城壁の中にはめ込んでみたりするが、しかしこの部族の精神面での変化のことは分かっていない。なぜなら、そんな違いは本当に微妙で、南米人の持っているような半分インディヘナの精神でもってしか感じることができないからだ」 「半分インディヘナの精神」こそ、ゲバラがこの旅で発見し、その後深化させていったものだった。南米において特権階級であるヨーロッパ系の人間が、精一杯努力して入り込めるぎりぎりの精神世界、それこそ「混血(ルビ:メスティーソ)の世界」だった。 リマの大聖堂の描写に、ゲバラの発見がうかがわれる。ゲバラはいう。「真の芸術的範疇に入るのは全て木造の聖歌隊席で、インディヘナかメスティーソの職人が彫刻したものであり、カトリックの聖人伝が描き出されている杉材の中に、カトリック教会の精神とアンデスの住民の謎めいた魂が混ざり合っている」と。 その「混血の世界」こそ、アメリカ合衆国の資本による搾取の象徴としての「バナナ共和国」に対抗するゲバラの思想の原点だった。「バナナ共和国」とは、中南米におけるアメリカ資本の多国籍企業、ユナイテッド・フルーツCo.の別名であり、十九世紀末から各国の独裁者と手を組み、鉄道だけでなく、郵便・通信事業、港湾、税関などの権益を一手に握っていたのである。ゲバラはのちに五四年に、アイゼンハワー政権が「バナナ共和国」の権益保護のために、CIAの軍事介入によってグアテマラの民主政権の転覆をはかるのを目撃するが、すでにこの青春の旅の最中に、ペルーのハンセン病診療所でのパーティの席上で、国境を越えたラテンアメリカ諸国の連帯を訴える、次のようなアジテーションをおこなっていたのである。 「見せかけの国境によってラテンアメリカ諸国が分けられているのはまったく理不尽なことだと、旅を始める前より今はずっと強く認識しています。私たちは、メキシコからマゼラン海峡にかけて顕著な民族学的類似性をしめす、ひとつの混血民族を形成しているのです。だから、心貧しい地方主義の重荷など打ち棄てて、ペルーと、統一されたラテンアメリカのために乾杯しましょう」と。 「半分インディヘナの精神」と言語 わたしは正直なところ、ウォルター・サレス監督の『モーターサイクル・ダイアリーズ』をあまり高く買わない。将来、強大な「バナナ共和国」に歯向かいその結果殺される英雄的人物の揺籃期という位置づけで、ゲバラの青春を美化し、ゲバラを間接的ながら神格化しているからだ。それでもメキシコやラテンアメリカのヒーローを扱ったハリウッド映画としては、見るに耐えられる映画であると思う。 その理由のひとつは、この映画ではスペイン語が使われているからだ。画家としても、その生き方としても、近年評価がうなぎのぼりであるメキシコの女性画家を扱った映画『フリーダ』(2002年)が、中途半端に英語でお茶を濁していたことに比べれば、数段評価できる。 言語は、人間の作りだす文化の要である。言語はたんに意味を伝達するだけの道具ではない。人々の使う言葉の響きがそれぞれの土地のローカルな雰囲気をかもし出し、そのリズムや韻がその言葉を使う人々の思考を左右し、また聴く人に怒りや悦びの感情を呼び起こす。 たとえば、映画の最初のほうで、旅の年上の相棒アルベルト・グラナードがゲバラに向かって、「フーセル(乱暴な奴)」と仇名で呼びかける。もしこれが「ヘイ、ユー」とか「マイ・バディ」とか「マイ・ブロ(なあ、ダチよ)」とか、英語だったら、どうだろう。きっとやけに気やすい南米のヤンキー野郎二人組みになったにちがいない。 あるいは、牛を連れたトラックに便乗させてもらうシーンも見逃せない。そこでは相棒のグラナードもゲバラも理解できないケチュア語が先住民によって話されている。あとで触れるように、アルゼンチンのふたりの若い旅人たちとその土地のインディヘナとの間の越えられないギャップが示唆されていることが重要だ。 