13. 中川隆 2013年6月21日 21:40:57
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ベヒシュタインに触れてから、自宅のピアノを弾いてみても、あまり楽しくなくて、 日に日にヘタクソになっていくのだった。 あ〜、あのベルベットみたいなタッチの、ハチミツみたいな音色のピアノでなければ、 私は、弾けなくなってしまったのかしら…。 http://81072111.at.webry.info/201304/article_1.html アップライトピアノの最高峰はなぜベヒシュタインなのか 28September2011 世界三大ピアノメーカーとしてはスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインと言われています。 しかし、これがアップライトとなるとその評価はベヒシュタインが抜き出ているようです。
キング・オブ・アップライトと呼ばれるベヒシュタインのアップライトピアノ。その最高峰に「コンサート8」が君臨しています。(ピアニストのフジコ・ヘミングさんもご愛用) このコンサート8はフランスのLs Monde de la Musique 誌のピアノ品質コンテストにおいて何度も第一位に輝き、数々の評価(賞)を獲得したアップライトピアノです。 そして審査員の賛辞を引用すると… 「コンサート8は、非常に素晴らしいアップライトである。その突き抜けるような力は、実に美しく自然な音の伸びによって、響きあうハーモニーからなる幻想の虹を描き出した。これまでに聴いたこともないような豊かな色彩。コンサート8はアップライトの理想像に限りなく近い。この楽器でならば、どんな様式の音楽でも弾きこなすことができる。 響きのバランスは実にグランドに近いので、残された疑問といえば、それは、わざわざグランドピアノを買う必要があるかどうかということ。世界一のアップライトピアノといわれて久しい楽器。」 先日もこのコンサート8の調律にお伺いしましたが、その質感、音色、タッチ・・・アップライトの域を超えているように感じます。 スタインウェインやベーゼンドルファーのアップライトピアノも触れたことがありますが、コンサート8ほどの感激は感じませんでした。 また以前に他県でスタインウェイのアップライトピアノを一度契約され、でもベヒシュタインも見てみたいとご来店されたお客様がいらっしゃいました。 そのときにベヒシュタインのアップライトピアノに驚かれ、あわててスタインウェイの契約を取り消されてベヒシュタインをご契約いただいたこともあります。しかもそのベヒシュタインはコンサート8ではなく、その一つ下のランクのピアノでした。 なぜベヒシュタインなのか。 先日のブログでも紹介しましたが、東京への出張の時、ピアノプラッツの清水社長ともその話になりました。 そこで思ったこと・・・。 よく「スタインウェイは鉄骨(フレーム)で音を鳴らす」「ベーゼンドルファーは箱で音を鳴らす」「ベヒシュタインは響板で音を鳴らす」といわれます。 そう考えると分かってくるような気が。 スタインウェイが鉄骨で音を鳴らすと考えるならばアップライトピアノはグランドピアノに比べて圧倒的に鉄骨が小さくなります。ベーゼンドルファーの箱で慣らすと言うことに関しても同様です。 アップライトピアノとしては素晴らしい音はなるかもしれませんが、やはりグランドピアノを主力と考えているスタインウェイやベーゼンドルファーでは無理があるのかもしれません。 対してベヒシュタインは響板で音を鳴らすといういたってシンプルな設計。それがベヒシュタインのクリアな透明感のある音を作り上げているわけですが、響板で音を鳴らすのであればコンサート8の響板は十分な大きさが得られます。そしてベヒシュタインは豊富なアップライトピアノのラインナップを持ち、アップライトとしての鳴らし方を心得ています。 アップライトピアノで最高を求められる方。 是非ベヒシュタイン・コンサート8もご試弾ください。 それを弾かずに決めるのは非常にもったいないと感じます。 http://pianofactory.blog118.fc2.com/blog-entry-210.html C・ベヒシュタインピアノ (C.BECHSTEIN PIANO) ベヒシュタインピアノは日本での知名度は低いですが、戦前スタインウェイと競ったことがあるほどの、ドイツでは名門のピアノでした。 