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ディターレ 『ジェニーの肖像 Portrait of Jennie』 1948年 アメリカ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/672.html
投稿者 中川隆 日時 2016 年 11 月 22 日 22:52:50: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: クローネンバーグ 『デッドゾーン The Dead Zone』 1983年 アメリカ 投稿者 中川隆 日時 2016 年 11 月 21 日 15:10:14)


ディターレ 『ジェニーの肖像 Portrait of Jennie』 1948年 アメリカ

『ジェニーの肖像』 動画
https://www.youtube.com/watch?v=gZfWTj7hMQ0
https://www.youtube.com/watch?v=PJdoa2aRde0


監督 ウィリアム・ディターレ

原作 ロバート・ネイサン

製作 デヴィッド・O・セルズニック

音楽 ディミトリ・ティオムキン


キャスト

ジェニー・アップルトン - ジェニファー・ジョーンズ: 不思議な少女。

イーベン・アダムス - ジョゼフ・コットン: 貧しい画家。

ミス・スピニー - エセル・バリモア: アダムスの描いた絵を気に入った婦人。

マザー・メアリー・オブ・マーシー - リリアン・ギッシュ

マシューズ - セシル・ケラウェイ: 画商。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F


『ジェニーの肖像』ロケ地
http://inagara.octsky.net/portrait-of-jennie

アカデミー賞特殊効果賞受賞 

幻想的な雰囲気を出すために、色々な特殊技法をしています。

モノクロ映画なのですが、ラスト、映し出される肖像画のみがカラーになります。

また津波シーンをワイドで上映したり実験的な要素もあったりしますね。

ジェニファー・ジョーンズはハリウッドの有名女優。
「慕情」とか「タワーリングインフェルノ」、「武器よさらば」、「白昼の決闘」などなど数多くの作品に出演しています。 ちなみに「聖処女」でアカデミー賞主演女優賞を獲得しています。

ジョセフ・コットン、映画「市民ケーン」で映画デビュー。
そのほか「白昼の決闘」「第三の男」「トラ・トラ・トラ」など数多くの作品にでていますね。

ラストで語る少女(アン・フランシス)は、その後「禁断の惑星」や「暴力教室」などで映画に出ています。

ん?「白昼の決闘」にはリリアン・ギッシュも出ているから、この映画のキャストそろい踏みじゃないですかw偶然ですね〜。

この映画撮影時ジェニファージョンズ29歳。

映画の中では、少女から大人の女性までを、見事に演じています。

少女時代のかわいらしいこと、そして大人の女性になったときの神秘的な魅力もおみごとでした。

タイムトラベルでのラブロマンスの古典の名作ともいえるでしょう。

淡く切ない夢のようなラブストーリー。

余韻を残す不思議な映画です。

再度観ましたが、感激〜でございました。
http://ameblo.jp/hokuto31313131/entry-12162347073.html

時間枠を超えた愛と生々しい女 『ジェニーの肖像』

 肖像画に秘められた神秘と愛。

『ジェニーの肖像』は画家ジョセフ・コットンの回想からはじまる。

画家は公園で一人の少女ジェニー(ジェニファー・ジョーンズ)に出会う。彼女は謎めいた不思議な少女だ。画家の時間を超えた愛はこうして、突如、何の前触れもなく始まる。

 ジェニファー・ジョーンズはいつも生々しい女優だ。

本格的キャリアの出発となった『聖処女』では聖女ベルデナッドを演じていながらとても生々しい。24歳のジェニファーが少女を演じていたためだろうか。
そして彼女の代表作『終着駅』。ネオレアリズモのビットリオ・デ・シーカ監督による演出がドキュメンタリー的に彼女の生々しさをとらえており、その意味でもジェニファー・ジョーンズの代表作にふさわしい。

 そんなジェニファー・ジョーンズがファンタジー・ロマンスのヒロインを演じたのが『ジェニーの肖像』である。

ここでも彼女は持ち前の生々しさを、死者であるにもかかわらず、発揮する。

画家がはじめてジェニーに会ったとき、ジェニーは10代前半の少女だった。それを29歳のジェニファー・ジョーンズが演じるという違和感、いっそう生々しく倒錯的ですらある。そして会うたびに成長していく。

それからというものジェニーはほとんどの場合、自然現象のように突然現れる。時には凍った池のうえをスケートで画家に走りより、陽光の中の木々の間を駆け抜けて現れ、そして暗闇の中を駈けて現れる。

ジェニーはジェニファー・ジョーンズそのものだ。ジェニーの生々しさは肉体を持った幽霊という、ジェニファー・ジョーンズでなくては演じられない存在なのだ。

それとは対照的に、まったく生々しさのないジョセフ・コットンの画家である。

ジェニーと画家の出会いを、死んでいるのに生々しいジェニーと、生きているのに生々しくのない画家の必然的な出会いと捉えるもできるかもしれないが、『ジェニーの肖像』ではすべての謎はまったく解明されないのだ!


