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デュヴィヴィエ 『わが青春のマリアンヌ』 1955年 ドイツ/フランス
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/671.html
投稿者 中川隆 日時 2016 年 11 月 22 日 14:59:04: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: クローネンバーグ 『デッドゾーン The Dead Zone』 1983年 アメリカ 投稿者 中川隆 日時 2016 年 11 月 21 日 15:10:14)

『わが青春のマリアンヌ』(ドイツ語版) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=_F1ggYZLEvk

『わが青春のマリアンヌ』(フランス語版) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=-QlKkh8zgks
http://video.fc2.com/content/2013102591hSKn5B/&tk=T0Rnek16azBOREE9

デュヴィヴィエ 『わが青春のマリアンヌ』 1955年 ドイツ/フランス

監督・脚本 Julien Duvivier ジュリアン・デュヴィヴィエ

原作 Peter von Mendelssohn ペーター・ド・メンデルスゾーン 『痛ましきアルカディア』

撮影 Leonce-Henri Burel レオンーアンリ・ビュレル

音楽 Jacques Ibert ジャック・イベール

出演: マリアンネ・ホルト
    ホルスト・ブッフホルツ
     イザベル・ピア

フランス/ドイツ 合作映画


ドイツのペーター・ド・メンデルスゾーンの『痛ましきアルカディア』の映画化でデュヴィヴィエ自身が脚色と台詞を書いている黒白映画。

この幻想的な雰囲気を出すために、マリアンヌの住む謎の館にはオーストリア、フッシェル湖畔の旧家が選ばれ、少年達の屯する館には、バヴァリア地方に残っているリヒアルト・ワグナーに関係のある館を選んだ。

音楽はフランスの作曲家ジャック・イベール、撮影はレオンス・H・ビュレルが当っている。

映画はフランス語版とドイツ語の両国版が平行して作られ、二組の配役のもとに同じ場面の撮影が二度ずつ行われた。ドイツ語版の方は少年達の顔振れもガラリと変っているがマリアンヌ・ホルトとイサベル・ピアの二人の少女は両国語版にわたって出演する。
https://matome.naver.jp/odai/2138476584421880301


撮影地はオーストリアで、原作の小説『痛ましきアルカディア』もドイツ語圏のものだそうです。
映画はドイツ語版とフランス語版と二つ制作され、マリアンヌ役の人だけがバイリンガルだったのでどちらにも出演し、その他の配役は、ドイツ語版はドイツ語圏の俳優が演じ、フランス語版はフランス語圏の俳優が演じたそうです。
http://ameblo.jp/akemi-gid/entry-11943638068.html


わが青春のマリアンヌ  ロケ地
http://inagara.octsky.net/waga-seishunno-mariannu
http://noyonoyo.blog98.fc2.com/category12-8.html

フシュル湖のほとりの古城ホテル
http://4travel.jp/travelogue/10270088

フシュル湖
https://www.google.co.jp/search?q=Fuschlsee&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwiYjeemzbvQAhXGwLwKHShUDcsQsAQIHA&biw=1155&bih=635
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%95%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E6%B9%96/@47.8029347,13.2401798,13z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x4776a3238152dc95:0xb5fc612411b7240!8m2!3d47.8030328!4d13.2758571?hl=ja


ホーエンシュヴァンガウ城
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A6%E5%9F%8E
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A6%E5%9F%8E/@47.5556743,10.7363804,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x312cefa0b749d618!8m2!3d47.5556743!4d10.7363804?hl=ja
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A6%E5%9F%8E&lr=lang_ja&hl=ja&biw=1155&bih=635&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&imgil=DfJnzge66M2ESM%253BAAAAAAAAAAABAM%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fmatome.naver.jp%25252Fodai%25252F2138821965325754801%25252F2138845516423611503&source=iu&pf=m&fir=DfJnzge66M2ESM%252CAAAAAAAAAAABAM%252C_&usg=__L-WTcdJ--hNYb6cjbeSD1LopuCA%3D&sa=X&ved=0ahUKEwjsl8qYzLvQAhWES7wKHfWnDMgQuqIBCHMwDg&imgrc=Npn7cAwmqqBqbM#lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&q=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A6%E5%9F%8E

