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小沢昭一著 私のための芸能野史 / 私は河原乞食・考 (家族について本を読む 匠研究室)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/652.html
投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 5 月 26 日 14:03:00: ulZUCBWYQe7Lk
 

著者:小沢昭一(おざわ しょういち) 略歴−1929年(昭和4年)東京生まれ。早稲田大学卒業。俳優座養成所をへて、昭和26年俳優座公演で初舞台。以後、新劇・映画・テレビ・ラジオと幅広く活躍。一方、民俗芸能の研究にも力をそそぎ、レコード「日本の放浪芸」シリーズの製作により芸術選奨を受貰。著作活動も、著書「ものがたり・芸能と社会」(新潮学芸賞)のほか、「ぼくの浅草案内」「句あれば楽あり」「小沢昭一百景随筆随談選集」(全6巻)「放浪芸雑録」など多数。平成6年度、紫綬褒章受章。平成12年「紀伊国屋演劇賞個人賞」「読売演劇大賞優秀男優賞」を受賞。平成13年度、勲四等旭日小綬賞受賞。


http://www.rin-5.net/251-500/352-watashi_geinou.htm

 万歳、足芸、女相撲、浪花節、説教・絵解、トクダシ、大道芸人とならべて、ずいぶんと遠くまで来てしまったと思う。
本書は、本サイトに取り上げるつもりはなかった。
しかし、再読しているうちに、本書が辿ってくれた軌跡は、近代そのものではないかとおもった。
フェミニズムへの通底を感じたので取り上げることにした。

 職人と並んで日銭稼ぎだった芸人たち。
今はテレビのおかげで、芸人も有名人と化したが、芸人は堅気の世界に生きてはいなかった。
私がかけだしの職人だった頃、すでに半纏姿で電車に乗る職人は少なかった。
ほとんどの職人は、電車に乗ることは晴れがましいことだと思ってか、電車に乗るときは洋服に着替えていた。
おそらく芸人たちも、職業服では電車に乗らなかっただろう。

 芸人も職人と同様に、世間では低く見られていた人種である。
巷間では名人芸とか職人芸と言われたり、国や役所から間違って表彰されたりする。
しかし、芸人の芸人たる所以は、職人と同様に無頼なのだろう。

***
いま、わがブンカのホコリたる歌舞伎でも、その発生期の阿国歌舞伎といわれるものは、売春兼業の、わいざつハレンチなミセモノをやっていたにすぎない。度重なるオカミの取締りをかいくぐって、今日のハエアル歌舞伎が出来上ったが、ハエアル歌舞伎には、ハエナイ頃に観衆が狂喜した面白さが既にないようだ。
 だから芸能は、キビシイオカミの詮議取締りの、或は裏をかき、或は目をかいくぐりして、したたかに生きている時が、活力溢れる躍動期なのだ。
 江戸のむかし、遊女歌舞伎が禁止されると、女がだめなら男があるさで、若衆歌舞伎が生れた。若衆も風紀を乱していかんということになると、今度は前髪おとせば若衆じゃござんせんで、
野郎頭の野郎歌舞伎に変幻する。しかもサマにならない恰好の頭を、しゃれた紫帽子で隠して。この帽子がまたイカスッてんで、客はまたまたつめかけたとか。P174
***

本書が取り上げている万歳、足芸、女相撲、浪花節、説教・絵解など、今ではとんと目にしない。
三河万歳は、まだ幼稚園だったころに、数回ばかり目にしただけである。
本書は1973年に上梓されている。
すでに30年以上も前のことだ。
芸人たちが淘汰されていくのは、当たり前のことだ。
しかも、消えゆく芸人たちは、何の声も上げない。

 職人だって同様である。
近代化の進展と共に、新たな職業が誕生したが、既存の職業もたくさん消滅していった。
下駄屋、桶屋、竹屋、上げればきりがない。
芸人や職人の消滅は、三洋証券や新潟鉄鋼の倒産とか、ダイエイが危ないとか、そんな話題になることはない。
誰も気が付かないうちに、黙って消滅していく。
芸人も職人も、身体に染みこませたものが売りだから、時代に合わせて変身できない。

本書を読んで感じたのは、芸人も職人も国からは、何の援助も受けないことだ。
近代の学校教育から落ちこぼれた者が、芸人になり職人になった。
近代国家は企業が支えたので、企業内の人間は国家に保護された。
しかし、企業からはみ出した者は、最初から保護など当てに出来なかった。
だから芸人や職人の生活は厳しかった。

