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Re: 釈迦は何故日本に再誕したか 2__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!! http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/342.html
(回答先: 釈迦は何故日本に再誕したか 1__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!! 投稿者 中川隆 日時 2010 年 4 月 11 日 17:32:25)
初めまして、えー、先般福岡の講演会に休んでしまいましたら、 私くし いたく反省いたしておりますので、
北朝鮮、ミサイル発射の深層【『金正日守護霊の霊言』CM】 世界没落体験とは: 青年期に初発する精神分裂病に「世界没落体験」という症状がある。 急性期に現れる妄想で「世界が今や崩壊に向かっている。いやすでに崩壊した。森羅万象のことごとくが生命を失った。最後の審判が開始された。世界革命が勃発した」などの、周囲の世界の劇的変化が絶対的な妄想確信をもって迫ってくる特有の妄想である。 この妄想の際には不安と同時に昂揚感や宗教的啓示が現れ、世界の崩壊と同時に新しい未知の世界の誕生が予告され、しばしば世界の中心にある自分が至上者と一体化するという宗教的恍惚感が生じ、ときに救済妄想にいたる。 精神病の初期には、自己の内部が崩壊していくカタストローフの感覚があり、しばしば患者は「自分が誰かわからない、狂ってしまいそうだ」と表現するが、この内的カタストローフが外界に全面投影されて生れるのが、世界没落体験である。 一般に思春期は、自己のアイデンティティを形成していくうえで、危機的状況にある。「自分とは何者か」、「何処からきて何処へ向かうのは」、「何をすればよいのか」と真剣に悩む。 世界没落体験は分裂病特有の症状というより、思春期を含めて、人が精神的危機状態にあるときに親和性を示す普遍的な心理的メカニズムなのである。 分裂病患者は異常体験を説明するのに「電子頭脳」や「テレパシー」などSFの言葉を使うことが多いが、「魔術師に魔法をかけられた」などとファンタジー用語を使う人は見たことがない。 これはなぜだろう。 それはたぶん、SFと分裂病の妄想との間には共通点があるからなのだろう。 まず、SFは世界を描く小説だということ。ファンタジーではあくまで異世界における人間が描かれるのに対し、SFには世界そのものを疑い、新しく構築しようとする意志がある。 一方、分裂病患者に特徴的とされている症状に、世界没落体験というのがある。 これは「世界はいまや危機に瀕している。世界の終末は近い」という、周囲から迫ってくるような絶対的な確信のこと。 分裂病患者にとって、世界はグロテスクに変貌をとげつつあるのだ。それじゃホラーじゃないか、だと思われるかもしれないが、ホラーの理不尽な世界で人間が長いこと生き続けるのは難しい。グロテスクで不条理な世界の中で自己を守るためには、SF的な論理を使ってでも世界を論理の中に位置づけるしかないだろう。それが、分裂病者がSF用語を選ぶ理由なんじゃないだろうか。 さらに、SFには、形而上的なものを強引に形而下に引きずり下ろしてしまうという特徴がある。抽象的な思想も無理やり「絵」として見せてしまう。バリントン・ベイリーの諸作を思い出してもらえばわかるように、これはSFのパワーであると同時に安っぽさの源泉でもあるのだけど、一方で分裂病の思考にはコンクレティスムス(Konkretismus(独) 英語ではconcretism。具象化傾向と訳されている)という特徴がある。 分裂病者は比喩や抽象を理解できず、そのまま具体的に受け取ってしまうというのだ。 ________________________________________________________________ それで実際の大川隆法先生の世界没落体験の方は:
さて。1988年に出版された「ノストラダムスの新予言」によると… ノストラダムス ノストラダムスです。 ―― あなたは予言者ノストラダムス様ですか。 ノストラダムス そうです。 ノストラダムス これは前哨戦ではありますが、三番目の世界大戦が起きます。この勃発は、おそらく1992年ぐらいです。1992年春です。 ノストラダムス 1992年春、まず1つの核ミサイルが飛んでいる姿が見えます。これは核戦争勃発の発端でしょう。私の眼には核ミサイルが、ヨーロッパのある都市に落ちているのが見えます。 ノストラダムス 1996年から7年にかけても、また大きな戦乱が起きてきます。(略)中東のイラン、イラク、そうした国々は、核ミサイル、その他の通常兵器によって、かなり徹底的に破壊され、人口はおよそ5分の1になるでしょう。 ノストラダムス 1998年4月、世界の地形が変わりはじめます。私の眼には幾つかの大陸が沈んでいく姿が見えます。最初に水没する所がでてきます。最初に水没するのは…アメリカ西海岸です。アメリカ西海岸が沈んでいきます。 ―― そんな感じで、肝心の1999年7月にはバンアレン帯が裂けて宇宙線や紫外線が地上に降り注ぎ、ついでに地軸もずれて天変地異が次々と起こるそうです。 ノストラダムス 鯨が熱帯の海に泳ぎはじめたり、また北極海に、熱帯の魚が押し寄せたり、こうしたことが起きてくるでありましょう。日本の漁師たちも魚を漁りに言って信じられないものを漁る、捕獲するようなことが起きてくるようになるでしょう。 1999年は大変な年であります。 ―― それは大変ですね。 そして気になるソ連の運命ですが、2003年から第四次世界大戦が始まって、ソ連は徹底的な打撃を受けるそうです。 ノストラダムス 共産主義を信望するソビエト政府は、この大戦によって滅んでいきましょう。ソビエトは中国によって滅ぼされます。 ―― その時期、中国は共産主義政権ではないわけですね。 ノストラダムス 帝国主義です。自由主義的帝国主義になっております。 ―― ともあれ、2020年には「幸福の科学」の教えが世界中に広まり、素晴らしい大調和の時代を迎えるそうです。めでたしめでたし。 ちゆ が個人的に大川先生の最高傑作だと信じているのが、1991年に出版された「ノストラダムス 戦慄の啓示」です。 その内容は、日本を海の怪物・リヴァイアサンにたとえて、それが世界征服するという予言です。 21世紀、リヴァイアサンは無敵となるであろう。 特に、大川先生ノストラダムスのアジアに対する怨念は凄まじいものがあります。 ああ、ああ、何だろう、この魚の大群にも似た国は。 おまえたちは、海に程近いところにいるではないか。なのに10億の小魚たちは群れをなして、どこにその姿を隠せばよいかさえわからぬらしい。 おまえたちは、いったい何のために生まれてきたのか。 十一億の中国の民は、三億人にまで人口を減らす。 八億は死ぬ。 いかなる死に方をするか、それをあなたがたに選ぶ権利はない。 あなたがたは、人間として生まれて来ないほうがよかったのだ。
最も愚かなる者がいる。 引き裂かれたる姉妹が、一つになろうとするとき、この姉妹の不幸が起きる。この由緒ある家柄に育った姉妹は、再び怪物に犯され、怪物の子を孕(はら)むことになる。 おまえたちは、怪物の子を産むことのみによって生き長らえることができるのだ。 海の怪物は、おまえたちを犯しに再びやって来る。そのときに、手のひらを返したような態度をとっても、もう遅い。 借金のかたに娘を奪われるは、いつの時代も同じ。そのときに泣き叫んでも、もう遅いのだ。 おまえたちの、不幸を愛し、不幸を忘れず、不幸を心に刻み、不幸を他人のせいにし続けた心が、また不幸を呼ぶことになるのだ。 相手は海の怪獣なのだ。 怪獣に対して、小魚が嘲笑ったということが、命とりとなったのだ。それをまた深く悔いることが来るであろう。
結局、「史実と異なることを話す霊言」と「まるで当たらない予言」のダブルパンチは後で激しく非難され、これらの霊言集は全部廃刊になります。 しかし、だからと言って大川先生が嘘つきなのではありません。 実は、一般の人が知らない間にも「幸福の科学」の会員さんたちの努力が続けられていたのです。その結果、天変地異を起こす「悪想念」が減らされて、予言された事態が回避されただけだったのです。 その時点で予言書は役割を終えたのですから、その後もあえて出版し続ける必要はないというわけです。ブラボー。
142 名前: 湾岸戦争のときの予言 投稿日: 2001/06/02(土) 02:37 昔の宣伝チラシを発見しました。90年頃のもの。以下引用
●動乱の中東 アメリカを主役とした多国籍軍とイラクとの間に始まった戦乱は、 ●EC統合は失敗 1992年、EC統合。しかしこの動きは大方の予測と期待にもかかわらず ●血に染まるソ連・東欧 (略) ●革命と天変地異の中国 1997年。香港返還の前後に起こる中国の革命運動は、強力なる ●地に堕ちるアメリカ (前略)ウォール街には死の商人の匂いがたちこめ、 ●世界の人口は半減、日本も又…? 戦乱、飢饉、天変地異の時代を迎え >これは悪夢ではない。現実である。 ●日本はどうなる? これは地球規模での大動乱です。日本もその災いを ●正確な予言情報を発信できるのは、霊天上界と直結している「幸福の科学」だから 湾岸戦争が始まる頃に配られた戸別用のチラシのようです ________________________________________
私はみなさんに言っておきます。 「阪神大震災の“大”の字は、付ける必要がなかった」と言われる時期が迫ってきているということを――。 これは最後ではない。これが始まりである。
(中略) この、首都圏を中心とした次なる大震災に、いかに対応すべきか──。 私もここ一週間ほど考え抜いたのですが、 すでに、世紀末まで押し迫っているこの時期において、こうした大きな震災を止めうる手段はないと思います。 _________________________________________
大川隆法・幸福の科学主宰は,今年【=1995年】2月5日の大講演会(於・横浜アリーナ)で今後世紀末の数年間に起こりうる日本各地の大地震について,具体的地名を挙げて明言した。【〜略〜】 九州 「次に,北九州の福岡方面に,海底での地震による被害が予想されます」
近畿 「奈良,和歌山,この直下型地震」 「それから,原発があるところの敦賀中心の地震。琵琶湖から日本海へ抜ける断層が危険です」
関東 「さらに,東京においては,東京湾直下型地震」 「さらに,東京西部八王子,立川の活断層の地下における直下型地震」 「さらに,東京荒川断層直下型の地震」 「さらに,津波を伴う房総沖の地震」
「そして,青森と函館を結ぶ途中の海底で起きる地震」 「その他にも,私に感じられるものは数多くあります」 (『The Liberty』創刊号,1995年5月 24項〜25項) ___________________________________________________________________
この頃まで世界の中心だったニューヨークは、その機能をほぼ壊滅的なまでに失っているでしょう。ロンドンの人びとは、夜明けの薄明かりの中を、手探りをしながら歩いている状態です。 フランスは、眠っております。中近東は、仮死状態です。中国では政変が起きて、共産主義体制が急速に崩壊していきます。 ソビエト? その名は、死を意味しています。大きな死体が横たわっているのと同じです。 日本は――日本は、全国各地で復旧作業が続いているでしょう。自衛隊員が、ミミズのように分断された新幹線の線路工事に、玉のような汗を流しているでしょう。かつて都市だった太平洋岸のある地域には、黒潮が打ち寄せて、藻が繁り始めています。 日本各地で、政府主催の合同慰霊祭が行われて、その読経の声が低く流れております。しかし、日本は無事でした。この災難を機に、日本では、神理を求める声が全国津々浦々から聞こえてき始めて、人々は悪しき万能主義、唯物主義の迷信から目覚め、光へと向かいつつあります」 (大川隆法『黄金の法』角川文庫版 204ページ15行目から205ページ11行目まで)
