http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/415.html
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(回答先: 日本の朝鮮統治は摂取と収奪の地獄だったとは歴史の捏造、朝鮮は一番、得をした。 投稿者 Ama 日時 2010 年 9 月 29 日 08:04:14)
1. これが詐欺師の論理
朝鮮半島のほうが日本より平地割合が低いらしい。
朝鮮半島では日帝支配以前の主食は米飯ではない。
さらに、1人当たりの米消費量は、おそらく単純に収穫量/人口を出したものなのでは?
これを、朝鮮人の口に入った米の量で考え直すと、こうなる。
年次|人口|朝鮮人一人当たり|朝鮮での
| |米消費量(仮)石|米消費量
1906| 980| |
1910|1312| |
1912|1318|0.7724 |1071.937
1917|1577|0.7200 |1135.656
1920|1691|0.6301 |1065.499
1922|1746|0.634 |1107.2148
1924|1802|0.6032 |1086.846
1926|1857|0.5325 | 988.959
1928|1913|0.5402 |1033.187
1930|1968| |
04の数字だけで「飢餓輸出が原因という事になる。」というのは阿呆の戯言である。
そもそも、米消費量が少ないだけで飢餓輸出であるならば、現代日本は米消費量0.4石で日帝時代の朝鮮より飢餓状態なんだが。
朝鮮には主食として高黍換金作物として有利であるから、米が輸出されただけと考えるのが妥当であり飢餓状態であったというのは悪質な嘘。
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2.こっちが真理
朝鮮半島南部では古来より、米が食べられています。豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、当時の日本式の栽培方法が伝わったという記録もあります
朝鮮半島にも古代に中国から日本を経由して、稲作は伝わり継続されています。日本の水田跡の遺跡は最古のもので3,800年ほど前、韓国では2,000年ほど前です。
朝鮮半島北部の主食は日韓併合以前は高黍(別名モロコシ)でしたが、併合後は稲栽培を伝授されて、米に変化しました。
要するに、それまで常食にしていた高黍に代えて日本人の食べる米を強制的に栽培させられて日本にすべて輸出させられたから朝鮮人には食べるものがなくなったのです.
これが飢餓輸出の意味なのです:
朝鮮半島北部は気温が低いため、米は栽培されていませんでした。
高黍(タカキビ)・粟などの雑穀が主食でした。
朝鮮半島南部では古来より、米が食べられています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、当時の日本式の栽培方法が伝わったという記録もあります。
朝鮮半島ではその後日韓併合まで、品種改良や栽培方法の変化はなかったと思います。
日本に併合され、日本式の栽培方法や日本の品種が伝わり、現在も食べられていると思います。
日本の指導により単位あたりの収穫量は大きく伸びました。
また現在では日本で戦後開発された品種が、食されているかもしれません。
朝鮮半島にも古代に中国から日本を経由して、稲作は伝わり継続されています。
日本の水田跡の遺跡は最古のもので3,800年ほど前、韓国では2,000年ほど前です。
元来朝鮮半島の農民の主食は雑穀かもしれません。
併合中も米を日本に出荷し、その金で生活用品を整え、自分たちは雑穀を食べていたとの記録もあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135908896
現在の朝鮮半島の主食は米である。
しかし、本来の朝鮮の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。
稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられたもので、当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種であった。
元々は雑穀を食べていたが、日本の統治下で米食に移行、伝統食文化は失われた。
http://www.wdic.org/w/CUL/%E4%B8%BB%E9%A3%9F
今の韓国・北朝鮮では主食は日本と同様、米(ジャポニカ米)である。
現在は白米だけの炊飯で食されるが、日本と同様に、玄米の状態の炊飯や雑穀の入った炊き込みご飯を食べていた時期もあった。
韓国の料理にはビビンパやクッパなど米を他の食材と混ぜ食べるものも多く、かかせないものである。
一方北朝鮮は、現在の食糧難から米が十分に食べられず、トウモロコシやジャガイモを主食にしている国民が多いものと思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A3%9F
170:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:53:15 ID:yf2dtPr70
イザベラ L ハード「朝鮮紀行」 P203〜P204より
大食ということに関しては、どの階級も似たり寄ったりである。食事のよさは質より量で決められ、一日四ポンドのごはんを食べても困らないよう、胃にできるかぎりの容量と伸縮性を持たせるのが幼いころからの人生目標のひとつなのである。
ゆとりのある身分の人々は酒を飲み、大量のくだもの、木の実、糖菓を食間にとるが、それでもっぎの食事には一週間もひもじい思いをしていたかのような態度でのぞむ。
裕福な家では牛肉と犬の肉は大皿に盛る。また客のごちそうは銘々膳で供されるので、もてなす側は特別大事な客にはふんだんにふるまい、ほかの客には最小限度に抑えておくことができる。
わたしは朝鮮人が一度の食事で三ポンドはゆうにある肉を食べるのを見たことがある。
「一食分」が大量なのに、一日に三食か四食とる朝鮮人はめずらしくなく、一般にそれを慎む人々は好きなように食事もできないほど貧しい人と見なされかねない。
一度の食事で二〇個から二五個のモモや小ぶりのウリが皮もむかれずになくなってしまうのはざらである。
