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あの名画の舞台となった秋津(奥津)温泉は今… http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/352.html
(回答先: あの伝説の名湯は今_ 幻の秘湯 戦慄の二股ラヂウム温泉 投稿者 中川隆 日時 2010 年 4 月 30 日 17:49:54)
この血は何のために流されるのか? この血には何か果たすべき目的、何か成就すべき使命があったのか? 帰りつくべき故郷まで帰りつけずに、未熟な赤い色のままに流れ出ることがその命なのか? 開巻冒頭から不安な、怪しげな、しかし妙に人を誘い込むような不思議な音楽が微かに流れ出す。 焼け跡にたたずむ人影。戦禍の跡の自分の家に戻って来た学生らしい。 家族が疎開したと聴いて、男は貨物列車で運ばれて行く。学生帽の下の不安気な顔。 すぐ近くにいた女が男におにぎりを勧める。おにぎりを見ている男の虚ろな目。突然の空襲。貨物列車の両わきにバラバラと飛び出す乗客たち。みんなが列車に戻ってみると、男は一人列車の中に座っている。身体を病んでいるらしい。秋津温泉で仲居をしているという、例の親切な女の勧めで、男はその温泉場に降りる。 布団部屋のようなところに寝かされている男。 廊下の外で軍人らしい男の罵声が上がり、突然部屋の障子が開いて、お下げ髪の娘が入って来る。外でなだめられている軍人の声。娘はそこに寝ている坊主頭の男に気が付く。 無口な男に対して、あなたがおしげさんが連れて来た人かとか、私はこんな所にいたくはないのだが、母の再婚相手の父が死んだので横浜の女学校から呼び戻されたのだとか、あの父は大嫌いだったとか、あなたとはもしかしたら電車の中ででも会ったことがあるかも知れないなどと、訊かれもしないことを一人で話しかける。 一瞬あっけに取られていた男も、すぐにまた自分一人の想いの世界に戻って、柱に頭をぶつけ出す。咳込み始めた背を思わずさすり始める娘を、「一人にしてくれ!」と男はじゃけんに突き飛ばす。その瞬間、男は血を吐く。 突然宿の玄関から飛び出して、川の方に駆け出す男。川の中で目を血走らせて、うろうろする男。後から追いついて助け出す娘。 「こんな身体ではお国の役には立たない。自分の力で生きるんだな」と、医者からも見放された男を、娘は自分の力で治してやると、奥の離れに運び込む。 八月十五日。米の買い出しに出ていて敗戦を知った娘は、一目散に奥の離れに戻り、ただただ泣きに泣く。起き出した男も敗戦を知り、思わず娘と抱き合う。 「僕はこの秋津に死ぬために来たのに、あなたに助けられたようなものだ」 「僕は人間があんなに泣けるものだとは、知らなかった。あなたがあんまり泣くものだから、僕はあのとき初めて、少しでも生きたいと思った」、 「僕はあなたに生きることを教わったようなものだ」。 こんな言葉を言う周作を、新子は誇りやかに眺める。 再び秋津荘に身を休める周作。酒場のダンス・ホールで米兵を相手に踊る新子。目的意識に顔は輝いている。何とかしてストレプトマイシンを手に入れたいのだ。 「何もかも煩わしいんだ。重いんだよ。俺はまた秋津に死にに来たよ」 夜、周作が下の露天風呂に降りて行くと、新子が入っている。「お願いだから行ってちょうだい」と言う新子の言葉を無視して居残る周作。 「周作さん、本当に私のこと好き?」、「ああ、好きだよ」、「本当に?」、「本当さ」、「じゃ私、周作さんと一緒に死んで上げる」 だが、翌朝、川端でいざ心中となって、新子は思わず笑い出してしまう。釣られて笑い出す周作。 三年ぶりの正月、おしげさんから知らせを受けて新子が大急ぎで駆けつけてみると、周作は芸者を上げて酒を飲んでいる。 「周作さん、すっかり変わったわね」 「開けてくれよ!」、怒鳴る周作を外にして、玄関の戸を背に新子は動かない。 翌朝、新子は般若湯の主人から五万円を借り、帰ろうとする周作に、何のお祝いもしていないから、と渡す。変なことするなよ、と返そうとする周作に、「その代わり、きっと忘れないで、またこの秋津に奥さんと一緒に来て頂戴。だって私はあなたの命の恩人でしょ」と、精一杯の言葉を言う。 四年後。岡山を引き払って東京に出る直前、周作はおしげさんの手紙を見せられる。 「相変わらず、新子さんは変わらないね」。「相変わらずなんて言葉は、もっとしょっちゅう会っている者同士が使う言葉よ」、酔ってはいるが新子は機嫌がいい。 「俺は東京に出ることにしたよ」 夜、周作が風呂に降りて行くと、行き違いに新子が階段を駆け上がって行く。長い廊下を走る新子。周作が奥の離れに降りて行くと、玄関の戸に錠は下りていない。鏡台を開けて顔を覗きこむ新子。周作がゆっくりと近づく。 翌朝風呂を浴びている新子。思わずふくよかな笑みがこぼれる。 花見客の中を歩く二人。周りを気にする周作に比べ、新子はただただ周作と一緒にいられるのが嬉しい。 「私、夕べから何も考えられなくなってしまったの」 ただただ嬉しく、明るく、恥じらいを含んだ新子の顔。 