http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/413.html
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(回答先: 伝説のツインターボ _ その時、馬に神が宿った 投稿者 中川隆 日時 2010 年 9 月 02 日 22:08:19)
1 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/19(土) 09:02:21 ID:EfOKVZcW0
そういうことにしましょう
2 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/19(土) 09:03:53 ID:fngcXPmG0
そう思っていた時期が私にもありました
35 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/20(日) 00:46:37 ID:Gnqiuq6k0
世の中には知らないほうが幸せなことがあるんだよ
http://mimizun.com/log/2ch/keiba/1200700941/
週刊競馬ブックなどの雑誌の抹消馬コーナーなどで乗馬となっている馬の一部は実際には屠殺業者に卸されています。
乗馬用として使用された馬も行く末は同じです。
また、繁殖牝馬も仔出しが悪くなったり、成績の振るわないものは用途変更(食用)となります。
運良く成績や血統が良く種牡馬になれた馬も成績次第では同じ末路です。
最近の例ではセイウンスカイの父シェリフズスターの話が有名ですね。
輸入種牡馬である当馬は日本にやってきて成績が振るわなかったため用途変更となってしまいました。
その後セイウンスカイの活躍によってこの事は少し話題になったのですがJRAは行方不明として取り扱い、結局事実は雲の中という見解でしたが、真実は周知の通りです。
7、8年くらい前に報道番組の特集でやってたんですが、内容は、「乗馬」になる馬が食肉用になっているというものでした。
種牡馬や繁殖牝馬は行き先がある程度はっきりしてるので足取りも追えますが、乗馬は、業者が引き取ればその後はJRAも関知していないようです。
「食肉用」と発表するのは余りにも生々しいのですべて「乗馬」として扱われてるのでしょうね。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa48167.html
9 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2010/08/17(火) 23:42:46 ID:Jiw3sY6H
JRA、NARの記事では絶対に馬肉、食肉なんて言葉は出てこないよな。
全て乗馬
164 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/07/06(日) 10:01:56 ID:7Of4xzH0
農耕馬や乗馬になったから一安心してるやつって阿呆だな。屠殺へのワンクッションに過ぎないのに。
166 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[sage]:2008/07/15(火) 12:00:01 ID:CNHwtj6z
>>164
サラブレッドを農耕馬とか嘘臭すぎだよなw
http://www.unkar.org/read/hobby11.2ch.net/uma/1199723917
89 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/09(水) 19:28:12 ID:WgKiK6Gt0
乗馬になっても死ぬまで乗馬じゃないことは分かっているよね?
乗用馬になっても大半は途中で必要なくなるので殺されるよ
最後まで生きれるのは1%未満 それ以外は人の都合により殺されてしまう
104 :もう我慢できないです:2006/11/17(金) 09:21:36 ID:B9Rc0m5R0
競走馬のほとんどが食肉になります。
引退後、一部の馬以外が乗馬となります。
乗馬と言うのは、暗黙の了解で食肉行きと言う事です。
だから厩舎関係者は行き先は聞きません。
年間一万頭近く生まれるのに、種馬や肌馬になれるのはその世代で極一部です。
単純に毎年何千頭もの馬がだぶつく計算になります。
所詮競走馬は経済動物です。
飼育するだけでも、多額の費用がかかるし、毎年引退していく莫大な数の馬を、引退後に余生を暮らさせる程の施設も日本にはありえません。
http://mimizun.com/log/2ch/news/news20.2ch.net/news/kako/1163/11636/1163664400.dat
サラブレッドの9割が殺処分され食肉になる現実。
安楽死ではない(食用だから薬は打てない)。
四つ足をしばり眉間に杭を打ち動けないようにして
電気ショック → 馬用ミキサー。
悶絶死。
馬は賢いのでどれだけの恐怖を味わうのか。
それでも毎年15000頭乱繁殖
http://twitter.com/JOY_SEVEN/status/14528052101
馬の屠殺現場
http://www.youtube.com/watch?v=88w1EsqBXJs&feature=related
http://saisyoku.com/vtr_horse.htm
恐ろしい最後の数分間
PETAの調査員は、日本最大の馬の屠殺場である熊本食肉センター内部でビデオを撮影した。
サラブレッドは屠殺の直前に水をかけられ、屠殺室にいれられる。
作業者は金属棒で足を殴って、馬を屠殺の位置につかせる。
恐怖で混乱した馬はパニックになり、端綱を抜けて逃げようとするが、すぐに捕まり、数分後にボルトショット(電気銃?)を頭に打ち込まれて殺される。
http://ikeda45.air-nifty.com/blog/2009/12/post-9ab5.html
45 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[]:2008/02/12(火) 23:42:18 ID:xodS7zLc
馬は屠殺馬に送られてもおとなしく最後の時を待っているらしい。
これから起こることを理解していないのか、さもなくば悟りきっているのか・・・
彼らにとっては怖い思い辛い思いをするよりもひと思いにやってもらったほうがどれだけ幸せか・・・
天寿を全うするとか、死後に埋葬して供養してもらうとかいうのは人間の感覚
サラブレッドに生まれてきた以上、精一杯生き、苦しまずに死ぬのが最高の生涯だと思う。
105 :JRA:2008/01/09(水) 20:16:19 ID:aX62JzOLO
トラックの観音が開いた時に泣く馬がかなりいますね。
涙浮かべるのもいます。
わかるんでしょうね。
131 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/09(水) 20:42:44 ID:iajXquqlO
馬の屠殺見たことあるけど
なんか、どの馬もソワソワしたり、物凄く怯えたりしてたな
屠殺される瞬間に ものすごい嘶きをしたりする馬を見てなんか、残酷だなって思った。。
でもよく考えると俺も肉を平気で食う 偽善者なんだよな〜牛肉なんか食う分際で馬がかわいそうなんて思う 俺もどうかしてるよなって思った
329 :名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]:2008/01/12(土) 14:53:39 ID:BYnkpE0P0
普通の人はトサツ場なんて行かないから知らんだろうが、軽く行って見とかなきゃなんて考えない方が良い。
トラウマとかそんなんじゃなくね。色んな意味でキツイぜ?
見たほうがいいと言えば良いか。
上空に舞うカラス、凄まじい死臭。
悲しみか恐怖の嘶き。
直ぐに目に入るのはクレーンに吊るされ綺麗に皮を剥がれたピンクの肉塊。
バラされたサラブレッドは薄い肉が骨に付いてるだけ。
不思議と血はあまりなかった。
解体されコンテナにブチ込まれる肉と骨の山。
さらに何処かに輸送され加工されるんだろう。
もう既に元の形のないそれには感情も起こらなかった。
それよりも異臭。強烈な異臭だった。
あの光景と臭いは一生忘れられない。忘れられるわけがない。
当然、馬の死体を運んだ以上、殺してるわけなんだが。
安楽死は優しいね。
だんだんゆっくり死ぬ。トサツ場には送れないが。
牧場で働いてる兄ちゃんや姉ちゃんにだって、んなことやってるの知らない奴は一杯。 http://www.unkar.org/read/mamono.2ch.net/keiba/1199837635/1264821453/
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1. 誰も傷つかない"陰のシステム"とは?
ケンタッキーダービー馬を屠殺 _ 米を激怒させた日本生産界の常識
一流の成績を残したサラブレッドが、引退後に種牡馬としても成功するか予測することは難しい。
今や種牡馬事業を独占している社台ファームでさえ、ノーザンテースト以前は失敗を重ねつづけたのは有名な話だ。
馬を探し、高額な代金を払い、シンジケートを組織し、種牡馬を繋養するのは、競馬そのものより遥かにギャンブル性が高い。
それでも、日本の生産者たちがこぞって海外から種牡馬を輸入しつづけるのは、一発当てたときの莫大な利益のせいだ。
サンデーサイレンス、ブライアンズタイムといったトップサイヤーを手にすることは、GTを何勝もする馬を持つより何十倍の旨味があるのだ。
94年に来日したファーディナンドも、そうした期待がかけられた一頭だった。
ファーディナンドは86年のケンタッキーダービーを圧勝、87年にはBCクラシックを制して年度代表馬にも選出されている。
フロリダダービー馬のブルインザヘザーを出したことなどが評価され95年に輸入された。
しかし、日本で目立った産駒を出すことはできなかった。
中央では66頭が出走したが、勝ち馬は11頭。
合計の勝利数は12勝というから、走っても未勝利を脱出するのがやっとの惨憺たる成績だったようだ。
ファーディナンドに再び注目が注がれたのは今年の7月。
全米に「ファーディナンドが日本で食肉処分された」とのニュースが大きく報じられたからだ。
事実、ファーディナンドは去年9月に種牡馬登録を抹消され、行方不明になっていた。
もちろん、500キロもあるサラブレッドが蒸発するはずもなく、牧場から直接ではないにしろ、恣意的に繋養先を転々とさせられた後、名前も消されて屠殺場へと送られるのは珍しいことではない。
むしろ、そうすることで誰も傷つくことなく、不要になったサラブレッドを処分する確固としたシステムが構築されているのだ。
ファーディナンドもこの"陰のシステム"のベルトコンベアーに乗せられたにすぎない。
"陰のシステム"を白日の元に晒すことなど、JRAも競馬マスコミもできるはずがない。
http://homepage3.nifty.com/baji/cl/cl030818.htm
ダービー馬ファーディナンドの死 最後は屠殺場か?(アメリカ)
(ブラッドホース誌 編集長 レイ・ポーリック)
ダービー馬ファーディナンド(Ferdinand)は死亡していた。
1986年のケンタッキーダービーに勝った後、1987年のブリダーズカップ・クラシックで、1987年ダービー馬アリシーバ(Alysheba)を降して優勝し、1987年の年度代表馬に輝いた名馬である。
最近、ブラッドホース誌(The Blood-Horse)は、ニジンスキーU産駒の大柄な栗毛馬が2002年中に死亡していたことを知った。
しかも、同馬が最後を迎えた場所は、日本のどこかの屠殺場であった。
ファーディナンドの日本における種牡馬成績は芳しくなかった。
詳細は、ブラッドホース誌7月26日号のバーバラ・バイア記者の独占記事に譲るが、そもそもバイア記者がファーディナンドの消息を突き止めようとしたきっかけは、ファーディナンドの生産者であり馬主でもあったハワード・ケック家の家族が、同馬を最初の供用地である米国に戻そうとして居場所を捜していることを知ったからである。
ファーディナンドは、29戦8勝、収得賞金は3,777,978ドル(約4億5,300万円)で史上第5位になった時点で引退した。
同馬は、チャーリー・ウィッティンガム調教師に初めてのダービー制覇を、ビル・シューメーカー騎手には騎手生活最後のダービー制覇をもたらした。
ファーディナンドは、競走馬引退後、出生地のケンタッキー州パリスのクレイボーンファームで種牡馬入りした。
最初の種付料は3万ドル(約360万円)だったが、産駒数も少なく活躍馬も殆んど出なかった。
ファーディナンドは、日本の生産者がアメリカやヨーロッパの種牡馬の買い付けに積極的になっていた1994年の秋、日本のジェイエス社に売却され、その後1995年から2000年までの6年間、北海道のアロースタッドで供用された。
ファーディナンドは初めのうち人気があった(初年度は牝馬77頭に種付)が、その後、年々先細りとなりアロースタッドでの最終年度にはわずか10頭しか種付しない状況になったため、オーナーは同馬を見限ることに決めた。
アロースタッドは、最初、ファーディナンドを乗馬クラブに委ねようと方々に当たったが、その努力は実らなかった。
結局、同馬は門別の馬商ワタナベ・ヨシカズ氏に引き取られ、2001年2月にアロースタッドを去った。
この間、ファーディナンドについて、アメリカのハワード・ケック家やクレイボーンファームに連絡しようとする試みはまったくなされなかった。
ファーディナンドの行方を尋ね回った末、ワタナベ氏にたどりついたバイア記者に対し、ワタナベ氏は最初、「ファーディナンドは友人にプレゼントしました」と語った。
