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http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/0/603/200503_057a.pdf
イラクの現状は「石油の呪い」!?
−現代国際政治を動かすゾロアスター教の遺産−
「石油の呪い」と言っても、巷に溢れる怪しげな陰謀史観的「地政学」の話ではない。現在の中東を巡るブッシュ氏の「正義」とイスラム原理主義の「正義」との間の骨肉の争いは、思想史を辿ると、世界で初めて善悪二元論をその世界観とした古代ペルシャのゾロアスター教に行き着く。ゾロアスター教の善悪二元論は、カスピ海付近の地下の油田からもれた天然ガスの自然発火による「火」が育てた観念「善」と、その逆の「闇」のアナロジーから来る「悪」の対立によって世界が動くと言う哲学からきている。この善悪二元論は、後にユダヤ教に取り込まれ、さらに後世、キリスト教とイスラム教に引き継がれ、これらの宗教のエッセンスである正邪の観念となった。この知られざる、石油とブッシュ氏・イスラム原理主義双方の宗教的信念の歴史的関係について、日本経済新聞の中東および宗教専門家である河野氏に紹介していただいた。(編集者)
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日本経済新聞社文化部編集委員:宗教・演劇担当 元テヘラン、カイロ、ロンドン駐在記者 河野 孝
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世界の石油・天然ガスの宝庫である
中東は文明の十字路である。世界宗教
の誕生、発展とも無縁ではない。いま
世界を揺るがす欧米のキリスト教とイ
スラム原理主義の抗争は、元をたどれ
ばユダヤ教の一神教的世界概念から生
じた近親憎悪的な骨肉の争いとも言え
るが、ユダヤ教の善悪の観念はイラン
のゾロアスター教の二元論に由来する
との見方が強い。ゾロアスター教は、
拝火教と呼ばれるぐらい火を神聖視し
ている。古き時代のイラン人が、今は
油田地帯となっているカスピ海沿岸で
比較的浅い地層の油田から漏洩する天
然ガスに自然発火した火を崇めたこと
があったようだが、エネルギーと宗教、
この二つは中東地域が背負っている歴
史的な宿業と言えるかもしれない。
イスラム革命後、1980年の12月から
一年足らず、新聞社の特派員としてイ
ランのテヘランに駐在した。米国大使
館の人質事件が最終解決する大詰めの
時で、この後、保守派と左派の権力抗
争が高まり、イラン・イラク戦争も始
まって数ヶ月という厳しい状況であっ
た。イランの商業活動のセンターと
なっているのが、テヘラン南部のバ
ザール。「中洋の商人」という連載企
画のため、日本の商社と提携している
バザール商人の紹介で、バザールの一
角にあるユダヤ人の絨毯・骨董商を訪
ねたことがあった。1981年の春、ノウ
ルーズ(イラン正月、春分の日)が終
わって少したったころだったか。
だいぶ前のことで記憶も薄れ、相手
の名前も、店の場所も忘れてしまった
が、年寄りのユダヤ人商人が応対して
くれた。聞くと、現在のイスラエルか
ら来たのではなく、イランに昔から住
んでいる家族だという。新バビロニ
アのネブカドネザル2世がエルサレム
のユダ王国を滅ぼし、住民を捕虜とし
て連れていったのがバビロン捕囚(紀
元前587年)。この後、アケメネス朝ペ
ルシャのキュロス大王が紀元前539年、
バビロンを攻め落とし、翌年、捕囚ユ
ダヤ人の帰還を許可した。このバビロ
ン解放以来、故郷には帰らず、二千年
以上もどうもイランに住んでいるとい
うのだ。その時は、そんなことが本当