 本サイトが女性の解放を願いながら、我が国のフェミニズムに違和感を持つのは、国家権力や企業に保護を求めているように感じるからだ。
本来人間の解放とは、国家や企業とは異次元で、むしろ国家や企業を突き破ろうとするはずである。
しかし、我が国のフェミニズムは、自立の拠点を国家や企業にもとめ、人間としての屹立を求めないように感じる。

 綿貫次郎という大道芸人が、次のように語っている。

***
とにかくみんな金なんかなしでも暮せるの。ゼニないでしょう、朝、釜でオマンマたいて仕事に出掛ける時、質屋へ釜をもってくんだ。残ってるオマンマごと。それで仕事終っていくらかもらって、こいつをもらいうけるってわけ。P229
***

現代社会は、上記のような貧乏を克服した。
だから近代を悪くは言いたくない。
しかし、国家や企業は人間を使い捨てる。
国家は人間を抑圧する。
国家は都合のいいときだけ、人間を利用する。
そう考えるので、当サイトは国家や企業の保護とは、まったく別の地平で論を立てている。
本書に登場する人たちも、また国家権力や企業とは無縁の人たちである。

 芸人や職人は、むしろ権力からは疎外されていると言っていい。
弾圧されたといっても過言ではない。
しかし、国家や企業から声がかかると、芸人や職人たちは生きるために、イソイソと出かけていく。
彼らには反権力といった意識はない。
勲章をやると言えば、喜んでもらうのが芸人や職人である。
クロウトをめざした筆者も、いくつもの勲章をもらっている。

同時代で体験できたストリップも、何度も警察の摘発を受けた。
混浴や夜這いが、野蛮なものと否定され消滅した。
同様に、いかがわしいものは近代化の過程で抹殺される。
もちろん近代が実現したことは肯定するが、近代とはいかがわしさの排除だったのだろうとも思う。
そして、いかがわしさも人間の一部であり、いがかわしさの排除は、人間の一部分を否定することでもある。


 近代の成熟が、女性の解放を促したのは事実である。
情報社会が進展する今後、ますます清潔で無菌的になっていくだろう。
自然からは遠ざかっていく。
腕力の無価値化によって、女性は自立の契機を得た。
腕力の無価値化とは、自然から離れることだ。
だから、自然から遠ざかるほど、女性の自立は確立される。
ポルノを否定する女性の嗜好は、国家や企業の清潔指向と似ている。

 しかし、妊娠・出産を内包する女性の身体は、男性以上に自然志向である。
生理といい出産といい、女性の身体は、男性の身体以上に自然の摂理に従う。
とすると、今後女性の台頭は、非自然化する社会に支えられ、女性の肉体は自然に従うという、二律背反に生きることになるのだろうか。
とすると、女性存在自体が引き裂かれることになりはしないか。

 本書は芸人を描いており、フェミニズムにはまったく触れていない。
しかし、芸人を通して近代を描くことによって、人間存在自体に迫っている。
国家からはみ出した被差別の芸人たちは、差別されてきた女性の立場とどこか通じる。
近代の成熟という自然の否定がもたらす軋みを、本書は行間から立ち上らせている。
新装版の本書を買ってしまって、すでに自分の本棚にあったことを知った。
かつて一読した本書だが、再読しても充分におもしろく感じた。
(2005.04.13)

http://www.rin-5.net/251-500/467-kawarakojiki.htm

 小沢昭一という特異な役者の息吹を伝えたいのであろうか。
岩波書店から刊行された本書は、1969年に出版された本の焼き直しである。
本書のなかで、筆者は自らを蔑まされた河原乞食だといって、親が河原乞食なるのに反対したといっている。
そんな筆者にかかる本書が、岩波書店から出版されるのも、なんだか不思議な感じである。

 役者が河原乞食からはなれて、人間国宝になったり、文化人としてもてはやされたりしている。
そうした風潮に抗して、筆者の立ち位置は、あくまで見世物として晒される河原乞食である。
しかし、本書は40歳のときに書かれたもので、その後、筆者も河原乞食から文化人のほうへと、立ち位置をかえてきたのは周知であろう。

 筆者の変節を責めるつもりは毛頭ない。
そうではなくて、時代の変化が河原乞食を、そのままの位置に置かせなくなったことを考えたいのだ。
むかしは役者といえば、見世物人であり、庶民以下の蔑まれた賤民だった。
弁護士も三百代言と呼ばれていたし、そうした空気は、戦後になっても残っていた。