澄んだ高音部の美しさや低音部の渋い響きはビロードのような音色とよく言われていて、当時貴族の間で深く愛好されていました。 ベヒシュタインの創業者カール・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベヒシュタインは1855年にベルリンでピアノ工場を開設し、多くの優秀なピアニストと親交を深め、ピアニストの提案や要求に耳を傾け、ピアノを改良することによって優れたピアノを作りだしてきました。 特に影響が多かったのは、リストやベルリン・フィルの初代指揮者ハンス・フォン・ビューローです。 ある日ベヒシュタインはリストのリサイタルに出かけ、リストの凄まじい演奏に驚くと同時に、弦が切れてしまったピアノを目撃し、このときベヒシュタインはリストの演奏にも十分対応出来るグランドピアノを造る事を決意しました。 当時リストのピアノリサイタルではピアノの耐久性がリストの演奏の耐えきれずよく断弦し何台かのピアノが必要だったようです。現在のピアノでは十分な耐用がありますが・・・ う〜ん、リストで過激な演奏といったら「超絶技巧練習曲」とかまず頭に浮かんできますが、ラザール・ベルマンの演奏でこの曲を聴いたときには、あまりの凄まじさに声が出ませんでした(汗) ラザール・ベルマンというピアニストは4本の手をもつ熊とも言われています。(大変失礼な言い方お詫び致します。) ベヒシュタインは今までとは全く新しい技術を使って、グランドピアノを製作することの成功し、リストもこのピアノの価値を認め、これをきっかけにベヒシュタインとリストは一気に親交を深めることになり、ベヒシュタインの名声も高まりました。 その後も世界中のノウハウを積極的に導入して、アメリカの交差弦式鋳鉄フレームや、イギリス式の力強い音を出すことが可能な安定したアクションの採用、フランスで開発されたレピティションシステム(連打を可能にする機構)をいち早く採用しました。 しかし、第二次世界大戦で工場が甚大な損傷を受け一旦はその歴史に幕を閉じましたが、戦後アメリカの大手メーカー、ボールドウィンピアノ&オルガンコンツェルンに買収されて、ベヒシュタインというブランドネームは復活しましたが、1986年にボールドウィンに移っていた経営権が、ベヒシュタインの真の復興を願うドイツ人の手に戻りベルリンに再集結させ再興されたベヒシュタインは再び高い評価を得るようになりまして今日に至っています。 現在のベヒシュタインピアノは金属フレームやケースを鳴らすということは極力避けて、響板だけを純粋に鳴らすように設計されています。 こうする目的に音の反応を出来る限り良くしたいというもので、これが音の立ち上がりの鋭さやタッチに敏感という特性になっています。 このため、響板は1/100ミリという精密な単位でクラウン構造に加工されます。又、現在のピアノの多くは弦を押さえつけるのに棒状のカポダストロフィーを使用していますが、ベヒシュタインは全ての弦にアグラフを採用しています。 ピン板にはアカブナ材が十字に重なられた状態で使用され、こうすることのよってチューニングピンを長期間にわたって維持することが出来ます、っということは調律後の持ちが良い訳なんです。 ベヒシュタインピアノは特徴のある美しい音色を奏でてくれますが、様々な逸話がありまして、ドビュッシーは「全てのピアノ曲はベヒシュタインの為のみに作曲されるべきだ」・・・と言いきっちゃてます(汗) まぁ確かにドビュッシーの曲を弾くのにベヒシュタインほど良く合うピアノはないと思いますがちょっと言い過ぎなんじゃないのかと・・・(笑)
しかし、そのしっとりとした美しい音色は例えばスタインウェイの輝かしい音色に食傷気味な人にとってはとても新鮮なものかもしれませんね。 ●参考標準価格表 アップライトピアノ オプス110 高さ110cm 価格約180万円 シュトュディオ115 高さ115cm 価格約120万円 シュトュディオ120 高さ120cm 価格約125万円 エレガンス122 高さ122cm 価格約125万円 11a (コンサート用) 高さ124cm 価格約345万円 8a (コンサート用) 高さ131cm 価格約360万円 グランドピアノ シュトュディオA189 奥行き189cm 価格約550万円 K(コンサート用) 奥行き158cm 価格約620万円 M(コンサート用) 奥行き180cm 価格約690万円 B(コンサート用) 奥行き208cm 価格約800万円 C(コンサート用) 奥行き232cm 価格約1000万円 EN(コンサート用) 奥行き280cm 価格約1550万円 http://tarotinleaf.seesaa.net/article/38169033.html 世界三大ピアノ ベヒシュタイン・ベーゼンドルファー・スタインウェイ 2008年8月5日