あらすじ

クラブのママみたいな年増の玄人で そのうえショタコンのマリアンヌに狙われた 超マザコンで超能力者のヴィンセントが 母親似の彼女との情事に夢中になるあまり リーゼの同志的無償の愛に気付く余裕がなくなり

同年代の女友達という 女性との新たな関係性の構築に失敗し その超能力でウザいリーゼを殺したいして成長しないまま 行方不明になったマリアンヌを探す旅に出る
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?NETA=0&RTN=0&PAGE_NO=1&TITLE_NO=16083

わが青春のマリアンヌ(ドイツ語版)2005-12-23

監督のジュリアン・デュヴィヴィエはドイツロマン主義のペーター・ド・メンデルスゾーン原作のこの作品をマリアンヌ役とリゼロッテ役のイザベル・ピアをそのまま、後はキャストを全員入れ替えてドイツ語版とフランス語版を作った。

人によって評価は違うと思うが、2作品を見て、私はドイツ語版の方がキャスト、言葉の響きが醸し出す雰囲気において、はるかに勝っていると思う。

まるで別の作品のような印象を受ける。

古城ハイリゲン・シュタットは親が離婚した子、片親の子、親にはじゃまな子どもたちのための寄宿学校だった。


授業は1日3時間しかなく、子どもたちは自由を楽しんだ。
特に「強盗団」は積極的に探検をする。


湖の対岸にある「幽霊屋敷」は絶好の探検場所だった。


ある日、アルゼンチンからヴィンセント(Horst Buchholz ホルスト・ブーフホルツ)がやってくる。
動物に愛される不思議な魅力を持っていた。


よき友人、よき理解者となるマンフレート(Udo Vioff ウド・ヴィオフ)、
兄のように慕うようになるフェリックス(Michael Ande ミハエル・アンテ)。


同じ頃校長の親戚リゼロッテ(Isabelle Pia イザベル・ピア)もやって来る。


夕食の後は転入生を祝って演奏会。
リゼロッテはピアノを弾く。
ヴィンセントはその後ギターで南米の物語を歌い、リゼロッテの心を捕らえる。
(この演奏会、さすがドイツ)


ある日、ヴィンセントを仲間に入れた「強盗団」は幽霊屋敷に探検に行くが、護衛に脅され、ヴィンセントを置き去りにして逃げる。
夜遅くから嵐になり、その中びしょ濡れのヴィンセントが興奮した顔つきで帰ってくる。


「強盗団」はヴィンセントが屋敷に告げ口をしたのだと思い喧嘩になるが、彼は強い。


ヴィンセントはマンフレートにあの日、置き去りにされた後の事を話すのだった。
美しい女性マリアンヌ(Marianne Hold マリアンネ・ホルト)に会うが彼女は監視されていると言う。


嵐の中、彼女がボートで岸まで送ってくれたのだった。


その後ボートは使用禁止になり、マリアンヌに会いに行きたくても行けない状態だった。
が祭りの日、偶然彼女を目撃する。


アルゼンチンから母の使いの男が来て土地を売る話を聞いたり、
リゼロッテが愛を拒否された腹いせに可愛がっていた鹿を殺したり、
マリアンヌからの助けを求めてる手紙が「強盗団」に隠されていたり・・・

ヴィンセントは絶望する。
そして、泳いで屋敷へ行こうとして溺れてしまう。
が、マンフレートやみんなに助けられる。
(ここで「強盗団」も彼を許し、彼に許されるのだった)


翌日は再婚相手かも知れない使いの男にチューリッヒにいると知らされた母の元へ行く予定だったが、ヴィンセントは早朝抜けだしマリアンヌに会いに行こうとする。

そして湖岸で気を失っているのをマンフレートに発見される。


ヴィンセントはマリアンヌに会えたことをマンフレートに話す。
彼女は大佐との結婚式がすぐあるので助け出して欲しいと懇願する。


しかしそこへ大佐が来て言う。彼女は婚礼の日新郎が来なくてそれ以来おかしくなっているのだ。
結婚式の支度は過去を喚起することで彼女の心をとりもどせたらと考えるからだと。
彼女を引き取ると約束した私こそ幽閉の身だ。


