http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/487.html
Tweet |
(回答先: 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 投稿者 中川隆 日時 2011 年 4 月 23 日 19:24:17)
Those Were The Days
Gene Raskin / Russian Traditionalsung by Mary Hopkin
http://www.youtube.com/watch?v=MDVhB0jGP7I
http://www.youtube.com/watch?v=2KODZtjOIPg&feature=related
☆Those Were The Days_1 : Mary Hopkin版
1) Once upon a time there was a tavern
むかし、居酒屋があったじゃない
Where we used raise a glass or two.
みんなでよく軽く飲みにいったあのお店
Remeber how we laughed away the hours,
思い出すわ、何時間もみんなで笑ってすごしたわね
Think of all the great things we would do
やろうとしてた、いろんなステキなことを夢に見て
Those were the days, my friend,
そういう時代だったのよね、
We thought they'd never end.
それが終わってしまうなんてみんな全然考えたりもしなかった
We'd sing and dance forever and a day;
ずうっといつまでも永遠にみんなで歌って踊っているつもりだった
We'd live the life we choose,
自分たちが選びとった人生を生きていくつもりでいた
We'd fight and never lose,
闘っても負けるなんてありえなかった
For we were young and sure to have our way. : 第一節でのみ歌われる
だって、みんな若かったし、自分たちのやり方を持ってたものね
La-la-la-la-la ..........
ララララ・・・
2) Then the busy years went rushing by us.
それから慌ただしい年月がみんなのもとに押し寄せてきて
We lost our starry notions on the way.
そのうちわたしたちは道々きらめくような思いをなくしていった
If by chance I'd see you in the tavern,
もしも偶然、この酒場であなたに会えたりしたら
We'd smile at one another and we'd say,
ふたりともお互いに笑顔でこんなふうに言うでしょうね
Those were the days, my friend,
あゝ、ああいう時代だったんだな
We thought they'd never end.
終わるなんて思いもしなかったもんな
We'd sing and dance forever and a day;
みんなで歌って踊ってずっといつまでもそのままでいられるつもりでいた
We'd live the life we choose,
自分たちで選んだ人生を生きていくつもりでいた
We'd fight and never lose,
闘いながら負ける気なんかしなかった
Those were the days, oh yes, those were the days.
そうだね、そういう時代だったなぁ 懐かしの日々だなぁ
3) Just tonight I stood before the tavern.
ちょうど今夜あたしはそのお店のまえに立ってたの
Nothing seemd the way it used to be.
昔とはすっかり変わってしまってたわ
In the glass I saw strange reflection.
ウィンドーに映る姿を見てヘンな感じだったわ
Was the lonely woman really me ?
この寂しげな女の姿が本当にこのわたしなのかしらって
Those were the days, my friend,
懐かしいわね、あゝ、あれが終わてしまうなんて
We thought they'd never end.
あたしたち思いもしなかったものね
We'd sing and dance forever and a day;
みんなでいつまでも永遠に歌って踊っているつもりだったものね
We'd live the life we choose,
自分たちが選んだ道を生きて
We'd fight and never lose,
闘って、そして負けるなんてありえなかった
Those were the days, oh yes, those were the days.
そうね、懐かしいわね、そういう時代だったわね
La-la-la-la-la ..........
ララララ・・・
La-la-la-la-la ..........
ララララ・・・
4) Through the door there came a familiar laughter.
ドアの向こうから聞き覚えのある笑い声がして
I saw your face and heard you call my name.
あなたの顔が見えたのよ そして、わたしの名前の呼ぶあなたの声が聞こえたの
Oh, my friend, we're older but no wiser,
あゝ、あなた、あたしたちって齢ばっかりとっちゃって、ちっとも賢くなってないのね
For in our hearts the dreams are still the same.
だって、ふたりとも心の中にある夢はいまもおんなじままなんだもの
Those were the days, my friend,
懐かしい時代よね、ねえ、あなた
We thought they'd never end.
あたしたち、あれが終わるなんて思いもしなかったもの
We'd sing and dance forever and a day;
みんなで歌って踊っていつまでもずっとそのままだと思ってた
We'd live the life we choose,
自分たちが選んだ人生を生きて
We'd fight and never lose,
闘ってそして、負けることなく生きていく、
Those were the days, oh yes, those were the days.
そんな時代だったのよね そうね、そういう時代だったわね
La-la-la-la-la ..........
ララララ・・・
La-la-la-la-la ..........
ララララ・・・
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050531
_________________
この歌詞は難解です。 一般に行われている上の様な訳は何処か不自然ですが,
@ “my friend” とは誰なのか?
A “For we were young and sure to have our way.” は何故第1節にだけ現れて、それ以降は消えてしまうのか?
B “We'd sing and dance forever and a day” の forever and a day は何を意味するのか?
がわからないと この歌詞の本当の意味もわからないでしょう。
__________
ロシアで歌われ流行していた歌を、アメリカのミュージシャン Gene Raskinが英語にして歌ったのが Those Were The Days の起源であるらしい。 原曲は、ロシア革命の時代に出来たものらしく、メロディーはそのまま、英語の歌詞はロシア語の原曲とは異なるが、Gene Raskin が60年代初頭に出入りしていた居酒屋での思い出を元に詩を書いたらしい。
そう考えて、Those Were The Days の歌詞に戻ってみると、変動の時代に若者が描いた時代を良く反映した歌詞に見えてくる。 全体を見渡すと、現時点から過去を述懐する形で書かれている。形式的に見てほとんど過去形である。 更に物語のほとんどが ‘d となっているのは、would だろうから、物語の時点から望んだ未来である。
物語の舞台は tavern である。これは飲み食いできる店で、辞書には居酒屋とあるが、古いと言うニュアンスを含んだ言葉らしい。店自体も古いし、また古い時代を懐古した店のようである。この点からも、Gene Raskin が若かった頃を想起していると考えると、物語の全体像がなんとなく定まってくる。 また、tavern は北米で使われる言葉だと明記した辞書もあった。
http://www.tagata.org/essays/Those%20Were%20The%20Days
このタイトル 「Those were the days」は、どのように訳せばよいだろうか。
後半のフレーズは、思い出の酒場の前に立った彼女が、懐かしさと寂しさが入り混じった複雑な思いで店内を見ていると、ふと室内に、孤独にグラスを傾ける自分の幻が見え、その寂しげな姿に驚くというシーンを歌っている。
そして、ここからは、2つの解釈が出来る――
(1)思い出の中で過去を呼び覚まし、昔の恋人(?)の笑い声や自分を呼ぶ声を聞き、語り合う、
(2)その酒場から実際に、昔の恋人(?)が現れて、彼女に呼びかけ、語り合う
だが、どう考えても前者が正解だろう。
この歌のタイトルは、簡単な単語が並んでいるのに、極めて難解な訳の典型といえる。実は、何人かの英米人に聞いてみたところ、その解釈はバラバラで、これという訳はみつからなかった。
私自身は「過ぎ去りし日々」あるいは「懐かしき日々」と訳してみたが、いかがだろうか。
http://www.jmca.biz/tape/sokuyaku/recipe22.htm
,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
,. ‐ ヽ
,.‐´ \
/ ,l \ ヽ
/ l|, 、 、 |iヽ, ヽ \. ヽ
/ l i ! | i | |l'、ト ヽ iヽ ヽ ',
! | / | |. i |.|| i.|ヽ |、 | ', i i
! ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l .i| i
! i ,.|!,.+‐'"| | | |i} ' ュノェ|i,`i l.| i
l i l l |/;:=ニ|i l | /rj:ヽ\ i l i l
| | | ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!. ' {::::::;、! 〉iー | | |
| |i. | !; 〈 !:::::::c! 'ー''(つ }i | i.| |
| ! | | ;: (つ`''" 、 //// /;:i | | !. |
| i, i. 、//// ' /,ノi, i. |
! .| | i 、,ゝ、 、─, / i | |. i
.! | i |. | lヽ、  ̄ / l | i | !
! | i |i |l l| |`''‐ 、 , イ |i | |i | i |. !
| | i |i |i .| ノ ` ''" ヽ/l| l__,.、-|l l ! i、
,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l ' ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
/ ! l l ̄ ` 、_ | /ノi i.! |
,' ! | ,|/ |/i' |
i ` l .ノ ノ ' ヽ、 |
| ノ ,... ヽ、; ヽ-,
.! |:: :..゚..:: i: ゙゙''i
| l:: ゙゙" |: |
@゙! |:: !:: ノ
______________________________
1. ”my friend” は恋人?
Those Were The Days にGene Raskin がつけた歌詞の状況設定は何故かサイレント時代の伝説の名女優 リリアン・ギッシュ の人生と完全に重なってきますね。 (本当に偶然かな?)
そこで、以下 リリアン・ギッシュの人生と出演作を年代順に追ってみる事にします:
リリアン・ギッシュ Lillian Gish
■生年月日 : 1893/10/14
■出身地 : アメリカ/オハイオ州スプリングフィールド
■没年 : 1993/02/27
■アメリカ映画史を語る上で、絶対に欠かせない、惹き込まれるような美しい瞳を持った大女優。本名はLillian Diana de Guiche。母は元女優でドロシー・ギッシュは妹。5歳から母妹と共に舞台にたつ。
12年の時に友人であったメアリー・ピックフォードの紹介でデイヴィッド・W・グリフィスと知り合い、その日の内にカメラ・テストを受けて母妹といっしょに映画デビューする。当時からグリフィスに可愛がられ、悲劇のヒロインとして多くの作品で共作した。
妹との仲の良さも有名で、20年には彼女のために「亭主改造」を監督もした。22年にグリフィスと別れ、25年にMGMと契約。「ラ・ボエーム」や「真紅の文字」で特筆すべき演技を見せた。
しかし時代は肉体的魅力を持つ女優がもてはやされるようになり、次第に作品数が減っていくのだった。30年代からはブロードウェイに新境地を得て『椿姫』や『ハムレット』に出演。映画の方は脇役として幾つかの作品に出演を続けていく。70年アカデミー名誉賞受賞。87年には「八月の鯨」でベティ・デイヴィスと共演して話題を呼んだ。93年心不全で死亡。ロマンスの噂もなく、生涯独身だった。
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=41252
リリアン・ギッシュ自伝 ──映画とグリフィスと私──
幼年時代―旅の始まり
グリフィスとの出会い
映画監督グリフィス
舞台と映画と
映画女優としての出発―バイオグラフ社時代
『国民の創生』
『イントレランス』
『嵐の孤児』そしてグリフィスからの独立
人生の悪夢―デュエルとの法延闘争
本格的舞台女優として[ほか]
アステアが死に、ガルポが死んだ。そして映画の創生期から今なお大女優として現役でいる奇跡的な存在、1896年生まれのリリアン・ギッシュが天に召される時、一つの神話的時代が完結するだろう。
クローズ・アップ、フラッシュ・バック、クロス・カット等々、「映画を発明した」と言われる巨人グリフィスは数々の映画的技法を編み出した。それは知識としては知っていたが、近年『イントレランス』をこの目で見るまでこれらの技術があんなにシンプルで効果的なものだとは思いもよらないことだった。
逆光を撮るため反射板を使ったのも彼が最初だが、逆光のなかに浮かび上がる “類い稀な天上的美貌”のリリアン・ギッシュほど美しいショットは他に見たことがない。
16歳の時から「グリフィス組」の一員となったギッシュは映画的な演技と動きをグリフィスに叩き込まれ、やがて数々のヒロインを演じながら企画から編集まで映画制作のすべてに関わった。69年に書かれたこの本は普通の自伝とはまったく違う。副題がすぺてを示すように、ギッシュは自身のことを語るより、グリフィスの最も身近にいた者、グリフィスを最も理解する者、そしてグリフィスと同じくらい映画を愛し打ち込んだ者として証言することを第一に望んだ。宝石のように貴重なこの記録を貫くギッシュの魂の清らかさ、人格の高潔さといったらグリフィス映画のヒロインそのもので──やはり天上的である。
http://www8.plala.or.jp/milk_honey/LILIAN%20GISH.htm
リリアン・ギッシュ自伝
リリアン・ギッシュは映画の創世記から映画女優としての活動を始めた人ですが、まだ映画とは縁が無く、子役として旅一座の女優だった頃から、メアリー・ピックフォードとは親友だったんですね。エピソードの多くは、『映画の父』D・W・グリフィスと共に『国民の創生』『イントレランス』『散り行く花』等数々の映画史上の残る傑作を生み出していた時期のものですが、印象深いのは、グリフィスがイントレランスの失敗から多額の借金を抱えてしまった為に、小さいプロダクションを抜けて、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)という巨大組織の専属監督になってからの話です。
ある程度自分のやりたいことをやれた以前とは違い、MGMの上層部から毎回厳しい脚本、編集のチェックを受け、自分の望まない形で作品を送り出し続けなければならなくなり、興行的に失敗を重ね、遂には仕事が全く無くなってしまいます。
それでもリリアンが心配してグリフィスに電話を掛けると、彼は「やあ、今ちょうど次に撮る作品の構想を練っていたところだ」などと見栄を張ってしまう。次回作を作る為の金などもうどこからも出ないのに。結局彼は失意のまま脳卒中で亡くなってしまいますが、多額の借金しか残しませんでした。
リリアン・ギッシュの自伝というよりもグリフィスの伝記を読んでいるかの様な構成になっています。事実、グリフィスは生前自伝を書く準備をしており、それは結局完成せず出版されずに終わったのですが、そのためにグリフィスが残していた資料も参考にしながらこの自伝は書かれているそうです。
リリアンの主張は
『MGMがグリフィスを駄目にした』
『MGMはグリフィスに仕事を与えようとすれば出来たのにそれをせず見捨てた』
『グリフィスは余りにも大きな名声を得ていたので、彼にいい仕事を与えたら他の監督の仕事を奪ってしまうからそれを恐れてグリフィスを干した』
など、MGMに対する辛辣なものが目立ちます。 だからMGMのメモリアル映画『ザッツ・エンターテインメント』にリリアンが全く登場しなかったのかという気がします。そう考えればグレタ・ガルボやマルクス兄弟まで出てるのにリリアンが全く登場しなかったことにも納得がいきます(グリフィスと結構似たような境遇のバスター・キートンは一瞬だけ出ている)。
映画の創世記から映画に深く関わってきたリリアンにとって、MGMの近代化された撮影システムは気に入らなかったようです。監督、脚本、編集、撮影、大道具、衣装、メイク…それぞれの分野の専門家が何人もいて、それぞれ自分の仕事以外は何もしなくていい、自分のテリトリー以外のことには全く興味をもつ必要も無い。まるで工業製品の様に映画が作られて行くのに疑問を感じています。
グリフィスと作品を撮っていた頃は大道具や小道具は自分で運んだし、メイクを人からしてもらったことなどなかった。カメラマンがイコール監督だった頃もあった。特にすごいのは『東への道』という映画で、流氷の上で気絶したまま川を流されるというシーンを撮影した時、川に張った氷を爆薬で壊してそれを流し、その上に実際に寝て撮影をした(勿論当時スタントマンなんていう発想は無かったのでリリアン本人が)のですが、極寒の中での撮影だった為にスタッフの数名が肺炎にかかって死んでしまったと言う話。
リリアンは外見によらず体が丈夫で、93歳で最期の映画主演をした後、99歳で亡くなりました。
http://blog.livedoor.jp/teretoumiro/archives/1008014.html
1912年、メアリー・ピックフォードの旅回り劇団時代の友人が、彼女を映画の中に発見し、メアリーを訪ねてニューヨークへやって来た。その友人の名はリリアン・ギッシュ(1893〜1993)であった。彼女は5歳年下の妹ドロシー(1898〜1968)を連れていた。二人はすぐさまグリフィスに紹介され、映画界に入る。おしとやかなリリアンと、快活なドロシー。最初グリフィスは二人の区別がつかず、リリアンに青の、ドロシーに赤のリボンを着けさせたという。
姉リリアンは「国民の創世」(1915年)でヒロインを演じ、続く「イントレランス」(1916年)では揺りかごを揺らす女という、各エピソードをつなぐ重要な役柄を演じている。その後も「散り行く花」(1919年)、「東への道」(1920年)、「嵐の孤児」(1921年)などでヒロインを演じ、グリフィスの全盛期を支えた。
これらの作品で彼女が演じたのはいずれも運命に翻弄される薄幸の娘。中でも父親に虐待しされ、無理に笑顔を作って死んでゆく12歳の孤独の少女を演じた「散り行く花」や、男に騙され未婚の母となり、吹雪の中をさまよう娘を演じた「東への道」などがとりわけ印象的である。
グリフィスと別れてからも、彼女は同じような役柄を演じることが多かった。「真紅の文字」(1926年)では、不義の子を産んだために迫害を受けながらも、相手の男のためにそれを隠し通す針子を、「ラ・ボエーム」(1926年)では芸術家と恋に落ちるが彼の成功のために病気を押して身を隠す娘を演じている。
ここまで不幸な姿を見せつけられると、何だか彼女自身が不幸な星の下に生まれてきたかのような錯覚を起こしてしまう。
一方、妹ドロシーはと言うと、明るくコミカルなキャラクターでコメディ映画で才能を発揮したとのことであるが、彼女のことはもっぱら姉リリアンと共演したグリフィス映画でしか知らない。
姉妹の競演作としてはまず、オムニバス映画「ホーム・スイート・ホーム」(1913年)の第1話がある。ドロシーが姉、リリアンが妹を演じている。とは言うものの、この映画でのヒロインはリリアンのほうで、ドロシーはあまり印象に残らない。一方、最も著名な共演作は「嵐の孤児」(1921年)であろうか。ここではドロシーが盲目の娘を、リリアンが彼女を支える姉を演じている。彼女らの演じた役はどちらも薄幸の娘。どちらも姉リリアンが演じるのがふさわしいような人物で、二人のキャラクターがダブってしまっている。そこで、僕は第一次世界大戦の参戦プロパガンダ映画「世界の心」(1918年)を姉妹共演の代表作としてあげたい。
リリアンはいつもの通りおしとやかで運命に翻弄される女性を演じ、ドロシーはその名もずばり「お転婆娘」を演じている。そうして二人は一人の男性をめぐって争うのであるが、二人のキャラクターの違い、とりわけドロシーの快活さが見事に発揮されていると言える。
風と運命に翻弄される女を演じた「風」(1928年/詳細は「モラルの幻想」参照)などを最後に、リリアンは1930年代にはもっぱら舞台に活躍の場を移す。「風と共に去りぬ」(1939年)には娼婦ベル・ウォトリング役で出演のオファーをされたが、舞台を優先させたために残念ながら実現しなかった。この頃から映画では主に脇役に回っている。それも、ヒロインを陰で支えるような役柄が多い。「白昼の決闘」(1946年)のジェニファー・ジョーンズ(1919〜)の養母(アカデミー助演女優賞候補)、「許されざる者」(1959年)のオードリー・ヘップバーン(1929〜1993)の母親、「ジェニーの肖像」(1947年)のジェニファー・ジョーンズの教師役がこの時期の代表作であろうか。
サイレント時代の役柄のイメージがあるせいか、どうしても長い年月苦労を重ねてきた、そんな女性に見えてしまう。映画の中でのリリアンはついに浮かばれない人生なのであった。
名優チャールズ・ロートン(1899〜1962)が唯一監督した映画「狩人の夜」(1955年米)は、リリアンが1919年に主演した「散り行く花」にインスパイアされた作品であるという。ここでリリアンが演じるのは、身寄りのない子供たちの面倒を見る老女。かつての自分のように父親に虐げられる幼い兄妹を助け見守る立場である。「女はみんな愚かだわ。みんな馬鹿よ。」と口癖のように語る姿は、かつての薄幸だった自分への自戒の念が込められているような、そんな印象さえ受けてしまう。
もしもリリアンが、このまま女優としてのキャリアを終えていたとすれば、結局彼女は過去の女優でしかなかっただろう。だが、彼女には女優人生の最後にまだまだ最高のキャリアが待っていた。1987年、91歳となったリリアンはイギリス映画「八月の鯨」に主演。彼女は12歳年下のベティ・デイビス(1908〜89)の妹役を演じている。気難しくわがままな姉を優しくいたわるリリアンは、まさにあの薄幸の少女の数十年後の姿を思わせた。老いながらも女性らしさを忘れないリリアンの姿を見ると、何て理想的な年齢の重ね方であろうかと思わされる。
1993年2月27日、リリアンは99歳で没す。彼女の人生はまさに映画史そのものをたどった人生であった。彼女には1969年に書かれた「リリアン・ギッシュ自伝」があるが、これは彼女個人のエピソードを極力控え、主にグリフィスとの思い出を中心につづったものであった。そこに描かれたグリフィスへの熱い思いを読んでいると、生涯独身を貫いたリリアンの本当の理由が何であったのか、解るような気がしてくる。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/03ACTRESS.htm
ギッシュは考えられる最も古いアート系のスターであろう。リリアン・ギッシュがそこに座っている。それだけで芸術である。
ギッシュは5歳で舞台に立っているものの、母親が女優だったという以外に芸能界の接点はなく、素質もなかったのではないだろうか。 若かりし写真を見ても、彼女にスター性があったとは、僕にはとても思えない。ところが、映画ではマジックが起こり、彼女は名優となる。グリフィスという偉大なる監督の力の賜物である。
ギッシュは容姿はありふれているが、目だけが他の人とは違っていた。そこにグリフィスは気づいていた。以前、僕はルネ・ファルコネッティというフランス女優の目を見て、恐怖すら覚えたことがあったが、ギッシュのうつろな瞳にもファルコネッティに似た何かを感じずにはいられなかった。俗っぽく言えば、彼女の目はいつだってワケアリの目だ。
偶然メアリー・ピックフォードの紹介でグリフィスと出会ったギッシュは、グリフィスにすぐさま気に入られ、彼のメロドラマとスペクタクルの代表作ほとんどに出演する。「国民の創生」(15)、「散り行く花」(19)、「東への道」(20)、「嵐の孤児」(21)などなど。
グリフィスはギッシュのくしゃくしゃの髪にあえて逆光を浴びせ、シルエットを浮かび上がらせて、絵画のような印象的な映像に仕上げた。彼女のそのうつろな表情は、作品をいっそう引き締め、映画を見世物小屋の動く写真から、劇場でみる一級の芸術作品にした。グリフィスが映画の父なら、ギッシュは母だ。映画史上初めて演技を様式化し、そのスタイルを死ぬまで貫いた名優リリアン・ギッシュ。その心は90歳を過ぎた「八月の鯨」(87)でも忘れてはいなかった。
http://cinema-magazine.com/p/1018
1910年代アメリカ〜映画の父、グリフィス(1875年1月22日 - 1948年7月23日)
映画というメディアで、物語を作り上げる基本文法を築き上げたD.W.グリフィス(David Wark Griffith)。 彼の作品「国民の創世(THE BIRTH OF NATION)」は、その後30年に渡って映画の教科書とされた作品であり、 その功績から「映画の父」と称されている。
グリフィスは南北戦争で英雄とされた父の元で1875年に生まれ、役者や作家を目指して青春を過ごす。 芝居の役者や作家として細々と生活していた彼は、映画会社に自分の本を売り込みに行き、 そのまま役者として映画製作に関わり始める。 チャンスが巡って来たのは、1907年の作品「An Eagle's Nest」に役者で出演していた32歳の時、 監督が演出で行き詰まり、代わりにグリフィスが演出を担当、編集も兼ね、そのセンスの良さから 監督業としての経歴が始まる。
丁度、映画業界の黎明期と重なっていたことで、 1908年から1913年迄の五年間、週平均2本半のハイペースで映画を作り続け、 この間に、物語としての映画の構造を確立させ、娯楽としての映画を作り上げるのである。 ヨーロッパの映画を研究しつつ、 豊富な芝居経験を基に無数の作品群を監督する中で、直感的に技術を学んでいく。 その結果、独自の技法を考案したり、過去の未成熟な技法を発達させたりして、「映画の父」と呼ばれるにふさわしい技能を身につけていったのだ。 彼が確立した技法としては、180度ルール(180 degree system)、カメラアングルの全て(ロング・ミドルショット、クローズアップ、ポイント・オブ・ビュウ他)、 編集方法としてのクロス・カッティング等がある。
グリフィスが1915年に作った(制作、監督、脚本)「国民の創世」は、 彼の集大成としての映画であり、それ自体、従来の映画とは一線を画した作品である。 トーマス・ディクソン(Thomas Dixon)の小説の映画化権利を10000ドルで入手したその内容は、 南北戦争における南軍、北軍、それぞれの立場の登場人物を交差的に描いたもの。 技術の結集したこの作品は前代未聞の長編映画(約2時間半)だったため、 映画会社から上映を拒まれる。仕方なく、グリフィスは独立した会社を設立し興業を行った。 結果、製作費も過去最高だったこの作品は、最高の評価を得ることとなり、 それまでの見世物的娯楽の映画を芸術作品に迄高め、観衆の層も広げることなる。 また、アメリカで初めて海外に輸出された映画にもなった。
こうした高い評価を得た作品ではあるが、その後のグリフィスの不幸を象徴するかのように、以降、この作品は汚点としていつまでも残る欠点も含んでいた。 南北戦争の南軍に属していた父の影響から、グリフィスの「国民の創世」には黒人蔑視の表現が有り、 更には、白人至上主義者K.K.K.の誕生を賛美し、彼らを英雄として扱うその構成の為、 芸術性の高さに比例して内容への非難が絶えず、部分的にカットされて上映されていたのである。
翌年に完成された「イントレランス(INTLERANCE)」は、更に芸術性の高い作品ではあったが、 巨大なオープンセットで演じられる莫大な人数の撮影等、製作費を度外視したその規模は、 反対に観衆からは過ぎた物として受け取られ、また、構成も複雑ったことから興業収入は制作費を越えることはなかった。 この財政難を補う為にグリフィスは、以後、芸術性を排除した軽い作品を量産することになる。 こうして、監督としての評価の下落と生活の困窮等から身を崩して行き、映画の父は、1948年にその生涯を終えた。(01.2.17)
グリフィスの映画技法
180度ルール(180 degree system)
撮影現場で被写体に対して境界線を想定し、境界線の片方(360度中180度以内)から撮影するルール。
各数字のカメラからAとBの人物を撮影すると、ルールに従ったカメラ1〜3からの映像はその位置関係がはっきりわかるけれど(Aが左、Bが右)、 境界線を越えたカメラ4からの映像を使うと、位置Aが右に立っているように映り、二人の位置関係がズレる。
こうした技法を駆使することで、グリフィスは、建物の中の部屋の位置関係を表現することに成功した。
ロング・ミドルショット、クローズアップ
左から、ロングショット、ミドルショット、クローズアップの映像。 ロングショットで周りの状況を映し、ミドルショットで登場人物を映す。 クローズアップは、重要な部分を説明する為にあり、この絵では、人物の表情を表している。
グリフィスは、超ロングショットの遠景からクローズアップ迄の流れで、シーンを詳しく説明を試みている。 なお、アップの絵に丸い黒枠があるのは、「国民の創世」の中の表現で、望遠鏡から見た映像のような効果があった。
ポイント・オブ・ビュウ(Point of view)
ポイント・オブ・ビュウはPoint of viewで、英語を直訳すると「視点」。 P.O.V.と略されたりもして日本語でもなじみある言葉だが、 もともと動かない観客の視点から劇場の芝居を撮影していたのが初期の映画なので、 カメラが動いて、カメラの視点がどんどん変わるというのが斬新なアイデアだったのである。
クロス・カッティング
編集技法の一つ。違う場所で同時に起こっている場面を交互に並べる編集で、 緊迫感を高めることができる。 また、時間と空間とを立体的に表現することができるようにもなった。
今でも、追う者と追われる者を表現する場合に頻繁に使われているが、 双方の緊迫した雰囲気を交差させることで、観る側にもその緊迫感が伝わり、 映画表現の幅が広がったことはいう迄もない。その後、エイゼンシュタインらによるクロスカッティングの更なる研究成果により「モンタージュ理論」が完成することになる。
以上のようなルールに基づきながら、崩すことで更なる効果を得ようとする表現方法が現在の映像技法だが、 最初に基本ルールを構築したグリフィスは、やはり「映画の父」なのである。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6721/mohis/a2.html
ミショー [オスカー・ミショー 1884-1951] が利用したグリフィスの手法とは並行編集 (クロスカッティング) である。
並行編集とは、 異なる複数の出来事の 「同時性」 ないしは 「継起性」 をきわだたせるために複数の空間をくりかえし往復する編集法のことである。
この画期的手法はグリフィスの創案にかかるものではないものの、* それを物語映画にふさわしい劇的な映像言語へと高めたのは明らかにグリフィスの功績である (彼はサスペンスを産みだすために、 往復するショットの数を増やし、 切り替えるタイミングを速めた)。
グリフィスがしばしば古典的ハリウッド映画の創始者とみなされるゆえんである。 じっさい彼はミショーの 『我らが門の内にて』 公開の年 (1920年)にも、 『東への道』 Way Down to East において清純可憐なリリアン・ギッシュを凍てつく流氷のうえに横たわらせ、 逆巻く滝壺に呑みこまれる寸前に救出させるという昔ながらの並行編集の極致を披露している。
* 「最初の」 本格的並行編集は1906年の 『無謀なる企て』 The Hundred-to-One Shot (ヴァイタグラフ社) における疾走する車とその目的地とのあいだを往復するものである。 いっぽうグリフィス初の並行編集は、 その2年後 (グリフィスが監督デビューした年) の 『運命のとき』 The Fatal Hour (1908) に見られる。
** 流氷のうえを滝壺へと流されてゆく娘のショット群Aと、 その現場へ救出に駆けつける男のショット群Bとの交互編集。
http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2011/03/post-7270.html
グリフィスが1908年以来磨きをかけてきた並行編集は、*** 12年後の一大メロドラマ 『東への道』 において頂点をきわめ、 勧善懲悪という唯一絶対のプロットとイデオロギーに奉仕する。
いいかえれば並行編集は、 遅くとも1908年にその語法が確立されて以来、 長いあいだただサスペンスと救出の表象のためにだけ利用され、 それ以外のポテンシャルの実験は事実上抛擲されてきた。 それはフランス市民革命以来のメロドラマ的イデオロギー **** を忠実に再現しつつ、 それに奉仕し、 その限界を越えゆくものではなかった。
そこにおいては善人はかならず悪漢/危難から 「あわやというところで救出」 され、 「救ける者」 (正義の味方) と 「救けられる者」 (迫害される弱者) との平行運動は最終的に融解し、 後者は前者と奇跡的な遭遇をはたす。
http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2011/03/post-7270-1.html
ハリウッド・メロドラマの誕生と発展
大衆小説のメロドラマ的要素、あるいはメロドラマが20世紀になって映画に移入されると、映画が大衆小説の人気を取ることになります。
サイレント時代には、グリフィスの代表作である『国民の創生(The Birth of a Nation)』(1915)、『散りゆく花』(1919)、『東への道』(1920)、『嵐の孤児』(1922)などが生まれます。グリフィスはアメリカの映画の父と言われると共に、サイレント時代のメロドラマの父でもあります。また、映像技法でも今日に伝わる映画の最初の文法を作った人です。
『散りゆく花』は父の暴力に死ぬ少女の物語です。リリアン・ギッシュは映画の始まりとともに活躍した女優ですが、幼さの残る少女みたいな顔ときゃしゃな体が、犠牲者であるのにふさわしいキャラクターということになります。『散りゆく花』の中で、リリアン・ギッシュ演じる少女が最後に死ぬ場面を紹介します。メロドラマ映画の最大要素はクローズアップ(close-up)ですが、顔の全面を映すことによって感傷を高めると共に、観客の主人公への感情移入を一層強めることが分かります。少女の父親は非常に残酷で、日常的に娘に暴力を振るっています。最近では少女をレイプをしていたのではないかという論文も出ています。少女は、「いつも悲しそうな顔をしているな、笑っていろ」と父親に怒鳴りつけられたので、父に暴力を振るわれて死ぬ最後の場面でも無理に笑おうとしているのです。
次の『東への道』でも、悪い男にだまされた清純な若い女性をギッシュが演じていますが、この場合には、ハッピーエンディングが用意されています。好きな人との誤解が最後に解消されて、リチャード・バーセルメスという当時の人気俳優が彼女を助ける場面がこの最後の氷渡りの場面です。
生きている人間であるギッシュの軟らかい体が硬い氷の上に倒されます。その軟らかさと硬さ。そして、動かなくなっているギッシュの静けさと流れ続け、動き続ける川と滝。映画は動きを見るもので、モーションピクチャーと言われていますが、その典型がここにあります。全体が見えるように、遠くから映すロング・ショットを使っています。氷の白さが際立っています。時間が切迫していることを告げる音楽(メロディー)が流れ、我々聴衆は、バーセルメスが早く行かなければ、ギッシュは流されて滝壺に落ちてしまう、とはらはらしながら見ます。切り返しショットは、グリフィスが非常に拡大したものですが、見るもの(バーセルメス)と見られるもの(ギッシュ)をカメラが交互に写すことによってダイナミズムを発生させるものです。動かないギッシュと走るバーセルメス。静と動のコントラストが感情を高めていきます。これは7分近くある長いシークエンスで、「最後の瞬間の救出」(last minute's rescue)と呼ばれる最も有名な場面ですが、すべてのハッピーエンディング映画の原点といえるでしょう。
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000276/0/html/section4.htm
渡辺 メロドラマって18世紀の舞台劇が最初でしょ。そのころは舞台で朗読しながら音楽を流すもののことをメロドラマっていってたの。その後、オペラが形態を真似して“泣きのドラマ”につくり変えたのが、今のメロドラマのもとになっているのよね。
宇田川 メロドラマがもてはやされたのは、18〜19世紀までですよね。20世紀になると“メロドラマはもう古い!”ということになって、差別的な表現としてつかわれるようになった。
――メロドラマが映画としてつくられはじめたのはいつごろからですか?
渡辺 D・W・グリフィス監督の『散り行く花』('19)は、涙、涙のメロドラマよね。
宇田川 “映画の父”といわれるグリフィスは、19世紀的演劇やディケンス(英国ヴィクトリア朝を代表する作家)の小説などでつちかったストーリーテリングの感覚を映画に持ち込んだわけだから、“アメリカ映画はすべてメロドラマである”と極論することもできるんじゃないですかね。
――それはつまり?