とはいえ、スペイン語を話すカトリック文化圏での<メイキング・オブ・ア・ヒーロー>物語を、ヨーロッパの征服者が新大陸にもたらした階級・民族闘争の歴史の省察からではなく、単にハンセン病者に対する差別への抵抗という観点から描いた点がやっぱり北米の大衆向けの映画なのだ、と思えてしまう。 言い換えれば、二時間に及ぶ映画の後半部分は、もっぱらこの「抵抗」の素晴らしさを描くことに費やされ、勇気のある「正義」の人ゲバラというイメージを強化する。南米の政治的、社会的な背景への考察を欠いた勧善懲悪の物語は、『ライオン・キング』をはじめとするディズニー・アニメの手法とあまり変わらない。 周縁に生きるチェ・ゲバラ ゲバラ自身が南米人の魂と定義した「半分インディヘナの精神」は、北米ヤンキーへの抵抗思想として強力な武器になりうる。が、南米においてそうした「混血の思想」が意図せずに抑圧してしまうもの、それは弱者としての先住民たちであり、かれらの<インディヘニスモ>である。 『モーターサイクル南米日記』にあるように、ゲバラはアンデスの先住民の喋るケチュア語がわからなかったので、治安警察にガイド役を命じられて、馬にゲバラたちを乗せて黙々と歩くインディヘナたちと真のコミュニケーションは果たせなかった。 また、今年出たばかりの写真集『セルフ・ポートレート』に付された、ある友人の死を悼むゲバラの文章にも、そうした先住民との間の越えられないギャップが示唆されている。 ゲバラの文章によれば、「エル・パトホ」という仇名で呼ばれていたグアテマラの若いジャーナリストがいた。その仇名は、「ちび」とか「小僧」を意味するグアテマラのスラングだったが、本名はフリオ・ロベルト・カセレス・バジェといった。フリオは五四年のグアテマラの軍事クーデターを逃れ、ゲバラと一緒にチアパスからメキシコシティに向かう。ふたりともほとんど無一文だったために、メキシコシティ中を駆けずりまわって、チェの買い求めたカメラで裕福そうな人たちの肖像写真を撮っては押し売りして稼いだ仲だった。カストロが八十余名の革命軍兵士を引き連れてメキシコからキューバに向かうときに、多国籍軍にしたくなかったカストロによって参戦を拒まれるが、革命後に、チビのグアテマラ青年はキューバにやってくる。友情厚い仲だったにもかかわらず、ゲバラには超えきれない壁をエル・パトホが築いているように思えた。ゲバラはこう述懐する。 「かれがキューバにやってきて、われわれは昔馴染みの友達のつねとして、ほとんどいつも同じところで一緒に暮らした。しかしながら、ここでの新しい生活では、もはや昔のような親密さを維持できなかった。わたしはエル・パトホの意図を疑ったりした。ときどき、かれが祖国のインディヘナの言語の一つを熱心に勉強しているのを目撃したからだ。ある日、かれがわたしに旅立つことを告げた。いよいよ自分の義務を果たすときがきた、と」 おそらくインディヘナの言葉を学び、先住民の魂に近づこうとしたエル・パトホにとって、スペイン語オンリーのゲバラは、むしろ高みに立つエリートに映ったのかもしれない。一方、ゲバラには、インディヘナの言葉を学ぶ友人の態度が失われた過去へのノルタルジックな回帰に見えたのかもしれない。それでもゲバラは、軍事訓練も受けず祖国解放の使命に燃える友人に対し、三つのアドバイスを授ける。「一に用意周到、二に細心の注意、三につねに警戒を」と。具体的には、つねに動きまわり、同じところに二日つづけては泊まらない、屋根の下では眠らない、夜警は怠らない、といったゲリラ戦法の基本を教え込む。かくして、ゲバラの「半分インディヘナの精神」は、<インディヘニスモ>との埋めがたい溝を抱えていたものの、皮肉にも「バナナ共和国」といった強大な敵が存在したからこそ、<インディヘニスモ>との連帯をもたらしたのだ。 いま、ゲバラの説いた「混血の思想」は、ラテンアメリカにとどまらずに、一躍北上して北アメリカにおいても熱狂的な信者を獲得している。たとえば、僕がフィールドワークにしている米国とメキシコの国境地帯では、エミリアーノ・サパタやフランシスコ・ビジャ、フランシスコ・マデーロなどといったメキシコ革命の英雄たちに混じって、チェ・ゲバラは生きた「革命の英雄」として機能している。 