大佐の言葉に納得して帰ろうとしたヴィンセントだったが、マリアンヌに「大佐こそ気が狂っている」と言われ連れ出そうとするが護衛に失神させられる。


マンフレートと屋敷に行ってみるが、人の気配も結婚式の支度も消え失せていた。


そしてヴィンセントは学校を去る。


別れを惜しむかのように集まる鹿の群れ。

何回見ても、甘いなぁと思いつつ引き込まれてしまう。
耽美的で幻想的で、もう今後作られることのない扉の向こうの世界だ。
ふと忘れていた感性豊かな頃の昔の自分を思い出させる。

ドイツ語版はTVで放映されることもなく、DVD化されることもないだろう。
やがて一人二人と人の記憶から忘れられ、扉は完全に閉じてしまうのかも知れない。
http://blog.goo.ne.jp/cario888/e/5ce8dccf8fc5908c6c8a16727a8608fe


主人公はこのアルゼンチンから来た少年と話しをし、彼に、母親への強い思慕と、その母親が再婚しようとしているこによって傷つき動揺していることを知る。

また、荒野の中、空想でしか埋めることのできない孤独な生活を送ってきたことが、アルゼンチンの生活について尋ねるたびに言葉の端々から垣間見える。

 悪ガキたちは、このアルゼンチンから来た少年に幽霊を見る力があると考え、自分たちの仲間に誘う。幽霊が言われる屋敷があるのだ。

 それは寄宿舎の前に広がる湖の向こう側の、孤島のように見える場所にあり、用務員のおじさんが語るには、かつて侯爵と呼ばれる人物と美しい若い女性が住んでいたが、急に、もぬけの殻になり、それ以来、幽霊となって住み着いているのだと子どもたちにたびたび話しをしていたのだった。

 少年は悪がきたちとともにボートに乗り、この島に上陸する。先に探検にでかけた他の子供たちは犬に追い払われボートに飛び乗ったが、一人で探索をしていた少年は、ボートがなくなり、嵐も上陸するといった状況の中で屋敷に入ることができる。

 屋敷には、ひとりのとても美しい女性がいた。その女性は、マリアンヌと名乗った。少年は、この女性に恋をする。けれど、翌日、少年は門番により、寄宿舎に帰されたのだった。

 少年は、それからマリアンヌのことばかり考えて過ごすようになる。しかし、ボートは禁止されてしまった。孤児院ただひとりの女の子である院長の娘が彼のことを好きになるが、少年の心は、遠く離れた場所にある。少年の新しい父親になる大佐と呼ばれるが寄宿舎に現れて、お母さんが呼び戻そうと考えていると話すのだけれど、素直に喜ぶこともなく、院長の娘が彼の前で裸になってまで彼の気を引こうとするのだけれど、彼は拒み続ける。

 そんなある日、ギターを弾いてとお願いして断られた少女が、彼の大切にしていた鹿を殺してしまう。少年は、そのショックから湖を泳いで渡ろうとし、失敗する。

 屋敷のある島へ行くには、湖の周りにある山道を渡ることでも可能だった。少年は山道を歩いて、屋敷に向かって歩き続ける。そして、門番に邪魔をされながらも、屋敷に到着する。

 屋敷は、飾り立てられていた。侯爵がやってきて、彼に、マリアンヌは結婚式の日に相手が死んでしまったことにショックを受けて落ち込んでいたが、今度、新しい人と結婚する。良い変化だからショックを与えないように邪魔をしないであげて欲しい、君が会うとマリアンヌが動揺するという話しをされる。

 そのとき、マリアンヌがやってきて、その人は嘘をついている、本当はこの人が私と結婚しようとしていると話す。少年はマリアンヌに近づこうとするが、大男の門番がやってきて、彼を城の外へ運び、寄宿舎へ返す。

 翌日、城へ行ってみると、そこは、もぬけの殻になっており、ただ、侯爵の絵と美しい女性の絵があるだけだった。

 しばらくして、少年はこの寄宿舎を出ることになった。主人公が行き先について尋ねると、叔母の家と、それからマリアンヌだと答えた。主人公は、少年がこれからマリアンヌを探し出す旅へ出るのだと感じた。


 精神心理学であれば、喪という言葉を使うのだろうか。少年の恋人のようであった美しい母親が、徐々に老いていき、ひとりの女性に戻って別の人と結婚する。医学的には死んでいないけれど、今までのお母さんは死んでいるのだ。