「太陽の法」といえば、思い出されるのが大川隆法の代表作だ。ここしばらくの間に「アラーの大警告」「ノストラダムス戦慄の啓示」など立て続けに発表し、その売れ行きも好調なようで、そのしたたかな商売人ぶりは注目に値するほどだ。 湾岸戦争突入直前に、シドニー・シェルダン級の大宣伝をうった「アラーの大警告」は、テレビで連呼されていた「イスラムの原理」や「アラブの商法」といった日本人に馴染みの薄い言葉と同様の不気味なエキゾチシズムを持っていた。そのポスターは戦車やミサイルや雷様の跋扈する黙示録的世界を描いたものだったが、その図案は1973年の第一次ノストラダムスブームの折、勢いのみで作られた東宝映画「ノストラダムスの大予言」のものと非常によく似ていたので、その手の事情に明るい者達の失笑を買ったのだった。 しかし大川隆法の悪ノリに留まる事は無く、300万部を売ったと自称する「ノストラダムス戦慄の啓示」と、神がかり社長が率いる角川書店から「ノストラダムスの新予言」が文庫化されたのであった。この2冊の「ノストラ本」、大川隆法がお筆先でノストラダムスのメッセージを受けとり、「戦慄の啓示」では詩篇として、「新予言」ではヨハネやエリヤといった聖書に登場する預言者達を交えたインタビューによって世界の滅亡が熱っぽく語られるのである。 大川による人類滅亡のシナリオは、戦争と天災、バンアレン帯が真二つに裂けた挙げ句に数億人が死んでしまう、というこれ又物騒なもの。しかし日本を中心に『太陽の法』が広まり、2010年以降は救世主の言葉通りに世界は新しい秩序を取り戻してめでたし、となる。これの一体どこが五島勉による人類滅亡の筋書きと違うのだろうか? 五島勉が押えた口調で「死ぬぞ死ぬぞ」と脅迫したのに対し、大川は「熱帯の魚が北極海に押し寄せる」と大ボラを吹いている。せいぜいがその程度の差しか無く、内容は73年以降のノストラダムス話の焼き直しでしかない。 つまりは五島勉が考えた人類破滅のアラスジにそのまま便乗し、「世界を救うべく」「『太陽の法』を日本中心に広めていく」商売にノストラダムスを見事利用した者こそが大川隆法なのだ。 実際、膨大な量を誇る大川の著書のほとんどはオリジナルな悟りの境地から生まれたものでは無く、仏教、儒教、イスラム教といった既成のものを使った当たり前の道徳や説教のたぐいにすぎない。 そこにUFOだのノストラダムスを恥も外間も無くぶち込めば、「新興宗教なんて」と馬鹿にしていた、73年のブームを知っている世代もついつい軽い気持ちでそれらの本を手にしてしまう。 五島勉から大川隆法と連なる破滅志向のデマゴギスト達を支えているのは、洒落と紙一重で世の中を見る事が格好良いと考えている若きおタク連中の一部なのである。http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/242.html 5139.地球系霊団の最高責任者? 名前:アウグスト 日付:10月1日(木) 18時47分 大川髢@という人は状況を客観的に把握する能力が決定的に欠けていると思います。 民主党政権が行き詰まったら、民意は第3極である幸福実現党に向かう 幸福実現党=KKが世間からどのように見られているか はっきり言ってカルト教団が政治的野心から立ち上げた怪しげな政党 KK信者が10万人台であることを知らないはずはなかったと思いますが あのバブル大伝道の時は世紀末の恐怖の予言で信者を駆り立てていました。 そしてやってきた1999年の7月 記憶は定かではありませんが そこで考え出したのがエルカンターレの光がノストラダムスの予言を滅ぼしたのだ 下手な言い訳にしか聞こえない論理だと思っていましたがとにかく不幸は現実化しなかったのだからよかったではないか。 しかし今回また同じような行動原理が使われました。 愛する人を守るために今こそKK信者が行動を起こさなければならない。 確かに世論に一石を投じるという役割は果たしたかもしれません。 総裁には状況を客観的に把握する能力がないのでは? 5142.Re: 地球系霊団の最高責任者? かつて阪神大震災の直後(良く覚えていないことをお詫びします) あの頃は信者の多くが必死で伝道したものです。 結果は何事もなく数十万円出して揃えたグッズは今も押入れの中で 何事もなかったことは大変喜ばしいことですが総裁の言葉をどうしても 今は冷静に判断することができますが恐怖心を煽ること自体がお粗末であることはまちがいないでしょう。 今回の選挙も問題のビデオを見た信者は必死で一般の方に伝えていたよ 一石を投じた?ですか。 __________________________________________________________
@ 精神病の感染 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。 この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。
まずは精神医学1995年3月号に掲載されている堀端廣直らによる「Folie a deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」というものすごいタイトルの論文から紹介してみよう。 鍼治療の仕事を営む夫婦の話である。 夫婦は「温和で物静かな夫婦」とみられていたが、1986年8月中旬から、妻の方が「宇宙からの通信」を受け始めた。その内容は「病気はこうしたら治る」「宇宙から素晴らしい人がやってくる」といったものだった。また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。 そして約1ヶ月後には夫も同様の被害妄想をもつようになり、宇宙からの通信を受け始めたのだという。妄想が感染したのだ。二人は治療を求める客に対して「あなたは価値のない人間だから」などといって断るようになる。昼間から戸を締め切り夜は部屋の電灯を一晩中ともして「宇宙からの使者を待つ」生活をして周囲から孤立していった。 そして約二年後のこと。今度は夫の方から「宇宙語」と称する言葉をしゃべりはじめ、半年後には妻も同調して二人は「宇宙語」で会話するようになったのだという。近所に抗議に行ったり通行人を怒鳴り追いかけるときにも「宇宙語」を発して近所の人々を驚かすこともあった。 宇宙語は中国語やスペイン語に似た言葉のように聞こえたとのこと。子供が3人いたが、感化されることもなく宇宙語も理解できなかった。 1991年、妻が通行人に暴力をふるう行為があったので妻のみが入院。妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、同席した夫と宇宙語で会話。しかし入院翌日からは落ち着きが見られ話も通じるようになった。 入院3週間後より夫との面会を許可したが、笑顔で落ち着いた様子で宇宙語は話さなかったという。退院してからは「あのときは自分は一生懸命だったのです。今となっては過去のことです。通らねばならない過程だったと思います」と冷静に振り返ることができたという。 これは春日武彦『屋根裏に誰かいるんですよ。』にも紹介されている症例だが、おそらくこれは「愛」の物語だ。フォリアドゥの成立条件に「2人の親密な結びつき」がある以上、フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。 この症例で興味深いのは、もともとの妄想の発端は妻だったのにも関わらず、「宇宙語」を話し始めたのは夫の方からだというところ。最初妻が妄想を語り出したとき、当然夫はとまどったことだろう。その時点で病院に連れて行ったり誰かに相談したりすることもできたに違いない。しかし、結局夫はそれをせず、妻の妄想世界を受け入れる。それはつまり、二人の間にはそれほどまでに深い結びつきがあったということだ。それから二年後、夫は、世界を与えてくれた妻に対し「宇宙語」を伝え、さらに二人の世界を広げるのである。 「宇宙語」はつまり、夫から妻へのプレゼントだったのかもしれない。
もうひとつ、篠原大典「二人での精神病について」(1959)という古い文献に載っている事例も紹介してみよう。72歳の女行者と25歳の女工の話だ。 まずは行者の方である。老婆は若い頃から信心に凝り、夫や子を捨てて住みこみ奉公をし、金がたまると神社仏閣を遍路するという生活を繰り返していた。いつのころからか病人をまじないし、狸がついているなどというので、昭和31年夏、I病院に入院させられた。病室の隅にお札やお守りで祭壇をつくり大声で祈り、ときどき気合いをかけたりしていた。 医師には「お稲荷さんもこの病院は嫌だといっておりますわ。いろんなことがありますが、いうと気狂いだといわれますさかい」と言っていた。 一方、女工は18歳で母を亡くし、継母とはうまくいかず、郷里を出て工場を転々とし、苦労を重ねていた。入院1ヶ月前、3年間つきあっていた男性から別れ話を持ち出された。 その後、ほかの人が彼女には無断で男から手切れ金を取ったり、すぐあとで別の男から結婚を申し込まれるなどの事件が重なり、発病。「不動さんの滝に打たれていると自然に首が振れだし、止まらなくなりました。不動さんが私に乗り移り問答できるようになりました。故郷に帰れとお告げがあったので荷物をまとめていると、手切れ金の噂をする声が聞こえてきました」。彼女は昭和31年秋に入院した。 1年後にこのふたりは同じ病棟で移る。すると2人はすぐさま一日中話し込み、ともに祭壇を拝み、女工は行者のお経を写すようになる。 このころ、女工は「私の病気の原因を知っていて治してくれたのです」「不思議な風が私をおさえつけもがいているときに○○さん(行者の名前)のお守りで楽になりました」と話している。 女工は、男に裏切られて以来始めて、信頼できる人に出会ったのである。このころの2人はまさに教祖と信者の関係であった。 しかしその関係は長くは続かなかった。いったんは救われたものの、行者の方が「腹の中にいる生き物がはらわたを全部食ったらおまえは死ぬ」「人を犯す霊がお前についている」などと女工を脅すようなことをいうようになり、女工は行者に不信を抱くようになる。 彼女は行者とは別に祈るようになったが、するとますます行者は怒る。結局3週間で2人は争い分かれてしまった。女工は言う。「○○さんは私を計略にかけたのです。○○さんは身寄りがないから私を治して退院させ、退院した私に引き取ってもらおうとしたのです」 その後1ヶ月して面会させたが、語り合わずまた争うこともなかった。行者はその後も変化はなく、女工は症状が消え3ヶ月して退院、故郷に帰っていった。 孤独な2人の、出会いと別れの物語である。
この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。 もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。 「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。 万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。2人は同じ妄想を共有していたのだった。 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。 しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。 私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。
続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。 父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。 悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。 青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。 どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。 その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。 こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。 まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。 このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。 すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。 集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。
さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない! 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。 父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。 この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。 昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。 「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。 長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。 「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。 「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」 「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」 「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」 「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。 笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。 「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」 「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには 「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。 また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。 「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。 体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。 入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも 「お母さんお月さんはありますね」 「お母さんを離れては私はありません」 「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」 などと書いた。母と会わせると抱き合って 「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。 第2週、娘は 「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」 「地球も宇宙も月も捨ててしまう」 「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」 と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると 「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。 主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、 と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。 「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、 「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。 かくして陽子は再入院。第1週には 「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」 「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」 などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。 といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり 「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。 しかし飛べずに興奮し始め、 「過去も現在もなくなってしまえ」 と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。 F フォリアドゥと家族 ← 大川一家は今このケース?
抵抗をやめて吸血鬼(or屍鬼orボディスナッチャーorボーグ)になってしまえば楽になるのと同じようなものだ。 それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。 映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。 これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。しかし、どういうわけか、これまでの文献は、感染した家族には興味を示すのに、狂気に陥らなかった家族についてはほとんど触れていない。「宇宙語」の論文でも、感染しなかった子どものことはほとんど書かれていないし、「家庭内幻魔大戦」の論文でもそうだ。無視しているといってもいいくらいである。 このへん、精神医学という学問の偏りがよく現れていますね。派手な精神病症状には興味を示すくせに、狂気を耐え忍んできた人の心にはまったく無関心。今でこそPTSDなどが話題になってきているけれど、つい最近までの精神医学はこんな具合だったのだ。 発端者は母親であったらしく、結婚前の18歳ごろから 「近所の人たちが自分のことをバカにして笑っている」 とくってかかるなどの行動があったという。21歳で結婚するが、しだいに夫も妄想を共有するようになり、次男Kが生まれた頃には、夫婦そろって近隣といざこざを起こし転居を繰り返していた。 次男のKは4歳のときに幼稚園に入園したが、両親はKが保母に不当にいじめられているという被害妄想を抱き、中途退園させてしまう。またその頃父から「家族は家族だけでやっていくから、もう二度と外の人とは遊ぶな」と言われ、子どもたちは外出を禁じられるようになる。 6歳でKは小学校に入学するが、やはり父は担任の家に電話してどなりつけたり、教育委員会に抗議に行ったりしていた。まもなく両親はKの登校を禁止。Kが登校しようとすると、両親、ときには兄も加わってベルトで鞭打つ、金槌で殴りつける、煙草の火を押しつける、鉄パイプで眼を突くなどの身体的虐待が加えられた。そのため、小学3年生以降はほとんど学校に出席できなくなった。 他の兄弟は親に従ったがKだけは抵抗したため、Kは親の言うことを聞かない子として、兄に行動を監視され、他の家族員から仲間はずれにされていた。Kは自宅内で一人で教科書や本を読みながら過ごすようになる。 12歳、中学校に進学したが一日も出席できず、学校から自宅に届けられた教科書で勉強し、父に命じられて自宅の敷地内の草取りをしたり、自宅内で飼っている豚の世話をしたりしていた。 この頃から、両親の近隣に対する被害妄想はますます強くなり、両親は自宅周囲をトタン板で囲い、月に一、二度のリアカーでの買い出し以外外出をしなくなる。 外出のときには両親はカメラやテープレコーダーを持ち歩き、「いやがらせの証拠」を探していたという。その際にもKは外出を許されず、父から訪問者の声の録音を命じられていた。 15歳ごろより、Kはマンガ家になりたいと思うようになり、マンガの添削教育を受け始める。しかし両親は「マンガなど描くのはやめろ。豚の世話をしろ」と反対し、Kの描いたマンガを破き、届いた郵便物を焼き捨てる。反抗すると、両親はKに暴力を加えた。 Kは両親の妨害を避けるため、自宅の隅に家具やガラクタを積み上げて「バリケード」を築き、その中に閉じこもってマンガを描くようになった。Kの態度に父は逆上、バリケードに灯油をぶちまけて火をつけ、自宅は全焼、Kは右半身に火傷を負い、翌日外科病院に入院した。 入院したKは病院で植皮術を受ける。しかし、手術痕の回復に従い、問題行動が始まった。看護婦の体に触る、夜間徘徊して眠らない、注射・服薬を拒否するなどの行動を繰り返し、病院側から治療半ばにして退院させられてしまう。 病院は通院治療を勧めたが、父は「一旦家から離れた者は家族ではない」といって、Kを父の信奉する宗教施設に預けた。 しかしKはそこでも問題行動を起こし、自宅に帰された。両親はやむなくKを家に置くことを許したが、やはり自宅外への外出を禁じたため、Kは再びバリケード内にこもった生活を続けることになった。 痛ましい話である。Kにとってはまさに地獄のような家だったに違いない。15歳で入院し、家から離れたときになぜきちんと助けを求めなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、それは無理な話だろう。 それまで家族以外との接触がほとんどなかったKには、他者とうまくコミュニケーションをとることができなかったのだろう。 さてこのあと、Kは意外な方法で地獄からの脱出を図る。 17歳頃になると、Kは両親が話しかけても「あなたは誰でしゅか」などと幼児語しか話さなくなり、昼夜かまわず奇声を発するようになった。 また布団の上や鍋の中に大小便をしたり、糞尿を身体をなすりつけて転げまわるなどの異常行動が徐々に激しくなり、両親も対応に困り、翌年11月、救急車で精神病院に入院することになった。 入院したKは、主治医の質問も待たず一方的に喋りだし、 「親から離れて入院できたのは本当にラッキーでした。でも僕は本当のことは言いません。狂気を装っているんです。催眠療法してもだめでしょう」 とうれしそうな表情で話した。入院前の異常行動については 「親が鉄パイプで殴ったり、僕のものを燃やしたりするのが鬱積して、精神病の方へ出ちゃったんです」 「虐待ばかりで学校へも行かせてくれず、訴訟ばかりしている親に反抗して、家から脱出したいと思って、親の方から僕を嫌いにさせようとして狂うふりをしたんです」という。 また「これは父にやられた、ここは母にやられた」と体中の傷痕や火傷痕についてしきりに説明した。 両親への憎悪は強く、「もう自宅には戻りたくない。親戚に連絡して引き取ってもらいたい」と要求。入院が長引くにつれ、 「自分の親は被害妄想狂です。だから僕ではなく親のほうを入院させて下さい」と攻撃的な口調で退院を要求した。 一方両親は、入院時「一生退院させない」と言って面会にも現れなかったが、月に2、3回の手紙は必ず送って来た。 Kは両親が「被害妄想狂」である証拠として、主治医に手紙の一部を見せた。手紙は、警察や近隣、福祉事務所などへの被害的内容が主で、当初は病院に対して好意的だったが、徐々に 「病院も警察とグルになって一家をバラバラにしようとしている」 と被害妄想の対象になっていった。そして、それとともにしだいにKの退院を認めてもいいとも書くようになっていった。 翌年7月、突然父が病院を訪れ、Kを自宅に引き取りたいと申し入れ、即日退院となった。その後もKは以前のように自宅に閉じこもった生活を続けているようだが詳細は不明だという。 Kが本当に狂気に陥っていたのか、それとも本人の言う通り狂気を演じていたのか、この論文でははっきりとした結論は出していない。 それでも、Kは、両親の狂気に対して、それを上回る狂気という奇策によって脱出を図り、必死に助けを求めてきたわけだ。そんなKを、父親に言われるままにあっけなく自宅に引き取らせてしまっていいんだろうか。いくらなんでもこの結末はないだろう。 確かにこの患者は未成年でもあることだし、普通は親が退院させたいと言えば、法的には退院させるほかはない。たとえ親の方がおかしいと思おうが、この両親を無理矢理入院させるわけにはいかない。でも、このような場合には何かほかの方法があったんじゃないかなあ(例えば親戚に介入してもらうとか)。 この論文は、「今後はさらに、本事例児のみならず、他の兄弟の発育についても、慎重に経過を追う必要があると思われる」と結ばれているのだが、本当にそれだけでいいのか?