バイア記者が更に詳しい情報を求めると、ワタナベ氏は、「ファーディナンドは去勢されて遠くの乗馬クラブに行きました」と語った。しかし、これは事実に反していた。
記録によれば、ファーディナンドは2001年に6頭、2002年に2頭、種付している。
この両年中は、新冠のゴシマ牧場で供用されていた。
ファーディナンドがゴシマ牧場にいたことは、アロースタッドで同馬の世話をしていたスタッフが目撃している。
最後に、バイア記者がワタナベ氏に対し、是非、ファーディナンドに会いたいというと、ワタナベ氏の話は次のように変わった。
「実は、ファーディナンドはもうどこにもいません。ファーディナンドは昨年遅くに処分されました。」
「ファーディナンドがたどった道は、日本に輸入された後、期待どおりの成績を上げられくなった場合に、殆んど全ての種牡馬がたどる道と同じです。
競馬の人気が高く、世界最高の賞金と天文学的な売上のあるこの国では、ファーディナンドの運命は決して例外ではなく、むしろ原則なのです。」
「これは本当に忌まわしいことです」とファーディナンドのニュースを聞いたクレイボーンファームのハンコック家の一員、デル・ハンコック氏は語った。
「悲しいことです。しかし、我々にできることは、米国内でサラブレッドの屠殺を止めさせようとしているジョン・ハッチンガーの活動を支援することだけであり、それは日本に何の影響も与えないでしょう。
……ダービー馬がこんな目に遭うことなど、考えるだに恐ろしいことです。」
バイア記者がファーディナンドの結末を知ろうとする過程で出会った人々の中にカイバザワ・トシハル氏がいた。
カイバザワ氏は、ファーディナンドがアロースタッドにいた時、厩務員として働いていた。
彼は、このかつてのチャンピオン馬を評して次のように語った。
「ファーディナンドは非常にやさしい馬でした。牧草地で私が呼ぶと必ず寄ってきました。
だれでも端綱をつけただけでこの馬を引くことができたはずです。
……ファーディナンドは、いつもすり寄ってきては頭を私に押しつけました。
あんなかわいい馬はめったにいませんでした。」
「私はファーディナンドに対する仕打ちに怒っています」
とカイバザワ氏はいい、「それは冷酷です。あまりにもかわいそうです」と付け加えた。
〔Boodhorse Com. July 21 by Ray Paulick「Death of a Derby Winner: Slaughterhouse Likely Fate for Ferdinand」〕
ブラッドホース誌 編集長 レイ・ポーリック
映画『シービスケット(Seabiscuit)』で、トム・スミス調教師が「どんな馬でも何かの役に立つ」と言っているが、私は、それがドッグフードになることを意味しているとは思わない。
しかし、そのような事態が、日本において、1987年の年度代表馬ファーディナンドの身に、種牡馬として見切りをつけられた時に起こったようだ。
ノーザンダンサーの孫で、1986年のケンタッキーダービー(G1)優勝馬ファーディナンドを、クレイボーンファームで生まれた時から見ているデル・ハンコックは、このニュースに率直な反応を見せた。
怒りを込めた声で「それは忌まわしいことです」と言った。
このことを聞いた時、真っ先に思い浮かぶ言葉は、「むかむかする」、「かなしい」という二つの言葉であり、率直に言って、ファーディナンドが役割の終った他の馬と一緒に屠殺場行きのトレーラーに乗せられたと言う事を聞いただけで気分が悪くなる。
ファーディナンドは、米国で種牡馬として失敗し、期待されて日本に行ったが、日本でも種牡馬として失敗した。新しいオーナーは、ファーディナンドを商品のように扱った。
ファーディナンドは名血の一頭である。有名な英国のチャンピオン馬ニジンスキーIIの産駒であり、チャーリー・ウィッティンガム調教師の最初のケンタッキーダービー勝馬である。
また、ビル・シューメーカー騎手の最後のダービー勝馬である。その時のレースでは、レース前半でトラブルがあり、だめかと思われたが、最後の直線で埒沿いの開いたところを抜け出し観客をうならせた。
シューメーカーは、ハリウッドパークで行われた1987年のブリダーズカップ・クラシック(G1)では、最後の直線でファーディナンドに狂ったようなすごい足を使わせ、アリシーバをかわして素晴らしい勝ち方をした。
レースのリプレイを見ると、結果は疑いも無く正に鼻差であった。次の年はアリシーバがファーディナンドに2度勝ち、そしてブリーダーズカップ・クラッシックを勝ち、1988年の年度代表馬になった。
ファーディナンドは、屠殺場で生涯を終えた最初のケンタッキーダービー馬であり年度代表馬であろう。おそらく何かの変化が起こらない限り、彼が最後とはならないだろう。
米国での種牡馬成績が振るわず、海外に行った馬は何頭かいる。
ニック・ジトー調教師の妻であるキム・ジトーは、1991年のダービー馬ストライクザゴールド(Strike the Gold)がディナーの皿に乗りそうだと言われた後、トルコからつれ戻そうと努力している。
傑出した競走馬であり種牡馬であったエクセラー(Exceller)もヨーロッパで何年か前に同様な目にあった。
しかし、我々がかつて愛した馬を処分する場合に、どのようにすべきかを日本人や他の人々に言うのは我々の役割ではなかろうか。
ガラスの家に住んでいる人達は、あえて石を投げないのではないだろうか。
屠殺はアメリカでも合法的である。そして、ファーディナンドが悪者の手に落ちなかったら、屠殺場で命を終えなかったという保証はなにもないのである。
アメリカ人が別の社会の文化や法律を変えることができないことを知っているので、デル・ハンコックは、ファーディナンドの苦境について無力覚を感じている。
彼女は、「今、この国でサラブレッドの屠殺をやめようというジョン・ヘッティンガーの努力を支えること以外には何もできません」と言っている。
〔Boodhorse Com. July 24 Opinions by Ray Paulick「Not in Vain」〕
私の主張 : ブラッドホース誌 主任編集員 ダン・リーブマン
ビジネス上の判断(Business Decision)
米国で活躍した競走馬を種牡馬として外国に輸出する場合、そこにはいつも危険が待ち受けている。
そんな危険があるのに、「なぜフォーティナイナー(Forty Niner)やストライクザゴールド( Strike the Gold)のような馬を、日本やトルコへ種牡馬として売ったのか」と誰もが聞く。
馬を愛する人々、とりわけ生産や競馬との関わりの少ない人々からの抗議に接する度に、私は「競馬のもつ経済的な側面」を否応なく思い起こす。
「競馬がビジネスである」ことを理解できない人もいれば、あえてそれを理解しようとしない人もいる。
サラブレッドの生産者に馬を愛していない人は一人もいないことを、そのような人々に理解して欲しい。また、生産者は自分のビジネスを遂行しなければならない責任があることも理解して欲しい。
ある生産者が種牡馬を買いたいという申し出を受けた時、その売却先がメリーランド州であるか、マレーシアであるかは、生産者にとって特に重要なことではない。
一歳馬をセリ市場で売却する際、入札者がサラトガで出走させるのか、シンガポールで出走させるのかは、特に重要でないことと同様である。
しかし、ケンタッキーダービー馬であるファーディナンドの悲運の結末を聞いて、私は、それは重要なことではないかと思うようになった。
文化的な背景の違い、また、国土が狭いという要素も付け加えられるかもしれないが、日本ではごく一部の種牡馬だけが幸せな余生を送ることができるようだ。
それ以外は、種牡馬としての役割を終えると処分される。
ファーディナンドの米国での所有者は日本人に売却することを決めた。
その何年も後に、同馬を処分することが決められた。
いずれの決定も「ビジネス上の判断」であった。
引退した種牡馬に幸福な余生を送らせるには大きな経費がかかる。
米国ではケンタッキーダービー馬は尊敬に値するだろうが、それに比べて、日本における尊敬の度合いは小さい。
まず、怒る前に次のことを考えて欲しい。
もし、日本のダービー馬が米国で種牡馬となっていたら、その経歴は特別なものとして扱われるだろうか。
一方、米国では種牡馬に安楽な余生を送らせることが一般的に行われている。
もし、ファーディナンドが日本に売られずに米国で種牡馬となっていれば、種牡馬として成功しなくても、その余生を牧場で優雅に過ごせたことだろう。
だが、現実には、彼は屠殺されてその生涯を閉じた。
競走馬を日本に売る馬主や生産者は、自分の売却する競走馬の待っている運命を知らないのか、それとも知りたいと思わないのかのいずれかであるが、現実は前者であろう。
ここに一つの解決策がある。それは一つの短い文章で済むことである。
競走馬の売買契約書に、誰でも挿入できる数カ条を盛り込むだけでいい。私自身は法律家ではないが、ここに一つの例文を示すことができる。
「もし、購買者(乙)がこの馬(馬名:ファーディナンド、父:ニジンスキーU、母:バンジャルカ、母の父:ダブルジェイ、1983生まれ、ジョッキークラブ登録番号:83015829)を第三者に売却しようとする場合には、売主(甲)は最初にその申し出を受ける権利をもつ。その際、売主(甲)は米国への輸送費その他の諸経費全てを負担する。」
この条文だけで十分である。
勿論、法律家であれば誰でもこの条文を3〜4ページの正式な条文に書き換えることができる。それで差し支えない。
ケンタッキーダービー馬ほど愛されている馬はいない。また、このレースは米国で最も重要な競走である。
しかし、ここでは、ケンタッキーダービーの勝馬であるとか、偉大な種牡馬であるとかは重要ではない。最も重要なのは、いずれの馬も種牡馬として成功しなかったことを理由に処分されないということである。
ここでの私の結論は、もし元の馬主が望むのであれば、自分の愛する馬を買い戻す権利を与えるべきというものである。
アーサー・ハンコック氏とスターチ・ハンコック氏は、ガトーデルソル(Gato Del Sol)を自分の牧場へ買い戻した。ファーディナンドに関しては、元の所有者であるケック家の人々に彼を救いたいと考えるかどうかが尋ねられなかったことが残念である。
実際に、ケック家の1人がファーディナンドを戻そうと思ったが、それは不幸にも少し遅すぎた。
契約書上での簡単な一文があれば、彼の希望をかなえることができた。
ファーディナンドは、クレイボーンファームで幸福な死を迎えられただろうし、もし病気になれば安楽死という方法もあったかも知れない。
少なくとも、それは種牡馬としての価値がなくなった時ではなかったはずである。
米国の馬主も生産者も今後とも競走馬を外国に売却していかなくてはならない。
その際、重要なことは、必要な時、その馬を救済できるようにするため、事前の約束事をきちんとしておくことである。
http://www.jair.jrao.ne.jp/japan/newsprot/2003/body/0729.html
Animal Times 2009年秋号の記事より
カリスマティック号とウォー・エンブレム号がケンタッキー・ダービーで優勝したのはちょうど2,3年前のことだが、かつてあれほど愛された馬たちは今、遠く離れた日本にいる。
PETAの最新の覆面調査によると、彼らはいつペットフードにされてもおかしくない状況にある。
缶詰の中の「余生」
競馬業界で一生懸命に走ってくれた多くの馬には、屠殺場送りという恐ろしいご褒美が待っている。
長年の人間による使役や虐待の末、ほとんどの競走馬は、売却要求競馬(レース後に売却される)で安く売り飛ばされることになる。
馬主は、馬が金を稼げなくなると、商品のように馬を売買するのである。
馬たちは、「ミートマン」によって直接競馬場から回収される。
その数字はショッキングなものだ。
毎年、10万頭のアメリカの馬がぎゅうぎゅうづめのトラックでメキシコやカナダの屠殺場に輸送されるが、そのうちの12,000頭がサラブレッドの競走馬であった。
その他の馬は、競馬や繁殖用に出荷されるが、彼らも最終的にはドッグフードにされる。
「勝ち馬」でさえ負ける
人気馬だって身の安全は保証されない。
1986年のケンタッキー・ダービーの勝者、ファーディナンド(Ferdinand)は、日本の繁殖業者に売られた後、2002年に屠殺された。
覆面調査中、PETAは、ほかにも2頭のケンタッキー・ダービーの勝者、カリスマティックとウォー・エンブレムが現在、日本の繁殖場にいることを突き止めた。
2頭とも、ファーディナンドが屠殺された2002年に日本に送られている。
2頭の繁殖はあまりうまくいっていない。
種馬としての価値がなくなりつつあるので、まもなくファーディナンドと同じ運命をたどるかもしれない。
日本への切符は片道だけ
ファーディナンドの屠殺後、毎年2000頭以上のアメリカの競走馬が日本に送られている。
その多くはあまり有名ではない馬たちだ。
ほとんどは牝馬で、種雌馬となる。
繁殖用に使えなくなった後、アメリカに送り返されるのはいるかいないかである。
日本の競走馬の90%は引退後、屠殺場送りになる。
去年日本で殺された馬は全種合わせて2万頭で、その目的の大半はペットフード用か食肉用である。
大量繁殖が生み出す悲惨さ
日本に数多くある繁殖場の1つ、社台スタリオンステーションでは、毎年、33頭の種馬たちが4800頭の雌馬を受胎させており、北米では年間5万頭以上のサラブレッドを生産している。
日本とアメリカの繁殖業界のせいで、馬の数が過剰に膨れ上がり、不要になった「余剰」競走馬が屠殺場送りになるという状況に直接つながっている。
増えすぎた犬猫の数をストップさせる最良の解決策が去勢プログラムであるように、屠殺場送りになる馬の数を減らすには、繁殖を緊急に規制する必要がある。
馬に希望はあるか?