 マリアンヌは幻想的に美しい女性で確かに幽霊のようであり、また、初めて登場するときやそれからも度々、鏡のような枠のつい立ての向こう側に立っていて、その中から登場してくる。これは、モノローグでとても美しい顔をしたと言われている少年の顔が古びた鏡の中にうつりこんでいるのだろう。

 彼は、自分と母の関係を、別の幻想的な物語を作ってその中に「現実として」生きることで癒されようとしているのだろう。
http://yufunasaki.blog39.fc2.com/blog-entry-79.html


この映画についてはマリアンヌは実在したのかなどの議論がありますが、私に言わせれば彼女はヴァンサンの母親の象徴みたいな存在だったと思います。

ヴァンサンが学校にやってくる冒頭のシーン、車の中の母親は最後まで画面には登場しません。ここに監督のこの作品に対する考え方が現れていると思います。

中盤ではやはり車に乗ったマリアンヌがのお祭りを見に来るシークエンスがありますが、ここではチラリとですが窓から顔を覗かせます。これは顔すら見せずに去って行った母親に対するヴァンサンの哀しみを、彼自身も無意識なんですけどマリアンヌが代替してくれた様に見えました。

また男爵と望まぬ婚礼を強いられるマリアンヌは、息子の気持ちを忖度することもなく大尉と結婚する実際の母親と見事に裏表の関係になっています。

こうやって考えると、この映画は幻想的な寓話じゃなくて理詰めで計算された心理学的な脚本だと思います。
 
また全篇に漂うホモセクシャルチックな雰囲気がまた独特です。寄宿学校の生徒たちが普通に会話しているシーンでも、互いを見つめる視線になんかヘンな雰囲気が感じられてしまうのです。そんな濃密な男の世界に紛れ込んだ娘リーゼがだんだんと疎外されてゆき、最後は鹿の群れに踏み殺されてしまったのは当然の成り行きだったのかもしれません。 

あと気になった登場キャラは男爵の用心棒兼ドライバー役の男で、あの太いまゆ毛が繋がった容貌はコントによく見かける西郷隆盛のパロディにそっくりです。

彼の着ている制服をどっかで観た様な気がするなと気になったんですけど、気が付きました。松本零士がこの映画からインスパイアされてメーテルを創造したという話は有名ですけど、実は『銀河鉄道999』の車掌はこの西郷さんがモデルだったんじゃないかと思います(笑)。
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?NETA=0&RTN=0&PAGE_NO=1&TITLE_NO=16083

私は高校三年の時に確かにドイツ語の「わが青春のマリアンヌ」を観たとの記憶がありました。この時の「わが青春のマリアンヌ」は異常なほどに心に強く焼き付きました。以来、この映画を再び観たく今日に至りました。

その間、色々なメディアが出る度にマリアンヌを探しました。ビデオりの時、DVDの時、ブルーレイの時、・・・。ビデオの時はやっと映画の名前を見つけましたが、在庫切れと表示されていて、発行元に電話しましたがいつ版がでるか分からないとのこと。月日は流れましたが同映画のことを忘れたことはなく、貸しビデオショップ、貸しDVDショップ、等々を折に触れて探しましたが巡り会えずじまい。そして遂にアマゾンからのメールでDVD・ブルーレイのジャンルで検索すると、なんと!「わが青春のマリアンヌ」に遭遇しました。在庫あり。

然し、説明分を読むと言語は「フランス語」とあり不思議に思っていました。

映画を観たときの記憶では確かにドイツ語であり、館の主は「勲爵士」となっていましたが、説明分では「フランス語」「男爵」と説明されていました。私の記憶には自信がありましたが、この時ばかりは私の記憶違いかと思い、「フランス語」「日本語字幕」を購入しました。手元に届いた時は年甲斐もなくやっと長年の夢が実現し小躍りしたい思いでした。

すぐに再生機」にかけて観賞しました。ところが映画の当初から「これは私が高校生の時に観たのとは違う」との思いを強くしました。正確に全てを覚えていた訳ではないですが、肝心なところははっきりと覚えています。