ピアノを弾かれる方ならすぐわかると思いますが、先日、世界の3大ピアノメーカーのベヒシュタイン・ベーゼンドルファー・スタインウェイのフルコンを生で聴き比べるチャンスがありました。3大ピアノがそろって一度に聴けるチャンスなんて滅多にないので非常に贅沢な時間でした。そして、それぞれの特長が手に取るように分かったので非常に勉強になりました。
杉並公会堂でのコンサートだったのですが、ここは日本で唯一世界3大ピアノを揃えているホールで、その3台で斎藤雅広さん三船優子さん加羽沢美濃さんが競演するという内容のコンサートでした。
ピアノは作曲に使う程度でそれほど弾けないのですが、それぞれのフルコンを一度づつだけ弾いたことがあります。個人的にはベヒシュタインがお気に入りです。今回のコンサートや弾いた経験をふまえて3大ピアノの個人的な印象を書いてみようかなと思います。 ベーゼンドルファー Model290 通称インペリアルは97鍵完全8オクターブで有名ですが、単音で弾くと音の粒が丸く大きくやさしい、「真珠」のようなイメージを持ちました。音量的には他と比べてそれほど出ないですが、音はやさしく、深い木の音がします。それを考慮してかステージでは一番前方に置かれていました。悪く言うとモワっとした感じがします。 スタインウェイ D-274はハンブルク・スタインウェイの方でしたが、やはりおなじみのきらびやかな感じで、スタインウェイ独特の空気感がでます。 音としては木というよりは「ガラス」の音のような、するどい音の印象を持ちます。音量的にも一番大きいので後方に置かれバランスがとられていました。
ベヒシュタイン D280は個人的にも一度だけ同ホールのものを弾くチャンスがあったのですが、一番お気に入りです。その時撮った下記の写真にあるように中にアシュケナージの選定時のサインがあります。
音としては和音を弾くと「水晶」のようなどこまでも透き通る印象があります。他のピアノと比べて倍音が少ないため、複雑な和音を弾いてもまったく音が濁らないです。 ドビュッシーがベヒシュタインを絶賛し愛用していたのも分かる気がします。 驚いたのはローインターバルリミットがかなり低いところまであることです。 通常の1オクターブ低いところで和音を弾いても音が濁らず、ちゃんと鳴ってくれます。このピアノだからこそ生まれる曲がありそうな、そんな可能性を感じさせてくます。 ピアノ本体だけでなく、演奏者によって音が変わってくるのも楽しめました。 斎藤さんは爆音で男性的な音に、三船さんはやはりピアニストらしい抜けた通る音に、加羽沢さんは作曲家らしいアンサンブルを重視したやさしい音になるのが分かりました。非常にためになるコンサートでした。下に写真を貼っておきます。夢は広がり、いつか幻のピアノ、ファツィオリのF308を弾いてみたいとな思っている今日この頃です。 http://plaza.rakuten.co.jp/tajin/diary/200808050001/ 私の愛器:1928年製のベヒシュタイン
私が最初にベヒシュタインと出会ったのは、かれこれ20年くらい前に なります。当時20歳くらいだったのですが、都内大田区にベヒシュタインが 置いてあるサロンがありました。そこで行なわれたヴァイオリンとピアノのコンサートを 聴きにいく機会がありました。ベヒシュタインをサロン名に使っていたのですが、当時は 「ベヒシュタインってなに??」ぐらいでピアノの存在すら知らなかったです。 ただ、この時のピアノがすばらしく、なんとなく「ベヒシュタイン」という名前が 心の中に記憶されました。 ただ、私としてはやっぱりピアノはスタインウエイだなっていう気持ちがあって、 その後もいつかスタインウエイを持ちたいという気持ちをもっていました。 そして時が過ぎ、いままで使っていたヤマハを買い替えようということになったとき、 もう一度、「家で弾く」という前提でいろんなピアノを較べてみようと考えました。 