18. 2014年2月05日 00:30:13
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宇野功芳&アンサンブルSAKURA http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%ABSAKURA 今なぜ宇野功芳か? 2005年1月22日
あえて宇野氏を特集すると聞いただけで、私がいわゆる「宇野崇拝者」だと思う方もいらっしゃると思いますが、まず最初に決してそうではないことをお断りしておきます(笑)。ただ、宇野氏ほど一途に音楽に感動を追い求め続け、理論ではなく自身の感性一つで音楽のあり方を説き続けて来た人を私は他に知りません。その心意気を尊敬し、そういった感性を自分も持ち続けたいと常々思っています。 言うまでもなく、音楽で感動するということは理屈ではありません。「なんだか凄いぞ!」とういう衝撃が最初にあるはずです。しかし、まず目に見える形で学究的に実証されたものしか信じない人がいるのも事実で、そういう人たちにとっては、そんな音楽のあり方に異議を唱え続けてきた宇野氏の存在ほど煩わしいものはないでしょう。またそれとは全く逆に、全面的に宇野氏を崇拝している人もいます。 この両極のそれぞれの際立ち方は、ちょっと異常です。なぜそのような現象が続いているのか、ここで検証などはしませんが、どのような立ち位置にいる人であろうと、宇野功芳という人の存在意義、SAKURAというアマチュア・オケと共に築き上げようとしているものに対し、一切の先入観を捨てて、じっくりと向き合ってみる価値は大いにあると思うのです。 宇野氏の評論や演奏スタイルを大袈裟だと言って笑うことは簡単です。「普通」でないことは確かですから…。ただ、なんと言われようと(当然宇野氏の耳には入っています)、感動的な演奏を届けたい、作りたいと願い、それに確固とした使命感を持っている人をどうして笑えるでしょうか? 「感動」や「個性」といった言葉を有名無実化させたくないという熱い思いは、アンサンブルSAKURAの指揮活動で具現化されています。是非、演奏会へ足を運んで、他では味わえない感動を体感していただきたいと思います。 __________
参考CD1 「宇野功芳・オーケストラ・リサイタル」完結編! キングKICC-237 ベートーヴェン:交響曲第7番、「コリオラン」序曲、ハイドン:セレナーデ /宇野功芳(指)新星日本交響楽団(1997年7月7日ライヴ) http://www.nicovideo.jp/tag/%E5%AE%87%E9%87%8E%E5%8A%9F%E8%8A%B3 -------------------------------------------------------------------------------- 10年目を迎えた「リサイタル」もこれで完結。今までは、形として残る録音ということを考慮して、過剰表現を多少抑えてきたそうですが、ここへ来て遂に全ての雑念を捨てて大暴れしてくれました。オケもそんな宇野氏の意気込みに打たれたのか、いつも以上の熱い演奏を繰り広げています。
「第7」は、冒頭のトゥッティから確信に満ちた重厚な響きで空気を一変させ、ティンパニの深い打ち込みを伴って、低音重視の熱いハーモニーをじりじりと過熱させて、この先の壮絶なドラマをしっかりと予告します。 主部に入ると、ホルンとティンパニの雄叫びによる異様なスケール感で音楽が噴出。リズムは決して軽く弾まず、苦境に耐えるように必死になって鼓動し続けるのです。 展開部に入ると、その喘ぎが爆発!何とかつて日大オケとの公演で用いていた「近衛版」を突如引用(10:06〜)し、金管大増強のとてつもないパワーで音楽を限りなく聳えた立たせているのです。 第2楽章は、スコアのアレグレット表示を重視した演奏が多い昨今ですが、ここでは、前楽章の苦難を受け継ぐように敬虔な葬送曲として解釈。全ての音を涙で覆い尽くします。 第3楽章に入ると、遂にリズムが全身で躍動開始。「巡礼歌」とされるBの冒頭の穏やかな歌との絶妙な対比を見せますが、それが次第に高揚した末の頂点では、ティンパニとトランペットを前面に突出させ、興奮を極限まで煽るのです。 そして狂乱の終楽章へ突入! 冒頭はフルヴェンばりに物々しく開始するので、そのまま重厚モードで進行すると思いきや、段階的にテンポを速め、最後はこれ以上不可能なほどの豪速で圧倒! もはや言葉を失うのみです。演奏時間6分53秒! スコアを音に置き換えるだけでなく、「感じたもの」を感動的な音楽に変換できる指揮者が今どれだけいるでしょうか?