テキサス州南西部エルパソとメキシコのチワワ州フアレスとの間を流れ、国境線をなすリオグランデのコンクリートの土手には、チェ・ゲバラのグラフィティが描かれている。もちろん、政治的なメッセージつきだ。「下ではキューバへのブロック。上ではヤンキーのテロリスモ」とか、「メキシコ革命、万歳」とか、「緊急、愛と平和を」といったスローガンがスペイン語で書かれている。これは明らかに、ゲバラの反米思想をそのままコピーしたものであり、それほど面白くはない。面白くはないが、アメリカ合衆国がこれまでラテンアメリカでおこなってきた数々の国家的テロリズムの記憶がラテンアメリカの人々に根強く残っていることを、このグラフィティは暗示している。 また、イースト・ロサンジェルスのバリオ(メキシコ系の地区)のストリート・グラフィティには、「われわれは、マイノリティではない」というスローガンとともに、黒いベレー帽のゲバラの肖像がデカデカと描かれている。また、一つ星の代わりに"大儀"の徽章を縫いつけたブラウンのベレー帽をかぶったメキシコ系の女性学生運動家の肖像がズートスートのパチューコ(メキシコ系の不良青年)とともに描かれていたりする。これらのグラフィティは、ゲバラが国境をとび越えて時の独裁者と戦った姿勢を、合衆国内のレイシズム(人種差別)に対するメキシコ人たちの抵抗に重ねあわせたものである。とりわけ、女性運動家が、「半分インディヘナの精神」を唱えたゲバラの表象を借用しているのに興味がひかれる。というのも、メキシコ系のフェミニストは、チカーノ(メキシコ系)共同体に見られる家父長的なマティスモにも抵抗しているのであり、それが同じ共同体内のヒーローたち(先住民の血をひくサパタやビジャ)ではなく、むしろ遠いラテンアメリカのヒーローであるゲバラの引用に繋がったのではないか、と推測されるのだ。 個人的に少々驚いたのは、今年の夏、ニューメキシコ州アルバカーキの労働問題を取り扱う非営利団体の事務所を訪ね、そこで中年男性に話を聞いているうちに、かれが左腕の袖をまくりあげて、ゲバラの刺青を見せてくれたことだ。米国南西部の農場で働くメキシコ系農民をサポートするかれにとって、ゲバラの刺青は、米国メインストリームのアングロ白人によるレイシズムに対する直接的な抗議の形なのだと感じた。 しかし、環境・労働問題を扱う別の非営利団体を訪ねたとき、そこの若い女性二人に「あなたたちにとって、ヒーローはいるのですか?」と訊いてみたが、彼女たちにとって単純に自己同一化できるような偶像はいない、という返事が返ってきた。もっとも、そのうちの一人は机にチアパス州の女性サパティスタの写真を貼っていたのだが・・・。 米国の国境地帯には、メキシコの幻の紙桃源郷「アストラン」を信じる排他的なメキシコ至上主義者たちが立ちはだかっている。エスニック・ナショナリストのかれらにとって、コロンブスの到来以前のアステカ帝国に回帰することが理想であるので、チェ・ゲバラなどは問題でない。そのように米国のラティーノ社会は一枚岩ではないが、ボーダーウォッチングをして、さまざまなところでゲバラの表象に出くわすにつれ、ゲバラの唱えた「半分インディヘナの精神」は、グロリア・アンサルドゥアらの唱える、もっと広義の第三世界の有色フェミニズムによる「混血の精神(メスチスサヘ)」にゆるやかに連結されて、生き延びるような気がした。 太田昌国さんの話 太田昌国さんは、メキシコ南部チアパス州で一九九四年に武装蜂起したサパティスタ民族解放軍のことを書きつづけている数少ないジャーナリストの一人だ。サパティスタこそ、白人の指導者マルコス副官とインディヘナの協働により、ゲバラの「半分インディヘナの精神」を実践しているゲリラ隊だといえるかもしれない。日本におけるチェ・ゲバラの思想の可能性について、太田氏に聞いてみた。 