まずヴァンサンの俳優が違う、ヴァンサンはいつも長いコートを着ていた、
そして館の佇まいが違う、
勲爵士(フランス語版では男爵)の顔立ちも違う、
マリアンヌが助けを呼ぶ手紙の出し方も違う、

大きな流れは似ているが全体としての雰囲気は私が記憶していたものとは大きく異なり、消化不良の思いで映画は終了しました。

その後に他の人のレビューを見て、この映画にはフランス語版とドイツ語版の二つがあること、マリアンヌと監督以外のスタッフは全て別人でドイツ人が演じていることを知りました。

さらに映画の説明の中で「ロマンチック・ホラー映画」と評されているのを見たときは驚きと共に映画に対する冒涜だと思いました。私が観た映画は決してホラー映画とは受け止めていませんでした。然し、フランス語版を観た後の印象としては、筋は同じでも映画から感じ取られる得も言われぬ訴えは少しホラー的な印象を拭えなかったのも事実でした。
何れにしても「ドイツ語版」の「わが青春のマリアンヌ」を早く発売してほしいとの思いを一層強くしました。ドイツ語版のこの映画には単なる青春物とは異なる忘れられない不思議な魅力があります。単なる舶来ものとしてだけでなく・・・引き付けるものがあります。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%9D%92%E6%98%A5%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8C-DVD-%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%88/dp/B00JQ7FVXE


『わが青春のマリアンヌ』と年上ヒロイン

『わが青春のマリアンヌ』を観た。

漫画やアニメや音楽など、日本の創作文化に莫大な影響を与えた作品であるらしい。
古いディズニー映画みたいな作品だったが、年上モノというジャンルの良さを再認識した。

犬は見とれて立ちつくし、思わず鹿も森から出て来る。魔王のような男にとらわれ、巨大な門番に守られる姫。

この映画のヒロイン・マリアンヌはそういう女性だ。まるっきりディズニーの世界だ。
主人公の坊やはマザコンを拗らせた思春期の少年で、マリアンヌに一目ぼれする。
宿舎学校での閉鎖的な青春社会、大人や母性の象徴として、マリアンヌは一層輝く。

少年の淡き夢か、母への思慕の妄想か、狂った捨てられ女の現実だったのか。
それは誰にもわからない…

後への影響が多大過ぎてベッタベタな話に見えてしまったが、マリアンヌの美しさは印象的だった。

幻想か現実かわからない観念的な美しさ。

ブラウスの乳の部分が尖り過ぎているのが気になるがそれも一興。
学校の生徒を演じる俳優達はどう見ても皆イイトシをしているが、12,3歳ぐらいの設定らしい。

主人公も全然子供に見えない。よってあまりおねショタ的な趣は無いが、精神的に未成熟な青年という事で、テーマ的には正しいキャスティングと言えるかも。

本作は、『わが青春のアルカディア』等、松本零士作品に多大な影響を及ぼしているという。

『アルカディア』に限らず、「我が愛しの〜」「我が青春の〜」という言い回しを用いたサブタイトルを80年代くらいのアニメや漫画でよく見かける。

そういう回のスタッフを見ると、案の定シネフィルな方々が参加している場合が多いが、やはりあれらもこの映画の邦題を意識しての事なんだろうか。

しかし、ライバル娘が主人公の気を引こうと鹿を殺したばかりに鹿の大群に圧殺されたのはビビった。

しかも肝心の主人公は無反応。哀れ過ぎる。

アルフィーの『メリーアン』は本作を歌った曲らしいが、この娘の一節も入れてあげればよかったのに。

ちなみに、マリアンヌは『銀河鉄道』のメーテルの源流でもあるらしい。
メーテルといえば年上ヒロインの金字塔たるお方だ。

最近のアニメや漫画は年上ヒロインが少なくて困る。代表的な年上ヒロインの多くは、主人公にとって高嶺の花たらしめるためか処女性を犠牲にしている場合が多い。
そのせいで最近のオタク文化との親和性が悪いのだろうか。

たまに出たかと思えばBBA扱いされ、「BBA結婚してくれ」みたいな糞くだらない定型文で消化される始末。

性嗜好に関するネットのああいう最大公約数的なノリって、フェチズムを著しく阻害していると思う。邪魔くさい。

メーテル、管理人さん、芦川先生、アキコさんの様な年上清楚時々ビッチの深みをわからないなんて。

お姉さんヒロイン好きは艶々先生のエロマンガを読みふけるしかないのか。
http://tooms1954.blog55.fc2.com/blog-entry-438.html