これに対して『幸福の科学』サイドが激怒(もちろん主宰先生も)。 その報復行為が、会員総出での執拗な電話&FAX攻撃。すなわち 抗議電話を切れ目なく延々とかけ続け、 抗議FAXを切れ目なく延々と流し続ける。 1991年9月2日から5日間にかけて、これら営業妨害・・・じゃない、抗議行動は続けられ、 ________________________________________________________ ノイローゼ事件の顛末 講談社・フライデーへの仁義なき戦いの元になった記事の一つに、”若き日の大川隆法こと中川隆が、霊能者石原氏のもとに相談にいった”という記事があった。 これについては、幸福の科学が石原氏を拉致して脅迫し、石原氏に「相談を受けたのは大川隆法では。なかった」とラジオで発言させた。拉致・脅迫実行者は当時の研修局次長の河内宏(不退)、番組は梶原しげるの本気でDONDON(文化放送)。 番組終了後、対講談社戦争の司令部のあった東京本部に帰ってきた河内は自慢げに「石原は、圧力に弱い。オロオロしながら(河内の)言うことを聞いた。この放送中、発言を翻さないようズッとスタジオ内で見張っていた。」と語っていた。 この番組を録音してダビングしてマスコミ各社に配布していたのは、里村課長補佐。しかし、文化放送側から著作権違反の警告で途中で中断せざるを得なかった。 ここで、名前のでた、河内、里村の両名は、実現党の候補者である。 「石原秀次(正しくは石原常次)氏は語る。『彼(大川隆法)がまだ、商社にいるころでした。ぼくのところに、ノイローゼの相談にきました。【GLAの高橋佳子先生の“真創世記”を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか】と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました。』その青年が、数年後の現在、霊言の形を借りては、あらゆる宗教家、著名人になりかわり、ついには自分は『仏陀である』と語るのだ。(以下略)」等を述べる署名記事。 ___________________________________________________ 大川隆法先生さま曰く 「仏陀がこれほどひどい攻撃をうけているのに、弟子がなにもしなくていいのか」 これは、講談社に対する仁義なき戦いを開始するように指示を出したときのお言葉です。 91年8月の最終土曜日、予定外の出社日、急遽単身で出社してきた大川隆法先生さまは、直ちに主宰室に小澤理事長、竹内事務局長を呼び込み、総合本部の役職者を召集の上、戦争をするように迫ったのです。 ことの発端は、フライデーの写真と記事に激怒したからです。その記事を目にしたのが、タイからの旅行から帰ってからだったので、フライデーの発売から1週間が経過。小澤理事長などは、その記事に対しては、「大変好意的に書いている」と述べていたのに、大川隆法先生さまにとっては噴飯物だったのでしょう。 召集された幹部はの意見は6:4で開戦論が主流でしたが、それでも完全に説得することができませんでした。そのことを小澤・竹内両氏が報告にあがると、大川隆法先生さまは烈火の如く怒り、冒頭のような指示を出して戦争に導いたのがことの真相です。 そこで、再び会議が始まり、冒頭のお言葉を小澤理事長が発言して会議が再開されました。それにより、消極論者も開戦やむなしとなりましたが、それでも強硬に反対するメンバーがいました。そういう人々は、講談社との人脈があった人たちでした。開戦決定と同時に、東京本部に在京職員が召集されましたが、それに先立ち、大川隆法先生さまは、小澤理事長らをひきつれて、講談社周辺の敵情視察に出かけました。 ________________________________________
この不思議な名前に、人は何を思い浮かべるだろうか。 講談社へのファックス攻撃で、教団の名を一躍世に知らしめたフライデー事件。 ハンドマイクを握り、絶叫する小川知子や影山民夫の勇姿。
フライデー事件「会員有志が立ち上がった」は嘘。大川隆法の指示でコロリと変節 “御生誕祭”の2ヵ月後、写真週刊誌『フライデー』に批判的な連載記事が掲載さ 大川を激怒させたのは、「学生時代の大川はうつ病で精神科医にかかっていた」という箇所だった。 名誉棄損罪で出版元の講談社と、フライデー編集長を東京地裁に告訴。講談社には300人あまりの会員が抗議デモをかけ、同時に抗議電話が殺到。ファックスも絶え間なく送られてくる抗議文に占領されて、業務にも支障をきたす事態になった。 「これは宗教戦争であり、聖戦である」大川はそう宣言している。 まず、会としての対応を検討するために、紀尾井町ビルの本部に課長以上の幹部40名ほどが招集された。会議は前後2日におよんでいる。最初は、「こんな写真誌の記事は無視しよう」という穏健な意見が大勢を占めていた。それに対し、大澤敏夫ら数人の幹部が「そんな意気地のないことでどうするか」「今こそ仏陀様に恩返しするときである」と強硬に主張して譲らなかった。 両者の議論は白熱し、会議というよりはケンカに近い様相を呈してきた。 このとき穏健派を代表していた幹部の一人、前野節が主宰室に呼ばれている。 この会議の最中、大川家から2度ほどファックスが送られてきた。 「大衆受けするよう整然とした隊列をつくること。目立つように盛大におこなうこと」といった内容が記されていた。 講談社への抗議デモの具体的やり方を、主宰夫人が指示してきたのだ。 おそらく抗議デモの一件は、大川夫妻と大澤のあいだで、 会議の参加者は、そのまま中野にあるオリンピックビルの研修場へ移動した。そこにはすでに、関東支部の会員300人ほどが動員されていた。 彼らを前に、大澤、そして大川が拳を振り上げながら熱烈なアジテーションをおこなっている。 「我われは、魔に対して断固として闘う。キリストをはじめ、天上界の天使たちもそうせよと言っている」 と、天狗の団扇を正面に突き出して宣言したのだ。 右の頬を叩かれたら左の頬を出せと説くキリストが、まさかそんなことを言うとも思えないが、霊言とはまことに便利なものではある。 かくして、講談社へのイヤガラセ部隊の出陣となった。 しかし、この滑稽劇にはまだ続きがあった。デモ終了後、会員たちは再び研修場へ戻り、講談社への抗議文を書かされた。ほとんどの参加者はそのとき渡されたコピーで、はじめて記事を読んだ。主宰先生の結婚式の写真なども載っていたから、大川の私生活についてぱ何も知らされていない会員たちは、大喜びで読みふけったという証言もある。 被害を受けた感じもしないので何を書いていいかわからず、戸感った参加者も少なくなかったらしい。 こうした会の対応が世間の批判を浴びると、景山民夫らが中心となって「講談社=フライデー被害者の会』を結成し、市民運動を装いながら抗議を法廷へ持ち込んだ。 もちろん市民運動でも何でもない。言うまでもなく、〈幸福の科学〉本部の指示でつくられ、命令にしたがって動いている。また、抗議電話や抗議ファックスに関しても、「止むに止まれぬ気持ちから会員が自発的におこなったもの」と会は釈明したが、たとえ止むに止まれぬ気持ちからでも、本部からの指令に基づいていたであろうことは断言してもいい。 会の体質からして、大川の指示がなければ何一つできないのである。 [※後にこれらの集団偽証が大川の指示(違法)だった証拠が提出され講談社に逆転敗訴] この会議の最中、大川家から二度ほどファックスが送られてきた。 「大衆受けするように整然とした隊列をつくること。目立つように盛大に行うこと」 彼らを前に、大沢、そして大川が拳を振り上げながら熱烈なアジテーションを行っている。 「我われは、魔に対して断固として闘う。 右の頬を叩かれたら左の頬を出せと説くキリストが、まさかそんなことを 後に、GLAとの間でトラブルが生じたときもそうだった。 それだけなら一種のイヤミと解釈できる。 しかし彼は、佳子の死を本気で信じ、密かに心待ちしていた。 「虚業教団」 関谷皓元著 _______________________________________ 大川隆法先生さま 曰く たしかに、大川隆法先生さまの強気の戦法は、HS批判の学者やマスコミ その後、この大川隆法先生さまの「お言葉」が、結局は自分の首を絞める HS側から「献金強要という虚偽の提訴で名誉を傷つけられた」として また、一連の、講談社訴訟でも敗訴し、大川隆法先生さまは大恥をかきました。 さて、当然のことながら、会員にはこうした裁判の連戦連敗のことは 40 :神も仏も名無しさん:2009/09/17(木) 22:17:45 ID:Jl+1kd52 1991年、週刊誌『フライデー』による幸福の科学報道に抗議して、 さらに、フライデー編集部はもちろん別の雑誌編集部に対して抗議の電話 日刊ゲンダイも、講談社の系列会社であることを理由に同様の被害を受けた。 「FAXがエンドレスで送られてきて電話も鳴りっぱなし。夜中でも受話器を取れ 全国では、7地裁で信者約3000人が、講談社を相手取って集団訴訟を起こし、 教団が原告となった訴訟では、100万円、200万円の支払いを講談社に命じる判決 182 :神も仏も名無しさん:2009/09/18(金) 12:27:49 ID:sGUCIfpu
彼らは講談社に乗り込んでハンドマイクでがなりたて、電話やFAX攻撃で会社 フライデー事件では、教団が原告となった訴訟のほかに、全国7つの地方裁判所 これによって、団体が名誉を傷つけたとしても個々の構成員に賠償請求権はない
この頃の幸福の科学は、メディア以外に対しても手当たり次第に牙をむいた。 97年には、幸福の科学から献金を強要されたと主張する被害者の訴訟代理人・ 山口弁護士を訴えた訴訟の判決で東京地裁は、提訴を「教団を批判する者に 宗教団体にも訴訟を起こす権利はある。しかし「攻撃、威嚇の手段として