そう考えると、宇野氏の果たした功績は計り知れません。普通の演奏と違うというだけで馬鹿にすることなど到底できません。【1997年 CD初発売時のレヴュー】 参考CD2 宇野ファンの期待を遥かに上回るエキサイティングな『運命』! FPCD-2724 ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、「コリオラン」序曲 /宇野功芳(指)アンサンブルSAKURA(1998年1月18日ライヴ) http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%ABSAKURA --------------------------------------------------------------------------------
この「第5」は、過激という一言では収まりません!おそらく熱狂的な宇野ファンであっても、ここまでやると思っていた人はいなかったでしょう。
「自分の心から感じるテンポ、ダイナミズムを信じなければ人を感動させることなどできない」 という信念のもと、単に良識の枠に嵌った演奏に対決姿勢を示してきた宇野氏ですが、ここではその熱いウォ極限までエスカレートさせ、徹底して聴き手の全身を揺さぶる空前絶後の演奏と展開しているのです。 最大の驚きは、終楽章のコーダ! 火だるまのようなアッチェレランドを敢行し、それだけでは足りず、膳声部を掻き消すほどのティンパニの最強打を何と全拍にわたって行なうという異常な興奮の煽り! 最らに終結では、突然ギアチェンジして、まさに宇野流の大失速となり、繰り返される結尾和音の間隔を長くとって、極限の緊張を醸し出すのです。それらを完全に受け止めるべく、最後の最後では、ほとんどの指揮者が無視してしまうティンパニの一撃アクセントをスコアどおりに実行していますが、唐突と思われがちなこのベートーヴェンの指示に、その意味を実感できる初めての演奏といってもよいのではないでしょうか? その圧倒的な興奮が冷めやらぬうちに「ブラボー!」の絶叫が巻き起こりますが、当日会場に居合わせた聴衆のほとんど(私も含め)は、拍手をしつつも、半分放心状態…。 宇野氏が語っていたように、この熱狂的な雰囲気が100%マイクに入りきるはずはないのですが、CD化は大成功で、実際に会場で聴いた方も、ギャップを感じるどころか、逆に衝撃を新たにするに違いありません。 【1998年 CD初発売時のレヴュー】 参考CD3 演奏の過激さも音質もこれが頂点! SAKURA URFC-0006 (2CD) ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、第8番、「コリオラン」序曲、シューベルト:「ロザムンデ」間奏曲第3番 ベートーヴェン:交響曲第3番のリハーサル /宇野功芳(指)アンサンブルSAKURA(2000年7月9日、いずみホール) http://www.nicovideo.jp/tag/%E5%AE%87%E9%87%8E%E5%8A%9F%E8%8A%B3 -------------------------------------------------------------------------------- 宇野氏にとってこの「英雄」は3度目の録音。 最初の新星日響盤('89)は、最初に発売された当初には十分刺激的ではありましたが、この後の再録音と聴き比べれば明らかなように、サントリーホールにムーディに流れてしまう音の捉え方が芯のある宇野節をほとんど捉えておらず、ティンパニも全く冴えず、それ以前に、オケの側が「普通でない」解釈を許容しきれず、必死に音を出さないことがプロの美徳と言わんばかりに事務的な演奏に終止しているのが残念で、趣向を凝らしたデフォルメが、単に奇異なデフォルメにしか聴こえない部分もありました。 例えば第1楽章コーダで急激に音量もテンポも落として度肝を抜きますが、驚き以上の音楽的な訴えが湧き上がって来ません。2度目のアンサンブルSAKURAとの録音('96)はそのときの反省も踏まえてか、その部分で極端なピアニッシモにすることは避け、テンポのみ落とし、ティンパニも部分的に突出させて独特の威厳を表出しています。 その他の部分も、前回の解釈を更に進化させた表現が登場し、強調すべきテンポ、強弱の差、ティンパニの突出などは、完全に純粋な感興が充満した音楽として迫り、ここで宇野氏の「英雄」像の一つの結論を出すに至ります。 しかし、この時点で更に物凄い「英雄」が登場するなど誰が想像したでしょうか? 