 むかしの見世物は、見る者が見せてる者を哀れんだというが、現代ではお客が哀れみの目で見られているという筆者である。
近代社会は多くのモノを変えたが、表現する人間を文化人に変えたのである。
シェークピアだって、写楽だって、偉い文化人などではなく、見世物書きだったのだ。

***
もともと、芸能が、芸能の「出身地」をはなれて、支配者の側についた時には、その芸能はみじめであった。これまた日本の芸能史が証明ずみだ。宮中に入った雅楽。武家式楽となった能。「演劇改良」とやらで洗われて、明治大帝の天覧に供した歌舞伎。大政翼賛会推薦の愛国浪曲。体制がわにくみいれられた時、その芸能は輝きを失って滅びる方向へまっしぐら。そしてその反対のがわにいる限り、芸能は、涙と怒りをはらにこめ、猥雑、放埒などハレンチな毒をもドツプリと包んで、みずみずしく、溌剌として民衆を楽しませるのである。
 そこで、さあ、問題はむしろこれからだ。そういう民衆のがわの芸能を創り出すのに、いま、われわれ芸能者は、具体的に、どうすればいいのだろう。P137
***

 本書は今から40年前に書かれたのだ。
その後の40年の変化を、どう評価すればいいのだろうか。
筆者のことではない。
時代の変化は、どうだったのだろうか。
時代の変化を肯定的に考えるボクでも、筆者の指摘には返す言葉がない。

 我が国は、世界でも有数の長寿国である。
高度経済成長以降、極度の貧乏がなくなり、誰でもが天寿をまっとうできるようになった。
そのかげで、芸能が出身地をはなれ、職人は仕事を奪われていった。
本書に登場する門付け芸人たちが、テレビへと変じたのではない。

 門付けをしようとしても、マンションでは扉を開いてはくれまい。
漂泊の芸人は、すっかり死に絶えてしまった。
彼(女)等の亡骸のうえに、別の芸能文化人が誕生したのだ。
野球帽に玩具の太鼓をもった漂泊芸人に、筆者は共感している。

***
もともと、この国には、漂泊芸人に対して、コジキ同然と蔑視する一方、他郷より渡り来る神の使いと畏敬する風習があるのだとよくいわれる。そういうことが、いまも生きているのであろうか。P223
***

筆者は女性には目がなく、赤線にもかよったし、トルコ風呂の愛好者だった。
芸人たちがほとんど売春婦と変わらない位置にあったのだから、筆者には売春婦を差別する意識などまったくない。
むしろ、赤線のなかに身を沈められない自己を、不思議な生き物のように見ている。

***
実はこの時、私は、彼が羨しくて仕方がなかった。おそらく馴染の女のいる店なのであろう。そこで彼女たちと、そして「おかあさん」とも、すっかり仲良くなって、「客」というよりもう「仲間」になっている彼の姿が、ハッキリ感じられて、、私は、彼と自分との距離を感じた。女郎屋遊びといっても、たかだか「お客」 で、物珍しくそれを観察する「エトランゼ」 であり傍観者に過ぎない自分と、ドツブリ彼女たちの中に入って「暮らしている」風の彼との間に、はっきりと、気質の違いとでもいったようなものを感じとった。そういう自分にちょっと淋しかったが、人間にはこの二通りの型があるものなのだな、と考えたりもした。P397
***

 友人の落語家が、赤線のなかに生きている。
それにたいして、どんなに足繁く通っても、彼は外の人間なのだ。
この気持ちは痛いほどよくわかる。
結局、この寂しさが新劇を選ばせたのだ、と筆者はいっている。
これも肯ける話である。
筆者が羨ましく感じていた世界が、消滅させられていった時代、それが近代化だったのだろう。  

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コメント
 
01. 五月晴郎 2012年5月26日 14:13:12 : ulZUCBWYQe7Lk : t3OuS3nAYI
http://www.rin-5.net/251-500/467-kawarakojiki.htm

の貼り忘れです。

===

最後に、「ホモセクシュアルについての学習」という章をもうけて、ホモについて蘊蓄を傾けている。
筆者はストレートでどうしても、ホモの気持ちがわからない。
しかし、男性をも体験しないと、芸人としては不勉強ではないかと悩む。
そのあたりを正直の告白しているが、40年前の話しである。
 とある対談のなかで、次のような発言がある。