『わが青春のマリアンヌ』(1955)多くのクリエーターに影響を与えた青春映画の金字塔。
http://s.webry.info/sp/yojimbonoyoieiga.at.webry.info/201202/article_3.html

メンデルスゾーン(クラシックの彼ではない!)原作の題名は『痛ましきアルカディア』です。

 四十代以上となる僕ら世代には“わが青春の”という枕詞に続くワードは“アルカディア”でしょう。『宇宙戦艦ヤマト』や『キャプテン・ハーロック』、『銀河鉄道999』で有名な松本零士がこの映画から多大な影響を受けたのは間違いなく、本人もこの映画を愛しているそうです。

 彼以外で明らかにこの映画の影響を受けているのがアルフィーの代表曲『メリーアン』です。嵐のような激しいギター・リフはもちろん、リリース当時は気づきませんでしたが、この映画を見た後で、このナンバーの歌詞を今思い出してみると、さまざまなシーンを思い浮かべることが出来る。

 夜霧に濡れる森を抜けて

 白いバルコニー あなたを見た

 すがるような瞳と 風に揺れる長い髪

 時めく出会いに 胸ははりさけそう

 メリーアン メリーアン メリーアン

 won't you stay for me

 嵐の去った 真夏の夜

 あなたの姿を 求めて歩く

 夢から醒めた僕の 胸に残った幻想

 誰もが通り過ぎる 道しるべか

 メリーアン メリーアン メリーアン

 won't you stay for me 


THE ALFEE メリーアン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YGAIqFKfeZc

 ヒロインのマリアンヌを演じたマリアンネ・ホルトは若くて綺麗なフランス女性です。女性が使うフランス語独特の言い回しによる息が抜ける感じがとても官能的です。

(中川隆 註:
イザベル・ピア(Isabelle Pia)はフランスの女優
マリアンネ・ホルト(Marianne Hold)はドイツの女優)

Marianne Hold
Born: May 15, 1929 in Johannisburg, East Prussia, Germany [now Pisz, Warminsko-Mazurskie, Poland]
http://www.imdb.com/name/nm0390131/


 小学4年のときに見た『リラの門』の記事でも書いたのですが、フランス人女性がフランス語をしゃべっているときの吐息のセクシーさを再び思い出しました。むせ返るような官能的な女の匂いが画面から漂ってくるようです。たぶんとても良い匂いがするんだろうなあ。

 彼女の登場シーンはそんなに多いわけではなく、上映時間105分に占める時間はトータルでも15分程度でしかない。また最初にスクリーンに現れるまでに45分も待たされてしまいます。このときで10分少々、次がお祭りのときに車から顔を出すワンショットだけ、そして別れのシーンに出てくる7分のみである。

 それでも彼女の印象は強烈で、きめ細かく透き通るような肌、涼しげで虚ろな目の強さ、エレガントな洋服の上からでも分かる豊満な胸(服のデザインかもしれませんが…)、よろめきそうで崩れそうな存在感に男はやられるでしょう。マリアンヌに母性を見るか、理想の女性像を見るかは人それぞれでしょうが、とても魅力的です。

 しかしながら、さすがに四十歳を過ぎると、甘いも酸いも経験してきたからか、なんとなく平坦にも感じてしまう。それでも目で殺す魔性の女であることは間違いない。この映画での彼女を見ていて、そしてこの映画のストーリー展開を見ていて思い出したのは日本の有名な怪談のひとつ、「牡丹燈籠」です。

 あのお話も魔性の女に魅入られた男が夜な夜な彼女に会いに行くものの、精気を吸い取られていき、徐々に衰弱していったところを坊さんに見られる。坊さんが見たのは廃墟かお墓だったかは忘れましたが、人魂が飛び交うその場所で、一人で狂わされている男だったというお話です。

 もうひとつ思い出したのは溝口健二の『雨月物語』で、これも怪異譚に連なるお話でした。どちらも魅力的な魔性の幽霊に魅入られる内容です。この『わが青春のマリアンヌ』では彼女が幽霊なのか、幻なのか、実在の女性なのかは明らかにはなりませんが、どこか幻想的で、謎めいた女性として描かれる。