3度目の2000年の大阪公演は、地元のファンの熱い要望に応えて実現したもので、並々ならぬ意気込みで演奏に臨んだ事は想像に難くないですが、「これはいくら何でもやり過ぎ」と、脱退してしまった団員が出たと噂されるほど、狂気の沙汰の爆裂を貫徹しているのです! 第1楽章最初の2つの和音からして毛穴全開で血の大噴射! 今までのどの録音よりもティンパニが熱い芯を湛えて打ち込まれますが、この和音にこそ、解釈の全てが凝縮されているのです。アンサンブルの精度も前回から格段に向上。楽想の変わり目でのテンポの変化もぎこちなさを脱却。展開部で第2Vnを抉り出すこだわりも他のどの録音よりも真に迫り、木管旋律を補強するホルンに象徴されるように、各声部の隈取りも骨太で強靭。展開部の中盤でどんどんテンポを落とし、造型を極限まで肥大させる手法も、神の怒りの警告以外の何物でもありません。 提示部で6回打ち込まれる和音はテンポを落として一つ一つを徹底的に強調していましたが、再現部ではあえてインテンポのまま。これは前回の録音でも同様でしたが、今回凄いのはティンパニ。硬いマレットを用いて全楽器を掻き消すほどの異常な強打で全体を完全征服しているのです! この凄まじい風圧に聴衆はどのように耐えたのでしょうか。確信を持って堂々と鳴り渡るトランペット主題直前のティンパニも、皮が破ける寸前。コーダの手ごたえも、前回までの録音を大きく引き離しています。 第2楽章も前回に比べ一層音楽が濃くなり、切り込みも深なっており、トリオに入るとティンパニが全体を掻き消して咆哮。フーガ主題に入ると更に激烈を極めて延々と全楽器が絶叫を続けます。もちろんこの間のティンパニは全ての箇所で丸裸の強打を敢行し、木管の抉り出しもかつてない強烈な張り出しで、憎悪の炎を燃え滾らせます。延々と悶絶元気列を極めて音の線も太くなっています。 第3楽章も極めて低速ですが、音楽だ一切だれず、リズムがキリッと立ち上がっているのが宇野節ならでは。トリオで精一杯深遠な響きを出すホルンも敢闘賞もの。 コーダ最後の3つのティンパニは、またしても異常な強打。そのいきり立ちのまま突入する終楽章冒頭の勢いがまた壮絶! テンポの設定もティンパニのバランスも前回の録音と変わりないのですが、鮮明な録音の効果もあって音が露骨に脳天目掛けて突き刺さり、そのたびに聴き手の心臓飛び出しかねない衝撃に襲われます。 オーボエ・ソロが登場する直前の激高も常軌を逸しており、前回もティンパニは盛大に鳴り渡っていましたが、今回は更に異常さを増し、巨大な鉄板を強打しているとしか思えず、今回初登場するアッチェレランドの効果も加味して、会場全体が金縛りにあっているような空気がありありと伝わります。 コーダは基本的に前回までと同様ですが、最後のティンパニのトレモロを他の楽器の音符と共に全てを激打する手法に変更し、宇野ファンでさえ閉口しかねない暴れぶり! 全編異常なテンションで貫かれた演奏の最後を締めくくるには、もはや殺人鬼と化すしかないでしょう。 「コリオラン」も過去に録音していますが、この演奏で遂に過去において未徹底だった部分が全て解消ています。
冒頭、思い切り弦の音価を引っ張った後のティンパニは、弦と縦の線を微妙にずらして後で強打する「軋み効果」は、宇野氏ならではですが、その強打がこれまた異常。テンポと強弱の入れ替えのコントラストが以前よりも強くなり、同時にホルンの強奏も、今までここまで徹底し切れていませんでした。 宇野解釈の真骨頂とも言える8:10からのホルンの強靭な突出とティンパニの強打が織りなす宇宙的大スケールも、これ以上のものは望みようがありません! ____________
アンサンブルSAKURA演奏会直前・宇野功芳氏へのインタビュー!(2004.12.26)
2004年12月26日、アンサンブルSAKURAのリハーサルの前にお時間を頂き、宇野氏、団長の増田氏にお話を伺いました。
私が日頃感じていることを端的な言葉でズバズバ語っていただいたので、私はほとんど相槌を打っているだけでしたが、決して今のクラシックの現状を憂いているだけでなく、 「だったら自分がやるしかない!」 という宇野氏の力強い意思を目の当たりにして、逆にたくさん元気を与えていただいた…そんな1時間でした。 -------------------------------------------------------------------------------- --アンサンブルSAKURAの演奏会も今度で18回目だそうですが、その全てを宇野先生が指揮されているわけじゃないんですね?