_____________________________________ フライデー事件の時ですね。 大川はあの時、ビデオで全国の信者に決起を呼びかけ、 後で 「あれは会員が勝手にやったこと」 と信者に責任を押し付けました。 当然、反作用として大川家にはマスコミが押し寄せました。 で、自分が煽ったにもかかわらず、途中から怖くなったのか、家へ帰らず、各地を転々と逃亡しはじめたのです。自分で煽っておきながら、情けない男です。 で、しばらく、荻窪の職員寮に住んでいました。 あのさ、隆ちゃん、男なら、自分で始めたことの責任は自分でとろうよ。 何で、自分の家逃げ出すの? まあ、この辺がトラウマで、大悟館だの軽井沢精舎だのの要塞をつくりはじめたのかなあ・・・・。 責任から逃げることしか考えていないから、鬼嫁にやりたい放題されるんだよ。
ワイドショーにも流れ、お茶の間を騒がせた幸福の科学フライデー襲撃事件。 しかも威力業務妨害、集団偽証の大川による指示(違法行為!)があったことが明らかになりました。 【社会】「幸福の科学」名誉棄損訴訟で講談社「フライデー」勝訴=最高裁 週刊誌「フライデー」などの記事で名誉を傷つけられたとして、宗教法人「幸福の科学」の関連会社「幸福の科学出版」(東京・品川)が発行元の講談社などに損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は18日、請求を棄却した二審判決を支持、幸福の科学側の上告を退ける決定をした。講談社側の勝訴が確定した。 問題になったのは1991年に3誌に掲載された幸福の科学出版の経営に関する記事。 一審・東京地裁は講談社側に計250万円の支払いを命じたが、 (無題) 投稿者:toto 投稿日:2009年 6月 9日(火)11時07分35秒 幸福の科学がとんでも嘘をついています。 この事件はみなさんご承知の事件に対しての幸福の科学側のいいわけです。また嘘をついて人を騙すのか、というところです。 幸福の科学法務室 幸福の科学もとい幸福実現党候補者の愚かな街頭演説
http://www.justice-irh.jp/osaka_h050226.html ◇ 大阪地裁平成5年2月26日判決 平成3年(ワ)第8018号損害賠償請求事件 主 文 http://www.justice-irh.jp/fukuoka_h050323.html 主 文
某職員の表現を借りれば「下血状態」でした。 この頃、様々な策の一環として「大川講演会50巻ビデオ」が出ます。 幸福の科学の財政改善には何ら資することはありませんでした。 ノルマを課して無茶な押し付け営業をやってしまい、支払い能力の無い人にまで次々にローンを組ませ、支払い不能者続出という状態になってしまいました。 この失敗に懲りて幸福の科学はビデオ発刊をあまりしなくなりました。 100万円。 これの大量販売のために「霊的奇跡がおきた!!」 で、これが結構な成功を収めたようで、 次々に「ご利益」が強調され、多数の研修、祈願(70種以上と言われる)、三代目本尊、1000万円植福菩薩[1000万円を布施すると悟りを拓いた菩薩と認証される]・・・・等々、高額商品を乱発するように なりました。 B) 白金小学校事件 - 幸福の科学信者の感応精神病2 週刊新潮(2007年1/4・11合併号) 幸福の科学の集団抗議」に怯える小学校!
学校周辺で組織的に抗議ビラが撒かれるわ 不審者は出るわで、 多くの保護者・児童が”恐怖感”を募らせている というのだ。 どうやら、それもこれもイジメ被害者の親が、宗教団体 都心でも有数の、閑静な高級住宅街として知られる港区の一角。 その全保護者に2学期の終業式が迫った12月20日、2通の文書が配布された。 しかし、本日午前7時40分頃から(中略)校長、副校長、担任、養護教諭の4名の実名を掲載したビラが配布されました」 また、PTA会長名の文書にも、こんな記述がある。 今後は、もし学校教育にかかわりのないものの不当な介入はあった場合には、PTAとして毅然として対応」 文書の趣旨は、ある児童へのいじめについて、経緯と学校側の取り組みを説明したもの。 実は、うちの学校は今、大川さんの息子さんの件で、保護者の多くがかなり怯えています。 これはもう”組織的な暴力”としか思えない。私自身、子供はもちろん、家族の身の安全さえも心配なほどなんです。」 不安げな様子でそう語るのは、大川総裁の子息と同じ5年生のある父兄。 学校近くの駅など4ヶ所でバラ撒かれていた問題のビラには、”児童を守る会”とあるだけで、正体は不明。 でも、内容の一部には、大川さんの息子本人かご両親しか知り得ない記述がある。 別の5年生父兄も言う。 「校長先生やPTA会長さんの自宅には、名前を名乗らないファックスが殺到しているんです。 [注:フライデー事件の際、講談社にFAX攻撃を仕掛けろと大川隆法が指示したことがバレて教団は敗訴している] ビラの内容と同じように、責任を取れ、辞めろ、と言う。しかも深夜に自宅の周りを不審者がうろつくこともあるそうです。おかげで二人とも精神的に参っていますよ」 さらに、ビラ撒きは学校周辺だけではなかった。 「12月15日の早朝には、教育委員会の裏口で、そして19日には都庁周辺で撒かれました。会の名称は同じですが、教育委員会職員の実名を明記したビラもありました。 ”保護者の代理の者だ”と言ってましたが、その保護者とは誰なのかを聞くと黙ってしまったんです」 (港区教育委員会担当者) その点については、先に触れた校長名の文書では、こう説明してある。 ビラに書かれてある内容は、児童の長靴に大便を入れられたこと、その他にも以前から受けてきたいじめの事実や両親を侮辱されたという内容です」 別の父兄が補足する。 これは11月15日、学芸会の予行演習中に起きた出来事なんです。 ”ウンコだーっ!” と叫んだ。どうやら長靴の中に何か軟らかい異物が入っていたようです。 でも、それはウンチじゃなくて砂とか粘土が混ざったようなものだった。 うちの子も”ウンチなんてありえないよ、だって臭いも全然しなかったもん”と言っています。それを、大川さんの子息はウンチだと思い込んでいるわけなんです」 文書はこう続く。 「長靴に入っていた物は、周辺にいた多くの児童がにおいを感じていない」 念のためクラスメートたちに聞いてみると、 「ウンチじゃなくて、砂と粘土だよ。臭いもしなかったし。ウンチなんて汚いから、そんなの靴に詰めないよ。」 「ウンチはないよ。無理無理、ウンチは」 と一様に笑って否定するし、 さらに父兄も、 「靴に砂を入れるっていうのは、男の子たちの間では”おふざけ”として、いつもやっていたことなんです。 大川さんのお子さんも、他の子にしてたことだってあったみたいですよ。だから、少なくとも同じ組の父兄同士では、あれがなんでいじめになるのかしらって受け止め方が多いんです。もしかしたら、彼は自分がされたのは初めてだったのかしら」 ところが、これがバラ撒かれた抗議ビラによると、こうなるのだ。 「教諭・校長らのもとで組織ぐるみの隠蔽が!」 「5年生児童が長ぐつに大便を入れられ、クラス中から笑い者にされるいじめ事件が起こった」 「教員同士のかばい合いと自己保身のため、口裏を合わせて組織的にいじめを隠ぺいしている」 学校と教育委員会の双方にしているという。 騒動の後、学校側が開いた保護者懇談会には、大川さんの代理人として弁護士や教団の方が来てました。ある時は、教室でじっと担任を監視している時もあったらしく、うちの子も怖がっていたんです」 11月17日、児童の母親から教育センターに電話がありました。その後、弁護士など代理人という方々が何度かこちらに来ました。机を叩いたり怒鳴ったりしたという記録も残っています」(教育委員会担当者) 児童が実名で証言 こうした集団抗議に加え、幸福の科学は「機関紙ザ・リバティ」最新号でも、この問題を徹底的に糾弾している。しかも、その、『いじめ隠ぺいが子供をを殺す』と題した28ページもの総力特集の中では、何と、他でもない大川総裁の子息自身が、被害者として実名で登場しているのだ。 2ページ弱のそのインタビュー記事によれば、目下、ウンチ事件や、それ以前からの度重なるいじめによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)で学校を休んでいる本人が、こう語っている。 「担任の先生に会いたくないからです。母が今回のことを教育委員会に言ったら、返ってきた回答は『担任と〇〇君が話し合う時間をつくる』でした。会いたくないし話したくないから休んでるのに、学校と教育委員会がグルになってそんなことをされたら、もう身の危険を感じると言うか、次は集団リンチをされて死にそうで、怖くて誰かに助けてほしい・・・・・・」(注・〇〇は原文では子息の実名) ここは是非とも、大川総裁の真意を尋ねてみたい。すると代理人である教団の弁護士や広報担当幹部が集団でずらりと揃い、 「ビラを配った人たちについては、信者にも色々な人たちがいますから、有志でやった可能性はあるかもしれません。こちらとしてはよく分からない。うちが全部を把握しているわけじゃありませんので。率直に言えば、まあ信者さんもいるかもしれない」 学校への要求については、 「一つは、担任の交代。もう一つは、犯罪行為になるようないじめうぃ複数の児童がやっている。どの子がやったかを見つけ、その子に謝らせてほしいということです。でも、学校が何も対応しないから、教育委員会にも申し入れをした。 対応の不誠実さについては、 我々は宗教家だから相手が嘘をついているかどうかは すぐに分かる。[←注:笑うポイント] (総裁の子息は)絶対に嘘を言ってない。 嘘偽りでこんな話ができるわけがないです。実名で証言したのはあくまで本人の希望したことなのです」
大川の発言はコロコロ変わることや、無かったことにする事で有名です。 大川のご子息祐太君が苛めに遭遇するまでは幸福の科学では苛めに関してどのようなスタンスを取っていたのか。 それまでは総裁は、こんなことを言ってた。 「苛めに遭うということはこれ、苛められるような波動を出すのが悪いのであり、決して苛める側を悪く言ったりしてはなりません。 苛められるのもまた自己責任であるという認識を持ってください。 他人の心を無理矢理変えることなどは出来ないのです。 また、地獄に落ちた霊必ず、生前において自らの不遇を他人の所為にばかりしていた特徴が掲げられるのです」 その論理でいくと地獄に堕ちるのは、まさに、幸福の科学のこういうビラまきに関与した信者ということになりますね。 「教諭・校長らのもとで組織ぐるみの隠蔽が!」 「5年生児童が長ぐつに大便を入れられ、クラス中から笑い者にされるいじめ事件が起こった」 「教員同士のかばい合いと自己保身のため、口裏を合わせて組織的にいじめを隠ぺいしている」 それにしても、余所行きの顔と素の顔が本当に違いますね。まさにダブルスタンダード、言い得て妙です。 230 :神も仏も名無しさん:2009/03/26(木) 10:57:26 ID:uD8bG7wa じっさい家族に幸福の科学の妄信的な信者がいれば、そんな綺麗事は言えないよ。 盲信してると、一般社会で認識されている常識が通用しなくなる。 それくらい幸福の科学が集団としてやってることを正しいと思ってるんだよ? 霊感商法で高いモノを売りつけてるのも問題だけど、そういった反社会性を生み出す集団としてセクト認定されてるんだよ。