宇田川 アメリカ映画はグリフィスからはじまっているわけじゃない。そのグリフィスがメロドラマ的な形式を映画にもち込んで、そこからアメリカ映画のつくり方が確立されたわけだから、歴史的に見てもアメリカ映画はメロドラマだといえる。現にハリウッド映画を見てると、そうでしょう。でも、ゴダールの言うように「すべての映画はアメリカ映画である」とすると、映画はすべてメロドラマであるということになる。
渡辺 でも今、メロドラマといったら、波瀾万丈の通俗劇のことを指すでしょう。
宇田川 「低俗」ともいいますね(笑)。舞台の朗読劇から始まって、歌劇、映画と形を変えていき、最終的にいちばん大衆受けするものに落ち着いた。「低俗」、「センチメンタル」、「過剰なドラマツルギー」…。つまりは、お安いドラマに成り下がってしまった、というふうに見られている。でも、演劇のほうでは20世紀後半から、メロドラマという形式を見なおす動きが出てきたらしい。
http://channel.slowtrain.org/movie/wau/wau003/index.html
D・W・グリフィス フレームと分離の法則
映画の「フレーム」という限界を、偉大な作家はいかなる方策で広げていったのかに関する考察です。
@椅子
私は映画の中で「椅子」を見た時、思わず「グリフィスだ、」、、と呟いてしまう癖がある。
「許されざる者(60)」でリリアン・ギッシュが、揺り椅子を大きく揺らしながら裁縫をしているシーンを見て「グリフィスだ、、、」と唸るのは当然の反応でもあるし、「エルダー兄弟(65)」のラストでジョン・ウェインが、母の揺り椅子を殊更揺らして通り過ぎた時に、グリフィスへの目配せを感じ取っても何らおかしくはないが、「サイコ」(60)でノーマン・ベイツの「母」が揺り椅子ごと振り向いた瞬間にも矢張り私は「これはどこから見てもグリフィスではないのか、、」と呟かずにはいられないのであり、はたまた「死霊伝説(79)」で椅子に座ったジェフリー・ハンターがリュー・エアーズに心臓発作を起こさせたシーンを見ても「これは完全にグリフィスに違いない、、」と納得してしまう始末である。
人間誰しも一日生きていれば必ずどこかでお世話になるこの「椅子」という映画の小道具。椅子は人間の生活必需品であり、人が座ること、立つこと、という基本動作を美しく描ける作家こそ私は一流だと信じている。
A「ベニスに死す」
「ベニスに死す」は「椅子の映画」である。映画は最後、海岸でダーク・ボガードが男たちに運ばれて行くショットで終わる。何故ビスコンティは、わざわざこんな面倒くさい演出をしたのだろうか。それはボガードを「椅子」から遠ざけるためだ。この場面の残酷さは、ボガードが「椅子」からどんどん引き離されてゆく瞬間の恐ろしさに尽きているのである。
映画の中でボガードはいったい何度「椅子」に腰掛けたことだろう。浜辺で彼がまずしたことは椅子を持ってこさせることであり、椅子がなければボートのへりや地面そのものが椅子の代わりを果たすことによってボガードの生を保護してゆく。心臓の悪い彼にとって椅子はまさに生命維持装置に匹敵する避難場所であり、安住の地であり、生を満たしてくれる唯一の聖域なのだ。ところが最後その「椅子」からボガードは無残にも引き剥がされ、ゆっくりと遠ざけられ、ロングショットで卑小化させられ、長回しで絶え間なく持続して見つめられる。
なんと残酷無比な演出だろう。ボガードの死は生物学的には心臓麻痺かもしれないが、映画的に見れば紛れもなく、ボガードが「椅子から引き剥がされ」かつ「遠ざかってゆく瞬間瞬間」に持続して訪れたのである。持続する死、これはまさに「ボガードの生殺し」というしかない極めてグロテスクな画面なのだ。だがこんなにも生々しいビスコンティの「椅子」の演出を目にした時にも、矢張り私は懲りもせず「これはひょっとするとグリフィスかも知れない、、、」と呟かずにはいられないのである。
B椅子とグリフィス
椅子の出てこないグリフィスの映画を私はこれまでに一本しか見たことがない。それは「人類の女性」(1912)という初期の短編で、飢えに苛まれながら砂漠を放浪する三人の女が不寛容にいがみ合いながら、最後はインディアンの遺した赤ん坊を発見し、ただそれだけで人間性を回復し和解するという、いかにもジョン・フォードを連想させる素晴らしい短編である。この場合、場所的設定が砂漠という限定された地帯であるから、椅子が出てこないのは当然といえるだろう。
C「東への道」
それ以外の作品で、数限りなく出現したグリフィス映画の「椅子」について私が忘れられない瞬間、それは「東への道」(1920)で、私生児として生まれ洗礼を拒否された瀕死のわが子に、母のリリアン・ギッシュがせめて天国へ行かせてやりたいと急いで自ら洗礼するシーンで使われたあの「椅子」である。
ここでリリアン・ギッシュは揺り椅子の上に我が子を寝かせ、床にひざまずき、自らの手で子供に洗礼をしてやっている。このシーンを見た監督のグリフィスは演出をしながら涙を流し、現場で撮影を見ていた赤ん坊の本物の父親は失神してしまったという信じられない逸話が残されている神がかったシーンである(リリアン・ギッシュ自伝269)。
この瞬間を見るたびに私はいつも強く打ちのめされるのであるが、それはいったい何故なのだろう。まずこのシーンではグリフィスについていつも言われるところの「クロスカッティング」なり「クローズアップ」なりという技法ではなく、エイゼンシュテインの言葉を借りるならば「ワンショットの画面」(注Tエイゼンシュテイン全集E68)の中の、「描写」の中身が問題となっている。言わばグリフィスのリアリストとしての観察者の側面が問題となっているのである。
さて、この「東への道」のシーンでは「椅子」という小道具の使い方に秘密があるに違いない。しかし「椅子」という視覚そのものが私に感動をもたらしたとも思えない。矢張りその「椅子」に物語的な「何か」が付け加えられ、それが画面に力を与えているのだ、と考えるべきだろう。ではその「何か」とは、何か。
Dグリフィスの椅子の法則
ここでまずグリフィス作品の「椅子」の使い方について検討してみよう。グリフィスの作品において椅子は、「彼の信頼」(1911)で黒人奴隷が女主人に自分の椅子を差し出したときのように主人の象徴として使われることもあれば、「ニューヨークの帽子」(1912)のように、夢見る乙女の眠り場所となることもある。「人生であるように」(1910)では恋人同士の逢びき場所として使われ、さらに終盤ではピックフォードが故郷へ帰還し父親と再会する時の場所としても使われているし、「境界州で」(1910)においては怪我人が座らされる場所としても使用されている。さらに椅子は椅子本来の効用以外のものとしても数多く使われてもいる。「国民の創生」(1915)では猿轡を噛まされたリリアン・ギッシュの監禁場所として使われているし、「嵐の孤児」(1921)ではなんと逆さまに置かれた椅子の背中が負傷したダントンの枕代わりに使われたりもしている。「わがままペギー」(1910)においては攻撃や防御の代用品として利用されているし「暗黒の家」(1913では暴漢の隠れ場所として、そして「封印された部屋」(1909)や「ピッグ裏通りの銃士たち」(1912)に至っては、ついに人々の死に場所としての使命を授けられているのである。生きること、死ぬこと、愛すること、事件、事故、そして帰郷、、、グリフィスの作品において椅子はただ座るためのものではなく、人生のあらゆる局面で使われ続けるまさに生活必需品にほかならないのだ。ここまで椅子を多用な用途に使う作家を私は断じて知らない。
そしてこのようなグリフィスの椅子の使い方を良く観察したとき、椅子は、ただ座るもの、殴るもの、隠れるもの、、、等の、独立した小道具として見る時よりも、人と人との「関係」の象徴として見た時の方が遥かに画面は活気付くのである。
例えば上述の作品の中でも、「ニューヨークの帽子」でピックフォードが椅子に座りニューヨーク産の帽子の夢を見た次の瞬間、亡き母からピックフォードの世話を託されたライオネル・バリモアが現われピックフォードに帽子をプレゼントするシーンでは、ピックフォードの座っていた椅子には亡き母との「関係」が暗示されていると見てこそ、あの帽子は「泣き母からのプレゼント」という間接的な感動をもたらすのであるし、それ以外の作品においても「彼の信頼」では主人と使用人との関係が、その他の作品でも「恋人」「父と子」といった関係が多くの場合暗示されているのである。その傾向は他の作品にも顕著に見られる。
庭先の陽光の中でリリアン・ギッシュに顔にタオルをかけられ気持ちよさそうにうたた寝をする「東への道」のバー・マッキントッシュ老人のように、また「暗黒の家」(1913)で、クレア・マクドウェルの奏でる美しいピアノの音色を聴き思わず椅子へ崩れ落ちた精神病患者のチャールズ・ヒル・メイルズのように、男たちは最早ただの「椅子」としてではなく、まるで母の胸に抱かれるような郷愁でもって深々と椅子に体を沈めて心を癒しているのであり、また「イントレランス」(1916)で自然光の差す部屋の中で椅子に座り、揺り籠を揺らし続けるリリアン・ギッシュのあの有名なシーンや、「ホームスイートホーム」(1914)のオープニングで揺り椅子に揺られる母、ジョセフィン・クロウェルのように、女たちもまた見事な母性ぶりで椅子の中にゆったりと納まっているのである。
さらにそこに「子供」が付け加えられると、グリフィスの椅子の持つ関係は「家族」という枠組みの中でより視覚的に顕著に現われ、完成されるだろう。「日光」(1912)でオールドミスを演じたクレア・マクドウェルは、幼女に突然手にキスをされ、放心したように「椅子に崩れ落ちながら」少女を抱き上げて母性に目覚めているし、「ホームスイートホーム」、「エルダーブッシュ峡谷の戦い」(1913)では、生まれて来た赤ん坊たちが、椅子の母や父の膝の上で幸せそうに甘えながら揺り椅子に揺られている姿が何度も目撃されている。ここには子供はショールに巻かれ、椅子に座った母の胸に抱かれながら、ゆらゆらと揺られて育つものであるというヴィクトリア朝的、ないしはグリフィス的メロドラマの親子関係が露呈しているのである。
グリフィスの弟子とも言うべきジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」(1941)で、兄弟が母の元を去る時、母を揺り椅子に座らせ、目を閉じさせ、椅子を揺らしてから去って行ったのも、また、ヘンリー・ハサウァイの「エルダー兄弟」で、ジョン・ウェインが亡き母の揺り椅子を殊更揺らし続けたのも、椅子はただ座るためだけのものではなく、親から子へ、子から孫へという「関係」においてより強く視覚的に暗示されているのである。このような「椅子」を中心とした「母」と「子供」との三者関係をして我々は「グリフィスの椅子の法則」と名づけることにする。
では「東への道」で私を感動させたのは、あの子供が椅子に乗せられ洗礼されたからであろうか。余命いくばくもない子供の洗礼を母の揺り籠で、という母心が画面の上に物語的に露呈しているのは間違いないだろう。
だが私がおぼえた感動は、そのような満たされた幸福な気持ちではない。存在よりも不在、何かが「足りないこと」の醸し出す画面のもたらす逆説的な感動であったはずなのだ。ではあのシーンで「足りないもの」とはいったい何だったのだろう。それは「母」である。
E道具
その理由に入る前に、今度は「椅子」を含めたグリフィスの「道具」一般の使い方に立ち戻って検討してみよう。グリフィスと言えば椅子の他にも動物や帽子、エプロンや手紙など小道具の使い手としても知られている。動物がエイゼンシュテインへ、エプロンと椅子がジョン・フォードへ、そして手紙がルビッチへと受け継がれたことは容易に想像ができるが、その中でも注目したいのは、私自身「分離」と名づけている小道具の「使い方」である。例えば「世界の心」(1917)でリリアン・ギッシュは、戦場へ赴くボビー・ハーロンと写真を交換し、ことあるごとにそれを見てお互いを懐かしみ思い出すというシーンがあり、また「東への道」では、木陰に佇むリリアン・ギッシュの肩にリチャード・バーセルメスの飼っていた鳩がとまり、その鳩とギッシュとがキスをするというシーンがある。ここでの写真や鳩の使い方が「分離」である。男たちの魂が人物から「分離」し、写真や鳩という事物そのものに乗り移り宿ってゆく。女たちはその事物に触れ、抱きしめ、キスをするのである。仕草や状況を駆使しながら、通常の映画一般の小道具を、さらに人間との関係においてもう一段階発展させて使っているのである。
F分離
こうした「分離」の手法は、グリフィス以降の作家たちにも受け継がれている。中でも小津安二郎は、グリフィスの正統的後継者と言うべき「分離」の達人である。例えば「非常線の女」(1933)では、揺れ続けるボクシングのサンドバッグに、それを叩いた田中絹代の情念そのものが「分離」して乗り移っているのだし、「青春の夢いまいずこ」(1932)では、大学の用務員の坂本武が校庭でガマグチを拾い、しめしめと中を開けると何も入ってなく、逆さにして思い切りガマグチを振ったところ、手首に紐でつなげてあった終業ベルを一緒に鳴らしてしまい、大学中が「終業」してしまったという大爆笑のギャグがあるのだが、この場合、ベルの音そのものが、「坂本のいやしい根性」の「分離」として使われているのである。
そもそも小津の場合、例えば「晩春」(1949)で原節子が嫁いだ後、原のいなくなった部屋を映し出すショットが象徴するように、小津のトレードマークともいうべき数々の空舞台の空間それ自体が、そこで生き、生活をしていた人々の魂の「分離」として使われているのであって、そうした点から小津は、グリフィスの「分離」の手法を高度に応用し、濾過し、人間の日常生活そのものの情感へと発展させた「分離」の正当後継者ともいうべき存在なのである。
さらに、ことあるごとにグリフィスを批判したエイゼンシュテインですら、「戦艦ポチョムキン」(1925)の、あの有名なオデッサの階段を落ちて行く乳母車のシーンでは、撃たれた母が倒れて乳母車にぶつかり、その力で乳母車は落下を始めたのであって、落下する乳母車にはまさしく、無力な母の最期の情念が「分離」して込められているのである。
「分離」の手法の意味合いが何となく分かっていただけただろうか。ではもう一度、グリフィスに立ち戻って一つ際立った例をあげてみよう。「嵐の孤児」でリリアン・ギッシュが、悪女から妹(ドロシー・ギッシュ)のショールを奪い返し、そのショールを折りたたみ、赤ん坊をあやすようにゆらゆらと揺らしているシーンである。グリフィス特有の感傷的なシーンではあるが、ここではショールという物質に妹の魂が乗り移っている。ショールがドロシーから「分離」し、そこにドロシーの魂そのものが込められているのである。同じように「見えざる敵」(1912)においては、孤児となったリリアンとドロシーの姉妹が、亡き父の書斎の椅子を指差しながら「ああお父様が、、、」と悲嘆に暮れる場面があるが、ここでは「椅子」が父から「分離」されているのであり、さらに「嵐の孤児」では、リリアン・ギッシュが、妹のひざ掛けのかかった椅子を、まるで妹そのものであるかのように自分の方へ引き寄せてから裁縫をするシーンがある。
こうして繰り返される「分離」の萌芽はすで初期の短編「わがままペギー」において見事に現われている。ここでメアリー・ピックフォードに振られた男は、彼女が去ったあと、彼女が自分に投げつけた椅子の足を名残惜しそうに触り、また彼女の飲んだコップをわざわざ指差しその不在を悲しんでいるのだ。これは露骨なまでに「分離」を身振り手振りで示した印象的なシーンであると言えるだろう。事物が本体から分離され、魂が事物に取り付いてゆく。こうしたグリフィスの、小道具を「分離」させて使う演出は数え上げればきりがないが、そのどれもが、ショールを揺らすあのリリアン・ギッシュのように、異常なまでの露骨さでもって描写され続けているのである。
この「分離」の手法を発見したのがグリフィスかどうかは不明である。しかしそれを洗練させ、映画的に完成させたのはグリフィスであると言って間違いないだろう。そしてこのような実体と魂との「分離」の手法が、のちの映画的手法の発達と共に「鏡」による分離へと、さらにトーキーの出現によって「音」と音源との分離へと受け継がれたことは言うまでもない。
Gどうして分離させるのか
では何故、実体と魂とを「分離」させるのであろうか。ここでまたもうひとつ例を挙げよう。実体と声との分離である。「嵐の孤児」でのあの有名なアパート脇の路地での姉妹の再会シーンだ。アパートの二階でリリアン・ギッシュが椅子に座っていると、外から聞きなれた声の歌が「聞こえてくる」。しかしこの作品はサイレントなので正確には「聞こえてくる」のではなく、リリアン・ギッシュの顔色が変化し、高潮し、スクリーンの外から聞こえる音源を探し求める彼女の姿を見ることで「聞こえてくる」ことが我々に分かるのである。ここではフレームの外のドロシーと、中のドロシーの声とが「分離」されている。この場面の感動の一端がこの「分離」の手法にあることは間違いないだろう。
では何故こうして「分離」されると「感動的」なのであろうか。人間というものは、目の前にいられると煩わしいものだが、いなくなられてみると愛しくなる、そんなメロドラマ的感傷が、不在の悲しみが、分離された道具や声に触れる人物を通じて我々の胸を打つのかもしれない。だがそれ以前に、そもそも映画とは、フレームの中で影が運動する極めて限界のある二次元のメディアである以上、人と物、人と声とを「分離」させ、本体をフレームの外に置いてその存在を我々に想像させるという手法自体、小さなフレームを想像力によって無限に横へ縦へと押し広げる極めて豊かな映画的手法であると言えるのである。同時にそれは我々の想像力を刺激し、働かせ、分離された対象への郷愁をこみ上げさせる。
「音源を捜すと特別の緊張した瞬間が生まれる」(映画の精神203)と、ベラ・バラージュがすでに70年前に指摘しているように、「嵐の孤児」のあのシーンでは、ドロシーの歌声が、ドロシーその人から「分離」されていたからこそ、逆に我々をしてドロシーを「探す」サスペンスと郷愁が生まれ、同時にドロシーを懸命に「探し求める」リリアン・ギッシュの健気な姿に胸を揺すぶられるのである。愛する者を「探す」という行為が如何に美しいことか、映画というメディアが「探す」という行為の感動をよく我々に伝えてくれるのは、我々人間に「肉体」という限界があることが人間をして人間への発見へと駆り立てるのと同様に、映画というメディアそのものに「フレーム」という限界があることと無関係ではないだろう。
「額縁は求心的、スクリーンは遠心的である」とアンドレ・バザンが語っているのも(映画とは何かW175)、また「映像は部分であるから、それを含む全体の支持の上にのみ存在可能であり、また、それを含む全体を予想させる」と浅沼圭司が書いているのも(映画学165)、フレームという限界そのものが、逆に映画というメディアの芸術性と大きく関係していることを示唆するものだろう。メディアそのものの持つ限界を限界として真摯に向き合った作家のみがその限界を想像力によって拡大して行くための技術を編み出して行くのである。そうした中でこの「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ。
Hすべては椅子を中心に
「東への道」のあの洗礼の画面を思い出してみると、本来であれば赤ん坊を膝の上に乗せゆらゆらと椅子を揺らしているはずの母の姿はそこには存在しない。グリフィスはあからさまに「リリアン・ギッシュ」と「椅子」とを「分離」させているのである。
リリアン・ギッシュは、本来であればグリフィスの数々の作品でそうであるように母が子を抱き座っているべき椅子から分離され、床にひざまずいているのだ。このシーンが私の心を動かしたのは、せめて子供を母の揺り籠に乗せて洗礼を、という積極的な画面の力による感動もさることながら、それ以上に、その「椅子」に「母が座っていない」という、「不在」による「分離」の画面のもたらす消極的な力の美しさであったのである。
ここで「分離」されたのは、「母」と「子供」ではなく、「母」と「椅子」であることに注意しなければならない。前述のように「椅子」を中心とした「母」と「子供」との三者関係こそがグリフィスの椅子の法則であるとするならば、ここで結果的に生じた「母」と「子供」との「分離」は、二つの実体を二つに分離しただけの「物理的な分離」にすぎず、フレームの限界論による「想像力による分離」とは無縁だからである。そうではなく、母が「椅子」というグリフィス的家族関係の象徴から「分離」されているからこそ、そして同時に子供が「母から分離された椅子」という負の象徴関係に寝かされているからこそ、様々な寓意が画面の上で衝突し、我々の想像力をかき立てるのだ。すべては「椅子」を中心に展開されているのである。
「わが谷は緑なりき」のあの椅子のシーンでは、子供が「椅子から」分離されているからこそ、たった一人で揺り椅子を揺らし続ける母の姿に、子供を抱いて椅子を揺らした過去の日々への郷愁が込められ、それが画面全体の感動へと導かれるのであるし、「エルダー兄弟」のあの椅子のシーンでは、母と子供双方が「椅子から」分離されているからこそ、さらに長い年月の家族の歴史が暗示され、無人の椅子が揺れるという一見単調な運動が大いなる郷愁を誘い、我々の胸を締め付けるのだ。
I結論 境遇を画面の上へ
では何故リリアン・ギッシュは椅子から「分離」されてしまったのであろうか。それは、彼女がその社会的境遇の貧しさから、母としてではなく、洗礼者として振舞わざるを得なかったからだ。それによって母不在の椅子に乗せられた赤ん坊は、目の前に母がいるにも拘らず、画面の上では「孤児」としての悲しい「境遇」が暗示されるに至るのである。
ここでグリフィスの「分離」の手法の素晴らしさは、たかだか力による物理的な離別ではなく、椅子という小道具を中心とした家族関係の暗示と人物の配置との繊細な演出によって、人間の「境遇」というイメージを、たった「ワンショットの画面」で我々に暗示している点にある。素晴らしい人間観察の力がここにあるのだ。
子供の命は長くない。リリアン・ギッシュはわが子を腕の中で洗礼してやりたい。しかし私生児であるがゆえに子供は洗礼を拒絶されてしまった。だが洗礼をしてやらねば子供は地獄へ行ってしまう。こうして「母」と「洗礼者」との二極の選択を迫られたリリアン・ギッシュの「境遇」が、画面そのものの中で椅子から分離された母として視覚的に衝突し、その結果画面は、母のある子として地獄へ送られるよりも、たとえ「孤児」としてでも天国へ送ってやりたいという、母の心によって美しく悲しく包み込まれてゆくのである。
この場面が、同じ「分離」であっても他の「分離」と一味違うのは、一般の「分離」においては分離された実体はフレームの外側にイメージされるのに対して、この「東への道」の母と椅子との分離は、母は依然としてフレームの中に在りながら、イメージとしてフレームの外へと分離されている点にある。画面の中で正と負との対極が凄まじいメロドラマ的葛藤のなかで衝突し続けている。いったい誰がこのような魔術的演出を映画史において実現できたことだろう。まさにこれは完璧な画面と言うしかないのである。そしてこれこそが視覚による究極の映画的メロドラマなのだ。
Jグリフィスと分離
「東への道」の椅子の場面の素晴らしさは「孤児」という不可視のイメージを、椅子を中心とした可視的関係の演出によって我々に感じさせた点にある。そしてこの「孤児」というテーマは「見えざる的」「エルダーブッシュ峡谷の戦い」「嵐の孤児」に代表される、グリフィスが生涯に亘って描き続けた決定的なテーマに他ならない。同時にこの「孤児」というテーマそれこそが、親や世間からの「分離」を意味するのだ。
グリフィスの多くの作品において家族ははなればなれにされ、別々の空間へと「分離」されている。
★戦争→「境界州で」(1910)「彼の信頼」(1911)「国民の創生」「イントレランス」「世界の心」「アメリカ」(1924)
★災害→「エルダーブッシュ峡谷の戦い」
★事故→「不変の海」、
★裏切り→「牧歌的な乙女」(1910) 「東への道」 「厚化粧したレディ」(1912)
★連れ去り「ドリーの冒険」(1908) 「少女と彼女の信頼」(1912)「散り行く花」(1919)「嵐の孤児」
★死→「ニューヨークの帽子」(1912) 「母のように優しい心」(1913)
★その他「人生であるように」→結婚(1910) 「わがままペギー」→浮気「ピッグ裏通りの銃士たち」→職探し(1912) 「ホームスイートホーム」→複合的
このように、家族や愛する者同士の離別、帰郷、といったメロドラマ的なテーマがグリフィスの根底を形作り、そこから彼の画面を形作る「分離」という技法が考えられたと考えるべきだろう。
そうして「東への道」の「椅子」の画面をもう一度考えてみると、まず「椅子」という可視的な小道具でもって視覚的に母を椅子から「分離」させ、その効果によって「孤児」という不可視のテーマとしての「分離」を我々にイメージさせている。可視的な小道具から不可視の物語をイメージさせる、そのどちらもが「分離」というメロドラマ的な地点へと最終的に集中しているのだ。そこからさらにグリフィスは、平行モンタージュという編集技法によってもう一度空間自体を「分離」するのだから、いやはや、グリフィスは何から何まで「分離」してしまうことの大好きな作家なのである。
Kモンタージュの前に
これまでグリフィス論は「クロスカッティング」なり「平行モンタージュ」なりといった、「空間の分離」としての側面が強調され力説された傾向にあった。しかしこうした「編集」が力を持つのは、グリフィスの画面そのものの持つ力、画面の中で限りなく繰り返される「画面内分離」の視覚的な力があってこそであり、我々はまず、モンタージュという画面連鎖(衝突)効果の形式的誘惑へと走る前に、画面そのものの中身をもう一度徹底的に吟味する(見る)必要があるのではないだろうか。グリフィスの映画の画面は編集以前にすでに「分離」されているのであり、その画面をさらに編集によって分離することで、あらゆる分離がショートし、衝突しながら、作品全体の力を押し上げているのである。
L倫理と視点
私は「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ」と書いた。同時に「分離」という手法は、孤児という分離のテーマを視覚的に画面に乗せる手法であるとともに、フレームという映画の限界に正面から向き合った倫理的な技法でもある。今回ホームページに掲載した「ある子供」の批評で書いたように、また「ピンクパンサー」の批評で指摘したように、そしてこの「サイトの趣旨」で書いたように、映画とは人生そのものであり、その芸術的素晴らしさは作家の「視点」と、人間としての「倫理」の問題とを、映画という限界のあるメディアのなかでいかに戦わせ戯れを生じさせるかに大きく依存しているのではないかと私は考えている。
M最後に
グリフィスの画面は映画を「見る」ことの素晴らしさに満ち足りている。映画を映画学とし、その視覚的部分から解きほぐそうという姿勢を私にもたらしてくれたのは「イントレランス」の画面であった。それは「イントレランス」という映画の視覚的な画面の中に「視点と倫理」との豊かな戯れが限りなく詰まっていたからかもしれない。だからこそ私は、映画を不可視の物語だけで消費するのではなく、一つの芸術作品として、可視的な画面について「見ること」の誘惑に惹きつけられているのである。
注T・エイゼンシュテインには、グリフィスの平行モンタージュをブルジョア的二元論だと批判した「ディケンズ、グリフィス、そして私たち」という有名な論文がある(エイゼンシュテイン全集E163以下)。
「映画の本質はワンショットの画面の中にではなく、画面の相互作用の中に探求されなければならない」(エイゼンシュテイン全集E39)と語るように、エイゼンシュテインにとって映画とはモンタージュであり、ワンショットの画面は断片ではなく細胞であり、それ自体として独立した意味を持つのではなく、モンタージュという画面の衝突によって始めて総合的な意味を持つのである、という考えが根底にある。
私が書いた「グリフィス的分離」論は、ある部分ではそれに同調しながらある部分ではそれに対立するものである。
http://movie.geocities.jp/dwgw1915/newpage27.html
David Wark Griffith
1875年1月22日、ケンタッキー州クレストウッド生まれ。本名デイヴィッド・ウォーク・グリフィス?。
父は元南軍大尉で下院議員も勤めたジェイコブ・ウォーク・グリフィス。
1906年5月14日、女優リンダ・アーヴィドソン・ジョンソンと結婚。
1907年に自ら執筆した芝居『愚か者と女の子』A Fool and a Girlがニューヨークで上演されるが、失敗し、生活のためやむなく映画界入りを試みる。
エディソン社で監督のエドウィン・S・ポーターと出会い、俳優として彼の『鷲の巣から救われて』Rescued from an Eagle’s Nest(1908)に主演。その後、バイオグラフ社にストーリーを売り、俳優も続けた。
1908年6月18日と19日に撮影された短編『ドリーの冒険』The Adventures of Dollieで監督となり、以後バイオグラフ社のほぼすべての作品を演出。
1908年から13年にかけてバイオグラフ社で500本近い映画を演出した。
1911年には会社の反対にもかかわらず2巻物『イーノック・アーデン』を監督。4巻物の『アッシリアの遠征』(1914)を最後に、長編映画を撮るためバイオグラフ社を離れる。
ミューチュアル社のハリー・エイトキンと共に「エポック・プロデューシング・コーポレイション」を設立、12巻の大作『国民の創生』(1915)で空前の成功を収めた。
続いてさらなる超大作『イントレランス』(1916)を監督するが興行的に失敗した。
1919年、当時の世界的大スター、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリンと共同で、新たな配給会社「ユナイテッド・アーティスツ」を設立。
18日間で完成させたリチャード・バーセルメス、リリアン・ギッシュ主演の『散り行く花』(1919)がユナイト社の第一弾となった。
法外な製作費を投じて『東への道』(1920)を撮り『国民の創生』をも凌ぐ利益をあげたのに続き、『嵐の孤児』(1921)を監督。いずれもリリアン・ギッシュが主演している。
1931年公開の『苦闘』The Struggleは批評的にも興行的にも失敗、これが最後の監督作となった。
1932年に自らの独立プロを解散、1933年にはルイヴィルに転居した。
1936年にリンダ・アーヴィドソンと離婚、3月2日に女優イヴリン・ボールドウィンと再婚したが、1947年に離婚。
1948年7月23日、ハリウッドのテンプル病院にて脳溢血のため死去した。(満73歳没)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/D%A1%A6W%A1%A6%A5%B0%A5%EA%A5%D5%A5%A3%A5%B9
,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
,. ‐ ヽ
,.‐´ \
/ ,l \ ヽ
/ l|, 、 、 |iヽ, ヽ \. ヽ
/ l i ! | i | |l'、ト ヽ iヽ ヽ ',
! | / | |. i |.|| i.|ヽ |、 | ', i i
! ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l .i| i
! i ,.|!,.+‐'"| | | |i} ' ュノェ|i,`i l.| i
l i l l |/;:=ニ|i l | /rj:ヽ\ i l i l
| | | ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!. ' {::::::;、! 〉iー | | |
| |i. | !; 〈 !:::::::c! 'ー''(つ }i | i.| |
| ! | | ;: (つ`''" 、 //// /;:i | | !. |
| i, i. 、//// ' /,ノi, i. |
! .| | i 、,ゝ、 、─, / i | |. i
.! | i |. | lヽ、  ̄ / l | i | !