小沢 ホモとゲイとでは、その道では、多少言葉のニュアンスが違うようですな。
大野 ニュアンス、違います。最近の若い人は、ゲイというのをいやがりますね、やっぱりホモといってほしいと。年輩の人はゲイという言葉を使いますね。若い人は、ゲイといわれると何んか自尊心を傷つけられたような、ホモといわれると、なにか今の社会にあってるような……、また、いやらしい感じがないというふうな……。
                      
今ではゲイが全盛だが、時代の変化を考えさせる発言だった。 
    
 (2009.2.12)


02. 2012年6月23日 06:36:20 : uA03avRuMM

タイトルをきいた瞬間、この2冊が思い浮かびました。どちらも小沢さんへのオマージュがあったわけだ・・・・

http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%83%BB%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E4%B9%9E%E9%A3%9F%E8%80%83%E2%80%95%E5%BD%B9%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E4%BD%95%E3%82%84%E3%81%AD%E3%82%93-%E5%B1%B1%E5%9F%8E-%E6%96%B0%E4%BC%8D/dp/4759251200/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1340400517&sr=1-2

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E5%B2%A1%E9%BE%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%8B%E3%81%8F%E8%AA%9E%E3%82%8A%E3%81%8D%E2%80%95%E7%A7%81%E3%81%AE%E4%B8%8A%E6%96%B9%E8%8A%B8%E8%83%BD%E5%8F%B2-%E4%B8%8A%E5%B2%A1-%E9%BE%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4480872485


03. 五月晴郎 2012年6月23日 14:43:23 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>2

ありがとう御座います。
上岡龍太郎は読んでみようかな。以下、芸能板のコメントになってしまいますが、上岡龍太郎には才走ったイメージがあって好きじゃなかったのですが私の偏見だったかも知れません。
本は何冊か書いてるのだけは知ってたけど、けれん味があり過ぎる感じで好きではなかった談志の「昭和落語家伝」を読んで改めてたいしたもんだと偏見がただされたことがあります。
ただ「好み」は「好み」で談志の落語は才能があって上手いんだろうけど小三治のほうがいいです。
どうでもいい話すいません。


04. 五月晴郎 2012年6月23日 14:55:52 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
これ↓今見つけましたけど阿修羅の貯蔵機能で残しておこう。

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/102201.html
「2011年11月25日 (金) 立川談志さん死去・柳家小三治さんインタビューを掲載します」

<柳家小三治さん 電話インタビュー 11月23日>

問)まず、どのようなお気持ちで談志さんの訃報をお聞きになりましたか

小三治さん)

 うーん、どのようなお気持ちねえ。いま、あなたで4件目ですけどね、みんな同じこと聞くんですけどね。

 どのような気持ちで、何を期待しているのか知りませんけど、きっと新聞の記事になるような良い言葉は出てこないというか、ほどのよい言葉は出てこないんですけど、正直なところは、あーとうとうきたか。ああ、とうとうそのときが来たかということかな。

問)覚悟はできてらっしゃった。


小三治さん)

 覚悟と言うほどのものではないね。人間はいつか死ぬものなんだからということはこの年になれば淡々として、受け入れられますから。
前々から「俺はガンだ」って、周りに叫び続けていたわけで、「俺はもう駄目だ」とか「死んじゃう」とか。「ガンなのに闘っている」とか色んなことを言ってましたけれども、最初はどの程度なんだろうと思っていたけど、それ言い出してから、もう長いですから。
 お弟子さんたちも「大したことありませんよ」とか「口で言っているだけですよ」とか言うんですが、それは本当にそうなのか、談志さんが弟子に言わせてるのか、弟子が面白がって言ってんのか、それもよく分からないけど。まあガンだガンだと言っていてずっと、何事もなくきてるってことはあの人はやっぱり「生命力の強い人なんだな」と思っていました。

 つい最近も会をやって途中で声が出なくなって駄目だったという噂もちらっと聞きましたけど、それが何の会なのかよくわかんないけど、それも彼のひとつのスタイルとして彼の生き方として、私の中では納得して聞いていたわけですよ。
 だから覚悟はしているけど、覚悟はしているというのは「そうなったらどうしよう」ということでしょ?でも心配はしてないんです。まあいずれ、どうなるのか、俺の方が先かなということは思っていましたね。