にありうるのかと正直驚いた。
しばらく話をしていて、警戒感が緩
んだのか、お金に困っていたのか、暗
い奥の方に行って持ってきた包みを開
けて見せられたのが、ペルシャン・ガ
ラスの器だった。正倉院の御物にある
国宝の白瑠璃碗と同形のものである。
松本清張が『ペルセポリスから飛鳥
へ』(日本出版放送協会)でペルシャ
文化の日本への伝播について書いてい
るが、まさに、そのつながりがその場
で証明されたような実感を抱いた。
イスラム政権になって、骨董品を外
に持ち出すことは禁止されていたので
買う気なども起こらず値段も聞かなか
ったが、外交官の中には外交特権で持
ち出している者もいるらしい、という
ことを言っていた。
この後、バザールのモスクに行っ
た。近づいてくる者がいて、昔のコイ
ンを買わないかという。見ると、拝火
壇が図案の硬貨で、ササン朝ペルシャ
時代のものだという。ゾロアスター教
を国教にしていた国で、拝火壇の模様
の銀貨を鋳造した。図案が面白かった
ので、記念に一枚買ったが、偽物作り
の巧みな国だけに、外国人目当ての金
稼ぎだったのだろう。とにかく、ゾロ
アスター教という珍しさに思わず惹か
れたのである。
中東での石油の存在は古くから知ら
れていた。紀元前3000年ごろ、メソポ
タミアでは、地面の割れ目から浸みだ
していた天然アスファルトが、建造物
の接着、ミイラの防腐、水路の防水な
どに使われていたというし、紀元前1
世紀ごろの記録では、止血のため石油
を傷口に塗ったり、発熱を抑える薬と
して用いられていたともいう。「アゼ
ルバイジャンは石油櫓が村の数より多
い」といわれる現代でも、バクー周辺
では地下の油田から吹き出す天然ガス
が燃えているところが見られる。
楼蘭の発掘など中央アジアの探検
家として有名なスウェーデンのスウェ
ン・ヘディン。「探検紀行」の中で、
バクーの見聞記では、近郊のスラハ
ニィ村の拝火教の古い神殿のことが書
かれている。「それは四つの入り口と
ドーム状の屋根をもつ小さな石造りの
建物である。かつてこの神殿では天然
ガスの『永遠の火』が、昼も夜も、赤
と黄の激しい炎をだして燃えあがって
いたというが、いまは消えたままであ
る」と記している。
ゾロアスター教の預言者ゾロアス
ター(原音でザラスシュトラ、ニーチェ
のツアラトゥストラはここに由来)の
生涯は謎に包まれている。プリニウス
の「博物誌」によれば哲学者プラトン
よりも六千年以前に生きたと伝えられ
るほか、紀元前1500年から紀元前1000
年に生存したとか、期間が定まらない。
一応ここでは、ユダヤ教の預言者の
同時代人と目される紀元前630年、東
イランで聖職者の家に生まれた説を採
る。両親もよくわからないが、父はア
ゼルバイジャン出身、母はテヘランか
ら南約7キロの町レイの出身という説
もある。生誕日に至っても不明だが、
生まれた時に「笑った」と後世に伝わっ
ている。仏陀の誕生よりも百五十年以
上も前のことである。
少し長くなるが、ゾロアスター教の
ことについて触れておかなければなら
ない。岡田明憲著『ゾロアスターの神
秘思想』(講談社現代新書)、P・R・ハー
ツ著『ゾロアスター教』(青土社)な
どを参考にまとめさせてもらうと、ゾ
ロアスター教では、各人はフラワシと
呼ばれる精霊を有し、フラワシは各々
が個性をもった存在で、人間がこの世
に生まれる以前にすでに天界において
存在した。一般人が目にすることがで
きるこの世界(ゲーティーグ)のほか
に、通常な感覚ではとらえられない霊
的世界(メーノーグ)があり、現実の
世界は、このメーノーグ界の写し絵に
すぎない。メーノーグの状態は、通常
人には閉ざされているが、天界にある
神や天使たちには明らかである。
古代イランでは、大地を支配する者