アメリカの競馬業界は深刻な低迷状態にある。
去年、エイト・ベルズがケンタッキー・ダービーで死んだことで、一般市民の怒りが高まった結果、議会聴聞会が開かれ、福祉改革が急速に進むこととなった。
競馬の観客は大幅に減り、レース日をキャンセルしたり、完全に閉鎖されたりした競馬場も多い。
しかし、日本では他のどの国よりも、より多くの賭け金が競馬に投じられている。
アメリカのサラブレッドの輸出が日本の競馬会に火を注いでいる。
これをやめさせるには、あなたの助けが必要だ。
あなたにできること〜日本への馬の輸出をストップさせよう
・National Thoroughbred Racing Association(NTRA) に投稿して、日本への馬の輸出をすぐにやめるように働きかけ、競走馬の大量生産をストップさせるための規制を設けるように依頼しよう。
・競馬の観戦をやめることで、競馬業界をささえるのをやめよう。
・この記事を他の人にも紹介して、馬の置かれている状況を広く知らせる。
http://ikeda45.air-nifty.com/blog/2009/12/post-9ab5.html
輸入種牡馬の老後
海外では功労馬、名馬と呼ばれるような実績を持つ馬が日本に種牡馬として買われてくるようになって久しい。
だが、彼らの将来の保障は全くないのである。
今有るJRAの制度では日本で走ったことの無い仔は蚊帳の外である。
種牡馬として見切りをつけられた場合や歳を取って仕事が出来なくなった場合は用途変更と言う名目で肉にされる。
彼らは海外での栄光を背に日本に肉になりに来たようなものである。
JRAには幸いなことに彼らの栄光は海外でのことなので彼らの殆どは日本の競馬ファンには馴染みが薄い為、愛着が希薄である。
例えば、日本の名馬と言われる仔達が外国に種牡馬として売られていきもう要らないからと肉にされてしまったら皆さんはどんな気がするだろう。
かのナリタブライアンのような盛大な追悼式をしてもらえる程の人気のある馬がである。
それこそ、その国民に向かって「野蛮人」と抗議の声を上げるのではないだろうか。
日本の種牡馬とて安泰ではない。JRAの制度に該当する馬は別だが、それ以外は同じ様な運命である。
もし誰か引き取り手が有った場合でも預託先の確保が難しい。
殆どの養老牧場は牡馬お断りなのである。
セン馬か牝馬のみしか受け入れてくれない。
これは牡馬は気性の面で荒いので世話が大変なのと他の馬を傷つけたりすることを配慮したことらしい。
しかし、種牡馬を高齢により引退した馬には去勢は手後れとなってしまう。
若い頃は人々の人気を背負って頑張って走り、引退後は種牡馬として人間を儲けさす為に次々と種付けに励み、歳を取って気がつけば行き場がなくなっているのである.
今迄、人間に丁重に扱われ彼らとしても鼻高々で生きてきたはずである。
それが手のひらを返したように廃用の烙印を押され家さえ失うとは余りにも哀れである。
http://tokyo.cool.ne.jp/lucca/kyousouba-1.html
________________
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2. 例えGl馬に成れても…
日本の競馬界においては、例えGl馬であっても幸福な死を迎えているわけではない。
種牡馬失格の烙印を押された後、観光用の馬車を引く使役馬として酷使され、熱射病で死んだとされる皐月賞馬ハードバージ、
やはり種牡馬として失敗し、その行方を知る者もないまま消えていった宝塚記念馬オサイチジョージのような例も、容易に見出すことができる。
http://www.retsuden.com/vol72-11a.html
1) ハマノパレード
http://www.youtube.com/watch?v=t0dd0MPo4Gk
http://www.youtube.com/watch?v=e-V3HLYIF28&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=algdBFgduk8&feature=related
ハマノパレードは1973年の宝塚記念を制したが、その次走高松宮杯で骨折・予後不良となり、翌日屠殺されるという最期が物議を醸した。
宝塚記念に出走。得意の中距離戦ながら4番人気という評価だったが、スタートからハイペースで後続を引き離し、最後の直線では2番手につけたタイテエムに一瞬馬体を併せられるが、先頭で粘り切り、芝2200メートル2分12秒7の日本レコードタイムで優勝した。
続いてハマノパレードは高松宮杯に進んだ。
このレースでも1番人気の天皇賞馬・ベルワイドを相手に、宝塚記念と同様のレース運びで先頭を進んでいた。
しかし最後の直線に入り、2番手のタケデンバードを突き放し逃げ切り勝利を収めるかと思われた瞬間、ハマノパレードは前のめりに転倒した。
前脚を骨折しており、馬運車に収容されたその場で予後不良の診断が下る致命傷であった。
現在であれば予後不良の診断が下された馬は、薬物投与による安楽死の処置を執られることが原則となっているが、ハマノパレードにそうした対応は行われず、痛みでもがき苦しむ状態のまま食肉業者に売却され、翌朝になって屠殺された。
その馬肉が中京競馬場に近い名古屋地区の食肉市場に
「さくら肉『本日絞め』400キログラム」
という品目で売りに出されていたことが食肉業者の間で噂として拡がり、やがてこの事実がスポーツニッポンで記事として取り上げられ、大きな反響を呼んだ。
その後、時代の変遷に伴う動物愛護意識の浸透と共に、重度の故障を発症した競走馬については屠殺が原則的に行われなくなり、予後不良の診断が下ってその後の必要な諸手続きが完了次第、即刻薬殺されるシステムが整備されていった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89
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2) ハードバージ
この年の四歳クラシック戦線は最強との評価を得ていたマルゼンスキーが持ち込み馬であるためにクラシックには出走権がなく、前哨戦の勝ち馬がコロコロと変わる混戦状態を呈していた。
ハードバージは8番人気と低評価であった。
しかしテン乗り福永洋一騎手の天才的感覚で忍者のように直線のインを強襲、逃げるラッキールーラを捉えて優勝した。
福永騎手はその後落馬事故により騎手生命を絶たれるのだが、この皐月賞での騎乗は彼の最高の騎乗の一つに数えられている。
「(スピードが)速くて(仕上がりが)早い馬が勝つ」と言われる皐月賞にあって、未勝利脱出に7戦を要したのも珍しく、また毎日杯の勝ち馬が皐月賞に勝つのは史上初めてであり、その後も1999年のテイエムオペラオーまで待たねばならなかった。
ダービーでは福永騎手が先約があったために、武邦彦騎手に乗り替り1番人気に支持された。
武騎手は巧みにハードバージを操り直線中ばで先頭に立った。
しかしながら二冠達成かと思わせた瞬間に失速しラッキールーラーにアタマ差差され雪辱された。
その後、屈腱炎が発症し復帰が試みられたが、結局ダービーから2年後に引退した。
シンジケートが組まれ、1981年門別スタリオンセンターにて種牡馬生活に入ったハードバージは初年度48頭の種付けをこなす順調なスタート。
しかし期待していた程産駒は走らず、1986年シンジケートは解散し、種牡馬を引退。家畜業者に買い取られ、乗馬に用途変更された。
その後石狩乗馬クラブに引き取られ去勢された。
競走馬というのは闘争心が表に出てしまいやすく、乗馬としては扱いにくいといわれている。
だから引退後の競走馬が乗馬として余生を全うできる例は少ない。
こうしたそれなりに名の通った馬を預かるのは牧場なり乗馬クラブなりの善意の発露といえるものだろう。
しかし経済的な限界というのがある。仕方なく福井市に本社がある貿易九谷園に売却された。
ここでの生活は過酷を極めた。
観光用の馬車の曳き馬として、またある時は装身具込みで90キロもの人間を乗せてのアトラクションに出演と、およそ栄光の皐月賞馬の扱いではなかった。
やがて心身ともに疲れ果てたハードバージは同園乗馬クラブの牧場で他界した。
栄光の皐月賞から10年目、1987年7月のことで、死因は日射病だという。
現在は旧八大競走及びジャパンカップの優勝馬は、繁殖や乗馬に従事しない場合、ファンに展示できる施設に繋養されていることを条件に、JRAより助成金を受け取れることになっている。
しかしハードバージの頃は制度はなかったので、過酷な運命を受け入れざるを得なかった。http://umayado.hp.infoseek.co.jp/uma/hard_berge.htm
流転の皐月賞馬皐月賞が近づくと思い出す新聞記事があります。
もう18年も前、昭和63年の菊花賞の行われる週の水曜日、11月2日付けの記事で、書き出しはこうです。
菊花賞で伏兵視されているセンシューオウカンには悲しき裏話が秘められている。
そして、センシューオウカンの父親である皐月賞馬ハードバージについて、こう続きます。
種牡馬失格のラク印を押されて流転の余生を送ったあげくに、昨夏福井県の牧場で死亡していたことが1日になって判明した。
本当に運命とは皮肉なもの。初めて中央のGTで走る産駒が出てきたというのに…。
ハードバージがデビューしたのは昭和51年の7月。
年内6走するも勝てず、初勝利は翌昭和52年の1月でした。
続く300万下の特別レースも5着に終わり、まったくの凡馬と思われていましたが、なんと10番人気で毎日杯を勝って皐月賞に出走。
内田騎手から天才・福永洋一騎手に乗り替わったものの、評価は低く8番人気でしたが、レースでは疾風のような追い込みを見せ、見事に牡馬三冠レースの一冠目を制したのでした。
続くダービーでは、福永騎手から職人・武邦彦騎手に乗り替わり、皐月賞2着のラッキールーラのアタマ差2着。
皐月賞がフロックでないことを証明しましたが、脚元の不安からそのまま引退し、北海道の門別スタリオンステーションで種牡馬生活に入ったのです。
しかし、最初の3年は43頭、48頭、37頭と交配相手に恵まれたものの、活躍する産駒が出なかったため評価は急激にダウン。
センシューオウカンの年には10頭足らずしか種付け相手もいなくなり、やがて見切りをつけられて乗用馬として石狩の乗馬クラブに譲渡されたのでした。
ライバルだったダービー馬ラッキールーラも、種牡馬として韓国に輸出されたあと行方が知れないと聞きます。
活躍した馬の余生にも注目が集まる今と違い、当時はGT馬ですらこの程度の扱い。
去勢手術を施されたハードバージのほうは、乗用馬としての適正も欠いていたようで、わずか3ヶ月で、またしても他人の手に渡ります。
次の所有者は福井県で観光業などを手がける会社。その乗馬センターに落ち着くことになりますが、この頃になるとハードバージが皐月賞馬であることは、すっかり忘れられていたようです。
しばらくして「世界古城博覧会」という滋賀県で行われたイベントに参加。
ジャッキー・べノンというフランス人が主催した中世の騎馬戦をあしらったホースショーに、8頭のうちの1頭として貸し出されたのです。
鎧を含めると90キロ近い人間を乗せてのアトラクション。13歳になっていたハードバージには、地獄のような3週間だったかも知れません。
イベントが終わり福井県に戻ったあと、急激に衰え、次第にカイ食いも細くなります。
やがて日射病にかかって、昭和62年7月、皐月賞馬ハードバージは静かに息を引き取ったのでした。
のちに『優駿の門』という漫画でも描かれたりして、競馬ファンの中には知っている人も多い話ですが、このハードバージの流転の物語を最初に紹介したのがサンケイスポーツの記事だったのです。
読み終えたときの衝撃と、行間に溢れる馬への愛情は忘れられません。
「腰の強かった馬でしたね。
まあ救いなのは、大往生だったこと。ホントに眠るようでした。
