04. 中川隆 2011年1月23日 18:39:33: 3bF/xW6Ehzs4I
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第18回 中国の桃源郷・九寨溝 僕も中国に来てから間もなく二年になります。その間、休みを利用して随分多くのところを旅行しました。しかし、この「日記」にはほとんど旅行記を書いてきませんでした。昨年、「新彊の旅」を書きましたが、その時も観光地については全く触れませんでした。なぜかというと、ネット上に中国旅行記は溢れるほどありますし、それ以上に有用な情報を読者の方に提供できるとは思わなかったからです。
しかし、この夏訪れた九寨溝を見た感動はあまりにも大きかったので、これまでの禁を破って今回旅行記を書くことにしました。 ◎九寨溝(きゅうさいこう)
九寨溝の名はこれまで多くの中国人から聞いていました。彼らは口々に「九寨溝は素晴らしい。あそこを見たら、もうどこを見てもいいと思わない」と言ったものです。みんながそこまで言うのならぜひとも見なくてはと思い、この夏九寨溝を訪れることにしたわけです。 九寨溝までは四川省の省都・成都からバスで12時間ほどかかります。途中はずっと曲がりくねった山道で、わきは常に何百メートルもあろうかと思われる崖です。ちょっと運転をミスったらもう一貫の終わりでしょう。実際、今年に入って雲南省の大理から麗江に向かうバスが崖から転落し、日本人の方が一人亡くなっています。僕はそれほどでもありませんでしたが、一緒に行った友達はかなり恐かったようです。 九寨溝と一言で言っても、実際にはかなり広い範囲に渡っており、とても歩いて見られる規模ではありません。普通は風景区内のバスを利用して回ります。このバスは「環保車」と呼ばれる電気自動車で、排気ガスは一切出ません。つい二三年前までは、自家用車で入ることも出来たようですが、今は環境保護のため、禁止したそうです。僕は今までさんざん中国の環境対策の後れを見せ付けられてきたので、これを聞いてちょっと安心しました。 前日、かなり長い時間バスに乗っていたこともあって、やや疲れていた僕でしたが、バスの車窓から風景を見ていて思わず声を上げました。水の色が違うのです。青がやや緑かがったような、なおかつ透明なその色は僕が今までどこでも見たことがなかったものでした。しかも、その水は不思議なことに木々の間を流れていました。このような光景を僕は今まで見たことがありません。 バスを降りると、そこには先ほど見た川の水と同じような色の湖が広がっていました。そこから五分ほどバスで行った所に「五彩池」があります。木々の間からわずかにその姿が見えた時、思わず目を疑いました。これが本当に天然の色だろうか?その透明で真っ青な水の色は先ほどの川の色とも全く違っていました。とてもこの世のものとは思えませんでした。しかも、その青は池の中心に行くにしたがってグラデーションのように濃くなっていき、最中心部は宝石のように輝いています。一体どうやってこんな美しい色が形作られたのでしょうか。話によると、何百種類もの苔がこうした不思議な色を出しているとのことです。それにしても信じられません。 「パンダ池」という所に行くと、底まで見える澄み切った水の中を無数の魚たちが所狭しと泳いでいました。東京という大都会に育った僕は、天然の水の中をこんなに多くの魚が泳いでいるのを見たことがありません。まさに桃源郷というにふさわしい場所だと思いました。 九寨溝には他にも多くの湖・川・滝などがあります。全てを見ようと思ったら、とても一日では回りきれないでしょう。 九寨溝は有名な観光地だけあって、膨大な数の観光客が訪れます。それだけに、汚染も進んでいると聞いていましたが、僕が見た所ではそれほど感じられませんでした。しかし、話によると、やはり開発に伴う生態系の変化で、滝の水の量などもかなり減ってきているとのことでした。 風景区を出ると、九寨溝から流れてくる川と、風景区外の川が合流しているところがありました。その青く輝いた水と灰色に汚染された水とのコントラストは、風景区を一歩出れば、汚染がどれだけ進んでいるかということを明確に示していました。 ◎黄龍 九寨溝からバスで三四時間行った所に黄龍という所があります。九さい溝ほど有名ではなく、規模も大きくはないですが、ここもまた非常に美しい所です。ベージュ色の石灰をスプーンでえぐったようないくつものくぼみの中に淡い水色の澄んだ水がたまっている様子は九寨溝では見られない、独特なものです。この黄龍でちょっとしたハプニングがありました。 黄龍は山を登りながら池を見るというふうになっているのですが、観光客が池に入ったりして汚すことのないように、木で道が作ってあり、その上以外は歩けないことになっています。ある場所で写真を撮ろうとしましたが、あまりにも人が多く、待つのに時間がかかりそうでした。友達が、「道の脇に下りて撮ったら?」と言いました。僕は躊躇しましたが、別に池を汚すわけではないので、いいか、と思い、道の脇に下りました。その時です。 「そこの君!ちょっとこっちに来い!」という怒鳴り声が聞こえました。語気が鋭いので一体何事かとびっくりしましたが、声のする方を見ると、なんと僕に向かって言っているのです。風景区の職員でした。彼は僕にチケットを出せと言いました。「裏になんて書いてある!君は学生か?学生なら読んで分からないわけはないだろう!」そこには、道の脇に下りてはならないということが書いてありました。「すみません」激怒する彼の前に頭を下げました。恥ずかしい思いでしたが、同時に頼もしい気がしました。どこへ行ってもいい加減に仕事をしている人が多い中国で、仕事とは言え、こんなに真剣に環境を守ろうとしている人がいるとは……。 確かに九寨溝・黄龍は中国の他の地域に比べると格段に環境が良好に保たれているという気がしました。この春に有名な三峡下りに行ったのですが、長江の汚染ぶりたるや、目を覆うものがありました。あの広大な長江の上をカップラーメンの容器・ペットボトル・空缶などが絶えることなく帯状に連なっていました。さらに驚いたのは、船員が船上のゴミを袋ごとポンポン長江に投げ込んでいたことです。船員にとってはそれはごく当たり前のことのようでした。本当に驚いたものです。 こうしたものばかり見てきたので、九寨溝の「環保車」や黄龍の職員の厳しい対応は中国の中では際立ったものに見えました。 九寨溝・黄龍は僕がこれまで見てきた数多くの観光地の中でも、最も美しい所と行っていいでしょう。いつまでもあの美しい環境を保って欲しいものです。 2001.7.24 第19回 チベットの旅
今年の夏、前回報告した九寨溝に続いて訪れたのがチベットでした。チベットには以前からずっと行きたいと考えていました。その理由の一つは、これまでチベット仏教の寺院などに行った時に、漢族の文化とは全く異なったその建築物や仏像の独特な趣や色彩に強く引かれるものがあったということもあります。しかし、もう一つの大きな理由は昨年の新彊の旅にありました。以前もこの日記の中で報告したように、新彊に住む少数民族・ウィグル人の一人の女性の漢族に対する激しい憎悪は僕にとっては衝撃的なものでした。そこで、もう一つ新彊と並んで、いや新彊以上に漢族との対立や独立運動などが激しいと言われるチベットに行って、どうしても現状を見なくては、と思ったのです。
現在の中国では、外国人は自由にチベットに入ることは出来ません。旅行社を通して、入境許可証を取得した上で、ツアーに参加しなくてはなりません。(ただし、ツアーの費用を払った上で、それに参加しないのは自由なようです。また、ツアーに参加した後は基本的に自由に回ることが出来ます。)また、チベットに入るルートも成都からの空路、ゴルムドからの陸路など、数ルートに制限されています。外交官と記者に至っては、チベットに入ること自体が禁止されています。なぜ、このような制限があるかと言え、それはチベットが政府と漢族に対する反感が最も強く、独立運動が盛んな「荒れている」地域だからです。 今回は、いろいろな事情があり、ツアーに参加してラサ・シガツェ・ギャンツェの三都市を回ることにしました。 ラサの空港に着き、バスで一時間ぐらい行った所で「磨崖仏(岩壁に彫った仏像)」を見るために下りました。しばらくすると、二十歳前後の中国の青年が突然倒れました。目は焦点が合っておらず、顔には青あざと擦り傷がある所から見て、本当に気絶するように倒れたのだと思います。彼の母親は泣きながら彼の名を呼んでいます。一体どうしたのだろうか?実はこれは高山病だったのです。 チベットは低い所でも四千メートル近い標高があります。ですから、高山病の心配をしなければならないということは知っていました。しかし、こんなにもひどいものなのか……。ちょっと恐ろしくなりました。チベット人のガイドがすぐに来て、全く慌てることなく、「大丈夫。心配は要らない」と言いました。 恐らく、このような高山病にかかった観光客を無数に見てきているので慣れているのでしょう。結局、倒れた彼はその後すぐに入院し、二日目にポタラ宮を外から見ただけで帰ってしまいました。幸い、僕はちょっと頭痛がした程度で、大した症状もなく過ごすことができました。ツアーの中にも、具合が悪くなって寝ていた人もいましたが、彼ほど症状のひどい人はいませんでした。ですから、もし読者の方の中にチベットに行こうという方がいるなら、そんなに心配する必要はないと思います。 ◎ラサの寺院 チベットのツアーは「まず高山に適応する」ということで、一日目は予定がなく、フリーになっています。その時間を利用して、街の小さなチベット仏教の寺院を友人と訪ねてみることにしました。最初に訪ねたのが八角街(ラサの有名な繁華街)の近くの小さな路地にある尼寺です。寺を一通り見終わって出ると、すぐに入り口が閉じられました。どうも僕たちは閉まる間際に行ったようでした。すると、横で一人の尼さんが「こっちに来い」と手招きをしています。小部屋に案内されると、チベットの名物、バター茶をごちそうしてくれました。バター茶は正直言って僕にはちょっと飲みづらい味でした。しかし、今まで多くの観光地に行きましたが、見知らぬ人にご馳走をしてくれるなどというところはなかったので、感激でした。尼さんたちは皆チベット人で、中国語はほとんど話せません。むしろ、英語の方が片言ですが話せます。ですから、コミュニケーションをとるのは残念ながら非常に困難でした。最後に尼さんと一緒に記念撮影をすると、彼女は「住所を教えるから、必ず写真を送ってくれ」と言ってきました。これまでも、多くの観光客が写真を送ってくれたそうで、それをとても大切にしているようでした。 尼寺の中を歩いているとなぜかこちらに微笑みかけてくる尼さんが何人かいました。こうした光景は、その後大昭寺などの大きな寺でも見られました。それも、何か作っているような笑顔ではなく、心からの笑顔です。これは、中国のほかの地域では見られないものです。チベットの坊さんや尼さんたちは、本当に心からチベット仏教を信じていて、心が満たされているというふうに見えました。 尼寺を後にしたあと、もう一件小さな寺院を訪ねました。先ほどの尼寺はいちおう拝観料が必要でしたが、そこは拝観料も必要ないほどの小さな寺でした。仏像を見ていると、拝観者のおじいさんが「上に行きなさい」と指図しています。二階に上がってみると、そこには何もなく、拝観者もいません。とまどっていると、一人のお坊さんがにこにこして手招きをしているのが見えました。そちらに行ってみると、なぜか鍵の閉まっている部屋を開けてくれました。中に入ると、そこには美しい仏像やお経が沢山置いてありました。どうやら、一般の拝観者には公開していない部屋のようです。どうして僕らにそんな部屋を見せてくれたのか不思議でしたが、坊さんは観光客が来てくれたこと自体が何だかとてもうれしそうでした。 僕らが仏像を見ていると、そこへ若い坊さんが入ってきました。年を聞くと、まだ18歳。僕らを見ると、とても喜んで、いろいろと話し掛けてきました。彼は中国語と英語が片言しかできないので、コミュニケーションは困難な所もありましたが、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。 この若い坊さん・K君は寺の中で最年少。6歳の時に農村から出てきて寺に入ったそうです。学校には通わず、中国語や英語もお坊さんの家庭教師に教えてもらいます。毎日の生活は主にお経を読むことと食事を作ること。魚は全く食べず、肉もわずかしか食べないそうです。毎日の生活は楽しいかと聞くと、「楽しい」とニコニコして答えてきました。 そんな会話の中で、こんなことがありました。僕の持っているガイドブックを彼が見せて欲しいと言うので、見せてあげると、その中に毛沢東の写真がありました。 「僕はこの人がきらいだ」 「どうして?」 「この人はたくさんの人を殺したから」 そう言った後、彼はまた屈託のない笑顔を浮かべています。どうやら彼は若い上に寺院というチベット人だけの世界の中にいるせいか、こういうことを言うことに全く警戒心が無いようでした。しかし、この彼の率直な言葉の中に、チベット人の中央政府、あるいは漢族に対する感情というものが代表されていたのかもしれません。 数日後、帰る前にもう一度K君に会いたいと思い、この寺院を訪ねました。彼はお経を読んでいる所でしたが、僕らを見ると、読むのをやめ、僕らに付き合ってくれました。そこへ、一人の老人がやって来ました。彼は、甘粛省から仏像の修理のためにやってきたチベット人で、K君の部屋に住み込んでいるとのことでした。甘粛省は敦煌で有名な所です。チベット人はいわゆるチベット自治区以外にも生活しているのです。 彼は中国語が話せたのと、周りに漢族がいなかったこともあり、いろいろとチベットのことについて聞いてみました。 「チベットの多くの人たちは独立を望んでいるのですか?」 「そんなことはない。独立を望んでいるのは旧社会で権力を持っていた人間たちだ」 「しかし、現在の中央政府はチベットの自治権や文化を尊重していない。この点、毛沢東時代の方が少数民族を尊重していた。改革開放政策が始まってからの方がひどくなっている。だから、一番望ましいのは香港のような一国二制度にしてチベットの自治権をより拡大することだ」 「チベットが平和解放だったというのは本当ですか?」 「それは本当だ」 「しかし、B君はたくさんの人が殺されたと言っていましたが」 「それは国民党との内戦のことを言っているんだ」 「文革で寺院や仏像の破壊が行われた時、坊さんたちはどうしていたのでしょうか?」 「みんな故郷に逃げた。甘粛省出身の坊さんも皆帰ってきた」 彼は毛沢東時代に教育を受けた世代ですから、もしかしたら毛沢東に思い入れがあるかもしれませんし、甘粛省の出身ですから、チベット自治区内に住んでいるチベット人とは見方に違いがあるかも知れません。しかし、いずれにしても現在チベット人・チベット文化が尊重されていないと感じていることは確かなようでした
◎北京五輪開催決定への反応 僕がラサに滞在している時に2008年オリンピック開催地の発表があり、前評判通り北京に決定しました。その瞬間の北京の状況をテレビで見ましたが、ちょっと日本では考えられないような、大変な騒ぎでした。まるで、アヘン戦争以来のヨーロッパと日本に踏みにじられた来た歴史の屈辱を一気に晴らしたとでもいうような感じでした。実際、候補地の中には大阪とパリが含まれていました。 ちょっと違和感を覚えたのは、決定の瞬間に「我々は勝った」というロゴが出たことです。「我々」という時、そこには反対者は想定されていません。「中国人なら五輪開催を支持するのが当たり前だ」と言わんばかりで、ちょっと押し付けがましい感じがしました。日本ならこうは言えないでしょう。しかし、実際「我々」と一括りに出来るほど、この一年ほど中国は五輪支持一色に染まっていました。「反対だ」という人も友人の中にいないわけではありませんでしたが、極めて少数だったと思います。 しかし、ラサは違っていました。全国各地ではかなり大規模な祝賀パーティーが開かれていたようですが、ラサではそうした催しが行われている様子もなく、静かでした。次の日、バスの中で北京五輪のことが話題になると、チベット人のガイドは「あれはまだ最終決定じゃない。もう一度投票があるんだ。本当だ」などと言い出しました。これは明らかに間違っていたのですが、この言葉の中に、北京五輪を素直に喜べない彼の心情がにじみ出ていました。 もう一人、研修中の女の子のガイドに「北京に決まってうれしい?」と聞くと、「80%」という答えが返ってきました。恐らく、あまりうれしくないが、はっきりそうも言えないという微妙な心情がこうした答えになって表れたのでしょう。いずれにしても、チベット人たちが、漢族と同じようには北京五輪を喜んでいないことは確かでした。 ◎ギャンツェからシガツェへ ギャンツェは丘の上の古城・ギャンツェ城で有名な所です。すぐ近くにあるパンコル・チョエデ(白居寺)の上から丘のふもとの町を眺めると、まるで中東の町にでも来たかのような錯覚に襲われます。それほど、建物の風格は漢族のものとは異なっています。ここでは1904年に侵略してきたイギリス軍とチベット軍の間で壮絶な戦いが繰り広げられたそうです。これまで、チベットと中国の関係ばかりに気を取られていた僕は、不勉強なことにこの事実をここで初めて知りました。ですから、チベットと欧米の関係は比較的いいというイメージをこれまで持っていたのですが、実際にはチベット人はイギリスに対して当然のことながらいい感情は持っていないようです。 そのギャンツェからチベット第二の町シガツェまでバスで移動する間、車窓から多くの子供たちが見えました。僕らに向かって手を振ったりしているので、最初はあいさつしてくれているのかと思いました。ところがよく見ると、手のひらを上向きにして差し出している子供が沢山います。物乞いをしているのです。チベットは中国の中でももっとも貧しい地域の一つです。しかし、その一帯は農村部とは言え、緑が豊富で畑も沢山あり、草も生えない砂漠のような荒涼とした地域に比較したら、条件は遥かにいいように思われました。ですから、子供たちが集団で物乞いをしている様子はちょっと異常に思えました。 僕はガイドに「この辺の人たちは貧しいんですか?」と聞きました。 「そんなことはない」彼は「貧しい」と言われたことで、民族のプライドが傷ついたのか、ちょっと不機嫌そうでした。「じゃあ、なぜ物乞いをしいてるんですか?」 「彼らが物乞いをするようになったのは外国人のせいなんだ。外国人は安易に彼らに物を与える。だから彼らは物をもらうのがくせになってしまったんだ」 ガイド研修の女の子の家が近くだというので、学校の様子などを聞いてみました。 「学校には机もいすもありません。みんな自分で座布団を持っていってそれに座って授業を聞きます。先生はたいてい中卒です」 「でも、この辺はチベットの中では豊かな方だと思います」 途中休憩でバスを降りた時、ツアーに参加していた漢族の男性が僕に言いました。 「この一帯はもともとこんなに畑はなかった。不毛の土地だった。それを派遣されてきた漢族の幹部が必死に指導して、ようやくこれだけの畑ができたんだ。しかし、その意味をチベット人たちはわかっていない」 「でも、漢族がそんなにいいことをしたなら、どうしてチベットの人たちは漢族に対していい感情を持たないんでしょうか?」 「それは、彼らにそういうことを評価できるだけの素養がないんだ。彼らは主に宗教的な理由で漢族に反発している」 これは、事実関係を調べなければ、公正な判断は下せません。いずれにしても、チベット人と漢族の間には大きな認識の溝が存在しているのです。
◎商売をするチベットの子供たち チベットを去る前日に再びラサの八角街を訪れました。ある出店で気に入ったものがあったので、店番の女の子に値段を聞きました。その値段がちょっと高かったので、「じゃ、いいや」と言って、立ち去りました。すると、二人の女の子がどこまでも追いかけてきます。 「20元」 「いらない」 「買って!」 こんなやりとりを何回か繰り返している内に、何だかその子達が可哀相になってきました。 「わかった。買うよ。その代わり、ちょっと聞いていいかな?」 「何?」 「二人は歳はいくつ?」 「13歳」 「学校に行っているの?」 「学校には行ったことがない」 「どうして?」 「学費が高いから」 「一ヶ月いくらなの?」 「400元」 400元と言えば、おそらくチベットの一ヶ月の平均収入を越えていると思います。本当にそんなに高いのか、子供たちの言うことなので、ちょっとわかりませんが、本当なら学校に通うのは確かに大変だと思います。