! | i |i |l l| |`''‐ 、 , イ |i | |i | i |. !
| | i |i |i .| ノ ` ''" ヽ/l| l__,.、-|l l ! i、
,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l ' ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
/ ! l l ̄ ` 、_ | /ノi i.! |
,' ! | ,|/ |/i' |
i ` l .ノ ノ ' ヽ、 |
| ノ ,... ヽ、; ヽ-,
.! |:: :..゚..:: i: ゙゙''i
| l:: ゙゙" |: |
@゙! |:: !:: ノ
___________________
___________________
2. 一生、グリフィスの理想の女性を演じ続けたリリアン・ギッシュ
@ 見えざる敵(An Unseen Enemy) 1912
監督:デイヴィッド.W.グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ ドロシー・ギッシュ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13365453
バイオグラフ社製作。リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュの映画デビュー作でもある。
父親に死なれた2人の姉妹。姉妹の兄は、2人の遺産を家の金庫に入れて仕事に行く。そのことを知ったメイドは、仲間を呼んで金庫を開けようとする。姉妹に感づかれたメイドは、姉妹をある部屋に閉じ込めてしまい、壁に開いた穴から姉妹に向けて銃を発砲する。姉妹は電話で兄に助けを呼び、それを聞いた兄は大急ぎで助けに行く。
「THE GIRL AND HER TRUST(彼女と彼女の信頼)」(1912)などといった他の作品でも見られる、グリフィスお得意の「ラスト・ミニッツ・レスキュー(最後の救出劇)」のバリエーションである。銃が壁に開いた穴に突っ込まれる際、クロース・アップで捉えられた穴から、ゆっくりと不気味に銃が出てくるというヒッチコックを思わせるシーンなど、工夫は凝らされているが、基本は変わらない。ただ、話はスムーズに流れているし、加えて兄が車で助けに来る途中に橋でトラブルに遭って時間を取られるといった「じらし」のテクニックも披露されて、グリフィスが追求した話法が完成されてきているのがわかる作品となっている。
リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュは、若い。むしろ幼い。後のグリフィス作品に踏襲されるリリアンとドロシーの役割分担(大人で静かなリリアンと、活動的なドロシー)がすでにこの作品から見られる点が興味深い。といっても、リリアンとドロシーは私生活でもスクリーン上と同じように、大人のリリアンと子供のドロシーという感じだったらしいので、それを反映させただけかもしれないが。
__________
A The Mothering Heart (Lillian Gish / Walter Miller) 1913
監督:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ、ウォルター・C・ミラー、ヴィオラ・バリー
http://www.youtube.com/watch?v=JCmY6VQP6s4
http://www.youtube.com/watch?v=AAt_hXJeClo
http://d.hatena.ne.jp/kinokos/20091011/p5
リリアン・ギッシュが初めて単独主演した作品とも言われ、「母親を演じるには若すぎる」としたグリフィスに対して、オーディションを受け直してまでギッシュが役を手に入れた作品ともいわれている。
ある夫婦。妻は妊娠するが、夫はそのことを知らずナイトクラブで浮気相手といちゃついている。夫の浮気を知った妻は、家を出て実家で子供を出産。しかし、子供は生まれて間もなく死んでしまう。
後にギッシュがグリフィス作品で演じていく、不幸な若い女性像がこの作品には表れている。特に展開が、「東への道」(1920)に似ている。そして、そのギッシュが素晴らしい。
まずはその表情。夫が浮気しているのではないかという疑念の表情、夫との離婚を決意したときの決然とした表情、生まれたばかりの子供を失ったときの呆然とした表情・・・といった表情が一言では言い表せない多様な感情をたたえてギッシュの顔に浮かぶ。
ギッシュの演技の素晴らしさはグリフィスの演出の素晴らしさによっても引き立てられている。夫が浮気相手と密会するのを見つけた後のギッシュの表情は、木に隠れてよく見えない。だが、木に突き立てられた爪が雄弁に物語っている。また、子供を失った後、ギッシュが庭に伸びるバラの茂みをスティックで闇雲に叩きまわすシーンでは、マスクをかけて画面が丸くなるように処理されている。それは、まるで映画の受け手が見てはいけないものこっそり見ているかのような感覚だ。
グリフィスの演出とギッシュの演技の融合はほかにもある。ギッシュが妊娠していることは、ギッシュがちょうど赤ん坊の大きさに畳んだ服を、腕の中であやすような仕草を見せることで私たちに知らされる。また、ギッシュが夫とナイトクラブへ行ったとき、ギッシュがナイトクラブのような場所にウブであることを、ステージ上のショー(原始人の格好をした男女が踊るショー)に見とれて他の人のテーブルにぶつかってしまうことで示される。このとき、ギッシュの妊娠をすでに知っている観客が、ギッシュのお腹がテーブルにぶつかることで、ヒヤっとすることまで計算していたとしたら、グリフィスはすごすぎる。
D・W・グリフィスがバイオグラフ社で短編を撮っていた時代の末期にあたるこの作品は、グリフィスのメロドラマの集大成を示しているとともに、この後のグリフィス映画を予見しているようにも思える。そして、何よりもグリフィスの演出、リリアン・ギッシュの演技、わかりやすいが胸を打つストーリー(ラストシーンはグッとくるものがある)、素晴らしいセット(特にナイトクラブのセット。当時の金額で1,800ドルかかったという)と、見事な出来栄えの作品である。
http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=The+Mothering+Heart&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail
_____________________
B 國民の創生(THE BIRTH OF THE NATION) 1915
監督:D・W・グリフィス
キャスト:リリアン・ギッシュ/メイ・マーシュ
http://www.youtube.com/watch?v=vPxRIF1c2fI
http://www.youtube.com/watch?v=8TWWPhBvJJo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=tzDlC9a7Cao&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=bHMil73oTgQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=R4v_yRFf4-Y
http://www.youtube.com/watch?v=9t-7SVbLjBw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=91Oqqs7OMbo
http://www.youtube.com/watch?v=51-Ie_XoVNM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RQyy9S8-Q5E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=O95nALWbO44&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fJx-KOLEkTk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RdM9tYh2CEg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yosy-ClkFto&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fOm8z_DUboc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=WxKG14k03Z0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Q1gpJNk9Rh0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=8_wOXyoHLYY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=-T8hxDnJefI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=b8OwKgU4Vvc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=LqQnZZufuWo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=U2gGxmpH0_o&feature=related
トーマス・ディクスンの小説『クランズマン』を翻案し、映画化された。アメリカ映画最初の長編作品でもある。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・アメリカ南部の二つの名家(ペンシルベニア州のストーンマン家とサウスカロライナ州のキャメロン家)に起こる息子の戦死、両家の子供達(リリアン・ギッシュ、ヘンリー・B・ウォルソール)の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカンの暗殺などが、ドキュメンタリー映画を思わせる迫真の映像とともに、白人の視点から描かれる。
史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、エイブラハム・リンカン暗殺のシーンのため、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらがアメリカのいとこ』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。
長編映画でも4巻(約40〜50分)ものが主流であった当時としては前例のない、12巻(上映時間2時間45分)、制作費は6万1千ドル、広告費などを合わせた経費は約11万ドルかかったが、公開するや作品は大ヒットし、ニューヨークでは実に44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。1931年には、音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。
映画技法の特徴 [編集]現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。この映画では、グリフィスが直前まで働いていたバイオグラフ社時代の短編で映画監督としての修業を積み、カメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを次第に身につけてきたのが、一気に開花しているのである。
第1には、場面の動きの見事さである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。
主観の切り替え技法この作品では画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。また1場面をワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって、迫力のあるシーンを編集できたのである。
また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。
第2に、カメラの機能と編集である。明るい場面、暗い場面、鋭角的な場面、ロングショット(遠景)、クローズアップ、パンショット(カメラを左右に動かす)、移動撮影などを多用しているが、1つのカットには1つの事柄のみを含ませてそれらを総合的に組み立て全体の事件を見せるという技法や、1カットの事柄が終わらぬうちに別のカットを入れ込みそれらが統合して新しい意味を生み出すという技法などを用い、エモーショナルな効果やサスペンスを盛り上げることに成功している(モンタージュ効果)。
モンタージュ効果はエドウィン・S・ポーターの『大列車強盗』(1903年)の前例があるが、グリフィスはそれをさらに本格化させており、これらの技法は後にエイゼンシュテインやプドフキンらがモンタージュ理論として体系化された。特にサスペンスが盛り上げる時、クロスカッティング(日本では「カットバック」とも呼ばれる)を多用している。
第3に、フラッシュバックの使用である。フラッシュバックとは、プロットにおいて、映画の物語の現在より過去に起きたアクションやシーンを提示することである。これは、グリフィス自身がすでに以前の作品で試みているが、この作品ではとても効果を上げている。
第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の一部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったもの である。
第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、エイゼンシュタインらが後に多用した方法である。
最後に、専用の映画音楽が作曲されたということである。フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用したのである。
これらは姿・形を変えつつも現代の映画技法に日常のように受け継がれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F
『イントレランス』、『散り行く花』、『東への道』、グリフィスはとっても有名ですね。けれども『國民の創生』は、もっと古いですから、ご存知ない方があるかもしれませんから、ちょっとこの大事なグリフィスの名作の話をしましょうね。
で、『國民の創生』ってなんでしょう?BIRTH OF NATION、『國民の創生』ですね。
これは、どんな話かと申しますと、南北戦争が始まる前に、南のお嬢ちゃんと北の坊ちゃんが仲良かったんですね、仲良かったけれども、南北戦争で二つに別れたんですね、この男女は生き別れになったんですね。
そういうような話なんですけれども、この映画で見事だったのは北軍と南軍の大戦争ですね。もの凄い戦争ですね。これでもしも戦争が激しく、激しく、激しくなったら、アメリカは二つに別れなくちゃならなかったんですね。
さあ、そこでこういう言葉があるんですね、House Divided、二件に別れた家、というような言葉がアメリカにあるんですね。それは南北戦争のことですね。南北戦争がもし燃え上がって、燃え上がって、リンカーンが暗殺されなかったなら、この二つの国が生まれるんですね。
これは見事に治まったことで有名な話なんですけど、そこで初めて『國民の創生』、アメリカいうものが出来たんですけれども、この映画で何が凄かったかいうと、アメリカのこの歴史ですね、いかに、いかに、北軍が南部の黒人達を憎んだか、いうことが見事に出てるんですね。
というのは、グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。それで黒人を随分、随分苛めたんですね。だからこの映画に始めて、K.K.K.というのが出て来るんですね。クー・クラックス・クランとか言うんですね。
これは顔をかくして、白い服を着て、馬に乗って、何か木の棒を持って、ずーっと廻り歩いて黒人見たら殺すんですね。 怖い、怖い連中、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。
黒人はみんな、みんな殴り殺すんですね。黒人の家を焼くんですね。なぜそんなことをするんだろう、いや、黒人はいやなやつだ、黒人は悪いやつだ、顔がブラックでいやだ、そういうような時代があったんですね。
この南軍北軍の物語、この映画の終わり、やっとアメリカが一つになった、アメリカが一つになった、タイトルが『國民の創生』ですね。 というような話なんですけれども、当時、本当にそのころ日本に北軍の唄が流れて来たんですね、“ダンダンダダンダダンダ...”と流れて来たんですね。 私が幼稚園の頃、日本に流れて来たんですね。で、日本の唄になったんですね。“アナタノアーイノ、ツユウケテ、キーノウハージメテ、ワラッテヨ”まあ、そんな唄になったんですね。
よく考えたら「あなたの愛の露受けて、昨日始めて笑ってよ」、いやらしい唄ですね、というような事で、その時分にもうすでに北軍の行進曲が日本に入ったいうこと、それもおもしろいですけど、『國民の創生』は、その時代の話ですよ。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2270.html
D・W・グリフィス監督による「国民の創生」は、あらゆる意味で映画史に名を残すに足る作品である。その理由はあまりにありすぎて、ここにすべてを書くことがためらわれるくらいだ。
まず、「国民の創生」が超大作であるという点だ。当時、映画のほとんどはまだ短編が中心だった。イタリアでは1914年に「カビリア」といった作品がすでに長篇として世に出ていた。しかし、ことハリウッドにおいては、まだまだ短編が中心だった。 そんな中、現在私たちが見ることができる「国民の創生」は2時間35分の超大作だ。これは、今の映画と比べても長い。長いということは大したことではないように思えるが、当時の興行においてはこれがかなり賭けであったことは想像できる。当時の他の作品と比べて莫大な製作費をかけたこの作品は、映画館での収益が収入のすべてであった当時において、観客が入らなければ出資者たちを破綻へと導くことになる(後にグリフィスは「イントレランス」(19196)でその憂き目に会う)。
興行的には「国民の創生」は大ヒットを飛ばした。通常の入場料よりも高い2ドルに設定したという入場料もものともしなかった。「国民の創生」は、アメリカ映画において国民的な大ヒットを初めて飛ばしたという意味でも映画史に名を残すに足る作品といえるだろう。
これ以降、肥大化していくハリウッドにおいて、これほど監督の名が強く刻印される作品が製作され、そして大成功を収める例は少ない。「国民の創生」にグリフィスは出資もしており、映画はグリフィス一色といってもいいくらいなのだ。唯一の例外は同時代においてはチャップリンくらいだろう。
映画誕生当初、映画はこじんまりと職人的に製作されていた。その代表例は、トリック映画でおなじみのジョルジュ・メリエスである。そんな状況は変化し、映画は産業として、製品として製作されていくことになる。大会社によって、工場に近い形で映画は製作されていく。グリフィスも(チャップリンも)、当初はひたすら生産される映画作品の部品の1つに過ぎなかったが、徐々に製作者の立場となり、自らの作りたい作品を撮るようになる。そのグリフィスの夢の結実が「国民の創生」であり、続いて製作される「イントレランス」である。両者の間に横たわる最大の違いの1つは、「国民の創生」は興行的に成功したということだ。
映画が産業へと移行していく過渡期において、1人の人物が映画を製作し、そして大成功を収めたという記念碑的な作品として、「国民の創生」はやはり映画史に名を残すに足る作品といえる。
「国民の創生」は、南北戦争前後の南部を背景として、2部に分かれている。1部は、南北戦争の勃発からリンカーン大統領の暗殺までが描かれる。2部では、実権を握った黒人と、それに反発する白人たちとの間の争いが描かれる。
1部は戦争の悲惨さがひたすら描かれる。親交の深かった2つの家族は、南北戦争によって敵同士となってしまう。敵となっても、戦場で顔を合わせれば、それはかつての友人に違いはない。2つの家族の兄弟たちは、それぞれ戦死者を出して、ついには1人ずつとなる。帰りを待つ家族の悲しみ。敗色濃い南部側の家では着るものを売り払わなければ生活していけなくなる。何とか生き延びた南部の家の兵士が帰り着くとき、そのボロボロになった心と身体が、荒れ果てた家が、ボロの服を精一杯着飾って迎える妹が、悲しさを助長させる。出征のときの街をあげてのどんちゃん騒ぎの影はどこにも見られない。あるのは、戦争が産んだ悲劇だけである。
この戦争の悲惨さに加えて、メロドラマも語られる。やがて敵同士となる南北の2人の友人。北の男には妹がいた。南の男は、その妹の写真を見ただけで一目ぼれしてしまい、写真をもらって戦場でも大事にする。やがて、戦場で負傷した南の男が、北軍の医療所に収容されると、そこには夢にまで見た(演出もまさに夢を見ているようにされている)写真の女性がいた。メロドラマは、2部への伏線ともなっている。
2部では、リンカーン暗殺後に、黒人が権力を握った南部が描かれる。北側の意向により、南部では黒人が議会では多数派を占めるようになり、白人は隅へと追いやられる。黒人はそれを利用して、傍若無人に振舞うようになる。
戦争によって敵同士となった親交の深かった南北の2つの家は、再び親交を取り戻している。北部の家族は、家長の療養も兼ねて南部の家へと居候することになる。この家長こそ、黒人に実権を持たせるように決定した人物であった。病院で運命の出会いを果たした男女も、ここで再会する。2人の再会によって愛が燃え上がるわけではない。それよりも、描かれるのは、白人と黒人の対立だ。黒人の横暴に耐え切れなくなった南部の家の男は、自警団を結成することを決める。悪名高きKKKだが、この作品では、KKKは白人の命を守る正義の士として描かれている。黒人によって、妹を殺され、家族や愛する女性が黒人に命を狙われたことを知った南部の家の男は、KKKを率いて仲間である白人を救出するのだった。
「国民の創生」の内容もまた、映画史に名を残すに足るものとなっている。その理由は2部にある。2部の内容は、白人を持ち上げ、黒人をさげすんでいる。そのことは明らかだ。「国民の創生」が公開されたとき、有色人種の団体から猛烈な反対が起こったというし、映画監督への賞であるデビッド・W・グリフィス賞は「国民の創生」における思想の問題において近年別の名称へと変更されている。
確かに、「国民の創生」における黒人の描かれ方はひどい。ひどすぎるといってもいい。例えば、議会で靴を脱いで机に足を乗せる人物がいたり、密かに酒を飲む人物がいたり、あからさまに好色な人物がいたりという描写は、一方で白人の議員が礼儀正しく座っていることもあり、黒人を人として描いていないとまで言えるだろう。
この黒人観は、まさにグリフィスによるものだ。グリフィスも、この作品にKKKに参加している人たちと同じように、南部の出身である。しかも、父親は軍人であった。そんな、グリフィスにとって、「国民の創生」における黒人観は当然のものであった。グリフィスはグリフィスの正義を「国民の創生」に注ぎ込んでいる。グリフィスは自らの主張のために、あらゆる配慮をせずにこの作品を作っていることだけは確かだ。
D・W・グリフィスによる「国民の創生」は、演出ももちろんグリフィスによって行われている。グリフィスといえば、クロース・アップやカット・バックといった技法を完成させた人物(発見した人物ではない)として名高い。そして、「国民の創生」はその完成形としても高く評価されている。
「国民の創生」においては、その群集処理が高く評価されている。確かに、その長い長い兵士の行列シーンなど、当時評価されていたことはわかる。だが、他にもたくさんの似たようなシーンをみてきた私にとっては、それはさほど心を打つものではなかったというのが正直なところだ。
また、黒人の襲われる白人たちと、白人たちを救うために馬に乗ってかけつけるKKKの一団のカットバックも、「国民の創生」を語る上で欠かすことのできないものだろう。しかし、このカットバックは見ていてドキドキするほどのものではない。これは、最後には間に合うことを知っているとういことと、KKKをどうしても正しいものとして見ることができないということからくるものだろう。
だからといって、この作品は今見るとまったく楽しめない作品ということではない。時間を割かれて描かれるリンカーンの暗殺シーンや、黒人に追われて崖へと追い詰められる白人女性のシーンの緊張感はなかなかのもので、グリフィスの演出や編集の確かさを知ることができるだろう。
また、わざわざ字幕で「本を参考に忠実に再現した」と断るだけあって、リンカーン暗殺の場となる劇場や黒人の議員に選挙された議場などのセットは見事だ。
役者たちで最も印象深いのリリアン・ギッシュだ。グリフィス一門の中でもすでに古参の1人となっていたギッシュは、少しの表情の変化で感情を見事に表現している。病院のシーンで登場する、ギッシュ演じる看護婦に見とれる兵士は、実際にもギッシュに見とれていた男を起用して急遽挿入した人物なのだという。本筋の展開以外に遊びの部分がほとんどない「国民の創生」において、異色なシーンにはこんな理由があるのだ。
リリアン・ギッシュの白い肌と銀幕
國民の創生とは、歴史的大作の皮膚を被った実に私的なフィルムである。
それは何処に現れているか。 リリアン・ギッシュのあの白い肌に、である。
あからさまに他の女優達とは違う聖母性を授かったリリアンは「イントレランス」の時とは違って多種多様な表情を見せてくれる。 リリアンの魅力だけで言うのなら「散り行く花」並のリリアンの表情の多さと悲惨さとそして、決定的なスター性とでも言うようなモノがこの映画には溢れている。
思い出して欲しい。 クローズアップの決して多くないこの映画で一番クローズアップを受け止めていたのは誰かを。間違ってもそれをヒロインだからなどと言わないで頂きたい。
彼女がヒロインなのは映画の中だけではない。監督と主演女優の境界がない世界でも確実にヒロインのはずだ、それはヒッチコックととあるモナコの王妃との関係に似ているかもしれない。
決定的な迄の一方通行さ。それが映画の中に類い稀な奇跡を導入している。
今一度思い出してみれば、リリアンの小鳥とのキスシーンの何とエロチズムに溢れた逆説的に監督からのリリアンのキスシーン拒否とも取れる演出の中に潜むデイヴィッドからのリリアンと恋愛を演じる俳優への嫉妬心が見え隠れしてはいなかっただろうか。
その後のリリアンがキスを終えて部屋ではしゃぎまわる件はどうだろう。 ベッドの支柱に彼を思い顔を頬を寄せるリリアンに対してキャメラは決して羞恥を隠さずに思い切ったクローズアップを展開する。
そうしてその後この映画に起こる出来事に対してリリアンは多種多様な演技を見せてその魅力の一辺を垣間見せてくれる事に祝砲をあげよう。
父にとっての銀幕は5セントの劇場でも夢工場でもなく、間違いなくリリアン・ギッシュのあの白い肌にその果てしない願いをぶつけれる銀幕を見ていた筈だから。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=7799#2
_______________
C イントレランス(Intolerance) 1916
監督・脚本:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ/メイ・マーシュ/ロバート・ハロン/コンスタンス・タルマッジ
http://www.youtube.com/watch?v=zkgSIdOU_cc&playnext=1&list=PL15EC7C79466B0E93
http://www.youtube.com/watch?v=zO545Fie1j4&playnext=1&list=PL15EC7C79466B0E93
http://www.youtube.com/watch?v=8F-pOHbNCoQ&playnext=1&list=PL15EC7C79466B0E93
いつの時代もイントレランス(不寛容)が世を覆っていたことを描き、人間の心の狭さを糾弾した。「映画の父」と呼ばれるD・W・グリフィス監督による、『國民の創生』と並び称される代表作にして映画史に残る大作。
社会の不寛容のため、青年が無実の罪で死刑宣告を受ける製作当時のアメリカ、不寛容なファリサイ派のために起こったキリストの受難、イシュタル信仰興隆に不寛容なベル教神官の裏切りでペルシャに滅ぼされるバビロン、ユグノーに対し不寛容な宗教政策によるフランスのサン・バルテルミの虐殺の四時代を並列的に描いており、最後に四時代は結集し、寛容を説く構成となっている。
バビロンのセットは当時としては破格の資金が費やされたが、四つの物語が同時並行的に進行する難解な作品であったことや、グリフィス一座の看板女優であったリリアン・ギッシュが表面的にはフィーチャーされていない扱いであったことなどからアメリカ国内では興行的には大失敗をし(リリアン・ギッシュの自伝によれば、最終制作費は190万ドルに達したとされるが、正確な制作費は不明)、壮大なバビロンのセットを解体する費用さえもまかなうことができず、このセットは数年の間廃墟のように残っていたと言う。しかし、歴史劇の伝統があるヨーロッパにおいては高い評価を得て商業的にもある程度成功した。現在では『國民の創生』と並び、グリフィスの代表作であると同時に、映画史に燦然と輝く名作として評価が確定している。
なお、本作においてリリアン・ギッシュは四つの物語には登場せず、ゆりかごで眠る赤ん坊を見詰める女性として、物語の間をつなぐような慎ましやかなシーンにのみ登場しているが、この役柄が聖母マリアを象徴していることからもわかる通り、グリフィス自身はギッシュこそが本作の真の主役だと認識していたと言われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9
D・W・グリフィスの『イントレランス』、この話しましょうね。
これは今だに、もう語りぐさ、アメリカで『イントレランス』言ったら知らない人はいませんね。日本でも『イントレランス』って知らない人いませんね。というのは、『國民の創生』、あの名作、超大作をつくったグリフィスが次に『イントレランス』を作ったんですね。
これは凄い時間かけて、当時六巻ぐらいが普通だった頃に、十四巻ぐらいの映画つくったんですねえ。
『イントレランス』、どんな意味ですか?『イントレランス』。
これは、不寛容、許されないこと、許さないこと、人間はこうゆう根性持ってるから、どんどん、どんどん、悲劇いうものが生まれたんだよ。戦争も、何もかも『イントレランス』なんだよ。この映画、『イントレランス』はグリフィスの、愛の好きなグリフィスの、怒りの声ですね。
グリフィスという人はこの前に、『國民の創生』の前に、『ホーム・スイート・ホーム』いうの作ったんですね。それは、いいお家、貧しいお家、悪いお家、いろんなお家が、家庭が出て来るんですね。それは、今考えたらオムニバスなんですね。当時オムニバスなんか考えてない頃に、グリフィスはそういう映画つくったんですね。映画作家だけど、映画の小説作家みたいな感じなんですね。
映画を作りながら、何か小説を書いているような人だったんですねえ。代替作家だったんですね。
それで『國民の創生』の次につくった『イントレランス』。これは時代物、紀元前何年の頃、今、そしてフランスの時代、いろんな時代を四つか五つとか、ずーっと観せたんですね。
で、これを観た時、私は十才でしたけど、何だかよくわからなかったのね。けど考えたら、見事なつくり方ですね、いかにもアメリカ式ですね。今日の時代がある思うとバビロン時代がある、バビロン時代があると、フランスの時代がある、そういう映画だったんです。
で、この映画のどういうとこがおもしろいか。怒る事、許さない事が、どんな悲劇を起こすか、どんな悲劇を起こすか。
バビロン時代、そのバビロン時代のセットの凄いこと。びっくり仰天で、今だに語りぐさですね。『イントレランス』のセット、バビロンのセット、凄いなあ。
どうしてグリフィスは、こんな立派な凄いものつくったの?思った時に、グリフィスは言わなかったけれど、みんなはわかったの。その二年前にイタリアが『カビリア』というの作ったのね。
『カビリア』というのは、凄いカビリアの宮殿、もう驚くような宮殿つくったんですねえ。 もう大理石の象、エレファントがずーっと並んでいるカビリアの宮殿。それをアメリカが観て、びっくりして、イタリアのアッブルジオいう会社がこんな凄い作品つくったのか!とみんなが驚いた時に、グリフィスが、「『カビリア』以上のもの作ってやる、僕は『カビリア』以上のもの作ってやる」それで生まれたのが『イントレランス』ですね。
だから『イントレランス』は、バビロンの時代、現代の時代も出ますが、バビロンの時代にどんな宮殿造ったか?さあ、それがもの凄くてびっくり仰天ですね。
そうしてそのバビロンの宮殿の、大きな大きなホールの真ん中の階段でみんなダンスする場面、その主人公がルイス・セント・デニス。もうアメリカ最高のバレリーナですね。それがサイレントだけどダンスするんですね。それを撮っている場面の奇麗なこと。
ところがこれはどうしても俯瞰撮影、上から撮らないと全景撮れないんですね。困っちゃった、困っちゃった、どうしても撮れない。今ならヘリコプターがあるから完全に撮れるけど、当時はヘリコプターがないからどっから撮っていいかわからない。
それで気球を出してロープを使ってずーっと上げて、そのかごの中にキャメラ置いて、ずーっと移動したんですね。そういうような、難しい、難しい撮り方をしたこの『イントレランス』。このシーンだけでも凄い。しかも、三つ、四つ、五つの話が入り交じって、入り交じっていて、現代も出てくるんですね。
現代はどんなの出て来るか言うと、金持ちの有力者がね、莫大な金をね、ある病院に寄付するんですね。で、えらい評判ですね、良かったんですね。けどその有力者、自分の工場の全部の工員の一週間分の中の給料を一割引いちゃったんですね。そうしてその金を寄付したんですね。
怒ったのは、工場の工員ですねえ。「なに、そんなばかな事あるか!」言って全部がストライキした。大ストライキ、大ストライキ、ニューヨーク、大騒ぎ。そうしてみんなが固まって、固まって、工場も閉鎖しようとしたんですね。そこへニューヨークの警察が、どんどん、どんどん、銃を持って、ライフル銃を持って、ずーっとその連中を追っかけたんですね。その場面が、ほんとのニュース実写のように出たんですね。
『イントレランス』は現代のそんな景色、ニューヨークのそんなストライキの景色、そしてバビロンの時代、紀元前の時代、いろんなの出して、グリフィスがどんな作家かいう事をね、みんなが観てびっくり仰天した。『イントレランス』は、そんな歴史の作品ですよ。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18019.html
この作品の圧巻はなんといっても「バビロンの栄光と崩壊」。 これでしょうね。
おびただしい人馬の群れと馬鹿でかい例の巨大な「空中庭園」には威嚇され圧倒されると同時に「無駄遣いしすぎ!」と思わず言いたくなるほどの物量です。あれが全部本当の人間だと思うと吐き気がしてきます。あの人たち全員にそれぞれ「人生」があるわけで、無数の「人生」の一瞬が、あの作品に切り取られていると思うと凄みが増してくるように思います。
あのばかばかしいほどでかい90メートルの城壁から見渡す街並みまで作ってしまったグリフィスっていったい何考えていたんでしょうか。
4つのストーリーと5つの時間の起点を交互に行き来する複雑な構成のため、興行が大失敗してしまい、2度と彼が大作を任されなくなってしまったある意味「汚点」となった作品ですが、その映画への独創性と革新性は確実に映画界に浸透しています。しかもまだそこから先にはあまり進んでいるようには思えません。あのゆりかごを揺するのは「神」であり、揺すられている「赤ん坊」は未熟な人間ですかね。
最高の監督、最高の女優リリアン・ギッシュ、最高の撮影技術、最高の予算と人数、最高の美術をつぎ込んだ最大の失敗作。ただこれは時代が追いついていなかったために起こったことであり、今見るとグリフィスその人の存在の巨大さと、「イントレランス」の偉大さが十分に理解できます。もっとも「不寛容」だったのは誰でもない「ハリウッド」だったのでしょう。
そして最後の「寛容」な世界は「神」が示す未来なのか、グリフィスその人の「夢」なのか。考えさせられました。 いまでも「不寛容」は世界中にはびこっています。最後に「愛」を叫ぶグリフィスが偉大に思えます。あの朽ち果てた戦車に咲く花のイメージはミスチルのかかる「カップ麺」のCM(綺麗でした)や「ラピュタ」の城のロボット兵にも使われていましたね。
「メディチ家」の話は宗教対立に名を借りた権力闘争であり、今でもイラクやその他の地域で現実に起こっていることです。
婚約者を虐殺から救えるか、男は間に合うかどうかと言うシーンのカットバックの手法が素晴らしい。
「現代」の話での圧巻は機関車と車の映画史で初のカーチェイスです。疾走する機関車は「時間」のメタファーであり、それを止めようとする人々は流れる「時間」を自らの「意志」で「変化」させています。