には、神から光輪(クワルナ)が賦与
されると信じられていた。ゾロアス
ターが誕生するに際して、母の胎中に
宿った光輪が、ゾロアスターの精霊で
あるフラワシ、身体を形成する実質と
合体する必要があり、悪魔の度重なる
妨害にもかかわらず、ゾロアスターは
生まれてきたのだった。
ゾロアスター七歳の時に、ダエーワ
崇拝を強要する呪師を真言(マンスラ)
で殺してしまう。ダエーワは、仏教で
「天」と訳されるインドの神デーヴァ
で、同じアーリア系の神として古代イ
ランでも信仰は盛んだった。ゾロアス
ターは古代インド・イラン民族におけ
る神々のもう一つの系統、アフラ(ア
スラ)を信仰の対象とした。アフラは
仏教の阿修羅の例から言っても、好戦
的で恐ろしい性格の神と見られるが、
本来は形而上的な性格の神で、現世
利益的なダエーワに対し、倫理的要素
を多分に有する神だという。ゾロアス
ターはこのアフラの至上者としてアフ
ラ・マズダー神を信仰したのである。
ゾロアスター三十歳の時、アフラ・
マズダーの使者、大天使がやってきて、
何を求め、何のために努力するか、と
質問する。これに対し、ゾロアスター
は「正義を求め、正義のために努力す
るのである」と答える。これによって、
ゾロアスターはアフラ・マズダーの元
に連れてゆかれる。ゾロアスターは神
に質問する。この世において完全なる
ものは何かと。神の答えは、第一に善
思、第二に善語、第三に善行であった。
この後、神は宇宙の開闢(かいびゃく)
時における善・悪二霊の存在をゾロア
スターに見せ、火と熔鉱と刀による試
練を受けさせたが、ゾロアスターは無
事に通過した。この対話から戻った後、
最高神の命令により、布教に乗り出す
のである。以後、十年間、ゾロアスター
は七回、神から啓示を受けた。
聖典の「アヴェスタ」には、ゾロ
アスターの言葉を韻文で記した「ガー
サー」と呼ばれる部分が含まれている。
そこで説かれているのは、善はすべて
アフラ・マズダーによって創造された。
アフラ・マズダーの双子の息子のうち、
「聖なる魂」「創造の力」とされる「ス
プンタ・マンユ」は善を選択し、後に「善
心」「正義」「アフラ・マズダーの王国」
「敬虔な信仰」「完全さ」「不死」の6神
格にわかれてアフラ・マズダーを助け
る。これに対し、双子のもう一方の「ア
ンラ・マンユ」は悪を選択し、「悪の
魂(アーリマンあるいはアフレマン)」
となってアフラ・マズダーと敵対する
ようになる。
人間が善・悪のどちらを選択するか
は個々人にまかされていた。死後、魂
は「審判者の橋」で審判を受け、善に
従う者は天国へ行き、悪に従う者は地
獄におちた。そして、最終的には悪は
すべて灼熱の中で消滅していくとされ
たのである。
「アヴェスタ」には南ロシアからイ
ラン高原へ移動してきたアーリア系の
遊牧の民であるイラン人の口承の歴史
と伝説が反映されている。ゾロアス
ター教のシンボルは火で、火を中心と
した祭儀が執り行われるが、「火、土、
風、水」の四つを聖なるものとしてい
るのも遊牧民的思考に根ざしている。
ゾロアスター教では四つの聖なるもの
を汚してはいけないと、当時は人が亡
くなっても、土葬も火葬もしなかっ
た。遺体が聖なるものに触れないよ
うに丘の上に四方壁を作り、その壁の
中に遺体を安置して鳥に食べさせる鳥
葬を行っていた。この建物を「沈黙の
塔」と言い、イラン国内にも遺跡とし
て数ヵ所残っている。
ゾロアスター教がイランに広まった
のは、イラン北東部のカウィ・ウィー
シュタースパ王が改宗したことに始ま
る。それから他の地域に流布していっ
たようだ。ペルシャの代表的詩人フェ
ルドゥシィの「シャー・ナーメ(王書)」
には、イラン北東部ホラサーン地方の
ケシュマルにあった糸杉の話が登場す
る。ゾロアスターが、ウィーシュター