「中国語はどうやって覚えたの?」彼女たちはチベット人であるにもかかわらず、中国語が話せたので、聞いてみました。 「商売の中で覚えた」 僕が礼を言って立ち去ろうとすると、彼女らがニヤニヤしながら何か言いました。 「えっ、何?」 「何でもない」そう言って、彼女らは店に戻って行きました。どうも、彼女らは「質問に答えたんだから、お金ちょうだい」と言ったようでした。商品のお金はすでに払っていたのですが、さらにお金を要求しようとしていたようです。子供とは言えなかなかしたたかなものです。さすが商人です。でも、そうやって行かなければ、彼女らはきっと生きていけないのです。 このように子供が商売の前線に立っている光景は昨年行った新彊でも多く見られました。中にはどう見ても小学生という感じの子が「いらっしゃい、いらっしゃい」とすっかりなれた感じで客引きをしていました。やはり貧しい地域ではどうしてもこういうことが多くなってしまうようです。 ◎漢族のチベット人への印象 帰りのラサの空港で一緒にツアーに参加した漢族の人たちとチベット人についての話になりました。ある女性は「チベット人は野蛮だ。ガイドにはいろいろと不満があったが、いざこざが起こると恐いので、言えなかった。チップを渡したりして、関係をうまく作ろうとしたけど、だめだった」と言いました。確かに、僕らについたガイドの態度はとてもいいとは言えず、それに不満があるのは理解が出来ました。しかし、寺院などでチベット人たちの温かいもてなしを何度も受けた僕としては、「チベット人は野蛮だ」という決めつけにはどうも納得がいきませんでした。(ちなみに、彼女たちはお坊さんたちとは話をしていません。) 今回の旅行中に「チベット人は野蛮だ」と漢族が言うのを何度も聞きました。また、ふだん学校の中でも、「ウィグル人は野蛮だ」と言う言葉をよく聞きます。どうやら、この二大少数民族に対する漢族の印象は「野蛮」ということで定着してしまっているようです。彼らが、そういうのには、それなりの根拠もあるのかもしれません。しかし、少なくとも僕が接した範囲では、とてもそのようには思えませんでした。それどころか、特にチベットではこれまで感じたことのない温かさを感じました。そんな人たちが、野蛮に振る舞うとするならば、必ず理由があるに違いありません。しかし、漢族の中にはそこまで考えている人は極めて少ないように思います。 以上、チベット訪問記を書きました。今回チベットに行ってみて、チベットのことをより深く知るには二つの壁があると感じました。一つは言語の壁で、チベットでは中国語の話せない人、あるいは話したがらない人が多いので、中国語しか話せない僕としては、コミュニケーションが困難な場面が何度かありました。第二は言論の自由の問題で、特に政治的な問題については相手の安全を考えたら下手に話すことは出来ないということです。これらの問題は、チベット語ができればかなり解決されます。チベット語で話せば、漢族にもわかりません。いつか、チベット語を習得して、また彼らとコミュニケーションが出来ればと思います。 2001.8.23 第20回 米国テロに対する反応 先日、アメリカで今までの常識ではちょっと考えられないようなテロ事件がありました。恐らく日本での一般的な反応は「恐ろしい」「許せない」といったものでしょう。では、中国での反応はどうでしょうか?今日はその辺をご報告したいと思います。 テロの次の日、授業で中国人の友達に会ったので、テロに対する感想を聞いてみました。すると、「第一に驚いたが、第二にうれしかった」と言いました。この反応はある程度予想はできたものでしたが、しかしここまではっきり言われると、やはり驚きました。しかも彼女は決して民族的情緒が特別に強い人ではなく、逆に問題を比較的客観的に見られる人だったので、なおさら驚きました。「でも、いくらアメリカの政策に問題があるとしても、殺されたのは罪のない一般の市民じゃない」と言うと、彼女とまわりにいた何人かの人は「確かにそうだ」としぶしぶうなずいているという感じです。 授業での先生の言い方などを見ていても「確かに感情的に見れば、うれしいという感情が生じるのはわかる。しかし、理性的に見れば、やはり一般の市民が殺されたのであり、許されるべきことではない」というような反応が多かったです。どうも、あの事件の映像を見た多くの中国人の直感的な反応は「うれしい」「ざまあ見ろ」といったものだったようです。 なぜ、このような反応になるのでしょうか?第一の理由は一昨年五月に起きた、米軍によるユーゴの中国大使館空爆事件です。この事件について、中国のほとんどの国民は故意だと信じています。第二は今年起きたアメリカの「スパイ機」が「領空侵犯」した際に中国の戦闘機と衝突し、中国のパイロットが亡くなった事件です。この二つの事件は中国人の反米感情を大いに高めました。 それ以外ではアメリカの中東政策があります。ある友人は言いました。「アメリカでのテロは何の罪もない人たちを殺したのだから、その意味では許されることではない。だけど、アメリカがイラクに対してとっている経済制裁も結果的には何の罪もない人たちの生命を奪う結果になっている。手段が違うだけで、やっていることは同じではないのか?」パレスチナとイスラエルの対立の中でアメリカが常にイスラエルに肩入れしていることにも多くの中国人は疑問を持っています。 さらに、京都議定書からの脱退など、ブッシュが当選して以来取られている「孤立主義」(中国語では単辺主義)もアメリカに対する反感を高める原因になっています。 『人民日報』の強国論壇に寄せられている文章を見てみると、全面的にテロを非難するものもありますが、一番多いのは、テロという手段を非難しながらも、問題の根本はアメリカの「覇権主義」「孤立主義」にあるとし、批判の重点をアメリカの外交政策に置くものでした。 僕の考えを言うと、中国大使館空爆事件については故意だという説もないわけではないではないですが、そうと断定するのはかなり乱暴だと思います。万が一故意だとしても、今回のテロはそれに対する「報い」とするには、あまりにも大規模で残酷だと思います。 米中機の衝突事件についての中国側の見方にもかなり疑問があります。衝突自体は故意のものではありませんし、これは国際法を勉強する中国人の友人も言っていたことですが、中国はアメリカが領空を侵犯していたと主張していますが、領空の範囲については各国で統一した基準がなく、この点から見ると、どちらの主張が正しいとは一概には言えないようです。また、仮にアメリカがスパイ活動をしていたとしても、同様なことは中国の調査船も日本の領海に入って行っているわけですから、特にアメリカだけを非難できることではないと思います。 つまり、この二つの事件だけに関して言うと、冷静に見れば、アメリカに対して今ほど大きな憎悪を抱くような事件でない気がするのです。やはり中国国内の強烈なナショナリズムがこの二つの事件を冷静に見られなくさせ、強い反米感情を生み出し、それが今回のテロに対する反応となって現れていると思います。 しかし、アメリカの政策に対する批判には僕はかなりの道理があると思いますし、こうした批判は日本がアメリカの同盟国になっているためか、あまりクローズアップされていないのではないでしょうか。アメリカはイラクに対する経済制裁や空爆以外にも、これまでの歴史の中で、今回のテロに勝るとも劣らない非人道的な行為を行ってきていると思いますし、また、それが超大国であるがゆえに何の制裁も受けずにきたという面があると思います。 今回、留学生からもテロに対する感想を聞きましたか、ラオスの友人はやはり「うれしい」と言っていました。なぜかと聞くと、ベトナム戦争の際、ラオスもアメリカによって蹂躙されたからだと言います。このように、中国やアラブ諸国に限らずアメリカを恨んでいる人は世界中にたくさんいます。そして、これはアメリカが戦後とってきた外交政策の結果なのです。こうしたアメリカの負の面は、発展途上国に属する中国だからこそよく見えるという面もあると思います。 ただ、「アメリカの外国政策が悪いからテロが起きた。アメリカは反省せよ!」と中国の人たちが言うとき、一つ大きな疑問があります。それは、同じ論理を自国内のテロには決して適用しようとはしないということです。中国ではチベットや新彊でテロが起きています。これに対し、中国政府は「分裂主義」と言って批判するだけですし、一般の中国人の多くは前回の日記でも述べたように、「チベット人は野蛮だ」「ウィグル人は野蛮だ」と言った程度の認識に終わっているわけです。しかし、もし先ほどの論理で中国国内のテロを見るなら、「中国政府のチベットや新彊に対する政策に問題があるからこそテロが起きた。中国政府は反省せよ!」ということになるはずです。しかし、残念ながらそこまで考えている人は極めてわずかなようです。 江沢民がテロ後真っ先に「いかなるテロにも無条件で反対する」という声明を出したのは、それが国内の問題にも跳ね返ってくることをよくわかっていたからだと思います。 テロと言う卑劣な手段で無実の人たちを殺害することは断じて許されることではありません。その意味で、やはり「うれしい」と簡単に言ってしまう人たちには大きな違和感を感じざるを得ません。しかし、テロリストたちが自らの命を賭してまであのような行動に出る、そこまでの憎悪の背景には何があるのか、そうした憎悪の根を元から断つにはどうしたらいいのか、アメリカも中国も考える必要があると思います。ただ報復をする、弾圧するというだけでは憎悪の根はいつまでも断たれないのではないでしょうか。 2001.9.26 第21回 淘汰される「日本製造」
最近ある中国の経済学者の書いた文章を読みました。それによると、日本の企業は国内で時代遅れになった三流の商品を中国で売っている。一方、欧米の企業は国内と同様の一流の商品を売っている。その結果、例えば携帯電話などの分野で松下などの日本企業はシェアをどんどん欧米の企業に奪われていると言うのです。 このようにこの経済学者が言うとき、単に客観的に現状を分析しているというより、「日本は中国を馬鹿にするからこういうことになるんだ」という感情が文章の至るところに見え隠れしています。 僕が中国人と話していても、大学生からタクシーの運転手まで「日本は中国に三流の商品を売りつけている」というふうに言う人が数多くいます。 実は、中国で「日本製造」(中国語でメイド・イン・ジャパン)と言えば、質のいい商品の代名詞という面もあります。しかし、そういう意識が強いだけに、なおさら「三流の商品を売っている」となると、民族感情もからんで「許せない」という気持ちになるようです。 今年に入ってから中国人の「日本製造」に対するこうした感情をさらに激化させるような事件が相次ぎました。 一つは三菱パジェロの事件。これは日本でも問題になったものですが、ブレーキ部分の欠陥によって中国でも事故が相次ぎました。その後の三菱の対応も非常に緩慢なものでした。このときの中国側の多くの受け止め方は決して「三菱自動車」という一つの会社の問題としてではなく、「日本人は中国人を馬鹿にしているゆえにこんな欠陥車を売りつけるし、賠償もしない」というものでした。人気のドキュメント・ニュース番組「東方時空」の司会者も「また日本が私たちの民族感情を傷つけました」という言い方をしていました。パジェロの問題を最初に訴えた人は英雄のように扱われていました。 二つ目は東芝のノートパソコン問題です。もともとはフロッピーディスクの一部に欠陥がある(実際に問題がおこる可能性は極めてわずかと言われています)ということでアメリカで訴訟があり、東芝側が1100億円を払うことで和解が成立してのですが、その後「ならば中国に対しても賠償すべきだ」ということで同様の訴訟が起きました。ところが東芝側は「賠償の必要はない」という姿勢を取りました。このため、中国では「日本人はアメリカ人と中国人を差別している」という世論が巻き起こりました。 三つ目は、これは商品ではなくサービスになりますが、日航事件というのがありました。これは、北京発東京行きの飛行機が天候悪化のため大阪に臨時に着陸した後、中国人のみが寒いロビーでまる一日留め置かれ、食べ物も長時間経たあとわずかに与えられただけだった、という事件です。この事件も賠償請求にまで発展しました。 その他にも松下の携帯や日産の自動車の問題もありました。これらは比較的対応が早かったため、それほど大きな問題にはならなかったようですが、いずれにしてもこうした問題が起こると中国ではいち早く報道されます。 これらの事件を見て、僕が思うことがいくつかあります。 一つはこれらの問題全てを「中国対日本」という構図でとりあげ、民族感情を煽るような中国のマスコミの報道の仕方にはやや違和感を感じるということです。例えば三菱パジェロの問題で言えば、国内においても問題を隠しつづけていたわけで、この十年間次々と露わになったきた、日本の政府・企業に共通する「隠し病」こそが問題の根であり、必ずしも中国に対する差別が原因とは言えないと思います。 また、これらの事件について、それぞれの事件について細かく見ていけば、中国側の言い分が全て正しいとは限らないとも思います。 最初に挙げた、「日本企業は中国で三流の商品、時代遅れの商品を売っている」ということにしても、日本企業が欧米企業に比べると、型落ちした商品を売っているというのは事実のようですが、それはあくまで市場戦略の違いであって、このこと自体を中国人を蔑視しているからだ、と考えるのは、筋違いのような気がします。なぜなら、日本企業も目的は最大利潤であり、最先端の商品が中国でも売れるとなれば、売るに決まっているからです。この辺にも、民族問題ではない問題までも、民族問題として見ようとする中国の傾向が現れていると思います。 しかしその一方で、日本側が中国をあまり重視していない、軽く見ているということも否定できないと思います。実際、今回これらの問題に対する日本側の反応を見るためにヤフーで検索してみましたが、どの項目もわずか数件しかヒットしませんでした。これらの事件についての日本側の言い分すらよく分かりませんでした。このことは、中国側ではこんなに大騒ぎされている事件が日本では大したこととは思われていない、ほとんど伝わっていないことを意味しています。 今、中国では消費者の権利意識と言うものが急速に高まってきています。『今日説法』という人気の法律番組でも頻繁に消費者の権利の問題が取り上げられています。また経済発展に伴い、広範な「中産階級」が形成されてきており、彼らの商品やサービスに対する要求も以前よりずっと高まってきています。こうした変化を、日本側は甘く見ているのではないでしょうか。 中国側の言い分にも誤った部分があるかもしれません。しかし、どちらにせよ、彼らの怒りに誠実に対応していかなければ「日本は中国を馬鹿にしている」「日本は三流のものを売りつけている」という印象がどんどん広まっていくだけでしょう。実際、先ほども述べたとおり、かつての「日本製品は質がいい」という印象は中国ではどんどん薄れてきており、「日本製造」は市場から淘汰されつつあるのです。 中国がWTOに加盟した今、日本と中国の関係は経済面でもますます密接になっていくでしょう。そんな時、短期的な損得だけで問題に対処していくなら、結局損をするのは日本自身ではないでしょうか。 2001.12.17 第22回 靖国神社ペンキ事件をめぐって 昨年の夏、小泉首相が靖国神社を参拝した後、馮錦華という在日中国人が靖国神社の壁に中国語で「死ね」とペンキスプレーを使って書く、という事件が起こりました。(「事件」と言っても、日本ではほとんど報道されなかったと思いますが)
そして、昨年12月、この行為に対する判決が東京地裁で出ました。結果は、器物破損で懲役10ヶ月、執行猶予3年というものでした。この判決も日本ではほとんど報じられなかったと思います。 ところが、こちら中国ではこの判決に対して大きな反響がありました。主な反応は、この判決を政治的判決として批判するもの、馮錦華氏の行為自体を「壮挙」としたり、英雄視したりするもの、三ヶ月の赤ちゃん(事件当時はまだ生まれていなかった)がいる中で、このような判決が下りたことに同情する、といったものでした。彼の行為を批判する論調はほとんどと言っていいほど見られませんでした。 中国人の友人に聞いてみても、彼を批判する人はほとんどいませんでした。彼の行為を賞賛する人は新聞で見るほどはいませんでしたが、 「中国がいくら日本を批判しても、日本の首相が靖国神社参拝を続けるから、やむを得ずとった手段ではないか」 「彼のとった方法は確かにいいとは言えないかもしれないが、このような結果を招いた根本的な責任は、いつまでも参拝を続ける日本政府にあるのではないのか」 といった考えが主流でした。 こうした意見を聞いたとき、何かしっくり来ないものを感じました。 一年半ほど前、私も靖国神社に見学に行きました。中に展示場があり、そこにはわずか十七、八歳で特攻隊となり、散っていった若者たちが、特攻の前に父母や兄弟、恋人への思いを綴った手紙が数多く展示されています。それは誰が見ても涙を誘わずにはおれないものです。こうした少年たちを弔いたいという気持ちは理解できます(こうした手紙自体、書かされたもので、内心は国や天皇に対する怒りで一杯だったという人もいますが)。 しかし、展示場の最後で流していたビデオを見たとき、気持ちが一気に冷めてしまいました。そのビデオでは繰り返し、次のように説いていました。 「あの戦争を侵略戦争などと言っていいのでしょうか?そんなことを認めれば、あの少年たちは犬死だったということになります。そんなことは決して認められません」 結局、靖国神社はあの戦争が侵略戦争であったという最低の事実さえも認めていないのです。 ですから、特攻隊に散った少年を弔うことには異議は唱えませんが、こうした歴史観にたった神社に首相や閣僚が参拝することには僕は同意できません。これが僕の基本的な考えです。ですから、中国人が靖国神社をを批判することについては、理解できます。 では、靖国神社への参拝に反対の僕が、なぜ馮錦華氏を賞賛したり、擁護したり、同情したりする中国人たちの声に違和感を感じるのでしょうか? 法律に詳しい人にも聞いてみましたが、もし日本人が同じように器物破損で起訴されたら、やはり同様の罪になるそうです。したがって、ここには多くの中国人が考えるような、「中国人だから、罪を重くしている」とか「靖国神社に対する行為だから罪が重くなった」といった問題は存在していないことになります。つまり、この判決は「政治的判決」とは言えないということです。 「彼の行為は正義のためにやったのであり、動機が正しいのだから、罪を軽くするべきだ」「わずか三ヶ月の赤ちゃんがいるのに、ひどい」といった声もあるようですが、いかなる良い動機があろうと、犯罪は犯罪です。法律で裁かれるのは当然のことでしょう。また、家庭の事情を勘案する法律などというものはありません。 したがって、こうしてみる限り、日本の裁判書の判決を「政治的判決」などと批判したり、彼に同情したりする余地は全くないと思います。ましてや、彼の行為を英雄視したりするのは論外だと思います。 なぜ、僕がこの小さな問題にこんなにこだわるのかというと、中国人の中に、いったん民族間・国家間の問題、特に日本との問題になると、突然理性的な思考ができなくなり、非常に感情的、というより不条理な思考をしてしまう傾向があり、この靖国神社の事件をめぐる中国人の反応は、その傾向を典型的に現していると思うからです。 かつて中国は「法治」ではなく、「人治」でした。それがどんな結果を招くかは文化大革命が示すところです。改革開放以後はしだいに「法治」の重要性がしだいに強調されるようになり、中国人の法意識も大きく変わったと思います。僕の好きな中央電子台の番組『今日説法』はさまざまな紛争を法律という手段を通して解決することがいかに重要か、ということを繰り返し説いています。 もし、今の中国で誰かが天安門の壁に、中国共産党の腐敗を批判する言葉を書いて捕まったとしても、彼は決して英雄視も同情もされないでしょう。 ところが、いったん日本の問題となると、こうした「法治」の観念はどこかへ吹き飛んでしまいます。 僕は、こうした反応を見ると、911テロの時に多くの中国人が「うれしい」と答えたことを思い出します。いかなる良い動機があろうと、非合法な手段を採ることは許されません。その先にあるのは、テロの正当化です。 僕は、中国人たちが、日本の過去の侵略戦争を批判すること、また最近、日本国内にある、過去の歴史を歪曲するような動きに対して批判することは全く正当なことだと考えます。しかし、こうした、日本側には非がないことまでをまるで非があるかのように言い、日本への憎悪の感情を煽るようなことは決してしないでほしいと思います。そのようなことをすれば、また日本の民族主義者を刺激し、悪循環になっていくだけです。 僕は、日中関係の悪化の主要な原因を、「中国政府が国内の腐敗などの問題から国民の目を国外にそらすために、わざと反日感情を煽っていることにある」ことに求める考えには同意できません(もちろん、以前書いた通り、中国政府にそのような意図があることは否定できないと思いますが)。日本に過去の歴史を素直に認めない政治家や学者が数多くおり、しかも、その勢力が増していることは事実だからです。 しかし、一方で、この事件に典型的に現れているように、中国側に不必要に日本に対する憎悪を煽ったり、批判する傾向があることも否定できません。 日本は過去の歴史を謙虚に認めること、そして、中国側は冷静に日本を見、不必要に反日感情を煽らないこと、この二つのことを通して、日中両国が関係悪化の悪循環からいつか抜け出すことを願うばかりです。 ちなみに、反日感情を煽るような記事を全て「中国政府のプロパガンダ」と見る見方は、単純にすぎると思われます。なぜなら、現在街で売られている新聞は、形はみな国営ですが、市場経済の中にあっては、商業原理、つまり売れるか売れないかという原理にしたがって動いているからです。政府の宣伝をやっているのは主に『人民日報』などの党機関紙ですが、これらの新聞は前にも述べたように、一般の人はほとんど読みません。街で売っている新聞もただ政府の宣伝をやっていたのでは、売れません。 したがって、反日感情を煽るような記事が多くの新聞に載るのは、「政府のプロパガンダ」ではなく、そうした記事を「面白い」「読みたい」という読者が広範に渡っているためだと考えるべきでしょう。 以前、「英語のカリスマ」李揚の講演が中国人の民族感情・反日感情を利用して支持を集めようとしていることを指摘しましたが、多くの新聞もこれと同じことをやっていると言えます。ですから、問題は「中国政府のプロパガンダ」に責任を押し付ければいいと言うほど簡単ではないのです。 中国人の中に深く根付いた反日感情に対して、日本人は、まず第一に、過去の歴史の事実を素直に認め、中国人に対して誠実に向き合うと同時に、不必要な誤解や偏見に基づく反日感情については、冷静な粘り強い討論を通じて少しずつ解きほぐしていく必要があると思います。 2002.2.2 第23回 春節の衝撃
毎年、春節は中国人の友人の家で過ごすことにしている僕ですが、今年も江西省のある小さな町で過ごすことにしました。