翌朝、二度と会えない思いで、新子は周作の列車を見送る。 十年後、また花の季節。髪を長くたらしたままの風呂上がりの新子が、ゆっくりと坂道を降りて行く。秋津荘を手放し温泉を止めた新子が、般若湯でのもらい湯から帰るところだ。 坂の下で花を見上げている周作を認め、ぎくりとする新子。新子は脇を駆け抜けようとするが、周作に呼び止められる。新子は、取り壊しを待って僅かに残されている離れに入り、「入っていいかい?」と問う周作に、堅い表情でうなずく。 女の一人住まいの火鉢を囲んで座る二人。新子が煙草を取り出すと、周作がライターをつけるが、新子は何時ものように鉄瓶を少し上げて、炭火で火をつけ、言葉は崩さない。 周作と初めて会ったとき新子は十七、それからまた十七年経っていた。 「秋津も、随分変わったでしょう」 離れの引き払いを頼みに来た大工が去ると、周作は何気ない素振りで、「今日泊めてもらっていいね? 泊めてもらうよ」と言う。 夜、般若湯の風呂に案内された周作は、湯船の中から外に、「どお? お新さんも入らないか?」と声をかける。ガラス戸の外で、引き締まる新子の顔。 夜、床の中で新子は「周作さんが死んでくれと言ったとき、私どうしても本気になれなかった。でも、今なら本当に静かな気持ちで死ねるわ。周作さん、私と一緒に死んで」と、語りかける。 だが周作は聴いていない。「死ぬの生きるのなんてのは、昔の話だ。もうそんな年でもない」と。 翌朝、「ああ、送らなくていいよ。お新さんは送るのが嫌いだったろ」と遮る周作の言葉を無視して、新子は先を歩き始める。花の季節のバス道を、新子は何処までも歩く。 「さあ、もういい。気持ち良く送ってくれるね?」 ゆっくりと振り返る新子。 だが、女の思いは男には通じない。何を言うんだ。あんなことはね、昔の話だ。俺も今まで何度も死ぬ死ぬと言ってきたけど、あれはね、みんな嘘なんだよ。人間そんなに簡単に死ねるもんじゃない‥‥。 女の握る剃刀の刃を見て、男はさらに懸命になだめる。それはね、新子さんの気持ちは分かるよ。良く分かる。だけどね、こういうものなんだよ、俺はやっとそう思えるようになったんだ。 「どうして、一緒に死んでくれないの!」。くず折れ、男の脚に縋りつく女。 男の話は、軽薄な男の現在そのものだったが、今の新子にもう言葉は役に立たない。しかし、自分の待つその深みに決して応えようしない男に、それ以上縋ることに意味はなかった。新子はゆっくりと立ち上がる。説得が効をそうし、相手が気を取り直したと思った男は、女を気遣いながら一人遠ざかって行く。 キッと、自分一人の世界に向かう新子。桜の木にもたれ掛かり、意を決して刃物を左の手首に当てる。滴り落ちる赤い血。新子はゆっくりと岩の間を河原の方に降りて行く。 この先、生きることに何の意味もなかった。自分は真っ直ぐに生き、真っ直ぐに愛した。自分にできるだけのことはした。でも、私の人生はこれだけのものだった。私は周作さんと、本当の深みで出会いたかった。でも周作さんが望まないのなら、それもいいことなのかも知れない。これから先にある周作さんとの関係は、私はもう望まない。 河原に達し、水際にくず折れ、水の中を覗き込んで、一瞬女は鋭い叫び声を上げる。 「どうして、死ななければならないんだ!」。 女の身体を抱えて岩場を登り、バス道の桜の木の下で、女を抱きしめ号泣する男。 この映画、日本的な詩情溢れる映像が美しい。映画の舞台は岡山県奥津渓谷、ずっと前に見たことがあるのだろうか、どこか幻のようで、日本家屋の美しさが懐かしい。
天台宗般若寺の宿坊として明治4年に開業、昭和32年に温泉旅館として営業を開始した。 西日本では数少ない「郷愁」を覚える風景。 立派な萱葺き屋根でできた母屋と3部屋の離れはまさに日本の心。日本人だったら懐かしく思い出す田舎そのものではないだろうか。 今回、岡山県、鳥取県の旅行で最も気に入った温泉。 日帰り入浴は予約制の為事前に電話で予約を入れる事を忘れないように! 般若寺温泉は予約制の日帰り入浴システム。 奥津荘からは車で5分と近い為、チェックアウト後そのまま訪れる事に。 【貸切内湯】 湯小屋の中へと入ると壁は大きな岩そのもの、窓の木枠はレトロ。この内湯だけでも大満足というほどすばらしい貸切の内湯。 湯量は豊富でどんどんオーバーフローして流れていく源泉。 この内湯で使用されている源泉は自噴している湯をそのまま流し込んでいるという新鮮湯。源泉湧出場所も近い。窓からは外の川が見え、開放的な造りとなっている。 洗い場はシャワー、カランが一つずつ有り、シャンプー・リンスが備え付けられている。洗い場に並ぶ石と石の間からは源泉が流れている。この源泉はカラン代わりに使うのか・・・しかしそれにしては少し量が少ない気もするが・・・。
露天風呂はすばらしい景色が望める極楽の温泉。源泉で言えば内湯の方がいいがロケーションは露天風呂が抜群。 内湯だけでも満足できるほどだと言うのにさらにすばらしい露天風呂が貸切で使用できる事には感動を覚えた。川の緑色と木々の緑が美しく、涼しい風を感じながら貸切時間ギリギリまで入浴した。こちらの湯は40度と42度の源泉をポンプアップした混合泉。ヌルヌル感は内湯よりは劣るものの感じる事ができる。湯船の大きさは2〜3人でいっぱい。