何故ジェニーは時間をさまよっているのか?

何故ジェニーと画家が出会うのか?

何故画家はジェニーの成長速度を疑わないのか(疑うことは疑うが、おざなりにしてしまうし、ジェニーに会ったとたんそんなことはどうでもいいかのように無視する。それどころか大人になったジェニーに「これで結婚できる」とプロポーズまでしてしまう)。

謎ばかりなのである。

もっと不思議なことに画家はジェニーに始めて会ったときから、つまりジェニーが少女であったときから彼女を愛しているようなのだ。画家は最初からすべての謎をそのまま受け入れたに違いない。謎という魅力を受け入れることで彼の描く絵に神秘が生まれる。謎を謎のまま残したことがこの映画の魅力でもある。

 画家には良き理解者、画商のミス・スピ二ーがいる。演じるのは存在感が素晴らしいエセル・バリモア(ちなみに僕はこの婆様大女優のファンです)。彼女はすべてを見抜いているようだ。洞察力に優れた、知的で鋭い輝きを放つ眼差しを持ったエセル・バリモアなのである。実際は彼女は謎の答えを知っているわけではないが、画家に何かあることを見抜き、画家に必要なものがジェニーであることも見抜く。それゆえに彼女は第三者として事の成り行きを見守る。

 過去にすでに死んでいる女が肉体をともなって現れ、画家と恋をするという時間枠を超えた物語は、過去の再現によって終焉を迎える。画家はジェニーを求めかつてジェニーが遭難し亡くなった場所へ辿り着き、嵐の晩が再現される。再現されたのか、それとも過去にさかのぼったのかそれもよくわからない。当時のハリウッドの最高の技術を駆使したと思われる、この嵐のシーンの迫力は、今見てもまったく素晴らしい。荒波が打ち寄せる岩場を、生々しく濡れたジェニファー・ジョーンズが駈ける。

 「2人で愛を見つけたもの。意地悪な時間の掟にもかかわらず、ついに。」

 意地悪な時間、それを打ち破った二人。ジェニーがこの後出現することはないが、画家の描いたジェニーの肖像は時間の枠にとらわれない永遠の傑作として後世に残り、画家は生あるかぎり描きつづける。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/silentvoice/02_jennie.htm


 

『ジェニーの肖像』(『Portrait of Jennie』 1948)

時間旅行、タイムトラベルを扱ったファンタジーの最高傑作と言われる映画であります。そんな傑作だけあって、普段はロクでもない映画ばっかり見ている私のような薄汚い男さえ感動させるだけの力を秘めておりました。心が洗われるとはこういう体験のことを言うのでありましょう。

冒頭、大空の雲が浮かびまして「この世の始まりから人は永遠の謎を解き明かそうとしてきた。時間とは何か、空間とは何か、死とは、生とは・・・。いろいろな文明を越えて学者たちはこの疑問を解いてきたが、それでも根本の謎は残っている」という今ひとつ意図が分かりづらいナレーションであります。

 「ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されている肖像画 これはジェニー(ジェニファー・ジョーンズ)という少女をモデルにエバン・アダムス(ジョセフ・コットン)が描いたものである」

 はい、ここまでが枕。いよいよ本編に突入ですぞ。

 1934年冬のニューヨーク、凍てついた公園をとぼとぼ歩くのは売れない画家で、どのくらい売れないかっていうと、ろくすっぽ食べられず下宿の家賃もたまり放題で、大家さんに