途中、バスの故障などもあり、武漢から十一時間ほどかかってようやく友人・H君の家に着きました。おととし訪れた農村に比べたら、商店街もあるし、ずっと開けていましたか、それでも武漢とは比較にならないくらい小さい町です。 H君のクラスメートにも何人か会いましたが、彼らはみな、北京・上海・広州・深セン・珠海などの大都市で働いているということでした。(彼らは春節を過ごすために、実家に帰ってきていた) 聞いたところでは、この町の人口の約半分近い人たちは、大都市へ出稼ぎに行っているそうです。地元に残っている人にも話を聞きましたが、彼は国営企業をレイオフになっていました。地元には国営企業以外の仕事が少なく、その国営企業もリストラを進めているため、みんな外に出ていくしかない、ということのようです。 H君の話だと、この町では麻薬吸引者が多いそうです。彼のクラスメートの中にも、彼氏が麻薬に手を出したために、別れざるを得なくなったという女の子もいたそうです。どうやら、若い人たちが身の回りに麻薬吸引者を見つけるのが難しくないほど、麻薬が普及しているようです。この背景には、上に述べたような経済の状況もあるのかも知れません。 そんな町で、私にとって衝撃の事件は起きました。 この町に着いた次の日、僕はH君、それと一緒に行った日本人の友人Y君とともに、H君の親戚やクラスメートの家を回りました。あちらこちらですっかりご馳走になった僕らは、かなり疲れてしまい、H君の家に帰ると、すぐ寝ようということになりました。 ところが、ベッドに横になっていると、H君が「兄貴が飲みに行こうと言っているんだ。料理も頼んでましったようだし、断るわけにいかない。今から出かけよう」と言い出しました。彼のメンツも立てなければとは思いつつも、あまりの疲労に、僕らは行くのを固辞しました。しかし、彼のお兄さんが車でわざわざ迎えに来たときには、さすがに行かないわけにはいきませんでした。 レストランに着くと、H君の親戚やその友人10人近くが鍋を囲んで待っていました。しかし、そのうちの多くは僕らにあまり関心がないようでした。 やがて、ビールで乾杯が始まりました。中国でいう乾杯は、コップの中の酒を全て飲み干すことです。つまり、イッキ飲みですね。しかし、酒が極端に弱い僕は、いつも、その旨を伝え、イッキ飲みを避けてきました。そして、この時もそのようにしました。一緒に行った、酒好きの日本人Y君も、この日ばかりは風邪をひいていたこともあり、あまり酒が進みませんでした。 やがて、みんな徐々に酒がまわってくると、彼らはゲームを始めました。一人が楊枝を何本か握り、全員がその本数を言っていき、数を言い当ててしまった人がイッキ飲みをしなければならないというゲームです。 酒が飲めないために、ゲームにも参加できず、疲労も極みに達していた僕は、体調の悪いY君とともに、先に帰らせてもらうことにしました。 僕らが疲れのあまり、深い眠りについていた頃、H君が激怒した様子で帰ってきました。 「俺はあいつらとケンカしたんだ。あいつらは許せない。本当に傷ついた。もう、こんなところにはいたくない。明日すぐに武漢に帰ろう」 その時は、まだ正月すら迎えていなかったのに、彼がこんなことを言い出したので、僕らはびっくりしました。「一体、何があったんだ?」 事情はこうでした。僕らが先に帰った後、彼らから口々に不満と批判の声が上がりました。「あいつらは、俺たちがついだ酒も飲まず、おまけに先に帰りやがった。日本人は態度がデカい」 H君は、僕らの友達として、僕が酒が弱いこと、Y君か風邪を引いていたことを説明し、一生懸命弁解しました。すると、彼らは口々にH君を「漢奸(戦争時代、日本側についた中国人の裏切り者)」と罵倒し始めたのです。「あの時代に日本人に媚びを売れば、いいこともあったかもしれないが、今の時代、やつらに媚びを売っても、何も得なことはないぞ」とも言われました。彼を擁護しようとする人は、お兄さんも含めて、ただの一人もいなかったそうです。 僕らはこの話を聞いて、本当にショックでした。特に、一度H君の家にも来たことがあり、彼の兄弟や親戚と比較的親しくなっていたY君はかなりショックを受けていました。彼は言いました。 「顔の見えない関係の中でなら、日本人についてあれこれ想像をめぐらして、憎悪する中国人がいるのはわかる。でも、顔の見える関係になり、相手の人格なども知った上でこんなことが起こるとは思っていなかった」 実際、僕も、もともとは日本人が嫌いだったが、実際に接してみてから、ガラッと考えが変わったという中国人を数多く見てきていたので、彼の言うことは非常によくわかりました。 それにしても、兄弟や親戚からこんなひどいことを言われたH君はどんなにつらかったことでしょう。でも、彼は僕らのために、一人矢面に立ってくれたのです。しかも、彼は絶対に自分の考えを曲げませんでした。 「兄弟であろうが、親戚であろうが、自分の友達をあんなふうに罵倒するのは許せない」 僕は涙か出てきました。何よりもうれしかったのは、彼が「民族」よりも「友情」の方を選んでくれたことです。 彼は言いました。「日本は確かに過去悪いことをした。でも、その憎悪をいつまでも引きずるのは間違っている。そんなことをしたら、いつまでも平和は来ない。確かに君らが酒を飲まなかったのは中国の習慣に反している。その点は、君らにも問題があったかもしれない。でも、その問題と、過去の問題に何の関係があるというんだ!」 これは、彼が常々口にしている、しかし中国人の中ではごく少数派の考え方です。日本人から「憎悪をひきずるな」といった言葉出るときは、だいたい過去のことをあまり反省していない人の口から出ることが多いので、あまり信用できないのですが、中国人の口からこういう言葉が出ると、敬服させられます。 中国では「歴史を忘れてはならない」ということがよく言われます。この言葉を言うと、誰も反論できないという雰囲気が中国にはあります。そして、このスローガンは侵略した側の日本人としても肝に銘じなければならないとも思います。 しかし、多くの中国人の中では「歴史を忘れてはならない」が「憎悪を忘れてはならない」とイコールになっています。そして、ついには、この憎悪の感情を少しでもなくしていこうという努力までもが批判の対象となります。このことは、以前ここでもご紹介した、『日中ホンネで大討論!』というメルマガを中国で宣伝したときに、「そんなことをして、中国人の日本人に対する憎悪を和らげようとでもいうのか?」といった反応があったことにも現れています。 私は、中国の習慣に従わなかったことによって、僕たちが「日本人」として罵倒され、H君が「中国人の裏切り者」として罵倒されたこの事件を通じて、正直に言って、中国人の日本人に対する憎悪の感情の異常さ、日本人と見れば問題を全て民族間の問題としようとする思考様式の異常さを感じざるを得ませんでした。 誤解なきように言うと、H君は決して日本の侵略の罪を軽くみているわけではありません。それどころか、彼はかつて侵略戦争を事実をろくに知らない、ある日本の留学生と話して、非常に憤っていました。しかし、彼は「歴史を忘れてはならない」のは、過去から教訓をくみ取り、平和な未来を築くためであり、決して憎悪を永続化するためではないと言っているのです。 彼は、いい加減なところもあるヤツなのですが、この中国の圧倒的な潮流に抗して、兄弟や親戚とケンカしてまでも、こうした自分の思想を守り抜こうとする彼の姿勢には感動すら覚えました。 僕は彼のような友人を大切にしていきたいです。そして、彼のような中国人が一人でも増えていってほしいと思います。 事件後、彼が「武漢に帰る」と啖呵をきったものの、春節のためバスもなく、結局そこで春節をしばらく過ごすことになりました。彼のご父母は事件のことを聞いたのか、僕らに対してとても気を使ってくれ、 「自分の家と同じようにふるまっていいんだよ」 「日本と中国では習慣の違いもいろいろとあると思うけど、あまり気にしないでね」 と言ってくれました。また、武漢に帰る前日に会った、H君のクラスメートは、「遠方からの友人」を暖かく迎えてくれ、話も弾み、次の日に帰る旨を伝えると、「もう二三日延長できないのか?」と本当に残念そうに言ってくれました。こうした「民族」や「国家」を越えた交流をすると、本当に愉快で、温かい気持ちになります。 中国という国の習慣、中国人の思考様式、中国人の温かさと冷たさ―「中国」というものについて、また多くを学ばされた今年の春節でした。 2002.2.19 第24回 ある有名記者の見た日本 中国の友達と日本について話していると、よく引き合いに出される話があります。それは、水均益氏の日本での体験です。水均益氏は中央電視台(日本で言えば、NHKに当たるような、中国を代表するテレビ局)で『焦点訪談』『東方時空』などの人気ドキュメンタリー番組の司会をしているキャスターです。最近、パキスタンのムシャラフ大統領の単独インタビューを担当したことからも分かるように、中国では白岩松氏、敬一丹氏などと並ぶ、有名キャスターと言えるでしょう。日本で言えば、筑紫哲也氏、久米宏氏に当たるような人です。 そのような有名キャスターであるため、水均益の日本レポートは、学生たちの日本観にも、それなりの影響を与えているようでした。彼の日本レポートは、ネット上でも発表されているということだったので、どのような内容なのか、さっそく見てみることにしました。 このレポートは、『日本よ、私が君に言うことを聞いてくれ』と題され、中央電視台のHPで発表されています。 http://www.cctv.com/tvguide/anchors/shuijunyi/shuijunyi1.html (中国語) 「私は日本人とほとんど接したことがないが、限られた何回かの接触の中で私に与えた印象は本当に最悪で、許しがたいものだった」と、彼は日本での二つの不愉快な体験を語り始めます。以下、二つの出来事を要約します。
その一つは、彼が、国連創立50周年の記念行事を取材するため、ニューヨークに向かうと途中、成田空港に寄った時に起こりました。成田空港かあまりにも大きいため、迷ってしまった彼は、カウンターの女性に、ニューヨーク行きの飛行機が何時に出発するのか、どこで乗ればいいのかを英語で尋ねました。ところが、彼女はチケットを見て「北京」とつぶやくと、くるっと振りかえって、どこかへ行ってしまいました。5分ほど待った後、彼女は戻ってきましたが、なぜか、後ろにいた欧米人の手続きを先に始めました。そして、その欧米人に丁寧にチケットを渡しました。彼は、耐えられなくなり、再度、大声で先ほどの質問を繰り返しました。しかし、彼女は顔さえ上げず、どこかへ行ったしまったというのです。彼は、これには本当に激怒したといいます。日本人は中国人を差別しているのだ、と感じたようです。 もう一つの出来事は、大阪で開かれた、APECの非公式会議に対する日本人の見方を取材するために彼が日本に行ったときに起こりました。彼は、街で多くの人に英語で質問しましたが、日本人は英語がわからないしらく、取材も受けたくないようで、冷たい対応でした。そこで、タクシーに乗ったときに、運転手に質問してみました。しかし、やはり何も答えてくれず、彼が下りるときになって、日本語で二言三言何かつぶやきました。彼は日本語がわからないので、その時は何を言われたのか分かりませんでしたが、ビデオカメラで撮影していたため、後で日本語の分かる友人に、運転手が何を言ったのか、聞きました。運転手は何と、「中国から来たクソ記者め、まだ取材するつもりか、日本の皇軍はなぜあの時、中国人を全部ぶっ殺さなかったんだ」と言っていたというのです。この時、彼はすぐにでも飛び出して、その運転手を殺してやろうかと思ったほどだと言います。 彼は、この二つの日本体験を例に挙げた後、次のように言います。「聞く所によると、日本人の中では、中国人を含むアジア人は日本人に比べて遅れた民族で、日本人こそがアジアで最も優秀な民族だと考えられているそうだ。欧米諸国と同じレベルに属することを日本人の誇りとしており、アジアの遅れた民族と「交わり、汚れる」ことを恥としているようだ」 「1997年の初めに、『中国青年報』が「中国青年の中での日本」と題して、大型の読者アンケートを行った。その結果は驚くべきものだった。アンケートに答えた十万人の青年読者のうち、83.9%の読者が「日本と聞いて、最初に思いつくものは」と聞いて、「南京大虐殺」と答え、15項目の選択肢のうちでトップだった。また、「あなたの心のなかで、日本人とはどのようなイメージですか」という質問に対する答えで、最も多かったのは、「残忍」で、56.1%だった」 そのあと、過去の歴史をゆがめる日本、謝罪しようとしない日本に対する痛烈な批判がされて、この日本レポートは終わっています。 私は、彼のこの文章を読んで、何とも複雑で、やるせない気持ちになりました。 過去の侵略戦争を徹底的に反省するという過程を経てこなかった(と私は考えます)日本の風土の中で、水均益氏が出会ったような、空港の職員や運転手のような人間がいることは、否定できない事実だろうと思います。そして、中国の方に対して、あのような口汚い言葉を吐く日本人がいることは、本当に恥ずべきことであると思います。また、水均益氏が、あのような日本人に出会ったとき、激怒するのは当然だと思います。 しかし、その一方で、「記者」という身分でこの日本レポートを書いている彼が、わずか数日間の滞在、しかも日本語もできないという状況の中で接した日本人を見て、あたかもこれが日本人の大多数、日本人の主流であるかのように描いていることには率直に言って疑問を感じざるを得ません。こんな状況下で、果たして日本人を論ずることなどできるでしょうか?彼は、こう言っています。 「一人の記者として、客観的で冷静でなければならないのはわかっている。しかし、一人の中国人として、これらの事実に直面して、とても冷静ではいられない」 しかし、彼が記者であるならば、もともと日本に対していかなる感情を持っていようと、それを一旦留保した上で、一定の期間をとって、日本語の通訳もつれた上で、きちっと取材をするべきなのではないでしょうか。 「聞く所によると、日本人の中では、中国人を含むアジア人は日本人に比べて遅れた民族で、日本人こそがアジアで最も優秀な民族だと考えられているそうだ。欧米諸国と同じレベルに属することを日本人の誇りとしており、アジアの遅れた民族と「交わり、汚れる」ことを恥としているようだ」という、先ほどの言葉にしても、こんな重要なことを、裏付けもなく書いていることにも、記者としての責任感が感じられません。 「あんなにひどいことを言われたら、日本人を批判するのは当然ではないか。日本人であるお前が、彼を批判する権利があるのか」と、もしかしたら、中国の方からお叱りを受けるかもしれません。しかし、私がなぜ、こんなことにこだわるのか、理由があります。 これは以前も書いたことですが、中国に来てから、「"日本人" は嫌いだ」ということを何度も言われました。日本人である私と付き合っているが故に、「漢奸(中国人の裏切り者)」と言われた友人もいます。ここには、かつて周恩来首相が言ったような、「悪いのは一部の軍国主義者であり、大部分の日本人民は友好的である」という考えはどこにも見られません。日本人は全て悪者なのです。「日本人は中国人を蔑視しているのか?」という質問もこちらにきてから数え切れないほどされました。そのたびに、「中国人は何か日本人という存在を誤解しているのではないか」と思ったものです。 私は、多くの中国人が指摘するように、日本という国が、ドイツなどと比べて、侵略戦争に対する歴史認識においても、また、戦後処理の問題においても、明らかに劣っていることは否定できないと思います。しかし、最近問題になった『新しい歴史教科書』の採択率が極めて低かったことなどを見てもわかるように、一般の日本人の中では、侵略戦争を否定する立場に立っている人は、決して多くないと思います。 また、日本に留学経験のある先生や学生に、日本のことを聞いてみても、差別的な日本人に出会ったとしても、それが日本人の主流であるという人はいません。 私が恐れているのは、水均益氏のような非常に有名な記者の、しかもたった数日の「取材」で形作られた日本観が、日本人と接したことのない(私のいる武漢でも、日本人と接したことのない人が大多数を占めています)中国人に大きな影響を及ぼし、現実からは乖離した日本人観が広がっていくことです。 水均益氏自身が「驚くべき」と言っている、先ほどのアンケート結果が示すとおり、現状でも「残忍」が日本人に対する印象の第一位を占めているわけです。そこへ、この日本レポートを見たら、中国人の反日感情、というより「反日本人」感情にますます拍車をかけることになるでしょう。実際、私のいる大学でも、多くの学生が彼のレポートを見たり読んだりしていて、「日本人はひどい」と思っているわけです。中国で生活している日本人として、こんなにつらく、悲しいことはありません。 最近、日本でも、一部の密入国した中国人の犯罪をもって、「"中国人"は怖い、危険だ」と決め付けるような風潮があるようですが、これも全くの誤解で、一面的な考え方だといわざるを得ません。多くの中国の方たちは、まじめに仕事をし、勉学に励んでいるのです。 自分の接した、ほんの狭い範囲の日本人・中国人、テレビや新聞で見た日本人・中国人をもって「日本人は・・・」「中国人は・・・」と決め付けていく、これは本当に危険なことだと思います。これは相互理解をできなくさせ、お互いの距離をますます大きくし、両者の友好を破壊していくと思います。 この水均益のレポートについて、日本に留学経験のある、新聞学科の先生と話しました。先生はこう言いました。 「私が日本の空港に着いて、右も左も分からないとき、ある人が私について来てくれ、中国語で道を説明してくれた。最後に別れるときに、その人は「何かあったら、連絡してください」と言って、名刺を渡してくれた。その時、その人が日本人だと初めて知った。だから、水均益氏の見方は一面的だ」 「もちろん、日本に行って、不愉快な思いをしたこともある。ある先生は、私が中国人であることを理由に、明らかに冷淡な態度を取った。また、買い物をした時も、私の日本語が流暢でないのを見ると、冷淡な対応をされた」「どこの国にもいい人も悪い人もいる、これが現状なのではないだろうか」 「私は「親日」派でも「反日」派でもない。私は一年日本にいたが、それでも日本に対する誤解はまだまだ、たくさんあると思う。私はもっと日本のことを知りたい。私がめざしているのは「知日」派だ」 私は、先生の言うことはとても大切なことだと思いました。かつて日本には、「親中」でありすぎたために、文革期などの中国の悪い面が見えなくなっていた人たちがいました。一方、最近は、「反中」でありすぎるために、中国の悪い面ばかりを必要以上に描き出そうと努力している人たちがいます。「親」であれ、「反」であれ、彼らに共通しているのは、事実を出発点にして、中国というものの像を組み立てるのではなく、逆に中国に対して最初から持っている感情を出発点にして、それにあてはまる事実だけを取り出そうとすることだと思います。このように、あるフィルターを通してものを見ることはあまりよくないことだと思います。 私は、日中双方がこうしたフィルターを通さず、虚心に相手を見つめることが友好への近道だと思います。そして、私も残り少なくなった留学生活の中で、「知中」派をめざして、より中国という国への理解を深めていきたいと思います。 2002.3.28 第25回 中国における言論の自由 数ヶ月前、私が中国人の友人と一緒に発行している『日中ホンネで大討論!』というメルマガが、「国家安全局と新聞事務局による監視」を理由に、メルマガ発行システムによって発行停止にされるということが起こりました。このメルマガでは、チベットや台湾の問題も含め、あらゆる問題をタブー無しに日中間で討論していたので、それが政府の出す基準に抵触すると、メルマガ発行システムでは考えたようです。 この問題は、『朝日新聞』(2002.2.11)の記事でも取り上げられ、読者の方からも驚きの声が上がりました。主催者である私たち二人も、こうした言論の自由を侵犯する行為に対して、しかも、中国政府を批判することを目的にしているのではなく、日中間の相互理解を目的としているこのメルマガに対するこの行為に対して、怒りを感じたのは言うまでもありません。 この発行規制の問題自体は、メルマガ発行システムを変えることで解決しましたが、その後、中国人の友人が所属する大学の学部が移転しなければならなくなり、移転先の宿舎にネットをつなげる条件がないために、彼女がメルマガの編集に従事できなくなるという事態が起こりました。驚いたのは、このことをメルマガで読者の方たちに報告した後、何人かの人から、「これは当局による言論弾圧ではないのか」という意見をいただいたことです。このメルマガをつぶすために、彼女の所属する学部ごと移転するなどということは、冷静に考えればありえないことだと思いますが、それだけ、中国は一党独裁で言論の自由がない、少しでも政府の意に反したことをやると取り締まられる―このような印象が日本人の多くの人の中に存在するということだと思います。 メルマガ発行システムが政府に監視されるなどということは、日本ではありえないことであり、この点から見ても、中国には日本と比べたら、言論の自由がないのは言うまでもないことです。 しかし、以前も述べたように、中国では大学などの中では、言論はかなり自由であり、基本的に何を言っても問題がないというのもまた事実です。 また、中国にいて、一党独裁下で言論が制限されている現状が変わっていくような萌芽を感じることがあります。今回はそんな例をいくつかご報告したいと思います。 昨年末、中央電視台の人気ドキュメンタリー番組『東方時空』のプロデューサーが私のいる大学に来て、講演をしました。中央電視台と言えば、中国を代表するテレビ局で、そのニュースなどで報道される内容は、かなりの程度、共産党や政府の政策を反映していると言えます。 彼が講演を終えた後、ある学生が、次のような質問をしました。 「鳳凰衛視台、陽光衛視台の台頭によるプレッシャーは感じていますか?」 陽光衛星台というのはその時初めて聞いた名前で、一度も見たことがありませんでしたが、鳳凰衛視台(フェニックステレビ)は非常になじみのテレビ局で、私もよく見ていました。なぜなら、鳳凰衛視台のニュースの内容は、中央電視台とは違って、かなり自由なものだからです。例えば、911テロがあった時、中央電視台ではすぐに報道されませんでしたが、鳳凰衛視台では、すぐに報道され、以後、他の番組を中止して、連続的に報道されました。また、台湾の総統・陳水扁氏は、中央電視台のニュースでは、ほとんど画面に登場することがありませんが、鳳凰衛視台では、彼のことも含め、台湾関係のニュースも頻繁に取り上げられます。そんなこともあり、学生の間でも鳳凰衛視台は人気があります。 この学生の質問は、こういった現状を踏まえてのものでした。これに対するプロデューサーの回答は、私に深い印象を残しました。彼はこう答えました。 「鳳凰衛視台がいくら伸びているといっても、その広告収入はまだ中央電視台の十分の一以下で、中央電視台の地位を脅かすには至っていない。しかし、これは私個人の意見だが、中央電視台の独占的地位は、できるだけ早く終結すべきだと考えている。テレビ局の間には競争が必要だ。もちろん、中央電視台の台長は、私のこの考えには同意しないだろうが」 彼がこう言うと、会場からは拍手が沸きました。 私は彼のこの意見を聞いたとき、中央電視台が単なる政府や党の宣伝機関であり続け、世論をリードしていくことに批判的なのだと思いました。 注目すべきなのは、これが中央電視台の看板番組のプロデューサーから出た意見であり、しかも、それを堂々と講演会という場で述べたことです。日本の一部のマスメディアでは、中央電視台=共産党・中国政府の宣伝機関=その番組は党・政府の意向を反映したもの、というような、単純な見方が散見されます。もちろん、こうした見方が全く的外れであるとは言えません。しかし、このようなプロデューサーの意見を見たときに言えるのは、党・政府―中央電視台―各番組の間の関係は、単純な上意下達の関係ではありえないということです。上からの様々な制限を受けながらも、自分たちの作りたい番組を作りたいものを作ろうとする現場―こういった上と下の矛盾という面も中国のメディアを理解する上では見逃してはならないのではないでしょうか。そんなことを、このプロデューサーの意見から感じました。 もう一つの例も、学内でのできごとです。 私の友人Zさんは、大学生ながら、共産党員です。彼女はすでに高校生の時に入党しています。高校生で共産党に入党するというのは中国では簡単なことではないそうですが、彼女は成績が抜群によかったために、先生から推薦されて、党員になったそうです。 その彼女とは、以前、日本語と中国語をお互いに教えあっていたこともあり、よくいろんなことを討論しました。この日記でも以前書いたような、新彊やチベットでの体験を踏まえて、中国政府が言っていることとの大きなギャップを指摘したり、台湾では統一を支持する人が少ない現状などを話すと、最初は強く反論してきたものです。「あなたと話していると、私が学んできたこととあまりにも違うことを言うので、何だか怖いわ」などとも言っていました。 しかし、何回か話しているうちに、だんだんと彼女も私の言うことに理解を示してくれるようになりました。そして、ある時、「大学内の共産党員を集めて、留学生との討論会を開きたいの。いつも私とあなとが討論していることも含めて、何でも討論していいわ。どう?」と言ってくれました。大学内の共産党員と言えば、かなりの数がいるはずですが、そこに集まるのは、かなり中心的なメンバーのようでした。私は面白いと思い、すぐにOKしました。 討論の当日、約十人ほどの共産党の学生と、私を含めた三人の留学生が集まりました。当然といえば当然ですが、彼らは見た感じ、普通の学生と違いはなく、何の緊張した雰囲気もありませんでしたが、最初は様子見という感じで、無難のことを話していました。しかし、そんな状態がしばらく続いたところで、Zさんが横から私をつつきました。 「ねえ、どうしたの?どうして、いつものように、台湾とか新彊とかチベットの話を出さないの?」 そこで、それをきっかけに、私はこれらの問題についての持論を展開しました。 これらの話題は、中国では「敏感」と言われる、非常にデリケートな問題で、これらの話題を出すと、不愉快な顔をする中国人もかなりいます。しかし、彼らは共産党の見解とはかなり違う私の意見を聞いても、不愉快な顔一つせず、正面から討論してきました。その理論内容は、共産党の公式見解にかなり近いものでした。しかし、20歳前後の若い彼らが、普段は討論することがタブー視されているようなこれらの問題に、一生懸命挑んでくるのを見て、私はとても爽やかな気持ちになりました。 実は、討論の前にZさんが言っていたのは、もし顧問の先生が来たら、こうした話題を討論することは許されないだろうということでした。幸いその日は先生は来ませんでしたが、Zさんは、敢えてそうした話題を討論する場を提供してくれたのです。 彼らは、やがて共産党の中心を担っていく人材かもしれません。こうした世代が共産党や政府の中枢に入っていったとき、中国の政治も大きく変わって行くのかもしれません。 私がこの二つの例を挙げたのは、一党独裁=画一的な思想をもった国民というようなイメージを持たれがちな中国において、共産党の若い人たち、あるいは中央電視台という、比較的共産党に近い所にいる人たちの中にも、その枠に収まらない、柔軟な考え方が芽生えてきているということです。そして、こうした、いろいろな所に芽生えている変化が、長い目で見たときに、やがては中国の政治や社会を大きく変化させていく基礎になっていくような気がします。 2002.4.28 第26回 タクシー運転手との会話