最初期の霊道現象とやらは、異言現象だな。 大川ときょう子が、意味不明な異言で会話を始めるテープがあっただろ? 初期のキリスト教徒にも、最近のキリスト教の教会でも同様の現象は報告 言語学的には言語として成立していない。 キリスト教では、聖霊の言葉として、牧師が適当に翻訳する。 GLAの信次ワールドでは、過去生の人格や守護霊の言葉として、適当に日本語に翻訳している。 大川ときょう子の異言も、文殊菩薩の言葉やナイチンゲールの言葉として日本語に大川が翻訳している。 635 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/05/02(水) 10:52 霊道現象は実際に見たことはありませんが、初期の頃に出された「霊道現象とは何か」っていうテープを持っています。もう訳ワカラン世界ですよー。 脱会してから聞いた話だけど、きょうこ妻との現象は前日に念入りに打ち合わせて練習してたってことです。もし本当だとしたらそっちの方がコワイ気がします。
637 名前: clapton_99_99 投稿日: 2001/05/09(水) 18:07 あら、こちらにも私のYafooのカキコが転載してありましたか。どうも 大川が彼女に語らせた古代インド語と中国語をご紹介しましょう。 「チュンチュンパーチュンパンチーチュンチュンパー」 ずっとこんな感じです。古代チンパンジー語を話していた模様です。実際に霊道が開き正法にしたがって正しい生活をしている方が、これはデタラメですと証言なさっております。大川氏は と言ってごまかしていました。いまだかつて完全に霊道が開いていない人の肉体を守護霊が支配して話したことは一度もありません。ウソはこの頃からだんだんひどくなっています。現在ではウソはすべて幸福の科学の理想国家を作るための「方便」として反省行から省略して良いことになっている模様です。・・・これ、お釈迦様が聞いたら気絶してしまいそう!
原久子さんが退会したのは、関谷さんとの神託結婚を強要されてうまくいかなかったので退会したと思っていました。(もちろんそれだけではないと思っていたのですが) あのテープは私も持っていますが、原さんが嘘の演技をしていたとは驚きです。 639 名前: clapton_99_99 投稿日: 2001/05/10(木) 00:38 同じテープの中で大川が高橋信次先生の霊を自分に入れて話すというお笑いを 過去に高橋信次さんのみが出来た霊道現象を会員に見せて高橋信次さん「以上」の高級霊だということの証明をしたかったと同時に、九州の園頭さんなどのかつての高橋信次さんの弟子達を自分に帰依させたかったようですが、この茶番劇をしたためにかえって評価を下げてしまいました。 会員限定で売ったもののすぐに会員以外の人々の手にもわたり、デタラメがバレルとすぐに廃版にしてしまいました。高橋信次先生の講演ビデオを参考にした猿真似であることは見比べてもすぐにわかります。
私は昔大川隆法がナイチンゲールの霊を自分に入れた大川きょう子と対話するテープを聞きました。正会員ではありませんでしたが、その頃から(1990頃だったと思います)幸福の科学に疑問を持っており、このテープを聞いてますます疑問を持つようになりました。それがもう、ナイチンゲールの英語はもう大川きょう子自身の英語としか思えない下手っぷりで、とてもネイティブのものとは思えませんでした。 ナイチンゲールなら流暢なクイーンズ・イングリッシュを話す筈なのに、ジャパニーズ・イングリッシュを話す所を聞いて思わず笑ってしまいました。大川隆法自身はこの事について、大川きょう子の表面意識が邪魔をしているからナイチンゲール自身の英語が出てきていないと言うような事を言っていました。とても苦しい弁解だと思いました。本や他の講演会では良い事を沢山言ってるのに、なんでこう言う茶番で信用を落とすような事をするのかと、不思議に思いました。
私は高橋信次先生の講演ビデオを複数見ましたが、その辺のおばちゃんでも霊道が開いた方は流暢な中国語、インド語等を話されていました。 高級霊のはずの大川きょう子がねえ?(笑)修行足らねえんじゃないの! ______________________
そんなこと言わなくても、大川隆法大先生さまは釈迦の生まれ変わりでしょう? お釈迦さまはインド生まれだというのは世界の常識ですから、わざとらしく言わなくてもいいのに。もしかして、釈迦の生まれ変わりではないから、こうしたポーズを取るのではと、この話を聞いて疑いを持ってしまいました。 91年の東京ドームから、「自分は天上界でも法衣を着ているから、地上でも法衣を着る」といって、仮装大会が始まりました。ちょうど、講談社への仁義なき戦いが始まったの時期と重なり、マスコミが注目。最初の衣装は「冒険だんきち」だと揶揄されました。 さまざまな衣装のデザインや縫製は、皇室のどなたかの衣装を担当する兵庫県の○○夫妻。会員でした。小○課長(後の局長)が発掘した人でした。 途中から、仮装大会は講演会、セミナーは袈裟という形になりましたが、大川隆法大先生さまの胸に下げている「正心宝」はキラキラ光っていましたね。あれは(くず)ダイヤがちりばめられていて1000万円ぐらいの値打ちがあると、山本総合本部長が自慢していました。 法衣をやめると宣言したのは、96年のイノベーションのとき。「社会的常識」に従ってというのが理由でした。オイオイ、職員・会員みんな、法衣は非常識だと思って、困ったなと思っていたのですが、やっと、気づいたのでしょうか? そして、大川隆法大先生さまは、ドームでの講演会をやめ、そのまま引きこもり生活にはいるのです。 _____________________________________
自我インフレーション 個人の意識を潜って行く・・すると先人達の意識に達し、さらには民族、もっと潜って行けば人類の無意識層が横たわっている。 集合的無意識には「元型」呼ばれるものに分類され、『自我』『自己』『影-シャドウ』『アニムス・アニマ』等。さらに細分化され『仮面-ペルソナ』『子供-インナーチャイルド』等もある。 【そこで最も重要視しなければ成らないのが『英雄』と言う元型である。】 元型の作用があまりに強く、自我が十分に自分自身を意識して確立していない場合、自我は、元型の作用像を自分自身の像と混同し、元型の像に同一化することがある。自分が非常に大きな力・権力を持ち、偉大な存在であると錯覚する事態が生じるのだ。 【これを自我インフレーションと言う。】 集合的無意識は、ある場合には、無限のエネルギーを持っているように見えることがあり、その結果、自我のインフレーションは極端化し、自分こそは、世界を変革する英雄であり、偉大な指導者であるなどの妄想的な錯覚が生じることがあるだ。
ユングは最終的には実存主義者ではなく実在論者の立場を取ったと考えていますが、実存主義を理解していたことは確かであると思います。 ユング学派の言う「個性化」が進むとフロイト学派の言うところの自己同一性は高まって行くのですが、その結果心理的変容の1つの最終過程である「自己」との一体感を感じる瞬間が起きます。 これをユング心理学ではエナンティオドロミーと呼びますが、この際に経験者には自我肥大(エゴ・インフレーション)という物が起きているとされます。 この自我肥大という言葉は、言葉だけでも良い印象は無いと思いますが言ってしまえば、「自分と宇宙が一つになったような全能感」が起きます。 そして非常に分かりにくいと思いますが、同時にそれは「死」に非常に近接した状態、生と死の交わる1点に自分が立っている感覚であり非常に危険です。 この異常な精神状態が、おそらくニーチェの言うところの「永遠回帰(永劫回帰)」になるのであろうと考えています。 心理的変容が未経験の哲学・文学系の方々は、この永遠回帰を文章・文脈的に理解しようとする傾向があるようですが、この永遠回帰思想はそれだけでは断片的理解に過ぎず、彼のツァラトゥストラには、むしろこの「死を伴った全能感」をニーチェが克服しようとした時に表された言葉が出ているだけと考えています。 ニーチェの「ツァラトゥストラ」含め彼の作品は皆、一種の高揚感がありまた傲慢とも言える全能感に満ちていることがありますが、この原因には彼の梅毒罹患による脳の器質的破壊があったかもしれませんが、ユング派の言葉を借りれば個性化過程における自我肥大による影響もあったのではないかと思います。 ニーチェの文体は非常に力強いのですが同時に一見、混乱・破綻したような文章になっています。 これは自我肥大を伴う個性化課程を経験した者のみは「ああ、そうだよね。同じことを経験しているんだ。」と読み解けるようある程度意図的に設計されていると思います。 しかし、落ちこぼれの大川隆法先生の場合は個性化課程を経ていないので、本物の教祖や天才に特有の自我インフレーションではなく幼児全能感の方でしょうね: 人は幼児の頃に「全能感」という自信を持っています。全能感とは「(全能の神のように)何でもできる」という舞い上がった感覚のことです。自分に酔っているというか、うぬぼれです。 子供は依存相手である親に、認めてもらい、ほめたたえてもらうことで全能感を満たしてもらいます。全能感を十分に堪能(たんのう)した子供は全能感から卒業し、等身大の自分像をつくっていきます。依存相手に全能感を満たしてもらえなかった子供は、いつまでたっても全能感にすがりつき、他人の反応に依存することで自尊心を保とうとします。つまりえらそうな態度をとって人から見上げられることで自分の心を守ろうとします。 全能感を求める人は、「全能感に満ちた自分」を映す「うぬぼれ鏡」として利用(依存)できそうな人に近づきます。自分のすることに感心してくれ、自分の言うことに賛同してくれ、自分が誰かの悪口を言えばそれにも賛成してくれる(だろうと思える)、素直で控えめな態度の人間です。 いじめだと、相手が自由と主体性を持つ存在だと知っているからこそ、支配・被支配の関係を作って、相手に「全能感を実感させる素材」「自分の思いどおりになるオモチャ」としてのふるまいを期待します。エモノが大きければ得られる快感も大きいという理屈です。 大川隆法の精神発達はまだ幼児全能感の段階にあるんですね. 幸せな人生でしたね 12. 結局、大川隆法とは 我がエル・カンターレなるぞ !