問)それはなぜ、談志さんはああいっているけれども、ということですか。

小三治さん)強いね、あの人は。うん。

問)談志さんは復帰したあとも調子が悪いときがありましたけれども、やり抜こうとして、高座に上がろうとしていた談志さんの姿をどのようにごらんになっていましたか。

小三治さん)

 亡くなってみると悲壮な姿だったとも言えるんですけれども、亡くならないときにそれを聞いたときは、彼としての意地を全うしているな、と思って悲壮な感じはしなかったですね。それをちゃんとお客さんに見せることによって、客も納得させているって言うひとつの、談志流の生き方ですね。

問)その姿勢は若い頃から兄弟弟子として見てこられて、生き方としては一貫していましたか。若いころどんな方だったか。

小三治さん)

 そうですね。どんな方・・・やっぱり、才能がある。はなし家としての才能という点では私が出会った人の中では、まあ、群を抜いていたんじゃないでしょうか。

問)若い頃からそういう芽があった。

小三治さん)

 そうですね。いくつの時に「現代落語論」ですか、私は読んでいないから分からないけど、書いた。で、その若さでこういうものを書いちゃうっていうところが、ひとつの才能であっただろうし、また、なかなかその若さではそういう本を出すというのは、勇気がいることなんですけど、それを敢えて、えいって出せるって言うか、何事も無く出せるいうところに、きっと才気があふれていたんじゃないんでしょうかね。

 読んだ人の話聞いてみると、はなし家になった人たちの中にも、私はあの本を読んではなし家になろうと思ったとか、はなし家にならないまでも、あの本を読んで「社会ってものをこう考えるってことをと知った」という人が出てきているわけですけれども、彼の本の影響力は大きかったと思いますね。
 あと身近な者として考えれば、わがまま、勝手好き放題にやったもんだということでしょうかね。それが天才であるという印なのかしらね。

問)お弟子さんもずいぶんと育っていますが、談志さんが育てたお弟子さんについては。

小三治さん)いやあ、よく育てたもんだと思っていますよ。

問)改めて落語界にとってどういう人だったと思いますか。

小三治さん)

 存在としては、大きい人だったんじゃないんでしょうか。ないんでしょうか、というのは多少投げやりっぽい言い方ですが、それは絶対的なものとは言えないというところがありますよね。それはあの人があまりにも個性が強かったというか、自分の好む形以外は認めなかったって言う人でしたから。あの人もいい、この人もいい、っていう考え方はできなかった人ですから。

 例えば、どこかで、「(古今亭)志ん朝の落語をどう思う?」って聞かれたことがあるんですよ。まだ志ん朝さんが生きている頃ですよ。
「いいんじゃないんですか」って言ったんですよ。そしたら「本当にいいと思うのか」って。「いいんじゃないんですか、ああいう落語もあり、お兄さんみたいな落語もあり、色んな形があって、それが落語界を作っているのだから」と言ったら「すぐお前はそういうことを言う」ってとっても不愉快そうにしていましたね。つまり、私が「あれは駄目だ」と志ん朝さんのことを指して言えば、きっと、意気投合したかったんでしょう。

問)ご自分のやり方を一番信じてらっしゃると

小三治さん)

 そう。それで志ん朝さんが亡くなったときに言った言葉は「商売になる生き方をした」と言った。「はなし家として立派な人だった」という言い方はしない、でも世間の人は、はなし家としてとても商品になる生き方をしたって言うとそうだそうだ、と思う人がいて、彼の本当の心は、腹の中では認めてなかったんでしょ。そういう風に言っちゃうと話が深くなっちゃうんですけど、落語家は自分以外の芸を認めないですから。これやんないと、一国一城の主として生きていけないですからね。人の芸をほめるということはとても難しいことですよ。そういう点をあの人は平気で振り回していたっていうのかな、だから、兄弟弟子としてこの人もずいぶんわがまま勝手に生きるもんだと思って。
 でも端から見ると、わがまま勝手に生きている様がこれがすごくかっこよくてすばらしいとかって、理由をつけて好きになる人もいましたよね。でも、そのわがまま勝手が許せねえという人もいました。

問)ただ小三治師匠はお互い認め合っているようにも思って見ていましたが。

小三治さん)