でも実は私は、死ぬ間際まで名馬だということを知りませんでした」。
最後に世話をしていた小林さんというお年寄りはポツリと語ってくれた。
http://blog.zaq.ne.jp/DeepImpact/article/58/
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3) サンエイサンキュー _ 岩崎喜好は人間の屑
1992年 第17回エリザベス女王杯
http://www.youtube.com/watch?v=Lol6LmNYh4I
1992年有馬記念
http://www.youtube.com/watch?v=YJnw9zJ_tf4
メジロパーマー+レガシーワールドの大荒れワンツーで競馬場がどよめいた中、ゴールまでたどり着けず止まってしまった1頭の牝馬。
1992年の有馬記念を見ると、ものすごく心が痛みます・・・。
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平成元年,北海道・襟裳の地に,血統はマイナーで体つきは小さいけれど,出走するレースはどんなレースでも一生懸命,ひたむきに走る芦毛の牝馬が誕生しました。
彼女は三栄牧場とお父さんのダイナサンキューから,サンエイサンキューと命名されました。
その時彼女は,これから過酷な試練が待ち受けていることなど,知る由もなかった事でしょう……
後に,サンエイサンキューの代名詞ともなってしまった「過酷・過密なローテーション」という言葉。
その異様な出走過程は,デビュー戦からすでに始まっていました。
前述したとおり血統もマイナーで体つきも細く,デビュー前はほとんど注目されていませんでした。
しかし後に“根性娘”と形容されたように生まれ持った類い希な勝負根性で,平成3年7月13日,札幌でのデビュー戦を4番人気ながら2着に食い込むと,折り返しの新馬戦を連闘で挑み,見事に勝ち上がります。
ここまでなら良く聞くのですが,なんとサンエイサンキューはさらに3連闘でGV・札幌3歳ステークスに登録されたのです。
連闘とは,レースに出た翌週,つまり1週の休みもなくまたレースに出走する事で,競走馬にかかる負担があまりにも大きい為,2連闘ですら現在ではほとんど見なくなったのですが,サンエイサンキューはデビューからいきなり3連闘という過酷な日程を強いられたのです。
レースは大惨敗の13着。
デビューからの3連闘で,しかも初めての重賞挑戦。勝ち負けになろうはずがない事は,誰の目にも明らかでした。
その後も連闘とはいかないまでも約1ヶ月に1回づつ,コンスタントにレースに出続け,6戦2勝でGT・阪神3歳牝馬ステークスを迎えます。
後の桜花賞馬・ニシノフラワーやマイルCS馬・シンコウラブリイ等,強豪馬がかなり揃っていたレースで,サンエイサンキューはあわやの2着とその才能の片鱗を見せつけたのです。
一躍クラシック候補生となったサンエイサンキュー。
普通ならここまで7戦してきた疲れを癒し,来るべき春クラシックへの戦いに備えるべく休養を入れるのが普通です。
しかしこの牝馬に休養は許されませんでした。
翌年2月のクイーンカップ(GV)に出走し,見事優勝。晴れて重賞ウイナーの仲間入りをしたのも束の間,陣営はその直後に,あろう事か皐月賞トライアル「弥生賞」に出走したのです。
「弥生賞」とは,皐月賞に向かう強豪牡馬が本番前の調整や優先出走権を得る為に集うレースで,これに牝馬が挑戦する事自体稀なのです。
しかしそんな強豪牡馬達の中に,何故か彼女の姿はありました。
このレースへの出走は誰の目にも不可解だとうつったはずです。
そんな強豪牡馬の中,いつものように一生懸命走って6着と健闘したサンエイサンキュー。
でも本番と言うべきGT・桜花賞ではその疲れからか精彩を欠き7着。
ところがそれから1ヶ月以上空いたオークスで彼女はまた輝きます。
オークス東京競馬場最後の直線,桜花賞馬・ニシノフラワーを振り切り,念願のGT制覇かと思われた最後の直線,外から良血馬・アドラーブルに差されくやしい2着。
まともなローテーションなら,クラシックをも制覇できる実力がある事を身をもって証明して見せたのです。
迎えた夏,激戦を終えたライバル馬達が次々と放牧に出される中,この牝馬だけはまたも休養を許されませんでした。
疲労がピークに来ているだろうこの時期,皮肉にも彼女のベストレースと言うべき走りを披露。
古馬も混じった7月の札幌記念(GV)を快勝して見せました。
その後も8月の函館記念(GV)8着,10月初旬のサファイヤステークス(GV)優勝とファンの心配をよそに,順調に勝鞍を増やしていきました。
そして3歳(旧4歳)牝馬,秋の最大目標であるエリザベス女王杯(GT)に出走する事が決定しました。
ところがなんと陣営はエリザベス女王杯前に前哨戦のローズステークスにも出走させたのです。
この時サンエイサンキューはすでに重賞を3勝し,賞金を上積みしなくても間違いなくエリ女には出走出来るにもかかわらずです。明らかに賞金目当ての出走です。
ローズステークスは結局2着。
そんなこんなでついに迎えたエリザベス女王杯。
ここで1つの事件が起こります。
きっかけはオークスから鞍上を任されていた田原騎手が記者に発した言葉でした。
「こんな使い詰めの疲れ切った状態で勝ち負けしたら坊主になる(そのくらい馬の状態が悪い)」と。
この発言にスポーツ新聞記者は飛びつき,翌日の新聞ではこのような見出しが踊りました。
「田原騎手爆弾発言!!2着に来たら坊主になる!」
それを八百長発言だと大々的に報道したのです。
これは田原騎手がサンエイサンキューの追い切り後,その疲労からあきらかに彼女が調子を落としている事に気づいた故の言葉だったのですが,この発言をサンスポのブンヤに面白おかしく書き換えられたのです。
この後,この発言はサンエイサンキューの異常な疲労を知る上でとても重要な発言だった事が分かったのですが,当時はこの八百長発言という事が話題になった為その本当に重要な内容は世間には伝わりませんでした。
馬主は怒り,田原騎手はこのレース限りで彼女を降ろされました。
結局エリザベス女王杯は5着。
最後の追い打ちとして,有馬記念出走が決まります。
それでも懸命に,彼女は走りました。第4コーナーまでは…
有馬記念,中山競馬場最後の直線で,ついに,ついに彼女の脚はその尋常ならざる酷使に耐えかねて,はかなく砕け散ってしまったのです。
メジロパーマーが逃げ切り勝ちを収め,勝利に酔いしれていたその傍らで,折れた脚を痛々しく引きずり,そのまま馬運車に乗せられる彼女の姿は,あまりにも悲しく,あまりにも切なく,未だ鮮明に記憶しています。
こんな使い方をしていれば,いつかこういう状況になる事ぐらい分かっていたはずなのに。。。
右とう側手根骨複骨折,通常なら間違いなく予後不良と診断される状態でした。
ここで陣営は手術という途方もなく険しい道のりを選択したのです。
手術回数は5回にも及び,一時はかなり良い状態まで回復した彼女,しかし…
曲がったままになっていた脚を直す6度目の手術から5日後,まるでこれまでの扱いに悲鳴を上げるかのように心臓マヒを起こした彼女は,そのまま息を引き取ったのでした。
実に1年7ヶ月にも及ぶ,長く苦しい闘病生活でした。
その死を悼むファンはことのほか多く,ファン達の出資により,彼女のお墓が建立されました。
デビューから死ぬまで闘い続けさせられ,そして散っていったサンエイサンキュー。
根性娘と呼ばれ,一生懸命,ひたむきに最期まで走り続けたサンエイサンキュー。
大勢の暖かいファンに見守られながら,彼女が今安らかである事を祈ります。
http://www.geocities.jp/phoenix_mmm/uma_meiba_saneithankyou.html
サンエイサンキュー
1989年4月7日北海道に生まれ、1994年10月21日北海道で死す
生涯成績 17戦5勝
獲得賞金 2億5895万5000円
父はダイナサンキュー、母はグロリーサクラ(母の父はシーホーク)の芦毛の牝馬。
彼女以上に頑張りやの馬を私は見たことがないからだ。
出走日 レース名 人気 着順 騎手
1991/7/13 3歳新馬 4 2 徳吉孝士
1991/7/20 3歳新馬 4 1 徳吉孝士
1991/7/28 札幌3歳(G3) 10 13 徳吉孝士
デビューから三連闘!何故、勝利の翌週にG3レースに出す必要があるのか?
1991/8/25 クローバー賞 7 7 徳吉孝士
1991/9/22 函館3歳S 12 2 東信二
1991/10/27 いちょうS 4 1 東信二
1991/12/1 阪神3歳牝馬(G1) 3 2 東信二
1992/2/2 クイーンC(G3) 1 1 東信二
1992/3/8 報知杯弥生賞(G2) 5 6 東信二
1992/4/12 桜花賞(G1) 2 7 東信二
1992/5/24 優駿牝馬(G1) 6 2 田原成貴
1992/7/5 札幌記念(G3) 4 1 田原成貴
1992/8/23 函館記念(G3) 1 8 田原成貴
1992/10/4 サファイヤS(G3) 1 1 田原成貴
この後、体調不良で、田原騎手は、ローズステークスエントリーを反対!
1992/10/25 ローズS(G2) 3 2 田原成貴
馬に負担をかけずに直線だけで2着になったことで、馬主が「まだまだ使える」と判断してしまったといわれる。
しかしこの後、サンキューは、さかんにトウ骨の痛みを訴え、田原は、サンキューの不調をところかまわずアピール。休ませろ、と。
1992/11/15 エリザベス女王杯(G1) 4 5 田原成貴
ここで休ませるはずだった。
当時は、サンキューにまたがると、トウ骨が軋む音が聞こえたほどであったにもかかわらず、最終的には有馬記念に向かうことに。
田原は我慢の限界を超え、
「こんな状態でG1に出して勝とうなんてことがあれば坊主になる。」
と宣言。馬主の怒りをかい、乗り代わりに。。。
1992/12/27 有馬記念(G1) 13 競走中止 加藤和宏
映像を見ると、直線でスタンドから響く悲鳴はサンキューの競走中止によるもの。
右トウ骨手根骨複骨折
そう、乗り運動の時に、ジョッキーや調教助手が聞いていた軋む音がしたトウ骨が砕けたのだ。
これだけで終わらなかった彼女の頑張り。
彼女は、この後、1994年10月まで、実に二年近く、生きた。
その姿を皆さんの記憶にしっかりととどめてほしい。
「あらぁ、お見舞いに来てくれたの〜。サンキュー、嬉しいよ!」
予後不良の骨折を、馬主の売名行為からギブスによる延命措置がとられた。
無邪気に笑顔を見せるサンキューの足の曲がり具合を見てほしい。
その後、故郷の牧場に戻って横たわるサンキュー。
この頃、もちろん自力では寝返りも打てないため、パートのおばさんたちが、よっこらしょー、と向きを変えてあげていたそうだ。
骨折すると、馬は、健康な足3本で負重をうけることなる。
前足二本で体重の55%以上を支えていると言われるため、前足の骨折は、とりわけ深刻だ。
仮に体重が500キロ、前足過重が60%とすると、健康な前足一本に常に300kgの過重を受けることになる。
実際には、ギブスをつけた脚でも支えることになると、両前足とも危険にさらされるのが、蹄葉炎。
これを克服する?つもりがあったかどうかは不明だが、馬主は、4度も手術を繰り返した。
最後の手術の理由は、「来シーズンから繁殖に使う」であったと私は記憶している。
「足が曲がっていると、男馬が乗れない、繁殖に支障をきたす。足をまっすぐにしたい。」
そういう記事を読んだ記憶があるし、実際に、この頃、サンキューを追って、牧場取材をしていた方は、「故郷の牧場に<サンキューグッズ販売店>を作ろうとしていた」と憤慨していた。
そのような馬主にあいそをつかしたサンキューは、度重なる手術からくる負担に耐えられなくなり、自らの心臓を破裂させることで、決別をしたのだろう。
サンキューの瞳を見て欲しい。
誰かを恨んでいる瞳だろうか?