アメリカやヨーロッパの一流メーカーのもので、日本にくるものはやはりスタインウエイが 圧倒的に多いのではないでしょうか。これは生産台数の関係もあると思います。 私も先程述べましたようにスタインウエイは大好きなピアノです。あの輝かしい音はスタインウエイしか出せないものなのでしょう。 ただ、いろいろなピアノを触っているうちに自宅で弾く(ウチはピアノの部屋は6畳しかありません) ということを考えると、スタインウエイは鳴りすぎるという感じがありました。 その時、記憶の底から「ベヒシュタイン」がよみがえってきました。 「そうだ、あの楽器なら自宅で弾くのにピッタリだ」 ということに気づいたのです。 ただ、それからもザウターやプレイエル、ベーゼンドルファーなど魅力的なピアノを 弾きました。はっきりいってどれもこれもすばらしいピアノです。しかし、どれか一つを決めなくてはならなくなったとき、私はやはりベヒシュタインを選びました。 なんといっても指先のほんの少しの圧力の掛け方で音色がかわり、そのまーるい音に魅了されてしまったのです。 ということで、私の愛器はベヒシュタインです。造られたのは1928年です。 よくいわれるベヒシュタインが世界大恐慌にあおられ苦境に立たされる少し前の黄金時代 最晩年のものです。 75年前のものなので現在のベヒシュタインとは弱冠設計が違うようです。 外見的にはまず、今はみることができない6本脚です。当時はまだ3本脚にする 技術が難しいものとされていたようです。 また、譜面台もピアニストが音を良く聴くことができるようにとのことで 透かしになっています。たしかにこれは効果があります。特に高音部は よく聴こえるような気がします。ただ、強度的には弱いので 慎重に扱う必要があります。 内部のつくりも現在とは少し違うようです。 例えばダンパー。私のピアノは現在のものよりダンパーが小さめです。 これはダンパーを小さくすることで消音する際に余韻を残すためだそうです。 弾いているとレガートとかはすごくやりやすいですが,歯切れのよさはありません。 勝手なイメージですがこれなんかは19世紀的な美意識な気がします。 現在のモダンなピアノは音の切れ味も重視されるので私のピアノよりもずっとダンパーが多きいです。 まぁなれてくるとベヒシュタインのもっている甘くて太い音がさらに堪能できるという感じはします。 それと最近やめてしまった総アグラフの設計。現在のほとんどの ピアノはスタインウエイが考案したカポダストロバーで高音の弦をとめています。 このカポダストロバーは、鉄骨の部分で弦を押さえることによって弦の振動を 鉄骨につたえ、音量と華やかさをだすことを目的としているそうです。 ベヒシュタインは今まで、これをつかわずアグラフという音1つにたいして 1つの弦を止める部品(アグラフ)を高音まですべての音に対してつかっていました。 これによって余計な共鳴を防ぐことができ、ベヒシュタインの魅力の一つでる クリアーな音色を創ることができたといわれています。 ただ、現在は大ホールで大音量をだせなければというピアニストとニーズに 合わせて変わっていかざる得ないのかもしれませんね。 古いピアノは現在のピアノよりも、より個性が強い気がします。私のベヒシュタインも派手では ありませんが、音がよくとおります。そしてかなりタッチに敏感です。ですのでレガートで弾く際は 本当に気をつけないと、すぐに意図したよりも大きな音が出てしまい、ガタガタになってしまいます。 ただ、うまく弾ければ非常に美しいのです。このへんがベヒシュタインは一部のピアニストからは 敬遠される原因かもしれません 以前、1920年代に造られたスタインウエイを弾く機会がありました。これも本当にやわらかく、とろける ような音色を響かせていました。今のスタインウエイとは少し違う印象を受けました。 これらは調整の仕方もありますが、楽器のもっている個性も大きいと思います。 話がそれますが,日本のホールにもスタインウェイとヤマハ・カワイばかりでなくこういった 古い再調整されたピアノも含めていろいろな楽器を入れて欲しいですよね。 現在のスタインウェイももちろんすばらしい楽器で私も大好きです。 しかし、ヴァイオリンなどとのアンサンブルにはあまり向かないような気がするのは私だけでしょうか。 その輝かしく鳴り響く音はどちらかというとソロに合うような気がします。 