消費主義を逆手に ―― 『モーターサイクル・ダイアリー』の刊行のきっかけは、なんでしょう。 太田 僕は九二年の暮れに初めてキューバに行き、ゲバラの著作集のことも聞いてみたんです。新しい著作集を編纂しているという話はあったが、キューバの経済事情を考えると、そう簡単に出版されるとも思われない。ただ九七年を間近にして、死後三十年だし、せっかく出版にかかわっていることでもあるから、何かやりたいなと思っていたんです。そんなとき『モーターサイクル・ダイアリー』のスペイン語版が、九三年にキューバで出ていましてね。 読んでみたら、青春紀行文学として非常におもしろい。結構でたらめな、無鉄砲なところもあるし、それでいてすごく事態を観察していて。二十二とか三のときに書いたものとしては、のちに開花させる彼の素質の原型がそこにあると思いました。革命後の論文や著作は、そう簡単にキューバでまとめられるとは思えない状況だったので、じゃ、こんなところから新しい形を描き出してみようかな、と。死後三十年目の命日に合わせてこの本を出したんです。 ソ連が崩壊して六年たっていますし、東西冷戦も終わったし、社会主義というのがかつての僕らの若い時代のように、それ自体としてのあこがれであったりすることがなくなり、若い人たちは冷めていたり、関心がなくなった時代だったんです。 僕は、一方的な資本主義の勝利の歌に声を合わせる気がしないのです。ゲバラのような生き方をした人間が、ああいう時代の中でどういうふうに蘇ることができるかなということを、まだ革命とも何の関係もなかった若い頃の著作の中で、彼のその後の生き方に対する関心が呼び起こされればいいなという感じでした。そのときには若い人向けに出したんですけれど、これがわりあい六本木、原宿、渋谷の書店で売れ始めたので、それなりに話題になったということです。 ―― その反響に対しては、どういうお気持ちだったんですか。六本木、原宿という場所も場所ですけど。 太田 僕は入り口は何でもいいと思っていて、自分が知らなかった時代とか、人物とか、どういうきっかけでもいいからそれに対する好奇心がかき立てられるのであれば、どこまで行けるかは一人一人の問題で、外からあれこれ言うべきことでもないし。とにかく入り口が作られれば今とは違う、今与えられている可能性とは違うもっと別な選択肢があるんだということで、世界や人の見方が変わっていく可能性があるわけだから。ほんとうにどんな機会でも、Tシャツでも、CDでも、歌でも、映画でも、本でも何でもいい、と。 今出ている、阪急コミュニケーションズの『Pen』というファッション雑誌がある。それが『モーターサイクル・ダイアリーズ』の映画を材料に使っているんです。それらしい現地の人にポーズをつくらせて、あの映画の旅を辿るような、そんな感じの特集があって、もうびっくりという感じではあるけれども、おそらくゲバラという人間なり、革命の理念というのは、高度消費社会の中では、そこまで利用され尽くすことによって、もしかしたら先が見えてくるかもしれないといったところに、もう居直るしかないと思って。 ―― なるほど。 太田 ああいうことを一々とんでもないといって批判するのは、僕は無力だと思います。もちろん、それもいいだろうといっても、その先に何があるか見えないというのも、当たり前な話なんだけども。 ただ、ここまで、ある種魅力のある人物であったり、生き方であったりするわけだから、そこまでやりたい。 ―― ええ。太田さんがおっしゃるように、阪急某は派手にやってください。でも、現代企画室も地道ながらやりますっていう、そういう姿勢ですね。そういう形で、世間にゲバラが流布していくと、チェって誰だっけ、そんなのどうだっていいじゃないって、言われることもなくなる。一見資本主義に取り込まれているようだけど、人の心に入り込んで、逆に取り込んじゃうような・・・。 太田 そうですね。 小さな革命を ―― ゲバラの革命の理想というのが、皮肉にも抑圧装置になってしまったといった指摘もなされているようですが、その辺はいかがでしょうか。 