スパ王の改宗を記念して、拝火殿の戸
口に植えたものだという。ユダヤ人を
バビロン捕囚から解放したアケメネス
王朝のキュロス大王もゾロアスター教
の信者と見られるが、証拠はない。た
だ、征服した住民に改宗を求めなかっ
たのは、ゾロアスター教的な考え方だ
とする指摘はある。
ゾロアスター教と関係付けができる
最初のペルシャの王は、ダリウス1世
(在位=紀元前521−紀元前485)であ
る。夏の宮殿であるペルセポリスの宮
殿などには、アフラ・マズダーのシン
ボルである有翼のフラワシのレリーフ
(浮き彫り)がある。ペルセポリス郊
外のナクシェ・ロスタムの岩壁には、
ダリウスを王にしたアフラ・マズダー
に対する称賛が刻まれた碑文もある。
息子のクセルクセス1世もアフラ・マ
ズダーを崇拝するが、その後、多神教
的な影響も入って内容的にもいくらか
変わっていく。
アケメネス朝ペルシャを滅ぼしたア
レキサンダー大王の国が分裂した後、
シリアのギリシャ系のセレウコス朝
(紀元前312−紀元前64)とパルティア
のアルサケス朝(紀元前250−226)で
は、ゾロアスター教とともに外国の
神々も崇拝された。ササン朝ペルシャ
(226−651)になって、ゾロアスター
教が国教となった。ササン朝時代の神
学では、「アーリマン」は「スプンタ・
マンユ」ではなく、アフラ・マズダー
と直接敵対するものと考えられた。ま
た、神学者の中には、アフラ・マズダー
とアーリマンを統括する神として「ズ
ルワーン(無限の時間)」を登場させ、
それぞれは双子の息子であると主張す
る説も出た。
7世紀にアラブ人がペルシャを征服
し、多くのペルシャ人がイスラムに改
宗した。イスラム革命前のパーレビ王
朝時代には、ヤズドを中心にゾロアス
ター教徒が残っていたが、ホメイニ師
のイスラム革命で多くは国外に出て、
以前からパールシーと呼ばれるコミュ
ニティーを形成していたインドのムン
バイなどに集まっている(ちなみに、
指揮者のズービン・メータはムンバイ
生まれのパールシーである)。ゾロア
スター教では、近親婚が勧められてい
る一方、他の宗教からの改宗も他宗教
への改宗も認めていないので、宗教的
に拡大する余地がほとんど見られない
のが実情だ。
さて、ゾロアスター教について長々
と解説したが、ユダヤ教との接点、影
響を探ってみる。バビロン捕囚時代に、
ユダヤ人は「バビロンの流れのほとり
に座り、シオンを思って、わたしたち
は泣いた……エルサレムよ、もしも、
わたしがあなたを忘れるなら、わたし
の右手はなえるがよい」と「詩編」で
故郷への郷愁を強くうたった。これが
近代にテオドール・ヘルツルによって
シオニズム運動としてよみがえるわけ
だが、バビロンのユダヤ人も、いざ解
放されてみると、バビロンに残留した
者も多く、さらにエジプトに移る者も
いて、すべてがエルサレムに帰還した
のではなかった。
このバビロンの遺跡に二度行ったこ
とがある。初めて行ったのは1980年6
月、イラクで国会議員選挙が行われた
時だ。前年7月に大統領に就任し権力
を掌握したサダム・フセインは、欧米
に対しイラクの民主化が進んでいるこ
とをアピールするのが狙いであった。
バビロンではちょうど、街中の日乾し
レンガでできた城壁を掘り返して修
復している最中だった。次に行ったの
は、80年代後半で、この時は瓦礫や泥
はすっかりきれいになっていて、主要
道路からの入り口には、青く彩色した
イシュタル門ができあがっていた。
しかし、バビロンの実際の発掘調査
はイラクに植民地的野望を伸ばしてい
たドイツが20世紀初めに手をつけてい
た。バビロンの繁栄を象徴するイシュ
タル門の遺構は、一枚一枚レンガに番
号を付けてはがされ、ベルリンに持ち
帰って復元された。その門を、ベルリ