バビロンでの馬車を真横からカメラが捉える猛スピードの映像、気球を使って城全体を視野に入れる「俯瞰ショット」も凄いですなあ。これしか言いようがない。
こうしてみると最初の「イエス受難」以外のすべてに その運命を変えようと果敢に挑む人たちが出てきます。ある者は力尽き、またある者は大切な人を「不寛容」から取り戻します。
「神」のイメージで登場するリリアン・ギッシュの ゆりかごを揺する手を忘れられません。映像で作られた最高の文学です。「神話」「悲劇」「叙事詩」「リアリズム」「アイロニー」を網羅しているこの作品は(人間のあさはかさ を見せつけると言う意味では「喜劇」も入るかも)映画を愛する全ての人へのグリフィスからの贈り物であり、解決すべき問題提起です。
http://yacopper.air-nifty.com/tentsuba/2004/05/post_67.html
D・W・グリフィス監督による「イントレランス」は、後世にまで語り継がれるに足る壮大さを保持した映画である。そのストーリー、そのセット、その裏話、その技術・・・様々な面で壮大な映画である。
グリフィスによる前作「国民の創生」(1915)は、興行的に大ヒットを記録した。これによって、グリフィス自身は、大金を得ている。しかし、大金以上にグリフィスが手にしたものがあった。それは、自信である。
「国民の創生」(1915)は、賞賛と共に批判も浴びた。内容が人種差別的だったからである。内容への反対から上映禁止措置が取られた地域もあった。グリフィスは上映禁止に対して、敢然と抗議した。パンフレットを製作し、検閲に対する反対の意思を表明した。
そんなグリフィスの意思は、「イントレランス」の製作へとグリフィスを向けることになる。しかし、「イントレランス」は、検閲に対して反対の立場を映画として表現しているわけではない。検閲も含めた人間の「不寛容(イントレランス)」という、もっと幅広い概念への反対の立場を表現している。
映画で自分の考えを表明するために、別に大作である必要はない。しかし、グリフィスは「イントレランス」を超大作として製作した。「イントレランス」の1部である現代アメリカ篇は、「母と法律」というタイトルで1本の作品として完成していたという。グリフィスはこれにバビロン篇などの他の時代の物語を付け加え、超大作として製作した。「イントレランス」の現代アメリカ篇だけを見てみると、それほどお金がかかっていると思われるシーンはない。あえて金をかけて、グリフィスは「母と法律」を「イントレランス」へと作り変えたのだ。
イタリアの史劇映画の超大作「カビリア」(1914)をグリフィスが見て刺激されたという説もあるが、実際はどうなのかはわからない。それよりも私が感じるのは、グリフィスの自信である。グリフィスの自信が「イントレランス」を超大作として製作させた面を強く感じるのだ。
グリフィスの自信を最も感じるのは、製作費についてだ。グリフィスは「イントレランス」に多大な製作費を自ら出資している。「国民の創生」で得た金のすべてを出したとも言われている。その金額は100万ドル。それでも、製作費は足りず、最終的には190万ドルかかったといわれている。グリフィスは「グリフィス・プロデューシング・コーポレーション」という会社を設立して製作している。すなわち、「イントレランス」は、製作費の面でもグリフィスの映画なのだ。映画を成功させる自信がなくては、そんな出資はできるものではない。
グリフィスは、資金面の責任を個人的に請け負って製作した(職人的に製作した)作品の中で、最大規模の映画を「イントレランス」で実現したといえるだろう。チャップリンも後に同じような立場で超大作を生み出していくが、グリフィスほどの壮大さはない。チャップリンの場合は、「チャップリン」というキャラクターがメインのため、「イントレランス」ほどのセットや背景の壮大さは必要なかった、むしろ邪魔になったのだろう。
映画本編そのものについて話そう。
「イントレランス」は、全部で4部から構成されている。労働者階級の1組のカップルの受難を描いた「現代アメリカ篇」、バビロンの崩壊を描いた「バビロン篇」、キリストの受難を描いた「ユダヤ篇」、聖バルテルミーの虐殺を描いた「中世フランス篇」の4部である。
4つの物語はオムニバスのように分かれているのではなく、交互に入り乱れながら展開していく。4つの物語の展開は一致するようになっており、話の発端からつかの間の安息の日々、不寛容の広がりから悲劇へとつながっていくようになっている。
グリフィスは、「イントレランス」について次のように語っている。
「様々な物語は山の頂から見下ろした四つの流れのように始まる。最初、四つの流れは別々で、ゆっくりとしていて静かである。しかし、流れていくうちに、しだいに近づいていき、やがて早くなり、最後には一つの深い感動の奔流の中に交じり合う終幕へと行きつくのである」
「母と法律」の題で、すでに完成されていたという「現代アメリカ篇」が、もっとも時間を割かれている。また、話も最も複雑で、かつ感動的だ。
社会改良家たちがは、工場主の妹を口説いて運動資金を提供してもらう。工場主は賃金をカットすることで、その資金を捻出する。怒ったのは労働者で、大規模なストライキが起こり、鎮圧するために警察は発砲する。そんな労働者たちの一部は仕事ができなくなり、街へと出て行く。街へ出て行った若い労働者は犯罪者の道に走るが、同じ工場で働いていた労働者の娘と恋に落ち、子供ができる。しかし、若者は足を洗うことを許されず、罠にはめられて刑務所に入れられる。その間に、社会改良家たちによって、子供を連れていかれる。やっと出獄した若者だが、今度は濡れ衣の殺人罪を着せられ、絞首刑を宣告される。
ここでは、社会改良家たちが最も不寛容な人物たちとして描かれている。そして、その不寛容な人たちの行動が1組のカップルに悲劇のドラマをもたらす。愛する人が入獄してしまった上に、子供まで連れ去られ、さらには愛する人が死刑を宣告されるという悲劇のドラマとして、「アメリカ篇」は感動的だ。
グリフィスの演出も、「アメリカ篇」でもっとも冴えを見せている。娘が子供を奪われてしまうシーンでは、手を延ばすシーンのクロース・アップで、愛する人の裁判のシーンでは手を揉むシーンのクロース・アップで、娘の苦悩を表現している。愛する人に死刑判決が降りた後の、クロース・アップで捉えられる悲しみの表情は、言葉では表現できないほどだ。
愛する人の無実が分かり、死刑を止めてもらうために車を走らせるシーンと、死刑の準備が進むシーンのカットバックもすばらしい。車の疾走感もすばらしいし、係員が剃刀でロープを切る練習をするシーンのリアリティもすばらしい。剃刀でロープを切る練習を見せることによって、愛する人の無実が分かって徒刑場に駆けつけた後も、係員が勢いでロープを切ってしまうのではないかという緊張感が伝わってきた。
「現代アメリカ篇」と比べると、他の時代の物語は精彩を欠いているように感じられる。「バビロン篇」の見せ場は、「イントレランス」を語るときに真っ先に登場し、最終的にそこしか語られない場合もある巨大なセットである。
1キロ以上の敷地に、100メートル近くの高さで作られたオープンセットは確かに素晴らしい。100メートル近くの高さの城壁の上には馬車まで走れるようになっている。また、この城壁を乗り越えて攻めるために組まれた巨大やぐらが接近しての戦闘シーンもまた確かに壮大だ。
しかし、こうした壮大さは「イントレランス」の壮大さやグリフィスの壮大さを示すものではあるが、それ以上には映画として機能していないように思える。おそらくバビロンの享楽ぶりやおごりなどが観客に感じられるようにグリフィスは「バビロン篇」のセットを組んでいるのだと思われるが、それはあまり伝わってこなかった。その要因はストーリーにもある。バビロンの王に憧れる1人の娘が、女性にも関わらず戦闘にも参加し、最後には死んでしまうというストーリーは、悲劇的だが「現代アメリカ篇」ほど掘り下げられていないし、そのように演出もされていない。セットの壮大さにばかり話題がいってしまうことが、「バビロン篇」の限界を示唆しているように思われる。
「中世フランス篇」は、旧教徒が新教徒を虐殺したという史実に基づいて構成されているが、ダイジェスト版の印象がぬぐえない。虐殺の命令を下す国王たちと共に、「ロミオとジュリエット」のごとく旧教徒と新教徒の愛し合う男女の物語が語られているも、十分には掘り下げられているとはいえない。
「ユダヤ篇」もまた同じく、水をワインに変えたりとか、「罪なき者のみが石を投げよ」とイエスが言ったとかいった有名なエピソードが断片的に語られるに過ぎない。
「イントレランス」は最初の編集バージョンでは8時間あったという。1回8時間の上映も行われたが、不評だったためにグリフィスはカットを余儀なくされたらしい。恐らく8時間バージョンでは「現代アメリカ篇」以外の物語も掘り下げられていたのであろうが、だからといって現在私たちが見ることができるバージョンよりも傑作であるという保証はない。
後に「戦艦ポチョムキン」作るセルゲイ・エイゼンシュタインは、「イントレランス」を4つの物語の比較のドラマにとどまっており、統一した統合的イメージに昇華していないと述べている。 「統一した統合的イメージ」に映画が昇華していたら、「現代アメリカ篇」以外のエピソードが掘り下げられていなくても問題はないのだ。だが、「イントレランス」はそうはなっていないがために、極めてバランスの危うい映画となっている。
グリフィスは「国民の創生」への批判を「不寛容(イントレランス)」であると考え、「イントレランス」を製作した。「イントレランス」でグリフィスは、不寛容を糾弾し、不寛容が戦争を生み出している糾弾する。ラストではより直接にそのことが語られている(当時は第一次大戦の真最中であった)。大枠では誰も批判できないことを言っている一方で、細かい部分を見ていくと、よくわからない部分が多々出てくる。
「現代アメリカ篇」を見ていくと、1組のカップルのメロドラマとして素晴らしい出来栄えのこの作品も、「不寛容」についてのドラマだと言われると首を傾げたくなってしまう。グリフィスはいったい「現代アメリカ篇」のどこを捉えて「不寛容」だと言っているのかがよくわからない。
グリフィスが糾弾しているのは、偽善的な社会改良家か、労働者よりも自身の名誉を重んじる資本家か、弱みに付け込んで娘を自分のものとしようとする犯罪者か、自らの殺人を隠す女性か、誤審をもたらす裁判制度か、人命を奪う死刑制度か、はっきりとわからないのだ。今挙げたものは、すべてがドラマを展開する上でこの上ない効果を上げている。だが、「不寛容のドラマ」だと言われるとどう捉えていいのかが分からなくなってしまうのだ。
「バビロン篇」もまた、グリフィスが糾弾しているのが、栄華に溺れるバビロンの人々なのか、権力を手に入れるために他国と手を結ぶ司祭なのか、よくわからない。
最もわかりやすいのは、「中世フランス篇」と「ユダヤ篇」なのだが、両者とも掘り下げられておらず、「イントレランス」の中心とは成り得ていない。
グリフィスは、かなり強引に4つのエピソードを結びつけて、「イントレランス」を作り上げている。この強引さが、「イントレランス」をテーマ的に危うい作品にしているといえる。
「国民の創生」が、グリフィスの渾身の作品であり、作品の規模も自然に大きくなったことが伝わってきたのに対し、「イントレランス」はどこか人工的な壮大さ、肥大さを感じさせる。「イントレランス」は、グリフィスにとってのバビロンといってもいいだろう。「イントレランス」の人工的な壮大さは、あまりにも壮大すぎて、「現代アメリカ篇」の素晴らしさを見逃してしまいそうだ。
実際、「イントレランス」を語るときに、「現代アメリカ篇」のストーリー展開の妙や、メエ・マーシュの演技の素晴らしさやグリフィスの細やかな演出(若い男女の愛の進展は、浜辺を散歩する絵画的なシーンで描かれている)について触れられることはほとんどない。これは、非常に悲しいことだと思う。すべては、バビロンの壮大なセットに埋もれてしまい、後にはバビロンのセットしか残らなかったかのようだ。
「イントレランス」は、その作品規模も、そのテーマも、そのセットも、バビロンのように肥大化しすぎてしまっている。グリフィスは、映画の内容でも、興行的にも肥大化したバビロンに飲み込まれてしまった。そして、バビロンのセットも、「イントレランス」はその興行的な失敗から、取り壊す費用すらなく、しばらくはそのまま放置されていたのだという。
「イントレランス」はグリフィスにとってのバビロンとなった。そして、バビロンであるがゆえに、「イントレランス」は永遠に名を残すであろう。もし「現代アメリカ篇」が「母と法律」のタイトルで公開されていたら、「イントレランス」ほどの知名度を得ることなく消えていたことだろう。それよりは、「イントレランス」の一部として生き長らえて良かったのかもしれない。
繰り返し言おう。「イントレランス」はあらゆる面で後世に語り継がれるに足る壮大さを保持した映画である。だが、「イントレランス」の最大の魅力は壮大さではなく、「現代アメリカ篇」における小さな1組のカップルの細やかな物語だ。
「イントレランス」製作への道のり
前年、「国民の創生」(1915)という大作を発表したD・W・グリフィスは、「母と法律」という作品を完成させていた。この作品は賃上げスト中に労働者十数人が殺害されたスタイロウ事件と呼ばれた当時話題の出来事を取り上げた作品だった。だが、「母と法律」は公開されなかった。「国民の創生」封切り後としては、「母と法律」はD・W・グリフィスにとって小粒に感じられたのだ。
リリアン・ギッシュは、当時のグリフィスについて次のように書いている。「グリフィスは困難な立場に追い込まれていた。いまや一作毎に自分を乗り越えていかねばならなかった。かと言ってまた、『母と法律』を反故にすることもできなかった」(「リリアン・ギッシュ自伝」)
グリフィスは「母と法律」に「キリストの生涯と受難」「聖バルテルミーの虐殺」「バビロンの崩壊」の3つのエピソードを付け加えて別の作品とすることに決めた。それが、「イントレランス」(1916)である。
「イントレランス」を製作するために、グリフィスを主要な出資者とするウォーク・プロデューシング・コーポレーションが設立され、1915年の夏に製作が始まった。グリフィスが監修者として所属していたトライアングルは出資せず、グリフィス自身が「国民の創生」で得た100万ドルを投資したという。
「バビロン篇」のために作られた巨大なセットは有名だ。映画史上最大のこのセットは、奥行き1,500メートル、高さ100メートルあったと言われている。また、1万6千人に及んだというエキストラ代や彼らに着せる衣装代にも大量の経費がかかった。
莫大な制作費を集めるのはたいへんなことだったようだ。リリアン・ギッシュによると、経費がかさんだことから資金を撤収する人が現れ、グリフィスはそれらの人の株を自ら買い取ったのだという。グリフィスはそのための資金捻出のために、「国民の創生」の一部を抵当に入れて借金をした。
グリフィスは1939年にMGMに「イントレランス」を今(1939年)に製作するとどれくらいの制作費が掛かるかの見積もりをお遊びで出してもらったことがあるという。MGMの回答は1,000万ドルから1,200万ドルであったという。1939年当時の制作費は200万ドル程度だったというから「イントレランス」の規模の大きさがわかる。
「イントレランス」の撮影
「イントレランス」(1916)における、巨大なセットを使った撮影はスケールの大きいものとなった。群集シーンの撮影のために、当初は気球にカメラを据え付けて撮影したがうまくいかないので、ロープで上下できるエレベーターにカメラを据え付け、レールに乗せて前後に動かして撮影を行った。
戦闘シーンの撮影では、城壁から飛び降りた者に5ドルの手当てを出すといったところ、飛び降りる者が続出したために、グリフィスが慌ててストップさせたという話も残っている。戦闘シーンを始め、危険な撮影は多々あったが、軽い怪我を除けば、大きな事故や怪我は撮影中なかったという。
大規模な群集シーンや危険な撮影は撮り直しが難しかったため、同一のシーンを三人のカメラマンが撮影したりもしたという。フランスのパテ社を率いるシャルル・パテは、このやり方を知り、配下の演出家にもそうさせるようになったと言われている。この撮影方法は、角度を変えることで、変化に富んだモンタージュを可能にもした。
撮影を担当したのはグリフィス映画の常連であるビリー・ビッツァーとカール・ブラウンが担当した。ビッツァーは、バビロン篇では、巨大なセットの全景から薔薇の花弁までピントをはずすことなくワンショットで移動撮影を行った。また、奥行きのある構図もすべてピントを合わせて撮影した。
撮影で特筆すべきは、中世フランス篇での宮殿の撮影だ。天井装飾を見せるために、映画史上初めて、天井をいれて撮影したと言われている。今では普通に行われていることだが、当時は画期的なことだった。
バビロンの寵姫役には、つけまつげで眼を大きく見せたが、そのせいで眼を痛めることになったという話も残っている。
大規模な撮影となった「イントレランス」には多くの助監督がついた。その中にはエーリッヒ・フォン・シュトロハイム、W・S・ヴァン・ダイク、トッド・ブラウニング、ラオール・ウォルシュといった後に監督して活躍する人々の名前を見ることができる。また、ダグラス・フェアバンクスもエキストラの1人として出演しているという。
「イントレランス」の革新的話法
「イントレランス」の、時間的にも空間的にもかけ離れた4つの物語が同時に展開されるというスタイルは革新的だった。グリフィスはこのスタイルについて自ら次のように語っている。
「様々な物語は山の頂から見下ろした四つの流れのように始まる。最初、四つの流れは別々で、ゆっくりとしていて静かである。しかし、流れていくうちに、しだいに近づいていき、やがて早くなり、最後には一つの深い感動の奔流の中に交じり合う終幕へと行きつくのである」
ジョルジュ・サドゥールはこのスタイルについて、「世界映画全史」の中で「彼(グリフィス)のカメラは、魔法の絨毯のままタイム・マシンともなったのである」と書いている。
スタイル自体は革新的であったが、その試みが成功したかという点については厳しい意見もある。「戦艦ポチョムキン」(1925)の監督セルゲイ・M・エイゼンシュテインは「不寛容という単一のイメージを創造できなかった」と語っている。
「イントレランス」に込めたグリフィスのメッセージ
D・W・グリフィスが「イントレランス」(1916)で訴えたかったのは、人間の「不寛容(イントレランス)」についてだった。この「不寛容」は、「国民の創生」(1915)公開時に浴びせられた反対運動や上映中止運動に対するものでもあったが、一方では当時勃発していた第一次大戦についてのものでもあった。
ジョルジュ・サドゥールは「イントレランス」を「全体として、この映画は、特に、非暴力の擁護であり、平和維持への呼びかけであり、アメリカがヨーロッパの不寛容な闘争に参加しないためのプロパガンダであった」(世界映画全史)と言っており、唯一よい結果に終わるのはアメリカの物語で、悪い結果に終わるのはヨーロッパの物語であるという点も指摘している。
グリフィスは、「イントレランス」を特定の出来事(「国民の創生」への反対運動や第一次大戦)に限定しなかった。4つの不寛容の物語を並べて語ることで、抽象的な意味での「不寛容」に対してのグリフィスの反感を示そうとした。それはまた特定の個人の「不寛容」を攻撃するものでもなかった。それよりも、特定の個人を「不寛容」にする事情、状況を攻撃するという姿勢だった。
そのことは、中世フランス篇に登場するカトリーヌ・メディチの考えることがわからないというリリアンに対してグリフィスが語った言葉に表れている。
「いい悪いを言っては駄目だよ。ただそんな罪深い行いを冒したのが自分でなかったことを神に感謝すればいいんだ。
いいかねミス・リリアン、これだけはいつも覚えて置き給え。
人間を作るのは周囲の事情だ。 どんな人物も最低にもなれば最高にもなる。
潜在的には我々すべて同じなんだ。 たださまざまな事情から違いが生まれるだけだ」
(リリアン・ギッシュ自伝 P197)
短縮された「イントレランス」
D・W・グリフィス渾身の「イントレランス」(1916)の完成版は8時間を越え、グリフィスは2部に分けて2夜連続上映しようとしたが、興行主の反対にあい、2時間半に短縮されることになった。
リリアン・ギッシュは短縮するべきではなかったと主張している。
「彼(グリフィス)は一晩で上映ができるようにフィルムを縮めてはどうかと忠告を受けた。忠告は無視すべきだった。彼自身の本能の方が正しかったのだ。成功するにせよ失敗するにせよ、『イントレランス』は彼の記念碑であり、彼という人間の大きさそのものだった。しかし、興行主の方が勝った。観客は一度として完全な姿の『イントレランス』を観ることはできなくなる」
(リリアン・ギッシュ自伝)
短縮すべきではなかったのかもしれない。だが、すでに多額の投資をしていたグリフィスにとっては、経済的な面で「イントレランス」を成功させなければならなかった。
「『イントレランス』はなんとしても成功しなければならん!』興行主たちの要求に屈してある晩フィルムを切っていると、彼(グリフィス)は私(ギッシュ)に向かってそう言った」
(リリアン・ギッシュ自伝P209)
ここには、映画における表現者の意向と経済的意向の相克という、この先も映画につきまとう大きな問題に、映画産業歴史の中で真っ先にぶつかることになるグリフィスの苦悩が滲み出ている。グリフィスは「国民の創生」(1915)では映画の内容が全国的に反響をもたらした最初の例ともなり、「イントレランス」では表現と経済の相克の問題の最初の例となったといえるだろう。
グリフィスにとっての最大の不幸は、誰一人として、グリフィスが望んだ形の「イントレランス」を見ていないということであるということは覚えておいていいと思う。
「イントレランス」の公開と興行的失敗
「国民の創生」は後の映画に多大な影響を与えるエポック・メイキングな作品となった。
「国民の創生」は、アメリカ映画の世界覇権のとっかかりとなる作品でもあった。アメリカ映画の世界覇権は、第一次大戦によって、より進んでいくことになる。ジョルジュ・サドゥールは次のように書いている。
「『国民の創生』は、映画芸術史上では鍵となる映画である。映画産業史上ではそれ以上に鍵となる成功作である。『国民の創生』は、何にもまして、フランスの覇権の崩壊の上に支配を確立した、映画の新しい帝国主義の出現であった」(「世界映画全史」)
また、映画が労働者階級だけではなく中産階級を取り込むものとなるきっかけともなる作品であった。ロバート・スクラーは次のように書いている。
「主題、形式、値段からして、これはアメリカのエリートの心に訴え、指導者と世論形成者を連帯させ、彼ら自身の文化について何かを語りかけ、また映画についてはその表現の叙事詩的な力と壮大さについて何かをかたりかけるものとなるはずだった」(「アメリカ映画の文化史」)
そして何よりも、映画は「国民の創生」をきっかけに家内手工業的な(ジョルジュ・メリエス的な)製作方法による産業から、短期間で大金を稼ぎ出す大規模な産業へと変貌を遂げていくことになる。「国民の創生」は時代の変化を決定付ける作品でもあった。これについて、リリアン・ギッシュは次のように語っている。
「当時新しい芸術形態を模索中だった映画は『国民の創生』のおかげで、たちまちのうちに数百万ドルを稼ぐ高収益産業となってしまった。そして映画製作の管理は零細な資本でやりくりしていた監督たちの手からビジネスマンへと移った。
映画ビジネスの定式が生まれつつあった。(中略)
そのとき私たちにはまだ分らなかったものの、こうしてひとつの時代が幕を閉じたのだった」
(「リリアン・ギッシュ自伝」)
「イントレランス」の興行的失敗の残滓
グリフィスが監修を担当していたトライアングル社は「イントレランス」の失敗もあって整理されることとなり、1917年6月にすべての製作を停止している。トライアングル社の大監督や俳優たちはパラマウント=アートクラフトに移籍した。
サンセット大通りの巨大なバビロンのセットを壊す資金もなく、しばらくは観光客などが訪れたという。グリフィスが作ったセットは、単なる映画のセットであることを超えて、まるでグリフィスのような映画製作を戒めるかのように、ハリウッドにさらされることになる。
1919年には「母と法律」(現代篇)、「バビロンの没落」(バビロン篇)の2本に分けて公開されてもいる。「母と法律」(現代篇)だけでは物足りなかったために「イントレランス」となった映画は、こうして再び「母と法律」だけに戻ったのだった。
経済的には完全に失敗したものの、内容的にも失敗したかというとそんなことはなかった。ロシアでは大ヒットし、ロシアの映画製作者たちにとっての教科書的存在となったという。1922年には、レーニンからロシアの映画製作を見て欲しいとグリフィスは依頼されるが断っている
(レーニンは現代篇をみて、グリフィスを共産主義者と勘違いしたと言われている)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/4989/history261916_america.htm
_______
現在のハリウッドの中心は、ハリウッド大通りとハイランド通りの交差点付近であり、アカデミー賞が開催されるコダックシアターや、世界一有名な映画館であるチャイニーズシアターもここにある。しかし、初めてハリウッドに行った人がまず目に入るのは、バビロン宮殿のような大階段だろう。ツアーガイドがいれば、そこで「これはイントレランスのセットをモチーフに云々」という説明がされるはずである。
イントレランスはここで撮られたのか!と早合点する人も数多くいるようだが、いまあるのはハリウッドハイランドというショッピングセンターの建物の一部であり、レプリカである。そもそもこの場所はハリウッドホテルという由緒ある建物があって、サイレント期のスターたちのたまり場だった。実際の撮影場所はハリウッド大通りをもっとLAダウンタウン寄りに行った、子ども病院近くの現在は住宅地になっているあたりである。ビスタシアターという通向けの映画館があるあたりは、当時の敷地内だったという。
グリフィスはこの一帯にスタジオを持っており、1918年くらいまでここで制作していた。跡地を買ったのが、独立したばかりの日本人最大のスター、早川雪洲であり、現在のパラマウントスタジオに拠点を移す1920年までここからヒット作を世界中に送り出した。しかし、その後もイントレランスの大セットは壊されないまま雨ざらし(とはいえLAは雨がほとんど降らないが)となり、グリフィスも破産状態で買い戻しもできず、1930年代にひっそりと壊された。
グリフィスはイントレランスと国民の創世の二本で永久に記憶される。しかしイントレランスは当たらず、チャップリンらと設立したユナイト映画も早々に飛び出し、坂道を転がるように転落していった。終戦後すぐのハリウッドで、グリフィスが大通りを歩いても誰も気がつかなかったという。あのレプリカは壮大な夢を追ったグリフィスの墓標である。
____________________
D 世界の心 (HEARTS OF THE WORLD) 1918
製作・監督・脚本D・W・グリフィス
出演リリアン・ギッシュ メイ・マーシュ ロバート・ハロン ドロシー・ギッシュ
http://www.youtube.com/watch?v=Ol1PW8S6Mac&feature=related
「イントレランス」を撮ったグリフィスは、当時のイギリスの首相の依頼で「世界の心」を監督した。イギリス側の狙いは、アメリカの第一次大戦への参戦を促すことだったが、「世界の心」の完成を待たずにアメリカは参戦した。しかし、当然のことながら、「世界の心」は連合国側のプロパガンダ映画の匂いをプンプンさせている。
プロパガンダ映画の製作を受け入れた代わりにグリフィスが得たのは、戦場を撮影する権利だった。イギリス政府の援助の下(グリフィスや主演のリリアン・ギッシュらがアメリカからヨーロッパへ渡る際にも、イギリス政府が保護をした)、グリフィスは第一次大戦の前線での撮影を比較的安全に行うことができたのだった。また、「イントレランス」(1916)の興行的失敗によって、資金的に厳しい状態にあったグリフィスにとって、資金的な援助もありがたかったことだろう。
プロパガンダ映画となるということは、連合国の敵国であるドイツ軍を、ひいてはドイツ人を悪く描く必要があった。「リリアン・ギッシュ自伝」によると、グリフィスはこのことを非常に悩んだという。グリフィスにとっては、人はすべて平等だというのが信念だったからだ。
「国民の創生」(1915)の黒人の描き方は人種差別的だと言われるが、グリフィスとしては、当時の南部を描いただけであって、黒人を差別するつもりはなかったのだという。だが、一方で、「イントレランス」で世界人類のすべての人に向けたメッセージ映画が興行的に失敗したことから、メッセージはもっと狭い人々に対して送るべきなのではないかとも考えていたという。
「世界の心」は、グリフィスに連合国側から描くという制約を与えたことで、メロドラマの色彩が濃くなり、それによってむしろ戦争の悲惨さが描かれたように私には思える。「イントレランス」のように、大所高所から鳥瞰するように描いた作品ではなく、1組の愛し合う男女に焦点を絞ったことによって、苦しみや悲しみが増幅されているように思える。このことは、ドイツ人を悪役として描かなければならないマイナスをはるかに凌駕していると私は考える。
フランスの田舎町に隣り合って住むアメリカ人の2つの家族。家族にはそれぞれ娘(リリアン)と息子(ロバート)がいる。リリアンとロバートは愛し合い、婚約する。しかし、そこに第一次大戦が勃発する。出征するロバート。残されたリリアンと家族たちは爆撃とドイツ人の占拠に恐れおののき、両親たちは死んでしまう。当初はドイツ軍が優勢だったが、連合国軍が盛り返し、村を取り戻す。リリアンとロバートも再会するのだった。
戦争が始まり、映画は俄然活気を帯びる。 見所は、リリアンを始めとする一般市民たちの苦しみだ。爆撃でリリアンの父親は死んでしまう。その際一瞬だけ、父親の死体が映る。死体は上半身と下半身が分断されていた。一瞬しか映らないが、グリフィスが戦争による実際の被害の悲惨さを映し出していることは評価せずにはいられない。他にも、ロバートの弟たちが自ら穴を掘って、死んでしまった母親を生めるシーンの悲しさは、「世界の心」を戦争の悲惨さを描いた作品として記憶に残るに足るものにしている。
父親を失ったリリアンが半狂乱となり、フラフラとロバートを探しに戦場へと向かうシーンも忘れがたい。リリアンは偶然にも気絶したロバートを見つけるが、疲労困憊からロバートの横に倒れて眠ってしまう。その日は、2人が婚礼を挙げるはずの日だった。字幕で「こうして二人は結婚して最初の夜を迎えた」と出たとき、サイレント映画ならではの魅力が映画を包んでいた。
父親を失い、絶望に暮れたギッシュの顔のクロース・アップは他のグリフィス映画にも負けない雄弁さを秘めている。リリアンとドロシーの姉妹は、陰と陽で「世界の心」を支えている。
http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20081215/1229353162
______________________
E スージーの真心(True Heart Susie ) 1919
監督・脚色;D・W・グリフィス
出演;リリアン・ギッシュ ロバート・ハーロン
http://www.youtube.com/watch?v=hHqlQ1rKDJA&playnext=1&list=PL7EEBAA42235F937A
http://www.youtube.com/watch?v=Q0LT7nfJk70&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Cfh0kM9_Hto&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XzBWUqjQViM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Obee25B5fwM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xYm3c4NJZ0Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=jxGcNWoxlEw&feature=related
純真なる乙女スージー・メイ(リリアン・ギッシュ)と青年ウィリアム(ハーロン)は幼なじみ。ちょっと頼りないウィリアムだったが人柄もよく、スージーはそんな彼の後ろをくっついて歩くような少女だった。彼女の夢はもちろんウィリアムの花嫁になること。ぎこちないながらも相思相愛の二人は、ある一本の樹にお互いのイニシャルを刻み込み絆を確かめ合う。
ある日スージーは、経済的にあまり裕福ではないウィリアムが大学への進学を希望していることを知る。ウィリアムの願いは私の願い。スージーは母親を説得し、家で飼っていた牛を売り学費を融通、何も知らないウィリアムの進学を涙を隠してお祝いする。別れのキスを唇に求めても照れ屋のウィリアムは触れようともしない。ただ手を振るだけだった。
その後、大学で立派に務めを果たしたウィリアムは牧師となり帰郷する。鼻の上に乗っかった髭が成長を物語っている。待ちわびたスージーも少女からレディへと変身をとげていた。再会を喜び合う二人。町ゆく誰もが振り返るほどお似合いのカップルのスージーとウィリアムだったが、アイスクリーム屋でデートを楽しんでいる二人をじっと見つめる一人の女の視線には気づかなかった・・・。
本作は『イントレランス』の米国内における興行的失敗を経験した映画の父が、莫大な借金を抱えながら作った「田園もの」シリーズの代表作の一つです。 イギリスに招かれ作った『世界の心』(18年)を撮り終えたグリフィスは15年6月にマック・セネットやトマス・H・インスらと設立した「トライアングル社」から離脱、パラマウント傘下のアートクラフトと契約します。25万ドル+歩合、計6本の契約です。
更にグリフィスは19年1月にはメアリー・ピックフォード/ダグラス・フェアバンクス夫妻、チャップリンらと「ユナイテッド・アーティス」を設立。ここでも年4本の契約を結び、なんと驚くべきことにグリフィスはこれとほぼ同時に「ファースト・ナショナル」と一本あたり28万5千ドルで3本契約を結んでいます。 「グリフィス」という名の手形を乱発してゆくのです。
『スージーの真心』が作られたのは19年の春。リリアン・ギッシュはその自伝の中で回想しています。
「私はそのスージーを演じた。グリフィスが望んでいたのは、スージーという娘が初めはシンデレラのようにごく平凡な子として観客の目に映ることだった。たいていのシーンで私は長いずんどうのドレスの上にエプロンをつけ、頭にはユーモラスな帽子をまっすぐにかぶっていた。
スージーの役柄(キャラクター)を伝えるものはまだほかにもある。例えば私はいつも両腕をぴったりくっつけていた。あるシーンでは、臆病なはずのスージーがちらりとイタズラっぽい笑みを浮かべて、彼女の隠れた側面を覗かせた。
最後に彼女と男の子は一緒に歩きながら観客に背を向けて遠ざかってゆくところで、彼女は足を横に蹴るような面白い仕草をする」
(リリアン・ギッシュ自伝 筑摩書房刊 鈴木圭介訳)
この時代、世界最高峰の技術を持ってフィルムに残されたリリアン・ギッシュが放つフォトジェニーな魅力が圧巻です。映画は新世紀を迎えた現在にいたるまで未だにこの美しさを超えるものを生み出していません。やはりそれはグリフィスにはじまるのです。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=51154#2
ヒロインのスージーには幼なじみのウィリアムがいて、心から愛している。このスージーちゃんは、ちょっと頭のネジがゆるいのですがとっても優しい娘。ウィリアムは賢くて、大学に進学できることになる。だけど、大学へ行くにはお金が足りない。ウィリアムとの結婚を夢見ているスージーは将来の旦那様のために、涙を飲んで妹のメアリーを売ってお金に換えます。
上が、妹メアリーとの涙の別れのシーン。
スージーは家で飼っている牛を妹のように可愛がっていたのです。 ボクはこのシーンで一気にこの映画にはまってしまいました。
スージーのそんな援助があったことも知らず、大学に行けたウィリアムは、大学で都会の色に染まってしまいます。そして、都会の女ベッティーナと結婚。スージーは涙は見せず、笑顔で祝福を送ります。
が、ベッティーナは派手好みで、料理もできなくて……
という展開。
https://sites.google.com/site/eigadoujou/aka-ban-fukkoku-kikaku/sujino-magokoro
スージーとウィリアムは幼馴染み。大学に進みたいが経済的に苦しいウィリアムのために、スージーは匿名で学費を都合してあげる。大学を卒業したウィリアムは、スージーの愛に気づかず、派手な生活を送る女性ベッティーナと結婚してしまう。それでも、スージーは陰ながらウィリアムのことを思い続ける。
「イントレランス」(1916)以後の、グリフィス=ギッシュのコンビと言えば、同年に作られた「散り行く花」(1919)や「東への道」(1920)が有名だ。だが、この作品もまた地味ながらしっかりとした作品である。
ギッシュが演じる幼馴染みを思い続けるキャラクターは、あまりにもいい娘すぎる。正直言って古臭いとも言えるし、見ていてイライラしてくるほどだ。グリフィスはイノセントな女性像を好んでいたことは知られており、そのことがセシル・B・デミルのセックス・アピール映画の人気に象徴される時代の変化についていけなかったとも言われている。だが、グリフィスが理想とした女性像は、リリアン・ギッシュという女優によって見事に映像化されている。