さらに以前は日帰り入浴を受け付けてなく、宿泊者専用の温泉であった。最近に、予約しなければならないが、日帰り入浴が可能になり、再訪した。必ず予約して入浴してください。 国道の旧道から階段を下ってアプローチするが白砂が敷いてあり、ほうき目が通っている。足跡がないので本日初の訪問者であることがわかった。母屋は茅葺きの本堂と隣に付いた小さな木造の2階建てであるがこちらは宿の人の家と、厨房になっていて宿泊は離れの山荘である。以前見学したが3室とも凝った造りで渓谷の景観も良く、素晴らしい宿であった。今回は本堂の屋根が葺き変えられ新しくなっていた。 浴室は別棟の地元専用共同湯のような、ちいさな小屋である。中には小さな脱衣場が付属しているが、浴室は天然岩の露出した野趣に富んだ風情のある浴槽である。やや茶色がかった大岩が浴槽の上に覆いかぶり、下に岩を組んでコンクリートで固めた小さな内湯がある。この浴槽に入れるだけでも1000円の価値はあると思う。窓を開けると渓谷の本流が大きな豪快な滝になっているのが見える。美しい景観である。 露天風呂はその滝下の淵に迫り出してあり、非常にワイルドである。前回は夏で湯が入れられていたが今回の4月時点ではカラであった。暖かい時のみ湯を入れるそうである。湯は38度と41度の2本あるとのことで小さな浴槽に2本の温泉がそれぞれ入れられていた。掛け流しで加熱していないので、ややヌル目ながら温泉本来の使い方で満足した。透明、微たまご味、無臭と硫黄の感触も残っており、源泉そのままはやはり素晴らしいと思う。小さな浴室1つなので予約制なのもわかる。日帰り可能になったのは良かったと思った。 奥津温泉郷で最も鄙びかつ孤高の湯 かつてより、日帰り入浴は困難を極めるとの噂に尻込みしていたが、恐る恐る予約の電話を入れると拍子抜けするように簡単に予約できた。宿の若旦那にもお話を伺ったが随分話好きで好印象、案ずるより生むが易しである。 場所は川沿いの一軒宿で、母屋は格式のある萱葺屋根の建造物で、さすがに以前は寺院の宿坊であった名残がある。川沿いに木造一戸建ての渋い建物が三軒建っており、こちらが宿泊場所になる。宿泊料金は高いが、一度はこんなところで泊ってみたい。完全に個人客用の宿で、騒がしい団体客など来る道理がない。母屋に近づくと三匹の犬に激しく吠えられるが、それはご愛嬌。 入浴施設は離れに内湯の建物と建物に隣接した川横の小さな露天のみ。内湯の浴室で脱衣し、露天へは一旦外へ出て建物横の浴槽へ向かうことになるが、すぐに露天風呂に到達する。 ここの露天風呂が開放感と情緒を兼ね備えた絶品で、エメラルドグリーンの川面と渓谷の緑の観景を存分に堪能できる。「鮎返しの滝」がすぐ面前にあるけれど、一定の水量がある時期に見た方が景色は良い。季節によって、あるいは日によって水量が随分と異なる様子。私の入浴時にはかなり水量は少なかった。 大釣温泉の建造物からこちらが丸見えといえば丸見えであるが、至近距離でもなく、ほとんど気にならない。ただ、その建造物は渓谷に不似合いであり、無粋そのもの、ここでの観景において唯一の欠点か。 露天が白眉ではあるものの、内湯も情緒あって良い。内湯に浸かりながら、窓を見上げると、すりガラスから差し込んだ陽の光に湯けむりが映えて、すこぶる幻想的である。内湯も露天も小さなものであるので、一緒に入浴できるのはせいぜい2、3人が限度だろう。 泉質はアルカリ性単純泉で、奥津温泉郷にふさわしい清明な湯、湯温は40度前後のぬる湯で、当然のことながら無加温・かけ流し・無添加の湯であるために、冬季は入浴が不可能、こんな敷居の高さもまたよろしい。 入浴には予約が必要で、一時間千円貸し切り制。予約さえすれば一時間特上の湯を独占できる。知る人ぞ知る秘湯で、本当は秘密にしておきたいほど私などはお気に入りのスポット。アベックでの利用などが最適かもしれないが、品のない騒々しい御仁は止めておいた方がよいだろう。ここでは似つかわしくないから。
春にはコブシ・シャクナゲ・ツツジ、夏は、新緑とカジカガエルの鳴き声・鮎掛け、秋は紅葉、冬は雪に映えるイイギリの赤い実・樹氷など、豊穣たる自然が今なお、訪れるものの「日本情緒」を刺激し続ける名勝地。 この奥津渓谷の自然を背景に、17年にわたる男女の愛の葛藤を描き出したのが、昭和37年松竹製作による「秋津温泉」です。 主演は、当時28歳にして、100本目の映画出演という「ザ・映画女優」岡田茉莉子。 藤原審爾の原作によるこの映画は、一緒になることも、別れることもできない、のっぴきならない男女の愛の遍歴が訥々と語られるわけですが、たぶん、当時の映画ファンの方なら、誰しも、あの成瀬巳喜男 監督の「浮雲」の展開が頭をよぎるはず。 確かに、ストーリーは酷似しています。 そういえば、あの「浮雲」にも、当時、22歳の岡田茉莉子が出演していましたね。 