中国で日常的に使う交通手段と言うと、だいたいバスがタクシーになります。汽車は長距離の時しか使いませんし、地下鉄は武漢ではまだ建設中です。
バスは武漢の場合1.2元(約18円)。まだまだ所得の低い中国の市民の主な交通手段になっています。一方、タクシーの初乗りは武漢の場合、8元(約120円)。日本の感覚で言えば、かなり安いですが、中国の所得や物価水準から考えれば、かなり贅沢な交通手段と言えます。ですから、中国の学生で、タクシーに乗ったりする人はほとんどいません。留学生の中で比較的お金のある人は、ほぼ毎回タクシーを使いますが、私の場合、それほどお金もないので、タクシーはほとんど使いません。しかし先日、帰りが遅くなり、バスもなくなってしまったので、久々に友人とタクシーに乗りました。 タクシーに乗ってしばらくすると、運転手が大きなあくびをしました。それを見て、「おい、大丈夫か」と思い、友達と思わず苦笑してしまいました。すると、運転手は「何を笑ってるんだ?」と言いました。 「あくびをしていたんで、ちょっと心配になったんです。眠いんですか?」そう聞くと、運転手はあくびのわけを話してくれました。 「それは眠いさ。俺は毎日夕方の4時に起きて、5時から翌朝の7時まで運転しているんだ」 「なぜ、そんな時間に運転しているんですか?そんな時間では、乗る人も少ないでしょう?」 「客は本当に少ないよ。昨日もおとといも赤字さ。でも仕方ない。昼間は老板(社長)に車を返さなければいけないんだ」 どうやら、そのタクシーは、会社からレンタルするという形になっているようでした。会社は、昼間はもう少しお金のある、別の人にレンタルしているのです。そして、その運転手はおそらくお金があまりないために、客の少ない時間帯しかレンタルすることができないのです。 「本当にひどい話だ。毎日こんなに長い時間働いて、日曜や春節(中国の正月)すらない。一年中、ただの一日の休みもなく働いている。それなのに、一ヶ月の収入はたったの千元(約15,000円)強だ」 「昔は俺にも別の仕事があった。国営の靴工場で働いていたんだ。でも、84年に下崗(レイオフ)になってしまった。下崗と言っても、事実上は失業だ。あれから、ただの1銭の手当てももらっていない。共産党はいろいろ言っているが、俺たちのことなんか、何も考えてやしないんだ」 中国では、タクシーの運転手、それから武漢では麻木(マームー)と呼ばれる、客を後ろに乗せられる三輪バイクの運転手のほとんどは、下崗になった労働者です。彼もまた、そうした一人のようでした。 「あんたらはいいよなあ、きっと数千元の給料をもらっているんだろう?大学を卒業すれば、それぐらいもらえるわけだ。でも、俺には学歴がない。学歴がなければ、今の中国ではだめなんだ。俺の息子も、高卒で、安い給料で働いてるよ」 彼は、私たちが学生であることにも留学生であることにも気づかないらしく、そういいました。彼のやるせない気持ちが、しみじみと伝わってきました。 タクシーの運転手たちは、生活が苦しいだけに、自国に対する見方も非常にリアルです。以前、別のタクシーに乗っていたときに、こんな会話がありました。その運転手は言いました。 「日本は経済が非常に発展しているんだろう?」 「いやあ、最近はだめですよ。ずっと不景気が続いています。失業率もどんどん高くなっていて、仕事も探しにくく、みんな悲観的になってます。それに比べて、中国の経済発展の速度はすごいですね」 「そうは言えないさ。日本の経済というのは、人の成長に例えれば、もう大人なんだ。大人になったら、あまり成長しないのは、当然のことだろう?逆に中国の経済というのは、まだ子供の段階なんだ。今は伸び盛りの時期なわけだから、成長が日本より速いのは当たり前のことだよ」 やはり、下崗した労働者である彼の適切な比喩と冷静な分析を聞いて、思わず大きくうなずいてしまいました。 「あなたは、ひょっとして、以前工場で幹部か何かをされていたのですか?」 「いやあ、ただの労働者だったよ」 いま中国では日々、「中国の経済発展はこんなに速い、こんなにすばらしい」といったことが報じられています。一方、日本では、これに呼応するように、「日本はGDPでもうすぐ中国に追い越される」といった、一種の中国脅威論が一部で声高に叫ばれています。しかし、中国の経済発展の恩恵にあずかる所の少ない、タクシー運転手たちの声は、中国の経済成長と言われるものの内実をより深層から語っているように思います。 ちなみに最近、憲法の先生と話す機会がありました。その先生は以前、弁護士をしていたそうです。 「中国では弁護士の収入というのはどれくらいなのですか?」 「一番儲けている人なら、年に数百万米ドル稼いでいるよ。数十万米ドルの年収の人ならざらにいる」 私は、その数字を聞いたとき、何かの間違いではないかと思いました。数百万米ドルと言ったら、数億円ということになります。平均収入が日本の数十分の一しかない中国で、そんなに稼ぐことがどうして可能でしょうか?しかし、もう一度確認したところ、その数字に間違いはありませんでした。実際、その先生も、私が武漢に来て初めて見た、自家用車を持っている先生でした。 毎日十数時間、一日の休みもなく働いても月わずか15.000円の収入にしかならない、タクシー運転手。数億円の年収の弁護士。そして、以前「中国農村訪問記」の中で報告したような、肉・魚・卵すら食べることのできない農民たち。中国における経済格差というのは、想像を絶するものがあります。 休日などにマクドナルドやケンタッキーに行くと、席を見つけるのが難しいほど人でごった返しています。ラーメンの5・6倍の値段がするセットメニューを中国人かこぞって食べているのを見て、中国も豊かになったのだなあ、と思うことがあります。しかし、そうした場所を利用している階層は、実は本当に限られているのかもしれません。 統計などの数字に表れない、一人一人の生活を見ながら、中国社会の本当の姿を少しずつつかんでいきたいと思います。 2002.5.12 第27回 さらば武漢 いよいよ、三年近く暮らした武漢を去る時が来ました。『漢語迷の武漢日記』という名前がついているのを見て、武漢のことがいろいろ書かれていると思って読まれた方もいらっしゃると思いますが、これまでほとんど武漢という所について、触れてきませんでした。触れてこなかったのは、書くとついつい、愚痴が多くなってしまうということがあります。しかし、武漢で書くのは最後になると思うので、武漢について簡単に述べておきます。
武漢という都市は、日本ではあまりよく知られていないと思いますが、中国の14大都市の一つです。日本で言えば、政令指定都市に匹敵すると言えるでしょう。しかし、同じような規模の都市、例えば、昆明・成都・ウルムチなどと比べると、率直に言って、街は汚くてあまり整備されておらず、交通も整っているとは言えません。 気候はかなり厳しく、「中国三大かまど」に数えられ(あと二つは重慶・南京)、真夏は40度を越えることもたびたびです。一方、冬は冬で、零下5〜6度ぐらいまで達し、東京よりもだいぶ寒くなります。典型的な内陸型の気候と言えるでしょう。留学生宿舎には、今は空調がついていますが、中国人学生の宿舎には、そのような設備はないので、彼らは本当に大変です。 観光地と言うと、有名なのは黄鶴楼ですが、残念ながら85年に再建されたもので、中にエレベーターがついているのを見たときは、本当にがっかりしたしたものです。大学のすぐ横にある東湖はとても大きい湖なのですが、汚染がひどく、時には死んだ魚がたくさん浮くこともあります。人が泳ぐのはかなり危険だと思います。武漢を観光されるとしたら、お勧めできるのは、磨山公園です。ここの山の上からは、東湖が一面に見渡せ、なかなかいい眺めです。 武漢人というと、中国では「口汚い、マナーが悪い」人の代名詞になっています。確かに、街では人を激しく罵倒する声がよく聞こえます。武漢では、バスから下りるとき、前からも後ろからも降りるので、私もその習慣がすっかり身についてしまったのですが、アモイで前から下りようとしたら、運転手に怒られました。私の友人も広州で同じようなことがあったそうです。その時、「武漢人はマナーが悪い」という言い方が、あながち偏見ではないと思ったものです。 こんなことばかり言うと、何か武漢は良いことがないと思われるかもしれません。しかし、武漢は中国らしい趣を残した都市だと言えます。上海や深センなどの沿海部の大都市に行き、林立するビルを見ると、何か強い圧迫感を感じると同時に、寂しい気持ちになります。「中国」があまり感じられないのです。そうした大都市から武漢に戻ると、何だかホッとしたような気持ちになったものです。 そして、この日記に書いてきた中国人の日本観・日本人観は、武漢のような内陸都市ならではかも知れません。北京・上海・広州などの外国人が比較的多い場所なら、日本に関する情報がもっと多く、日本に対する理解ももう少し深いかもしれません。しかし、このような大都市に住んでいる人は、中国全体から見ればごく一部なので、武漢人の日本観・日本人観は、中国人の日本観・日本人観の平均像に近いと言えると思います。 私のいる大学は桜で有名で、毎年、桜の咲く時期になると、多くの観光客が訪れます。この時期になると、大学が入場券を売り始めたのには最初は本当に驚きました。大学もこうしてビジネスをやるのです。 この桜の一部はかつて武漢を占領した日本軍が植えたもの、一部は日中国交が回復したときに日本から贈られたもの、一部は日本のかつての兵士で作った団体が、過去の自分たちの罪を悔いて贈ったものと聞いています。学生宿舎の一部は、かつては日本軍の病院だったそうです。 昨年までは、桜が咲くと、「国辱を忘れるな」と書いた紙が桜の木に貼られていました。国辱とは、かつて中国が日本に侵略されたことを指しています。武漢は、日本に占領され、被害が大きかった場所の一つです。 私は、みんなが観光を楽しんでいる時に、このように歴史や政治を持ちこむようなやり方にはあまり賛成できません。しかしながら、多くの中国人の中に、戦争の記憶がまだ深く刻まれていることもまた事実です。 今年の労働節の連休のときに、友人と共に、湖南省の省都・長沙を訪れました。岳麓山を登ると、一つの寺がありました。私は、一緒についてきてくれた、地元の学生の聞きました。「これは再建されたものですか?」 彼は、少し顔を歪めながら、答えました。 「そうです。元の寺は、日本の空襲で焼かれてしまいました。長沙には城壁もありましたが、それも日本の空襲で焼かれてしまいました」 最近、日本では「中国人の日本人に対する憎悪は、反日教科書やマスコミを通じた共産党の宣伝によって作られたものだ」ということがよく言われているようです。このような見方も、全く間違っているとは言えないでしょう。なぜなら、自己の政権を正当化するために、過去の敵の罪悪と、それと戦った自らの功績を格別に強調するということは、歴史上、数多く行われてきましたし、現在もいろいろな国で行われているからです。 しかし、このような考えは、一つ大きなことを見落としていると思います。それは、例え教科書やマスコミの宣伝がなくても、かつて戦争を体験した世代の消すことのできない記憶が、代々語り継がれているということです。武漢や長沙にいる中国人たちの地域的な戦争体験は、教科書に書いてあるわけではありません。それは、家族や地域から引き継がれてきた記憶なのです。 ある友達が、おじいさんの戦争体験を話してくれたことがあります。 「日本軍が攻めてきた時、おじいさんたちは慌てて逃げた。しかし、しばらく行くと、おじいさんは自分には欠かすことのできない酒を家に忘れてきたことに気づいた。そこで、急いで酒を取りに帰り、また逃げた」 こんな、大変な中にもユーモラスな話も含め、中国では戦争体験が非常に子や孫の世代に伝えられています。ここは、日本とはだいぶ違う所だと思います。ですから、「中国は反日教育をやめろ」などと言っただけでは、日中間の軋轢は解決しないと思います。やはり、中国の人たちの中で受け継がれている戦争の記憶、憎悪の記憶をどう和らげていけばいいのか、日本の側も真剣に考えなければならないのではないでしょうか。 この三年間の武漢での生活の中で、本当に多くの中国の先生や学生と話しました。中国の多くの土地を旅しました。そして、中国に対する印象は大きく変わっていきました。その中で、一番強く感じたのは、多くの中国人が、日本、あるいは日本人という存在を本当に一面的にしか理解していないということです。同時に、私の中国に対する理解が深まるにつれ、日本人もまた、中国、あるいは中国人に対する理解が欠けているということも感じるようになりました。そして、この『漢語迷の武漢日記』のテーマも、いつの間にか、真実に近い中国の姿をどう伝えていくか、日中両者のギャップをどうしたら埋めていけるか、ということが主になっていきました。 私は間もなく武漢を離れますが、自分自身がもっと中国という国を理解したいという強い気持ちもあり、この7月から中国の経済特区・深センで仕事をすることになりました。今後はビジネスという角度からの情報も含め、これまでの『漢語迷の武漢日記』の名称のままで、私の中国レポートを引き続き読者の皆さんにお送りしていこうと思います。今後とも、よろしくお願いします。 2002.6.23 第28回 中国での仕事の始まり
3年近く生活した武漢を離れ、日本に2週間程度滞在した後、再び中国に戻って来ました。今度は内陸都市・武漢とはうって変わって、沿海部の都市、深センです。深センはご存知のとおり、中国が改革開放政策を始めてから、もっとも早くに経済特区として開放された都市で、当時、一漁村に過ぎなかった所が、わずか20年程度の間に、今では中国で最も大きな都市の一つへと変貌しました。
深センの中心部に行くと、日本の新宿にあるような高層ビル群が、その何倍もの規模で、所狭しと並んでいます。ここには、日本を始め、多くの外資企業が、やすい労働力、さまざま優遇政策、そして、最近では潜在力のある市場に目をつけ、進出しています。 深センといっても、いわゆる特区内はコストが高くなりすぎたため、今では多くの企業は、特区外、つまり深センの郊外に工場を建設しています。私が仕事をすることになったのも、そんな深センの郊外にある日系企業の一つです。特区からはバスで一時間以上かかる所なので、ビルの林立する特区内とは全く環境は違います。デパートのようなものはまだなく、大き目のスーパーが一つあるだけです。ファーストフードもありますが、昨年の秋ごろにできたばかりだそうです。それ以外に、特に目を引くような大きな店はありません。私が武漢にいたときに住んでいたのは、教育地区・武昌だったので、市の中心部にいたわけではありませんでしたが、それでもデパートがいくつかありました。ここは武昌よりも街の規模が小さいと言えるでしょう。 しかし、ここに10年ぐらい前から派遣されている方の話だと、来たばかりのころは、電気のあるところもまだ少なく、周りは真っ暗だったそうです。道路も舗装されていないところが多く、ビールを買おうと街の店を回ると、街中のビールがほとんどなくなってしまったと言います。その時から考えると、驚異的な発展だとその方は言います。 現在、この会社で働いているのは数千人、そのほとんどは、四川省や湖南省など、外地からやったきた女工さんです。給与は残業代を含め、一ヶ月800元( 約一万二千円)ぐらいのようです。私も研修ということで、生産ラインの一通りの作業を経験することができました。基本的には単純作業ですが、場所によっては、かなりの手先の器用さを必要とするものもあります。私がやっても、なかなかうまくいきません。それを手早くこなす女工さんを見ていると、ちょっとした職人芸という感じです。不器用に作業をしている私を見て、女工さんたちは、ニヤニヤ笑っていました。 こうした作業を丸一日、しかも毎日やるのは、大変なことだと思います。休み時間のチャイムがなると、三秒後にはラインに誰もいなくなっていました。まるで、つまらない授業に耐えかね、休み時間を今か今かと待ち構えていた小学生が、チャイムとともに校庭に飛び出していくという感じです。それからも、事務所で仕事をしていて、チャイムがなると、「ドドドドド」という、地震でも起こったかのような音が聞こえてきます。これは、外に駆け出していく女工さんたちの足音です。何しろ、数千人もいますから、それが合わさると、すごい音になります。 休み時間に数千人もの女工さんたちが行き来する様子は壮観です。彼女たちの多くは、貧しい農村から家に仕送りするために出てきているので、必死に節約すると聞いていましたが、休み時間に工場の向かいにあるお店でアイスを買って、おいしそうに食べている女工さんたちを見ると、時代も少しずつ変わってきているのかなあと思いました。実際、武漢に行ったばかりのころ、ジュースやアイスを買ったりできる大学生は極めて少なかったのです。 先日、夜にパトカーが来たので、何事かと、寮にいる日本人のIさんと一緒に外に出ました。女工さんたちが集まって、何やら話しているので、どうしたのかと聞くと、「飛び降りだ」と言いました。「ええっ?」私たちは真っ青になりました。しかし、よく聞くと、飛び降りたわけではなく、飛び降りようとしたところを止められたということで、一安心しました。聞くところでは、ラインの隣の人と喧嘩をしたことが引き金になったということです。 「これだけ多くの人たちが農村から出てきて働いているんだから、みんなそれぞれいろいろな悩みやストレスを抱えているんだよ」とIさんは言いました。 日本人は私も含め、わずか7人です。何人かの方は、ここでの生活にかなり参っているようです。私と同じく、会社内の寮に住んでいるIさんは、「ここでの単調な生活には耐えられないよ。まるで檻の中にいるようだ」と言っていました。無理もありません。日本での生活になれてしまうと、ここでの生活は恐ろしく不便で、刺激のないものに感じられるでしょう。中国語ができなければなおさらです。 中国で仕事をしていると、日本では考えられない事態に直面します。私がここに来る前、会社ではある工事を業者に依頼していました。ところが、工事を途中まで進めたところで、業者と連絡が取れなくなってしまったというのです。その仕事を私が引き継ぐことになりました。 名刺にある携帯番号にかけると、社長と違う人が出てきました。 「社長はどこに行ったんですか?」 「知らない」 「知らないわけはないでしょう。これは社長の電話なんだから」 「この電話は彼が俺に貸しているんだ。彼がどこにいるかは知らない」 こんなやりとりをしていても、埒があかないので、名刺にある住所を見て、直接乗り込むことにしました。ところが、その辺りに行っても、それらしき店は見つかりません。周りの人に聞いて回っているうちに、その業者らしい店を見つけました。店といっても何の看板もありません。外から見ても、いったい何をやっている店なのかわかりません。そこにいた女性に、私の会社の名前を名乗り、工事のことを聞くと、女性の顔が引きつったような気がしましたが、「知らない」で通すので、こちらとしては本当に依頼した業者なのか、確信も持てず、仕方なく会社に帰りました。 帰ると、ある職員が、店の場所を知っているというので、もう一度いっしょに行きました。すると、やはり先ほど行ったところではないですか!今度は間違いがないので、かなりきつい調子で、その女性を問い詰めました。しかし、知らぬ存ぜぬの繰り返し。結局、こちらとしてはどうしようもないので、この業者のことはあきらめ、信頼のおける別の業者を探すことになりました。 今度は、前回の教訓を踏まえ、連絡先や店構えもしっかりしていて、逃げる可能性のない会社を探しました。ある会社のパンフレットを入手しましたが、カラー写真入りで、写真で見る限り、店構えもしっかりしています。私の前任者とも面識があるようです。そこで、この会社を訪ねることにしました。 実際店に行くと、確かに店構えはしっかりしており、前の会社とは全く違います。早速、社長と交渉を始めました。細かい値段交渉や条件交渉を済ますと、「一度会社に戻って、上司と相談してから最終的に決めます」と社長に伝え、帰ろうとしました。すると、社長は「ちょっと待ってください」と言い、何やら紙に書き始めました。「それでは、飲茶( ヤムチャ)でも一緒にいかがですか」と言いながら、そのメモを私に渡しました。 私はそれを見て、ギョッとしました。そこには「あなたに飲茶をご馳走すると同時に、五千元( 約七万五千円)を差し上げます」と書いてありました。五千元と言えば、中国の比較的給料のいいサラリーマンの二か月分以上に当たる額です。ちなみに、これは総取引予定額の7〜8%です。 「いや、それは受け取れません。中国ではこれは普通のことであるのは知っていますが、私は受け取れません」 遠慮は必要ない、と何度も言ってくる社長の攻勢を必死に断ると、社長は慌てて私の手の中にあるメモを取り上げ、クシャクシャに丸めました。そして、「じゃあ、飲茶だけでも、一緒にどうですか、それなら問題ないでしょう」と言いました。食事をする位なら、行ってもよかったのかもしれませんが、高級な料理など出されても困るので、やはり断り、逃げるようにして車に乗り込みました。社長は不可解な様子でした。 私が就職活動をしていたころ、購買の仕事がありました。そのことを中国人の友達に話すと、誰もが「おい、その仕事はいいぞ。購買ならリベートがいっばいもらえるじゃないか」と言いました。それが、会社に損失をもたらす行為であることをいくら話しても、理解できないようでした。そんなこともあったので、中国ではリベートの授受にほとんど罪悪感がないということは知っていました。しかし、いざこうして、しかもこんなに簡単にリベートを渡されそうになると、やはり驚きます。 日本企業は、欧米企業に比較すると、仕事を現地人に任せないと言われています。それは時に批判的に言われます。そして、私も仕事を始めたころ、「なぜ、このような仕事を中国人に任せないのだろう?」と疑問に思っていました。しかし、こうした体験をすると、ある仕事を中国人に任せられない理由も理解できます。中国人ならば、リベートを受け取っていた可能性がかなり高かったでしょう。 「日本人だって同じことをやっている」と言う方もいるでしょう。実際、日本人同士の取引きでも、リベートのやりとりなど、普通にやられている所もあるのかもしれません。しかし、こうした行為を少なくとも「悪いこと」と考える観念において、日本人と中国人の間には大きな違いがあるのは確かだと思います。そして、中国政府の腐敗の深刻さも、その原因の一つは、一党独裁による権力の集中でしょうが、もう一つは、社会の中に普遍的にある、こうした行為に対する罪悪感のなさだと思います。小さな腐敗の積み重ねの上に、大きな腐敗も成り立っているのです。 中国は今、急速に経済発展しています。技術レベルでも、分野によっては、間もなく日本に追いつき、そして凌駕すると言われています。しかし、資本主義には、技術の発展以外に、それを支える目に見えないソフトが必要です。その中で重要なものが、中国語で言うところの「敬業精神」だと思います。敬業精神とは、文字通り、仕事を敬う精神のことです。つまり、会社から給料をもらっているからには、あるいは顧客から仕事を請け負ったからには、その仕事にプロ意識をもって、責任を負うということです。物を購入するなら、会社のためには、できるだけ安くて質のいいものを購入しなければなりません。リベートをもらったら、当然それは実現できなくなります。 今回の工事をめぐる出来事は、中国では目に見えないところで資本主義を支える、こうした精神がまだまだ欠落していることを示しています。しかし、中国では、日本の経済発展の一つの重要な要因として、この「敬業精神」を挙げ、それに学ぼうという考え方も増えてきています。 逆に言えば、日本が経済的に停滞している中で、こうした精神も失ったら、それは日本の優位性を失うことであり、その時は本当に日本経済の未来は本当に暗いということになります。そうはならないことを祈ります。 2002.7.28 第29回 中秋節の憂鬱