ンの壁が崩壊する1989年の3月に、東
ベルリンのペルガモン博物館で見た
が、現地に作られた模造品に比べると、
さすがに重厚で見事であった。また、
バビロンはアレキサンダー大王が亡く
なった場所というが、現地に行っても
周りが乾ききっていて、あまりイマジ
ネーションが働かなかったのを覚えて
いる。
ヘブライ語の文学は古代オリエン
ト、ことにメソポタミアの影響を受け
ている。族長のアブラハムはメソポタ
ミア南部のウルの出身である。旧約聖
書の「創世記」中の洪水神話などへの
ギルガメシュ神話の影響は古くから指
摘されている。「ヘブライ語聖書の大
部分が書かれたのはバビロン捕囚をは
さんだ時期であり、ヘブライ語聖書は
メソポタミア文化の強烈な影響下で成
立したと言っても過言ではない」(植
村卍編著『ユダヤ教思想における悪』・
晃洋書房)という。信仰の拠りどころ
としてのエルサレムの神殿が破壊さ
れ、律法中心の教団としての宗教が始
まるのも、バビロン捕囚を経てからの
ことであると言われる。
これに関連して20世紀の神学者マ
ルティン・ブーバーは『善悪の諸像』
で、旧約聖書における神話と古代イラ
ンの神話を対比している。善悪を先天
的に有している人間の善悪、その選択
と決断の起源はアフラ・マズダーにあ
り、「天の神のように人間も、自己の
うちに神と同じようにその両方をもっ
ている善悪の間の選択を自己のうちで
なす」とブーバーは述べている。
荒井章三著『ユダヤ教の誕生』(講
談社選書メチエ)によると、エゼキエ
ルに遅れてバビロンで活躍した預言者
に「第二イザヤ」がいる。「イザヤ書」
の45章の中に、「主が油を注がれた人
キュロスについて、主はこう言われる。
わたしは彼の右の手を固く取り、国々
を彼に従わせ、王たちの武装を解かせ
る。扉は彼の前に開かれ、どの城門も
閉ざされることはない」「わたしは主、
あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神
である、と。……わたしが主、ほかに
はいない。光を造り、闇を創造し、平
和をもたらし、災いを創造する者」と
書かれている。
つまり、ペルシャの王キュロスにイ
スラエルの王に授けられる祭儀的な称
号「メシア=油を注がれた人」をかぶ
せ、バビロンからユダヤ人を解放した
のは、ヤハウェだと言うのである。「わ
たしをおいて神はない」と唯一神的性
格を強調、「光と闇」という二元論的
表現が出てきている。しかし、キュロ
スの寛容な宗教政策はあくまでペルシャ
の政治政策の一環に過ぎないのも現実
だった。
第二イザヤはこの後、ヤハウェの使
命を果たす者としての「苦難の僕」に
ついて預言する。「彼(わたしの僕)
は軽蔑され、人々に見捨てられ、多く
の痛みを負い、病を知っている。……
彼が刺し貫かれたのは、わたしたち
の背きのためであり、彼が打ち砕かれ
たのは、わたしたちの咎のためであっ
た。……主の望まれることは、彼の手
によって成し遂げられる……」。まさ
に、イエス・キリストの姿が目に浮か
んでくる。後に、キリスト教が、イエ
スの十字架という苦難を通して人類の
罪の贖いを説いた時に、この第二イザ
ヤの「苦難の僕」をキリストの予表と
して取りいれることになる。
新約聖書のヨハネの「黙示録」にも
ゾロアスター教の影響が見られる。森
秀樹著『「黙示録」を読みとく』(講談
社現代新書)によると、個人の死も終
末であるが、世界が終わってしまうと
いう終末観はイランのゾロアスター教
に始まり、ユダヤ教、キリスト教、イ
スラムに広がった観念だという。「黙
示録」の終末論にとって「千年王国」
は重要なキーワードだが、千年ごとの
時代区分はペルシャに始まり、紀元前
6世紀以降、パレスチナにもたらされ、