おそらく、あの映画での、高峰秀子と森雅之のしっとりとした演技と空気に生で触れた彼女が「女優心」を大いに刺激され、「いつかこんな映画を作って、自分の代表作にしたい」という思いを持ち続けていたのでしょう。そして、映画100本目を向かえ、満を持して、自ら企画に参加。 この映画を、女優としての自分の節目にしようとしたんでしょうね。 しかし、残念ながら、やはりあの名作「浮雲」と比較してしまうと、この「秋津温泉」はちと分が悪い。 彼女の演技からは、この映画の後半ではどうしても必要であったはずの、山奥の裏寂れた温泉宿を守る女主人の、「疲れた」感、「くたびれた」感が、まるで伝わってこなかった。 お人形のように美しい彼女の演技は、せいぜい「アンニュイ」「物憂げ」どまり。 そのあたりをフォローする意味でも、この映画は、カラーではなく、モノクロで撮るべきではなかったのかなというのが僕の感想。 そして、原因のもうひとつは、男役の長門裕之。 この映画の設定では、男の役は、例えば太宰治のような、破滅的な知性をもったひ弱なインテリ役のつもりだったのでしょうか。 長門の知的ぶったセリフは、けっこう随所に出てくるのでくるのですが、果たせるかな、あまりその知性が伝わってこない。 そして、これも「浮雲」と比較してしまって申し訳ありませんが、この役には絶対に必要不可欠であった自堕落男の「男の色気」。 映画の中で、「慣れない芸者遊び」をヒロインに指摘されるシーンがあるのですが、これがどうみても、「遊び慣れているエロオヤジ」にしか見えず、おもわず苦笑。 この映画が、もうちょっとのところで、「名作」になれない原因を作っているようです。 それにしても、この映画には、これでもかと岡田の入浴シーンが登場。 岡田は、全編を通じて、「着物」で登場しますが、おそらく世界で一番、女性のうなじを美しく見せる衣装は日本の着物です。そして、そのことは彼女本人もプロとして、しっかりと認識していたのでしょう。 その証拠に、自分のセールスポイントである「うなじ」で、女の色気を表現するために、彼女はこの映画では「衣装」も担当していますね。 まあ、そのあたりは是非ともご堪能くださいませ。 しかし、それにしても、若き日の長門裕之は、おもいっきりクワタケイスケしています。
本人の企画による「岡田茉莉子映画出演百本記念作品」なので、とにかく彼女をキレイに撮ることに重点が置かれている。17歳の少女から34歳のオトナの女性までを演じる岡田茉莉子のアイドル映画。 原作は思いっきり周作の上から目線だが、映画は新子と周作が対等に描かれているのがいい。新子が周作に、ここから連れ出してくれることを期待するのは当然である。一方、周作にとっては奥津温泉と新子はセットであり、新子を奥津温泉から連れ出すことは考えられない。世俗にまみれた結婚や生活からは遠く離れた高みに、自分の避難場所として確保しておきたい。それもまた、彼が生きていくうえでのひとつの戦略である。こうしてふたりは、お互いに強く惹かれながらも、その思いは最初から最後まですれ違いつづける。 死に誘惑されながらも、それ以上に生きることを欲し、体こそ病んでいれど、心は真っ直ぐな青年だった周作は、中年時代を迎えて、経済的に豊かになり、安定した生活を得たのとは裏腹に、精神的には廃退して行きます。彼の生き様は、近代日本の精神史と重ね合わされているのです。 時代は最初から病んでいます。美しく描かれているのは、“人間”の方なのです。 物語の主要な舞台となる“秋津荘”の存在感も、映画の魅力を引き立てています。階段下の布団部屋、長い長い外廊下、石造りの露天風呂、新子が住まう離れ家・・・。恐らくロケーションの問題もあったのでしょうが、個々の情景は印象的でも、その位置関係は曖昧で、全体像を掴み難いのですが、寧ろその事によって、ある意味、宇宙的とでも言うべき空間感覚が付与されています。 廊下から部屋へと移動しながら会話を交わす新子と周作。周作の結婚を知らされた新子は、ふすま越しの別れの後、廊下の突き当たりに置かれた椅子に腰掛け、一人煙草をくゆらせます。 二人の間に生じた距離感と、その心の道程を、背景の空間が表象しています。そこには登場人物たちの内的宇宙が投影されているのです。物語中盤以降、この秋津荘はだんだんと新子の位格と同化していくことになります。 終盤に、新子が周作に向かって「一緒に死んで!」と訴えることから、物語の前半と後半で二人の立場が入れ替わっていると解釈する人もいますが、それは一面的な見方に過ぎません。新子自身の言葉を借りれば、彼女は大人になって、“後悔することを覚えた”のかも知れませんが、本質的には“あの日”のままの「新子」です。 変わったのは周囲の方なのです。新子の切なる訴えを一蹴し、周作は彼女の体だけを求めます。新子は、周作との間に埋め難い距離ができてしまったことを思い知るのです。 周作が近代日本の精神を映し出す鏡だとすると、これは彼女が時代から拒絶されたということを意味しているのでしょう。もはや結末は目に見えています。彼女は自らの生きる場所を失ってしまったのですから・・・ 言うまでも無く、秋津荘の閑散とした風景は、新子の心象を反映しています。時代から取り残された秋津荘が解体の運命を辿るように、彼女も人生の幕を降ろすことになります。 桜の花が「日本の象徴」だとすると、その花びらを散らす木の下で新子の生涯を閉じさせたのは、単なる視覚効果の追求ではなく、時代に対する批判精神の為せる業だったのでしょう。周作は新子の亡骸を抱えて涙しますが、彼女の行動を理解することはできません。 「どうしてなんだ!?」、慟哭の声が空しく響きます。