間もなく中秋節がやってきます。中秋節とは旧暦の8月15日のことです。日本で言う「中秋の名月」に当たります。日本ではほとんど形骸化してしまっていますが、中国では重要な祝日(といっても、会社や学校は休みになりませんが)の一つです。この時期になると、中国では普段お世話になっている人に月餅を送ります。この点は、日本のお中元に当たると言ってもいいでしょう。私のいる会社でも毎年この時期になると、お客様などに月餅などの贈り物を送ってきたようで、今年は私がその準備を担当することになりました。
去年の送り先のリストを見ていたら、その中に政府の人たちが入っていました。政府?私はちょっと憂鬱な気持ちになりました。私は中国の法律がどうなっているかはわからないのですが、日本の法律で言えば、政府関係者に利益を提供する行為は恐らく違法です。しかも、私は政府との対応を担当しているので、物を直接渡すのは私ということになります。ちょっとした付け届け程度のものなら、許容範囲でしょうが、あまり高価なものだったりすると困るので、とにかく事情を確かめたく、今は会社を変わった前任者の日本人に連絡しました。 「去年は政府の人にどんなものを送ったのですか?」 「月餅はみんなが贈るので、いやがられるんだよね。だから、去年は酒とタバコを贈った。本当は、買い物券なんかがいいんだけどね」 「買い物券?そんなもの贈っていいんですか?」 「そんなの、物だって買い物券だって同じことじゃない」 私はますます憂鬱になりました。買い物券と言えば、限りなく現金に近いものです。彼は物も買い物券も同じと言いますが、お中元のようなものとして贈り物をするのと、買い物券を贈るのとでは、本質的な違いがあるように私には思えました。ましてや、それを私自らが贈らなければならないのです。 周りの中国人に相談してみると、彼らにとっては政府の人に買い物券を贈ったりすることは、特に悪いこととか、重大なこととは認識されていないようでした。そこで、私はたまらず、現地法人のトップである日本人の総経理にこの件を相談することにしました。 「買い物券を贈ったらどうかという話が前任者からあったのですが、そんなことをしていいのでしょうか?」 私が尋ねると、総経理は激怒し始めました。 「誰がそんなことを言ったんですか?日本の盆暮れの付け届けと同じ範囲で、中国の一つの習慣として、中秋月に贈り物をすることは、会社としても承認しています。でも、買い物券や現金を贈るなど、絶対に許しません!」 総経理がこう言うのには、それが倫理的・法律的に許されないということ以外に、会社の最終責任者として、何か問題があったときに最終的に責任を負わなければならないのは自分だという、大きなプレッシャーがあるようでした。私は、総経理のこのきっぱりした態度を見て、安心すると同時に、うれしく思いました。 その後、各部門の人たちと、中秋節の贈り物のことで話をしました。その中に、通関部門のLさん(中国人女性)がいました。何かわからないことがあって質問すると、面倒がらずに丁寧に教えてくれる、とてもいい人です。Lさんとは、以前に通関のことで話したことがありましたが、そのときにこんなことを言っていました。 「中国というのは、まだまだ人治の国なのよ。以前、私がある税関の定めた規則に違反しているという理由で罰せられたことがあったの。それで、その規則とは具体的に何なのかと聞いたら、ある冊子を見せて、この中に書いてあるというの。じゃあ、その規定の書いてあるところを見せてくださいと言ったら、なんと、これは機密事項だから、見せられないと言うのよ。公開していない規則で罰するなんて、こんな馬鹿な話がある?結局、こういうことだと、税関の役人を接待したりして、関係を良くする以外に、不当な懲罰を防ぐ方法はないの。これは仕方の無いことよ」 これを聞いて、何とも複雑な気持ちになりました。いわゆる腐敗というのは、自分の会社だけに有利なように法律や規則を変えてもらう、本来は許されないことをやらせてもらう、何らかの商品の受注をしてもらう、といった目的のために、役人の便宜を払うものですが、役人が最低やるべき仕事をやってくれない、それをやってもらうために便宜を払う、それも、現金を渡したりするのではなく、たまに接待する、これは、Lさんの言うような、中国の特殊な環境の下では、ある程度は仕方がないことなのかもしれない、とも思いました。しかし、あまり度を過ぎたこともしてほしくないな、という気持ちもありました。 そんなこともあったので、この通関員のLさんが、今回の中秋節の贈り物の件で、どんなことを言ってくるか、やはり気になりました。 「Lさん、中秋節の贈り物のことですけど、どうしますか?」 「買い物券がいいんじゃないかしら」 「ええっ?買い物券?それはまずいんじゃないですか?」 「でも、物だったら、相手が要らないといったらどうするの?そうしたら、その分のお金が無駄になるわよ。買い物券だったら、自由に好きなものを買えるから、その方が相手にとっていいじゃない」 そう、全く悪びれずに言うLさんを見て、私はあっけにとられてしまいました。そこには、倫理的にどうか、法律的にどうか、といったことが考慮されている様子は全くありませんでした。恐らく、彼女の中にはそういった概念自体が元からないのだと思いました。そうでなければ、あんなに淡々と言えるわけがありません。 「でも、総経理はそれは許さん、と言ってるんですけど・・・」 「えっ、そうなの?」Lさんは、そういうと、他の通関員と相談を始めました。そして、言いました。 「ならば、総経理の言うとおりにしましょう」 あまりにも、あっさり引いてきたので、またまたびっくりしました。どうやら、買い物券という話も、それほどの決意を持って言っていたというわけではないようです。とにかく、これを聞いて、安心しました。ただ、それが通関の仕事にどう影響するのか、ちょっと心配ですが。 私がこんなことにこだわっているのを見て、ビジネス経験豊富な方は「そんなきれい事でビジネスができるか」と私の世間知らずを笑っていらっしゃるかもしれません。私も、経験を重ねるにつれ、特にこの中国という、まだまだ「法治」ではなく「人治」で動いている国においては、先の税関の例にもあるように、ある程度の柔軟性を持って対応せざる得ないということを理解しつつあります。すべて日本の基準をあてはめてやろうとしたら、下手をしたら、会社に大損失をもたらすことになるでしょう。 しかしながら、私が恐れているのは、中国が人治の国である、ということの上にあぐらをかき、倫理的な緊張感を失い、感覚が麻痺してしまうことです。実際、私が見聞きした日本人の中にも、役人に「お年玉」を配ることに何の罪悪感を感じなくなっている人、逆に、接待を受けることが度を過ぎて、そこから抜け出せなくなってしまった人がいます。 中国という「人治の国」にいながらも、自分なり、会社なりの倫理的な線はしっかり引いていく必要があるように思います。そうしないと、利益という角度から見ても、短期的には利益を得ることはできても、長期的に見ると、いつかは大きな損失をこうむるのではないかという気がします。 今、中国には多くの企業が進出し、国内企業も含めた競争は激化しています。その中で、不当な方法に依拠して利益を稼ぐ会社も多いのかもしれません。私は、正当な方法で一生懸命仕事をして、会社に利益をもたらせるよう頑張るしかありません。このように考える私は、あまりにもナイーブすぎるでしょうか? 2002.9.8 第30回 中国人と日本人の狭間で
中国にある日系企業には、中国人と日本人という二つの国籍の人間が存在しています。数は中国人のほうが圧倒的に多いわけですが、日本人は数は少なくても、大抵は指導的な地位についています。ですから、この両者の関係をどう作っていくかということは、企業を運営していく上で、非常に重要なことだと思います。しかし、深センに来て約三ヶ月、まだほんの短い間ですが、折りあるごとに両者の間の溝を感じます。この溝は、大学にいたころに感じていた日中間の溝とは、また違った意味での溝です。
先日、中国人スタッフのCさんが仕事をやめることになりました。もう、十年近くこの会社で仕事をしてきた人です。彼が仕事をやめる前の日の夕方、Lさんから電話がかかってきました。 「今日の夜、Cさんのお別れ会をやるの。参加しない?他の日本人は呼んでないからね」 実際、会場に行ってみると、確かに日本人は私一人しかいませんでした。しかし、日本人は私を除くと、みな彼らの上司に当たる人たちであり、会社を辞めていく人の送別会に呼ぶのは呼びづらいのも当然かな、とその時は思いました。ところが、しばらくすると、会社のナンバー2にあたる中国人の副総経理が入ってきました。これには、ちょっとショックを受けました。この時わかったのは、日本人が呼ばれなかったのは、上司であるからではなく、まさに日本人であるがゆえだということでした。一つの会社にいながら、中国人と日本人の間に太い線が引かれてるのを感じました。 これ以外にも、中国人と日本人の間の溝を感じることがたびたびあります。日本人の駐在員の方たちと話していると、よくこんな話がでてきます。 「あまり、中国人と深く付き合わないほうがいいぞ」 「中国人の考えに染まっちゃだめだぞ」 「彼らは、表では日本人にゴマをすっているが、裏では悪口を言ってるから、気をつけたほうがいいぞ」 「日本人が和を持たないとだめだ。そうして初めて、会社全体に活気が出てくる。日本人に和がないと、つけこまれるぞ」 「中国人は、何か指摘すると、すぐ反論してきて、絶対に自分の誤りを認めようとしない」 「中国人は指示されたことしかやらない」 「中国人は物事をつっこんで追求しようとしない」 などなど。全体としては、マイナスの評価がほとんどです。
これらの見方が正しいかどうか、来てわずか数ヶ月の私が、十数年の経験を持つ方たちの中国人に対する見方に意見を言う権利などないかもしれません。しかし、一部の考えには、やはり疑問を持たざるを得ません。中国人のリベートや賄賂に対する観念が日本人と大きく違うのは、すでにこれまでの日記の中でも触れてきた通りです。生産現場で長い間、中国人を指導されている方からすれば、もっと数多くの観念や文化の差異に突き当たってきていることでしょう。ですから、こうした差異の中で、中国人の悪い部分から学んではいけない、染まってはいけないというのはよくわかります。 しかし、「表ではゴマをすっているが、裏では悪口を言っている」、これは中国人の特徴と言えるでしょうか?これは、日本人にもよく見られる現象だと思います。実際、駐在員の方たちも、会社や上司の悪口をしょっちゅう言っています。ですから、こうしたことまで、中国人の特徴として取り上げるのは、不当のような気がします。 「日本人の和」、これも非常に理解しにくいものがあります。おそらく、駐在員の方たちはみな指導的な地位についており、日本人=指導する人、中国人=指導される人という目で会社を捉えているので、指導部の団結が必要だと見えるのでしょう。しかし、私の目から見ると、どうして中国人と日本人の間にそのような線を引かなければならないのか、理解できません。実際、中国人の中には、日本人と同様、場合によってはそれ以上に重要な役割を担っている人たちがいます。ですから、一つの会社にいる以上、国籍の違いはあまり関係ないような気がします。もし「和」を言うなら、中国人、日本人を含めた、会社全体の「和」が必要なのではないでしょうか。ですから、私は中国人とも日本人とも同じ距離で接しています。 そして、何よりも疑問なのは、彼らから中国人のマイナスの面の話しばかり出てきて、プラスの面の話が全く出てこないことです。本当にプラスの面はないのでしょうか?中国人が私たちよりもはるかに中国の国情に通じているのは言うまでもありません。私はこの三ヶ月の間だけでも、中国人の同僚から多くのことを学びました。彼らは私がわからないことを聞くと、面倒くさがらずに、本当に親切に教えてくれます。私は、日本人は彼らからもっと多くのことを学ぶべきだと思います。 中国人のパワーを感じる、こんな出来事もありました。私のいる科で、日本語を勉強したいという声がありました。私は、中国人との関係を職場だけの関係にしたくなかったので、交流も兼ねて、ボランティアで日本語を彼らに教えることになりました。対象は数人の予定でした。しかし、この噂は瞬く間に広がり、たちまち参加希望者が15,6人になってしまいました。あまり多くなると大変なので、この辺で締め切りにしようと考えました。ところが、その後も次々と私のところに電話がかかってきます。 「○○さん、お願いです。私も参加させてください」 「私は参加させてもらえるのでしょうか?結果を教えてください」 結局、私としても断りきれず、参加を申し込んできた人は全て参加してもらうことにしました。総勢で、何と60人近くになってしまいました。 日本人の人たちのこの話をすると、「最初だけだよ。そのうち減っていくよ」と言われました。実際、私もそのように考えていました。しかし、始めて約二ヶ月になりましたが、人は全く減る気配はありません。それどころか、最初は「スタッフ」と呼ばれる間接部門で働いている人が主でしたが、そのうち「ワーカー」と呼ばれる、生産ラインで働いている人たちも参加してくるようになりました。授業をしていると、彼女たち(参加しているのは、なぜか主に女性が多くなっています)の「日本語ができるようになりたい」という情熱がひしひしと伝わってきます。 最近、私が出張に行ってしまうので、その分の補習をすると言ったら、みんな大喜びです。誰一人、嫌がる人などいません。ワーカーの人であれば、場合によっては土日もきつい仕事をこなしているわけで、その上さらに、授業に自主的に参加しているわけです。その勉強に対する情熱、向上心には本当に脱帽せざる得ません。彼女たちと接していると、私のほうも元気になってきます。 一方、中国語の流暢な総経理のほうから、「日本人たちに中国語を教えてほしい」という指示がありました。これは、会社からの指示です。しかし、日本人の方たちの反応はあまり芳しくありません。「十年近くいて、いまだにできないんだから、俺はいいよ」といった反応で、結局参加者は二人だけになってしまいました。仕事の関係で金曜日に日程を変更してやろうとしたら、「今日はハナ金だから、よそうよ」と言われてしまいました。こういう現状を見ていると、私のほうも元気がなくなってきます。中国語を学んで、中国と中国人をもっと深く理解していこうという気持ちはあまりないようです。このような状況では、先ほどのような中国人に対する評価がどれだけ客観的なものなのか、はなはだ疑問です。 私はこれまで、「日本はもうすぐ中国に追い越される」と言った考えに懐疑的でした。中国に来てから、中国の製品の品質の悪さやサービスの悪さを至る所で目にしてきたからです。しかし、この中国人と日本人の好対照な状況を見たとき、日本は中国に本当に追い越されるではないか、と思うようになりました。正直なところ、日本人は中国人の悪口ばかり言ってないで、彼らの向上心からもっと学んだほうがいいのではないかと言いたい気持ちです。日本人駐在員というのはワーカーの何十倍という給与を得ているわけですから、それに見合った仕事ができているのか、という自己点検こそが必要だと思います。そうでないと、やがてコストの高い日本人は、淘汰されていくでしょう。 私はまだ仕事を始めてわずか三ヶ月です。私が触れているのは、会社全体のほんの一面に過ぎません。ですから、私自身の見方にも多くの誤りがあると思います。中国人、日本人の双方から多くのものを学びながら、今後も中国と日本というテーマを追求していきたいと思います。 2002.10.12 第31回 民主への鼓動
昨日(11月8日)から、中国共産党第16回大会が開かれています。その中でも繰り返し登場しているのが、江沢民主席の唱える「三つの代表」というスローガンです。この「三つの代表の」の一つが「最も広範な人民の根本利益を代表すること」です。そして、このスローガンに基づき、かつては「階級敵」とされてきた私営企業家、いわゆる資本家の共産党への入党を許すこともすでに決まっています。つまり、共産党は、かつてのように、労働者と農民の利益だけを代表することを放棄し、「資本家」も含めた全ての国民の利益を代表することを目指すことに決めたということです(そんなことが可能かどうかは別ですが)。
数年前に、数十年続いたインドネシアのスハルト独裁政権が崩壊しましたが、その原因として、「中産階級の台頭」をあげる人が多くいました。経済が発展してくると、経済的に力をもった新たな階層が登場し、その利害が独裁政権の利害と衝突するようになると、独裁政権のよって立つ基盤が掘り崩されていきます。 中国共産党が私営企業家の入党を認めた背景にも、「新たに台頭してきた私営企業家たちが、共産党の政策に不満を持ち、独自の政治勢力を作るようになったら、共産党政権は危ない。その前に、彼らを取り込まなければならない」という認識があったと思われます。その意味では、これは賢明な選択と言えるでしょう。江沢民が「三つの代表」をあれほど強調するのも、俗に言われているような「自分の名を後世に残すため」というだけではなく、こうした背景があるからだと思われます。 中国は共産党一党独裁の国家ですが、だからといって、国民の意見を聞かずにやっていけるというわけではありません。ましてや、現在のように市場経済が発展し、さまざまな利害を持った階層が登場してきている中にあっては、なおさら彼らの利害をうまく取り込んでいかなければ、安定した政権は作れません。そして最近、こうした点を意識してか、中国の中で、これまでは考えられなかったような民主的な政策・スローガン・企画などが登場してきています。 先日、中央電視台の討論番組をつけてみると、「政府情報公開条例」という字が目に入りました。最初は外国の話だと思っていたのですが、よく聞いていると、中国でこの条例が起草されていることがわかりました。政府情報公開条例?一党独裁体制をとり、言論をさまざまに規制している中国で、政府の情報を公開するための条例が制定されようてしている。これは私にとってはちょっとした驚きでした。この番組は、司会者が起草委員の一人にインタビューするという形をとっていましたが、政府がこのような政策を出したことを賞賛するというスタイルではなく、 「どこまでの情報が公開されるんですか?」 「例えば、市長の収入なども請求すれば知ることができるのですか?」 「なぜ、『条例』で、『法』にはしないんですか?」 などと、鋭い口調でかなり突っ込んだ質問をしていたのも印象的でした。 その後、この条例の内容を調べて見ました。情報公開の基準など、細かいことはわかりませんが、少なくとも、「政府の情報は公開を原則とし、非公開は例外とする」「情報の請求は無料とし、あらかじめ定められた実費のみを徴収する」などの内容を含んでいることがわかりました。 ( http://tech.sina.com.cn/it/e/2002-11-05/1011148038.shtml を参照) 次のような声もあります。