 彼女が幽霊ではなく実在の人物なのだとほのめかされるカットがあります。それは強盗団がまず最初に屋敷に忍び込んだときに持っていった魔除けの二羽の白鳩を忘れてしまったいたのが、最後にマリアンヌを探しに戻ったときにも鳩たちが鳥籠で羽ばたいているカットです。

 二羽の鳩は炭鉱のカナリアと同じ役割をしていて、霊的な存在に反応し、人間に知らせてくれるとのことでしたので、彼らが生きていることはマリアンヌがそこにいたことの証拠になる。

 ただし実際に劇中で、マリアンヌに会ったのは主役のヴァネックのみで、短い間ではあったものの彼の親友だった、この映画のストーリー・テラーを務めたジル・ヴィダルもマリアンヌには会っていない。回想録としてこの不思議なお話をするのがマンフレッド役のヴィダルなのです。

 そのほかにもうひとり印象的だった登場人物にイザヴェル・ピアがいます。校長の姪っ子(イザヴェル・ピア)は惜しげなく二度に渡って、花の蕾のような初々しい全裸をさらしているが、マリアンヌは一切露出がない。

 嵐の夜に幽霊屋敷と呼ばれるマリアンヌの館からヴァネックが帰ってくる前のシーンで、落雷のために大木が寄宿学校(城)の部屋の窓を突き破るカットが挿入される。

 大木(屹立したペニス)が部屋の窓(女性器)を突き破り、突き刺さったままになるというのは明らかに意味深長である。このカットの前には激しい嵐に翻弄されながら湖を渡ってきたヴァネックとマリアンヌのキス・シーンがあり、さらにそのカットの前にはすでに数時間が経っていて、ヴァネックは寝てしまっていたというシーンもある。

 つまり大木が窓を打ち破るのは少年だった彼が謎の女性であるマリアンヌと経験を済ませたという暗喩であり、嵐と共に雄雄しく城に帰ってきた彼の興奮状態はまだ治まっておらず、そのあとイザヴェルが全裸で迫っても無視するのは大人の女性と恋に落ちたあとでは、年下の成熟していない女の子イザヴェルには何の魅力も感じていないということなのでしょう。

 おそらく高校生くらいの年齢設定であるヴァネックから見ると魅力的なのは年上の女であり、年下は子どもにしか見えない。彼は母性を強く求める少年でしたので、どうしても年上の女性に安らぎを求めてしまうのでしょう。それでも最終的にはマリアンヌは消えてしまう。

 彼にとってこれはショックでしょうが、もう母親を必要としない大人の男に成長したヴァネックにとってはマリアンヌは理想の女性像ではあるが、より現実的になっていく。

 謎めいていて、透き通るように美しいマリアンヌが象徴するのは理想的な女性像のようです。『銀河鉄道999』のヒロインのメーテルのモデルになっているのがマリアンヌです。

 はじめて見たのがいつなのかで印象がかなり変わってしまう作品で、できれば思春期に見るのがベストかもしれません。青臭いと取るか、瑞々しいと取るかは見る人によりはっきりと分かれてしまうでしょうが、絵画的な城内シーンや深い森の奥に静かに聳え立つ城の威容を見るだけでも価値のある作品です。

 ヴァネックは動物を魅了する超能力を持っているという設定で、小鳥が肩にとまったり、番犬でも彼にかかると大人しくなってしまったり、彼を迎えに鹿たちが霧の中で待っていたりとファンタジー要素も強い。ラスト・シーンで雄雄しい牡鹿が彼を見送るのは印象的です。

 幻想的な森の映像をより強く記憶に残すのが音楽です。一度見たら忘れられないほど印象深いのにまったく邪魔にならない音楽が素晴らしい。ヴァネックがギターをつま弾きながら歌うオープニングがシンプルで牧歌的でした。

 深い森に差し込んでくる優しい陽光、ゆったりと森の中を移動するカメラは森を散策しているようで深呼吸したくなります。あたり一面に立ちこめる霧に包まれ、湖に囲まれた古城の威容、鹿や水鳥が行き来する豊かな自然、そしてついに舞台となる古城の寄宿学校にカメラは到着する。