「じゃ家賃の代わりに絵はいかがです」

というと

「もう家中あんたの絵で一杯だよ」

と言い返されるぐらい(笑)。


そして空腹に耐え切れなくなった彼は思い切ってマシュー&スピニー画廊へ飛び込み

「すいません、絵を買って頂けませんか」

 経営者の一人、マシューは彼の出してきた風景画を見て

「悪いけど風景画はありふれているのでねえ、ちょっと買えないねえ」

じゃあというので今度は花の絵を出します。するとマシューの共同経営者スピニーが

「あら、これはいいじゃない、こっちなら12ドル50セントで頂くわ」


 久しぶりに絵が売れたというのでほくほくしながら帰っていくアダムス。画廊ではマシューがスピニーに

「君らしくもないことするじゃないか、そんな絵とても売れないよ」

スピニーは微笑みます。

「これは自分用に買ったの、あの売れない画家さんには何か見所があるわ」

 その帰り道セントラルパークでの出来事。アダムスは急に周囲の雰囲気が変わったことを感じます。なんだ、なんだと周囲をみた彼の目に留まったのは雪だるまを作っている可愛らしい少女でした。彼女がベンチに置いていた紙包みがきっかけとなって彼女とアダムスはたわいのない会話を交わすことになります。

「あたし、ジェニー、ジェニー・アップルトン、両親は綱渡りの芸人よ、今、ハマースタイン劇場に出ているわ」

「おじさんの名前はアダムスっていうんだ、でも変だな、その劇場は僕が子供の頃に取り壊されてしまった筈だが」

「あら、そんなことはなくってよ、あたし、昨日行ったもの。それより絵描きさんなんでしょ、あなたの絵を見せて あら、この絵の岬には灯台がある筈よ、ランズエンド灯台だわ」

「その通りだ、良く知ってるね」

「でもこの絵なんだか、怖い。私、風景画はあまり好きじゃないの。私の親友はセシリ、彼女のお父様はドイツ皇帝のカイゼル様にお会いになったそうよ」

「え?ドイツの現皇帝がカイゼル?いつの話なんだ」

 もうこの辺のジェニーの台詞には重要なるヒントがたくさん含まれておりまして、聞き逃すとストーリーが良く分からなくなってしまいます。

 ジェニーはぶつぶつ呟いてくるくる3回回るという奇妙な仕草。

「これ、ご存知かしら、願いごとゲームっていうのよ、願い事言ってくるくる回るとかなうの。私、早く大人になりたいと願ったの、あなたは私が大人になるまで待ってくださる?」

さらにおかしなことを言うジェニー。彼女は

「じゃ、さよなら」

と行って帰ってしまいます。アダムスは彼女が例の紙包みを忘れたことに気がついて声を掛けたのですが、ジェニーはそのまま帰ってしまったのです。

 この出会いに強い印象を受けたアダムス。下宿へ帰って徹夜で彼女の顔を描いたのです。ちなみに彼女の忘れ物である紙包みを開いてみたら出てきたのはクラッシックなデザインのスカーフでした。

 翌日、彼は親友のガス(デヴィッド・ウェイン)から朝飯を奢ってもらうことになります。そしてモースの店でハムエッグをぱくつきながら昨日の奇妙な少女について話すアダムス。ガスは

「まあ、夢見る年頃だからな、だからハマースタイン劇場がまだあるなんて言っちゃうんだよ」

アダムスは持ってきていた彼女の忘れ物である紙包みを見せます。

「これ、彼女がもってたんだ、新聞なんだけどこれの日付が1910年なんだよ」

さらに広告欄に

「愉快なハマースタイン劇場、楽しいハマースタイン劇場 綱渡り芸のアップルトンが出演しますよ」

なんてある。でもガスは信じません。

「そういえば妙に古臭い格好をしていたなあ」

というアダムスに「そんなことあるかい」なんて言い返したりしております。

 この後ガスの口利きによってモースの店にアイルランドの英雄、マイケル・コリンズの壁画を描くことになります。さらに衝動に任せて書き上げたジェニーのスケッチがマシュー・スピニー画廊に売れた!ジェニーとの出会い以来、なんだかついているアダムスです。

 ジェニーとの二度目の出会いはセントラルパークのスケート場でした。彼女をみたアダムスは「しぇーっ」と飛び上がります。前回会った時とは見違えるばかりに成長していたからです。