 いや、あの人ははなし家としては最高に才覚を持っている人ですよ、すばらしい才能を持っている人ですよ。ただ、私としては、そうですねー、議員なんかにならなきゃ良かったと思うけど。でもあの人はそういうことが目的で生きていたとも言えるんです。権力にあこがれていた人ですからね。そのために三遊協会分裂のもとを作ったのはあの人ですよ。ねえ、それから、結局は落語協会を飛び出して、立川流とかっていう、家元とかっていう名前を自分でつけたわけで、誰も周りがいったわけじゃねえのに。そういうところもあの人らしいなあって。苦笑いをして見て来たわけです。
 でも、まあ、それを通したために、世間がそれを認めるというか、それだけのパワーを見せつけられたって言うのは、すばらしいんじゃないんでしょうか。どうでしょうか。そういう点には私はあこがれませんですけどね。

問)いま談志さんにおっしゃりたいことがありますか。

小三治さん)いやあ、ありません。「よく生きたいように生きたね、良かったね」ってことかな。


(聞き手 科学文化部 野町かずみ記者)


05. 2012年6月23日 17:02:43 : uA03avRuMM

上岡さんが、小沢昭一さんをゲストに呼んだ番組があった(1990年)。

ポストたけしを占って、小沢さんは古館伊知郎が天下を獲る、といった。

小林信彦は、三宅裕司がポストたけしだろう、という見解を出していた。

時が過ぎ・・・・結局・・・・・ポストたけしに一番近かったのは、同じ漫才ブーム出身のS田かダウンタウンだった。

話術の実力からすれば、1990年においても、関西芸人(さんま、ツルベ、S田、ダウンタウン)が
頭一つでていたが、古館や三宅という東京ブランドにこだわった小沢・小林は見抜けなかったのだ。



06. 五月晴郎 2012年6月23日 17:47:11 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>5

小沢一郎、じゃなかった小沢昭一はともかく、小林信彦は・・あんまり、ですね。
中高は典型的な山の手の学校に小林信彦は行ったらしいですけど、ああいう学校の文化部みたいな感じが好きじゃないです。物書きだからケチつけてもしょうがないんですが。

古典芸能になってしまうと別かも知れませんが、色物で面白いのは訳のわかんないとこから出て来た奴がおもしろいです。でも色物は才能だけですから面白いのが続くのは、だいたい40歳くらいまでなんじゃないんですか。


07. 五月晴郎 2012年6月23日 17:53:14 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>5

ブランドにこだわったんじゃなくて、東京の人間は歴史的に田舎者ですから自分たちのとこしか分からないんだと思います。
普通の人でも昔からの人は、せいぜい半径2キロくらいの世界で全部が完結しちゃってますから。


08. 五月晴郎 2012年6月23日 18:19:24 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>3 訂正

( )内を加え訂正:

本は何冊か書いてるのだけは知ってたけど、けれん味があり過ぎる感じで好きではなかった談志、(そ)の「昭和落語家伝」を読んで改めてたいしたもんだと偏見がただされたことがあります。


09. 五月晴郎 2012年6月23日 18:47:58 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
フォローアップ投稿ですけど、古典芸能になってますが落語、志ん生は訳わかんない面白さがあったらしい、音声しか聞いたことないけど。
貼れるのがないから息子の志ん朝を貼った。志ん朝は品が良く、そして面白い。
政治板で話題に上がる勝次官が行った学校、小林信彦が行ったとこほどの学力もなく軟派な、そして同じ山手の学校の志ん朝は先輩だが、学校よりやっぱ家庭なんだろう。


10. 2012年6月23日 21:00:54 : uA03avRuMM

小林信彦さんが、あるパーティーで談志さんとビートたけしと同席になったという。
談志さんと錦之助さんが、2人して意気投合しては萩本さんの批判をはじめ、
萩本とも仲のいい小林は何も口をはさめなかった・・・・・という話だった。

で、何をそんなに批判していたのかというと、小林の解釈によると萩本さんが
芸人を捨ててプロデューサーになってしまったから・・・ということについてなのだそうだ。

そういえば、談志さんは、同じ論調で巨泉をも批判していた。なんにも芸がない・・・・
ただタレントを転がしているだけだ・・・・・と。

それでは談志さんにとって追求される芸とはどうなんだろう。家芸である落語については
ご本人もみとめている通り、シンショーシショーには敵うはずもない。創作は自分でやらない
と宣言してしまったので、古典の領域を超えることもできない。

TVタレントとして談志さんは、天下を獲ったのだという。「たけしと同格」だったと
いうんだから、本当に60年代には植木等の向こうを張って売れていたのだろう。
しかし・・・・やはり彼も、やはりある年齢までくると、かもめのジョナサンじゃないが
TV界を離陸してしまう・・・・・政界へ・・・そして新派旗揚げへ・・・・なにがしたいんだ・・・
結局は涙橋のおっつあんこと丹下”談”平のような疎外キャラで残ることになった。
「昔は結構ならした人だったらしいんだけど・・・・」