宇野(以下、U)-そうです。高石治さんとかの指揮も含めてですから、そんなになりますかね。 --あらためて、先生がSAKURAを指揮するようになったきっかけを教えていただけますか? U-それは団長の増田さん(以下、M)から話してもらいましょう。 M-SAKURAは、そもそも日大のOB・OGの有志のアンサンブルとしてスタートしたんです。宇野先生とは日大管弦楽団でもお世話になっていたこともあり、お互いに力を合わせてでいい音楽を作っていきましょうということになって、先生にSAKURAでも指揮していただくことになったんです。 よくSAKURAを宇野先生のオーケストラと思っている方がいらっしゃいますが、そうじゃないんですね。 だから、いわゆる熱狂的な「宇野ファン」というのは団員にはほとんどいないんです。 --あ、そうでしたか。私も宇野先生の考え方に心酔している人たちの集まりかと思っていました。 M-ええ、だから先生にベタベタする人はいませんよ(笑)。でも、人間的な信頼というか、絆は強力です。 U-それだからここまでやってこれたんじゃないですかね。僕も団員もその方が純粋に音楽に打ち込めるし。 --なるほど。そういうスタンスでやってこれた方が、現在も団員としてが頑張ってるんですね。 M-団員募集も常時行なっていて、今までに相当数の方が入団してきましたが、音楽作りの上での最低限のコミュニケーションも嫌う人が多いようで、なかなか一緒に何かを作り上げようという人が少なくて…。 --じゃあ、ほとんど当初の創立メンバーで活躍されているということですね。これだけ長い間活動されていると、いろいろ変化もあったと思いますが。 U-とにかく巧くなりましたね。今は巧いだけという人はいくらでもいます。遠山一行さんがよくおっしゃってますが、音楽をやるには音楽性と能力が不可欠だと思うんですが、とにかく今は能力優先なんですよ。そりゃ、最低限の技術はなきゃだめだけど、その技術を超えるものが出てこなきゃ、感動できるわけがないですよ。SAKURAの演奏を聴いて、音楽の感動とはこういうものかと気付いてくれる人が、1%でもいいから増えたとしたらこんな嬉しいことはないですね。 --感動的な音楽をやる人がいなくなったと言われて久しいですが、もう個性的であるとか、感動的であるとかに意味を見出さなくなってしまった気がしてならないんです。音楽の世界に限らず、感性が欠如していると言うか…。 U-そう、街中そんな人ばっかりが歩いてますよ。 --あと、最近は若手の指揮者でも、新鮮な音楽をやる人がいるにはいますが、また聴きたくなる演奏をやってくれる人が少ない気がしませんか? U-それは、そのスタイルを今まで誰もやってなかったから新鮮に聴こえるんでしょうね。逆に他の指揮者がだらしなさ過ぎる。そういう意味じゃ、例えばノリントンなんかは僕は買ってますよ。 とにかくオーケストラと穏便に事を済まそうとする人が多いんじゃないですかね。この前もあるオケの事務局の人が、今度指揮してもらうことになっている若手指揮者と話したとき、その指揮者から最初に聞かれたのが 「ここの団員さんは、練習が早く終わると喜びますか?」 と言うんですって。 --本当ですか?! U-事務局の人もがっかりしてましたけど、当然ですよね。 --なんだか悲しくなってきますね。 U-音楽を真剣に作る以上、民主的には絶対できませんよ。それを履き違えてるんだなぁ。 --そういえば、これも日本の若手指揮者ですが、その人のリハーサル風景がTVで放送されたのを見て唖然としました。オーボエ奏者にこう言うんです。 「そこの所をもう少しこうなりませんかね? いや切実なお願いというわけでもないんですが…」(一同のけぞる)。 どちらでもいいとはどいうことでしょう? だからこそ、先生にはまだまだ頑張っていただかないと…。 U-そうですね。僕ももう74歳の爺さんですけど、体の続く限りやりますよ。感動的な音楽は作り続けたいですからね。とにかく感動が最優先です。あと、SAKURAでも練習時間はいくらあっても足りない。