グリフィスの理想像を具現化した女性として、リリアン・ギッシュは忘れることができない存在である。この作品でもギッシュは、少女の頃のあどけなさと、女性に成長した後の可憐さと美しさを見事に演じている。
ギッシュはちょっとした表情で、怒りを、悲しみを、嘆きを表現することができる女優である。ウィリアムが自分のもとに戻ってくると信じて、派手な格好や化粧をしてこなかったスージー。だが、意を決して服装を変えて化粧をしてウィリアムの家に向かうと、ちょうどそのときウィリアムは別の女性に結婚を申し込んだところだった。それまでの人生で最も美しい姿となったスージーは、それまでの人生で最も悲しい表情を見せる。別名で書かれているグリフィスの脚本はストレートだが、残酷だ。
古臭い物語を、貴重な小品の佳作として成り立たせているのは、ギッシュを始めとする演技陣による。誠実だが優柔不断なウィリアムは、グリフィス映画常連のロバート・ハロンが演じている。青年から大人の男までを演じることができるハロンは、邪気がないゆえにスージーを苦しめる役柄を演じきっている。スージーと対象的な存在として登場するベッティーナはクラリン・セイモアが演じている。スージーと対象的なだけであって、決して悪役ではないベッティーナをセイモアは自然に演じてみせ、ウィリアムと同じように無邪気にスージーを傷つける。
グリフィスは自らの理想の女性をギッシュに託し、理想の女性の苦難と幸福の物語を描き切っている。ここには映画史を変革するような出来事は何もない。だが、ここにはグリフィスだから描けるのではないかと思わせる無邪気さの塊がある。そして、この無邪気さは私の心を暖めてくれる。
http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20090501/1241520379
___________________
F 散り行く花(BROKEN BLOSSOMS) 1919
監督:D・W・グリフィス
キャスト:リリアン・ギッシュ/ドナルド・クリスプ/アーサー・ハワード/ノーマン・セルビー
http://www.archive.org/details/brokenblossoms1919
http://www.youtube.com/watch?v=mx7wbYp5izw
http://www.youtube.com/watch?v=yqLnjgNiX-o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=AVATXNggs1o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=OpRwCTDT6sc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xYtIE3Is3iM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=rTNnpAWK9zo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bvQQllxbDGI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mFAuLODXgog&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D9853ozGcsY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Hg1OUlNcR38&feature=related
絶対的ロリコンのグリフィスが永遠の少女リリアンに、究極の乙女を演じさせる。
ここで彼女の被る苦難は、元プロボクサーの父による虐待。彼の他の大作のヒロインほど大仰な悲運ではないだけに、その逃れられなさは絶望的。名優クリスプがまた、この希代の憎まれ役に入魂の演技を見せるので、観客の誰もがうすうす、死の他に彼女を解放する手段がないことを予感する。
その彼女に想いを寄せるのがバーセルメスの純真な中国商人。本来なら異様な、白人の東洋人への化身も、このバーセルメスにだけは許される。そんな真摯さに溢れた演技で、リリアンと清らかな愛を紡いでいく。後にゴダールによって「勝手にしやがれ」で引用されるラスト・シーンが美しい。瞳は悲しみを湛えているのに、リリアンはその白魚の指で口の端を上向きに歪ませて、最後の微笑を作るのである。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14791
D・W・グリフィス、ディビット・ワーク・グリフィス。アメリカの初期の有名な代表監督ですね。その監督の『散り行く花』、この話しましょうね。
グリフィス、この人は『イントレランス』で一躍有名になりました。凄い、凄いセット、バビルの宮殿なんかもの凄かった。
どうしてこんな凄い映画をつくったか言うと、イタリア映画の『カビリア』という映画を観てびっくり仰天して、それから二年目に『カビリア』に負けないようにというので、凄い、凄いバビルの大宮殿をつくり、そうして、もうこの人は一生払えないぐらいの借金を背負ったんですね。
けれども、あんまり超大作をつくったから、他の会社が嫌がって使わなくなったらいけないので、今度つくったのが、本当のグリフィスらしい映画の『散り行く花』。
今度は小品ですね、小さな作品ですね。けれどグリフィス一生の中で一番の見事な映画は『散り行く花』でしたね、リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス。
ルーシーという、13歳の女の子がいたんですね。その女の子がお父さんに殴る、蹴られる。むちゃくちゃなお父さんですね、義理のお父さんですね。自分がつまんだ女が、外の男とできた子供を放り出していったんですね。
しかたがないからその子供を、ルーシーと言う子供を、このお父っつぁんは犬猫の代わりに使ったんですね。
そうしてお父っつぁんが、帰って来て「メシっ」と言うと、その13歳の女の子が慌てて飯つくつる。ところが怖いから、うつむいて、うつむいて飯出す、すると髪の毛引っぱって、笑え、笑え、Smile,smile,smile、と怒るんですね。そうして子供を殴るんですね、この子は、もういじけきってるんですね。
そのルーシーと言う13歳の女の子が、チェンハンのストアの前でびっくりしたんですね。あんな奇麗な物が、あんまり立派な物が一体あるのかしらんと思って、毎日、毎日、マーケットへ買いに行く帰りにそれを見て、ウィンドウに顔突っ込んでたんですね。
するとチェンハンが、今日もまた、水仙の花、水仙の精、それがやって来る、金髪の少女、青い目の少女、そうして、その水仙の精をじっと見るのが好きだったんですね。
そのうちに、三日、四日、五日、六日、十日、だんだん、だんだん、親しくなって、おいで、おいでと言ったんですね。
行ったらいけないんだけど、あんまり奇麗な物がある。しかもそのオルゴール、支那のオルゴール、チンコン、クリンコン、クリンコロン、クリンコン、サイレントだけどその音が感じるんですね。
そうしてその子は中へ入って行ったの。したら、あれも見なさい、これも見なさい、そこで一晩過ごしたために、その親方が探して探して、とうとうルーシーを見つけて引きずって帰るとこあるんですね。
その時にちょうどチェンハンは、ルーシーにおいしいもの食べさしてやろうと思って市場へ行ってたんですね。その留守に一人の男がやって来て、そのルーシーを引っぱって行くところが怖いんですなあ。
もうルーシーは半分気絶してるんですね。それを引きずって、引きずって、お父っつぁんの前で「おったぞこいつ、この女」。で、お父っつぁんは鞭持って「このやろう、黄色と一緒になりやがって」、鞭でパーッと殴ったんですね。
もう殺されると思ったから、この子はそばの大きな箱の中入って中からせん入れたんですね。
お父っつぁんはヒステリーになって「鞭で開かなかったら、ここに斧があるぞ」って、台所から斧持って来てカーン、カーン、とやるのが、まるで音が聞こえるように怖いんですね。
そして女の子は、中で体、顔中汗いっぱい、よだれが出る、鼻水が出る、震え上がっているうちにパーッと明るくなるんです。破れたんですね、ドアが。
そうして、あーーーっと思ってると、お父っつぁんが首引きずってターッと出して、パーンと投げたんですね。
ルーシーは死んじゃったんですね。さすがにびっくりしたんですね。
その時、表からチェンハンがやって来て、パーン、パーン、二発でお父っつぁんを殺したんですね。
そしてルーシーを抱いて、自分のチェンハンのストアへ連れて帰って奇麗に体拭いてやる。あたまといてやって、中国の服着せて、ろうそく立てて、線香たてて、「水仙の精よ、おまえだけをヨミの国へやらないよ、わしもおまえを守って付いて行く」、言ってベットの下から銃刀出してきて、カーッと突いて、パターッと倒れる。この後追い心中、凄かったですよ。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2166.html
『散りゆく花』は父の暴力に死ぬ少女の物語です。リリアン・ギッシュは映画の始まりとともに活躍した女優ですが、幼さの残る少女みたいな顔ときゃしゃな体が、犠牲者であるのにふさわしいキャラクターということになります。
少女の父親は非常に残酷で、日常的に娘に暴力を振るっています。最近では少女をレイプをしていたのではないかという論文も出ています。
少女は、「いつも悲しそうな顔をしているな、笑っていろ」と父親に怒鳴りつけられたので、父に暴力を振るわれて死ぬ最後の場面でも無理に笑おうとしているのです。
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000276/0/html/section4.htm
「散り行く花」には原作があり、原作では中国人青年とルーシーの描写はもっと性的だったというが、映画ではあまり描かれていない。これは、「永遠の処女」を描き続けてきたグリフィスの意向が強いものと思われる。
中国人青年がルーシーに性的な意味合いで思いを寄せていると思わしきシーンは多々ある。
特に、中国人青年がルーシーに近寄るときに極端なクロースアップとなり、ルーシーが怯える。結局中国人青年は何もせずに、「青年の純粋な愛は誰もが認めるところだった」という字幕がわざわざ入る展開は、中国人青年が性的な思いを抑えているということを示しているように思えた。
http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20090425/1241519543
私が見事だと思うクロース・アップの使い方の1つに、「散り行く花」におけるワン・シーンがある。リチャード・バーセルメス演じる中国人青年が、リリアン・ギッシュ演じる少女ルーシーに近づいていくシーンだ。
ここでは、バーセルメスの顔が超クロース・アップによって捉えられている。この異常なまでのクロース・アップで捉えられた顔は、無表情に近い。しかし一方で、バーセルメスのルーシーに対して性的な思いを抱いており、それを抑えつけていることも感じさせる。
これほど見事に性的な欲望を描いたクロース・アップを私は知らない。
http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%CA%B8%BB%FA+&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail
『散り行く花』
次にお見せするのはグリフィスの有名なサイレント映画です。これは『チート』とは違い、中国人、アジア人を同情的に描いているとよく言われます。主人公チェン・ファンをリチャード・バーセルメス、相手役ルーシーをリリアン・ギッシュが演じています。この2人の俳優は初期のハリウッドを代表する黄金コンビですが、ここでチェン・ファンはつり目のイエロー・フェイスとして登場します。この映画のメッセージは、平和で優しいアジアに対して暴力的で野蛮なアングロサクソンということで、オリエンタリズムとは逆の構図になっています。しかし、よく見るとその裏にはそれとは異なるものが見え隠れしているのではないかと思います。
「黄色人種と少女」というあからさまな副題がついていますが、悲劇に終わる、優しい中国人と不幸な白人少女のプラトニックラブを描いています。最初の「口上書き」では、これはお涙ちょうだいのメロドラマだと紹介され、身体的暴力も言葉による暴力も戒めるべきだという教訓が示されます。次にターナーの絵を思わせるようなブルーを基調とする詩的な、美しい港の風景が挿入されています。
チェン・ファンの中国とルーシーのイギリスを結ぶのは海なのです。その後に中国が描写される場面では、中国人を実際の中国人たちが演じていることに注意すべきですが、一見するとドキュメンタリーフィルムのようでもあります。平和な中国の穏やかな情景が描き出されており、その中でのよそ者であるアメリカ人水夫たちの、場違いの野蛮さや騒がしさが挿入されています。
中国人チェン・ファンは、イエロー・フェイスが少し不気味で、人間離れした感じがします。深く仏教を信仰している彼は、仏教の平和のメッセージを届けるために海を渡ってイギリス、ロンドンへ行くことになり、ロンドンが物語の中心舞台になります。しかし、高い志を果たせず彼はライムハウスというスラムに身を落とす状況に陥ります。中国商品店で店番をするのですが、アヘンを吸う退廃的な側面も見られ、平和のメッセージを届けにきた最初の意図とは全く違う生活になっています。アヘン窟ではいろいろな有色人種らが一堂に会しており、白人女性も混じっています。フー・マンチュウもそうでしたが、なぜかアジア人の爪がひょろひょろと長いのも不気味です。
一方のルーシーは母を亡くし、娼婦たちがたむろしている同じスラムに住んでいます。子だくさんで生活に追われる継母がいますが、ルーシーの面倒など見ていられず、結婚生活にすごく疲れている女性として描かれています。ルーシーには母性的な支えがありません。一番重要なポイントは、ルーシーが血を分けた父親から虐待を受けているということです。父親はボクサーで、非常に強く、ヒーロー的な側面もありますが、子供に虐待をするという暴力的な面を持っているのです。父親はルーシーに笑えと言いますが、笑えない彼女が自分の指で笑いを作る場面は有名です。非常に切ないです。
死んだ母親からもらったティン・フォイルをお金の代わりにして物を買おうとするルーシーを、チェン・ファンが見かけます。彼は彼女の不幸せな、でも美しい姿に心を奪われます。スラムに咲く一輪の花という感じでしょうか。これが2人の出会いです。父の虐待から逃れてチェン・ファンの店に偶然なだれ込んでしまった彼女を彼が助けます。ここで彼女は初めて本当の優しさに触れます。その喜びが、花が咲き鳥が歌うようにと、詩的に表現されています。彼はルーシー介抱し、中国の服で美しく着飾ります。ここで初めて彼女は指を使わないで自然に笑うことができるのです。
しかし、2人の関係は父親に告げ口されて、怒った父親はルーシーを連れ戻そうとします。父親がボクシングをしているシーンと、チェン・ファンとルーシーの関係が描かれているシーンが交互に挟み込まれて、テンションを高めています。グリフィスの有名なクロス・カッティングの手法です。
ここでは、隠されているチェン・ファンのルーシーに対する性的な欲望がはっきり出ていることに注意してもらいたいのです。チェン・ファンがルーシーに顔を近づける時、彼女は明らかにおびえた表情を見せています。プラトニックのラブが強調されていますが、実際にはその裏にあるチェン・ファンの性的欲望にルーシーがおびえている様子が見えてしまいます。
ルーシーを父親に連れ戻され、彼女がいなくなった部屋でチェン・ファンは嘆き悲しみます。そして、父親の部屋ではルーシーがまたひどい虐待を受けるのです。ルーシーは何も悪いことはしていないと言いますが、父親は認めません。
ここでは性的な虐待を暗示させる描写があることに注意してください。
ヒモの部分を持ってぶらぶらと強調させている鞭の柄はどうしても男性器を思い起こさせるし、ルーシーが逃げ込むクローゼットの中に下がっている靴も男性器を象徴すると言われます。ベッドも小道具としては性的なものを連想させます。
その間チェン・ファンはルーシーを救い出しに行くべく、ピストルを持って彼女の家へと向かいます。しかしながら父親の虐待はやまず、ルーシーは死んでしまうのです。追ってきた彼はルーシーが既に死んでいるの見て、父親をピストルで撃ち殺してしまいます。その後チェン・ファンは彼女の亡きがらを部屋に持ち帰り、その横で自殺するという結末になっています。
この作品では、平和的なアジアと野蛮で暴力的なアングロサクソンという対立が確かに示されていますが、性的な問題がその背後で暗示しているものに注意したいと思います。父親の性的な虐待が暗示され、チェン・ファンについてもルーシーに対するレイプ願望が見られるのではないでしょうか。ルーシーを中国の人形みたいに着飾ってみせることも、女性を物のように扱うフェティッシュな愛のかたちを示しているようでもあります。
こういったことからチェン・ファンは同情をよぶ男性としてだけではなく、イエロー・フェイスの彼の顔や動作そのものも何か不気味な、危険なものをかもし出しているように、イエロー・ペリル、黄禍的な側面を実は隠し持っていると解釈できるのではないかと思います。
また、労働者階級におけるスラムという場は、当時のイギリスやアメリカを支えている白人中心主義とか家父長制などが完全に崩壊し、人種が入り乱れて混沌とした状況であり、アヘン窟はまさにその象徴といえます。この作品は、スラムとは怖いところだと、スラムに落ちてはいけないというメッセージも放っているのではないかと思えます。
この映画では暴力とか性的なニュアンスが強く出ていると思いますが、この作品以降映画とは不道徳でよくないものだという雰囲気がかなり広がっていき、1922年には映画を作る側が、反モラル的な描写を規制していこうという動きに出てきます。以後、性や暴力の描写が規制されますが、それと同時にアジア人と白人とか、白人と黒人といった異人種間の恋愛も、題材として完全に禁止されていくのです。したがって、20年代、30年代にはこれまでのメロドラマに代わって、『フー・マンチュウ』のような冒険活劇とかスパイものなどに限ってアジア人はまだ出てきますが、アジア人と白人のロマンスは姿を消してしまいます。
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000280/0/kouza13/section6.htm
__________________
G 東への道(WAY DOWN EAST) 1920
監督:D・W・グリフィス
キャスト:リリアン・ギッシュ/リチャード・バーセルメス
http://www.youtube.com/watch?v=QaUQORQoFhA
http://www.youtube.com/watch?v=YWGje_Ss7oo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aEw9yuN2aFc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DM08e8ZthhI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=uJQLjZ23C4c&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Jh7frECK9zU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=n9hykmROKU4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hbCrkrkggI0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ToNTYqs9p8M&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=nEqBjtQy5Oc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=r5YqLL7Dy4I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=28Kw0IcLYtE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=en2sVeXpouU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ZnzxputIr-U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Isu3QuwyMZ8&feature=related
はい、『東への道』、Way Down East。
私はこれを学生の頃観ました。学生の頃観まして、Way Down Eastですか、これで、Eastが東、いう事を頭に染み込ませまして、それでやっとEastが良くわかったなんていう幼稚な観方しましたけれど、この映画はグリフィス監督、『イントレランス』の監督がつくりました。
『イントレランス』をつくって、物凄い、物凄い超大作をつくりまして、本当に借金が山盛りになったんですね。 それであわてて昔のグリフィスに返る。グリフィスはやっぱり愛の映画だというので『散り行く花』をつくりました。 『散り行く花』をつくって、僕の映画は本当はこれだよ、そして『スージーの真心』とか、かわいい、かわいい映画をつくりました。 そうして今度はメロドラマ。「おれはメロドラマがこんなにうまいんだよ」とつくったのが『東への道』ですね、Way Down Eastですね。で、Eastで東だいうことを勉強したんですね。
なんでWay Down Eastいうのか今でもわかりませんけど、これはいかにも奇麗なリリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、あの『散り行く花』のコンビですね。
それにクライトン・ヘイルとか、いろいろ出てますけど、これは『散り行く花』のような夢物語でなくて、本当にある村の豪農の話ですね。
大きな、大きなお屋敷があったんですね、田舎に。
そこに、召使いにかわいい娘がやってきたんですね。
で、そこで一生懸命に働いたんですね。働いて、働いて、みんなにいい娘だな、いい娘だな。そしてその豪農のお家に、リチャード・バーセルメスの扮してる息子がいたんですね。その息子は、本当に立派な心がけのやさしい女だから結婚しようと思ったんですね。
そこへ都会の男が一晩泊りに来たんですね、そこのうちへ。
その男が、その娘は確か子供ができて逃げて来たんだよ、そういうこと言ったので、かたいかたい豪農の家中がびっくりしたんですね。それを聞いて驚いたんですね。
で、リリアン・ギッシュのその娘は、もう私はとってもたまらない言って夜中に逃げていったんですね。どんどん、どんどん、雪の中を逃げたんですね。
そして死のう、死のうと思ったんですね。
逃げて、逃げて、道で倒れたんですね。でも、倒れたの道じゃなかったんですね。
河が氷結して、河が氷で固まっちゃってたんですね。で、雪が積もってたんです。
道かと思って行きながらそこにばったり倒れたんですね。
一方、豪農の家の息子は「そんな娘じゃない、そんな娘じゃない、あの娘は立派な娘だ」、後をどんどんと追っかけてたんですね。
追っかけて追っかけて「どこ行った、どこ行った」、探してほっと見たら、遠くの、あの河の上で倒れてるんですね。
あんな所で倒れてる、死んじゃうじゃないかって、慌てて飛んで降りていって、「おーい、おーい」とつかもうとしたら、朝方でだんだん雪、氷がとけてきて割れて、その女を乗せたまま流れてゆくんですね。
たまったもんじゃない、向こうに行ったら滝がある、あぶない、あぶないとその割れた氷、それをピョンピョン、ピョンピョン、ピョンピョン飛びながら、もう、どんどん河が流れて行く、滝のとこへ行く、滝のとこへ行ったらもう女は死んじゃう、いうところで、パーッと助ける....これが傑作なんですね。
で、グリフィスは、そういう危機一髪がまた好きだったんですね。
『イントレランス』でも、死刑執行の瞬間に助けに行く場面がありますね。
リリアン・ギッシュ、バーセルメスのこの作品はその河、助けるところが凄いですね。
そうして助けて、みんなをあらためて迎えるんですね。
けれど、この映画で一番おもしろいのは、その氷の上ですね。
撮影は、本当に氷結している氷の上でリリアン・ギッシュは寝たんですね。
で、リリアン・ギッシュに後で聞いたら「私、もう1分間ながいこと撮影されたら、死んじゃってた」。片っぽの手は水に浸かってたんですね。
そうして横へ倒れて、本当の氷の上、雪の上ですね、こういう撮影を昔はしたんですね。
そうして本当にキャメラをまわしたんですね。で、リリアン・ギッシュはこの役を演ったんですね。
『東への道』は命がけのリリアン・ギッシュの作品ですね、なにしろ見事な映画でした。
危機一髪を助ける瞬間の怖さ、それはグリフィスのもう大得意なシーンですね。
『東への道』は、メロドラマですけども、いかにも、いかにも、グリフィスの感覚があふれた愛の映画でしたね。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2271.html
内容はメロドラマである。しかも、当時としても古くさいタイプのメロドラマだったようだ。主演したリリアン・ギッシュを含め関係者はグリフィスの見識を疑ったという。
純粋な女性アンナ(リリアン・ギッシュ)は、女たらしの男に遊ばれ妊娠するも捨てられてしまう。生まれた子供が死んでしまい、身寄りもいないアンナは、過去を隠して田舎の村の農家にお手伝いとして雇われる。農家の息子のデビッド(リチャード・バーセルメス)は、アンナを愛するようになり、アンナの気持ちも同じだった。やがて、アンナの過去がばれて、厳格な清教徒の農家の主人の命令で、アンナは吹雪の中を追い出されてしまう。
今から見ると、これくらいの過去が(しかも悪いのは女たらしの男である)人生の破滅を呼ぶほどのことではないように思える。だが、問題はそこではなく、不幸な境遇におかれたアンナの苦悩にある。「東への道」は一歩間違えればバカバカしく思えてくるようなストーリーを、そうは思わせずに見事に映像化したという意味で非常に価値のある作品である。思えば、映画の多くはよく考えればバカバカしいものが多い。映画はバカバカしいことに真実味を与えることができるものということもできる。そう考えると、「東への道」は、「映画」の正しい作り方を教えてくれているようにも思える。
「東への道」の最大の功労者は誰か?この問いに対して、私はリリアン・ギッシュであると答える。「散り行く花」で10代の少女を演じたギッシュは、1年後の「東への道」では20代前半の女性を見事に演じている。「散り行く花」では、ただひたすらに弱い小さな少女に徹していたギッシュは、「東への道」では弱さと強さを併せ持った女性を演じてみせる。
グリフィス映画に登場する女性たちは弱く、それはグリフィスの理想の女性像を描いているとも言われるが、「東への道」のリリアン・ギッシュ演じるアンナは、弱いだけの女性ではなく強さも見せる。たった1人で産んだ赤ん坊が病気になり、必死に看病し、「洗礼されていない赤ん坊は地獄に落ちる」と言われると、自分の手で洗礼を行う(このシーンの撮影の際、あまりの迫真の演技にグリフィスは撮影中に涙したと言われている)。デビッドに愛を告白されても、アンナは自分の過去のために拒絶する。アンナは決して弱いだけの女性ではない。1人で生きていく覚悟を持った強い女性でもある。
グリフィスの演出や脚本(当初は別の人物が書いたが、グリフィスはほとんど書き換えてしまったという)は、ギッシュの演技と比べると、映画に貢献していないように思える。スラップスティック・コメディ的な部分が時折あるが、決しておもしろくはない(グリフィスは喜劇が苦手で、バイオグラフ社時代には、喜劇はマック・セネットにまかせていた)。ストーリー上重要な役割を果たすゴシップ好きの女性以外の部分は、必要性が感じられない。ただし、のどかで平穏な村という雰囲気を生み出しているというプラスの部分もある。また、ラストの結婚式の落ちは成功している。
アンナが流氷に乗って流されるところをデビッドが救出するシーンは、「東への道」で最も有名なシーンだ。ここでの編集は高く評価されているが、今見るとそれほどのハラハラドキドキはない。それよりも、実際にギッシュとバーセルメスが演じているということの方に驚きを感じる。実際に流氷に乗って撮影(氷を爆破して流氷を作ったという)したということを決断したのはグリフィスである。グリフィスの功績は大きいが、それを演じたギッシュとバーセルメスに対して拍手を送りたくなる。流氷の上で、アンナの片手と髪が水に浸かっているが、これはギッシュのアイデアだったという。
メロドラマの「東への道」を、映画に昇華した最大の功績者はリリアン・ギッシュであろうと思う。リリアン・ギッシュはグリフィスによって雇われ映画役者となり、グリフィスの元で育った。バーセルメスもグリフィス映画で育った。その意味で、最終的にはグリフィスの功績ということはできるだろうが。
グリフィスはこの後、いくつかのヒット作・成功作を生み出すが、徐々に映画界から忘れられた存在となっていく。その最大の理由は、リリアン・ギッシュ(やリチャード・バーセルメス)のような、物語を映画に昇華できるような役者を失っていったからのように思える。この頃のグリフィスはまだそのことに気づいていなかったのかもしれない(ギッシュの演技で自らが涙してもなお)。
数年後、グリフィスはギッシュを手放してしまう。「イントレランス」の興行的な失敗以降、経済的な自由を手に入れることがなかったグリフィスは、決して自らの思い通りの作品を撮り続けることはできなくなっていた。その状況で、グリフィスは自らの力だけで物語を映画に昇華することは難しくなっていた。「東への道」は、そんなグリフィスの当時の状況を表しているように思える。そう考えると、哀しい映画でもある。
救いようのない薄幸の美少女を、儚くも美しく、そして時にはたくましく演じたリリアン・ギッシュが、本当に素晴らしい。 サイレント期を代表する女優としての“命を懸けた”迫真の演技は、映画の歴史が続く限り、永遠に語り継がれていくことでしょう。
その命を懸けた問題のクライマックスですが…
紆余曲折の果て、なんと―
流氷の上で気絶して、瀑布に飲み込まれようとしているではありませんか!
これ、実際に凍死しかけたそうです。
その甲斐あって、それはもう凄い迫力に満ちたシーンとなっております。
アンナは、もといリリアン・ギッシュは―凍傷を負うほど過酷な状況に追い込まれながらも、自分を見出してくれたグリフィス監督への信頼を支えにして、この映画史に残る“ラスト・ミニッツ・レスキュー”をやり遂げたのでしょう。
その監督への絶大なる信頼と尊敬が、劇中でアンナを助け出そうとするデイビットとの愛へと変換され、この壮大なるメロドラマは完結するのです。
素晴らしき哉、リリアン・ギッシュの女優魂!
http://koushin504.blog36.fc2.com/blog-entry-11.html
_________________
H 嵐の孤児 (Orphans Of The Storm) 1921
監督:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ/ドロシー・ギッシュ/ジョセフ・シルドクラウト/フランク・ロシー/モンテ・ブルー
http://www.youtube.com/watch?v=d6EoFe2l5VE
http://www.youtube.com/watch?v=Z615hag1hrQ&playnext=1&list=PL30F16C409151C92E
http://www.youtube.com/watch?v=DUOzhSDSTKM
フランス革命を背景にしたグリフィスの大河ドラマで、ドロシーとリリアンのギッシュ姉妹が、運命に引き裂かれる姉妹同様にして育った二人の孤児に扮し、涙を絞る。
由緒正しい貴族の一家の姫君が平民との子を宿し、哀れ幼子はルイーズと名前の入ったロケットを付けられ、雪の降るノートルダム寺院に捨て置かれる。そこへ我が子アンリエッタを捨てに来たジラールは、改悛の情に駆られ、その捨て子と共に娘を連れ帰るが、捨て子には困窮した彼らがやり直すには充分すぎるほどの金貨も託されていた。
が、ジラール夫妻は娘たちがちょうど年頃になったころ、病没してしまい、アンリエッタは失明したルイーズを医者に見せようとパリへ向かうが、有名なジゴロの侯爵に見初められて誘拐される。そして独り取り残されたルイーズは、髭を生やした性悪婆さんのフロシャール夫人に捕まり、物乞いのタネにされてしまう……。
以下、ルイ16世治下の貴族たちの遊蕩三昧の様子、市民の蜂起、ロベスピエールのギロチン恐怖政治と大モブ・シーンの見どころはたっぷりなのだが、グリフィスが発見したテクニックの一つであるカット・バックの妙味を伝える映画として、アンリエットが彼女を助けた青年騎士ボードレイの部屋で、彼の伯母でルイーズの実母の警視総監リニエール夫人の訪問を受けている折に、物乞いのルイーズの歌声が聞こえて動揺する感動的なくだりを挙げておきたい。まさにフランス人形のように可憐なギッシュ姉妹をとくとご覧じろ。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1345
その運命の始まりは、フランス革命からさかのぼること10数年―
雪のノートルダム寺院に我が子(アンリエット)を捨てようとする男・ジラールは、一足先に雪中で震える捨て子(ルイーズ)の哀れな姿を見て、己が犯そうとした罪の大きさに気付き、かえって捨て子を連れて帰る―。
この神のイタズラとでも言うべき皮肉な巡りあわせが、やがて歴史の渦に巻き込まれていく姉妹の波乱万丈を暗示しているようで、とても面白いファーストシーンとなっています。
その後、改心したジラール夫妻の許で、二人の赤子は本当の姉妹のように仲睦まじく育つものの…
幸せは長続きせず、ジラール夫妻は疫病のために亡くなり、そればかりかルイーズの目も見えなくなってしまいます。
妹想いのアンリエットは、なんとか妹の目に光を取り戻したくて、名医がいるというパリへの旅立ちを決意するのですが…
また皮肉にも、その決断が更なる不幸を呼ぶことに!
パリへの道中、アンリエットは、ひょんなことから出会った貴族に目を付けられ、汚い策略の果てに拉致誘拐!
姉とはぐれた盲目のルイーズは、ただ暗闇を手探りで彷徨うなか、哀れズル賢い物乞いババアに拾われて、金儲けにこき使われます。
嗚呼、無常…。
その無情な人さらい貴族が、もう退廃の極致にいるようなヤツでして。
純粋無垢なアンリエットを衆人の面前で汚すことによって、毎夜繰り返される酒池肉林パーティーの余興とする魂胆らしい…
どんだけ腐りきったブルジョワの発想力!そりゃ革命も起こるわ!!
なんて嘆かわしくもドキドキしちゃう場面で、独り人間としての良心を残した貴族・ヴォードレーが颯爽と登場し、腐れ貴族からアンリエットを救い出すのです。 結果、たちまち恋に落ちる二人―。
この嵐のように唐突で運命的な恋が、革命を求める時代の暴風に巻き込まれ、またまた更なる悲劇を生み出すことになるとは…。
これまでの圧制に対する怒りを暴発させた群衆に、飽食と怠惰の限りを尽くしてきた貴族が打ち倒されるとき―
いくら正義感が強く真っ当な心を持ったヴォードレーだとしても、貴族というだけで、勝利に酔いしれ冷静さを失った民衆は許そうとはしない。それどころかアンリエットまで、ヴォードレーをかくまったという罪を着せられて、ギロチン台へのステップとなる法廷へ引きずり出されるのです!
その法廷の裁判長の名は、“わすれじのジャック”。
貴族に父親をなぶり殺された凄惨な情景を、その恨みを、決して忘れずに生きる男―。
もう絶体絶命!!!
時代は、歴史とは―あらかじめ人の血や涙を求めるものなのでしょうか!
果たして、愛し合うアンリエットとヴォードレーの運命やいかに!?
そして、離れ離れになった美しい姉妹は、再び生きて巡り会うことができるのでありましょうか…
いやー。 この映画、サイレントなのに、たっぷり2時間強もあるという当時としては超大作の映画なのですね。もう映画自体のスケールが大きいこと!
特に、怒り狂った群衆がベルサイユ宮殿を目指して怒涛のように進撃するシーンは、まるで本当のフランス革命をフィルムに焼きつけたとでもいうような迫力に満ちています。
そして、もうひとつ見所なのが、グリフィス監督お得意の手法―
“ラスト・ミニッツ・レスキュー”の大役をいったい誰が成し遂げるのか―。
これはぜひ実際に映画を見ていただいて、ハラハラドキドキ、手に汗握ってほしいと思います!
http://koushin504.blog36.fc2.com/?tag=%A5%B5%A5%A4%A5%EC%A5%F3%A5%C8
舞台は18世紀末のフランス。貴族と平民との間に生まれたルイーズがノートルダム寺院の前に捨て置かれる。貧困ゆえに我が子アンリエッタを捨てにきたジラールが、寒さに震えるルイーズを見止め、改心。二人は姉妹同然に育てられるが、ペストの大流行によりジラール夫妻は病没、ルイーズは光を失ってしまう。
パリの医師に診て貰おうと旅に出るが、アンリエッタは放蕩侯爵に見初められた挙句に誘拐され、残されたルイーズは物乞いの老婆によって金儲けの道具に。そして、革命…… 容赦なく牙を剥く運命。その無残! その皮肉!! そして、それゆえに涙を絞りとる感動の邂逅!!