山田洋次が、晩年の黒沢明監督の自宅をたずねたら、小津ホモ二郎の作品を
じっと見ていた・・・という話があったが・・・・・黒澤に近いアウトローな斬新さで知られた
談志さんも、実際には一番のお弟子さんが朴訥とした馬面の富山人で円楽さんを彷彿と
させるキャラであり、いつかはツッパリとガリベンが逆転するようなことも起こりうるということだろうか。
ビートたけしは、「いつかは本性を出していい人に戻るだろう」と談志本人の前でいっていたが。


なんの話だったか・・・・



11. 2012年6月23日 21:04:03 : uA03avRuMM
談志さんが円生につかなかったのは・・・・一重にシンチョウとのライバル関係のせいだったと円丈さんが暴露していたな・・・・。

私はシンチョウは好きになれなかった。コサンも談志も好きなのに。


12. 2012年6月23日 21:14:34 : uA03avRuMM

つまらない余談・トリビアになるが・・・・・

よくTV放送事故の代表として松本明子@オールナイトフジの話がでてくる。
Youtubeにあげられていたこともある。

しかし、横山やすしだとか立川談志は一度言ったとか・・・そういう話じゃない。
立川談志は生放送だと必ずいうのではないか。

しかし・・・上には上がいた。それは渡辺徹だ。彼は生放送でなく、
録画のドラマで堂々といって編集されなかったのだ。
ワハハ本舗の奴も収録バラエティーで言ったには言ったが・・・・・あれだけ明確に発音はしなかった。

俳優の出でありながら、色物の世界に進出した異色のタレント渡辺徹。

なんの話だったか・・・・・・・


13. 五月晴郎 2012年6月23日 21:35:14 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>10

うん、わかります。
萩本欽一は俺が小学校の頃すんごい面白かった。才が走るタイプ。ちゃんと、これまた物凄い天然ボケの二郎さんを見つけて使う才。
才に走るから、上で言ったように40歳くらいまで。だから今は晩年の談志状態。
そうなった談志と一緒に萩本欽一を批判したというビートたけしも芸人としては、今は歳食ってからの萩本欽一、晩年の談志状態になりつつある。
お三方とも芸人なんだからいいんじゃないんでしょうか。

>>11

志ん朝は、これも皆それぞれの好みでしかないんですが、ああいう生活感覚が生理的にわからないと好きになれないと思うんです。点を指すような感覚、理論で刺してもしょうがないと思います。

>>12

松本明子ですか、よく分からないけど、瀬戸内の女性は嫁ぎ先の家紋と別に女紋があると聞いたことを最近想い出しましたが、私のつい最近の卑近な経験からではあります最も苦手という偏見を持つに至りましたのでパスです。


14. 五月晴郎 2012年6月23日 21:38:42 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
あくまで好みなんですが、芸人さんは出て来ただけで笑っちゃうタイプがいいです。
古い人だと、ゼンジー北京とか東京コミックショーとか東八郎とか由利徹みたいのが好きですね。

15. 五月晴郎 2012年6月23日 21:41:53 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
東八郎は若いときはすごい突っ込みだったです。
TVでは談志がプロデュースしてたみたいな野次馬寄席あたりで小学校低学年の時、トリオ・ザ・スカイラインで見てましたね。懐かしい。

16. 五月晴郎 2012年6月23日 22:04:37 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>12

渡辺徹さんは、流しの息子さんだったと思います、渥美組の若・渥美二郎ほどにはお父さんのポジションがなかったんでしょう。東京の近県に流れて行った方の息子さんじゃないですか。で、知ってる人もそういう渡辺徹をなんだとか、関東の人間はこれっぽっちも思っていない。
ここの板にした投稿記事も敷衍すればそういうことを言っているし、西のほう、特に近畿はそういう面で違うんじゃないかな。あくまで西の表面だけで地付きを知らない私の仮説ですけどね。たいていファナテイックな人は近畿か東北から出てくる。


17. 五月晴郎 2012年6月23日 22:22:44 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
多分、松本明子さんは東京に出てきて風大左衛門のニャンコ先生みたいに頑張って言っちゃったんでしょう。これは日本近代史の流れで、よく出るモチーフなんでございます。