日本人は右にならえが得意なのでスタインウェイを入れておけばとりあえずいいだろうという感じがしてしまいます。 ベヒシュタインやブリュートナー,ファツィオリ、イーバッハ,グロトリアン,プレイエルなどいろんな楽器が弾いたり, 聴けたりできたらなんてすばらしいでしょうか。そんな日を夢見ています。 http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~bech1928/bech.html ●ベヒシュタインの歴史 ベヒシュタインは1853年にカール・ベヒシュタインによって創業されたドイツ,ベルリンのメーカーです。 カールは1826年6月1日テゥーリンゲンの山なみの麓に生を受けています。カールには2人の姉が いました。すぐ上の姉のエミリエの夫はヨハン・グライツというピアノ職人でした。 karl 姉の夫がすぐれたピアノ職人だったということがカールをピアノ職人へと導いたのです。 義兄のところでの修行のあと、カールはプレイエルのドレスデン工場で働いています。そこで数年働いた後、 ピローというベルリンのメーカーでも修行しています。修行時代のカールの目標はパリへでて 修行することでした。当時パリはエラールやプレイエルなどの有名なメーカーがひしめき合い、 ヨーロッパのピアノ生産の中心的な場所だったのです。 カールは寝る間もおしんでフランス語を勉強し、 ついに1849年にパリへ旅たち、クリーゲンシュタインの 工房で修行を始めました。そして約4年の修行後、カールは1853年に独立したのです。 1853年は今も一流メーカーとして活躍しているスタインウエイとブリュートナーも創業された ピアノ史上栄光の年となったのです。 カールは最初のピアノに9ケ月要しました。すべて自分による手作りです。初期のベヒシュタインを 最初に認めた音楽家は、後にベルリンフィルの指揮者もつとめたピアニストのハンス・フォン・ビューロでした。 彼は1856年のリサイタルでベヒシュタインの使用してリストのソナタを弾きました。彼はリサイタル後の記事の中で ベヒシュタインの持つ優れた特徴を強調しました。そして、その後もビューローはベヒシュタインの有力な擁護者となったのです。 そしてベヒシュタインの擁護者として忘れてはならないのは、あのフランツ・リストでしょう。 ビューローのリサイタルの後、カールはリストのリサイタルをベルリンに聴きにいきました。 その夜はエラールを使っての演奏だったのですが、カールはこれ程までにすさまじい打鍵を見たことがないと述懐しています。 そして彼はこの演奏にエラールが耐えられるのか注意深くみていました。 その結果、リサイタル後、弦がぶつぶつきれてしまったエラールの残骸を目にするのです。 その夜、カールはリストの演奏に耐えられるピアノを作ろうと決心するのです。 そしてビュローのアドバイスをもらいながらグランドピアノを完成させ、ついにリストに弾いてもらう日がきました。 リストはベヒシュタインの真価を認め、そして2人はこの偉大なヴィルティオーゾが亡くなるまで親友となりました。 リストに認められたベヒシュタインは市場にも受け入れられ、拡大の一途をたどることになります。 1879年にはロンドンにも出店しています。さらに数年後にはヨーロッパ、アメリカ、南アメリカ、アジアの主要な 都市に販売代理店を設けています。 生産台数も1870年には年間400台、1883年には1200台、1910年には5000台もの生産を誇るように なりました。 その間、1900年には創業者カール・ベヒシュタインはベルリンで、その栄光にみちた生涯を閉じています。 カールの死後、会社は3人の息子、エドウィン、カール、ヨハンによって経営されます。 しかし、20世紀前半は世界的に難しい時代を迎えていました。 第1次世界大戦がはじまると、激しいインフレが起こりベヒシュタインのピアノは1桁違う値段になってしまったのです。 この苦難の時代は兄弟が力を合わせて乗り越えられたものの、1926年には工場の建設をめぐってエドウィンとカールが 対立し、エドウィンは会社を去ってしまいました。 そしてあの世界大恐慌と第2次世界大戦を迎えます。ゲルマンの誇りとしてのベヒシュタインはアメリカ・イギリスから徹底的に 工場を破壊されてしまいます。ハンブルグのスタインウエイがあまり損害を受けなかったのに較べると 戦後しばらく操業を開始できなかったベヒシュタインの損害のはげしさがお分かりになると思います。 