全てを完璧には仕上げられません。だから、諦めも肝心だと思っています。 5つやりたいことがあって、全てができないとしたら、感動に結びつくことをまずやる、残りは思い切って切り捨てる。また別の機会にやろうと思えばできますしね。 --ところで、今回の演目は、遂にドイツものを離れて「新世界」ですね。これはびっくりです。 失礼ながら、先生はSAKURAを振り始めた頃、 「僕が“新世界”や“悲愴”を振ることは絶対にない」 とおっしゃってました。それがまたどうして…。 U-そう言いましたか(笑)。ブラームスの1番をやった後、さて次はどうするかという話になって、いろいろ案は出たんです。僕は、ベルリオーズの「幻想」がまず浮かんだんです。今のSAKURAにも合っていると思うし。でも、楽器の調達やらいろいろ大変なので、そうなるとドイツ物以外だと、今は「新世界」かなって思って決めました。でも、“悲愴”はそれこそ絶対にありえないな。 と言うかチャイコフスキー自体ちょっと…。「5番」の終楽章のコーダとかなんだかもう…。 --(一瞬、固まってから気を取り直して)同じドヴォルザークでも「8番」とか「7番」もないですか? U-(きっぱりと)ないね。ブラームスの「2番」、「4番」もない。 M-ベートーヴェンも「4番」と「6番」は、まだやってませんよ。「英雄」とか「第9」も、もう一度やってもいいんじゃないですか? U-そうね。今感じるベートーヴェンをやるのはいいですね。「2番」もまだやり足りないし…。 「英雄」は、どうもやりすぎちゃうんですよ。もう一回挑戦してもいいかな。 --では、その「新世界」ですが、この曲に対する印象は? U-薄い!とにかく音楽がベートーヴェンや、ましてやモーツァルトに比べると、もうなんて言うか…。 でも1楽章なんかきっちりとしたソナタ形式で立派ですし、2楽章も美しい。だけど終楽章は、出だしは素敵だけど、後は今までの回想ばっかりで、それらを有機的につなげるのが大変ですよ。 後半以降は緊張感が希薄だし、最後のホワ〜ンとした終わり方は、どう考えてもおかしい。 ドヴォルザークもよほど悩んだんでしょうね。悩んだ挙句にこうなっちゃったみたいな感じで(笑)。 スケルツォもトリオが良くないねぇ。 -確かに1楽章は私も素晴らしいと思います。コーダも素晴らしいですね。 U-そうそう。 -その第1楽章の提示部の繰り返しはやりますか? U-やりません。繰り返していいのは、ベートーヴェンの「運命」と、モーツァルトの「40番」くらいですね。 逆に繰り返さないとバランスが取れない。 --曲順が、最初にモーツァルトで、中プロで「レオノーレ」なんですね。 U-最初に序曲をやる場合が多いでしょうけど、感心しませんね。2曲目で団員が急に歯抜けになるのが淋しいし、音楽の量感的にもそうすべきだと思います。 --「レオノーレ」も、よくやる3番じゃなくて2番なんですね。 U-3番はよくまとまってるけど、スマートすぎちゃう感じかな。2番の方がゴツゴツした感じで面白い、ほとんど演奏されないしね。 --同感です。 U-モーツァルトは大変ですよ。気を抜く暇がない。20分位の曲ですが、次から次へとやることがある。 M-モーツァルトは、我々が先生の気迫についていくのが、もうあれが限界ですよ。圧倒されっぱなしで…。 U-そうかね(笑)。 --そろそろ時間ですか?では、これからリハーサルを拝見させていただきます。有意義なお話、本当にありがとうございました。 この後、練習場へ… リハーサル風景 12月26日、台東区の根岸小学校の練習室のリハーサルにお邪魔しました。この日の内容は、『新世界』の2楽章とモーツァルト、レオノーレ、という予定でしたが、なんと『新世界』は全楽章に変更し、モーツァルトは次回に回すことになりました。なお。これからそのときの様子を簡単にレポートします。 .................................................................................................