千年王国の原形ができたと言われる。
ヨハネの「黙示録」では、最初の
終末にはメシア(キリスト)が再臨し
て「千年王国」が実現するが、再臨か
ら千年後、閉じ込められていたサタン
が復活、反キリスト勢力との宿命的な
最終戦争(ハルマゲドン)に勝利した
後、最後の審判を経て究極的な新しい
天地、イスラエルである教会が出現す
るのである。善と悪の軍隊が戦う図式
はまさにゾロアスターの二元論的観念
であり、グノーシズムにおいても継承
されていった考えである。
「黙示録」は全405節のうち、278節
が旧約聖書の引用で、中でも黙示文学
に分類される預言書「ダニエル書」「エ
ゼキエル書」を参考にしたケースが多
い。黙示文学の特徴としては、ユダヤ
人の民族的危機の時代に書かれる傾向
が強いと言える。
「ユダヤ教におけるメシアと終末論
の結びつきは、ゾロアスター教の救世
主であるサオシュヤントの存在を抜き
にしては考えられない」と岡田明憲氏
は前述の著書で強調する。ヨハネの
「黙示録」のハルマゲドンは、ゾロア
スター教の終末論を説く「アヴェスタ」
の「ザームヤズド・ヤシュト」などの
記事と似ており、神の審判に関係する
「ダニエル書」の火の川の記事や、「黙
示録」の最後の審判の日、天から火が
下がり、悪魔は火と硫黄の池に投げ込
まれるとする部分は、ゾロアスター教
に説く熔鉱の審判に対応するという。
また、ゾロアスター教では、ゾロア
スターの誕生から三千年の後、世界の
終末が来るとし、千年ごとにゾロアス
ターの子孫が出現し、それぞれが世を
利益する救世者、すなわちサオシュヤ
ントになると説かれる。単に王を指す
ものであったメシアの意味が、終末論
的解釈によって救世主に変化していく
時期は、バビロン捕囚以後のことだと
いい、ゾロアスターの影響が感じられ
る。サオシュヤントの手にする槍は、
竜退治の槍であり、竜は悪魔の化身で
ある。天使もゾロアスター教の有翼人
像に由来している可能性も大きい。
エルサレムからヨルダン渓谷のエ
リコに向かって急な坂道を下っていく
と、海抜下の死海がかすんだ靄(もや)
の中に見えてくる。確か坂を下りきる
手前で右手に曲がっていくと、「死海
文書」で有名になったクムランの遺跡
がある。発見が1947年、傾斜する丘陵
になっていて、こんなところに人が洞
窟に住んで集団生活していたとは、外
から眺めただけでは気がつきにくい場
所にある。見つかった「死海文書」は、
羊皮やパピルスにヘブライ語、アラム
語などで書かれた巻物や断片で、筆写
の年代は紀元前3世紀からイエスの生
きた時代までのものが入っている。
ユダヤ教の一分派と見られる禁欲主
義のエッセネ派の信徒が、クムランに
共同体を形成して、独自の生活をして
いた。彼らが遺した文書の中には、「戦
いの書」と呼ばれ、「黙示録」を連想
させるような典型的な終末文書が出て
くるなど、原始キリスト教と関係づけ
られる古文書が重要視されているが、
もう一つ注目されるのはエッセネ派の
信徒に向けられた「光の子らと闇の子
らの戦い」の規則で、不信心者と対決
する戦闘的な修道士の在り方を示して
いる。ゾロアスター教の影響が考えら
れるが、直接、影響されたのではなく、
ゾロアスター教の流れの中で生じたミ
トラス教(ミスラ、ミトラとも言う)
の「光と闇の戦い」という体系に影響
された可能性もある。光と闇の対立、
善と悪の戦いという二元論的思考様式
は、グノーシズムなどに吸収され、宗
教的異端とされながら、ルネサンス、
宗教改革などを経て、神秘思想の系譜
として現代にまでつながっている。
一方で、ゾロアスター教は東進し、
紀元前後にインドに勃興した大乗仏教
と遭遇した。具体的には、アミダ仏、
観音菩薩、弥勒菩薩などに対する信仰、
密教の護摩焚きなどへの影響が問題と