監督・脚本・製作は<映画の父>と称されるD・W・グリフィス。『國民の創世』『イントレランス』『散り行く花』『東への道』と、映画史に残る傑作を放った巨匠。主演は、リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュという実際の姉妹女優。その可憐さがドラマをより一層引き立たせている。また本作は、グリフィスと、彼が育てた大女優リリアン・ギッシュが組んだ最後の作品としても感慨深い。
________
D・W・グリフィスが自作『イントレランス』の中世フランス編を更に発展させる形でメロドラマ化した作品。
フランスの街並を巨大セットで再現し迫力ある革命の戦闘場面を織り込んで描く、姉妹の小さな物語。
市街戦には千人単位のエキストラが動員されているが、それ以上にみせる演出は『国民の創生』で既に確立されている。 フランスの巨大セットの系譜といえば、R・バリモアの『我も若し王者なりせば』へと受け継がれ、『嵐の三色旗』にいたる。 そのどれも超大作の風格があるが、特に『嵐の孤児』はメロドラマの部分にも優れ、ラストの名高い救出と共に忘れがたい。
あわやギロチン刑に掛けられそうになるL・ギッシュのグローズアップは、殆ど倒錯趣味の権化と化している。
この顔見たさにD・W・グリフィスはこの超大作を撮り上げようと思ったとしか考えられない。この行き過ぎた趣味を我々は映画史上でも類の無いものとして歓迎するだろう。
「嵐の孤児」はグリフィスの最後の傑作とも言われる。そして、その名にふさわしい作品だと私は思う。「嵐の孤児」はメロドラマだ。捨てられた赤ん坊、病気で盲目となってしまう若い女性、引き裂かれる姉妹、貴族と平民の許されぬ恋、策略、嫉妬・・・メロドラマ的要素に満ちている。
グリフィスはこれまでにも、「散り行く花」(1919)「東への道」(1920)といったメロドラマを見事に映画にしている。いずれもリリアン・ギッシュという、純粋な愛情を表現することにかけては右に出るもののいない稀有の女優を得ることで、後世まで語り継がれる作品となっている。
「嵐の孤児」は同時に歴史大作でもある。フランス革命を舞台に選び(ストーリーやキャラクターは舞台劇とチャールズ・ディケンズの「二都物語」からとっているが、フランス革命を選んだのはグリフィスだ)、セットや衣装にも金をかけている。ロベスピエールやダントンといった歴史上の人物を、架空の人物である2人の孤児の物語に絡ませ、虚実入り混じった歴史物ともなっている。
グリフィスは「国民の創生」(1915)「イントレランス」(1916)といった歴史大作も手がけている。大勢のエキストラが使われている「嵐の孤児」の演出は、グリフィスにとっては得意とするところでもあった。「嵐の孤児」は、グリフィスが得意とする分野で製作された、グリフィス映画の魅力に満ち溢れた作品である。
「嵐の孤児」の脚本はグリフィス自身が担当している(クレジットはグリフィスの変名)。大いなるメロドラマは、リリアン・ギッシュ演じるアンリエッタが2人の人物に愛を与え、愛を勝ち取る物語として成立している。1人は身分の違う男性である貴族のヴォードレー、もう1人は血のつながっていない妹のルイーズ(リリアンの妹ドロシー・ギッシュが演じている)だ。
リリアン・ギッシュは2人の人物に愛を与えるという難しい役どころを何の困難さも感じさせずに演じてみせる。2つの愛は矛盾せず、どちらに重きを置きすぎることもなく、過不足なくアンリエッタの中に満ちている。あまりにもギッシュが簡単に演じているように見えるので見逃しがちだが、アンリエッタの役どころはリリアン・ギッシュ以外の女優でこれほどうまく肉付きされることは難しいように思える。グリフィスが自身のキャリアの集大成的な作品として「嵐の孤児」を残したとしたら、リリアン・ギッシュも自身の「グリフィス映画における」キャリアの集大成の演技を見せてくれている。
グリフィスとリリアン・ギッシュには、それぞれの見せ場がある。
ギッシュにとっての最大の見せ場は、革命後に貴族を匿った罪を裁かれるシーンだ。ギッシュ演じるアンリエッタはここで引き裂かれていた妹と再会する。裁判官に匿った罪を認めるかと聞かれたアンリエッタは決然とした表情で、「愛する男性ですから」と答える。答えを聞いた裁判官はアンリエッタに匿った罪はギロチン刑であることを告げると、ギッシュは「声を小さく。妹に聞こえてしまいます」と答える。この一連のシーンでギッシュは、貴族の男性と妹への愛を高らかに謳いあげる。もちろん、グリフィスの脚本の素晴らしさもあるが、自身の命を奪われるかもしれない法廷での、まるで悟りを開いているかのようなギッシュの表情がなければ、このシーンの感動はなかったことだろう。
グリフィスにとっての最大の見せ場は、クライマックスの救出劇だ。ギロチン刑に処されようとしているアンリエッタと救出に向かうダントンのカットバック(グリフィスが発展させた数々の映画技法の中でももっとも有名だ)は、これまでにない緊張感を映画に与えることに成功している。ギロチンという方法の恐ろしさと、革命後の興奮状態の民衆、気絶してしまっているアンリエッタとお膳立てが整っていることもあり、「嵐の孤児」のカットバックはグリフィス映画最大の救出劇であると私は思う。
「嵐の孤児」でもっとも感動的なシーンは、引き裂かれたアンリエッタとルイーズが偶然の再会をするシーンだろう。アパートの2階に住んでいるアンリエッタ、歌いながら物乞いをして歩くルイーズ。ルイーズの歌声に気づくが、空耳だと思うアンリエッタ。だが、確かに歌声は聞こえてくる。窓から外を見るとそこにはルイーズがいる。歓喜するアンリエッタとルイーズ。急いで外へ向かおうとするアンリエッタだが、貴族とその護衛の人々が部屋に入ってきて、アンリエッタを逮捕してしまう。
このシーンは、グリフィスの演出とリリアン・ギッシュの演技の両方が見事に効果を上げている。グリフィスの演出は、アンリエッタとルイーズの再会をじらしにじらし、ようやく再会できたと思ったら邪魔者が入ってしまう。この緩急はグリフィスの功績だろう。リリアン・ギッシュは再会の歓喜と、すぐに訪れる絶望を見事に表現している。どちらが欠けてもこのシーンの感動はなかったことだろう。
グリフィスとリリアン・ギッシュの見事なまでのコラボレーションが発揮されている「嵐の孤児」の中で、演出と演技が見事に噛み合っている、この再会の喜びと絶望のシーンは、グリフィスとギッシュのコンビ史上最高のシーンといえるかもしれない。
リリアン・ギッシュ以外の役者陣も素晴らしいことを付け加えておかなければならないだろう。ドロシー・ギッシュは盲目の少女という難しい役柄を見事に演じているし、何よりもリリアン・ギッシュ演じるアンリエッタとの強い精神的な結びつきを感じさせるという意味で、これ以上にないキャスティングだと思う。アンリエッタが愛を与えるもう1人の人物である貴族を演じるジョゼフ・シルドクラウトは好感を持てるが無力なキャラクターを、ドロシーを物乞いに利用する女性を演じるルシル・ラ・ヴァーンは粗野で無慈悲なキャラクターをそれぞれ見事に演じてくれており、「嵐の孤児」に厚みを与えてくれている。
さらに付け加えるとしたらセットと衣装と群集シーンについてだろう。豪華な王宮と平民たちの暮らすスラムのセットは、衣装(特に貧しさを感じさせる平民たちの衣装)の効果もあって、貧富の差を強調し、革命が起こった背景を説明なしで理解させてくれる。革命が起こった後の群集シーンはカオスを感じさせ、アナーキズムを嫌う「嵐の孤児」のひいてはグリフィスのメッセージを具現化することに成功している。
「嵐の孤児」には、グリフィスのアナーキズムを嫌う志向が見えるという点は指摘しておきたい。貴族による圧制を否定しつつ、革命後の興奮状態の民衆による混沌も否定している。秩序を持った冷静な指導者として「嵐の孤児」ではダントンを賞賛している。グリフィスにとって偉大なる指導者の存在こそが不可欠な存在だと考えていることがわかる。
「国民の創生」は、グリフィスの黒人差別的な志向が取り上げられることが多い。だが、グリフィスにとっての「国民の創生」は、黒人差別が目的ではなく、人々は偉大なる指導者によって率いられなければならないということが根本的な考え方だったように思える。グリフィスにとって、南北戦争後の黒人もフランス革命後の平民も同じであることが、「嵐の孤児」を見るとわかる。
人々は偉大なる指導者によって率いられなければならないという考え方は、一般の人々は愚かなものだと語っているのと同じだ。これが良い悪いという議論は別にして、グリフィスの考え方はそうであり、映画製作において自らが実践した方法もそうであったということは言えると思う。
悲しいかなグリフィスは、「嵐の孤児」を最後に映画監督のキャリアは下降線をたどる。それは、自らが指導者として俳優を指導してきたと思っていたグリフィスが、リリアン・ギッシュを失うことで、自らの描くキャラクターをうまく肉付けできる役者の大事さを知ることも意味する。
グリフィスの考え方は、少なくとも自らの映画製作においては当てはまっていなかったようだ。とはいえ、巨額の負債を抱え、自転車操業で映画を製作せざるを得なくなっていたグリフィスが、リリアン・ギッシュへの給料を支払うことが難しくなっていたという理由はあるのだが。
「嵐の孤児」はグリフィスの作品の中で私がもっとも好きな作品だ。それは、頭でっかちになりすぎずにメロドラマとしての面白さを保持しているということもあるし、「国民の創生」「イントレランス」のように映画史に燦然と輝きすぎていないために愛着を感じるというのもある。しかし、何よりもD・W・グリフィスとリリアン・ギッシュという映画史上に名を残す素晴らしいコンビが、それぞれ最高の役割を果たした作品だと感じられるから、私は「嵐の孤児」が好きだ。
________________
[1921] 「夢の街」 (DREAM STREET)
監督・製作・脚本D・W・グリフィス
出演キャロル・デンプスター、チャールズ・エメット・マック
「散り行く花」(1919)と同じ原作者による別エピソードを、D・W・グリフィスが監督した作品である。これまでのグリフィス作品の常連だった役者は出演しておらず、かつてはリリアン・ギッシュが演じた役柄をキャロル・デンプスターが、リチャード・バーセルメスやロバート・ハロンが演じた役柄をチャールズ・エメット・マックが演じている。
舞台はイギリスの街。仲の良い青年の兄弟が住んでいる。兄のラルフは美しい声を持っており、弟ビリーには作曲の才能がある。2人は踊り子のジプシーに恋をする。ジプシーはラルフの愛を受け入れ、ビリーは嫉妬に駆られる。
当時のグリフィスは、落ち目だったと言われている。「散り行く花」(1919)「東への道」(1920)「嵐の孤児」(1921)といったヒット作・話題作を送り出しながらも、製作費を顧みない映画製作により、経済的には苦しかったのだ。内容的にも、グリフィスの説教臭いメッセージは、徐々に大衆に背を向けられ始めていたという。
「夢の街」は説教臭い作品だ。冒頭では「善と悪」についての長い字幕を見せられ、善と悪を象徴する人物(牧師とバイオリン弾き)が、主要登場人物たちの葛藤を表現するために登場する。この分かりやすい説教臭さは、グリフィス作品の特徴である。問題は、映画が説教臭さを感じさせないものになっているかということだ。グリフィスは卓越した演出や、絶妙なストーリー・テリングによって、説教を忘れさせる作品をこれまでに送り出している。
残念ながら、「夢の街」は説教臭さを打ち消すことに失敗しているように思われる。火事になった劇場におけるパニックといった派手な演出や、誤解からラルフがジプシーに裏切られたと思い込む後半の展開など、見どころは多くある。特に、裁判のシーンがよい。証言を終えて側を通りかかるジプシー、被告人席に座るラルフの手に、ジプシーが手でチョンと触れる。このシーンのさりげなさ、やわらかさには並の監督では表現できない感情が詰め込まれている。ギュッと手を握るのではなく、チョンと触れるからこそ、このシーンは生きているのだ。
見どころがあるにもかかわらず、説教臭さを消すことができなかった理由は何であろうか?
1つには、随所に織り込まれる説教臭い字幕と、映像がある。特に、悪を代表するヴァイオリン弾き。普段の顔はマスクであり、マスクを取ると醜悪な顔の男であるという分かりやすい設定に加え、時折地獄絵図のような映像が差しこまれる念の入れようだ。映像自体にキッチュな魅力があるものの、説教臭さを助長するものであることに変わりはない。
もう1つの理由は、役者だ。キャロル・デンプスターは、リリアン・ギッシュと似たメイクを施されている。時折、ギッシュのように涙を湛えたこわばった表情を見せたりもする。だが、役者が変われば魅力も変わる。ダンスをしているシーンの溌剌さと比べると、ギッシュ的な演技をしているデンプスターは、あまりにも窮屈そうだ。ビリーを演じるチャールズ・エメット・マックも、過度に「散り行く花」のリチャード・バーセルメスを真似ているように感じられた。
世の中が変わり、俳優が変わる一方、変わっていないものもある。それが、グリフィスだ。程度の差こそあれ、グリフィスの作品には説教臭さが付きまとう。説教臭さは、大体において心地よいものではない。思えば、「イントレランス」(1916)以後の作品で、成功作と言われているものは、いずれも説教臭さが前面に出ていないものばかりだ。グリフィスは変わっていない。問題は説教臭さが前面に出ているかどうかだ。
_______________
[1922] D・W・グリフィス、レーニンに誘われる
アメリカ映画の父と言われるD・W・グリフィスは、世界平和をテーマにした映画を撮影しようとするが頓挫している。グリフィスは制作費捻出のために、ママロネックの撮影所を売却しようとまでしたが、実現しなかった。
グリフィスは、この後ヒット作から見放され、時代から置き去りにされていく。そんなグリフィスは、
「観客の精神年齢は9歳であり、成功する映画を作るためには、映画をこの精神状態に合わせなければならない」
と語っていたという。グリフィスのいらだちが伝わってくる。
そんなグリフィスはこの年、探偵映画である「恐怖の一夜」(1922)を監督しているが、失敗に終わっている。また、レーニンからソ連の映画製作を指導して欲しいと声をかけられたが、断っている。グリフィスが監督した「イントレランス」(1916)は、ソ連の映画製作者たちにとって教科書的の存在となっていた。また、レーニンは「イントレランス」の現代篇を見て、グリフィスを共産主義者と勘違いしたとも言われている。
_____________________
I 緋文字(The Scarlet Letter ) 1926
監督 ヴィクトル・シェーストレム
出演 リリアン・ギッシュ / ラース・ハンソン / ヘンリー・B・ウォルソール / カール・デーン
http://www.youtube.com/watch?v=Vj83BC5gZCk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YLWzIvMtT5k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XnzcFdBhPbY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=38ObkUuXVis&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5zuJWmeX4hU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=zS5T5OaF0Yg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hUQfFVJcHSo&feature=related
グリフィス作品のいたいけなヒロイン=L・ギッシュが、少女の可憐さはそのままに、姦婦の烙印を縫いつけた服の着用を強制されながら、愛する男の名誉を守ろうとする情熱の女性=へスター・プリンを演じる、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』の、スウェーデン出身の名匠シェストレムによる映画化。
戒律の厳しい清教徒の町ボストン。新しく赴任した人間味ある牧師ディムズデールに魅かれた自由人へスターは、やがて夫の留守中、彼と関係を持ち、その子を宿すが、それと知らず彼は他の教区へ移ってしまう。明らかに私生児を設けた彼女は生涯、姦淫を象徴する赤いAの文字を胸に纏うことを義務づけられるが相手の名は頑として明かさない。
ロケ撮影を多用した自然主義的な演出の中に素晴らしい劇的効果を、例えば、へスターの覗き込む水鏡の描写などで生み出す、シェストレムのヨーロッパ的感性にうたれ、何より、ギッシュの気高く凄みある名演に圧倒される。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11308
リリアン・ギッシュの圧倒的な女優映画。しかしヴィクトル・シェストレムの演出も矢張り『風』同様厳しくていい。ディゾルブ繋ぎの2カットの寄りが随所にあり情感もたっぷりだが、決して被写体におもねる演出ではない。またいくつかの忘れがたい倒錯的な画面を持つ。
特に前半、ギッシュが鳥かごの鳥を逃がし、跳ねまわっているのを村人に見られた後、罰として与えられる一種拷問のようなシーン、ギッシュが木枠のかせをはめられ、往来に放置されている画面の異様な官能性。 或いは後半、告げ口をした女が罰で池につけられるシーンの残酷な笑い。そしてA(Adulteress−姦婦もしくはadulterer−姦夫)の緋文字の映画性。
私はナサニエル・ホーソーンの原作も大好きだが、胸の緋文字の隠蔽と暴露の見せ方は映画ならではの興奮をそそる。傑作サイレント映画だ。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11308#2
「緋文字」(1926年米)はイギリス人が入植したばかりの新大陸ニューイングランドのボストンが舞台である。お針子のヘスター・プリン(リリアン・ギッシュ)は、若い牧師アーサー(ラース・ハンソン)と恋に落ちる。ヘスターには、故国イギリスに夫ロジャー(ヘンリー・B・ウォルソール)がいるが、何年も連絡が無く生死は不明であった。やがて、ヘスターは不義の子を産むが、彼の名誉のために父親の名は隠し通す。彼女は、罰として真紅の“A”の文字を胸に刻印されるのであった…。真紅の“A”は“Adultery(姦通・不義)”を意味している。愛する男のために、自ら不幸を選ぶ女というのはリリアン・ギッシュ(1896〜1993)お得意の役柄なのだが、つくづく彼女は報われないものであると切なくなってきてしまう。
原作はナサニエル・ホーソン(1804〜64)の小説「緋文字」。その後も何度となく映画化された題材で、ヴィム・ヴェンダース(1945〜)が監督した「緋文字」(1972年西独/西)や、最近でもデミ・ムーア(1962〜)が主演し、ローランド・ジョフィ(1945〜)の監督する「スカーレット・レター」(1995年米)が製作されているが、いずれも作品の雰囲気はずいぶん異なっている。例えば、ジョフィ版はアーサー(デミ・ムーア)とヘスター(ゲイリー・オールドマン)、ロジャー(ロバート・デュヴァル)の3人の愛憎を主眼に据え、ロジャーの復讐が大きく描かれる。
一方の、シェーストレーム版は、むしろアーサーの良心の呵責がメインとなる。ここでのアーサーは、“A”の文字を自らの胸に刻み、最後はヘスターの胸に抱かれて息を引き取る。ジョフィ版は原作や他の映画版と異なり、ハッピーなラストとなっているが、それは誰もが願っていた結末であるに違いない。また、ヴェンダース版は夫ロジャー(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)の視点に立つ。ヴェンダースと言えば、「都会のアリス」(1973年西独)や「パリ、テキサス」(1984年西独/仏)といった都会的なロード・ムービーが思い浮かぶが、意外にもこのヴェンダース版が一番原作に忠実な映画化だと言える。
例えば、シェーストレーム版やジョフィ版は原作には無い、ヘスターとアーサーの馴れ初めから描かれているが、ヴェンダース版は原作同様、ヘスター(ゼンダ・ベルガー)の裁判の日から話が始まる。もちろん、アーサーが“殺される”など、原作とは大きく異なる部分も存在するのではあるが…。ちなみに、ヴェンダースはこの彼にとって唯一の時代劇が嫌いだったらしく、「ピンボールマシンもガソリンスタンドも出てこない映画は2度と作らない」と言わしめた。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/20SWEDEN.htm
アメリカがまだ植民地だった頃を舞台にピューリタン的戒律に縛られ悲劇を迎える愛の物語。
その戒律の厳しさは今見ると・・・たぶん26年の時点でも・・・あまりにも古めかしくバカバカしい域ではあるのですが、酷い環境の中貫かれる愛は普遍的感動を呼びます。 それにしてもその戒律は本当に酷い。
日曜日に逃げた鳥を追いかけて解けた髪のまま走り回ったくらいで手かせ足かせ付けられてさらし者にされてみたり、
”女の下着は淫らなものなので洗濯は男の目のつかないところでひっそりと行へ”
とか絶句します。が、そういう時代のお話なので仕方がないですね。
ヴィクトル・シェストレムの映画を見るのは初めてです。前述の鳥を追いかける場面の御伽噺めいた美しさ、後半でのギッシュの住む荒野の一軒家といった佇まい、そして呪われた恋人達の苦難など見どころいっぱい。
『東への道』でも『嵐の孤児』でもリリアン・ギッシュはいつも男に襲われる役ですが、本作のリリアンは牧師を積極的に誘惑。その様子は幼い容姿(33歳くらい)のせいでなんだか危うい雰囲気を漂わせています。束ねた髪が解けると、ブロンドの長い髪が官能に輝いてしまいます。
リリアンの相手役にシェストレムと同じくスウェーデンから来たラルス・ハンソン。
リリアンの夫を演じたヘンリー・B・ウォルソールは34年コリン・ムーア主演版でも同じ役を演じているようです。なんだか怪僧ラスプーチンを思わせるいかにも悪役らしい姿です。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/silentvoice/s_index.html
____________
J ラ・ボエーム (La Boheme ) 1926
監督 キング・ヴィダー King Vidor
出演 リリアン・ギッシュ ジョン・ギルバート
ルネ・アドレー ジョージ・ハッセル ロイ・ダルシー
http://www.youtube.com/watch?v=aet__E4zfRI
http://www.youtube.com/watch?v=VjfUh5rIeMM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D8PYxUJ-OMw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=S02mccbscV4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Oj1Dxye4lAM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dBmwI9ABZtQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=QQbUFI9cZ1Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fqBVhOlouJM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=W3gt_PO835s&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=TjpZp8Y971w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=L_Afbb5QEYI&feature=related
プッチーニのオペラ劇でも有名な題材のもっとも古い映画化作品で、サイレント時代のR・ギッシュの可憐な演技が目玉。芸術家を志す4人の男たちの友情と、貧乏でもなお志気を通す生き方が滑稽でもあり、悲しくもある。
“芸術の母パリ。才能ある若者たちが悩み飢え……”という字幕で映画は幕を開ける。劇作家を目指すロドルフは、家賃も苦しく身よりのないお針子ミミに恋をする。それまで冴えない犬猫雑誌に原稿を書いて喰いつないでいたのが一転して生き生きした脚本が書けるようになる。ミミもまた1人の女として励ます男の存在に生き甲斐を得る。
質屋の帰り、ミミは金持ちポールに見初められ、あれこれ言い寄る言葉を真に受けて、ロドルフの新作原稿を持って劇場に出かける。友人のミュゼットみたいにパトロンを得て金をもらっていると勘違いしたロドルフは、激怒して部屋を飛び出し酒場へ。ミミが原稿料を貰いに行ってくれていた雑誌の編集長から、自分がとっくにクビになっていたことを知り、ミミが夜なべして金を工面していた真実を知って懺悔する。
体を壊し喀血するミミを目のまえに、必死に医者を探すロベルト。ミミはベッドから消え、数カ月後、戯曲は大成し上演ヒットする。だが、打ち上げパーティの日に瀕死のミミが運び込まれ……。
恋仲になったロドルフと復活祭のピクニックに出かけ、川縁の林ではしゃぐミミの無邪気な様子は可愛らしく心に残る。ギッシュの十八番“薄幸の美少女”もの。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24710
『ビッグ・パレード』(1925)の翌年のキング・ヴィダー。リリアン・ギッシュは『真紅の文字』と同年の映画。パリの屋根の雪景色のカットから始まる。こゝでも前半はともかく後半は圧倒的なギッシュ一人の映画になる。
病に倒れたギッシュが、貧民窟からカルチェラタンのアパートまで戻る場面がヴィダーらしい過剰に凄絶なシーンで出色。また、中盤のピクニック場面もモブシーンとして見事な出来栄えだ。
あと、アパートの装置としての面白さも明記したい。ジョン・ギルバートの部屋の窓を挟んでギッシュの部屋が見え、(雪降る画面が美しい!)屋根伝いに部屋を行き来できる構造になっていることや、ギルバートの部屋の床板をはずすと階下のルネ・アドレーの部屋が見える、さらに当然のごとく会話を交わす、というような部分。
ラストのラストでピクニック場面が一瞬フラッシュバックされるのだが、通俗的というか余りにメロドラマじゃないかという思いも起こるが、これもヴィダーらしい大衆的なサービス精神だと思い直す。
「ラ・ボエーム」と言えばプッチーニを思い出しますが、ストーリーはこのオペラとは、かなり違います。それは、原作者のアンリ・ミュルジェールの小説を映画化したからのようです。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24710#2
リリアン・ギッシュ自身が強くこだわったというパンクロフィルムの特性が活かされ、光の溢れるピクニックシーンから夜の暗い街路まで色調が豊かで幅広い。彼女の表情のクロースアップショットも艶やかで麗しい。
アパート隣室のジョン・ギルバートらに歓待された彼女が戸惑い、恥じらいつつも嬉しさが滲む表情の可憐さ。彼らとの初めてのピクニックで無邪気に跳ね回り、踊り、アパートの窓をはさんで二人じゃれ合う身振りが伝える幸福感。 一転して、悲愴極まりない終幕では薄倖の死相が真に迫って痛ましい。
クライマックスでは荷車後部の鎖につかまり舗道を引きずられるという、キートン、J・チェン顔負けの過激なアクションまでも華奢な身体で演じきる。 全身映画女優の底知れない表現力にただ圧倒されるしかない。
http://www.jtnews.jp/cgi-bin_o/review.cgi?TITLE_NO=11728
オペラではなくて、1926年無声映画の〔ラ・ボエーム〕です。
映画雑誌等で見る写真でしか知らなかった伝説の清純派女優、リリアン・ギッシュが動いているのを初めて見ました。
こんなにこんなに可憐なんですね。 愛しさを喚起するはかなげな美しさですねえ。
役柄もあるのでしょうけれど、正にスミレの花のようです。 当時の男性たちが心掻き乱される気持ちが良く解かりましたよ。
ラ・ボエームってぶちゃけストーリーはつまんないですが、リリアン・ギッシュの美しさ、かわいさ、可憐さは必見ですねよ。
というか彼女クラスの女優でないと、ありきたりの悲恋ものしかならない(笑)
オペラはその辺が難しくて、声量を維持するためにはある程度ガタイがよくないといけないし、主役クラスになるまで上達するには年もそれなり。結果ビジュアル的には厳しくなることが…。
今度来るオペラをそのまま映画にした「ラ・ボエーム」のヒロインも見た目はおばさんだしねー(^^;) 見には行くけど。
たぶん生の舞台だとそんなに気にならないんだろうけど、映画やテレビの中継はアップもあるし、カメラの正直さに萎えちゃうこともしばしばです(笑)
http://blog.jamkaret.jp/?eid=915444
________________
K 風(The Wind ) 1928
監督:ヴィクトル・シェストレム
出演:リリアン・ギッシュ、ラルス・ハンソン、モンタギュー・ラヴ、ドロシー・カミングス
http://www.youtube.com/watch?v=5xyBOa_eh6c&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=paAUJVLJV60&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Tqm_3RJdffU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yyaduD3Hmzo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=MdGoUTVXTro&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=91iYhGJH5-c&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1BVjGloLEB4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=t25ibzF7iK8&feature=related
バージニア州生まれのうら若き乙女・レティは、テキサス州に住む従兄のビバリーを頼り、砂嵐の吹き荒れる大平原の中にあるビバリーの家で暮らすようになる。ビバリーの子供達はすぐレティになつくが、彼の妻コーラは若く美しいレティに嫉妬し、いじめるようになる。
コーラのいじめに耐えかねたレティはビバリーの家を出、近所に住むがさつ者のカウボーイ・ライジと結婚することを決意する。しかしレティには、ライジの愛を受け入れるだけの心の準備がなかったため、二人の関係はぎくしゃくしたものとなってしまう。 レティのヴァージニアへの思慕が日に日に募るのをみたライジは、レティをヴァージニアへ帰すための資金を稼ぐべく、仲間と共に家を空ける。
猛烈な風にレティの神経が痛めつけられる中、かつてレティを誑かそうとした好色漢ロディが現れ、レティに襲い掛かる。レティは砂嵐を起こすという伝説の幽霊馬の幻を見ながら、失神する。
翌朝、レティは昨夜の出来事を思い出し、ロディを射殺してしまう。遺体を砂の中に埋めたものの、やむことの無い風は容赦なく砂を吹き飛ばし、埋めたはずのロディの遺体が徐々にあらわになり、レティは気も狂わんばかり。そこへライジが帰宅し、昨夜からの出来事は幻であったことにレティは初めて気付き、同時に夫・ライジへの真実の愛に気付くのであった。レティは、風が吹き荒れるこの地にライジと共に住み続けることを決心し、物語は終わる。
本作は、原作を読んだリリアン・ギッシュ自身が強く映画化を希望し、MGMのボーイ・ワンダーとよばれたアーヴィング・タルバーグらに製作をもちかけ、自らの主導により撮影を進めた。
リリアン・ギッシュは後年、『この作品の撮影は、女優としての最悪の経験。8台のプロペラ飛行機で砂を吹き付けられ、嵐の効果を出すための硫黄の燃えさしが飛び交う中、目を開けている必要があった』と語っているほど撮影は困難を極めた。暑さのあまり、フィルム表面の乳剤が溶け出したほどであった。
サイレント映画末期に作成された作品であるため、部分的にサウンド(人の声など)が同調された。
本来は、レティがロディを射殺して発狂、砂の嵐の中に消えていくはずであったが、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー首脳陣が反対し、ハッピーエンドに変えさせた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
「風」(1928年米)は「真紅の文字」と同様ギッシュとハンソンが共演している。従兄を頼って風が激しく吹き荒ぶテキサスの荒野にやってきた孤独な娘レティ(リリアン・ギッシュ)が主人公である。
彼女は、カウボーイのライジ(ラース・ハンソン)と愛の無い結婚をする。レティを愛するライジは、彼女の愛は求めず、望郷の念にかられた彼女のために故郷への旅費を稼ごうとするのであった。毎日のように吹き荒れる風と砂嵐に、次第にレティは精神を病んでいく。やがて、かつて彼女を捨てた男がレティの前に現れる。彼女は男を銃で撃ち、死体を砂に埋める…。
風と異性への恐怖心を抱くヒロインが、男を撃つことで恐怖を克服し、同時に愛を確認するというストーリーは、必ずしも教訓性が高いとは言えないが、試練を受ける主人公と言う点において、他のシェーストレーム作品に通じるものがある。それにしても、かつて好意を寄せていた男に言い寄られると、相手を殺し、嫌っていた男から別れを告げられると「愛している」という女。女心はわからないものだ。
この映画は題名が示す通り、全編に渡って不気味なほど激しく風が吹く。言ってみれば“風”そのものが主人公であるのだ。当然サイレントであるから、音は聞こえない。だが、そのすさまじさは音が無くても聞こえてくるかのようである。もっとも、少々大げさだとは思えなくもない。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/20SWEDEN.htm
The Wind presented by Lilian Gish
http://www.youtube.com/watch?v=62lsVChiUKU&feature=related
______________
L 暁の勝利(Commandos Strike at Dawn) 1942
第二次世界大戦を背景に、ノルウェーの小さな村の住人達と、そこへある日突然侵攻してきたナチスドイツとの戦いを描いています。1942年、コロンビア社制作のアメリカ映画です。 とはいっても、この映画はノルウェーの映画ではなくアメリカの映画なので、当時ナチスドイツと戦っていたアメリカの国民に向けたプロバガンダ映画になっています。最後はナチスとの戦いの勝利への誓いのメッセージを声高に叫ぶエンディングになっています。
物語の主人公の青年はやっと好きな女性と結婚出来た幸福から、突然ナチスが侵攻してきて、一転して不幸のどん底に落とされる役柄ですが、その新婚の青年の母親を演じるのがリリアン・ギッシュです。この頃は50歳前後になっていて、劇中では「老婆」などと呼ばれたりもしていますが、若い頃とのギャップはまだまだ少ないと思います。暗い映画なので、冒頭くらいしか笑顔の場面が無くて残念。
リリアン・ギッシュ自伝では、この映画の日本語タイトルは「奇襲部隊は夜明けに突撃す」となっています。自伝ではタイトルを挙げているだけで、この映画の内容については何も語っていませんが、舞台がロングランになって、長いこと舞台で同じ役をやっていたから気分転換に映画の仕事をしてみたみたいに書いてあります。脇役だし、あまり思い入れも無い作品なんだと思います。
この頃は映画作りに対する情熱というものがグリフィスと一緒に仕事をしていた時よりも随分薄らいでいたようです。制作会社から「こういうのを作れ」みたいに言われて、言われたように作るしかない現場に失望していたようです。
トーキーになってからのリリアンの映画は初めて見ましたが、当然ながらサイレント時代のようなオーバーアクトは無くて、現代的な女優になっているのがなんか不思議です。
_______________
M 狩人の夜 (THE NIGHT OF THE HUNTER) 1955
監督/チャールズ・ロートン
出演 ロバート・ミッチャム シェリー・ウィンタース リリアン・ギッシュ
http://www.youtube.com/watch?v=fkBvxeUrMBs
http://www.youtube.com/watch?v=Oej52tNnlfQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=q4MwXDqkfU8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DisQxmRTdz4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=iTLFgYNehTk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=32TIL6Q9_A0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=_col3bJG_eU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=N7spwu22P-U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yMlMpnL7Lt4&feature=related
物語の舞台は1930年代、大恐慌の嵐が吹き荒れるウェストバージニア州である。オハイオ川沿岸のクリーサップ埠頭に住むベン・ハーパーは、家族のために強盗殺人を犯す。警察の捜査から逃れて家族の元に辿り着いたベンは、強奪した1万ドルの在り処を息子のジョンと娘のパールに告げる。その直後、ベンは彼を追跡してきた警察に子供たちの目の前で逮捕される。最終的にベンは強盗殺人の罪で死刑判決を受け、刑務所に送られる。
ちょうどその頃、車を盗難した罪でベンと同じ雑居房に収容された偽伝道師ハリー・パウエル。彼はセックスに対し異常ともいえる嫌悪心を抱いており、神の正義の名の下に未亡人たちを殺害し、その金を奪うという凶悪犯罪を繰り返している殺人鬼だった。ベンから盗んだ大金の在り処を聞き出そうとするハリーは、彼の寝言である「小さい子供がそれらを導く」(旧約聖書『イザヤ書』の一節)という言葉から、ベンの子供たちが何か知っているのではないかと推測する。
結局ベンは誰にも大金の在り処を告げることなく処刑される。ハリーもすぐに釈放され、ベンの家族が住むクリーサップの街を訪れる。ハーパー家には未亡人となったウィラと、彼女とベンの間の子供であるジョンとパールが残されていた。夫が逮捕された後地元のアイスクリーム屋で働いて生計を立てるようになったウィラに対し、ハリーは自らの素性を偽って接近する。自身の両手の指に刻まれた「L-O-V-E」と「H-A-T-E」の刺青を用いた巧みな説教によって、ハリーはクリーサップの住民の信頼を勝ち取り、ウィラと再婚する。しかしそんなハリーに対し、ジョンだけは警戒心を隠さない。
新婚初夜、夫となったハリーに抱かれようとするウィラを、ハリーは頑なに拒絶する。二人の間の結婚生活は、ハリーの常軌を逸した道徳観念に縛られた空虚なものだった。新しく子供たちの父親になったハリーは、ウィラの見ていない隙に彼らを脅迫し、ベンが隠した大金の在り処を聞き出そうとする。ハリーの隠された動機を皆に告げるジョンだが、ハリーに心酔する大人たちは彼の言うことに耳を貸そうとしない。そんな或る日、パールを苛めて隠し場所を言わせようとするハリーの姿をウィラが目撃する。その夜、真実を知ったウィラは寝室でハリーに殺害されてしまう。
周囲の人々にウィラが失踪したと告げ同情を買うハリーは、ますます子供たちを虐待するようになる。虐待に耐えかねて、終にジョンはハリーに亡父が遺した大金の在り処を告げる。大金はパールが肌身離さず持ち歩いていた人形に隠されていたのだった。子供たちを殺害しようとするハリーに対し、ジョンは一瞬の隙を突いてパールを連れて逃走することに成功する。カヌーで大河を下っていく子供たち、そしてハリーも彼らを捕まえるための追跡を開始する。
逃避行で心身ともに疲れきったジョンとパールは、信心深い老婦人のレイチェル・クーパーに保護される。彼女の元にはジョンとパール以外にも、行き場を失った多くの子供たちが身を寄せていた。やがてレイチェルの所に子供たちの居場所を嗅ぎつけたハリーが現れる。ハリーはレイチェルに得意の刺青を用いた説教を行い歓心を買おうとするが、洞察力に優れたレイチェルによってその邪悪な本性を見抜かれる。ショットガンを持ち出しハリーを追い返そうとするレイチェルを見て、ハリーは一度退散する。
その夜、レイチェルの家の庭に子供たちを捕まえるため、ハリーが再び姿を見せる。子供たちを守るためにベランダで寝ずの番をするレイチェルと、彼女を遠くから用心深く観察するハリー。二人は庭を挟んで聖歌503番「主の御手に頼る日は」を唱和する。歌が終わる頃、レイチェルを心配した娘の一人が蝋燭を持って彼女の側に近づいてくる。不意の明かりで目が眩んだレイチェルは、闇に紛れたハリーを見失ってしまう。
家の中に戻ったレイチェルは居間に子供たちを集め、来るべきハリーの来襲に備える。そこに現れたハリーは、ジョンとパールを引き渡すようにレイチェルを脅迫する。しかしレイチェルはハリーの要求を拒絶し、彼に対してショットガンを発砲する。獣のような叫び声を上げ、負傷したハリーはレイチェルの家から逃走する。レイチェルはすぐに警察に連絡し、逃げ出したハリーを捕まえるように要請する。
翌朝現場に駆けつけた警官たちによって、納屋に潜んでいたハリーが逮捕される。その姿は、嘗てベンが逮捕された時の光景を髣髴させるものだった。ジョンはパールの人形を持って、ハリーと彼を確保した警官たちに詰め寄る。彼らの目の前で「こんなもの要らない」と涙を流しながら、ジョンは人形を地面に叩きつける。周囲に舞い散る1万ドルの札束。そしてレイチェルは、泣き止まないジョンを優しく宥めるのだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%9C_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
孤児を養う婦人レイチェル・クーパー: リリアン・ギッシュ Lillian Gish (1893-1993)
1910年代のグリフィス映画から1987年の「八月の鯨」まで活躍した大女優。グリフィスの「散り行く花」、「東への道」、「嵐の孤児」といったサイレントの傑作と比べるとトーキー以降の出演作はチト寂しい。というのも舞台に専念していたからです。アルトマンの「ウエディング」(1978)の出演も忘れられません。
レイチェル役は小鳥のような女性がいいとロートンが言ったら、プロデューサーのポール・グレゴリーはリリアン・ギッシュを思いつきます。ロートンは、「わりと小さな役だし、「白昼の決闘」(1946)以来映画に出たがらないからダメだろう」と思ったらしいのですが、ギッシュは、ロートンが送ってきた原作を読み、善悪の戦いを描いた非常に素晴らしい小説だったので引き受けます。リリアン・ギッシュといえばすぐにグリフィス作品を思い出しますが、「狩人の夜」はグリフィス作品の影響がかなり大きいようです。
「リリアン・ギッシュ自伝」では、「狩人の夜」について、ミッチャムを徹底的に悪役として描かなかったから映画に一貫性がないと述べています。彼女としては、グリフィス映画のように善悪はっきりさせたかったのかもしれません。
http://homepage3.nifty.com/mylittlevillage/ftheater18.htm
「狩人の夜」を紹介したいと思います。この映画は1955年、名優チャールズ・ロートンが唯一監督した映画です。制作当初、ハリウッドの妖精と謳われたリリアン・ギッシュが、襲ってくる殺人鬼に銃口を向け、銃を撃ち放つラスト近くのシーンがタブーとされ、不幸にもお蔵入りになってしまったという、いわくつきの映画です。のちに日の目を見、フランソワ・トリュフォーらを熱狂させた幻の名作として、今や多くの映画ファンの知るところとなりました。何しろこの映画は緻密にして大胆です。モノクロの画面に立ち現われる美しいシーン。そしてそれと逆行するような不安や恐怖を盛り上げる手法は、のちのサスペンス映画のお手本になったと思われるほど見事なもので全編気を抜く間がありません。
この映画で主演の殺人鬼ハリーを演じたのはロバート・ミッチャム。彼は羊の皮を被った狼さながらの見せかけの善人ぶりと、その下の悪魔の顔を演じ分け、ゾッとするほどの冴えを見せます。ハリーは刑務所の中で知り合った死刑囚が盗んだお金を隠し、彼の子どもが隠し場所を知っていることを聞き、お金を手に入れるため釈放後、福音伝道師になりすまし遺族を訪ねるのです。遺族は妻と息子、娘の3人ですが、妻はすっかり信用してしまい、知人の薦めもあって、結婚します。
さて、このハリーという悪を際立たせる存在として、光りを放つのが2人の子どもたちです。兄の方は恐らく7、8歳、妹は4、5歳といったところでしょう。妹は事情がまだ理解できませんがキューピーさんのように愛くるしく、片時もアン人形を手放しません。一方、兄の方は見るからに聡明で、瞳と口元が意志の強さを感じさせます。自分の母親や村人たちがすっかり騙され、ハリーを信用し切っているのに反して、彼だけが「あのおじさん、おかしい」と直感するのです。しかし、うまく言葉で伝えるすべを持たないため、理解されず、可愛げのない子ども扱いされて、無視されてしまいます。
自分の母親がまんまと騙されて結婚してしまうくだりは彼にしてみれば悪夢のような出来事だったでしょう。元々彼らの父は強盗殺人の罪を犯しましたが、子どもたちが飢え苦しむのが忍びなく、止むに止まれずの犯行でした。逮捕の直前に家に戻り、息子にだけお金の在りかを教え、母親にさえ言わないように約束させます。そして「妹はおまえが守るんだ」と誓わせるのです。その直後、息子の目の前で父親は逮捕され、少年の心には大きな傷が残ります。ですが彼はこの時、父との約束を果たすため、健気にも一足飛びに大人になっていきます。
悪夢のような現実はさらに続きます。ハリーは次第に父親面をし、最初は子どもだましのような手段で隠し場所の秘密を聞き出そうとします。しかし、それが無理とわかると、邪魔物の母親を殺害し、湖底に車ごと沈めます。そして翌朝、近所の人々の前では「妻が家出を」と言い、さめざめと泣くのです。そのシーンの後、湖底で水流に髪をなびかせ、車中に閉じ込められた母親が映し出されます。
邪魔物がいなくなった後ハリーは豹変し、とうとう兄の方がナイフを突き付けられ、妹はお金は人形の中にあると叫んでしまいます。ハリーは人形を取り上げようとしますが、その瞬間、兄はハリーの頭上の棚の支えを取り、物を落下させ、当たってふらふらしているスキに逃げ出すのです。2人は亡き父親のボートに辿りつきますが、子どもの手ではなかなか結わい付けられているロープの結び目がほどけません。アア、もう絶体絶命だ!そう思うが早いか、ぬかるみに足を取られたハリーの指先をかすめ、船は夜の川を滑り出します。恐ろしく、寂しい夜の川ではありますが、きらめく星々が2人を照らし出すのです。
からくも逃げのびた2人は、リリアン・ギッシュ演じる老婦人に出会い、救われます。彼女は身よりのない3人の女の子を引き取り、卵や乳製品を売って生計をたてており、2人もそこで暮すことになります。けれども穏やかな日々もつかの間。ハリーが来て2人を連れて行こうとします。老婦人は兄の表情を見てとり、ハリーの嘘を即座に見抜き、追い返すのです。この後の老婦人とハリーの対決は、映画を見てのお楽しみと致しますが、クライマックスは実はその後にあるようにわたしには思えました。
ハリーが連行される時、地面に組み伏せられている姿を見た兄の方は、父親の悲しい最後の記憶が蘇ったのかもしれませんが、「やめて」と叫び、泣きながら妹の人形からお金を取り出し、「お金はもうあげるよ、あげるよ」と言って、お札の束をハリーに何度も叩きつけるのです。これにはほろりとさせられましたが、その後の裁判でも法廷に呼ばれた兄は「この男があなたのお母さんを殺し、あなたたちを殺そうとしたのですね」との問いに、唇を真一文字に結び、何も答えませんでした。
それを少年の意思表示だと見てとった裁判官は途端に優しい声で「もう帰っていいですよ。メリークリスマス」と言い、少年は老婦人に抱き抱えられ、わが家へと帰っていくのです。街は殺人鬼、ハリーを糾弾するべく、民衆で溢れ返り、騒然としています。果たしてその時、ハリーの胸に過った思いはあったのでしょうか −。
映画ではそこまでは描かれていませんでしたが、まだほんの子どもの少年が誰より真実を見抜く力を持ち、両親亡き後に妹をひとりで守り、ハリーに憎しみや恨みを持つどころか、哀れみ、許してしまう。サスペンス映画としてこれほどまでに完成していながら、かつ人間のあり様をひとりの少年が見せてくれ、感動と余韻を残してくれたのです。
心を静かにし、耳を傾け、真実と嘘を見分ける力と少しの勇気は、実は誰しも持っているものです。そして全てを知った後に許す寛容さもです。少年のあの透明なまなざしと共にそんな思いがわたしの胸には過り、いつまでも忘れられないのです。
http://www.jca.apc.org/praca/back_cont/04/04cine_night.html
今回のテーマ 洞察力という不幸
前回取り上げた、マルグリット・デュラスの「インディア・ソング」の中に特徴的なセリフがあります。
「彼の不幸って何?」
『理解力(INTELLGENCE)』
これって、理解力が致命的に劣っていて、人間としての最低限の知力に到達していないから不幸・・・と言う意味ではありませんヨ。むしろ逆。
理解力、と言うか洞察力がありすぎるので不幸なのだ!