まず、「レオノーノ」第2番から開始。 「では、再現部から始めます。再現部と言ったらすぐスコアを開かなきゃダメですよ!」 といきなり檄が飛び、一瞬にして緊張の空気に変わりました。オケに対する指示は、いたってシンプル。場面の移り変わりでは、 「ここから新しい曲を弾くつもりで…」 と、ニュアンスの違いを明確に意識するように指示。重要な核となる声部を明確に浮き立たせること、他のパートをよく聞いてバランスをとることなど、響きのイメージを作り上げることも重視していました。 特に印象的だったのは、スコアの強弱の標記をしっかり守るよう指示していたこと。奔放に思い通りに強弱指示を変更していると思われがちな宇野氏の演奏の意外とも言えるこだわりが感じられました。もちろん、宇野氏自身が感じたテンポ、ダイナミズムを決して犠牲にはせず、常にベートーヴェンの真実に肉薄しようとする気迫が一貫して感じられました。 最後のプレストの入りは「第3番」同様に弦が合わせずらいの箇所ですが、ここは意地でも縦の線を揃えようとするよりは、テンポのニュアンス表出と、緊張感の高揚が達成できるようにという意図が強かったようです。この場面はティンパニが大活躍しますが、「皮が破けるほど強打して!」などと言うのではなく、実にサラッと、「フォルテ3つくらいでとお願いします」とか、「もう少し抑えて」という、シンプルな指示に終始していたのも意外でした。 最後に、全体を通し演奏。狭い教室だったので、全体の響きのニュアンスまではつかみ取れませんでしたが、この時点で既に細かいテンポ設定、ニュアンスの指示はほとんどされていたようで、あとは本番に向けて、更にアンサンブルを整えるだけ、という段階のようでした。 休憩後は、いよいよ『新世界』。 第1楽章は冒頭から予想通り、表情が超濃厚!ティンパニのトレモロの叩き方に若干の指示。第2主題は、宇野氏自身が特に歌心をくすぐられる箇所なのでしょう。その歌わせ方にかなり拘わって、何度も弾き直しをさせていました。コーダはビシッとキマり、思わず鳥肌が立ちました。そこで宇野氏が一言、「ん〜、レオノーレよりもいいなぁ」。 第2楽章は、イングリッシュ・ホルンが歌のセンスにしばし聴き惚れました。第2ヴァイオリンを埋没させまいとする宇野氏のいつものこだわりも垣間見られました。音楽が熱く語る部分は弦にポルタメントを要求。その指示を何度か繰り返していましたが、このとき聴いた限りでは、ポルタメントの意味を感じ切るところまでには至っていなかったようです。本番までにいかに素敵なニュアンスに変わるか、楽しみです。 第3楽章は、ベートーヴェンのスケルツォ同様、テンポの激変ぶりが完全に宇野流!団員の中には、思わずこの箇所で苦笑いしている人も見うけられましたが、インタヴューでも触れられていたように、それを不快と感じているのではなく、常識外のことをまさに今やろうとしているワクワク感がつい顔の表情に出てしまったように私には映りました。 終楽章は、宇野氏が曲の弱さを指摘していた楽章だけに、どう料理していくのか興味津々でしたが、残念ながらここまででかなり時間を押してしまい、駆け足の指示になってしまいました。しかし、出だしから宇野節炸裂! インテンポの箇所と徹底的にルバートする箇所の差が激しいのも特徴的。最後の弦のユニゾンでのテーマの再現の歌わせ方、最後の和音の締めくくり方など、駆け足ながら、勘所は確実に指示し尽くしていました。 http://www.wakuwakudo.net/tokusyu_all/ensouka/002_ensouka_uno&sakura.html 2007年06月08日 嗚呼!宇野功芳大先生のインタヴューといえよう!( ´皿`)ノ http://www.nicovideo.jp/watch/sm418970 http://www.nicovideo.jp/watch/sm418995
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