なるが、大乗仏教の成立地がクシャー
ナ朝支配下の西北インドであり、イラ
ン文化の影響は自然の成り行きのよう
に思える。
アミダ仏は、アミターバ(無量光)、
アミターユス(無量寿)の両義がある。
無量光はゾロアスターの光明神、無量
寿は無限時間を指すズルワーンに対
応、アミダ仏の世界である「浄土」の
概念も、ゾロアスター教のフラショー・
クルティ(終末の建て直しにおける世
界の浄化)との相似が見られる。また、
大乗の菩薩の中で、救世主的性格を持
つ弥勒菩薩はゾロアスター教のミスラ
神に関係し、観音菩薩はゾロアスター
教のアナーヒター女神との共通性があ
ると言われる。
察するに、バラモン教、ヒンドゥー
教などインド起源のものと、ゾロアス
ター教などイラン起源のものが、北イ
ンドや中央アジアで歴史的に混合・融
合した形の仏教が中国に伝わって、さ
らには留学僧などを通じ日本に伝来し
たのではないだろうか。
ゾロアスター教自体が中国に伝わっ
たのは北魏の頃で、天神、火神、胡天
神の名で呼ばれた。「魏書」の「霊太
后伝」では神亀2年(519年)、北魏の
宣武帝の皇后が嵩山のもろもろの淫祀
を廃止した際、「胡天神はその列にあ
らず」とゾロアスター教を擁護したこ
とを記録している。隋唐の時代に入っ
て隆盛を見る。隋末以降は祆教(けん
きょう)と呼ばれ、信徒のほとんどは
中国在住のペルシャ人だった。長安、
洛陽などの主要な都市に祆祠(祆教の
お寺)が設けられた。祆教徒を取り締
まる役所は薩宝府と呼ばれ、そこの長
官を薩宝と言った。ソグド語で隊商長
を意味するサルトパウの音訳と言われ
る。サマルカンド出身のソグド人がゾ
ロアスター教の東方伝播の仲介者だっ
たのだ。
キリスト教の異端とされたネスト
リウス派もササン朝ペルシャ、シルク
ロード経由で唐の太宗皇帝の頃(貞観
9年=635年)に伝来した。内容的には
イラン的変容を被っていて、当初は波
斯(はし)経教などと呼ばれ、その寺
院は波斯寺と言われた。玄宗皇帝の時
(745年)には、大秦寺と呼ぶようにな
り、景教として中国人信者を集めるに
至る。
弘法大師、空海が長安の都を訪れた
のは唐の貞元20年(804年)のことだ
から、空海は祆教や景教にも直接、接
することができたのだ。空海の思想
の国際性はこうした環境とも無縁でな
い。しかし、9世紀の中頃、中国では
道教擁護が打ち出され、会昌の排仏と
呼ばれる宗教弾圧が起きる。仏教やゾ
ロアスター教など外来の宗教に対する
拒否反応で、ゾロアスター教も中国社
会から消えていく。
「日本書紀」によると、孝徳天皇10
年(654年)、都貨邏(とから)の男女
何人かが日向に漂着した記述がある。
都貨邏は西域のトカラ(現在のアフガ
ニスタン)と見られ、飛鳥・白鳳時代
にイラン系の人々が日本に渡来し、作
家の松本清張が小説などで論を展開し
たように、ゾロアスター教徒が何らか
の形で、日本の古代文化の形成に関係
した可能性は否定できない。
こうした中で、最近読んで想像力を
刺激されたのが、渡辺豊和著『扶桑国
王 蘇我一族の真実』(新人物往来社)
だ。副題が「飛鳥ゾロアスター教伝来
秘史」となっている。
中でもユニークなのは、蘇我氏が、
4世紀ごろに中央アジアのバイカル湖
周辺に居住していたゾロアスター教を
信奉するトルコ系の民族(高車)の出
身で、南回りでなく北ユーラシア回り
で北部日本に入って国を造り、その後、
近畿まで南下し飛鳥で王権を握ったと
いう説を説を展開していることだ。
古墳時代、中国は南北朝対立の時期で、
南朝に梁という国があって、その国の
正史「梁書」に、日本には倭国、文身国、
大漢国、扶桑国の四つの国があると書
かれている。渡辺氏は倭国を阿蘇、文
身国を出雲、大漢国を河内、扶桑国を
北海道渡島半島と割り出している。扶