「国務院のある匿名の官僚は『政府情報公開条例』の草案を見た後、驚いて次のように述べた。『もし(この条例が)本当に実施されたら、これはまさに一つの革命だ。我々の仕事の中では、握っている政府の情報は全て国家に属するもので、非公開を原則とし、公開は例外とされてきた。時には、その例外すらなかった。それが今、この条例の第二条は政府の情報は公開を原則とし、非公開を例外とすると言っている。これは根本から我々の仕事の方式と思考回路を変えるものだ。これはまさに、仕事における制度の革命だ」 (同上サイトより引用) この条例はあくまで「条例」であり、「法律」ではないので、例えば情報公開をめぐって請求者と政府の間に対立が起きた場合、裁判によって解決できるか、定かではないと言います。その意味では、この条例に限界があることは確かでしょう。しかし、先ほどの官僚が率直に吐露しているように、この条例が官僚に大きなプレッシャーを与えることになることも間違いありません。これは極めて大きな変化と言えるでしょう。 他にも、「民主」への足跡を聞ける例があります。これも中央電視台の討論番組でしたが、次のような討論がありました。 司会者:「江沢民主席は最近、「依法治国」をスローガンとして掲げていますが、これは以前、掲げていた「以法治国」とどう違うのですか?」 全人代法律委員会副主任:「この二つはたった一字の違いですが、実は非常に大きな違いがあります。以前のスローガン「以法治国」は「官」、すなわち政府が法律をもって「民」、すなわち国民を統治することを意味していました。しかし、いま掲げている「依法治国」は、法律に基づいて、「民」が「官」を監督することを意味しています。すなわち、法で取り締まられる対象は「民」ではなく「官」であることを明確に示したのです」 かつて、中国の国民は共産党および政府に指導される対象でした。そして、改革開放政策が始まってから、「人治」から「法治」へ、ということが掲げられましたが、法は依然として「官」が「民」を取り締まるための道具でした。しかし、今ついに、共産党自身が法律を「民」が「官」を監督するためにものと認めたのです。この意義も、決して軽視はできないと思います。 その他にも、例えば、春節の汽車の切符の値上げをめぐって、市民の傍聴会が開かれたり、南京市で「市民フォーラム」という名称で、市長と市民の討論会が開かれ、市長が市民の批判の矢面に立つというような、これまでは見られなかった新しい動きが至る所で見られるようになっきています。また、「民告官」(市民が政府を訴える)と呼ばれる行政訴訟も、以前では考えられないことでしたが、今ではごく普通のことになってきています(もちろん、勝訴が簡単ではなかったり、「民」の側に立つ弁護士にかなりの圧力がかかったりということはあるようですが)。 こうした私の見方を見て、「そんなに中国は民主的になっているのか?実際、一党独裁の体制自体は何も変わってないではないか。中央電視台は政府の宣伝機関で、さも政府が民主的なことをやっているように宣伝しているだけではないか」と言われる方もあるかもしれません。実際、私自身、自分が主催する『日中ホンネで大討論!』の中国語版が発行を規制されたりしたこともあり、中国にはまだまだ自由と民主がないというとは実感しているところです。しかしながら、政府が民主的な政策を推し進めなければならない必然性も存在しています。その背景の一つは、最初にも述べたように、市場経済の発展に伴う、経済的に力を持った新たな階層の登場ですが、それ以外にも、政府の深刻な汚職・腐敗やWTO加盟にともなう国際社会からの圧力があると思います(WTOは加盟国に政府の情報の透明化を求めています)。 1989年に学生たちの民主化運動が政府によって弾圧されてから早いもので、13年以上もの月日が過ぎました。その後の経済発展は、「民主化運動」などという文字を中国人たちの頭の中からすっかり消し去ってしまったようです。今、中国人たちの頭の中にあるのは「政治」ではなく「経済」です。 しかし、その経済発展がもたらした私営企業家という新しい階層の台頭、腐敗の深刻化、WTOの加盟という現実が、かつての民主化運動とは違って形で、中国政府に民主化を進めることを迫っています。そして、こうした「経済」に由来する民主化への圧力は、かつての民主化運動によるものよりずっと強いものであると言えます。 「中国の崩壊が始まる」などという声もありますが、私は中国はこうした上からの民主化を徐々に進めつつ、かなり長い時間をかけて多党制にソフトランディングしていくような気がします。実際、かつてのような流血の自体に至らず、民主化が実現されれば、そんなに好ましいことはなく、多くの中国人もまたそれを望んでいると思います。 以上、法律についても政治についても全くの素人である私の見方ですが、参考にしていただければ幸いです。 2002.11.9 第32回 開発区の調査 現在、日本企業が続々と中国に進出していますが、その大きな理由の一つが労働コストの安さにあることは言うまでもありません。しかし、私のいる深センも経済の発展とともに、徐々に労働コストが上がりつつあります。そんな中で、私のいる会社でも、内陸部でさらに安い労働コストで生産が可能なのかどうか、調査をすることになりました。そして、その重要な仕事が何と、会社に入りたての私のところに回ってきたのです。
最初はどこから始めたらいいか、検討もつきませんでしたが、とにかく中国全国の目ぼしそうな開発区(工業団地)を調べ、片っ端からメールとファックスを送り、資料を取り寄せることにしました。すると、いくつかの開発区からは何度も電話やメールをもらい、実地調査を熱心に勧められました。また、多くの開発区の人が遠いところからわざわざ深センまで訪ねてきて、開発区の説明にやってきました。この時、いま全国の開発区の人たちが必死になって企業誘致をしているのかということを知りました。ましてや、外資企業となれば、なおさら力が入るのでしょう。特に、いわゆる「西部大開発」の対象になっている西部地区に属する開発区の人たちは、外資企業に対する優遇政策を一生懸命説明してきました。中国がWTOに加盟して以来、外資に対する優遇政策の廃止が取りざたされていますが、西部大開発の対象地域については、少なくとも2010年までは優遇政策を継続するという政策が中央政府から出されています。西部地域の開発区はここを一つのセールスポイントにしようというわけです。 説明に来た人に中には、投資環境について細かい質問をしても全然答えようとせず、「まず、友達になりましょう。今度カラオケに行きませんか?車で送り迎えしますよ」などと言ってくる人もいました。この人は沿海部にある、日本企業が大量に進出している地域の工業団地の人で、日本語もかなりわかり、日本人との接触もかなり多いようでした。その人がこういうやり方で誘致をするこということは、それに引っかかる日本企業も多いということでしょうか。日本企業も随分なめられたものだと思いました。 ある時、西部地域に属する省の省都にある開発区の企業誘致会に参加しました。誘致会は香港で開催されたこともあってか、参加したのはほとんどが香港の企業で、日系企業ので参加したのは私のところだけでした。それもあってか、注目度は大変なもので、何と地元のテレビ局や新聞社までが私を取材してきました。戸惑いながらも、テレビカメラの前に座った私に、記者は聞きました。「なぜあなた方の会社は、ここに投資することを決定されたのですか?」 投資を決めたわけではなく、ただ企業誘致会に参加しただけの私は、テレビカメラを前にして、内心この誤解というか決め付けに驚き、困惑していましたが、とりあえず「まだ投資を決めたわけではないですが、この開発区は投資環境において、こういう優位性があるので、いま調査を進めています」と適当に答えておきました。 このような誤解が生じるのも、外資企業の投資に対する地元の極めて大きな期待というものを表していると思います。 このようにして、説明を聞いたり、資料を取り寄せたり、企業誘致会に参加したりして、実地調査に行く候補地を絞っていきました。残ったのは主に、西部地区の比較的大きな都市、国家級や省級の開発区でした。大きな都市を候補にしたのは、これまでの日本企業の失敗などを見ていると、政府との関係でトラブルが起こっている例が非常に多く、小都市の開発区などを選ぶと、後々問題が起こりやすいのではないかと思ったからです。 こうして、大まかな実地調査の計画を立て、総経理に見せました。すると、「西部地区でも、こんな大都市ではだめです。コストが高すぎます。こういう所はこれから日本企業が出てくるところです。私たちはもっと先を行かなければなりません」「私たちは中国での経験も長いのですから、何もかも整備された大きな開発区になど行く必要はありません」と、あっさり一蹴されてしまいました。なるほどと思い、発想を全く変えて、西部地区の小都市を中心に調査に当たることにしました。ところが西部地区、しかも小都市の情報となると、ネット上ではほとんど検索できません。そこで、とにかく現地の政府の電話番号を調べ、そこから開発区や工業用地の情報を聞くことにしました。 ところが、小さな都市となると、これまで連絡を取ったところのように必ずしも大歓迎というわけではありません。多くのところは、まだ企業誘致という意識が希薄なのです。「いったい何の用だ」という態度のところもあれば、政府なのに、電話すら取らないところもあります。こうして、時には電話をいろいろな部署にたらい回しされたりしながら、どこの都市も何とか企業誘致を担当している人に連絡をつけることができました。企業誘致の担当の人のところまで来ると、さすがにそれなりの対応をしてくれます。実地調査のアポイントも取ることができました。 というわけで、まず西部地区のA省のいくつかの小都市を調査することになりました。調査した都市のうち、日系企業がある所は一つもありません。もし私たちが工場を作れば、日系企業第一号ということになります。調査に来た日本人は私が初めてという所もありました。対応にはそれぞれ差がありましたが、場所によっては大変な歓迎ぶりで、中には市長や副市長が直々に現れて懸命に企業誘致をするという所もあり、びっくりしてしまいました。そこには外資企業どころか、工業自体がほとんどないようなところで、私たちを誘致することで、何とか経済を活性化させていきたいという必死の思いが伝わってきました。 この町では、こんなこともありました。時間に余裕があったので、政府の人が解放軍の駐屯地に私を連れて行ってくれました。軍の人たちが自分たちで植えた野菜などで作った料理をご馳走になっているとき、政府の人が軍の人たちに私の名前を紹介しました。しかし、それは私の日本の苗字ではなく、頭の一字だけを取って、中国人として紹介したのです(私の苗字の頭文字は、中国人にもよくある苗字なのです)。そのとき私は初めて、実は外国人が入ってはいけないところに連れてこられたのだということに気がつきました(それなら事前に言ってほしいなと思いましたが)。仕方なく、私はずっと中国人のふりをして通しました。その後、ピストルやライフル銃まで撃たせてもらったのですが(こんなことができるのは、一生で最初で最後かもしれません)、軍の人たちが私を外国人だと知ったら、そんなことは絶対にさせなかったでしょう。私はいつかばれるのではないかとハラハラしていましたが、政府の人がここまでしたのも、私の対する歓迎の意を示したかったのでしょう。 この町を去る間際に、政府の人は私の手を両手で硬く握りながら言いました。 「私たちの町のことをしっかりと社長さんに報告してくださいね。忘れないでくださいね」 彼らの収入が、企業誘致の成功とリンクするようなしくみになっているかはわかりません。しかし、その時の彼の様子は、何かそういった経済的な動機に基づいているというより、「わが町を発展させたい」という純粋な気持ちと責任感のようなものに裏打ちされているように感じられました。 A省に続いて、同じく西部地区に属するB省の調査に行きました。B省は、中国全体の中で経済発展が遅れている西部地区の中でも、最も貧しい部類に属するところです。ここでも、日系企業の調査は初めてという町がありました。事前調査の段階で気づいたのですが、A省とB省には一つの違いがありました。 A省の開発区にはレンタルの工場というものはほとんどなく、ほとんどの地域で自分で建てることになっていたのに対し、B省には、レンタルの工場が豊富にあるという触れ込みの所が多かったのです。しかし、実際にB省に行ってみて、なぜB省にはレンタルの工場が豊富にあるかが分かりました。そのほとんどは、生産停止した軍事関連の国有企業のものだったのです。 かつて、中国がアメリカともソ連とも対立状態にあった時代、毛沢東は戦争に備え、工業基地、特に軍事関連の工業を、敵に容易に侵入されない内陸地域に移しました(三線建設)。ところが、改革開放政策が取られるようになり、冷戦も終結した後、工業の中心は沿海地域に移っていきました。こうして、もともと立地条件も不利な内陸地域の国有企業は赤字経営となり、ついには生産停止に至ったのです。私が政府の人に連れられて見学したのは、まさにこのような国有企業の残骸とも言えるものでした。 ある工場では、元工場長という人が出てきて、こう説明しました。「ここは中国で最初のコンピューター工場だったんですよ」こんなことを言っては失礼なのかも知れませんが、まさか、このような内陸地域に、中国最初のコンピューター工場があるなどとは、私には思いも寄らないことでした。恐らく当時の中国では、軍事関連のところから科学技術が発展していったのでしょう。そのかつての栄光を聞くと、いま目の前にある、人のいなくなった古びた工場が余計に悲しく見えました。 このような国有企業を政府の人に連れられて、いくつも見ましたが、これらの工場は大体60年代の末から70年代の初めに建てられたもので、レンタルといってもとても使えるようなものではありませんでした。ある企業の人は、工場そのものに売り込める要素が少ないのを知ってか、「ここは夏になると、緑がきれいなんですよ。生活するには最高の場所ですよ」とか、「ここは風水で言うと、建物の向きがいいんですよ。風水は東洋人共通のものでしょ?」などと言ってきました。 何だか聞いていて、可哀相になってきました。 B省の各都市の政府にとって、企業誘致とは、国有企業の残骸をどう処理するか、そして、国有企業を下崗(シャアガン=レイオフ)になった大量の労働者の雇用の問題をどう解決するか、ということのようでした。これは極めて深刻で、差し迫った問題です。彼らの場合、不幸なのは、このような結果になったのは必ずしも彼らの努力不足、「親方赤旗」だけによるものとは言えないことです。もともと、このような内陸地域は交通も不便で、工業を興すには向いていない地域であるにも関わらず、先にも述べたように、三線建設という国策によって無理に作られたものだからです。その当時はそれなりの国際環境があり、その環境の中で決められた政策を現在の観点から見てただ批判だけすることはできないと思いますが、いずれにしても、当時の政策の重い負債を今の西部地域の政府が負わざる得なくなっていることだけは確かです。 今、日本では「中国はこんなにすごい」「中国はこんなに急速に発展している」という報道ばかりがされているように思います。しかし、その影で、いまだに60年代、70年代の政策の重いつけにあえいでいる地域が内陸部に広範に広がっていることも伝えるべきであると思います。 さて、ビジネスとしての観点から言うと、この地域の高速道路などはものすごい勢いで発展しており、内陸部の交通はかなり便利になっています。こんな所に、という所まで高速が通り、あるいは計画されています。これは、誤解を恐れずに言えば、一党独裁の利点とでも言えるのでしょうか。政府が「西部大開発」と掛け声をかければ、一気に物事が動いていきます。内陸部の各政府がこんなにも必死になっている背景にも、中央政府による「西部大開発」の政策があると思います。この点、「改革、改革」と言いながら、10年間、ほとんど何の改革も進めることができていないわが母国と著しいコントラストをなしています。もちろん、こうしたトップダウン型の組織の弊害もまた大きいことは言うまでもありませんが。 しかし、このように交通などが便利になっているのはいいのですが、労働コストの面などから見ると、必ずしも沿海部と比較して大きな優位性を持っているとは言えません。つまり、沿海部とそれほど明らかな差がないのです。考えて見れば、これは当然のことかもしれません。沿海部に来て働いているワーカーのほとんどは、これらの西部地域からの出稼ぎなわけですから。交通は沿海地区に比べて不便で、労働コストもそれほど違わないとなれば、材料が近くにあるといった特別な理由がない限り、企業が西部地区に出る理由はありません。この辺が、「西部大開発」の政策の下、様々な優遇政策が出されているにもかかわらず、西部地区が今ひとつ伸び悩んでいる理由かもしれません。 今回はビジネス目的の内陸部の調査でしたが、この調査を通じて、また中国の新たな一面を見ました。中国と一口に言っても、13億の人口があり、内陸部には沿海部とは全く違った世界が広がっています。それは、「発展する中国」とはまた別の世界です。そのことを改めて認識した開発区の調査でした。 ※都合により、具体的な省名や都市名は出すことができません。ご了承ください。 2002.12.23 第33回 対日観の変化? ご存知の方も多いと思いますが、昨年の12月、今から一ヶ月ほど前に、人民日報の評論員・馬立誠氏が「対日関係の新思考−中日民間の憂い」という論文、というよりエッセイに近い文章を『戦略と管理』という雑誌に発表しました。 http://www.phoenixtv.com/home/zhuanti/xwshj/zrgxxlsk/200212/25/15005.html
(中国語、これは、フェニックステレビのサイトに引用されたものです) そこに描かれた対日観というものは、多くの中国のマスコミで描かれる対日観、あるいは私が接してきた範囲ですが、多くの一般の中国人が持っている対日観とは大きく違うものでした。
私は「人民日報の評論員」というのが人民日報の中でどのような位置を占めているのか、彼らが発表する内容が、中央政府の政策とどの程度一致しているのか、もしくは差があるのか、ということについては、よく分かりませんが、少なくとも『人民日報』は中国共産党の機関紙であり、そのような政府の中枢に近いところから、このような論文が発表されたことに驚きました。 以下、この論文の内容を簡単にご紹介した上で、私の意見を述べたいと思います。 馬氏はこの論文の中で、超人気若手女優・趙薇が、戦前の日本の軍旗に似たデザインの服(デザインした人には、そのようなつもりはなかったようですが)を着て、ファッション雑誌に出たために、中国中から大きな非難を浴び、ついには舞台に上がっているときに、観客に押し倒された上、汚物の入った水を掛けられたという事件、『鬼が来た』など映画で有名な監督かつ俳優の姜文が靖国神社に参拝したのではなく、行ったというだけで、やはりメディアなどから轟々たる非難を浴びたという事件、そして昨年夏、『新しい歴史教科書』が日本政府の検定を通ったことなどに抗議して、深センのあるバーが日本人の立ち入りを禁止したことなどを例に挙げながら、「中国人はいつになったらこのような非理性的衝動から脱却できるのか」、「これらの行為は、名は『愛国』だが、その実は国に災いをもたらすものであり、国家と民族に対して無責任なもののする行為である」、「いま民族主義的感情の高まりの中で、多くの人が偏狭な民族主義と愛国主義を混同している」(首都師範大学教授・呉思敬氏の論文からの引用)などと痛烈に批判しています。 私自身もこれまで何度も書いてきたように、とかく「愛国」もしくは「反日」となると、どう見ても客観的・理性的とは言えない考え方や行為が中国の中ではまかり通ってしまうということが多々あることを、数年間にわたる中国での生活の中で強く感じてきました(もちろんこれは、日本が過去、中国を侵略したという事実を否定したり、誤魔化したりするとは許されないことだと考えますが、その前提の上で、それでもおかしいと思えることが多いということです)。それは、「靖国神社スプレー事件をめぐって」などにも書いたとおりです。こうした行為が行われたとき、この行為を批判する声も中国人の中にありました。しかし、その声は、大量の批判と罵倒の中にあっという間にかき消されてしまいました。 ところが、今度はこうした批判を人民日報の評論員が行ったのです。これが私には驚きだったのです。 そして注目されるのは、馬氏がこうした中国人の中にある「偏狭な民族主義」の大きな原因の一つとして、マスコミの影響を挙げていることです。 「『愛国』の看板を掲げた非理性的盲動が次々と行われるのは、まさに一部分のマスコミに社会的公正と正義が欠落しており、無責任な扇動を行っていることと密接な関係がある」 「中国のマスコミか反日感情を煽っているために、中国人の反日感情はいつまでたってもなくならない」というのは、日本の「反中派」の常套句になっている感がありますが、今やそれを人民日報の評論員自身が批判したのです。 その他に馬氏は、日本について多くの中国人が誤解していたり知らない点、逆に、中国について多くの日本人が誤解している点ついて、極めて的確に述べています。 「長期にわたる経済の低迷のために、中国の台頭に対する、何とも言えない恐怖感を抱いている日本人も少なくない」 バブル経済が崩壊して以降、日本の経済は長期にわたる不景気に悩まされ、社会全体が暗い雰囲気に覆われているようですが、この状況を認識している中国人は多くありません。多くの中国人にとって日本は相変わらず「経済が非常に発達した国」として映っています。そして、その経済力を背景に、「政治大国、軍事大国」へと歩みを進め、ついには、過去と同じように、中国を侵略するのではないか−このように考えている中国人もまだまだ多いようです。ところが、当の日本人たちは、「世界の工場」として急速に発展を遂げる中国を羨み、ひいては恐怖感を抱いている−こんなことを誰が想像するでしょうか?しかし、馬氏のこの一文は、中国人が意識していない日本人の心理を的確に伝えていると思います。 「東南アジアは日本の軍事力に対して、中国のような抵抗感はない。逆に中国に対して疑念を持っている。中国を牽制するために日本に頑張ってもらいたい。地域の安全から考えると、日本の改憲は必要だ」 (シンガポール国防・戦略研究所研究員の発言からの引用)、「日本がたとえ改憲したとしても、軍事大国になることはありえない」(インドネシア大学日本研究センター主任の発言からの引用)。 この二つはどちらも引用という形をとっていますが、驚いたことに、馬氏はこれに対して全く反論していません。それどころか、このような「中国脅威論」が広まっている現状を踏まえ、「中国政府は台湾問題について平和統一と一国二制度を強調し、中日友好を力強く推進し、北朝鮮の核武装に賛成せず、・・・(中略)・・・これらの措置を通してアジア諸国の緊張した感情を緩和させいてけば、『中国脅威論』は自ずとなくなっていく」と、中国自身が変わっていく必要があると主張しているのです。 「日本は基本的にすでに民主と法治の体制を確立している。政府の政策は多くの方面からの監督と制約を受けており、ある人たちが想像するような『軍部』が好き勝手にやるという状況は二度と存在しえない」 「明治維新から第二次世界大戦まで、日本は軍国主義の道を選び、その結果、『一文無し』になった。第二次世界大戦後、日本は武力方式を放棄し、協力に生存の道を求め、その結果、繁栄を極め、領土拡張をしなくても、生存と発展を得られるようになった。このことについて、日本の主流社会は身をもって深く感じている」 馬氏はこのように述べ、「日本軍国主義復活論」を否定しています。先にも述べたように、中国ではまだまだ多くの人が「日本の軍国主義がまた復活するのではないか」という警戒心を持っています。馬氏のような意見は極めて少数派と言えます。これについては、日本の中にも、有事法制の制定やアメリカのイラク攻撃への協力の可能性などにからんで、警戒心を持っている人もいるでしょう。ただ少なくとも言えるのは、多くの日本人が過去の戦争の中で、家族や友人を失い、心の中に深い傷を負っているということ、したがって、戦争を憎み、嫌うという感情(それが、加害者というより主に被害者としての感情に基づいているということはあるにしても)は、世界中のどの国の人にも劣らないほど強いということ、このことを認識している中国人は、日本で生活したことがある人でもない限り、私の接した範囲ではほとんどいないと言っていいでしょう。 馬氏は「高興興」と名乗る中国人がネット上で発表した論文で「日本国民はみな好戦分子である」などと述べたことに対して、「無責任な扇動」と強く批判していますが、実際にはこのように考えている中国人も少なくないのです。