18. 2012年6月24日 05:24:20 : uA03avRuMM
7にあるような話は、それこそ上岡龍太郎が端的にいっていて「東京など田舎者の集まりであり、関西からの文化輸入なしには自立できない」と。

大阪芸大出の漫画家、魔夜峰央さんもこないだ作品の中で「江戸時代に東京ファッションのモードをきめていたのは関西から出張店を出していた大阪・京都の呉服屋であり、関西弁はいまでいうところのフランス語のようなもので江戸っ子の憧れの対象だった・・・・」と。

しかしそういう話のノリで、関西は常に文化的侵略者で、影響する側だったという結論を持つことには疑いがある。実際、関西とて外部から入ってきた人間によってもたらされたものによって文化が発達した・・・という同じ構造があるからだ。

大阪発信で日本のお笑い・・どころか一般社会におけるコミュニケーションのありかたまでを変えてしまった漫才ブーム。あれは大阪からの文化的侵略だったのだろうか。トップにいたのは島田洋七・・・・九州にルーツを持つ広島人。いまだに彼がまともな関西言葉を使用しているところは見たことがない。彼らの前にブームを作ったカウス・ボタン・・・・・彼らがヤスキヨ同様に四国出身者でできたコンビだったことは有名である。私説(チベットよわー)では関西のお笑いの方程式を変えてしまった張本人である上沼恵美子は、いかにも大阪のオバちゃんを演じているように見え、本当は淡路島の出身である。生粋の大阪人の名前を・・・・書きつらねることは控えるが、彼らは決して漫才ブームを作った改革者ではないのである。周辺のバッタ者が作った流行についてきたおまけのようなものだ。

13にあるシンチョウについて・・・・・私は落語は落伍であり、人生を投げたドロップアウトが出家してやるものだという考えを持っているので、親の後を継ぐということがそもそも認められないです。たぶん、そこがいやなんだろうな。尾藤イサオさんは大阪の落語家の息子ですが・・・芸人魂を別のジャンルで発揮した・・・それが普通じゃないかと思う。他でいうなら・・・若・貴や福園三兄弟のように僻地出身者の子供であの時代なら角界入りもありだろうが・・・3世はまずないだろうと思う。基本的に子供とブルーカラーのスポーツである野球でもやはり、長島3世はないと断言。


19. 五月晴郎 2012年6月24日 12:19:46 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>18

同じ視方です。
指摘の通りでしょう。

ただ、落語は基本は血縁じゃないと名前を継げない歌舞伎と違うので、誰の息子とかを客は有り難がらないです。客は誰の孫でも子供でも、つまんないと駄目です。
それに志ん朝が中学か高校の時は外交官にあこがれていた(本当かどうか知らない)のが落語家になったってのも立派な(?笑)ドロップアウトだと思いますけど、たまたま親が落語家だったってだけで。


20. 2012年7月08日 22:02:30 : FeO1WnUUGA
あーくだらない。芸能がどーだこーだあーだ。
そんなことを言ってなんになるのか。
物事には全て基礎由来がある。 「過去に目を向けない者は未来に対しても永遠に盲目である」
芸人は見世物でありそれ以外の何者でもない。哀れむ対象であっても決して崇拝する対象ではないのである。
上岡龍太郎が言う通り、テレビが完全に芸人と大衆の立場・価値観を逆転させた。
小沢昭一の間違い(嘘)は、大衆側に立っていた芸人が支配者側に立ったことにより、芸能は衰退の道・・・云々とあるが、古代から芸人は支配者に飼われていた生き物であり、見世物になることで、大衆のガス抜きをするのが役目であった。
テレビや映画スクリーンという洗脳機械の導入は明らかに大衆の白痴化を成功させたのである。
これだけ発展した現代人の暮らしがテレビなしでは考えられないのが何よりの証拠である。
極端なまでのテレビ信仰芸能人崇拝する日本人の価値観は海外から見るとかなりの違和感があるものである。
自らがテレビ作家であった林秀彦氏は「おテレビ様と日本人」「911考えない日本人」「この国の終わり」等の著書の中で、芸能界などと所詮はヤクザ者の世界であるのに、テレビ中心の間抜けな価値観が日本社会を席巻している現実に強い警告を発している。
売春・レズ・ホモ・麻薬が当たり前のヤクザ者の世界を崇拝する日本人の価値観が、国をダメにした大きな要因なのだ。
海外では子供の内から自分の国を考えるのが極当たり前なのである。

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