サンキューの後ろ姿を見て欲しい。
何かをのろっているだろうか?
彼女は、最後まで人を信じ、人のために頑張り続けた。
きっと彼女の最後の言葉は、「もういいよ。終わりにしよう。」だったのだろうと思う。
私が、スピをひきとって生かそう、と思った背景には、多くの馬達の死がある。
サンキューのように、公衆に知られる死もあれば、人知れず闇に流された初代愛馬のような死もある。
彼らの屍の上に立つ、一握りのエリートの馬達が競馬界を支えている。
屍となった馬達にもっと敬意を払うべきだし、さらに言えば、今後もサンキューのようなケースがあったならば、トウ骨がきしむような馬をレースに出すべきではないし、
そういった体調不良の馬を出走させてしまう、いい加減な馬体検査を見直すべきだ。
死なずにすむ命が多数あったはずなのに、と悔しくてならない。
http://blogs.yahoo.co.jp/meiner_supremo/40130942.html
■エピソード1
『サンキューは。レースに行くとどこからでも競馬ができたし、騎手が動くと抜群の反応を見せていたから、頭が良かったのかな。
男勝りの気性で、度胸が良い馬だったし、物おじすることなんか無かったな。』
(菅野年美調教助手/星になった名馬たち:オークラ出版)
■エピソード2
『神経も太かったよ。
調教で馬場入りしたときも、悠然としてて、まるで女王様気取りで歩いてるんだ。
おかげで馬場入りしてから上がってくるまで1時間近くもかかるんだ。
普通の馬だとほんの20分ぐらいなんだけどねぇ。
1ハロン走るとあちこち眺めて、走っては止まりという感じやったね。
そのうえ、気が向かないと走ろうとしないし、そうかと思うと急にガーッと行ったり、ほんと難しかったな。
また、自分でカラダを作るようなとこもあったよ。
こっちの意図を無視して、今日はこれで終わりだと馬が自分で判断したなら、もう走ろうとしないところがあった。
そのかわり自身で納得できないようだと、もっと走ろうとさえしてたよ。』
(菅野年美調教助手/星になった名馬たち:オークラ出版)
■エピソード3
−エリザベス女王杯へ向けての調教中の彼女の状態は・・・
『調教で乗ってても、肩がおかしいし、トウ骨の部分を痛がってて、注射を打ったりしてたからね。
調子もはっきりと下り坂に向かっていた。』
(菅野年美調教助手/星になった名馬たち:オークラ出版)
■エピソード4
−オーナーが有馬記念も使うと言って、スタッフたちは・・・
『厩務員と2人で泣きながら『この馬もう終わりだぞ!』て話してたんだ。
涙出たよ。あまりにむごいことするってね。(・・・中略)
調子聞かれると『あー、もー絶好調!』とか返事して、満面に笑み浮かべてさ。
心の中では大泣きに泣いてたんだけどさ。
調教師とも、『これで終わりだな』って話してたんだ。
ケイコに乗ってもコツコツ、コツコツ、ってトウ骨のところがきしむ音してんだもん。
有馬は順位なんてもうどうでもいいから、ただ何とか無事に回ってきて欲しいとだけ願ってたよ。』
(菅野年美調教助手/星になった名馬たち:オークラ出版)
■エピソード6
飼葉を食べる時も前脚をかばって脚を浮かして食べていたこともあった。
(著者/黄金の母たち・小栗帽子:夏目書房)
■エピソード7
−闘病生活の間、夜飼い(夕食)は必ず7時。それには理由が・・・
一度だけ住吉さんが用事があり夜八時になってしまったことがあった。
するとサンキューは怒った声でけたたましく鳴いたからだ。
『待っていたんだなと思って、かわいそうで』
(三栄育成牧場 住吉さん・著者/黄金の母たち・小栗帽子:夏目書房)
■エピソード8
夜の飼葉を食べ終わると、サンキューはいつも住吉さんの膝の上に頭をのせてくつろいだ。
住吉さんはたて髪を子供をあやすようになでてやる。
またサンキューは住吉さんが帰るからバイバイネ、というと必ずウーンとうなってボロをした。
ボロを片づけるのに三〇分はかかる。
一人になるのがいやなので彼女はいつもこうした。
(著者/黄金の母たち・小栗帽子:夏目書房)
■エピソード9
−右前脚の腱を切って伸ばすという手術の後、住吉さんが見舞いにやってきて・・・
サンキューは住吉さんから青草とリンゴをもらいうれしそうに笑顔をむけていた。
(著者/黄金の母たち・小栗帽子:夏目書房)
■エピソード10
平成6年10月21日、朝、馬房の扉を開けると、彼女が首と内股に汗をかいていて 様子がおかしかったので獣医に連絡。
しかし獣医の到着を待たずサンキューは全身痙攣を起こし、息絶えた。
全く信じられない死であった。
サンキューは手術後片側だけでしか寝られなかったのが両側で寝返りも打てるようになっていたのだ。
−死後四時間後、住吉さんの待つ牧場へ帰宅。死因は心臓麻痺と伝えられている。
(著者/黄金の母たち・小栗帽子:夏目書房)
現在 北海道・門別町の三栄育成牧場に眠っています。
126 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/05/28 01:39 ID:GxEvrIBF
有馬記念後の管理調教師・佐藤勝美師のコメント
『二度と巡り合えないほど、素晴らしい馬でした。
結果論から、使いすぎと言われることの責任は、すべて私にあります。
ただ、勝負の世界においては、さまざまなことを考えながらやっていかなくてはいけないので、何が最善で何が悪いのか、ということにおいては明言できない部分もあります。
いずれにしても、サンエイサンキューの勝負は終わりました。
一人の人間に戻ってあの馬のことを思うとき、ありがたかったが申し訳なかったなと、じんわりと感じる毎日です。』
大川啓次郎氏のコメント
『あの馬はね、コズんでコズんでどうしようもなかったんですよ。
調教でもコズみがひどくてね。なんであんなに走るのか、不思議なくらいでした。』
コズミとは筋肉細胞の炎症
競馬用語で「コズミ」とか「コズむ」ということは、筋肉細胞の炎症のことを指しています。
過度な運動などにより血液中の赤血球が増加し、血中濃度が高くなることによって循環障害が起こり、筋肉細胞に乳酸が溜まった状態です。
疲労の元とも言える乳酸が蓄積されると、柔軟さに欠けたゴツゴツとした動きになります。
コズミを治すには、休養が一番ですが、症状が重いと抹消血管のうっ血した血を針を刺して取り除く外科的治療が行われます。
http://mimizun.com/log/2ch/keiba/1053879995/
岩崎喜好は人間の屑
菅野によるとエリザベス女王杯の直前は疲労の蓄積によって体調に変調をきたし、トウ骨に痛みを訴えるようになったという(ちなみにそのことは田原も察知しており、サンエイサンキューの体調に関して歯に衣着せぬ言動をとっていた。
エリザベス女王杯の後、厩舎は休養を取らせるつもりだったが、岩崎は有馬記念への出走を決断。
当時のサンエイサンキューに騎乗するとトウ骨が軋む音が聞こえ、菅野と担当厩務員が「あまりにむごいことをする」と涙するほどであったという。
菅野は有馬記念を「何とか無事に回ってきて欲しい」と願ったものの、サンエイサンキューはレース中にトウ骨を骨折。
ちなみに岩崎は現在もなお、「競走馬はビジネス」と馬に愛護のない発言を続けている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC
34 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/05/26 15:11 ID:kFKUSOvS
馬を労らない銭ゲバオーナー
厩舎に来ない老調教師
腐れきった厩舎スタッフ
70 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/05/27 02:21 ID:p3NcXrL1
しかも400sそこそこの軽量馬だった
そこがまた悲しみを誘うんだよ
81 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/05/27 04:28 ID:/HugFGKS
悪の枢軸の如く語られるオーナーや水戸に対し、唯一馬を守ろうとした正義漢が男田原。
114 :無職栗毛 ◆Ivmf5R7KJ. :03/05/27 20:59 ID:sdqWVccw
この馬もともとは東信二が乗ってたよね?
東信二はローテに口出しでタヴァラに乗り替わりになったとかいう話を聞いたことあるんだが
122 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/05/28 01:05 ID:UCEf+d4D
サンキューに関しては東がローテに文句言ったら(このままじゃ壊れる)田原に乗り替わり。
田原がレースだしたら壊れるのでだすな、出たらオレは乗らないって言ったが田原をおろした。
161 :名無しさん@お馬で人生アウト:03/05/28 18:45 ID:J3mSiAZC
ちと頭の足りない馬主が元も子も失ったって話。珍しくもないな。
痩せて変な風に脚の曲がった当時のサンエイサンキューの写真を何かで見たな。
救い難い馬鹿もいるもんだと感じた。
http://mimizun.com/log/2ch/keiba/1053879995/
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4) G1勝ちくらいで天命をまっとうできると思ったら大間違い
107 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[]:2008/03/25(火) 19:42:20 ID:iIV+7gA4
G1勝ちどころかケンタッキーダービーとBCクラシックを勝ったファーディナンドですら、いとも簡単に馬肉にされるのだから、たががG1勝ちくらいで天命をまっとうできると思ったら大間違いだよ!
257 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 02:34:23 ID:lKS7gpv40
いやあ牡馬だと中途半端な活躍では種牡馬にもなれないし,なってもいい繁殖が集まらない.
乗馬になれればいいが,気性に難があるやつはそれも難しい.
結局用途変更で生死不明(≒肉)になるだけ.
短中距離馬であれば,種牡馬になり易いんだけどね.
あのウインガーでさえとりあえずは種牡馬になれた.
中長距離馬は敬遠される.
ポップロックもコスモバルクもデルタブルースもみんな引退後の道が無い馬ばかりなんだよ.
だから少しでも延命させるために,走らせるわけ.
258 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 02:43:51 ID:LFhTtECi0
おれその辺は詳しく知らないんだが・・・そうなの!?
確かに金はかかるけど・・・種牡馬なりきれないG3クラスとかはみんな肉!?