しかし、このような中国人の中にある日本人に対する誤解や偏見を中国人自身が、しかも人民日報の評論員が指摘したというのは、大きな意味があることだと思います。 馬氏はさらに、最近の日本人の中にある反中感情の原因の一部となっている二つの問題−在日中国人の犯罪と対中ODAの問題にも触れています。 馬氏は1980年には中国に親近感を感じる人が78.6%だったのが、2000年には48.8%まで低下していることを挙げながら、次のように述べています。 「なぜこのようなことになっているのだろうか?その答えは、一部の中国人の行為に対する日本国民の印象が悪いことにある。例えば、密航者が非常に多い」 そして、在日中国人の犯罪の例を挙げながら、次のように述べています。 「これらの問題について、香港のメディアや関連国のメディアはみな報じている。我々は欠点を覆い隠したりする必要はない。あえて自身の弱点を正視してこそ、誇りある民族と言えるのだ」 対中0DAの問題については、次のように述べています。 「日本は1979年から2001年まで連続で、中国に2兆6679億900万円の低利借款を行っている。・・・(中略)・・・これは日本側の誠意を表すものと言える。長い間、我々はこれに対する紹介が不十分であった。今こそ正確な評価を下さなければならない」 この二点は、馬氏の言うとおり、日本人の反中感情の大きな原因とも言えるもので、この点を中国人自ら的確に指摘したことの意義は大きいと思います。 「あるサイトでは一年の間に一万以上の評論が発表されたが、日本に言及したものはことごとく『東洋鬼子』、『倭寇』、『小日本』などと痛烈に罵倒したものばかりで、日本にいま、どういう良い所があるかということに触れたものは一つもなかった」と馬氏は批判しています。 過去の歴史を認めることはいとわない私ですが、それでも一部の中国人の中にある「日本人=悪」とするような見方に悲しい思いをしてきました。そうした中で、中国人の、それも社会の主流に近いところから、このような主張が出てきたことをうれしく思いました。 さて、馬氏はこのように中国人の中にある日本に対する誤解や偏見、認識不足の点を指摘する以外に、日本人の中国人に対する誤解にも言及しています。馬氏はある日本の知識人の「中華思想(自分の国は中央にあり、他の国は蛮族と見る考え方)は日中友好を妨げる原因の一つになっている」という発言を批判して、次のように述べています。 「古代の中国にはそのような考え方があったが、今は違う」、「中国人には日本の上に立ちたいなどという願望があるわけではない。これは一部の日本人の過敏と誤解である」 「中華思想」、この言葉は日本の中では、中国文化を理解する上でのキーワードのようになっており、研究者の中にも広く流布しているようです。しかし、「中華思想」と言って、何を意味しているかわかる中国人は実際にはほとんどいません。その内容を説明して、そのような考えがあるか、と聞いても、それを肯定する中国人もいません。 私が中国人と話していて思うのは、いま中国人を動かしている原動力というのは、「世界の中心になりたい」などという野望ではなく、この百数十年の間、列強に領土を侵略され、分割され、蹂躙されてきた屈辱、そして解放後は文革などの混乱のために、経済発展の機会を失ったという無念、そういった感情であると思います。それは、今までの歴史を乗り越えて、他の国に何とか「追いつきたい」というほどのものでしかありません。このことは、多くの中国人と接したことがある人なら、誰でもわかるはずです。ところが、中国人の考えを、実際の中国人の観念から出発してつかんでいくのではなく、「中華思想」という過去の観念から演繹的に理解していくというやり方、ひいては、それを「中国脅威論」と結びつけるというやり方が流布しているのは残念なことだと思います。したがって、私は馬氏の批判はとてもよく理解できます。私たちは、中国人の日本人に対する誤解や偏見を指摘する以外に、日本人の中国人に対する誤解や偏見に対する批判にも耳を傾ける必要があると思います。 もう一つ、馬氏の論文で注目されるのは、「民主」の問題にかなり大胆に触れていることです。 「(中国が)直面する問題は山積しており、しかも非常に手の焼けるものばかりである。例えば、法治の欠如、日ごとにひどくなる腐敗、金融不良債権、貧富の格差、農村の苦境、市場の分割、環境悪化などである。そして、さらに根本的で、避けることのできない大問題は、全国各界が切望している政治改革と民主建設である」 先も引用したように、馬氏は「日本は基本的にすでに民主と法治の体制を確立している。政府の政策は多くの方面からの監督と制約を受けており、ある人たちが想像するような『軍部』が好き勝手にやるという状況は二度と存在しえない」とまで述べた後に、このように述べているわけですから、これはかなり大胆な発言と言えます。この二つの文章を並べて見れば、「中国には日本のような民主主義体制がなく、政府が監督や制約を受けないために、腐敗などの問題が絶えない」ということになります。これは事実上、中国ではタブーになっている一党独裁批判と言ってもいいと思います。 このように、日中相互の中にある誤解や偏見、認識不足といったものを的確に指摘すると同時に、中国の中ではタブーとされているようなテーマにも大胆に踏み込んでいる馬氏の論文ですが、中国内での反応はどうでしょうか?残念ながら、彼に対する批判と罵倒の嵐が吹き荒れているようです。私がネット上で見たものは、大体において彼を批判するものでしたし、友人の話では、北京大学や清華大学のBBSでも、彼を批判する声が大多数を占めているようです。 私の見ている範囲では、主な批判は馬氏が「日本の元首相村山富市氏と現首相小泉純一郎氏などが盧溝橋や瀋陽などで相次いで哀悼し、日本が侵略戦争を行ったことに対して反省の意を表した。日本の謝罪の問題はすでに解決した」と述べてこと、そして、日本の戦後の急速な経済発展は「アジアの誇りである」と述べたことに集中しているようです。 謝罪の問題について言うと、まず、村山氏や小泉氏が侵略戦争について反省の意を表したというのは事実ですから、中国のマスコミにはこの事実をきちんと伝えてほしいと思います。その上で、馬氏のように、「謝罪問題は決着済み」と考える人、朱鎔基首相のように、「文書化されなければだめだ」と考える人、また、かつて日本軍に家族を殺された人の中には、「何回謝ろうと、どう謝ろうと、絶対に許さない」という人もいるでしょう。「一方で謝罪と言いながら、靖国神社に参拝するとは何事か」という人もいるでしょう。これは感情の問題ですから、それぞれの感じ方に対して、こちらの方から、「もうこれだけ謝ったんだから、いい加減許してくれよ」とは言えないと思います。ですから、馬氏の意見に納得がいかないという人がいるのも、当然だと思います。 「アジアの誇り」について言うと、誇りかどうかは別として、少なくとも日本の戦後の経済発展が、過去の侵略による略奪や、戦後の戦争特需などの外的要因だけによるものだけではなく、日本人自身の努力による部分が多いことは、客観的に見ても否定できないと思います。この点を認めずに、馬氏を批判するのは、まさに偏狭な民族主義、つまり、他国や他民族の良い部分を見ようとしない考え方のなせる業だと思います。 いずれにしても、馬氏に対する批判を見ていて残念に思うのは、この論文のすばらしい部分−偏狭な民族主義に囚われず、日本のことにしても、中国のことにしても、できる限り客観的に見ようとし、二つの国の正確な姿を相手に伝えようとしているところ−この点に対する評価がほとんどないことです。「日本の良い点を指摘するなどというのは、中国人の裏切り者のすることだ」とでも言わんばかりです。馬氏の指摘した中国側の問題点にも触れているものはほとんどありません。 ここで、もう一度さきに引用した馬氏の文章を引用します。 「我々は欠点を覆い隠したりする必要はない。あえて自身の弱点を正視してこそ、誇りある民族と言えるのだ」 この馬氏の言葉は残念なことに、多くの中国人には届いていないようです。しかし、私はここで、この言葉を中国人に向けるのではなく、私たち日本人自身に向けて考える必要があると思います。日本の中にも、過去の自国の汚点を誤魔化したり、覆い隠そうとしている人たちがいないでしょうか?汚点を教育することは、子供に誇りを失わせるなどと考えている人たちはいないでしょうか?このような人たちは、馬氏を罵倒する中国の偏狭な民族主義者たちに自分たちを照らして見てみるといいかも知れません。そうすると、彼らと自分たちが非常に似ていることに気づくでしょう。 最初にも述べたように、馬氏の論文がどの程度、中央政府の対日政策の変化を反映しているのか、私にはわかりません。ただ、もしこのような考えが政府の主流になっていくのなら、今後、「偏狭な民族主義」に基づく反日感情の源は、「政府のプロパガンダ」ではなく、大衆受けする記事を書いて部数拡大を狙うマスコミの低俗な商業主義ということになっていくでしょう。そうなると、反日感情の源は、「一党独裁の政治体制」という中国の特殊性に基づくものではなく、市場経済だということになります。 私は馬氏がこの論文で提起した問題は、とても重要だと思います。中国内では批判が殺到しているようですが、私はこの論文をきっかけに、日本、そして日本人という存在をもっと理解してくれる人が増えてくれることを望みます。同時に、日本人の側も、馬氏が提起した「中華思想」の問題に代表されるような誤解を見直し、中国、そして中国人に対する理解を深めていく必要があると思います。こうして始めて、広がる一方の日中の溝を少しずつ埋めていけるような気がします。そんなことを、ビジネスに追われる中で、再び考えさせてくれた馬氏の論文でした。 2003.1.25 第34回 出稼ぎ少女たちの生き方 中国の経済発展が目覚しいとは言っても、深センの片田舎では、日本に比べてはるかに娯楽施設が乏しいのが現実です。私のように、中国生活にすっかり慣れている者にとっては、それは大きな問題にはなりませんが、言葉も通じない駐在員の方たちにとっては、かなりきつい面もあるかと思います。 そんな中で、駐在員の方たちの限られた娯楽というか、仕事のストレスのはけ口になっているのが、「日本人クラブ」です。要するに、日本語がちょっと使える中国人の女の子たちと飲んで、歌って、踊る場です。日本語のカラオケももちろん、あります。多い人は、週に2・3回行っているようです。こうした日本人クラブの一回の費用は、約300元程度。日本円にすると約4500円程度です。日本の感覚で言えば、あまり高いとは言えないのでしょうが、中国で言えば、ワーカーの半月分以上の給与にあたります。 駐在員の方たちがこうした場所に行くとなると、当然、私も誘われることがあります。しかし、私としてはあまり気が進みません。その理由の一つは、このような所に言っても、面白くもなく、得るものがあまりないということ、二つめは、私のような現地採用者にとっては、経済的負担が重いということです。ご存知の方も多いと思いますが、現地採用というのは、駐在員とは全く待遇が違います。年金や失業保険、退職金、諸手当などは一切ありませんし、ボーナスも年に1回、1ヵ月と決まっています。 これに対し、駐在員はもともとの日本での給与にプラスして、こちらでも給与を得ています。そうなると、駐在員と現地採用者の待遇の差はかなり大きくなります。ですから、彼らの金銭感覚に合わせていたら、現地採用者はあっという間にお金がなくなってしまいます。しかし、同じ会社にいる以上、毎回断るわけにも行きません。そんなわけで、私も日本人クラブに行くことになりました。 日本人クラブに着くと、薄暗い部屋の中に、十人ぐらいの二十歳前後の女の子たちが並んでいます。 「いらっしゃいませー」「あー、○○さん、こんばんは!」 常連の客の到来に、日本語が飛び交います。 せっかくの機会なので、この女の子たちにいろいろと聞いてみました。出身地は湖南、四川などで、皆、私のいる会社で働いているワーカーと同じ、地方からの出稼ぎです。中には私には懐かしい、武漢出身の子もいました。話によると、大体の子は私のいる会社のような、工場で働いた経験があります。それ以外で多いのが、レストランのウェイトレスをやったことがあるという子です。ある子は言いました。 「以前はレストランで働いていたんだけど、運ぶものが重くて、肩を悪くしたから辞めたの。それでここに来たのよ」 以前、床屋に行ったときも、そこの女の子に聞いたのですが、やはり工場で働いたことがあるということでした。どうやら、この一帯の出稼ぎ少女たちは、少しでも良い条件を求めて、工場、レストラン、スーパー、床屋、マッサージ屋、そして、ここのような日本人クラブなどを循環しているようです。これらの場所の一ヶ月の賃金は、大体500元(約7500円)程度で、働いてるのはほとんどが地方からの出稼ぎ少女です。日本では、この日本人クラブような仕事は「水商売」と呼ばれ、そこで働く人たちを低く見るような考えがあり、もちろん中国にもそのような考えがあると思いますが、彼女たちはそれを気にしている様子はなく、いろいろな仕事のうちの単なる選択肢の一つと考えているようでした。 ある子は自分の本来の夢を語りました。 「私は小さいときは、法律を勉強したかったの。その頃、中国では法律が整備されていないために、いろいろな問題が起こっていたから。でも、今はそうは思わなくなった。だって、中国の法律はかなり整備されてきて、昔のような問題は起こらなくなってきたから。今は本当は漢方を勉強したいの。漢方の効果はすごいのよ。それで、人の病気を治したい。でも、うちは四人兄弟で、家も決して裕福ではないから、学校に行きたくても行けないのよ。だから、こうして出稼ぎに来ているの」 また、別の子は言いました。 「私は以前、看護学校に通っていたの。看護婦になりたかったのよ。でも、卒業してからわかったの。いくら看護学校を卒業しても、病院とのコネがなければ絶対に看護婦にはなれないのよ。看護婦になってるのは、みんな医者の子弟や親戚ばかり。結局、私のクラスメートで看護婦になった人は一人もいないわ。ひどい話よ。これじゃあ何のために看護学校に入ったかわからないわ。だけど、これが中国の現実なの。仕方がないから、こうして出稼ぎに来ているの。でも、ここの仕事は楽なんだけど、何だか生活に充実感がないわ」 こうした話を聞いて、ここの出稼ぎ少女たちは、それぞれ、いろいろな夢があるにも関わらず、家庭や社会の条件がその実現を許さなかったために、このような場所で働いていることを知りました。天真爛漫に日本人と客と戯れているように見える彼女たちですが、一人一人がいろいろな夢や挫折を背負いながら生きているのです。 ママさんとも話をしました。かつて日本語学校で日本語を勉強したことがあるという彼女は何と、昼間はある日系企業で働いているとのことでした。そして、夜は内緒でここのママさんをしているのです。 「ここで仕事をすれば、日本人と話す機会も多いから、日本語の能力も高められるわ」 こうして金のある日本人から稼ぐと同時に、日本語も勉強する、なかなか、したたかだなあ、と感じました。 話は変わりますが、昨年末に、会社で、工会(日本の労働組合に当たるもの。ただし、共産党が上から組織しているもので、日本のように、会社と対立することはあまりない)主催の忘年会が行われました。ワーカーの子たちが次々と舞台に出てきては、歌、踊り、漫才、拳法などを披露しました。その中の多くのものが、レベルが非常に高かったので、驚きました。ふだんは単調な仕事を長時間こなさなければならない彼女たちですが、その中に息づく「文化」を感じました。 経営という観点から考えたとき、ワーカーの人たちは、「労働コスト」という抽象的な数字になります。中国に進出してくる日本企業の多くは、この数字が小さいからこそ、大挙してやってくるわけです。私も投資調査という仕事に従事しているので、どこの地域の労働コストがいくらか、というのは重要なチェック事項の一つになります。この時、「ワーカー」は単なる数字として映っているのです。これはこれで経営上は必要なことでしょう。しかし、一人一人のワーカー、一人一人の出稼ぎ少女たちがそれぞれの夢を持ち、挫折を背負い、様々な趣味や特技を持った、生身の人間であること、このことも忘れてはならないと思います。そうしないと、後で大きなしっぺ返しを食うような気がします。 以前、総経理が言ったことがありました。 「ワーカーの方たちが一生懸命働いてくれるからこそ、我々も生活できるんですよ。彼女たちを単なる金儲けの手段と考えてはいけません」 私も、彼女たちが毎日、必死に生み出している財産を、みすみす食いつぶすことがないよう、一生懸命仕事をしていこう、出稼ぎ少女たちのことを思いながら、そんなことを考えさせられました。 2003.3.1 第35回 イラク戦争をめぐる論争 イラク戦争が始まり、早くも半月以上が過ぎました。この、大義名分から見ても、国際法というルールにのっとった手続きという面から見ても、どうみてもおかしいとしか思えない戦争のために、すでに多くの罪のない人たちが亡くなっています。しかし、ここでは私自身のイラク戦争に対する考えを詳しく述べるのは控え、中国の人たちのイラク戦争に対する反応をお伝えしたいと思います。 戦争開始前の2月10日、中国の一部の学者たちがネット上で「アメリカ政府による対イラク戦争計画に反対する中国各界の声明」(以下、「反戦声明」)を発表しました。その後、約2週間の間に、声明への署名者は700人余りに達しました(現在の数字は不明)。 http://culture.online.sh.cn/asp/LIST2.ASP?id=594(中国語) 「声明」はアメリカがイラクに対して行おうとしている戦争を「侵略戦争」と規定し、著しい国際法違反であり、イラク国民の人権を踏みにじるものであるとしています。 「声明」の発起人の一人である張広天氏は「世界各地で反戦の声が発せられているのに、中国の民衆の中にある同様の声が表現されていない。このような状況の中で沈黙を保つことは恥ずべき行為である」と述べています(『南方週末』2003年2月27日号)。 ご存知のように、中国は戦争開始前、一貫としてイラク問題の戦争による解決に反対し、査察継続を主張していました。しかし、中国にとってアメリカとの関係は極めて重要で、アメリカと決裂するわけにいかないため、戦争には反対でも、 EUというバックを持っているフランスのような国の強硬な態度に比較すると、より慎重な態度を採っていたと言えます。そのため、中国政府がアメリカが行おうとしている戦争を「侵略戦争」などと規定するなどということはありえないことだったでしょう。 そこから考えると、「反戦声明」は「戦争反対」という点では中国政府の見解と一致はしていても、全体の中身を見ると、より強く「反米」を強調したものであり、中国政府の見解をかなりはみ出していたと言えます。ですから、この声明の存在を知ったとき、このような政治分野の問題で、中国政府の見解とは必ずしも一致しない見解が、中国政府とは独立したところから「声明」という形で公表されたことに驚くと同時に、これまでとは違う新しい動きを感じ取りました。 ところが、その後、もっと驚くことが起こりました。「反戦声明」が発表されてから10日たった2月20日、別の学者たちが「アメリカ政府がサダム・フセイン独裁政権を粉砕することを支持する中国知識人の声明」(以下、「支持声明」)をネット上で発表しました。 http://culture.online.sh.cn/asp/LIST2.ASP?id=595(中国語) 『南方週末』に彼らの考えが適切にまとめられているので、ここに引用します。 「彼らによると、人類の歴史上、『戦争を発動した側が自由と人道を終極価値とした』戦争があり、アメリカがイラクに対して発動しようとしてる戦争はまさにこの種のものである。彼らはいくばくの遠慮もなく、『反戦声明』の起草者たちを『偽善的平和主義者』と呼び、『反戦声明』は『中国知識人界』の堕落を加速すると述べている」(同紙)