しかし、失礼ながら奥津の場合は「闘う」と言うより、やられっぱなしという方が適切かもしれない。 美作三湯「湯郷・湯原・奥津」と言いながら、しかも湯原より圧倒的に関西に近いのに道路整備もされず、観光客はあまりにも少なかった。その結果、廃墟のような温泉街となってしまった。バブルの頃、あちこちに大型ホテルが出来、ボーリングをして、循環して、水道水を混ぜて、、、、、それでも客は押しかけたが、奥津には関係のない話しだった。 奥津は、西日本、いや、日本でも希な自噴適温の足下湧出極上湯の里。しかも、そのほとんどが、枯れて鄙びていて、我々の郷愁を誘う。こんな雛にも希な奥津温泉を、「良く守った」と能天気な温泉評論家は賞賛するが、そんな生やさしいものではなかったはずだ。 足下自噴の極上湯の里で、しかもエロスと退廃の文学的なムードを醸し出す町はこうして出来上がったのだ。現在、多くの人はやっとその価値を認め、奥津は再び脚光を浴び始めた。 奥津のすばらしさは、街道沿いに並ぶ奥津荘、東和楼、河鹿園の隣り合った三軒の旅館が、そろって足下湧出の極上湯であることだ(河鹿園は現在は足下湧出に近いかけ流し)。自然噴出だけに、それぞれ湯温も湯質も微妙に異なる。 奥津は、アルカリ性の放射能泉である。人体に危険でない微弱の放射線を浴びると、細胞に僅かの傷がつき、その傷を治そうと修復機能・免疫機能が活性化する。そのため自然治癒力が上昇する効果をホルミシス効果という。放射能泉のラドンを含む温泉に入浴したり、飲むことでこの効果が活性化している可能性がある。が、中国地方には放射能泉が多いが、そのほとんどは冷泉である。このラドンは空気中にでるとあっという間に飛散する。万一加熱したら、その時点でほとんど消え去る。よって、放射能線では適温の自然湧出の放射能泉を足下湧出の極上湯で入ることが温泉効果を得る絶対条件となる。 同じような放射能泉の足下湧出の三朝では、やや高温で長湯が出来ないのに対し、適温の奥津は長湯が出来、自然の恩恵を十分に味わえる。
「がんばっていればいつか花が咲くからさ」、そのように言う世の中の人はつくづく勝手である。実際には、日の目を見ず埋もれていく屍が多い中で、たまたま脚光を浴びたものだけを「時代があなたを呼んだ」などと賞賛し、「苦しかった日々が報われたね」と喝采する。 急に訪れた拍手の嵐の中で、舞い上がり、自らの本質を見誤り、やがて移り気で勝手な人々から忘れ去られるという歴史は枚挙にいとまはない。 温泉の世界にも、そんな話しはたくさんある。秘湯がマスコミに取り上げられて大挙して一見客が押しかけ、舞い上がって借金して設備投資して、潮が引いたように客が遠ざかり・・・・・悲しいパターンは多い。 これも人の世の無情であろう。奥津温泉は、美作三湯の中では、時代に取り残されたような存在である。関西圏に近いという利点がある割に、交通事情も改善されなかった。何十年にもわたる国とのダム闘争の果てに、必要な公共投資が全て見送られたからのようだ。高度成長時代の大ホテル化にも、現在の演出型秘湯時代にも取り残された。 その中で、奇跡が起こった。まさに、至極ともいえるべき湯、足下湧出極上湯が、21世紀の日本に残された。奥津荘は、そんな奥津温泉を代表する旅館だ。 木造の黒光りした玄関を通ると、やがて、湯に降りる階段がある男女別の内湯に家族風呂が並んである。このうち、男性用大浴場が旧津山藩専用で普段は鍵を掛けたという「鍵湯」だ。 湯を見て初めて気づく。なぜ、平地の玄関から階段を下りたか。ここは、元は河原なのだ。河原の岩で作った自噴の湯の上に建物を建てたのだ。 よって、浴槽の底は、ごつごつの岩で尻を落ち着ける場所を探すのに手間取る。40℃あまりの青光りする妖艶な湯が、岩の間から噴出し、湯船から溢れ浴槽の床を川のごとく流れていく。岩の間から時々あがる気泡を見続けていると「一生このままでいい」と、湯に引き込まれ魅せられていく自分に気づく。 奥津の湯は、あなたの温泉感を、根底から覆すに違いない。成分を見てもわかるように、奥津の湯は決して濃く無い。手を握っても濃度感は、全くない。しかし、心から、贅沢な気分とは何なのか、湯に癒されるとは何なのか、それがわかる湯だ。温泉ファンのみならず、心に針がちくっと来ている人も、ぜひ、訪れるべきだ。 奥津が変わっていると聞いた。あの、時代に取り残された奥津が、ついに変わっていると聞いた。奥津のイメージは、頑固一徹の老人。変わらないことが、奥津の個性。 岡山の代表的な温泉は、美作三湯といって湯郷・奥津・湯原である。 