そんな意味なんですね。
何と言っても、理解力が人間離れしていると、一般の人と見えている世界が違ってしまう。一般の人に見えないようなものまで見えてしまうわけ。これって、何も超能力なんてたいそうなものではありません。単に理解力の問題。
「ああ、それは○○だよね?きっと彼はこんなこともしたでしょ?」
『うーん・・・確かにそうだけど、どうしてわかるの?』
「だって、君がさっき説明したじゃないの?」
『けど・・・ワタシは、そんなに詳しくは説明してないじゃないの?どうして、そんな言ってもいないことまでわかるの?』
「いや・・・どうしてって・・・見えるから。」
『見えるって・・・どうして見えるの?』
「知らないよ、そんなこと。ただ見えるんだよ!」
そんなやり取りをやったこともある方も多いでしょう。どっち側になったのかは別として。
しかし、結局は見えている世界が違うので、一般の人とのやり取りに困ってしまうことになる。見える人間にしてみれば、「この人たちは、どうしてこんな重要なことを無視するんだろう?」と怪訝に思いますし、一般の人間にしてみれば、「アイツは、何ヘンなことを言っているんだ?!」と思ってしまうのは当然。だから行き違いが起きやすい。そりゃ不幸になりますよ。
しかし、このように理解力の差によって「見えている世界が違う」という状態は、芸術家には頻繁に起こってしまうもの。逆に言うと、一般人と同じものしか見えないような人間は、芸術家とは言えないわけ。
だから、芸術作品だと、いわゆる超能力者なる人間が出てきたりすることってあったりますよね?往々にしてそのキャラクターは、作者自身のメタファーなんですね。
最近だと、「蟲師」なるアニメを見ていたら、典型的に、この一般人と「見えている世界が違う」と言う状態を前提にし、ある意味、作品そのもののテーマとしていました。
まあ、見ながらニヤニヤと笑っちゃいますよ。
「ああ!これって・・・あのことね?」見ていると作品中のそれぞれのメタファーの意味が簡単にわかってしまう。「この作者さんも・・・色々と・・・あるんだろうねぇ・・・」
まあ、一般の人に説明するのは面倒なので、いきなり超能力的な描かれ方になってしまったりしますが、そんなたいそうなものではなくて、人と話をすると、言葉と言葉の間の言葉が聞こえたり、人の表情と表情の間にある表情が見えるだけなんですね。本来は、誰だって見えているもの。ただそれを一般の人は見落としてしまう。一般の人が見落としがちな言葉なり表情に気が付くことができるか?イヤ!気が付かざるを得ない・・・そんな理解力が不幸の源泉。
超能力だったら、顔を見ただけで全部わかるのかもしれませんが、洞察力だったら、話を聞いて、聞いた話以上のことがわかるわけ。ゼロからすべてを理解することとは、いくら洞察力があっても不可能。洞察力は、よく言う言い方ですと、「一を聞いて、十わかる。」そんなもの。だから超能力とは全然違うわけ。それに理解力だけの問題なので、ものを動かしたり、自分が瞬間移動するなんて便利なことは出来ない。あるいは、どの株券が値上がりするのかがわかるなんて芸当もできない。はっきり言って、何の得にもならない、まさに不幸な能力なんですね。
このような「一を聞いて、十をわかる」キャラで有名なのは有名なミュージカル「マイ・フェア・レイディ」と言うか、その元になった「ピグマリオン」のヒギンズ教授もそうですよね?ちょっと言葉を聞いただけで、その発音から、その人の出身地とか現住所なり身分なり過去の経歴もわかってしまう。
いずれにせよ、「アンタ・・・どうしてそんなことまでわかっちゃうの?」と言われてしまう。まあ、作者のバーナード・ショーも実際にそんなことを言われたんでしょうね。
あるいは、「人と見えているものが違う」と言うことでは、以前に、ショスタコーヴィッチに関連して言及したチェーホフの小説「黒衣の僧」の主人公もその状態。主人公の天才さんだけが黒衣の僧を見ることができる。しかし、それが周囲の人に見えないし理解もされないので、主人公は不幸になり、おまけに周囲まで不幸にしてしまう。まあ、ホントにショスタコーヴィッチ的なキャラクターなんですね。
この「黒衣の僧」をトルストイが絶賛したそうですが・・・まあ、彼なら当然。
トルストイも、周囲と見えているものが違う人であることは誰だってわかること。
しかし、その「見えているものが違う」こと自体が一般人には理解されない。だから不幸になってしまう。「黒衣の僧」の主人公も、バーナード・ショーでの「ピグマリオン」でのヒギンズ教授も、結末は同じ。ものが見える人間は、そんな事態の中にいる。
何回も書きますが、何も特別なものが見えるというより、見落としがちなものが見えるというだけ。たとえば一般の人は、人が「やっていること」は見えるもの。しかし、本質的なことは、その人が「やらないこと」から見えたりするもの。たとえば、日本で首相をされた小泉さんが靖国神社に参拝とかで大モメでしたが、あの神社に参拝することから見えることよりも、小泉さんが自分の父親の墓参りに行くニュースが『なかった』ことから見えることの方が多いものでしょ?
小泉さんが墓参り「しないシーン」は、別にオカルトでもなんでないでしょ?守護霊と前世とかのようなオカルトがかってはいないでしょ?だから、洞察力さえあれば、そんなシーンが見えるわけ。
しかし、一般の人は、することは見えても、しないことは見えない。だから理解が鈍い。だから、見える人と見えない人との間では相互理解ができにくい。
デュラスは、「インディア・ソング」において、理解力がありすぎて不幸になる人間を登場させたわけ。
さて、以前に発行していたメールマガジンのシリーズで、デュラス原作の「愛人/ラ・マン」と言う映画を取り上げました。その原作には、チャールズ・ロートンが監督した1955年の「狩人の夜」と言う映画が頻繁に言及されています。デュラスによると、「私の生涯の一作」なんだそう。
デュラスだけでなく、映画監督のゴダールやトリュフォーが絶賛し、ゴダールはあの「映画史」において、その「狩人の夜」の一部を引用しているんだそう。
デュラスやゴダールやトリュフォーが絶賛する作品である「狩人の夜」ですが、日本では絶賛されない。発売されているDVDによると「呪われた傑作」とされるだけ。
この「狩人の夜」は、「ラ・マン」で引用された作品なので、「ラ・マン」の小説本の巻末に、訳者による映画解説がありました。なんでも、日本における映画界の大御所である、あの蓮実氏から聞いた話と言うことで、ストーリーがまとめてある。
しかし、記載されているそのあらすじを読んだとしても、その作品がデュラスの生涯の一作であり、「ラ・マン」に引用される意味がわからない。蓮実氏は本当に、この「狩人の夜」を見たのかなぁ・・・実際に見てこの程度の理解なら大問題。もちろん、翻訳者さんによる又聞きの文章なので、伝達者の「理解力」不足の可能性が高いのかな?しかし、これも不幸な理解力だ!
と言うことで、やっぱり、この私自身で見てみないと・・・
実際に見ることでわかったのは、まさにデュラスが「生涯の一作」と呼ぶ理由であり、ゴダールやトリュフォーが絶賛する理由です。
逆に言うと、多くの一般の人間が「わからない」理由も、実際に見てみるとよくわかります。
と言うことで、今回の文章では、この私がデュラスに成り代わって、この「狩人の夜」を絶賛してみたい・・・と思っているわけ。
この「狩人の夜」のテーマは、まさに「卓越した理解力が不幸につながってしまう。」と言う状況なんですね。そう言う意味では、まさに「インディア・ソング」ともつながっている。
さてさて、その「狩人の夜」は、まさに「呪われた傑作」なんて言われているくらいなので、ポピュラーな作品とは言いがたい。と言うことで、まずは一般的な解説をいたします。
監督のチャールズ・ロートンは、映画監督としてよりも、俳優として有名です。あのビリー・ワイルダー監督作品にも出ていますし、ジャン・ルノワール監督の作品にも出ています。役柄はどっちかというと「気のいいデブ」と言う役柄。あと、ユーゴー原作でウィリアム・ディターレ監督による1939年の「ノートルダムのせむし男」では、ある種の魔性を持ったカジモトを演じていました。 まあ、この「狩人の夜」が大ヒットしたら、監督としてももっと多くの作品を残したでしょうが、『呪われた傑作』じゃあねぇ・・・
さて、次には「狩人の夜」のあらすじを・・・・
簡単にまとめると、アメリカ南部の貧しい家庭の父親が、銀行強盗をして大金を奪う。それを娘の人形の中に隠す。その父親は警察に捕まり、絞首刑になってしまう。刑務所でその父親と一緒だった男がその大金のことをかぎつけ、その家庭に取り入る。その男は、絞首刑で夫を失った妻と結婚し、その大金のありかを聞き出そうとするが、そのありかを知っているのは、人形の持ち主である娘と、その兄の2人の兄妹だけ。
その大金を狙う男は、過去に何人もの女性を殺害している。しかし外面的には仕事は宣教師と言うことになっていて、宣教師の仕事ぶりもソツがない。だから、周囲のほとんどの人は、その男が、善人であると思ってしまっている。しかし、人形を持ち歩いている女の子の兄である少年だけが、その男のあやしさを察知している。
やがて、大金が人形に隠されていることを察知した男は、妻を殺害し兄妹から人形を奪おうとする。兄妹は、その家を逃げ出し、見知らぬ親切なオバサンの家に身を寄せる。そのオバサンの家にも男は近づいてきたので、オバサンが銃で撃ち、結局は、その殺人鬼の男は逮捕される。
今まで自分を付け狙い殺そうとした殺人鬼が逮捕される瞬間、少年は警察への抗議の声をあげ、その殺人鬼に連帯を表明する。 結局、その殺人鬼は絞首刑になるのですが、少年は、自分を殺そうとした殺人鬼への連帯の感情を抱きつつ、オバサンの家でクリスマスを迎えて幕となる。
・・・まあ、こんな感じ。
ピンと来ないでしょ?
とてもじゃないけど、一般的じゃあない。カタギの衆には無縁の映画ですよ。
ちなみに、大金を狙って少年たちを殺そうとした殺人鬼は、ロバート・ミッチャム。少年たち兄妹を助けてくれる親切な見知らぬオバサンは、伝説の大女優リリアン・ギッシュと、キャストはびっくりするくらいの豪華版。
ちなみに、以前取り上げた映画「ロリータ」でボンクラな母親を演じていた女優シェリー・ウィンタースが、ここでもボンクラな母親を演じています。どっちの映画でも、ボンクラだし、スグに死んでしまうし・・・ホント、頼りにならないったらありゃしない。
この映画で、実に面白いのは、まさに最後のあたり。
自分を殺そうとした殺人鬼に対し、少年は、連帯の感情を見せる。
なぜ?どうして?
この連帯の感情こそが、この映画の鍵であり、まさにデュラスやゴダールが熱狂する理由なんですね。
この少年のキャラクターは、まさに「洞察力と言う不幸」を体現した存在。
人が見えない・・・見落としているものが見えてしまう。
一般的には、立派な宣教師である男が、本当はどんな人間なのか?
少年にはそれがわかってしまうわけ。少年の母親や妹も、そんな理解力はない。だから少年にとって、まったく頼りにならないだけでなく、コミュニケーションが取れないわけ。まさに「見えている世界が違っている」んですね。 この少年は、その洞察力から妹を導かざるを得ない。しかし、妹は兄の意図がわからない。だって妹は本質が見えないんだもの。少年はまるでモーゼのように、「見えない大衆」を導いている状態。
その「見えている世界が違っている」感覚。 それを共有できない孤独感。
そんなものが描かれている映画だったら、まあ、芸術家は熱狂しますよ。
しかし、少年が持っている「見えている世界が違っている」感覚なり、それを共有できない孤独感を、理解できる登場人物が少年以外に、もう一人います。 それは、その少年を殺して大金を奪おうとしている男・・・つまり殺人鬼。
この2人の間には、見えている世界が一般人と違う・・・つまり、洞察力なり理解力が並外れているがゆえに陥らずにはいられない不幸と言う共通性があるわけ。
この少年の唯一の理解者は、母親でもなく、妹でもなく、保護してくれた親切なオバサンでもなく、少年を殺そうとする殺人鬼の方なんですね。まあ、少年の友人といえるヨッパライのオジサンがわりと近いポジションと言えます。オジサンも、理解力の程度は別として、余計なものが見えてしまって、不幸になる・・・そんな不幸を持っているわけ。しかし、程度は軽度。だから重要な登場人物は、少年と殺人鬼の2人。その2人の間には、お互いの本質が分かり合えるが故の愛があり、そして憎しみがある。
他の登場人物なんて、ゴミと同じ。 「その他大勢」のnormalな「規格品」レヴェル。しかし、規格外であるこの2人の間には、お互いに愛と憎しみの感情を抱いているわけ。
このロバート・ミッチャム演じる殺人鬼も、一般人と「見えている世界が違う」状態。だから社会や人々の欺瞞がよく見える。だから殺人鬼になったわけ。それは、この映画の最初のシーンで殺人鬼が自分で語っています。
「神様!あなたのおかげでいつも分かっちゃうよ!」
本来なら、こんなに洞察力があれば、別の方向・・・たとえば芸術創作の方向に向かってもいいわけでしょ?まあ、道を踏み外して殺人鬼になってしまったわけです。このようになる可能性は、実はこの少年も持っているわけです。
ドイツの映画監督のフリッツ・ラングは言っていましたよね?
「オレが映画監督になっていなかったら、殺人鬼になっていただろう。」
この「狩人の夜」の少年は、そのような芸術家の子供時代そのものでしょ?
そして、フリッツ・ラングだけでなく、当然のこととしてマルグリット・デュラスも同じですよ。だからこそ、デュラスはあの「ラ・マン」で、この「狩人の夜」を引用したわけ。あの「ラ・マン」も、少女が、創作する芸術家へと覚醒して行く話でしたよね?
この殺人鬼の行動様式を見て、思い出すのは、あの伝説的な映画「天井桟敷の人々」。マルセル・カルネ監督の1945年の作品です。 あの作品にも、人殺しの紳士が登場しているでしょ?
19世紀フランスの実在の殺人鬼であるラスネールが、まさにラスネールという名前で登場しています。
芸術家の存在そのものを描いた映画と言える、あの「天井桟敷の人々」において、殺人鬼が登場してくるのは、当然なんですね。だって、あのような殺人鬼は、芸術家のあだ花。ほんのちょっとした差があるだけ。
この「狩人の夜」における少年も、そのようなことは薄々わかっている。そして、少年にとって最大の敵は、自分を殺しに来る殺人鬼ではなく、「自分を型にはめようとする、親切なオバサン」の方であることがわかっているわけ。
リリアン・ギッシュ演じるあの親切なオバサンが少年の真の味方だと思う人は、所詮は一般人ですよ。鋭敏な人間にしてみれば、一番タチの悪いのがあのオバサンのようなタイプなんですね。
映画の冒頭で、「羊の皮をまとった偽預言者に気をつけよ!」と言う聖書の言葉が出てきますが、この「羊の皮をまとった偽預言者」とは、一般人にしてみれば、伝道師の皮をまとった殺人鬼となる。しかし、より緻密に見ていくと、この親切なオバサンこそがその類。
善人の外見の中で、人を抑圧するキャラクター。
映画の最後において、少年が「浮かぬ」表情を見せますが、少年は、それから始まる「親切なオバサン」との長い戦いの日々を予感しているわけ。その戦いに勝ち抜き、創造する人間になるのか?それとも殺人鬼になってしまうのか?
そもそも、その親切なオバサンは、かつて自分の息子に逃げられた・・・と言うキャラ設定。だから、親のない子供を預かって養育している。それは一見親切な行為ですが、どうして彼女の息子は逃げ出したの?
やたら子供を「型にはめよう」としたからでしょ?
この手の教条的な人間は、往々にしてボランティアなどをやって、周囲の人からは「いい人」と認定されたりするものですが、結局は自分の家族を有無を言わさず自分の型にはめようとするだけ。結局は周囲を不幸にするタイプなんですね。
現実にも、よくいるでしょ?そんな「親切なオバサン」。 この映画の中のオバサンもその典型でしょ?
こんな人からは、洞察力のある人は逃げ出しますよ。と同時に、その教条的な物言いのスタイルから、ご近所との関係に問題がありそう。だからこそ、自分の管理下にある子供を手なずけようとする・・・しかし、だからこそ子供が反発し、逃げ出す。
映画の最後に少年がクリスマスプレゼントとしてリンゴを渡しますが、これって「知恵の実」のつもりなんでしょうね。
「ちーとは、自分で考えなよ!オバサン!」
まあ、この少年も近い将来は、このオバサンの元から逃げ出しそう。
映画における殺人鬼は、この逃げ出した息子の成れの果てとも言えるわけ。 人物は別として、境遇的にはまったく同じでしょ?
だからこそ、夜になったら、オバサンと殺人鬼は同じ歌を歌う始末。つまり両者とも共通するバックボーンがあるわけ。あるいは、その女性観も共通している。
そんな家庭を飛び出して、芸術家へと自立するのか?
それとも殺人鬼に堕ちて行ってしまうのか?
洞察力を持っているがゆえに不幸になってしまう人間が、直面せざるを得ない現実。
さて、この「狩人の夜」における少年と殺人鬼は、基本的には同じキャラクターであると書いております。双方とも、規格外の能力を持っている。その規格外の能力ゆえに、周囲の理解が得られず孤立する。
もちろん、この少年と殺人鬼は、キャラクターは同じでも、同一人物ではありません。しかし、基本的には同じなんだから、この少年が、殺人鬼に転落していくストーリーもあるはずですよね?
そうそう!まさにあるんですよ!
それは有名な「スター・ウォーズ」のエピソード1〜3。卓越した能力を持つ少年アナキン・スカイウォーカーが、型にはめようとする師匠オビ=ワン・ケノビとの軋轢の中で、周囲に自分を認めさせようとしてもがき、そして転落し、悪の権化ダース・ベイダーになってしまう。
この手の「エピソード」は、芸術家にとっては、実にポピュラーなエピソードなんですね。
逆に言うと、この「狩人の夜」という作品は、少年アナキン・スカイウォーカーとダース・ベイダーとの間の葛藤の物語と言えるわけ。一番の理解者同士であり、一番の敵同士。
デュラスだって、フリッツ・ラングだって、ゴダールだって、トリュフォーだって、それこそジョージ・ルーカスだって、そんな事態に直面したわけ。そして格闘してきたわけ。まあ、そんな日々だったらデュラスもアル中で入院したりするわけですよ。何も20世紀の芸術家だけでなく、19世紀のロシアの作曲家のムソルグスキーなどもその典型でしょ?
「どうしてムソルグスキーは、あんなに酒びたりなんだ?」なんて・・・そりゃ一般人と見えている世界が違うんだから、色々とタイヘンなんですよ。ボンクラさんは、何をお気楽なことを言っているの?ムソルグスキーの洞察力なんて、一般人と次元が違っているでしょ?そんな人の行動を一般人の洞察力を前提に判断することが間違っていますよ。そんな事態と無関係な人間なんて、所詮はnormalな一般人。
もちろん、そのことが悪いことではなく、むしろ幸福なこと。
創作する芸術家になった人は、この映画に、ここに描かれた少年の苦悩に、かつての自分を見て、そしてそれを表現したチャールズ・ロートンに対し「おお!わが同志よ!」なんて思うんでしょうね。もちろん、この少年に演技指導したロバート・ミッチャムやリリアン・ギッシュも、ロートンの意味がよくわかる。そのような意味で、まさに盟友であり、同志。
人と見えている世界が違う・・・そのような「呪われた」人たちによって制作され、そのような「呪われた」人たちを描いた映画であって、だから「呪われた」人たちが絶賛し、「呪われた傑作」になってしまう。
泣くところなのかなぁ?笑うところなのかなぁ?
同志デュラスさん・・・あるいは、聖マルグリットと言った方がいいのかな?
あなたが、この「狩人の夜」を絶賛したのは、こんな理由なんでしょ?
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-08/07-08-23.htm
______________
N ヒッチコック劇場 第64話(最終話):毒をもって毒を…(1964)
Clip from The Alfred Hitchcock Hour episode Body In The Barn
http://www.youtube.com/watch?v=HCo4pdGK0n4
地元の便利屋が崖から転落死したことから、彼の雇い主ベッシーは、フェンスを作った隣人サマンサと口論になる。事態はを落ち着かせようと、サマンサの夫ヘンリーが訪ねてくるうちに、やがてベッシーと姪のカミーラはヘンリーから意外な話を聞く。
無実の罪で妻を死刑に追い込んだ男が、今度は逆に追い詰められていく。老婆の策略が見事。
___________
Lillian Gish Introduces Keaton Classics
http://www.youtube.com/watch?v=SZgcP0xmcOI
____________
O 八月の鯨(The Whales of August)1987
監督 リンゼイ・アンダーソン
出演 ベティ・デイヴィス リリアン・ギッシュ
http://www.youtube.com/watch?v=zzaW_Ns5W6o
http://www.youtube.com/watch?v=r2_1gDaa2oI&feature=related
サラ(リリアン・ギッシュ)とリビー(ベティ・デイヴィース)の姉妹は60年来、夏ごとにメイン川の小さな島にあるサラの別荘にやって来る。そこの入江には8月になると鯨が来る。少女の頃、彼女たちはよく鯨を見に駆けていったものだった。しかし、それも遠い昔のことになった。
リビーは、第1次世界大戦でサラの若い夫が死んだ時、彼女の面倒をみた。しかしリビーは病のため目が不自由になり、今度はサラが2人の人生の責任を持つようになる。リビーはわがままになり、言葉にとげを持つようになっていた。他人に依存しなければ生きてゆけない自分に腹を立てていた。
彼女たちの家には、幼馴染みのティシャ(アン・サザーン)や修理工のヨシュア(ハリー・ケイリー・ジュニア)、近くに住むロシア移民のマラノフ氏(ヴィンセント・プライス)らが訪ねてくるがリビーは無関心を装う。ある日、サラはマラノフ氏を夕食に招待した。リビーとのいさかいで、料理はちょっと失敗だったが、お互いの昔話に2人は時がたつのを忘れた。だがマラノフ氏は、リビーのとげのある言葉に傷ついて腰をあげる。サラは姉のことを詫び、「貴方は1人かも知れないけれど、自由でうらやましいわ」と言うと、貴方はロマンチストだと笑って、マラノフ氏は帰っていった。リビーは何よりもサラが去って一人ぼっちになることを恐れていたのだ。
やがて彼女はヨシュアが勧めていた、大きな窓を別荘の居間の壁に取り付けることを認めることで自分の思いをサラに届けようとした。そして再び鯨を見ることを夢見ながらの彼女たちの暮らしは続いていった…。
http://movie.goo.ne.jp/movies/p7059/story.html
洋の東西を問わず、古い映画がけっこう好きなので、淀川長治の本は何冊か読んだ。この人が1910年代、20年代、30年代の俳優、女優を語るときには、格別の熱意があったと思うのだけど、いろいろな女優を語っている中で「リリアン・ギッシュ」について「純情可憐な涙の女王」と常に書いていたのと、ビクトリア朝の人形みたいなリリアンの可憐な面差しはなんだか印象に残った。
この映画を観て、庭で洗濯物を干す老女が微風に吹かれながらこちらを振り返った顔を見た時、ワタシは、なぜか涙ぐみそうになった。変容しないでそのまま老いた、リリアン・ギッシュがそこに居た。
見るものが思わず目を細めて、なにがなしほっこりと幸せな気持ちにならざるを得ないその面差し。初めて観たのは随分前だが、何度観ても彼女が登場した瞬間の言葉にならないじんわり感は変わらない。
リリアン 90歳の可憐さ
淀川さんが少年の頃に彼女の代表作「東への道」「散り行く花」を見て純情型の代表と言った可愛い顔が60年以上の歳月が過ぎても変容せず、こんなにもそのままに残っている…。スチール写真で若い全盛期の彼女を見たことがあるだけだったのに、リリアンの姿を見ただけで、言葉にならない何かがジンワリと心に広がった。
無声映画時代のリリアン(左) ついでにベティさんの若い頃(右)
実際には11歳も年下なのに、リリアン演じるセーラの姉リビーを演じるのはベティ・ディビス。
我侭でウィッチのような性格という点では互角の勝負だと思われたジョーン・クロフォードを、例の「何がジェーンに起こったか?」で、演技的にも撮影所の意地の張り合いでも打ち負かし、老醜怪奇映画第二弾「ふるえて眠れ」も二人の共演で企画が進んでいたが、ゴネまくってクロフォードを降ろしてしまったという、ハリウッドで並びなきウィッチだ。気に食わない奴は徹底的に排撃し、自分の主張を通すために常に過激に闘ってきたピラニアのようなベティ・ディビスだけど、大先輩リリアンとの共演では、そんな鬼ヒトデのような性格は出さずにおとなしくしてたんじゃないかしらん、などと思うと、ついニヤニヤしてしまう。なんせリリアンは無声映画時代の大スター。それだというのにあのさりげなさと可愛らしさなんですもの。ベティさんもピラニア性格の出しようがないだろう。
この二人のキャスティングはよく思いついたと思う。というか、まず女優ありきの企画でしょうね、これ。90歳でも現役で仕事ができる状態だったリリアン、アッパレ。ベティ・ディビスはかつて観たことがないほど痩せ細っているが、この時は既に癌だったものだろうか。
年老いて我侭で意固地な性格に更に拍車がかかったリビー(ベティ・ディビス)。失明してしまったので、なおさらに自分は何もせず、妹セーラに小言やイヤミを言ってはひからびた顔をひんまげて座っている。言うまでもないが上手い。ベティ・デイビス、老いても健在。
このイヤミな姉の世話をし、口の悪い姉の雑言は右から左に聞き流し、髪を梳いてやり、庭を散歩させ、お茶をいれてやり、語尾には必ず「my dear」をつけることを忘れないセーラ。さりげなくユーモアのあるリリアン・ギッシュの表情がえもいわれない。
姉妹揃って夫に死に別れたのは同じだが、セーラはほんの若い頃、わずかな結婚生活を送っただけで兵隊にとられた夫は戦地から戻ってこなかった。メイン州の離れ小島の小さな家で、ずっと夫のことを思いながら何十年も暮らしてきたセーラ。朝、掃除をしながら、今では孫のような年になった、遠い昔に死に別れた夫の写真に「おはよう」と声をかける。
夫とは不仲だった姉リビーも、ひそかに遺髪を封筒に入れて大事に持っており、何かの折に取り出しては懐かしむ。白髪になったリビーが、封筒から明るいブラウンの夫の髪を取り出して頬や顎にしゅる?しゅる?と走らせるシーンはさすがベティ・ディビス。白髪の老婆も、つれ合いを生々しい感覚を伴って思い起こす事がある、という瞬間がよく表れていた。
その夏、姉妹の静かな生活に白系ロシアの亡命貴族の老人マラノフ(ヴィンセント・プライス)が関わってくる。彼はエレガントな容姿を利用して、未亡人の家を渡り歩く暮らしをしてきたのだが、卑しさはない。彼がそれまでのねぐらを失って、セーラの家に厄介になろうと思っている下心をいちはやく見抜き、鋭い釘をさすリビー。しかし、彼が晩餐に来ることで、老姉妹はそれぞれに、先に逝った夫を思うのだ。まるで遠い昔に忘れていた心の震えをそっと取り戻すように。マラノフ氏が気になる癖に、ずけずけとイヤミしか言えないリビー。かわいらしいほど偏屈なのだ。
メイン州の静かな夜の海を照らす月の光。やわらかい月の光の照らすポーチで、亡命貴族マラノフとセーラが語り合うシーンが老人同士ならではでもあろうが、とてもロマンティックで上品だ。昔のスターというのは、理屈ぬきで言葉に出来ない空気をつむぎだすことの出来る特別な人種だ。ここは作品の肝ともいうべき会話が交わされる、ハイライトなシーンである。
鯨をみずに、セーラの家を去っていく亡命貴族マラノフ氏のその後も、ちょっと気になるところである。ヴィンセント・プライスも役にぴったり。
居間に海を見渡せる見晴らし窓をつくりたい、というのがセーラの夢だが、彼女ひとりの資力では窓を作ることはできない。一方のリビーは死に怯え、死の幻想にうなされる。発想がネガティヴなのだ。
セーラはそんな姉に耐えられなくなりつつあったのだが…。
常に波の凪いでいる穏やかな海と、その海を見下ろす築50年の木造の小さな家。庭には常に花が咲き、そよそよと心地よい潮風が吹く。この家の住み心地のよさそうなウッディな佇まいが、リリアンにピッタリ。
ちょっとしたいさかいの果てにちょっとだけ反省し、リビーは見晴らし窓をセーラにプレゼントする事に決める。姉妹はしっかと手を握り合い、岬の突端に鯨を観に行く。
岬に立つ、麦藁帽子の老姉妹。鯨はもう岬を通過してしまったとセーラは言うが、そんなことわからないわ、とリビーは答える。リビーはいつしか、ポジティヴ・シンキングになっていのだ。
どんなに老いても、人には今日を生きるために、ささやかでも夢や希望が必要であり、また、白髪の老女の内側には、いつまでも瑞々しい女性だった自分が住んでいる、という事を淡々とさりげなく伝えてくる。その淡いさりげなさがいい。
これといった事件も起きない、肝心の鯨さえ登場しない、老姉妹と彼女たちを取り巻く周辺人物のある夏の物語なのだが、この、特になにも起きないが、淡々として味わい深い日常を、淡々と描いてその世界に観客を引き込んでしまうというのは並大抵な事ではない。さりげない脚本もいいのだけど、やっぱり大ベテランの俳優陣の魅力に尽きるのかもしれない。
後年、「ラヴェンダーの咲く庭で」という老姉妹映画があったけれど、あの妙な生々しさよりも、ワタシはこの「八月の鯨」のさりげなさが好ましく、いとおしい。リリアン・ギッシュの存在は、やはり偉大なのである。
90歳というのに背中も曲がっていず、かなりスタスタと歩くリリアン。栗色が色あせて薄いブロンドになった柔らかそうな髪をくるくるとやわらかく結い上げて、亡き夫の遺影に語りかけ、庭でバラの絵を描く。
ちょっとした表情やしぐさに、演技とは別の、えもいわれない愛嬌と魅力がある。吉永小百合がこの映画を観て、引退せず生涯現役で行く、と決めたそうだけど、リリアンへの道はなかなか難しいですぞ。 お覚悟あれ。
http://kikisrandomthoughs.blog63.fc2.com/blog-entry-151.html#more
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
O 。
, ─ヽ
________ /,/\ヾ\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|__|__|__|_ __((´∀`\ )< というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ \_________
||__| | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/ = 完 =
_____________
_____________
3. Those Were The Days の “forever and a day” は何を意味するのか?
☆ Those Were the Days_2 : The Limeliters版
1) Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
And dreamed of all the great things we would do
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way. : 第1・2・3・4節すべてで歌われる
2) Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
For we were young and sure to have our way. : 第1・2・3・4節すべてで歌われる
3) Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass I saw a strange reflection
Was that lonely really me
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way. : 第1・2・3・4節すべてで歌われる
4) Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh my friend we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way : 第1・2・3・4節すべてで歌われる
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days my friend, those were the days
___________
日本流に言うと歌詞は4番まである。それぞれの冒頭は
(1)Once upon a time...