太田 <新しい人間>ということを言っていた六五年ごろのゲバラは、やはり、キューバのように社会主義革命を経て、完全に、五九年までの古い社会のあり方とは価値観が変わっていくということ、そこに資本主義的なものではない価値観が生まれるということを、わりと楽観的というわけではないけれども、前提にしていました。まあ、ゲバラが娘に向かって使った、わかりやすい比喩で言えば、自分たちが育ったのは、人間が人間の敵であるような社会であった、と。これから形成されるであろう社会主義の社会というのはそうでなくて、非常に美しく新しい社会であるととらえた上で、人にも自分にも大変な自己犠牲を求める、そういうかなり厳格な人間像ですよね。 それは、あの時代ではそれなりに僕らに訴えかける問題提起であったんですが、それによって文学、芸術のあり方も変わっていく。それは社会全体をとらえた視点でもあり、必ずしも政治レベルだけで人間が変わっていくということだけを狭く言っているわけではない。そういう広がりを持った言葉ではあったんですが、ただ、現実の社会主義はこれだけめためたになってしまいました。キューバ自身も経済制度としては、ある程度、世界市場に開いて、ドルも部分的に解禁するというような形で生き延びているわけですから。当然、ゲバラが提言した新しい人間像というのは、あのまま理論的に生き延びていくわけではないというのは、当然だと思います。 ただ、僕としては、社会がどういう政治経済制度を選択して、その制度のあり方によって人間の意識が変わっていくということをきちんと問題にすべきだと思います。日本やアメリカなんかでは、グローバリゼーションの力によって、今の所与の社会制度がもう絶対不変であるというように人々に信じ込ませようとしています。でも、実際はそうではないんです、社会の制度というのは可変的なのです。僕としては、人間の持つ価値観も変わっていくんだということを前提とするような未来イメージを作り出すことをあきらめたくない。新しい人間というのがいま現在、そして近い将来において、どういう形を持ち得るのかというのは、まだよくわからないところがありますが、かつてのような、いきなり大きな革命を夢見るというような形ではだめだということがわかってしまった。 しかし、人間の社会は、変わり得るというか、個人は変わり得るということです。そのことが日常的ないろいろな小さな選択に端を発して、さまざまなところで問われていて、日常に根差したところで、人は考え始めていると思います。そういうところで、個人がどうなって行くかということじゃないですかね。 ―― その話をお聞きして、いま大きな革命でなく小さな革命というタイトルが浮かんだんですけど(笑)。実は、ディエゴ・レルマンという、ゲバラの故郷アルゼンチン出身の映画監督がいますが、『ある日、突然。』という作品を作っています。その映画、ブエノスアイレスが舞台ですが、出てくるのはほとんど女の人たちだけで、武器をもって戦うといった意味では革命的なところは一切ない。タブーというか、体制も変わらない。 けれども、個人の中ですごく偏見を持っている田舎から出てきた超保守的な女の子が旅を通じて、内面が徐々に変化していく。その旅をしているうちに、「他者」であるレスビアンたちと軋轢をもちながら接しているうちに、彼女自身が内部から変わっていく。概念ではなくて、イデオロギーじゃなくて。意識革命ですね。そういう一個人に巣食うタブーの転覆を観客に自然に受けとめられるように、丁寧に追っかけたという意味で、とても素晴らしい「革命的な」映画だと思ったんです。 太田 キューバもそうだと思うけれども、ソ連や中国でも、大きな権力をひっくり返して、新しい人たちの国家という大きな権力をとったところで何も変わらない。もっと陰惨な事態を生み出しながら、ソ連邦のように崩壊していったところもある。