このようなことが起こるのは、実は、隆法が正常な精神状態、 もう、トップが壊れているから、きょう子や幹部たちが好き放題やっている。 ここを見ているkk信者さんたち、いまのうちに幸福の科学から離れたほうがいい。 ここを見ている地方の職員さんたち、あんたたちは、純粋な気持ちで宗教活動をしている人も多いだろう。 しかし、kk教団の現実というは、実は、ものすごくドス黒いものなのだ。 526 :神も仏も名無しさん:2009/09/08(火) 21:02:40 ID:w7DSTxgl 大きな力を持ったまま狂った人間の末路だね。 統合失調症でも、理性が働いているときはさほど危機じゃない。 思考の解体・会話の解体・行動の解体。 このまま、裏の世界(霊界の裏ではなく、人間界の裏)の連中に
947 :神も仏も名無しさん:2009/09/09(水) 20:25:01 ID:tOpZCIyS 正直、大川はブーンさんが言うように、精神が正常に機能していない可能性が高い。 街頭演説を聴いても、会話が解体している。 まともな判断ができていない。 大川は他の誰かに言いように操られているのではないかという指摘は 258 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/05/23(土) 22:48:35 ID:qUzli9z+i 大川の親父は新興宗教遍歴を繰り返していてGLAの元信者だった。 白装束の千乃が本で初めて使ったエルカンターレなる珍妙な名前を、大川は自分の本名だとワイドショーで絶叫してることからわかるように幸福の科学の科学の世界観は、GLAの幻魔対戦的世界観に大きな影響を受けている。 オームの麻原も一時期GLAにいたと言われており、彼等に共通してるのはキチガイじみたトンデモ霊能信仰、おどろおどろしい終末論的世界認識、そして世界を救うのは太陽系で一番偉い自分たちの教祖という病的なナルシズムである。 198 :神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 06:23:38 ID:GgrR8z/4 どっからどうみても、今の大川は長い間、勉強をさぼってきた頭の惚けた 元信者さんたちは、大川が阿呆に見えて仕方がないと思うよ。
拝み屋兼学者の中村雅彦氏によれば、四国は霊的な風土がほかの土地よりも強いと言う。 今のように街灯が整備されていないころの田舎の暗闇は、そういった 中川家はそうした地域の土壌のもとにあり、隆法の父忠義が、生長の家、GLAの ましてや、神の化身であるとか、神の化身であるとか、真偽のほどはともかく、 また、人間はこうした通常では知りえない、神秘的なもの未知のものに魅かれるのである。この父子も始めは、狐つきや狐狗狸に毛が生えたものくらいになれば、しめしめと思ったのだろうが、予想に反して、霊言集の売れ行きが好調で、あれよあれよと言う間に、名の知れたひとかどの教団になってしまったと言うのが真相だろう。 ところが本物を期待して入ってきた初期の優秀な信者が、もともとは狐つきや狐狗狸に毛が生えたものだった大川に失望して去って行ったと言うのが真相だろう。 578 :神も仏も名無しさん:2009/08/05(水) 20:31:39 ID:n8GkemUj 非常に書きにくいことではありますが、中川隆は「イワシの頭」なんですよ。 そこでは、小林某みたいな先に逝った幹部どもが、ケバくてやたら大きな趣味の悪い建物のなかで変な説教を垂れてて、信者が涙を流してそれを聞いている。 そういう妙な世界なんです。 で、「あんたたち、こっちに来なさい」って天使が手を振れば 「あれは悪魔だ」と、「近寄っちゃいかんよ」と、小林みたいな変な人が必死で叫んでる、そういう変な世界なんです。 たぶんそういう世界はほんとにあの世にあるんでしょう。 _________________________
GLAとトラブルが生じたときGLAを率いる高橋佳子が間もなく死ぬと予言、大外れ。 ケンカ相手の死を予言する幼稚さ、しかも彼は佳子の死を本気で信じ密かに心待ちしていた。 キリストのように悪霊払いで病気を治したりアドバイスで悩める人を救ったりも皆無。 悪霊払いで病気を治せるなら何故、兄の富山誠に憑いた悪霊を追い払わないのか、その兄が若くして脳溢血で倒れ、今も廃人同様というのに、なぜ放っておくのか。 大川は悩みに答えを与えるという体裁をとりながら、「誰々の寿命はあと何カ月」とか「こんな恐ろしい未来が待っている」という、当たらない予言を連発しながら、相談者を脅すだけで救いをもたらすようなアドバイスはどこにも見つからなかった。 奇跡はおろか霊的現象すら一度もあらわさなかった。
一人五分前後の持ち時間でお顔を拝みたい人がベルトコンベア一式に次々と入れ代わる。 数万円の拝観料を包んで。 939 :聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA :2009/09/09(水) 20:10:52 ID:1P19YBk8 ちなみに私にしても大川さんなり信者さんなりに負の感情って実は 結婚した相手が社会的に使い物にならず、転職を転々とした。 ところが二人とも、父親と同様社会に適合できなかった。 子供が小さい頃からインテリオタクだった父親から飯の種にもならない 953 :Mr.ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃:2009/09/09(水) 20:36:18 ID:cBrK+snL 大川一家が、このような没落をたどったのは、 善川三朗のことを言及した隆法の説法があったが、 まあ、旦那はまだ自分で嫁を選択したのだからいいが、 954 :聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA :2009/09/09(水) 20:40:25 ID:1P19YBk8 私自身が親になる時期が近づいているからだと思う。 これは私が作った「総裁一家ストーリー」じゃないよ。 956 :神も仏も名無しさん:2009/09/09(水) 20:42:11 ID:tOpZCIyS 俺も大川隆法という人格障害者を生み出したのは、彼の母親だと思う。 957 :Mr.ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃:2009/09/09(水) 20:44:35 ID:cBrK+snL 男性というのは、自分の結婚相手に、無意識に自分の母親像を求めてしまう。 しかし、性欲に負けた隆法は、自らきょう子と会いにいき、
「稼げない男はカス」という発想を持っていたというより、役立たずインテリ 悪妻だと言われているソクラテスの妻、クサンチッペを大川さんが 「悪妻では無く三次元的に生きている人だからソクラテスを理解できなかった」
しかし、女性的なやさしさは、あまりなかったような感じがする。 「平凡からの出発」で、隆法が子供のとき、
鬼嫁の大川恭子は、義父・善川三朗氏を徹頭徹尾嫌っていた。その理由はしらない。それにのっとって、大川隆法先生も父を排除しようとしていた。 父は幸福の科学から当初、顧問として、母は秘書長と位置づけられて給与をもらっていた。 孫のひろし君が生まれて2〜3歳くらいのとき、当時の練馬区関町の大川邸であったことがあるようだが、それ以降、鬼嫁大川恭子は、孫にも会わさず、上京の申し出をも拒否するほどであった。 しかも、大川隆法先生の方も、幸福の科学の初代が、父か自分かの紛争をさけるため、次第に父を排除するようにしていた。 93年秋に、講談社への仁義なき戦いのとき、父親として心配して上京してきた善川氏に、大川隆法先生・大川恭子とも会いもせず、小澤理事長を使って追い返した。そして、すかさず、善川氏の身分を顧問から、名誉顧問の名誉職にしてしまった。 急遽の上京のもう一つの目的が、「孫に会いたい」だったが… 徳島には、次男に比べて出来のよい兄が帰っていたが、病床にふせっていた。療養のかいもなく、93年、東京ドーム聖誕祭のひと月まえになくなった。できのよい聡明な長男の若すぎる死去。父の落胆は想像を絶するものがあった。 ただ、次のことは、記述を許可された。それは「母は息子を救世主と認識していない」ということだった。葬儀はやっと儀式次第ができた幸福の科学方式ではなく、地元の風習で行われた。お寺さんの読経等、ふつうの葬儀だったらしい。そして、母は、霊界にいってもひもじい思いをしないようにと、茶碗にご飯を山盛りに盛ってお供えをしていた。幸福の科学のことなど、まるで関心なく、次男のことなど、宗教家とも何とも思っていなかったという様子だったらしい。 それから数年、善川氏が、幸福の科学総合本部に助けを求めてきた。善川氏の元には、女秘書が二人いたが、その内のひとり沖縄出身の友○が、善川夫妻に日常的に暴力を振るっているとのこと。すでに、秘書レベルでも、大川隆法先生のことを救世主などとは思っておらず、ましてや、その両親など、何とも思っていなかった証左である。 しかし、幸福の科学総合本部の橋○は「信じられない」として一顧だにしない。信じられないのは橋○の方だった。病気がちなもうひとりの女秘書を解任して、暴力を振るう女秘書をそのまま残してしまったのだ。このことを私に語る情報源のひとりは「本当に可哀想だった」と。 その後、善川氏は恨みを残して、この世を去った。果たして、氏の人生は「幸福」だったのだろうか… _____________________________
幸福の科学の大川隆法は信者の暴露証言で明らかなように、精神病の強い薬をがぶ飲みしないと生きていけない重度の精神病患者で、人生の落伍者である。 大川は自分の嘘がばれて自分が死刑にされる悪夢にうなされ、精神病の薬をがぶ飲みしないと生きていけないのだ。 知能犯で巧妙に偽装して偽善を振りまいているならともかく、精神病の ではそれにも関わらず、なぜ幸福の科学の信者は大川を崇拝するのか? ようするに落ちこぼれが暴走族を結成して、そのなかでは字が読めない落ちこぼれでも落ちこぼれ族のスターになるようなものだ。 精神病の薬をかぶ飲みする大川は過去に会社も精神病で首にされてるし、職場で仕事中にわめいて全裸になるような奴なんだろう。 30年前ならいざしらず、ネオコンの失敗が馬鹿にも解る形になっても