269 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 20:21:50 ID:M8c7V4OM0
>>258
ウィキペディアその他で、微妙な成績の種牡馬の没年を調べるとわかる。
「用途変更」とか「廃用」と書いてあるのはたいてい殺処分されてる。
上手く引き取り手がいた馬にはちゃんと「現在は乗馬」とか「○○牧場で功労馬として
余生を送っている」とか書かれている。
どんな馬にもファンはいるから生きてれば近況がわかるんだよ。
下の馬達はいずれも殺処分になったと思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%BA
34 :ウンコマン ◆15BlPaSs8M [sage]:2008/01/09(水) 17:50:17 ID:ptvl0V+10
行方不明になった年度代表馬(多分肉)はシンザン以降ではヒカリデユール、カネミノブか。
コレヒデについては詳しく判らんな。
ま、売った方が悪いんだよな、基本的に。
事後が心配なら、売却先に、不要になった場合は真っ先に当方に連絡する事、と当初に約束すべき。
16 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/19(土) 10:17:38 ID:yhsm+WCU0
ステートジャガーはGI馬でありながら肉にされそうになっていた
2頭だけ子供がいてその1頭メルシーステージが重賞3連勝して種牡馬生活復活
したがその後結果が出せず肉になった
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3. 中年リストラ馬、「馬肉」寸前から快進撃
2010年8月16日9時26分配信 サンケイスポーツ
北海道帯広市が主催する「ばんえい競馬」で15日、第4レース(10頭立て)に出走した13歳の牡馬「ゴールデンバージ」(山田厩舎・山田勇作調教師)が、2着に3・3秒差をつけ圧勝した。
人間の年齢に換算すると56歳という同馬は近年、レース成績が奮わず、1度は馬肉処理される寸前まで追い詰められていたが、異例の再登録を果たした7月の復帰戦で勝利して以降、この日で3戦2勝。関係者も驚きの快進撃を見せている。
「行けっ!! 行けっ!!」。
1度はリストラされた高齢馬が、北海道帯広市の「ばんえい競馬」で激走。
おじさんたちの胸を熱くしている。
この日も勝った。
単勝3・0倍の1番人気に推された第4レース。
ゴールデンバージは見事、ファンの期待に応えた。
道中2番手から最後は差し切って、2着に3・3秒差の圧勝。
同馬を管理する山田勇作調教師(65)も「これほどとはね。まだまだいけるよ」と手放しで喜んだ。
ゴールデンバージは1997年生まれで、99年にデビュー。
現在13歳。人間の年齢なら56歳になるという。
デビュー当初は順調に勝ち星を重ねていたが、徐々に成績が落ち、2008年6月のレースを最後に事実上の“引退”。
09年10月には競走馬登録を抹消された。
その後は道内各地の草競馬で走っていたが、ここでも成績は低迷。
サークル内に「もはや桜肉か…」の空気。
最悪はそういうコースをたどる馬肉処理のウワサが流れた。
この絶体絶命の危機を救ったのが、かねてからゴールデンバージの素質を見抜いていた山田調教師だった。
親交のあった馬主に「安いから」と頼み込み、買ってもらったという。
ここから奇跡が生まれる。
調教では「馬肉にされたらたまらん」と言わんばかりの走りで、若い馬を蹴散らした。
「本番ではどうか!?」。山田調教師は半信半疑だったが、7月2日の再登録後、検査も難なくパスし、同19日のレースで復帰。
なんとここで後続を約10秒引き離す離れ業で圧勝した。
2年1カ月のブランクをものともせず、関係者も驚きのカムバックを果たしたゴールデンバージ。
2戦目は調教不足で5着に終わったが、復帰3戦目となったこの日、再び強烈な強さをみせつけた(通算成績は15日現在、207戦34勝)。
「これまで本気じゃなかったのかね。65歳の私も元気をもらっています。
全国の中高年の皆さんも、がんばってください」(山田調教師)
ハイセイコー、オグリキャップ、ハルウララらに続く地方競馬『新アイドル誕生』の予感だ。
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ばんえい競馬(中年の星・ゴールデンバージ)2010年7月19日&8月21日
http://www.youtube.com/watch?v=uawD_6Gyuc0
最近メディアに取り上げられている、噂のばんえい競馬所属の13歳ゴールデンバージで¬す。
1度は馬肉になりそうなところから奇跡的に復活して、復帰してからというものの凄まじ¬い脚で勝利をもぎ取っています。
この動画は7月19日の復帰戦と8月21日の復帰4戦目です。
13歳ながら頑張る姿に中年の星などと言われていますが、圧倒的な力で他馬をねじ伏せ¬るゴールデンバージの走りをご覧ください。(1レース目は5番で、2レース目は2番で¬す。)
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ばんえい競走馬になるには、能力検査と呼ばれる試験に合格しなければなりません。
この検査は約1200頭の登録馬から220〜230頭が合格できる狭き門で、不合格馬は故郷に帰るか、グルメファンの欲求を満たす食材として全国に配送されます。
http://www.banei-keiba.or.jp/baneiguide/whats_column.html
競馬雑誌の競走馬の異動欄には、現役を引退する馬の異動先が記されている。
地方競馬への移籍や種牡馬・繁殖入りの他に乗馬になる馬がいる。
それが全て乗馬になるわけではない。
それ以外にも「用途変更」という名称で姿を消す馬が相当数おり、その「用途」の中には食用もある。
実際に、廃止された上山競馬場や中津競馬場に在籍していた競走馬の末路は食肉処分だった。
また、北海道で行われているばんえい競馬では、競走に出るための能力試験(または能力検定ともいう。入厩馬に課せられる模擬競走、地方競馬のみの制度)を突破できなかったり、あるいは満足な競走成績が残せなかったりした競走馬が食肉向けに転用されており、公式サイトでも包み隠すことなくそのことが解説されている。
通常、平地競馬の能力試験は、一定の制限時間をクリアすれば良いため、力一杯走る必要がなく、「馬なり」で能試を走らせることもあるが、ばんえいの場合は能試の結果がいわば「生死を分ける」ため、実戦さながらに行われる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%82%89
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4. 知られざる馬の運命
▽9割以上が
「これまで何百頭という馬と、つらい別れを繰り返してきた」。
三十年以上にわたり、サラブレッドの調教に当たる県地方競馬調騎会の菅原末治会長(65)は語る。
宇都宮競馬を引退する馬は年間約百二十頭。
このうち老齢や能力不足などの理由により、乗馬クラブに引き取られ、第二の生涯を歩むことができるのは、わずか十頭ほど。
九割以上はレース中のけがが致命傷となり、復帰できず処分される。
骨折した馬は放置しておけば、一晩で死んでしまう場合が多い。
このため、レースで故障した馬のほとんどは、その日のうちに食肉卸売業者に引き渡される。
「走れなくなった馬の行く末は馬主が決めることで、おれたちは口出しできないが…。
手塩にかけて育てた馬が殺される時は、やるせなくて、仕事も手に付かないさ」
一方、JRAでも年間数千頭に及ぶ馬が、殺処分され、食肉やペットフードの材料へと姿を変えている。
「ファンに知れるとイメージダウンになるので詳しい数字の公表は控えています」。
JRA関係者は打ち明けた。
「愛情もあるでしょうが、おおよそ馬主にとって、牛や豚と同じ経済動物なんです」
冷え込んだ二月下旬の早朝、菅原さんの厩舎(きゅうしゃ)内運動場で、ひづめが土をける音が鳴り響く。
「利口なもんでしょ」。
新聞を読む菅原さんの周囲を一頭の馬が円を描いてひたすら走り続けていた。
「人のために作られ、人のために生きて、人のために死んでいく。
それが競走馬だよ。
馬の肉?
うまいとは聞くけれど口にはできないね。
人の肉を食えってのと同じ。
自分らとともに生きた同志みたいなもんだからさ」
http://okapikeiba.blog69.fc2.com/blog-entry-103.html
勝ってナンボの競走馬の世界はとても厳しいようで、エサ代も稼げないような馬に用はなく、“リストラ”されても繁殖馬や乗馬として“再就職”できる確率はかなり低いのだ。
じゃあ、選にもれた馬がどうなるのかというと、みなさんご存知のとおり食用、つまり馬肉になっちゃうのだ。
ぼくは桜肉が大好きで、飲み屋で「馬刺し」の表示があると迷わず注文してしまう(安い飲み屋の馬刺しはあまり美味ではないので避けるけれど)。
とくに、甲府駅前にあるほうとうで有名な「小作」で食べた馬刺しは忘れられない味なのだ。
そんなある日、東京・新橋のオッサン系飲み屋で馬刺しを食べてると、競馬好きの友達が「オレ、馬肉ってダメなんだ」と告白しだした。
そいつ曰く、
「馬は頭のいい生き物で、例えば勝たなきゃいけないレースなんかを周りの雰囲気で感じ取るんだ。
食用になる馬もわかってるのかもしれない。
競走馬としての実績が挙げられなくなって引退した馬は、肉用処分されてしまう例が多い。
馬肉は桜のようなピンク色をしている所から「桜肉」とも呼ばれる馬肉。
その動物は競走馬として役目を終えた元サラブレットだったりする。
骨折したり、老化して走れなくなると屠殺され馬肉となる。
いくら活躍した馬でも稼げなくなった馬は維持費がかかるのみなので馬主の判断で肉にされる。
馬肉になると決められた馬は桜島へ送られる。
長い旅が終わると狭い暗い小屋に閉じ込められ、運動できない状態にし、高脂肪の餌を無制限に食べさせられる。
筋肉にはサシがはいり、こうして人間の味覚の欲求のみを追及した馬肉にする。
●ファンに知れるとイメージダウンになるので詳しい数字の公表は控えています」。
JRA関係者は打ち明けた。
「愛情もあるでしょうが、おおよそ馬主にとって、牛や豚と同じ経済動物なんです
●説明を聞きながら、
「JRAを去る馬たちには全て行き場があるじゃないか、じゃあ冗談で『馬刺しになる』と言う人がいるけど、あれは全て噂なのか?」
とデ−タの信憑性を疑いはじめました
JRAは、登録を抹消された馬のその後を追いかけるようなことはしません。
要するに、この数字は書類上のものなのです。
●ある競馬関係者は、匿名でということで、
「馬主や調教師も罪悪感を持っている。そんなこと絶対口を割らない」
と話してくれました。
http://veganism.exblog.jp/2848377/
競走馬の引退後
サラブレッドの競走馬としての寿命は非常に短く2、3歳からレースに出るようになり、牝馬なら繁殖のため5歳くらいで引退してしまいます。
牡馬も同じく5,6歳で引退してしまうサラブレッドが多いです。
しかし、引退後幸せな余生を過ごせるのは、ほんの一握りのサラブレッドだけなのです。
例えば三歳未勝利馬(三歳でのレースで一度も勝つことが出来ないでいるサラブレッド)などは、その年の10月末までに1勝も出来なければ、もう中央競馬では出られるレースがないため、障害レースをさせるか地方競馬に移籍するかなど先を考えなければいけません。
しかし、実際にはほとんどの馬が三歳で引退した後、処分されてしまいます。
処分=動物園などの食用となります。
サラブレッドは走るために生産され、走ることが出来なくなると処分されてしまうのです。
人間の勝手で作られ、人間の勝手で殺されていくことに疑問を持った人たちが、引退後の馬の牧場を作ったり、寄付を集めたりしているそうですが、未だほとんどのサラブレッドが処分されています。
http://www.webhackerz.com/thoroughbred/03.html
日本でも偉大な成績を上げたサラブレッドは競馬ファンから大きな尊敬を受け、競馬関係者にとっては歴史的価値をもちます。
そのようなサラブレッドのオーナー達は余生の世話をし、馬達が安心して暮らしていける様に努力しています。