桑国は、北海道渡島に拠点を置いた蘇
我氏の政権で、北海道、東北の蝦夷と
連合していたと推定している。
さらに、東北大学の高橋富雄教授の
見方を援用して、江上波夫の騎馬民族
王朝説への疑問にも答えている。もし、
騎馬民族が九州に上陸し、中国地方を
通って畿内に入ったのであれば、西国
一帯に馬を飼育した痕跡が多数散在し
ていてもよさそうなのにそれがなく、
馬を飼育したのは北東北地方であっ
た。つまり、騎馬民族は北東北に上陸
し、そこから関東、中部地方を通り畿
内に入ったのではないかということで
ある。また、現在の岩手県北部から青
森県全域にかけて「日本(ひのもと)」
と言っていたというのである。聖徳太
子が造営した斑鳩宮は、アケメネス王
朝のペルセポリスと同じ計画法によっ
て造営されていたとする説は、さすが
建築家で、京都造形芸術大学で教えて
いる渡辺氏ならではと感服させられる
が、詳しくは同書を読んでいただくと
いいだろう。
「日本書紀」には、天智7年(686年)、
越の国から「燃ゆる土」と「燃ゆる水」
が近江大津宮に献上された記録が残っ
ている。また、秋田県豊川の槻木遺跡
から出土した縄文土器にアスファルト
が付着しており、縄文人がアスファル
トを土器のひび割れ修理に利用してい
た形跡が見つかっている。これは全く
の想像だが、渡辺氏の説に立てば、秋
田や越後はゾロアスター教徒である蘇
我氏の勢力が南下していった通路に当
たり、蘇我氏がイラン伝来の石油の知
識を持っていたからこそ、発見できた
ことかもしれない。
いずれにしても、ここまで話を広げ
ると収拾がつかなくなってくる。要は、
ゾロアスター教というあまり知られて
いないイラン起源の宗教が、世界史の
上で大きな役割を果たしているという
ことを理解してもらえばいいと思うの
である。ゾロアスター教と周辺文明と
のかかわりについては、まだまだ明る
みに出ていない事跡が隠れていそうな
感じで、ゾロアスター教を解明してい
くに従い、歴史の闇が照らし出される
と期待してもいいだろう。
イランのイスラム革命後、ホメイニ
政権はアメリカを「シャイターン・ボ
ゾルゲ(大悪魔)」と呼び、反米デモ
隊は「マルグ・バル・アメリカ(アメ
リカに死を)」と叫んだ。これに対し
アメリカは、イランなどを「悪の枢軸」
と名指しした。現在は、ブッシュ大統
領がイスラム原理主義のテロリストに
「十字軍」を唱えれば、イスラム原理
主義側はアメリカに対して「ジハード
(聖戦)」で応酬する。どちらも正義を
大上段に構えて譲らない。どちらが正
しいかは結局、力が決めることになる
のかどうか。とにかく、戦いが激化し、
死傷者の数が増えていく状況は、どち
らが勝ったとしても、悪魔のみが喜ぶ
ところである。
ゾロアスター教徒は火を清浄なもの
として、火の祭壇を設け、崇めるよう
になった。近代的な生活を謳歌する欧
米の現代人は、祭壇こそ設けないが、
心のどこかで「石油」を神のように崇
めてはいないだろうか。正義、自由を
掲げる米国にしても、中東の産油国が
石油を混乱なく供給する意思があるの
かどうかが、正邪の分かれ目になる。
思えば、石油・天然ガスの自然発火
と関係が深いゾロアスター教の二元論
が、巡り巡って、現在の世界最大の油
田地帯である中東のイスラム教徒と、
世界最大の石油消費国でキリスト教国
である米国との「正邪」を争う"文明
の衝突"を引き起こしている。2500年
前の不思議な歴史的因縁と言うのか、
単なる石油が生み出す膨大な現世利
益を巡る対立というだけでなく、"石
油の呪い"があると言ってしまっては、
いささかオカルトに走り過ぎであろう
か?
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