ドイツのメーカーはベヒシュタインにしてもブリュートナーにしても敗戦国となってしまい、工場が破壊されて、戦後なかなか 過去の栄光を取り戻すのは難しかったようです。一方戦勝国のスタインウエイはそこまでは影響を受けずに戦後のシェアを一気に 引き上げました。現在、スタインウエイが世界のホールのほとんどに入っているのはそういった背景もあるようです。 ベヒシュタインは苦労しながらも40年代の終わりにはなんとか生産再開にこぎつけました。しかし1962年にはアメリカの ボールドウィン社の傘下になるなど、その後も苦難の道は続きます。 しかし、1986年にやっとドイツ人による経営にもどりました。かれらはベルリンに組織を再集結させて創始者カールの考えを 復活させるべく活動を開始します。現在は同じドイツのメーカーだったツィンマーマンとホフマンも含めてベヒシュタイングループとして 経営を安定させて、美しいベヒシュタイントーンを聴かせてくれます。 また、ベヒシュタインは創業から150年を迎えた2003年に、かなり大きな設計変更を行ないました。 まさに今までのベヒシュタインのイメージを変えてしまうほどのものです。 ベヒシュタインというと、大きなホールでの演奏よりは少し小さめな会場での演奏の方がピアノの 微妙なニュアンスが伝わりやすく、適しているというイメージだったのではないでしょうか。 しかし反面、音量がスタインウエイなどに比べると少ないという指摘があったのも事実だと思います。 今回はそのような問題を解決すべく設計が変更されたようです。 具体的には高音域の音量を大きくするためにハンマーヘッドを大きくしたことがあります。 その結果、ベヒシュタインだけが保持していた総アグラフが採用されなくなり、スタインなどと同じように 高音域の弦を押さえるのにカポダストロバーが採用されるようになりました。 また側板も以前よりも厚くなったようです。また、ベヒシュタインの外見的な特徴であった、むきだしの ピン板もフレームで覆われました。 これらの結果はどうだったでしょうか。僕はピアノを生業にしている方が感想を述べているのを 2回ほど聞く機会がありました。どちらもかなり好意的な意見でした。 僕の意見としては、以前のベヒシュタインとスタインの中間的のところかな〜というのが感想です。 音量的には以前よりもパワーがあります。そして音色は以前は木が鳴っているイメージでしたが、 今回のものはそれにフレームがもつ、きらびやかさが加わった感じでしょうか、すこし華やかになりました。 どちらが良いかは個人の好みですが、今回の設計変更でより一般的なものになったような気がします。 話は横にそれますが,ベヒシュタインと日本とは結構関係が深いのです。というのは日本楽器(現ヤマハ)は 大正10年にベヒシュタインと輸入代理店契約を結んでいます。さらに大正15年にはベヒシュタイン社の監督技師である エール・シュレーゲルを招聘し、技術顧問をしてもらっています。 シュレーゲルはベヒシュタインに入社する前にブリュートナー社に在籍していたこともあり、 名門と呼ばれる両社でのキャリアは数十年にも及んでいました。 当時,日本楽器に所属していて、後にディアパソンを作った大橋幡岩や,カワイをつくった河合小市なども シュレーゲルの指導を受けています。彼は日本楽器3代目社長の川上嘉市のもと、大活躍したようです。彼のもとで技術者たちは 今まであまりしていなかった、「よい音とは」「よいピアノとはなにか」という抽象的で感性的、音楽的な議論を続け、 そして整調技術をはじめとする製作技術を学んだのです。戦後、大橋幡岩は当時を振り返ってこう述べています。いわく 「彼を境に日本楽器の、否日本のピアノは生まれ変わった」。 日本楽器ではそれまではスタインウエイをモデルとしていたのですが、これ以降、戦後までベヒシュタインをモデルとすることになります。 私は戦前のヤマハのピアノは弾いたことも聴いたこともないんですが,どんな楽器だったんでしょうね。 日本とベヒシュタインでもう一つ。ベヒシュタインは出来上がったピアノを出荷するとき、最初の出荷先を記録に残しています。その中に 「His Imperial Majesty,The Mikado of Japan」という記載があるそうです(英語なのは不思議ですが(笑))。ミカドなんていう 言葉をつかっていることからかなり古いものでしょう。もしかしたら皇居で皇族の方々が今でも弾いているかもしれませんね。 ●ベヒシュタインピアノの特徴