ここで問題なのは、一流の競争成績を上げられなかった、あるいは種牡馬として期待はずれに終わってしまった馬の余生があまりにも悲惨だということです。
「サラブレッドは血統が全てであり、種を伝えていけない馬は淘汰される。」
というのは良く解るのですが、だからと言っていとも簡単に処分していいという事の理由にはなっていないのではないでしょうか。
日本のサラブレッド生産は海外とは少し違っていて、「売れる馬」をつくろうとする傾向が強いこともその要因ではないでしょうか。
生産者達は流行の血統を付けることに必死になっている様に思われます。
ということは、自然、生産に占める種付け料は大きなウェートを占めることになり、馬の生産コストは大きな額となります。
そうした馬達が全て売れるわけで無く、また、不況の影響もあって安い値段に買い叩かれてしまうのが現状です。
300万の種付けで生産した馬が100万でも売れないということは珍しいことではありません。。
特に小規模牧場の状況は非常に苦しい。
生産すればするほど自らの生活を苦しくしていく。
そのような小規模牧場の生産馬に馬の余生をどうにかしろと言ってみたところで無理な話なのです。
オーナーとしてもそのような牧場に愛馬を預けることもできず、結局処分してしまうことになるのでしょう。
日本にも余生の世話をしてくれる牧場があることはありますが、そこもすぐに飽和状態になるでしょう。
つまり、この問題の大きな原因は、強い馬をつくろうとしない事、生産過多なこと、活躍すべきレース数が少なすぎる事、輸出されないこと、馬を受け入れてくれる環境が少なすぎること、生産を伴わない馬主が多すぎることではないでしょうか。
昨年、今年とクラシックを勝った馬の母系は日本に根付いた血統でした。
マイナー血統と言われている種牡馬達をもっと大事にすべきではないでしょうか。
スーパークリークやナイスネイチャのような血統こそ今の日本には必要ではないかと思います。
我慢強さとか踏ん張りといった能力は彼らのような種牡馬からこそ伝わると思うのですが。
外国の状況に少し触れてみましょう。
アメリカでは1年に約3万5000頭のサラブレッドが生まれ、そのうちの70%が少なくとも1度公式のレースに出走します。
が、日本では1年に約1万頭のサラブレッドが生まれ、その中で中央で登録される馬約3500頭、地方で登録されるもの約4000頭です。
アメリカでは170の競馬場があり、レース数は6万5000レースもあります。
一方、日本では中央のレース数は3200余りしかなく、地方を加えてやっと2万6000レースです。
ちなみにイギリスでは1年に5500頭余りのサラブレッドが生まれ、レース数は3800レース。
フランスでは4000頭に対して4300レース。
オーストラリアでは1万7000頭に対して23000レースあります。
競馬場の数もイギリス59、フランス266、オーストラリア404で十分環境が整っていると思われます。
生産牧場の数も日本とは桁が違うほどあり、競争を終えた馬、繁殖から引退した牝馬、登録をされなかった馬などの世話や処分は生産者、オーナーの責任で行われます。
「Breeding For Racing」にはこう書かれています。
「繁殖牝馬としてまったくだめになってしまった場合、良い落ち着き先を見つけてやるか、安楽死させるかする。
これは、パブリックオークションに出して不幸な運命のもとに追いやるよりも、ずっと思いやりのあることだ。
勿論、手放す馬達の全員に安全で幸福な落ち着き先を見つけてやることは不可能だが、それでも、1頭の牝馬を不幸な運命のもとに追いやるのと、彼女を安楽死させることによって財政的損失をこうむることとの間で、なるべく望ましい方法を見つけるべく、私達にできることは少なくない」
「ときには、パブリックオークションよりもいくぶん安い価格ながら、再売却しないという条件つきで売れる場合もある。 私達は過去に二度、この方法をとる機会に恵まれた。」
「年をとった牝馬や能力的にだめだという牝馬は安楽死させるのが最善である。
結局のところ十把一からげで買われて食肉にされるのがおちだからだ。」
「生産者にとって大きな働きをしてくれた牝馬は引退させ、死ぬまで心地よく過ごすことができるようにすべきである。」
「ラパイヴァ(名馬ブリガディアジェラードの母)は19歳で繁殖生活を引退させたが、それから数年間我々はできるだけのことをしてやった。
引退したラパイヴァは実際の年齢の半分くらいに見えるようになり、離乳期の当歳や2歳馬の素晴らしい保母となり、出産の経験のない牝馬や不妊の牝馬達の良い仲間となった。
素晴らしい繁殖牝馬が年老いてなお出産をつづけ、疲れきり、地面に膝を落とし、その表情に歳月の色を濃くにじませている…
こんな光景は見ていてとてもつらいものだ。」
これは、イギリス人のサラブレッドに対する考え方を代表していると思われます。
サラブレッドは決してペットではありません。
農耕馬や愛玩用の馬とは分けて考える必要があります。
このことは、世界では常識なんだよ、とイギリス人は私達に言っているような気がします。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~otef16v/horse_race/Horse%20Racing/file_Shobn.htm
なぜこんなにも屠殺される馬が多いのか
以前、ある地方競馬の関係者(Sさんとします)と話した際、わたしは以前から疑問に思っていたあることを聞いてみようと思った。
「競走馬の馬主は、どうして、馬が引退したとき譲渡先を見つける努力もろくにしないうちに、屠殺場へ送る人が多いのか」と。
競走馬が引退となったとき、その馬のその後を握っているのは他の誰でもなく馬主である。
JRAが表立って奨励しているわけでもないし、まさか屠殺場に送ってどうなるのか知らない人などいるまいに、そして、まさか殺すことが面白いわけでもないだろうに、どうして右から左へさっさと屠殺へ回すのか。
そんなに「馬主」というものはモラルや良心に欠けた人間ばかりなんだろうか。
わたしは長年疑問だった。
Sさんの答えは衝撃的だった。
「屠殺場に送ったほうが、お金になるから。」
屠殺場に送ったほうがお金になる?
以前、食肉業者のセリで、種付け250万の元競走馬が1万円で落とされたというのをどこかで読んだことがあったが、その、たった1万とかのために、迷いもせず屠殺場で殺すという選択肢をとるのか?
「違う。そうじゃなくて、馬を乗馬クラブなどに譲渡するより、屠殺場で屠殺するほうが、馬主に支給される補償金が高くなるの。」
どういうこと???と困惑するわたしに、同席していた元地方競馬厩務員が説明してくれた。
「競走馬が引退になったとき、馬主には補償金が払われるようになっているのさ。
で、馬を屠殺場に持っていくと、『屠殺証明書』っていうのをくれるんだけど、その『屠殺証明書』をもっていった場合は、馬をどこかに譲った場合よりも補償金の額が多いんだよ。」
つまり…、
馬を生かす場合よりも、殺す場合のほうが、馬主は多く補償金をもらえる、ってこと…。
「実際、引退した馬の馬主さんに『譲渡先探しましょうか』って言っても、『お金欲しいから』って断られたことありますよ…」と、Sさん。
馬主に補償金を払うのが、馬主協会なのか競馬協会なのかまでは確かめていないが、いずれにしても、結果的にはこの補償金の制度が馬主に馬の屠殺を奨励していることにならないか。
聞いているうちにムカムカと腹が立ってきた。
この補償金制度を決めた人たちは、単純に、乗馬クラブなどに格安であっても買い取ってもらえるほうが、屠殺するよりもお金をもらえるわけだから、補償金はその埋め合わせとして、譲渡するより屠殺するほうの額を高くしよう、とか考えたのだろうが、それではあまりにお粗末過ぎる。
倫理的なことを考えるなら、生かす努力をして(そのためには引退後に飼養する負担が生じるわけだし)譲渡した馬主にこそ、多く補償金を払うべきではないか。
これまで人間のために必死で走ってきた馬を、あっさりと産業廃棄物として捨てるほうに多くのお金を与えるなんて、それのいったいどこが「公平」なのか。
もちろん、このことだけが、こんなにも多くの馬たちが屠殺されている現状の原因ではない。
直接的には、国内外の過剰生産のほうが、問題だろうと思う。
追記(2009.9.2):上記の話はあくまでいくつかの地方競馬に関しての話です。
JRAに関しては、「屠殺証明書で補償金が高くなる」というようなことがあるのかどうか、わたしはまだ誰からも聞いてはいませんし、仮にそのようなことがあったとしても、JRAは一切公表しないだろうと思います。
廃用になった馬を「乗馬に転向」と言って故意に事実を歪曲しているくらいですから…。
http://paradisacheval.blog123.fc2.com/?mode=m&no=102
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12 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/19(土) 10:01:45 ID:sMnfM9hPO
アウシュヴィッツ並の大量殺戮…馬券買うモマエらもA級戦犯だ
35 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/20(日) 00:46:37 ID:Gnqiuq6k0
世の中には知らないほうが幸せなことがあるんだよ
186 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/02/07(木) 11:11:03 ID:ha6dTtd90
おれ、某廃止競馬場に常駐してたオッサンに
「昔はこれでも、馬主席にずっといてさ。あいつらの馬券買いパシってたんだけどな、
あいつらグルになって馬に噛ませて(薬)、あいつらだけ儲けて、
その後その馬、どうすんだ?ってきいたら
「今頃コンビーフじゃねーのwww 」って笑うんだよ。
これを聞いてからは、馬主にたいする嫌悪感が発生。
211 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/02/08(金) 13:59:22 ID:igwTua6i0
ノボトゥルーだっけか、なぜ引退しないのかというような記事を見た覚えがあるのだけれど
森師曰く「その方が、幸せだから」だそうだ、確かにそうだなと思った。
血統的にも微妙だし、引退して種馬になっても幸せになる目が薄い馬なら
ずーっと競走続けたほうがよほど良いんだなってその記事読んでおもた。
270 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/02/11(月) 11:29:41 ID:V03I2/BW0
乗馬のほとんどの馬はサラブレットではなく、乗馬用の品種の馬。
あと入れるとこなんてほとんどない。
気性が荒いので無理。
380 :isogawa ◆kkvKdOUtUk :2008/03/04(火) 15:59:45 ID:FTbLRtft0
乗馬クラブなんていうのもピンキリで酷使や酷い飼い方してるところあるからな
最近肉にしてやった方が幸せなんじゃないかと思うこともある。
地方競馬なんて1秒でも早く注射で殺してやって欲しいような酷い状態の馬を
アホの馬主や調教師が肉にする為にその決断を遅らせる事も
382 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/03/04(火) 23:46:58 ID:PMcfLqbv0
>>380
酷使と言っても、馬も素人相手なら手を抜いてるからね。
酷い飼い方と酷使は両立しないし。(両立させようとしたら馬が潰れる。練習馬も調教が必要ですぐには手に入らない)
地方競馬では、肉にするためじゃなくて薬代がないんだよ。
最近は馬肉の需要も下がってるから、突発的に馬を持ってこられても肉じゃなくて産業廃棄物になってしまう。
385 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/03/05(水) 21:48:11 ID:iBifn1du0
マジレスすると人間が食べるために痛み止めも打てず安楽死もさせないでと殺の瞬間まで苦しませつづけるのが耐えられない
骨折したことないけど相当痛いんだろ?