「だって、言ったでしょ、あたし、早く大人になりたいって願い事をしたって」

とジェニーは涼しい顔。アダムスは君の肖像画を描きたいと彼女に頼み

「やっぱりご両親の許可を得なくちゃね、会えるかな」

と尋ねます。ジェニーはにっこり頷いて

「じゃあ、今度の土曜にしましょう。午後2時にこの前のベンチのところでね」

そういって立ち去るジェニー。

 彼女の後姿を呆けたように見つめているアダムスにたまたまやってきたスピニーが声を掛けます。

「どうしたの、誰か探しているの?」

どうやらジェニー、彼女の目には映らないらしい。

 でも次の土曜日にジェニーは現れませんでした。アダムスは自分で調べようと決意、昔のハマースタイン劇場の関係者を探します。いろいろ訪ねまわって分かったことは、

「1910年、たしかにハマースタイン劇場でアップルトンという綱渡り芸人の夫婦が活躍していた。ジェニーはその娘だった」

アダムスはこれでびっくり、頭がくらくら(笑)。しかもその後

「両親は綱渡りの最中に落下して死亡。ジェニーは叔母の勧めで修道院へ入った」

と言うではありませんか。意外な事実を知らされて思い悩むアダムス。いつの間にか例の公園のベンチへと向かっております。

 と女性の泣き声が聞こえるではありませんか。はっとして駆け寄るアダムス。予想通りベンチに凭れて泣きじゃくっているのはさらに成長を遂げたジェニーでした。ジェニーはアダムスにしがみついて

「お父様とお母様が死んじゃったの、綱渡りの途中で落ちちゃったの。それでね、私叔母様に言われて修道院へ行かなくっちゃならないの」

当惑するアダムスです。

「そのことは知っている。君の話は昔起こったばかりだ」

ジェニーは泣き顔を上げて

「私のこともう少しだけ待っていてね」

この後、いつもと同じようにふっといなくなるジェニーです。

 さあ、それからのアダムス、ジェニーのことが頭から離れません。絵を描くことさえ手につかなくなるしまつ。ムーアの店の壁画をようやく完成させてみんなに絶賛を受けても気持ちは沈むばかりです。「壁画も自分も価値がない」と一人で悩んでおります。ちょっと前までは「腹減った、腹減った」が口癖で、12ドル50セントで絵が売れて大喜びしていたくせに、どうも贅沢になったものですな(笑)。

 しかし、この後下宿へ帰ったアダムス、アトリエのドアが開いているのに気がつきました。中へ入ってみるとはたしてそこには大学一年になったジェニーがいたのです。ジェニーは嬉しそうに

「とうとう一緒にいられる時にがきたわ、さあ、約束どおり私の肖像画を描いて」 

彼女は親友のエミリーにアダムスと結婚するのかと聞かれたとか、灯台の絵を見てランズエンド灯台ね、私、やっぱりこの絵が怖いと言ったりところどころ言動におかしな点があるのですが(笑)アダムスにはぜんぜん気になりません。なんてったって長年の宿願がとうとう実現するのですから。

喜々として彼女の肖像画を描くエバンであります。その間もいろんなことを喋るジェニー。

「今度ね、学校で式があるの、一緒に行きましょう」

 その言葉通り彼女の修道院大学へ赴くエバン。ジェニーは前回のごとく現れないのではないかと疑っていた彼ですが、ほどなく「エバン!」と呼ぶジェニーの声。彼はジェニーに連れられて聖堂の2階へ上がります。眼下で繰り広げられているのは修道女になるための請願の儀式。この美しい儀式が終わった後、二人は夕暮れを見ながら語り合います。

「毎日がこうして過ぎ去っていく、時間というものはなんて不思議なのかしら」

この時エバン、君の方がよっぽど不思議だと思ってたとか、思っていなかったとか(笑)。

 さて、エバンはマシューとスピニーをアトリエに招きまして描きかけの肖像画を披露。

「こら、なんちゅう素晴らしか絵や!時間ば超越したごたる!」(ああ、なんという素晴らしい絵だ。時間を超越しているかのようだ!」)

とお国訛り丸出しで激賞するマシュー。

「早く完成せんね、もうこれを美術館に飾ったら世界中から大勢が見に来るたい!」

(「早く完成させて美術館に展覧しましょう。世界中から大勢の人々がこの絵を見に来て、私ら大もうけですよ、ウヒヒヒヒ」)