側板 ピアノのボデイの曲線の部分を側板といいます。ベヒシュタインはここの部分には標高の高い山に生育している赤ブナ材をまげ それを17層に接着しています。 後でのべますが、響板には弾力性のあるものを使い、側板には硬い材質のものを使うことによって 響板振動のエネルギー損失率を下げているのです。 支柱 ピアノの裏にまわると太いはりのようなものを見ることができます。これは弦の張力を鉄骨とともに支えている「支柱」と 呼ばれる部分です。 支柱は張力を支えるだけではなく響板や鉄骨の振動も含めた低音や高音の響きの成分をピアノ全体に伝えるという 重要な役割もになっています。 ピン板 ピアノの鍵盤のすぐ前には弦をとめるチューニングピンとそれを支えるピン板が見えます。 ピン板はチューニングピンをしっかりと支えるために特に硬い材質である、「ブナ材」を28層にわたり 木目を交互にして接着されているます。また、外見的にもベヒシュタインはピン板が鉄骨でおおわれていなく むき出しになっています(2003年の設計変更でかわりました)。これはチューニングピンの長さを短くしてしっかりとピン板につけ、調律のもちを 良くしようとの工夫です。 響板 よくスタインウエイは鉄骨を、ベーゼンドルファーは箱を、そしてベヒシュタインは響板を 鳴らそうとしているといわれます。ベヒシュタインのクリアーなサウンドはこの辺に秘密があるのかもしれません。 ベヒシュタインの響板にはヨーロッパ南東部、特に厳しい気候の高い山に生育する「ハーゼルフィヒテ(とうひの一種)」 が使用されます。この木は板状に切断されたあと、10年にわたり寝かされます。こうしてゆっくりと響板として 最適な含水率を達成し、内部繊維組織を安定させるのです。そしてさらに響板の形に加工されたのち数ヶ月、通常の 室内と非常に近い湿度、温度の中で寝かされます。このことによって完成後のひずみやそりを避けているのです。 鉄骨 いうまでもなく現代の巨大な弦の張力を支えているのは主に鉄骨です。それだけに現代のピアノにとって鉄骨は 非常に重要なパーツになっています。ベヒシュタインの鉄骨は昔ながらの砂型でつくる、 ねずみ鋳鉄と呼ばれる材料で作られます。これは笛のような雑音を防ぐ効果があり、周波数特性に優れているといわれています。 そして、この鉄骨も自然の環境に長期間放置し、内部の歪みを十分に取り除く努力がされています。 ●ベヒシュタインを愛した音楽家たち ベヒシュタインを愛した音楽家の中では、まずなんといってもリストでしょう。彼はこんな言葉を残しています。 いわく 「この28年間ずっと貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインピアノはいつでも最高の楽器だった。」 また,ピアノ音楽に革新をもたらしたドビュッシーもベヒシュタインを愛する1人でした。 かれもこんな言葉を残しています。 「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ。」 これは私の勝手なイメージですが,ベヒシュタインのピアノは音を重ねていったときに,もちろん響きあうのですが, それぞれの音の芯はぼやけません。なので非常に鮮明な音作りができるのです。 ドビュッシーの音楽はフンワリと響かなくてはいけませんが,ぼやけてしまってはきれいではなくなってしまいます。 そんなところから彼はベヒシュタインを愛したのでないでしょうか。 ほかにも著名な音楽家がベヒシュタインの賛美する言葉を残しています。 アルトゥール・シュナーベル 「ベヒシュタインは指と耳を満たす」 フルトヴェングラー 「ベヒシュタインは間違いなく現在製作されている中で最高のピアノのひとつである。 とりわけ高貴で豊かな音色。甘いのに、崇高。」 ケンプ 「ベヒシュタインの時代に生きられて嬉しい。」 バックハウス 「私は、堂々たるベヒシュタイングランドの信奉者です。」 最近ではフジコ・ヘミングさんがベヒシュタインを愛用されていますよね。彼女のカンパネラの高音の涼やかな音を 聴くとやっぱりベヒシュタインはいいな〜なんて思ってしまいます。 http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~bech1928/PF.html |