(2)Then the busy years...
(3)Just tonight I stood...
(4)Through the door...
である。
1番では淡々と遠い過去の事実を述べている。
2番では年月が流れ自分たちが思い描いていた「もの」を失った事実を述べる。
3番は Just tonight だから、正に今しがた来訪し「もの」だけでなく道をも失っていた事に気付く。
4番は現実ではなく幻の友に再会した空想の出来事だと思われる。
物語の中心的な述懐は we're older but no wiser だと思われる。自分は若さを失わなかったとの自負さえ感じられませんか。
細かな点で私を悩ませたのは、大した違いではないが、歌詞を調べて行くと二通りあった事である。つまり実際の音源に当たって後から分かったのは
Mary Hopkin が歌ったものと、The Limeliters の歌ったものとが存在する。
その違いは、
Think of all... (Mary Hopkin) と、
And dreamed of all... (The Limeliters) の部分である。
後者は how we laughed... and dreamed... なのだろうから、結構違うと言えるが、内容的には大きく異なるとは考えられない。
時間的には The Limeliters が先だから、Mary Hopkin が表現を嫌って変えたのかも知れない。イギリスでは dreamt であって dreamed ではないと言う辞書もあった。
歌詞の相違ではもう二箇所、
The Limeliters が In the glass I saw a strange reflection と歌うところで
Mary Hopkin は a を抜いているところと、その次のセンテンスで
Mary は stranger (The Limeliters) を woman と歌っているところである。
a reflection と言えば、グラスに実際に映った影を指すようで、また冠詞を付けずただ reflection であればグラスを通して回想された姿と言うことだろうか。
何故こうした相違が生じたのかを考えると、知りたくなるのが Gene Raskin の作った原典の詩である。そこでは、世界的に知られたように、歌の主体は女なんだろうか。Gene Raskin は夫婦で歌ったそうだが、妻が歌ったのだろうか。そもそも不思議なのは、18歳の女の子(Mary Hopkin)がこの歌詞を歌って世界的にヒットした事自体である。言葉の通じない日本のような事情(「悲しき天使」)はあるにせよ、歌詞の内容を十分に理解している筈のイギリスで大ヒットしたのだから、それに共感して売れたと考えるのが順当だろう :
_______
その後、Gene & Francescaの演奏と思われる音源に出会ったのと、1991年1月付けの記事を見つけたので、若干追加します:
Gene & Francesca を聴いて、Mary が歌うのは The Limeliters よりもこれに近いと感じた。さらに、歌詞で気付いたのは In the glass I saw strange reflection と冠詞なしで歌うのは Mary だけではなくて、Gene & Francesca がこう歌っていると言うことである。次のセンテンスで Mary が that lonely woman と歌う部分は、that lonely fellow(寂しげなあいつ)であった。デビュー前の Mary は Gene & Francesca を聴いていたのではないだろうか。
インタヴューによれば、Gene Raskin は原曲を母の歌で知り、少し改変して、新しく言葉を付けたと言っている。3歳でロシア語を話したとも言っている。つまり、彼は原曲の歌詞を知っていたのであろう。新しく作った歌詞に原曲の影響はあったのかなかったのか良くわからない。Gene の書いた歌詞では、若き日の夢が何なのかは語られていない。
Gene の語るのは、前記の通り、starry notions を失い、sure to have our way が出来ず、dream だけが残ったような人生の「形式」であろう。そしてその人生を肯定するのである。その「形式」が普遍的に人に感銘を与えるのではないか。それが何であったのかの「内容」を彼は語らない。私はロシア革命の混乱期に若者が思い描いた数々の変革が実現できず、年老い振り返る姿が重なってしまう。それでも、それは語られ得ない「内容」であり、詮索する意味はあまりないのだろう。さらに付け加えるなら、インタヴュー記事で彼は大学教授の職をなげうって旅芸人の道を選択したと言う。そういう姿勢も私には重なって見えてしまう。
それにしても Mary がなぜこれを歌う事になったのだろうか。その疑問は依然残る。
________________
☆ Those Were the Days_3 : Gene Raskin版
1)Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
Dreamed of all the great things we would do
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way. : 第一節でのみ歌われる
La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days
2) Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days
La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days
3) Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass I saw strange reflection
Was that lonely fellow really me
Mmm, mmm, ..
Mmm, mmm, ..
Mmm, mmm, ..
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days
La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days
4) Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh my friend we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days
La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days
__________
Those Were the Days の元の Gene Raskin版とそれを修正したThe Limeliters版の最大の違いは
“For we were young and sure to have our way.”が
Gene Raskin版では第1節でだけ歌われて、第2・3・4節では消えている。
The Limeliters版では第1・2・3・4節すべてで全く同じ様に歌われている。
即ち、The Limeliters版では第1・2・3・4節すべてで
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
は二人の若い頃を回想していると解釈されているのです。
一方、元のGene Raskin版では
第1・2節は二人の若い頃
第3・4節は直近の過去(Just tonight)に酒場を再訪した時の幻想
として回想されているのです。 同じ過去形で語られていても、第1・2節の過去形と第3・4節の過去形では、表している時間が全く違うのですね。
(Mary Hopkin版では勿論、この部分は元詞のGene Raskin版に戻されています。)
従って、仮定法未来で表された “We would sing and dance forever and a day” の意味も第1・2節と第3・4節とでは変わってきます。
おそらく、この歌詞には隠された意味が有るのでしょうね。
_________________
“We would sing and dance forever and a day” はどういう意味か?
forever
(口語) a mythical time in the infinite future that will never come.
Sure, I'd be happy to meet with you on the 12th of forever.
同意語 eternally
http://ejje.weblio.jp/content/forever+
forver and a dayは、「永遠と一日/永遠の次の日まで」を意味します。
foreverにa dayを付け加えることで、「永遠を越えて」というニュアンスを表し、foreverを強調しています。
この慣用句は、for ever and a dayが転化したもので、シェークスピアが『じゃじゃ馬ならし』『お気に召すまま』の中で使ったのが始まりのようです。
http://dictionary.reference.com/browse/forever%20and%20a%20day
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427425764
Shakespeare coined this and used it in The Taming of the Shrew, 1596:
BIONDELLO I cannot tell; expect they are busied about a
counterfeit assurance: take you assurance of her,
'cum privilegio ad imprimendum solum:' to the
church; take the priest, clerk, and some sufficient
honest witnesses: If this be not that you look for,
I have no more to say,
But bid Bianca farewell for ever and a day.
_________
He must have liked it as he used it again in As You Like It, 1600:
ROSALIND: Then you must say, ‘I take thee, ROSALIND:alind, for wife.’
ORLANDO: I take thee, ROSALIND:alind, for wife.
ROSALIND: I might ask you for your commission; but, I do take thee, ORLANDO:ando, for my husband: there’s a girl goes before the priest; and, certainly, a woman’s thought runs before her actions.
ORLANDO: So do all thoughts; they are winged.
ROSALIND: Now tell me how long you would have her after you have possessed her?
ORLANDO: For ever and a day.
ROSALIND: Say ‘a day,’ without the ‘ever.’ No, no, ORLANDO:ando; men are April when they woo, December when they wed: maids are May when they are maids, but the sky changes when they are wives. I will be more jealous of thee than a Barbary cock-pigeon over his hen; more clamorous than a parrot against rain; more newfangled than an ape; more giddy in my desires than a monkey: I will weep for nothing, like Diana in the fountain, and I will do that when you are disposed to be merry; I will laugh like a hyen, and that when thou art inclined to sleep.
http://www.phrases.org.uk/meanings/140900.html
http://www.bartleby.com/70/2041.html
eternity
一部の宗教で信じられている、永遠に存在する状態で、来世を意味付ける
(a state of eternal existence believed in some religions to characterize the afterlife)
(metaphysical) The remainder of time that elapses after death.
例文
between this life and eternity
この世とあの世との間を, 生死の境を
http://ejje.weblio.jp/content/eternity
要するに、
eternity : 死後始まる永遠の時間
a day というのは死の床に就いた人が死んでから向こうの世界に行き着くまでの1日の事.
その1日の間に自分の過去に起きた様々な出来事を思い出すんですね.
Those Were the Days の主人公は今、死の床に就こうとしているのでしょう。
Those Were the Days の最初に出て来る Once upon a time というのは昔話や伝説の切り出しに使われる言葉で,それに続くのが むこうの世界の話だという事を暗示しています.
Those were the days というのは あの頃は良かった という意味.
forever and a day はこれから始まる永遠の時間の事
本来は eternity and a day なんですが,ポピュラー音楽にはふさわしくない言葉だから foreverに変えたんでしょうね。
この曲を歌った歌手は沢山いたけど,メリー・ホプキン以外は人気が出ませんでした. メリー・ホプキンには死の床に就いた主人公の若い頃の姿が重なるからでしょうね.
Just tonight, I stood before the tavern.
今夜,私はあの居酒屋の前に立った.
Nothing seemed the way it used to be
何もかもが昔とは違ってしまっていた.
In the glass, I saw a strange reflection.
グラスの中に,見たこともない姿が映っているのを見た.
Was that lonely woman really me?
この寂しげな女性は本当に私なの?
死の床から抜け出て,昔なつかしいあの酒場に向かったんですね.
しかし,すべてが変わってしまっていた.
If, by chance, I'd see you in the tavern, We'd smile at one another and we'd say
もし,あの居酒屋で あなたにもう一度出会えたら,互いに微笑みあってこう言うわ
Those were the days, my friend
あの頃は楽しかったわ.
We thought they'd never end We'd sing and dance forever and a day
そして私達はそれから永遠に歌って踊り続けるんだわ.
その人は既にもう何年も前に亡くなっているんでしょう. 死んで向こうの世界に行ったら,もう一度その人と会えるんですね.
,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
,. ‐ ヽ
,.‐´ \
/ ,l \ ヽ
/ l|, 、 、 |iヽ, ヽ \. ヽ
/ l i ! | i | |l'、ト ヽ iヽ ヽ ',
! | / | |. i |.|| i.|ヽ |、 | ', i i
! ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l .i| i
! i ,.|!,.+‐'"| | | |i} ' ュノェ|i,`i l.| i
l i l l |/;:=ニ|i l | /rj:ヽ\ i l i l
| | | ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!. ' {::::::;、! 〉iー | | |
| |i. | !; 〈 !:::::::c! 'ー''(つ }i | i.| |
| ! | | ;: (つ`''" 、 //// /;:i | | !. |
| i, i. 、//// ' /,ノi, i. |
! .| | i 、,ゝ、 、─, / i | |. i
.! | i |. | lヽ、  ̄ / l | i | !
! | i |i |l l| |`''‐ 、 , イ |i | |i | i |. !
| | i |i |i .| ノ ` ''" ヽ/l| l__,.、-|l l ! i、
,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l ' ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
/ ! l l ̄ ` 、_ | /ノi i.! |
,' ! | ,|/ |/i' |
i ` l .ノ ノ ' ヽ、 |
| ノ ,... ヽ、; ヽ-,
.! |:: :..゚..:: i: ゙゙''i
| l:: ゙゙" |: |
@゙! |:: !:: ノ
______________________
______________________
4. Eternity and a Day
“Those Were The Days” と同じ様に過去と現在が交錯する名画がありました。 アンゲロプロスは当然 Mary Hopkin の歌も良く知っていると思います。 :
Mia aiwniothta kai mia mera / Eternity and a Day
監督 テオ・アンゲロプロス (Theo Angelopoulos) 1998
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13492849
http://www.youtube.com/watch?v=Gb4lzTdfNnI&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=aT1UMuPFBsU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=NZX6uvMAWks&feature=related
1) 「そのとき、全てが、時が止まる」
海辺の家。
「アレクサンドレ、島へ行こう」
「どこへ?」
「島だよ。海の底で古代都市を見て、島で崖に登って、沖を船が通ったら叫ぶんだ」
「古代都市?」
「お祖父さんの話さ。昔、幸福な町が地震で沈んだ。何世紀も海底で眠っている。明け方の星が地球と別れを惜しむ朝、一瞬、古代都市が海の上に出てくる。そのとき、全てが、時が止まる」
「時って?」
「砂浜でお手玉遊びをする子供、それが、時だってさ。来るだろ?」
アレクサンドレ少年がベッドからそっと起き、白いサンダルを両手に持って、こっそり寝室を出て行った。
2) 重苦しく、沈鬱な心
北ギリシャの港町、テサロニキ。海の見えるアパートの一室で、少年の日の夢から醒めた詩人
「今日が最後の日だ」
「明日、病院へお供させて下さい」
「ウラニア、辛く考えるのはよそう。終わりはいつもこんな風だよ」
思いつめたようなウラニアは、アレクサンドレに部屋の鍵を手渡した。
「三年間、本当にありがとう。私一人ではどうなっていたか」
「私の心残りは、アンナ・・・君は分るよね。私は何一つ完成していない。あれもこれも下書き・・・言葉を散らかしただけだ・・・」
3) 別れ
アレクサンドレは、一人娘のカテリーナのアパートに立ち寄った。愛犬を預け、別れの挨拶をしに来たのである。アレクサンドレは同時に、三年前に死んだ妻の手紙を娘に渡した。
娘はその中から、一通の封筒がない手紙に眼を留め、それを読み始めていく。
「『1966年9月20日』。“私の日”だわ。ママがいつも話していた」
娘は手紙を読み始めた。
「私は眼が覚め、あなたは寝ていた。夢を見てたの?アレクサンドレ・・・
あなたの手が私を捜すように動き、瞼が震え、あなたはまた眠りに落ちた。
あなたの眼から、涙のような汗が一滴転がり落ちた。傍で赤ちゃんがむずかった。
ドアがきしんだ。私はベランダに出て、そっと泣いた」
30年前の夏の日の回想
「海辺の家」で、若妻のアンナは泣いていた。
「本のことしか考えないのね。いつになったら二人になれるの。私には飛び去らないように、ピンで刺し止めたいほど大事なときだった・・・
海辺の家から書いてます。もうろうとして、温かいミルクとジャスミンの香りの中で、私はあなたに話しかけ、近づき過ぎるとあなたは抵抗する。私があなたを脅かした?ただの恋する女なのに・・・
夜、あなたを見ていた。寝てるの、黙ってるの?考えているあなたが怖い。沈黙に割り込むのが怖い。だから私は体で、私は傷つきやすいと伝えた。それが私の唯一の方法だった。私はただの恋する女よ、アレクサンドレ・・・
私は裸で砂浜を歩いた。風が吹いて、沖を船が通った。まだ寝ているあなたの温かみに包まれて・・・でも、あなたは私の夢を見ていない。ああ、アレクサンドレ。私を夢見ていると一瞬でも思えたら、嬉しくて泣き出すわ・・・」
突然、浴室から娘の夫が表れた。
「海辺の家は売ることにしました。明日から解体が始まります」
アレクサンドレは娘に別れを告げて、愛犬を預けることなく街の中に出て行った。
老人はゆっくり立ち上がり、海辺を彷徨(さまよ)い歩く。
「どこだ、アンナ?島か、アンナ?」
30年前の夏の日
島へ向かうヨットの中で、若者たちが踊り回っていた。その中にアレクサンドレがいて、母に寄り添って行く。
「お前のお父さんの夢を見るの。それも毎晩。今、いてくれたら。あんまり急だったから。お前はまた旅だったし・・・いつも遠くにいるね。お父さんを信じない子で、傷ついていたよ」
青く輝くギリシャの海。アンナは夫に語りかける。
「何考えてるの?」
「崖に登る」
「裏切り者!」
「なぜ怒る、アンナ。すぐに戻る。頼むよ、すぐに戻る」
「裏切り者!」
それでもアレクサンドレは、単身崖に登って、沖を行く船を大声で呼び、白いハンカチを振った。
4) 呻きを捨てた老詩人
アレクサンドレは母の病院を訪ねた。
「お母さん、なかなか来られなくて・・・次々に用ができてね。お母さん、お別れに来ました。明日、発ちます」
母は静かに立ち上がり、ゆっくりと窓のカーテンを開け、息子の名を呼ぶのだ。
「アレクサンドレ、ご飯ですよ」
「今、行きます」
息子がそう答えたとき、映像はまた、あの夏の海辺の風景を映し出していく。しかしこの記憶を遡る旅は、雷鳴が轟き、驟雨が襲い来る場面を再現した。急いで避難する親戚たち。
アレクサンドレは妻を探しに、浜辺へ向かった。濡れ鼠になった妻がそこに待っていて、二人は激しく抱擁しあった。
再び母の病室。
アレクサンドレは、倒れ込む母を抱えて、ベッドに寝かしつけた。
「お母さん。なぜ、願うことが、願いどおりにならない?なぜです。なぜ我々は、希望もなく、腐っていくのか。苦痛と欲望に引き裂かれて、なぜ私は、一生よそ者なのか。
ここが我が家と思えるのは、稀に自分の言葉が話せたときだけ。自分の言葉・・・失われた言葉を再発見し、忘れられた言葉を沈黙から取り戻す。そんな、稀なときしか、自分の足音が聞こえない・・・
なぜです?・・・教えて下さい。なぜ、お互いの愛し方が分らないのか?」
5) さざなみ寄せる海に向かって叫ぶ老詩人
アレクサンドレは、廃墟と化した海辺の家に立ち寄った。 亡き妻アンナの声が聞こえてきた。
「海辺から、あなたに何度も、何度も、手紙で話しかける。いつかこの日のことを、思い出すときがあったら、覚えていてね。夢中になって、あなたを見ていた眼・・・夢中であなたに触れた指・・・震える思いで、私は待っている・・・なぜって、今日は私の日」
外の海辺には、親戚たちの歌声が、アコーディオンやギターの伴奏に乗って聞こえてきた。
「アレクサンドレよ」
「踊りましょう。踊るのは嫌いでも、今日は私の日」
「アンナ、病院に行くのは止めるよ。病院には行かない。行かないよ。明日の計画を立てよう。
明日・・・明日って何だ?
いつか君に聞いた、“明日の時の長さは?
”君の答えは?」
「永遠と一日」
アンナは小声で囁いた。囁いた後、静かに夫から離れていくアンナ。
「聞こえない・・・何と言った?」
「永遠と一日!」
「アンナ。私は今夜、向こうへ渡る。言葉で君をここに連れ戻す。
全ては真実で、全てが真実を待っている。私の花・・・よそ者・・・私・・・とても遅く・・・」
「アレクサンドレ!」
どこかで、自分を呼ぶ妻の声が聞こえてきた。
http://zilge.blogspot.com/2008/11/blog-post_02.html
テオ・アンゲロプロス
「わたくしは、イタリアの有名な俳優、ジャン=マリア・ヴォロンテの最後の日々を一緒に過ごしました。つまり、彼は死んだ時、わたくしの前回の作品『ユリシーズの瞳』の撮影に入っていまして、最後の日々を私は一緒に撮ったのです。彼が死んでいるのを発見したのは私でした。その時、本当に衝撃を受けたし驚きました。しかし、その衝撃や驚きを超えて、1つの疑問が私の心の中に浮かび上がりました。
あと1日しか生きられないとしたら、その日なにをするかという疑問です。そうやって人生最後の日に人は、どのように歩くのか、どのようにコーヒーを飲むのか、どんなことが頭の中に浮かび上がってくるのか。たった1日の時間の中に過去、現在、未来が収縮したときにどのようなことが起きるのかと考えたのです。
この映画のはじめに子供たちが時間について話します。1人の子供が「時間がない」「時間とはなにか」という質問をします。そして時間についての話が始まるのですが、時間とはお爺さんの話によれば、砂浜でお手玉遊びをする子供、それが時間だ、時だと答えます。これはヘラクレイトスが時間についておこなった定義です。そしてこの映画の最後に、これは、はっきりとは言われてなくて、暗示されているだけですけれど、もう1つの古代ギリシャの哲学者の時間の定義でこの映画は終わっています。それは時間は存在しないということ。
この映画のラストのカットでは3つの時間が同時に存在しています。この3つの次元、過去、現在、未来というのは、西洋哲学の中にある分類です。この3つの過去、現在、未来はこのカットの中に同時に存在しているのです。主人公である彼は現在にいながら過去を生き、そして未来へと呼びかけをしているのです。同じ平面で彼はこの3つの時間を生きているわけです。すなわち、この3つの次元は別々のものとして本当は存在していないのです。現在のみが存在しているのです」
質問者
「同じ、ワンカット、ワンショットの中には、今おしゃったことはエッセンスでしょうけど、その前に妻のアンナが出てきてますよね。それでアンナは消えていくんですけれども、そこには幻想のアンナも実際生きた姿で出てきているのでしょうか」
テオ・アンゲロプロス
「アンナは他の所にも出てきています。確かにアンナは過去からの呼びかけであって、過去の呼びかけによって現在に存在しているのです。
彼の方は現在に存在しています。そして未来へ呼びかけます。そうすることによって、未来が現在になるというわけです。
あの、アジア、仏教の考え方だと聞いたことがありますが、アジアでは違った時間の概念があると聞いたことがあります。過去、現在、未来という3分類の時間は存在せず、全てが現在である。現在しか存在しないという話を聞いたことがありますが、それは間違いでしょうか」
http://www.werde.com/movie/interview/eoniotita.html
「テオ・アンゲロプロス監督インタビュー」
(「キネマ旬報・1999年4月上旬春の特別号」より)
「―― 今回の『永遠と一日』で、あなたの映画のまなざしの核になったものは何でしょう。
―― 『自分自身に対するまなざし、だと思う。自分の人生を振り返って、自分という人間を見つめる、そのまなざし。
映画の中で、主人公のアレクサンドレが30年前の妻と出会う時、本人は現在の姿のままなのは、今の自分で昔をみていることなんだ。けっして若返ったりせず、つまり、現在と過去は必ず一緒にいるんだよ。
今の自分の上に過去が重なって来て、そうするうちに自分のイメージも混沌としてくるというのかな』
―― 今回の主人公アレクサンドレは、詩人として作家という設定ですね。その彼が、不治の病を得て、過去の自分の仕事を振り返る時、『今までの作品は全て下書きにすぎない』と吐き捨てるのはとても痛切ですが。
―― 『僕自身、そう感じることが多いからね。これまで、数多くの映画を撮ってきたけど、本当にそれらは下書き、あるいは下書きの一部を出したにすぎないんじゃないな、と。その時の自分の考え、感じたことの一部のみが表現されているにすぎないと思うんだよ』」
http://zilge.blogspot.com/2008/11/blog-post_02.html
この映画には回想シーンが大量にあります。しかしながら、回想の仕方が普通の映画とは違うのです。普通の映画であれば、回想シーンに「現在の自分」という視点は希薄なものです。老人の若い頃の思い出の中には、若かりし頃の自分がいて当然。現在の自分にとっての「過去の自分」を振り返る。それが普通の「回想シーン」です。ところがこの映画における「回想」は違うのです。主人公である「国民的巨匠詩人」の老人の回想、それはあくまで「現在の自分と、その他の物事の過去」を思い描くだけなのです。それは回想の内にあってただ一人自分だけが現在の姿で描かれることによって表現されます。
そう、とにかく自分だけは常に現在の姿をしているのです。回想シーンではどうやら体力や健康状態は当時の状態になっているようではあります。が、そんなことはどうでも良いのです。主人公にとっては、自分自身はあくまで特別な存在なのです。そのことが〜この映画に慣れると〜ありありと分かります。そしてこのことは、主人公が現実の世界に戻って来たその時に主人公を責めさいなむのです。国民が敬愛する巨匠としての立場も、親としての立場も、彼にとってはただただ虚しいものであり、自分の居場所を何処にも見出せなくなってゆくのです。
ラストシーンで主人公は朽ち果てた海辺の生家に訪れます。生家はその日の内に取り壊され、売り払われてしまうことが決まっています。この海辺の生家には、庭から砂浜へ延びるスロープがあって、その先端にはちょっとした日除付きの展望台があります。これの庭からの眺めは、恐らく主人公にとってはもっとも懐かしく思い出深いものであり、冒頭のシーンから何度も何度も在りし頃の美しい姿のままで描かれてきていました。それが、このシーンでは朽ち果てています。朽ち果てているのは他の部分も同じではありますが、衝撃の度合はまるで違うのです。それを演出したのは、この映画にとって最後の回想、いや幻想でした。
海の方から聞こえてくる音楽に誘われて庭に出てみると、そこには前述の通り朽ち果てた「思い出」が横たわっています。そして、そのさらに向う側には、若かりし頃のままの姿の家族達が何事もなかったかの如く穏やかにダンスを踊っているのです。そう、このシーンはそれまでのような回想ですらないのです。主人公が求めて止まないもの、そして、かつて無意識の内に我が身から遠ざけていたモノが、全てを失った「今」そこにあるのです。しかし、それはあくまで幻想でしかないのです。しかし主人公は、それを幻想と知りながらも受け入れるのです。あまりにも異常なその情景は、見ための上ではどこまでも穏やかであるにも関わらず、根底にあるすれ違い続けた愛情と悲しみの激流を感じさせるのです。
やがて親戚一同は、スクリーンに映る画面から出て行くことにより物語の世界自体から去って行きます。主人公には彼らを押しとどめる術はありません。やがて最後に残った彼の妻が消え去らんとするとき、主人公は尋ねます。明日とは何か、と。そしてもはや消え去ってしまった存在である妻の声だけがそれに答えるのです。明日とは、永遠と一日だ、と。
http://ne.cs.uec.ac.jp/~ichimal/movie/m0003.html
一日であり、永遠である、「白」
「死」を前にした詩人アレクサンドレは、これからおそらく凄絶な人生を歩んでいくであろうアルバニア難民の少年に「生」の残酷を見る。「死」へ向かうアレクサンドレの最後の「生」の一日を、この同情すべき少年と過ごしながら、彼は自身の半生を旅していく。少年時代、妻との日々、世の常というもの、今日という日に出会った少年との交流、自由、後悔、逡巡――。
そして、彼の周りは真っ白になった。その白の中、黒いコートを着た彼は幽鬼のように歩くのだ。
画の中の「白」は豊潤な「詩(ことば)」を湛えていた。世の営みにおけるすべての喜び、哀しみ、嘆き、怒り、諦観。すべてが生であり、同時にすべての死であり、そして時間の流れであり、また止まってしまった時間である、この「白」の中で、男は喪服のような黒を纏って彷徨う。『永遠と一日』というタイトルを感覚的に理解させる、アンゲロプロスの力技をまざまざと見せられた瞬間だった。
少年のアレクサンドレがあたかも産道を通るかの如く身を縮めて階段を下り、外界の大海へと繰り出していく。人生のスタートを象徴するシーンだ。それから時は流れ、溌剌とした時代は過ぎ、もはや自らの死を肌で感じ取っているアレクサンドレは、見知らぬ向かいの部屋の住人と音楽で交流する寂しい老い人となる。妻のアンナは数年前に亡くなっており、たった一人の血縁の娘を頼るも婿には冷たくされ、思い出のつまった海の家まで売ったと言われる。婿の機嫌を伺うばかりで、父の忘れ形見となるであろう犬すら預かれない娘には、それを止める術はない。大切に思っていたものが、一枚一枚、彼から剥ぎ取られていく。
この寂寥の中、アレクサンドレは難民の少年と出会う。病に冒された老人にとっても、過酷な運命を背負う少年にとっても、もしかしたら「最後の生の一日」になるかもしれない刹那を、彼らは共に過ごす。超えても超えようとしても死が待つであろう絶望の国境。子どもの溺死体があがった海。生きなければならない少年と、生きることを拒まれた難民仲間の少年の死体が収められた霊安室。―― いずれも白い。今日の出来事でありながら、すべては生と死の境にある彼らにとっては「明日」かもしれない。そんな混沌や不安がこの白に収斂されているように思った。
静謐なトーンの画がほとんどであるが、それはアレクサンドレの覚えている妻の「生」の手触りそのものなのだろう。はちきれんばかりの肉体を弾ませ、匂いたつような色を湛えて、全身で「愛している」と叫ぶアンナは異彩を放ち、さながら美神のような輝きがある。だが、遺された手紙から、そんなアンナのどうしようもない孤独を知ってしまうと、イメージの中の彼女はどんどん翳っていく。そこではじめて彼は近くにいたと思っていた妻を遠くに感じる。
「確かなものなど何もなかったのか」――
詩人である彼は、それを確かめるべく、残酷な生を背負った少年と彼の一日を辿り、言葉を売る詩人である自身の存在否定ともなる「言葉買い」をする。そして少年と乗ったバスの中で、これまでの彼の生き様が音楽に乗って繰り広げられていく。それらを見て、顔を合わせ、静かに微笑みあう二人の至福の表情。忘れられないほど印象的な微笑だ。
すべてが終わると、現在・過去・未来を象徴する黄色い雨合羽の自転車乗りが、彼らの乗ったバスを追い越していく。蝶が花々を渡っていくと、その花が次々に開いていくかのような華やかなイメージが連なる、映画史上に残る名シーンといってよいだろう。
「コルフーラ(私の花)」「クセニティス(よそ者)」「アルガディニ(とても遅く)」―― ラストカットで泣きながらアレクサンドレが彼岸に叫ぶこれらのキーワードは、アレクサンドレのそれまでの人生を象徴するものだ。
アレクサンドレは幸運にも詩とアンナという(私の花)を持っていた。だが、詩にもアンナにも自分は(よそ者)であった。本質が見えず、ほんとうに大切なものに(とても遅く)に気づいたのだ。
もう、今日という日には叶わないこの三つがひとつの環に唱和されたとき、海の向こうから幼い頃に呼ばれたものと同じ懐かしい声を聞く。「アレクサンドレ、アレクサンドレ、アレクサンドレ……」
そして彼は、この世もあの世も超えて総てを象徴する「白」へと溶け込み、彼の明日という日は「一日」であり「永遠」となる。
この映画はどの画からも、もちろんどの台詞からも詩情が溢れている。それは痛いほど哀しく、残酷で、そして泣きたいほどに美しい。東京国際フォーラムにて「アンゲロプロス映画祭」が開かれるが、もちろんそこでも本作は上映される。言葉と映像が、芸術という形に昇華された、誰にも真似ができない、映画芸術の最高傑作に触れられる幸せを是非スクリーンで噛みしめたいものである。
http://intro.ne.jp/contents/2005/04/26_0025.html
______________
______________
関連投稿
独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html
他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html
こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html
サルはなぜサルか _ 黒澤明にはわからなかった女性の恐ろしさ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/397.html
西洋の達人が悟れない理由_ タルコフスキー1
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/608.html
西洋の達人が悟れない理由 2 _ タルコフスキー2
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/629.html
西洋の達人が悟れない理由 3 _ タルコフスキー3
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/630.html
西洋の達人が悟れない理由 4 _ タルコフスキー4
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/631.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- 天上の歌声 _ メリー・ホプキン 中川隆 2011/5/05 21:54:45
(2)
- 存在の耐えられない軽さ _ 参考資料 _ 舊約聖書 傳道之書 中川隆 2011/10/10 01:31:13
(1)
- イリーナ・スルツカヤ _ Let it be 中川隆 2011/10/10 02:23:52
(0)
- イリーナ・スルツカヤ _ Let it be 中川隆 2011/10/10 02:23:52
(0)
- 存在の耐えられない軽さ _ 参考資料 _ 舊約聖書 傳道之書 中川隆 2011/10/10 01:31:13
(1)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。