その中で、棟方志功はじめ多くの芸術家に愛され、映画の舞台にもなった奥津は一段上等な温泉地だった。上等の証は、各家の鴨居や襖絵、軒下の飾りに実に色っぽくセピア色に残されている。 しかし、奥津は政治的に社会から見捨てられた。それは、数十年に渡る町長を先頭としたダム反対闘争の影響と言われている。その間、日本には高度経済成長が来た。観光ニッポンとなった。JALパックで海外にも多く出かけた。高速道路が出来た。中国縦貫道が大阪から伸びて岡山の湯郷温泉は栄えた。ただ、高度経済成長らしく、見渡すばかり大旅館ばかりで湯量が追いつかず、循環ばかりである。 湯原も、大山・蒜山のリゾート開発とともに発展し大旅館ばかりになったが、バブル崩壊とともに廃墟になりかけた。しかし、タイミング良く高速米子道がつき、大阪からのアクセスも便利で、温泉街の努力もあり息を吹き返した。湯量は桁違いに豊富で、大ホテルが並んでもびくともしないかけ流しは立派だが、集中管理方式で新鮮さには疑問が残る。 しかし、奥津には、まともに大形バスは入らなかった。ハイデッガーのバスなどとんでもなかった。数軒あった鉄筋の施設は倒産。結局、奥津温泉には高度経済成長も、バブルも関係無かった。 しかし、時代は温泉に「源泉掛け流し」「大形宿より秘湯ムードの小粋な宿」を求めるようになった。まさに、奥津にぴったりの時代。 ついに奥津が動き始めた。枯れて朽ち果てそうになっていた河鹿園と奥津荘が、昨年相次いでリニューアル。そして現在、東和楼が改築中である。足下湧出・源泉掛け流し御三家がどうなったのか? どこへ向かうのか? 足下湧出泉はどうなったのか? 興味津々で奥津荘に向かった。
その他:奥津温泉では、入浴手形1枚でお1人で3箇所の内湯が楽しめます。有効期間はなく、手形の代金は1300円です。協賛施設で販売しています。協賛施設は以下の通りです。 東和楼、奥津荘、河鹿園、湯宿西西、花美人の里、大釣温泉 ______________________________________
夜8時には、男女の浴槽が交代し、鍵湯が女性になり立湯が男性になる。立湯は、真賀温泉館や長門湯本の恩湯のように非常に深い浴槽で、130cmの深さがある。3人程度しか入られないが、宿の規模から言うと適切。足下の岩盤にパイプがさしてあり、そこから湯が噴出するという準足下湧出。湯の中で建って目を閉じていると、無重力の気分で浮遊感があるから不思議。 さて、お待ちかねの夕食だ。かつては部屋食で、若干地味な印象のある宿だった。頑なに山のもの地元のものにこだわり、それなりに固定客はあった。ところが、リニューアルで川の流れに面した食事処が新設された。決して豪華ではないが、清潔。壁にはさりげなく奥津を愛した署名な画家の作品が飾ってある。時価にするといったいいくらなんだろう。いかにも無防備に飾ってあが、これがこの宿のもてなし。
重厚感溢れる外観。温泉街でも一際格式を感じる 私が訪れたのは2005年6月、リニューアル後しか知らないが、80年前の趣を残しつつ快適でお洒落な空間ができあがっている事に感動を覚えた。 宿の前に車を駐車し、荷物を出す。すると宿の方が駐車場へ車を持って言ってくれた。 このラウンジの雰囲気がすばらしく、着いた早々落ち着き思わず時間を忘れて声をかけられるまで話に花をさかせてしまった。 荷物は抹茶を飲んでいる間に部屋へ持っていってくれる 宿の中は赤い絨毯がひかれ緊張感がある。 この掛け軸は棟方志功という方の作品。 1泊2食付 13800円 部屋からは窓の外にある大きな銀杏の木と川が見え展望が良い。夜9時までは銀杏の木がライトアップされ、窓からは幻想的な景色が望める。 部屋のライトは白熱灯の間接照明の為、部屋の雰囲気がやわらかい。 部屋には立派な液晶テレビが置かれ、冷蔵庫には水やジュース、ビールが用意されている。その他、金庫、浴衣一式、ドライヤー、お茶セット・茶菓子がある。 夜ご飯は食事何処でいただく。 四季折々の素材をうまく使用した丁寧で上品な料理、こんなにすばらしいコースを食べられるのは通常2万円以上の宿泊料金を出してこそ。 食後はラウンジでコーヒーのサービスがある。 この日の宿泊客は3組。食後のコーヒーの時以外ほとんど顔をあわせる事がなく貸切の気分だった。 日曜日泊だからという事もあるが13800円でこれだけのすばらしい食事に空間を堪能できる宿は全国でも少ない。 奥津温泉 奥津荘 岡山県の美作3湯で足元湧出源泉浴槽のある宿は奥津温泉の2つであろう。その中で日本の温泉の至宝とも言える奥津荘の鍵湯と立ち湯をレポートした。 1. 鍵湯、立ち湯ともに足元湧出天然岩風呂 奥津温泉で圧巻なのは奥津荘の鍵湯と立ち湯であろう。立派な唐破風のエントランスがある宿の重厚さも素晴らしいが、さらに凄いのは鍵湯と立ち湯の2つの足元湧出源泉浴槽である。 鍵湯は広い浴槽で底の岩から温泉が湧出し、溢れた湯が洗い場の床一面に流れ去っている。浴槽の表面は澄み切っていて底の大岩やコンクリートで固めた隙間が湯を通して見える。そして湯が表面張力で盛り上がっているかのように錯覚するほどに、表面が鋭利に光り輝き、溢れて薄い流れが床前面に出来ている。 足元湧出の掛け流し温泉の最高の演出である。薄暗い照度で、雰囲気は日本屈指の温泉浴室ともいえる風格である。また私が好きなのは女湯に利用されている立ち湯である。 深い浴槽でかつ美しい湯なので、湯の色が川の淵のように緑がかり、清澄で清楚な温泉を際立たせている。まさに適温の温泉が、天然岩の足元からゆらゆらと自噴している事実があり、入浴してみると身体全体で分かり、素晴らしい温泉体験が実現できる。