 森の動物たちもこの物語の主人公の登場を待ち構えるように学校の玄関前に集まってくるのですが、一体どうやって撮ったのでしょうか。台詞をいっさい使わずに物語の舞台をギターの音色とともに観客に見せて、物語世界に引き込んでいきます。

 ドイツやオーストリアの山奥の自然が豊かに描かれているのも特徴で、深い森の奥にひっそりと満ち溢れる静かな湖の美しさ、霧が立ち込める城の全景、森に差し込む木漏れ日の美しさは一見の価値があります。動物たちも魅力的で、牡鹿の逞しさや水鳥が楽しそうに泳いでいる様子は生命力を感じ取れるでしょう。

 アルゼンチンから来た少年ヴァネックを歓迎するために開かれた演奏会ではイザヴェル・ピアのピアノをフィーチャーしたモーツァルト(たぶん。台詞にモンテヴェルディとモーツァルトの思い出とともにというのがあり、モンテヴェルディには弦楽のイメージが強いので、そう思いました。)の曲を演奏する。

 その返礼にヴァネックがスペイン語?(英語字幕が出ないので、何語でどういう内容が歌われているのかが意味不明。フランス語なのか、アルゼンチンから来たという設定なのでスペイン語と推測。)の歌を弾き語りで披露するシーンはカッコいい。

 月の明かりはぼんやりと明るく、彼の美声とギターに引き込まれたように鹿が窓越しに眺める。彼はしかもこのときにタップ・ダンスをしながら、リズムを取っているのです。

 俯瞰で捉えられている様子はテレビの音楽番組の収録のようで、昔ビデオで見たスキッフルを歌うロニー・ドネガンを思い出しました。聴衆のノリがスキッフルのそれによく似ています。1955年のヨーロッパ映画なので、ジーン・ヴィンセントやバディ・ホリーらの瑞々しいロックはまだ入っていなかったのでしょう。

 思い出してみると、中高生時代には転校生で大人びていて、ミステリアスで運動万能、歌が歌えてダンスが出来て、その上にギターまで弾けるとくれば、女子からも男子からもモテモテになります。

 主人公は思春期ならば、周りの皆から崇められるのは確実でしょう。主人公のヴァネックはもともとフランス人だったのが親の都合で、アルゼンチンの地方都市ロザリオの大草原パンパでガウチョ(アメリカで言うカウボーイ)の生活を送っていたが、父が急死してしまい、母親が別の男に奔ったために彼の存在が邪魔になり、孤児院のような寄宿学校に預けられる。

 物語の最初では母親への甘えが顔に出ていたが、さまざまな経験や運命的な出会いを経て、大人の男に成長していく物語です。ヴァネックはギターが弾けて、ガウチョで動物と話が出来る。南米の遠い異国アルゼンチンからやって来た彼は閉鎖的な環境においてはカリスマであり、引っ張りだこになっていく。

 何も変わらない山奥の寄宿学校に束の間いただけの彼が20年以上経過しても、僚友マンフレッドの記憶に強烈に残っているのは当然でしょう。そして彼の回想録でアルゼンチンから来た少年が美化されていたとしても不思議ではない。思い出話とはそんなものです。

 過去・現在の時間軸とヴァネックの視点とマンフレッド(ジル・ヴィダル)のそれが交互に浮かんだり消えたりしていくので、視点と時間経過が解りづらく感じる方もいるでしょう。また強盗団の言い回しが古くさく、あまりにも子供っぽいと思う方もいるでしょう。

 それでもこの映画には必ず少年時代の思い出を呼び起こし、共感させてくれます。いつ見ても新鮮な魅力に満ちていて、また見たいと思わせる力があります。フィルムに閉じ込められたマリアンヌは少年を幻惑し、中年の親父をほんの束の間ではあるが若返らせる。

 ただ花の蕾のようなイザヴェル・ピアに目が行ってしまう者は多分ロリコンだろう。まあ、四十を過ぎるとマリアンヌに惚れようが、イザヴェルに惚れようが、どっちもロリコンと言われてしまうのがツラいかもしれない。
http://s.webry.info/sp/yojimbonoyoieiga.at.webry.info/201202/article_3.html

 

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