ああいう結末を見てしまうと、社会主義とか何とかという理想のもとで大きな権力の獲得を目的とするような革命というのは、結局だめなんだという、僕のように党派に関係のなかったマルキシズム的な心情で、遠からずの場所でやってきた人間にとっては、まさにそう感じます。結局、非権力の方向をめざしているサパティスタの問題意識に、僕が共感するのは、そういうところからくる。ドゥールーズ=ガタリやフーコーがよく言うけれども、もっと人間生活の中で、日常的ないろいろな局面に権力問題というのは出てきていて、そこをきちっと解決できないとだめなんだ。大文字の革命などを考えてもだめなんだという。そのことが、ほんとうにわかったというのが、この現代なんじゃないですかね。(2004年8月収録) あまり革命的でないポストスクリプト(まとめ) 太田さんは、昔堅気の一本筋の通った現代企画社のスタッフとして、ラテンアメリカ文学叢書や、周縁から<世界を見るシリーズ>なども地道に刊行している。 今回、話を聞くうちに、何度か、ゲバラ関係の本をゲバラの命日に出版するとか、ゲバラの誕生日に出版するといった言葉が太田さんの口から洩れたが、それはまるでゲバラが血のつながった自分の家族であったかのような発言として、僕には聞こえてきた。 そう、太田さんこそ、ネルーダのように大地にうごめく死者たちにごく自然と視線が向かう「インディヘナの精神」をもった出版人として、また著述家として、僕には映ったのだった。 米国の周縁に、TOKYOの片隅に・・・ゲバラはいまも、潜伏中のようだ。 参考文献 <書籍> 太田昌国『ゲバラを脱神話化する』現代企画室、二〇〇〇年。 エルネスト・チェ・ゲバラ(仲晃、丹羽光男訳)『ゲバラ日記』一九六八年。みすず書房、一九九八年。 ―――(真木義徳訳)『ゲバラ日記』一九六八年。中公文庫、二〇〇一年。 ―――(棚橋加奈江訳)『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』現代企画室、一九九七年。 コルダ(写真)、ハイメ・サルスキー、太田昌国(文)『コルダ写真集――エルネスト・チェ・ゲバラとその時代』現代企画室、一九九八年。 パブロ・ネルーダ(本川誠二訳)『ネルーダ回想録――わが生涯の告白』三笠書房、一九七七年。 ―――(大島博光訳)『ネルーダ詩集』角川書店、一九七五年。 Anzaldua, Gloria. The Borderlands/ La Frontera. San Francisco: Aunt Lute Books, 1987. Casaus, Victor, ed. Self Portrait: Che Guevara. New York: Ocean Press, 2004. Castaneda, Jorge G. Companero: The Life and Death of Che Guevara. New York: Vintage Books, 1997. <映像> サレス、ウォルター『モーターサイクル・ダイアリー』米国、二〇〇三年 マルセロ・シャプセス『チェ・ゲバラ 人々のために』アルゼンチン、DVD発売アップリンク、一九九九年。 モーリス・デュゴウソン『チェ・ゲバラ 伝説になった英雄』フランス、DVD発売エプコット、一九九七年。 ローレンス・エルマン『チェ・ゲバラ モーターサイクル旅行記』イギリス、DVD発売エプコット、二〇〇二年。 <ウェブページ> 配給映画会社公式ページ(日本語版)http://www.herald.co.jp/ バナナ共和国について(英語版)http://www.mayaparadise.com/ufc1e.htm/ 米国CIAによるグアテマラ介入について(英語版)http://www.writing.upenn.edu/~afilreis/50s/guatemala.html/ (『すばる』2004年10月号)
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