またエントランスは赤いじゅうたん敷きで、レトロな造りの内部造作に華やかさを持たせている。玄関横にはカフェをしつらえて改修された。しかし外観は古いままを維持しており素晴らしい。離れの宿としてそれを主体に営業されているが、本館の2階の立派な建築に泊まってみたいと思った。 __________________________________
奥津温泉のもう一つの名物は老舗の2軒に足元湧出自噴浴槽があることである。湯原では砂湯、真賀幕湯、郷禄の3箇所に足元自噴源泉浴槽があるが、奥津は2つの旅館にある。その一つが東和楼である。古い造りの木造の3階建てのエントランスが立派である。2階と3階の間に小屋根があるので4階建てに見える。隣の奥津荘と並んで風情のある町並みになっている ここの浴室に行くのは面白い、アーチの洞窟を抜けて川原に向う、すると小さな浴室があり、天然岩の露出した浴槽があった。男湯の底に温泉が湧出している。足元自噴であるが湧出口がパイプになっているので湧出する圧力が掛かり、もりもりと強い勢いで湧出している。そのまま掛け流しになっている。
奥津温泉の中心、河鹿園と奥津荘の間にある老舗の旅館です。一部では奥津温泉で一番 中に入って女将さんにお願いをすると、快くOKとの事です。「うちのお湯は、柔らかくて優しい、気持ちが良いお湯なんですよ」と、女将さん。平日の湯めぐりでしたので、この日は他に利用者がおらず、「貸切で、一緒に入って良いですよ。男湯の方が源泉の直上にあってお湯が良いと評判なんです」と仰って下さいました。これは、期待に胸が膨らみます! さて、そのお風呂。館内を少し歩いた先にあります。途中洞窟のような 浴室はその廊下を歩いた先にありました。 でも、女湯の後に男湯を見て、驚きました。湯船の大きさは少し大きいくら お湯は湯底から沸いており、時折気泡がポコポコと上がっています。 お湯は僅かにツルツルするお湯で、奥津らしい、柔らかいお湯です。お湯 ずっと浸かりっぱなしだと湯あたりしそうだったので、出たり入ったりをしな そんな事を考えながら、30分弱の時間を過ごしました。 安らぎの湯(奥津温泉 東和楼) [入浴日: 2010年2月12日] 岡山県の美作三湯のうち、わたくしの好みは団体客に似つかわしくない静粛な奥津温泉、なかでも川沿いに並ぶ源泉かけ流し宿三軒のうち、頻繁に利用するのはこの宿なのである。立ち寄り湯を請うにあたって、こちらが一番好意的な印象があり、敷居が低い。お隣の「奥津荘」と比べてみればわかると思う。それでいて泉質は足元湧出の「鍵湯」と比べてまったく遜色ない同じ足元湧出のすこぶる清明な湯なのであるから。 たしかに施設の細やかな造り込みや清潔感は「奥津荘」に軍配が上がる。こちらはさすがに古さと管理の甘さも垣間見えるのが実情。例えば浴室で身体や頭などを洗うと、浴槽の淵が湯面と近いため洗い流した湯が浴槽に混入するのではないかという懸念等である。ただ、わたくしの求めるのは泉質であり、多少の古さなどなんでもなく、温泉の使い方において優れた見識を持つこの宿に好意を抱きこそすれ不満などありはしない。 源泉かけ流しと称する施設でも、眉唾物は多々ある。湯口からチョロチョロとアリバイ的に源泉を混入させてかけ流しと称する物が目立つ。少量の源泉を浴槽の表面に流すだけでは、下手をすれば循環施設より危険な場合もある。その点こちらの宿の浴槽のように、パイプで下から潤沢に源泉を混入させて湯を攪拌させるのが本来のかけ流しと言ってよく、そのため湯が常時新鮮なのである。まことに清明なアルカリ性単純泉を存分に味わえる。無色透明で個性が強い湯ではないが、白湯とは浴感も味覚もまったく異なる。微妙に甘味が感じられる柔らかな湯だ。 一つ残念なのは、男女別に分かれた浴槽の女湯は浴槽が小振りで、かつ男湯にあるような完璧な足元湧出を経験できないということ。そこで立ち寄り湯の場合、平日の昼間は大抵空いているので、他に客がいないという条件下ならば女性も男湯に入浴させてもらうことも可能だ。わたくしの利用時は女将さんの好意でいつも貸切にして頂いている。 奥津温泉に来たならば、こちらの宿のお隣二軒を含む三軒の源泉かけ流し宿か、河原露天の湯に入らなければほとんど意味がないことを付け加えておきたい。http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/myList/uid_0000007025/1.htm