元信者たちのそうした内部告発を見ると、豪邸や乱交セックスや麻薬などが欲しいだけの集団で、そもそも宗教的救いなど求めるようなタイプではないんだろう。 大川の精神病を治す方法は戸塚ヨットスクールに入れることだと思う。 大川のような精神病のチンパンジーが東大を出ようが、詐欺で金を集めようがボケ老人と同じなので意味は無いし、廃人として周囲の介護を受けて生きてるだけ。 「私は詐欺でしか生きていけない、精神病のクズでしたが、これからは生まれ変わります」 と言わせることだろう。 劣等感で悩んで自殺する人もいるわけで、そういう人は幸福の科学の 「これで君は生まれ変わったんだ、君は自己実現を成功させたエリートで神だ」 とか言われると一時的に劣等感が解消されて、それが病みつきになるという風な構造があるんじゃないか? そして「体験談発表会」で「僕は毎日雨が降っても500件飛び込み、通りがかりの人すべてに大川隆法の写真を売りつけようとしてきました、勧誘はガッツだ!」とか語ると、拍手喝采だったりして、後輩から「先輩!僕にも騙す方法を伝授してください!」とか言われてご満悦に浸れるのではないか? 客観的には犯罪だが、本人の意識の中では「愛と青春の旅立ち」なのではないか?
統合失調症に良く見られる症状としては同じ言葉を繰り返す、言葉のサラダ(意味のない単語の羅列)、宇宙人と交信しているという、霊と話をする、チャネリングが出来るというetc. そして何より、自分が統合失調症であることを認めない患者が多いのがこの病気の最大の特徴であり、統合失調症が発病してから、5年放置した場合、脳の萎縮が前頭葉に達し二度と現実の世界に帰ってこれなくなってしまうのです。 つまり、統合失調症であることを否定し続け、5年間何も対処せずに放置した場合、もう手遅れであるということです。 私は霊能力がついた、ハイヤーセルフとつながっている、という人たちのブログも読みましたが、統合失調症の初期症状が出ているとして間違いないと思います。 ← 大川隆法先生はコレ あの時の私と完全に症状が一致している。 統合失調症は現在では治療可能な病気であり、予後も良い病気になってきています。 どこか思い当たる節があるのなら、一度病院に行って検査されることをお勧めします。 Ex4: 精神分裂病患者の脳観察〔日経産業新聞2001年10月3日〕 病気の進み方が詳しく観察できるようになることで、早期の診断や治療が可能になるとみている。 この損傷がひどい患者ほど、幻覚や幻聴などの 13. これが本物の霊媒 (多重人格の超能力者) 青木愛子フチ(おばあさんの敬称)は「ウエインカラ」ができたそうです。それは何かというと「千里眼」ですね。「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;)まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。 たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。 あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。そうするとあの「むつの神様」木村さんもアイヌ系統の霊感をうけついていらっしゃるんだろうなーって思いますよね。 それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。 そして書いてあります。 『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。 ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』 ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。 ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う 1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。 はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。 表紙の言葉をそのまま紹介すると「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」と書かれていた。 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。 参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。 祈り終わるとババはすぐに「ババのこと信じるか。」とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」と言った。 その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。 ■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。 研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。 しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。 ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。 「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。 「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。 「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。 「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。
また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。 「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。 ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。 こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。 愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。 助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。
私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。 そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。
「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。 アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。 こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。 自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。 青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。 …巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。 例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。 ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。
距離と時間を越えて見える ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。 これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。 …病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。 牧場主が1〜2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。 …例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。 死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。 四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。
暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。
ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。 「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな〜い!レインボーブリッジも封鎖できませ〜ん!」 とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。
青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌、薬草、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795224803/reborn0a-22/250-1298541-7861852 アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
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