 その夜ジェニーが夜の公園に現れます。彼女はエバンに駆け寄って

「私、大学を卒業したのよ」

エバンも大喜びで

「じゃあ、これからはずっと一緒にいられるね」

というのですが、そうは問屋が許さないじゃなかった卸さない。

「それが駄目なのよ、私、叔母の療養に付き合ってニューイングランドに行かなきゃならないの。だから夏が終わるまで待って下さる?」

「うんうん、待つ、待つ。待つなと言っても待つよ。なんてったって、俺、もう君なしじゃ駄目なんだから」

 この後二人はアトリエで肖像画に取り組みます。そしてついに完成。絵をうっとりと眺めるジェニー。

「これであなたは有名人になるわ。これが美術館に展示されて、世界中から大勢の人が見に来るの、嬉しいわ」

ジェニーはエバンに向き直り

「これからも世界中の美しいものを絵に描いてね、でも」

彼女はまたランズエンド灯台の絵を手にとって

「この灯台だけはいや、何だか息がつまりそうになるの」

 この後二人はキス、愛を誓い合うのですが、はい、例によっていつの間にかジェニーは部屋からいなくなってしまったのです。

 彼女の帰りを待つエバン。夏が終わりました。でも彼女は戻ってきません。秋になりました。でもやっぱり彼女は戻ってきません。しょんぼりしているエバンを見かねたガスが

「そんなに彼女に会いたいなら、修道院の人に聞けばいいじゃないか。ほら、なんかすごく仲の良かったシスターがいるってことだったろ」

このアドヴァイスでさっそく修道院へ向かうエバン。そしてそのシスター、マーシー(リリアン・ギッシュ)に会って話を聞いたのですが、その結果は衝撃的なものでした。彼女は叔母の療養場所であったニューイングランドでランズエンド灯台へ遊びに行った際に高波に襲われて死んだというのです。

「忘れもしません。10月5日のことでした」

 エバンははっとします。今日は10月1日だ。まだ5日には間がある。もしかしたら彼女を助けることができるかもしれない。彼は

「いや、10月5日ってもう十何年も前のことなんですけど」

と不審な顔をしているシスターに礼を言って

「よーし、灯台へ行くぞ、彼女を今度こそ永遠に僕のものにするのだ」

と張り切っております。

 彼は列車でニューイングランドへ。コブ船長(クレム・ビバンズ)の店でボートを借りる相談です。幸いイークという船乗りがボートを貸してくれたので、勇んで海へ乗り出すエバン。コブ船長もイークも

「そんな高波なんてくる訳ないよ」

と呆れております。

 ところが海へ乗り出すなりとたんに天候が急変。大風は吹くわ、海は荒れ放題にあれるわ、雷はびかびか光はもう大変な騒ぎ。エバンは必死にボートを操るのですが、まったくコントロールが利かずついに灯台が建っている岩場に叩きつけられてしまいボートはばらばら。エバンはかろうじて岩場に這い上がりました。彼は灯台のドアが開いているのをみて、ジェニーはあそこにいるに違いないと考えます。

彼は灯台の中に飛び込み彼女の名前を呼ぶのですが、何も帰ってきません。彼は灯台のてっぺんに登ります。と、彼の目に飛び込んできたのは荒波によって翻弄されるボートでした。

 「ジェニーのボートだ!」

そうこうするうちにジェニーのボートもまた岩場に叩きつけられて粉々に!

「ああ、ジェニー」

エバンは灯台の階段を駆け下りて岩場へ。そして駆け寄ってきたジェニーと硬く抱き合うのでした。

「やっと見つけた、もう話さない」

「ああ、エバン、愛している!」

とかなんとか言っているうちに早く灯台に行けばいいのに(笑)。そんなことを言い合うのに手間取っているから、ほら、ジェニーが波に攫われそうになったじゃないか。エバンはかろうじて彼女の手を掴みます。ジェニーはふっと微笑んで

「あなただけでも行ってちょうだい、さようなら」

次の波が来てついにジェニーを攫っていってしまいました。

 この後心配して様子を見に来たコブ船長に助けられるエバン。彼は船長の船具屋の2階で手厚い介護を受けることになりました。そこへ駆けつけてきたのがスピニー。彼女は何故かジェニーのスカーフを持っています。

「ああ、それは彼女のスカーフ 僕は間違いなく彼女に会ったのだ。彼女は生きていますよ、大丈夫です」

 さて、その後いろいろありましてすっかり有名な画家となりましたエバン。ジェニーの肖像画もメトロポリタン美術館に展示され大勢の観客を魅了しております。最後にこの肖像画がカラー、ああ、パートカラーだ(笑)で大写しになった後エンドマーク。
http://santo.cocolog-nifty.com/sf/2009/03/portrait-of-jen.html


 

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