奥津温泉のなかでも、個人的に一番居心地が良く自分に合っていると感じたのが、この「河鹿園」だと思います。 写真2枚目の(やっちゃん?)がこの寒い中、出迎えてくれました。今回訪れた旅館の中でも、もっとも清潔で美しくゆっくりと源泉を堪能することが出来ました。 浴室も芸術的なデザイン(写真3、4枚目)を取り入れておられます。そこに贅沢にも源泉が溢れ出ており、またそのサーッと流れていく音が浴室に響き渡り、もう心地よくてたまりませんでした。 奥の濃いブルーのところが浴槽で、その周りの薄いブルーのところが、オーバーフローした源泉が流れていく様子です。静かに流れ去る源泉を見ているだけでも、あっという間に時間が経過していきました。 「河鹿園」は「東和楼」や「奥津荘」と同じく源泉かけ流しですが、若干泉温が低いため加温されています。ただ、温めに調整されているため、いつまでも入っていることが出来ます。泉質ですが、無色透明無味無臭ですが、やはりココのお湯もヌメリがありサラサラしています。極めつけは体にまとわりつく気泡です。今回入浴したどの温泉よりも、一番まとわりついてきたと思います。 また浴室の大きな窓からは吉井川が見られ、奥津温泉の中で最も高台にある「湯宿西西」よりも景色がよく素晴らしかったです。ぜひまた来て見たい温泉になりました。 _ http://www.asahi-net.or.jp/~ds2m-kns/onsen/kajikaen.html _________________________
ほんとに河鹿園はもったいない、温泉ファンには最高のシチュエーション。 _______________________
河鹿園はやや湯温が低いらしく、若干加熱をしているようだが、その加熱の仕方が嬉しい。たっぷりのかけ流しの湯がつぎ込まれ、湯船の底からは、湯をかき混ぜるための加熱湯も勢いよく水圧噴射される。このために、大量の川の如きかけ流しとなるのだ。ただのかけ流しだと、流し込んだ湯が湯面のみを走りオーバーフローして、湯船の底には滞留した湯が残り滅法汚い。温泉ファンあこがれの湯宿で、湯の底に髪の毛が大量にふわふわしているケースさえあるのだ。多くの温泉ファンは、「かけ流しは素晴らしい」「循環なんか駄目だ」と理知的ではなく感情的に走る。しかし、本当に素晴らしいかけ流しはこのスタイルだろう。
昭和初期のモダニズムとエロスを感じさせる雛にも希な佳宿 風呂なら、間違いなく奥津荘の鍵湯が素晴らしい。アワとともに湧き出す足下湧出の極上湯だ。東和楼も負けない。同じく足下湧出で、体が浮きそうなほどの勢いでわき上がる。温泉好きの2軒だろう。 ただし、自らの身と心を委ね、心から癒されたいと思うなら、当倶楽部はこの河鹿園をお勧めする。奥津荘も、東和楼も素晴らしい。しかし、河鹿園には形ではない何か、そう、空気だ、空気がおそらく日本の宿の中でも図抜けているのだ。たとえて言うなら、葉山・大磯あたりの戦前の別荘か。大人の、密やかな、そして秘したエロスを感じるのだ。こんな湯宿は、そうはあるまい。 ここ河鹿園は、奥津源泉宿3軒の最奥部にたつ宿。旧津山藩主の元別荘で、文化の薫りに溢れている。特に、棟方志功のお気に入りの宿で、館内には志功の作品を始め、多くの日本画・洋画・版画が溢れ、宿全体が画廊のようである。 湯に入る前に、まずはこれらの芸術で心を満たそう。そして館内を歩くうち、ここが単なる芸術の宿ではないと気付く。そこはかとないエロスを感じる。大人の、上品なエロスだ。それは映画「ツイゴルネルワルゼン」を彷彿させる品のよい昭和初期の内装であるが、きちんと手が入れられて、何とも落ち着くではないか。棟方志功設計の茶室や日本庭園の向こうに佇む別荘も在りし日の風雅な遊びが想像される。そのような愉しいひとときを味わったら湯にいこう。 女性が半地下、男性が半2階(男女入れ替え制)にあるが、大きさも風情も、何もかも違う浴槽だ。半2階の浴槽は奥津としては近代的で大きく、吉井川の流れと、浴槽から大量に掛流されるアルカリ性放射能泉の流れる音が合いの手を打って、目をつむって静かに音を聞いていると午睡に微睡む。半地下の風呂は、小さく野性的な岩風呂風。足下湧出のように継ぎ足される柔らかき湯は男性のそれより新鮮と感じ、蕩々と掛流されていく。 河鹿園はやや湯温が低いらしく、若干加熱をしているようだが、その加熱の仕方が嬉しい。たっぷりのかけ流しの湯がつぎ込まれ、湯船の底からは、湯をかき混ぜるための加熱湯も勢いよく水圧噴射される。このために、大量の川の如きかけ流しとなるのだ。ただのかけ流しだと、流し込んだ湯が湯面のみを走りオーバーフローして、湯船の底には滞留した湯が残り滅法汚い。温泉ファンあこがれの湯宿で、湯の底に髪の毛が大量にふわふわしているケースさえあるのだ。多くの温泉ファンは、「かけ流しは素晴らしい」「循環なんか駄目だ」と理知的ではなく感情的に走る。しかし、本当に素晴らしいかけ流しはこのスタイルだろう。 100%許容範囲である。掛流し量は奥津で最大で、日本でもトップクラス。贅沢を感じる風呂だ。
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