赤ん坊にまで食べさせる莫大な消費量の赤トウガラシがこの大食ぶりを助けているのはまちがいない。
朝鮮人には消化不良のたぐいの疾患が多いというのもうなずける。
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181:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 21:40:24 ID:cYc2nMmu0
人口増加ってのがあるけど、あれは豊かになったから人口が増加するのではなく、
貧しいからこそ人口が増加するんだよな。
人口爆発を起こしている国々をみてみると、かつて先進国の植民地となり、なかば強制的に換金作物(お金に換えるための作物。例えばコーヒー、紅茶、ゴムなど)を栽培させられた経験のある国々だということがわかります。
この換金作物こそが人口爆発の原因を探る大きな鍵となります。
かつてこれらの国々が自給自足を行っていた頃は、貧しいながらも人口は安定していました。
食糧の供給量以上に人口は増えることができなかったからです。
しかし先進国の登場によって換金作物の栽培が始まると、換金作物を売ることで一時的には食料の供給が増えて人口が増加します。
人口が増えた結果、再び食料が不足しますから、作物の収穫量を上げるためにさらに無理な生産をします。
けれどもそのために地力が落ち、次第に人口を養うだけの作物が収穫できなくなり、不自然な人口爆発だけが残されるのです。
_______
朝鮮人の米消費量、食習慣、などから考察すると、産米増殖計画によって、朝鮮人の大食習慣が失われ、人口増加による貧困の増加、米消費量の低下(途中で改善はされてはいるものの)、結局 朝鮮農民は飢餓線をさまよう状態になった。
184:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 01:49:49 ID:5/Okf5Sz0
その増えた人口の面倒を見切れず、数十万の朝鮮人が半島外へ流出
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001
米はいうまでもなく日本の統治時代以降は朝鮮でも主食になりました。したがって、米の消費量は当時の生活水準のバロメータになるので、この統計をみることにします。
朝鮮の米穀輸出・消費量
年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た 日本人一人当た
(1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)
1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129
'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*
資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
*印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版
この表から、朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加
にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向にあることがわかり、
植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。
これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定さ
れました。その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。
日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢
性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。それに加え、タ
イなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。
こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し
「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億85
00万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石
の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。
朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道
や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしん
りき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さら
に栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しまし
た。
こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、か
の江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考え
をある程度私も認めたいところです。
しかし、事実は残念ながら米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消
費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187
即ち、日本の搾取がなければ朝鮮人が食ってけなくなって日本に移民してくる事もなかった。
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間違いなく日本の朝鮮統治は全てが悪
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/500.html
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