助けられないのなら少しでも苦しみが少ない方が俺はいいと思うな
386 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/03/05(水) 23:08:42 ID:8gzvgHs30
>>385
昔はそういうケースだと頸動脈をその場で切ったりして安楽死させてたんだけど、動物愛護の発想から
「それでは死ぬまで時間が掛かるから方法を変えろ」ってことになって、銃殺か薬殺になった。
金が掛からず、肉も取れるのが銃殺だけど、大家畜は固定しての銃殺なので処理場へ運ぶ必要がある。
一方の薬殺は馬が巨体なので金が掛かり、肉の取れない死体の処分でさらに倍掛かる。
苦しみが多い少ないという単純な話ではないんですよ。
448 :isogawa ◆kkvKdOUtUk :2008/03/18(火) 22:00:11 ID:ZYdhm3jI0
実際俺の知り合いの馬がレースでパンクしたのにその日の夜まで張りっぱなしですよ
獣医に何故殺さないんだと怒鳴りに行ったら調教師が「馬主の意向で肉にするから」だと
もちろん馬主は一言もそんなこと言ってなくて当の調教師は馬のそばについていたわけでもなく夕方には若い厩務員を残して帰宅してただと。
当然その厩舎にそれから馬入れてないらしいけど今でもよくその話してるね。
馬が痛い思いしてるのに当の本人は家帰って風呂入ってビール飲んでたのかと思うと・・・ってね
450 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/03/18(火) 22:25:48 ID:98zJo3aW0
>>448
それは昔のお話。
今は馬肉の需要もすっかり減ってしまって、サラの廃馬なんて肥育しなければ産廃にしかならないんだよ。
451 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/03/19(水) 14:07:02 ID:JngnNQerO
今年の初めまで十分需要あったけどな
わざわざ潰し屋が取りに来てくれたよ
今の相場は一頭8〜9万かな
3ヵ月で半額になった
457 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/03/19(水) 20:52:29 ID:w6WNr4r00
>>451
統計資料を見る限り、加工肉=コンミート向けの需要はほぼ壊滅。
革や尻尾、蹄、馬油などは売れるんだろうけど。
http://mimizun.com/log/2ch/keiba/mamono.2ch.net/keiba/kako/1200/12007/1200700941.dat
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5. もっと馬肉を食べよう
馬を食用として解体する際には様々な検査があります。
食品衛生上の観点からも、さっきまでレースに出ていた馬をいきなり食肉(人用)にする事はありません。
薬殺をしていればなおさらです。
ただし、サラブレッドの食肉は存在します。
まず競争能力が無いと判断された1歳程度までの若馬の場合は穀物飼育に切り替えられ、半年〜1年間かけて食用に改良します。
しかし、それでもサラブレッドは肉質が硬く、味も良くないので非常に安値で取引されます。
実際に熊本でサラブレッドを食べた事がありますが、臭くてまずかったです。
レースに使った2歳以上の馬になると、肉質が硬くなり、色も悪くなって人間の食用には向かなくなります。
各種加工品(ドックフードなどペットのエサ)にするか、動物園で野獣のエサになるでしょう。
競走馬かどうかはわかりませんが、白クマは馬肉が好物だそうです。
基本的に市場に出回る馬肉は北海道の生産者が食肉専用に生産している重種馬の肉で、競争専用に改良されたサラブレッドとは別の物です。
http://naruhodo.television.co.jp/qa998371.html
☆馬の最後の家(肥育場)
鉄筋コンクリート作りの大きな畜舎に、数え切れない程の馬達がいる。
外光がいくらか差し込むコンクリートの囲いの中で、互いに身を寄せ合って、静かに立っている大型の馬達。
そのかたわらに寝そべっている肥満した馬。
そわそわと不安なそぶりでこちらを凝視している馬。
人が近づくと甘える様に顔を寄せてくるまだあどけない若駒もいる。
福岡県久留米市にある木稲畜産牧場は、約800頭の馬を飼育する、地域で最大の馬の肥育場だ。
青々とした田んぼが広がり、カササギが舞うのどかな風景の中。
ここには色々な馬がいる。種類も、性格も、そして、ここにやってくるまでの経歴も。
経営者の木稲直美氏にお願いしえ、馬達の暮らしぶりを見学させていただいた。
「こっちの大きいのが重種。馬のセリで買ってくる。
肥育期間は当歳なら1.5年。2歳は1年。
霜降り(サシ)をつけるには1年みないと。
これが軽種。全体の3分の1ぐらいがこういう馬です。
競馬の上がり馬もいるし、競馬に使っていない馬もいる。
大人の馬は、大体3ヶ月から6ヶ月ぐらい肥育する。」
馬の肥育には、体重を増やすのと、肉質を良くすると言う目的がある。
筋肉質な競走馬では、適度に脂肪の混じった柔らかい肉に変えないと、色も黒っぽくて馬刺に向かない。
畜舎内には、馬を外部の騒音に慣らす為、いつも歌謡曲やポップス等の音楽が 流れている。
これには馬をリラックスさせ、食欲を増進させる効果もある。
「いつもイライラしているのは、肉も良くないんですよ」と奥さんも話す。
木稲畜産牧場では、熊本の食肉センターや組合経営の食肉処理場に馬を運び、処理してもらった後、自営の店で小売りしている。
口コミでお客さんが増え、近郊の消費地にも出荷しているそうだ。重種は主に刺身用。軽種は薫製もおいしいが肥育して柔らかくなっているから、刺身用にも好評だと言う。
こうして見ると、馬の肥育と言っても、行われる事は基本的に牛、豚等と変わらない。
違うのは、競争馬の様に神経の過敏な種類では、管理にあたって相応のきめ細かさが求められると言う事ぐらいだろうか。
何カ所か肥育施設を見せていただいて思ったのは、施設の環境や管理方式には少しずつ違いがあると言う事だ。
久留米の様に、戸外には出さなくても、馬が割と穏やかに暮らしている所もあれば、小さなパドックに若馬を出し、日光浴をさせている所もあった。
その反対に、馬房が狭く、日当たりも悪く、床に敷いたオガクズが糞尿で汚れている様な所に、馬が終日入れられている施設もある。
馬の心がまるで無視されている様な施設の中に、競馬場や乗馬クラブから来た馬達を見つけると、胸に迫るものがある。
ただ、この様な不適切な環境は、乗馬用に馬を飼っているはずの施設とか、観光地の小動物園にも、時々見られるものなのだ。
ワラもオガクズも敷いてやらず、ゴムマット一枚だけとか、むき出しのコンクリートに積もったボロと尿で、田んぼの様になった床。
蹄の手入れも満足にされず、そんな薄暗い馬房に、ずっと閉じ込められるよりは、環境のいい肥育場の方がいいのではないか、と思う事すら時々ある。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~m2gallop/73889234/
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32 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/09(水) 17:28:06 ID:Pp9/8lU90
サラブレットは世界で2番目に可哀想な生き物だよ〜ん
牛とか豚は何もキツイ稽古とかせずにひたすら喰っては寝て喰っては寝て・・・
で、最後は苦しまずに死ねる
サラブレットはひたすら稽古稽古と限界まで走らされて競馬場でも限界まで走らされて死ぬ馬もいる
引退後弱い馬は容赦なく屠殺
強い馬も引退後は過酷な種付け生活が待っている・・・
54 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/09(水) 18:33:08 ID:8ei0AsEvO
そういえばだいぶ昔にそういった零細牧場の実態を取材したドキュメンタリーがあったよ。
宝牧場という小さな家族経営でやっている牧場を取材
家族4人の牧場だったよ確か
ドキュメント○○の枠で制作が札幌テレビで工藤じゅんきってアナウンサーがナレーターやって
競馬の華やかな世界とその裏側の現実の落差を報道した番組だったよ・・・。
覚えてるかぎりの内容を抜粋すると
・質素なナレーション
・ついに競馬の売り上げは4兆円を超えた。その一方で・・・。
・処分する馬を急いで引っ張って倉庫に入れる牧場関係者と思われる人
・貧相な感じの鈴木さんというおっさんが馬と書かれた受付場で処分の手続き
・そこでは信じられない光景が待っていた
・ハイ!1000円1000円1000円、2000円というセリの光景
・いよいよその鈴木さんの馬の番
・ハイ!1000円1000円1000円、2000円
・5000円5000円10000円、10000円・・・10000円でいいですか?
・鈴木さんって方いいですか?鈴木さんー(ちょっと切れ気味)
・鈴木さん絶句・・・ナレーションが入り「この馬には250万円の種付け料がかかっていた・・・。」
・インタビュアーが馬の購買者に質問
・太っているのがいいの。→血統とか年齢や性別は→関係ない
・モザイク付きで馬主に競争馬のその後についてインタビュー
・だってあんなの個人じゃ面倒見れないよ
・この夏ついに名門と呼ばれる牧場が潰れた
・近隣の人曰く→無理をしすぎていた、農協から金借りて波状してそれでダメなら潰れる
・JRAの偉い人にインタビュー
・もう(競争馬生産は)やる気のある人だけやってくれ
・売れるのは外国馬と社台の馬ばかり
・購買者曰く外国馬は骨格がしっかりしていて早い内から稼いでくれる
・日本は土壌の関係で貧弱な馬がどうしても多いから手を出しにくい
・社台ファームの豪華な映像とサンデーが紹介される
・ナレーション「社台の馬で売れ残りは一頭もいない」
・知らない人の牧場のイメージは風に吹かれてそよそよなんてイメージだろうけど現実は・・・。
・でも好きで嫁いできたからいいんですよと嫁さん
・かなり無理をしてでも高い種馬を付けないと売れない
・牝馬が生まれたからがっかり。牝は牡の半分の値段にしかならない
・一頭でも売れ残ればそれはイコール経営を直撃する
・兼業で農家もやっていて米を栽培
・冬春さえ過ぎれば比較的ホッとできる
・種がついていたよと農栽培中の嫁さんに報告。よかったねーと嬉しそう
・社台の種牡馬展示会に行く、サンデーなんて拝むようなもんだ
・近所の牧場同士で町祭り、宝牧場の人も参加
とても濃い30分だったと思う。大体想像できたことだったがやっぱりいろいろと考えさせられた
ちなみにこれはグラスが有馬を勝った年に制作された番組
日高が社台や外国に対抗する最後の手段としてラムタラを紹介していた
ナレーション「日高の運命はこの馬にかかっている・・・。」
(´・ω・`) しかし結果は・・・。
宝牧場も健在なのだろうか?
79 :強力 ◆Gorky4x2OU [sage]:2008/01/09(水) 19:16:53 ID:KDl15Dlt0
タカラサイレンス(98年産)以降中央に登録した馬はいないようだ・・・
91 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/09(水) 19:41:49 ID:8ei0AsEvO
白黒で昔の競争馬産業の様子も切ない音楽付きで紹介していた
ナレーション「馬であれば何でも売れた・・・いい時代だった」
見れば見るほど欝になる番組だと思う。ディープ世代にはぜひ見てもらいたい・・・。
ドキュメントの宝牧場はもう牧場畳んでるんじゃないのかな?
__________
ラムタラ(Lammtarra)は、1990年代のイギリスなどで競走生活を送ったサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。たった1戦のキャリアでダービーを制したこと、そして4戦4勝と無敗のまま引退したこともあり、「奇跡の名馬」または「神の馬」と呼ばれた。
ぶっつけでフランスの凱旋門賞までも制し、史上初めて無敗でヨーロッパの三大レースを全て制した。
闘争心が素晴らしく、主戦を務めたランフランコ・デットーリは「彼はライオンだ」と発言した。
凱旋門賞優勝の直後に引退し、ニューマーケットのダルハムホールスタッドで種牡馬生活に入る。
翌年イギリスで初年度の交配を終えると、日本の日高の生産者グループが3000万ドル(約32億円)で輸入し、日本で種牡馬生活を営んでいたが、日本では期待を遥かに下回る結果となり、2006年の種付けシーズン終了後に英国に買い戻されることとなった。
売却額は購入時の1/100以下となる24万ドル(約2,750万円)と報道されている。
日本において競走生活を送った産駒に関しては、パワーやスタミナこそ十分なものを持っていたが走破時計面での能力不足という点があり、サンデーサイレンス産駒の登場以降拍車が掛かっていた日本の競馬界、とりわけ中央競馬のスピード化に対応する事ができず、活躍馬は輩出されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%BF%E3%83%A9
59 :名無しさん@実況で競馬板アウト[sage]:2008/01/09(水) 18:44:44 ID:SE6THgEn0
それとは違うかも知れないが、1歳馬のセール会場の外で食肉業者が待ってて、
競りのあと1万円で引き渡した仔馬を何とも言えない顔で見送る生産者が印象に残ってる。
いまや、牝馬が生まれたら、殺して種付け料支払わない生産者もいると聞くし。
80 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2008/01/09(水) 19:16:57 ID:8ei0AsEvO
あの番組放送当時ってまさに競馬バブルだったころであれから時代は変わった
競馬の売り上げ自体が2兆円台にまでなってサンデーは死んだ
零細が頼りにしている地方競馬はどんどん潰れている
馬産業の現状はもはや社台を除いてカオスそのもの
http://www.unkar.org/read/mamono.2ch.net/keiba/1199837635/1264821453/
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