彼らはフセイン政権がいかに少数民族や信仰の異なるものたちに対して残虐な行為を行ってきたかを強調した上で、アメリカが行おうとしている戦争の正当性を主張しています。中国人が嫌いな国としてまず挙がるのは日本とアメリカですが、このような反米色の強い中国という国の中で、「親米派」として罵倒されるであろうこのような見解が、しかも、中国政府の見解とは全く異なっているこのような見解が、堂々と「声明」という形で登場したのことに、私は驚きました。 また、私は中国に来て約3年半になりますが、このような政治(内政、外交に限らず)分野で、一国の政策やイデオロギーに関わる大きなテーマをめぐって「論争」が行われたが公然と行われたというのも、私の記憶にはなく、これもまた驚きでした。二つの声明はいずれもネット上で発表されていますが、ネットという、政府が完全にコントロールしきれない場の登場が、これまでは不可能だった、政府と異なる見解の発表や論争を可能にしたといえるかも知れません。 『南方週末』の報道によれば、「反戦声明」に署名した学者は「新左派」の学者が多く、自由主義派の学者は少ないということです。一方、「支持声明」に署名した学者に自由主義派の学者が多くなっています。中国の知識人界には今、二大陣営といえるものが存在しています。どちらも、政府の腐敗の問題や農村の貧困問題など、現在中国で起こっている大きな社会問題をどう解決するかということに関心を持っているのは同じですが、「新左派」は、改革開放政策に伴い市場経済の導入したこと、グローバル資本主義経済の中に組み込まれていってことに、問題の主な原因を求めています。ですから、彼らの主張は、民族主義的で、反「旧西側」的な色彩が強いのが特徴です。日本では、「左翼」というのは反民族主義的なのが特徴ですが、中国では左派が同時に民族主義なのです。これは日本との大きな違いです。 これに対し、「自由主義派」は旧西側の民主主義を理想とし、中国における様々な問題の根源を独裁的な政治体制に求め、民主化と自由化、政治改革の推進を主張しています(もちろん、以上はごく簡単な分類で、同じ「派」の中にも様々な考えの違いがあることは言うまでもないことです)。 今回の「反戦声明」派と「支持声明」派の論争の背景には、この「新左派」と「自由主義派」の対立があると言えます。新左派を中心とする「反戦声明」の背景には、民族主義的な感情から来る反米感情と、グローバル資本主義に対する反発があると言えると思います。 日本の場合は、「全ての戦争に反対する」という、平和憲法を擁護している人たち、いわゆる「左」と言われる人たちによる「反戦」と、民族主義的な「右」と言われる人たちの、反米感情に基づく「反戦」の二つの潮流(これもごく大まかな分け方ですが)があると思います。ところが、中国の場合は後者の反戦しかないようです。これは以前も述べたことですが、中国では今まで、「全ての戦争に反対する」という思想には出会ったことがありません。日本の平和憲法も、「日本の軍国主義化の防止」という意味でしか捉えられておらず、それ以上の積極的な意味を見出そうとする人はほとんどいないといいでしょう。 一方、自由主義派の「支持声明」の背景には、フセイン政権のような独裁政権に対する強い反感(これは、中国の独裁体制に対する強い反感と重なり合っていると思います)と欧米の民主主義に対する強い憧れがあるように思います。このことは、「支持声明」の中の次の言葉に強く現れていると思います。 「中国は(イラクのような)邪悪な国家とグルになってはならない。一日も早く民主と自由の世界の潮流の中に合流しなければならないと私たちは固く信じている」 すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この戦争支持派の支持の根拠は日本の戦争支持派のそれとはだいぶ趣を異にしています。ネットで目にできる範囲でですが、日本での戦争支持派の意見を見ていると、大体二つに分かれます。一つは、「フセインのような独裁者の手中に生物・化学兵器があるとしたら、大変なことになる。それにより引き起こされうる犠牲に比較したら、今回の戦争による犠牲は小さなものだ」というもの。もう一つは、「戦争自体は確かに問題がある。しかし、北朝鮮の問題も含め、日本は今後もアメリカに頼らなければ、生きていけない。だから、戦争はおかしくても、アメリカを支持せざる得ない」というものです。中国の「支持声明」の中にも、一つ目の内容も含まれています。しかし、そこで強調されているのは、アメリカとイラクの戦争は、民主対独裁の戦争だということです。ここには、彼らの中国の民主化への強い思い入れが現れています。 しかし、彼らの戦争支持が、中国を「民主と自由の世界の潮流に中に合流させる」結果に本当になるのか、大いに疑問を持たざるを得ません。今回の戦争を、「民主対独裁」の善対悪の戦争とすることは、事態をあまりにも単純化しており、安易だといわざるを得ません。それでは、自由主義派のこのような安易な見解の背景には何があるのでしょうか? まず第一に、「戦争」というものに対する、日本人と中国人の考え方の大きな違いがあると思います。これは歴史的な背景に由来するものですが、日本人の中には、悲惨な戦争体験や原爆体験から、戦争一般に対する強い嫌悪の感情が根強く存在しています(この点は多くの中国人はあまり理解していませんが)。これに対し、中国人にとって、戦争とは自らを「解放」したものであり、侵略してきた日本軍を追い出したのが中国人にとっての戦争だったのです。ですから、中国人の中では、戦争一般に対する嫌悪感が日本人よりはるかに少ないことが彼らと話していると感じ取れます。こうしたことが、自由主義者たちの、安易とも言える「支持声明」の背景の一つになっている気がします。同時に、このことは先ほど述べた、「全ての戦争に反対する」という思想が中国にはほとんど見られないことの原因にもなっていると思います。 もう一つは、日本と中国の国情の違いがあると思います。中国はいまだに共産党による一党独裁体制で、民主主義が実現されていません。そんな状況の中での、彼らの中には民主主義への憧れとも言えるものがあると思われます。その結果、国内においてどんなに民主的な政治体制を敷いている国(ここでは、911テロ以降の、アメリカ国内における新聞統制などの問題は、とりあえずここでは論じません)であっても、国際的には独裁的でありうるという単純な事実を彼らは忘れてしまい、民主的な国は民主主義の理念に基づき、民主主義の実現のために戦争を遂行するはずだと、あまりにも無垢に想定してしまっていると思います。 私のような、学者でもない人間がこんなことを言う権利もないかもしれませんが、日本の「自由主義者」(この定義は日本では極めてあいまいですが)の中に、アメリカと距離をとり、批判的な立場に立てる人がたくさんいることを考えると、中国の自由主義者の未成熟を感じざるを得ません。 さて、「反戦派」と「支持派」の学者の論争についての紹介はこれぐらいに留め、最後に簡単に学生や一般の市民のイラク戦争に対する反応をお伝えしたいと思います。 私の友人や同僚に限って言うと、今回の戦争に賛成だという人は極めてまれです。しかし、ご存知の通り、中国ではデモや集会を自由に行なうことができないため、世界各地で行なわれているような反戦デモや集会や全く見ることができません。ただし、北京にある大学の友人に聞いたところ、大学のキャンパスの中では小規模のデモや集会が行なわれており、外に出なければ大学も介入はしないということです。広州にある大学の友人に聞いたところ、イラク戦争が始まってからも、全く何の動きもないということでした。彼女は「多くの人にとって、イラク戦争なんて対岸の火事なのよ。北京には中央政府があるから、政治に関心がある人も多いかもしれないけど、広東省の人は商売にしか感心がないの」と言っていました。 考えて見れば、日本でも高度成長を経て、人々の生活が豊かになるにつれ、政治への関心が徐々に薄れていきました。中国でも経済発展に伴い、同様な現象が現れてくるのかも知れません。 イラク問題をめぐって論争が起こっていることについても、これが中国の変化を現しているのか、意見を聞いてみました。彼女いわく、 「それは、中国の内政には直接関係ないことだから、論争を許しているだけで、とりわけて大きな変化とは言えないと思うわ。内政と関係のあることだったら、許すわけないわ」。 マスコミの反応で見ると、中央電視台は毎日、毎時間のように、「実況中継」と称してイラク戦争を報道しています。全放送時間の三分の一から四分の一を占めているのではないでしょうか。ちょっと異常に感じられます。しかし、視聴率は驚異的な数字を示しているようです。以前、湾岸戦争が勃発して時の日本もそうでしたが、戦争が映画の中のできことのように見られているようで、あまりいい気持ちはしません。 911テロなどは突発的事件だったため、反応が極めて遅かった中央電視台ですが、今回はあらかじめ戦争勃発が予想されていたため、かなりの準備ができていたようです。このような大きな事件が中央電視台のような国営テレビでリアルタイムで報道されていくというのは、言論が統制されている中国では初めてのことかもしれません。実況中継となれば、中国政府として報道したくない事態が生じることもありうるわけで、それをあえてこうした形で報じ始めたというのは、一つの変化かもしれません。もちろん、さきほどの学生の意見にもあった通り、中国の内政とは直接関係ないことだから、ある程度リスクを犯しても、実況中継で報じているとも言えます。 報道そのものは、比較的客観的に行なわれていますが、報道の途中途中に「(戦争をやめよう」というテープを流したりして、局として戦争反対の立場を明確に打ち出しています。 以上がイラク戦争への中国の人たちの反応です。 イラク戦争をめぐる論争や反応は、中国人のさまざまな考え方や中国社会の変化を浮き彫りにしています。個人的には、一国も早く戦争をやめてほしいと思う私ですが、同時に、それに対する中国人の考え方も引き続き見ていきたいと思います。 2003.4.10 第36回 SARS騒ぎの渦の中で 日本でも大々的に報じられている(と聞いています)通り、SARS(重症急性呼吸器症候群)が世界を揺るがしています。そして、中国・香港では最も深刻な状況を呈しています。その中でも、私のいる広東省は、このウィルスの感染源だと言われており、中国の中でも最も多くの感染者と死亡者を出しています。今回は、このSARSをめぐる、この間の状況について、お伝えしたいと思います。
中国では「非典型肺炎(略して「非典」)」と呼ばれている、この病気のことを私が最初に知ったのは、春節を利用して日本に一時帰国し、再び中国に戻った直後の2月10日頃でした。今から2ヶ月以上も前で、日本では「SARS」という言葉もまだ全く知られておらず、報道もされていなかった頃のことです。その時、上司から「原因不明の肺炎で、数十人が死亡した」という情報を聞きました。その後、中国人の同僚からも、「町がパニックになっている。肺炎にかかるのを予防できるという、お酢や「板藍根」(一種の漢方薬)を買うために、至るところで行列ができていて、もともと5元程度のお酢が100元以上に値上がりしている」と聞きました。 事の真偽を確かめるため、私はネットでニュースを調べて見ました。そこには、街の人たちが予防のためにマスクをしている写真などが掲載されていましたが、死亡数は数十人ではなく、数人(5人以下だったと思いますが、当時の正確な資料がありません)と書いてありました。また、騒ぎが飛び火した海南島の政府が、この肺炎騒ぎをデマとして否定し、パニックに陥らないよう呼びかけたという記事が出ていました。 夕方に新聞を買いに行くと、みんな肺炎のことが気になるらしく、いつもは残っている新聞がほとんど売り切れていました。わずかに残っている新聞の見出しを見ていると、トップはほとんど肺炎や、それに伴うパニックのことで埋め尽くされていました。この頃は、報道には何の規制も加えられていなかったようです。 それから数日して、広東省政府の記者会見がありました。その内容は、「この『非典型肺炎』は言われているほど恐ろしいものではない。死亡しているのはわずか数人だ。パニックに陥らないように」というものでした。これを聞いてみんな安心したのか、その次の日から買占め騒ぎなどは一気に収まりました。もともと騒ぎの中心は、広東省の中でも広州で、深センではマスクをしている人はあまり見かけませんでしたが、広州でもマスクをつける人が、この日を境にほとんどいなくなったようです。新聞の論調も、肺炎の恐ろしさを伝えるものから一変、この騒ぎを「デマ」と断定し、騒ぎに便乗して値段を吊り上げて儲けた業者への批判、あるいは、パニックを増幅させてしまった自分たちマスコミへの自己批判、反省といったものが主流になっていきました。 駐在員の中でも、「インフルエンザだって、年に数人は死ぬよ。数人死んだからって、騒ぐほどのことはないよ」といった、比較的楽観的な雰囲気が漂っていました。私自身も、政府のこうした発表を完全に信じていたわけではありませんが、死亡者数などから見ても、それほど特別な病気だという認識は持ちませんでした。当時、最も多くの感染者と死亡者が出ていた広州へも、何度も平気で出かけていました。こうして、何事もなかったように、日々が過ぎていきました。新しい仕事の引継ぎに追われていた私は、肺炎のことなど、すっかり忘れていました。 ところが、3月の末頃から、中国大陸や香港で感染者が急速に増大しているということを日本のメディアが取り上げ始め、日本人の間で再び肺炎のことが話題に上るようなりました。すでに、広東省のパニックから1ヵ月あまりが過ぎていました。この時、初めて「SARS(重症急性呼吸器症候群)」という呼び方を知りました。しかし、2月の騒ぎを半ばデマと信じていた私は、今回また別のウィルスが流行りだしたものと思っていました。後でわかりましたが、何のことはない、いま中国大陸と香港で猛威を振るっているSARSとは、まさに当時、広東省の政府が「恐ろしいものではない」と言っていた、あの「非典型肺炎」だったのです。「政府の言うことなど信じてバカだなあ」と思われるかもしれませんが、それぐらい、2月のパニックから、3月末までの広東省は平静でした。多くの日本人の方も、日本のメディアが取り上げだすまでは、それほど気にかけていなかったと思います。中国のメディアも、2月のパニック以来、ほとんどこの問題を取り上げませんでした。いや、再びパニックになるのを恐れ、意図的に報道させないようにしてきたというのが実際でしょう。 しかし、外国のメディアが大きくこの問題を取り上げだし、WHO(国際保健機関)なども動き出すと、中国もさすがに国際世論を無視できなくなったのか、ようやく重い腰をあげ、この問題をメディアで取り上げ始めました。これが4月の初頭です。ですが、当時の衛生部(日本でいう厚生労働省)の部長、今は解任された張文康氏は、主要に中国の「安全性」の方を強調していました。この病気の危険性を認め、それに正面から対処していくという姿勢にはまだなっていませんでした。その後、胡錦涛総書記や温家宝首相がSARS対策に全面的に乗り出すことを表明し、ようやく中央政府として本格的にこの問題に取り組み始めることになりました。これまで、最上層部の彼らがSARSについての状況をどれだけ知っていたのか、あるいは知らなかったのか、彼らも情報を隠そうとしてきたのか、あるいは、そうでなかったのか、それは私にはわかりません。ただ、少なくとも2月広東省でのパニックの時点で、彼らもある程度の情報は知り得たわけで、これにも関わらず、ここまで対応が遅れたことには、彼らにも責任があるといわざるを得ません。 こうした状況を受け、4月の始めから、うちの会社でも数千人の職員、および来訪者全てにマスク着用が義務付けられるようになりました。 4月の半ばには、日本の皆さんもご存知の通り、北京が患者数を過小報告していたことがわかり、患者数が一気に8倍に増えました。北京の大学では大学院の試験が延期され、様々な行事が中止になりました。いま北京はまさに、2月の広東省、いや、それ以上のパニックに陥っています。北京の友人(中国人)に連絡したところ、怖くて外に買い物にも行けないと言います。大学の宿舎にいる友人は宿舎と食堂を往復するだけの毎日が続いています。授業は全て休講です。彼らは恐怖におののいています。それが電話を通じて伝わってきます。しかし、ほんのちょっと前に彼らに電話したときには、恐れている様子など全くなく、広東省のことなど、彼らにとっては人ごとだったのです。 私はいま起こっているこの北京のパニックを見て、奇妙な感じを抱かざる得ません。広東省でパニックが起こったのが2月の始め。それから、2ヶ月以上もの時間がたってからの、この北京でのパニック。この2ヶ月以上ものギャップは、一体なにを意味しているのでしょうか? 私は思います。もし、あの2月の時点で、広東省の政府がSARS問題の重大性と危険性を正面から認め、感染者および感染の可能性があるものなどの追跡調査などを厳格に行なっていたら、もし、あの時、中央政府がすぐに調査に乗り出し、全国の各省に事の重大性を伝えていたら、今のようなSARSの拡散を招くことはなかったように思います。 しかし、政府というのは、自分に不利な情報というのは、伝えたがらないものです。ですから、そうした政府の行為というものを監視する存在が制度的に必要なわけですが、そうした存在の中で最も重要なものの一つ−メディアの監視が中国では機能していないことが、結局は致命傷になったと思います。広東省の政府がSARSの危険性を十分に認めなかったとき、メディアが政府の発表に疑問を呈するだけの独立性と権力をもっていたら、状況は全く違っていたでしょう。しかし、実際には、いまの体制の中では当然かもしれませんが、メディアは政府の発表に追随し、本当の情報を隠すことに加担することしかできませんでした。それが、結果的には多くの人の人命を奪うことになったのです。最終的には中国政府は監視する役割を果たしたのはのは国際メディアでした。 中国はケ小平が改革開放政策を始めて以来、いろいろな矛盾をはらみながらも、比較的順調な経済発展を遂げてきました。1989年には、天安門事件があり、「民主」と「政治改革」が大きなテーマになりましたが、これを過ぎ、1992年のケ小平の「南方講話」があって以後、再び「経済の時代」を迎え、一部の知識人や学生の間を除いて、「民主」、「政治改革」はあまり話題に上らなくなってきたように思います。中国の庶民の間でも、「まず、食えることが第一、食えるのであれば、『民主』はそれほど重要ではない」とでも言える意識が広がっていたように思います。また、「急激に民主化を進めると民族の分裂などを招き、国家を不安定にするのでよくない」などという声も、学生の中で聞かれました。いずれにしても、「民主」は経済発展の中で、それほど切実な声として聞こえてきませんでした。この背景には、政治的な民主化の方を急激な形で先に進めた結果、経済的混乱を招いたロシアや東欧諸国などとの比較もあったかもしれません。 一方、現在の日本でも中国に関する本となると、「中国ビジネス」、「中国経済」ものが大部分を占め、一部の右派の論客を除くと、中国の独裁体制を声高に批判するものなどが少なくなっていたと思います。 しかし、今回のSARSに対する中国政府の対応のまずさと、それによる被害の拡大は、「民主」が決してインテリだけが欲する飾り物ではないこと、まさに一般の庶民の生活と生命と安全に関わる極めて切実で重大な問題であるということを、ある意味で非常に残酷な形で示してくれたように思います。これは、「経済改革」のみを積極的に進め、「政治改革」の方はずっと先送りしてきた中国政府に対する一種の警告になると思います。 また、中国政府は折りあるごとに、「中国に対する人権批判は内政干渉だ」と主張してきましたが、一国内における民主や自由の欠如は、時には他国の国民の生命と安全、そして経済を脅かす重大な結果を招くこともあることを、いやというほど思い知らせてくれました。中国は今後、国際的な「人権批判」に対して、より真摯な態度で臨む必要があると思います。 最近の新聞では、感染を恐れずにSARSの治療を行なう献身的に行なう医師や看護婦の「人道主義精神」を称える声に溢れています。「英雄」という文字もあちこちで目にします。確かに、このような緊急事態のとき、こうした精神をもった医療従事者は必要だと言えますし、そういう方たちにを賛美すること自体は間違っているとは言えないと思います。ただ、本来的にはこのような「自己犠牲」や「英雄」は、なくてすむことが一番いいわけで、その意味では、このような犠牲がなくてはならない状態にしてしまった政府の「人道主義精神」こそが、まず、問われなければなりません。ただし、次のことを忘れてはなりません。最近、『共和に向かって』という、清代の末期を舞台にしたドラマが中央電視台で放映されています。その中で、ある登場人物が次のように言っていました。 「これまでの中国の思想家は常に道徳ばかりを強調してきた。しかし、問題なのは道徳ではなく、制度を変えることなのだ!」 このドラマの作者が、現代の中国の問題と重ね合わせて、登場人物にこのように発言させたのかどうか、それはわかりません。ただ、この発言は、まさに現在の中国の問題を言い当てていると言えます。政治家や官僚にモラルは必要です。しかし、彼らのモラルのない行為が明らかになったとき、それを修正させる、もしくは、そのような人物を権力の座から追放する仕組みがなければなりません。それこそが、「民主」という制度です。道徳・精神の強調から政治改革へ−これが中国の歩むべき必須の方向であることを、今回のSARS事件は示したと思います。 さて、最後に、わが広東省の状況を簡単にご報告します。広東省は中国で最多の感染者と死亡者を出していますが、最近では感染者がそれほど増えておらず、特に深センは広東省の中でも、感染者が少ないので(ただし、これはあくまで政府による発表ですが)、会社の中でも現在の北京のような緊張した雰囲気は漂っていません。一部のワーカーの人からは、「ずっとマスクをつけていると熱いし、痒いし、つけたくない」という不満も出ています。街中でマスクをしている人は少なく、していると逆に奇妙な目で見られるほどです。90%以上の人がマスクをしていて、していないと白い目で見られるという香港とは大違いです。それだけ、いまの深センでは恐怖感のようなものは薄いということです。しかし、いくら感染者が減ってきているといっても、SARSの感染ルートも治療法も不明である以上、まだまだ気を抜くわけにはいきません。 いずれにしても、早くSARSの原因や治療法か見つかり、暑い中をマスクして歩いたり、咳が出そうになったら無理に止めたり(ちょっとした咳払いでも、周りの人はギョッとします)する日々から解放されたいものです。 2003.4.28 第37回 ドラマ『共和に向かって』に見る歴史観 北京がSARSパニックに揺れていた4月の末、中央電視台で『共和に向かって』(中国語名『走向共和』)という歴史ドラマの放映が開始され、5月の末、一週間ほど前に放映を終えました。このドラマは59回にも渡る超大型ドラマで、日本で言えばNHKの大河ドラマ以上の大作です。しかし、中国のドラマは日本のように週1回放映ではなく、毎日放映する慣わしで、しかも、このドラマの場合は最初は1日2回分、後半は1日3回分も放映したので、これほどの大作であるにも関わらず、わずか1ヵ月程度で放映を終えてしまったというわけです。
中央電視台はこのドラマの制作に4年もの時間と4000万元(約6億円)もの巨費を投じたといいます。物価水準が日本の5分の1以下に過ぎないことを考えれば、中央電視台がいかにこのドラマに力を入れていたかがわかるでしょう。 このドラマが放映当時、ちょっとした論争を巻き起こし、ついには中央電視台が放映内容を変更するなどの騒ぎになりました。 実は、中国に来て3年半以上がたった私ですが、この間、歴史ドラマというのはあまり見てきませんでした。なぜなら、中国の歴史ドラマ、特に近現代を題材としたものはイデオロギー性が強く、愛国心を高揚させるという目的が見え見えで、見ていてあまり面白いとは思えなかったからです。ところが、その私が、この『共和に向かって』にすっかり、のめり込んでしまいました。それでは、一体、このドラマがどんな内容で、何が論争を巻き起こすに至ったのか、なぜ私がのめり込んでしまったのか、簡単にご紹介したいと思います。 このドラマは日清戦争直前の清から、辛亥革命後、袁世凱の帝政が崩壊するまでの時代を舞台にしています。ドラマ全体を通じての主人公というのはいません。歴史そのものが主人公と言っていいでしょう。ただ、その中で重要な人物として登場するのは、李鴻章、西太后、袁世凱、孫文です。このドラマがこれほどの論争を巻き起こした最大の原因は、これらの人物の描かれ方が、中国の歴史教科書の中で描かれている人物像と大きく異なっていることにあります。 例えば、李鴻章。中国の歴史教科書の中では、日清戦争の結果、日本と屈辱的な条約を結んだ「売国奴」として描かれており、多くの国民の中でもそのような評価が定着しているようです。しかし、このドラマでは全くそのような描かれ方がしていないばかりか、全く逆の描かれ方をしています。それは大体、以下のようなものです。 北洋海軍を指揮する李鴻章は日清戦争前から、日本の軍事力が清の軍事力を上回っていることに気付き、軍事費の増強を訴えます。しかし、西太后やその側近たちは、頤和園の建設に資金を回し、軍事には資金を回そうとしません。また、官僚の腐敗がますます、国家の財政を逼迫させていきます。李鴻章の訴えは届きません。このままでは日本と戦争した場合、勝てないと主張する李鴻章に対して、ある官僚は「武器の力が主ではなく、武器を持つ人間の人心こそが勝敗を決定するのだ」と言って、反論します。このくだりは、作者が意図したかはわかりませんが、後代の、「人民戦争論」を主張する毛沢東と、武器の近代化の重要性を主張する彭徳懐の論争を想起させるものがあり、非常に面白いものがあります。それはさておき、結局、李鴻章の軍備増強の主張は周囲の反対と妨害に遭い、実現しません。 そんな中、日清戦争が起こります。李鴻章の予想したとおり、軍事力で劣る清は、惨敗を喫します。清掃前は軍備増強に反対していた官僚たちは、敗戦の責任を北洋海軍の指導者・李鴻章に押し付け、敗戦という不利な状況の中での条約締結の任務も李鴻章に与えます。李鴻章は、賠償はしても、領土の割譲だけは絶対に許さない覚悟で交渉に臨みます。しかし、敗戦という厳然たる事実の前に、そのような譲歩が引き出せるわけもなく、李鴻章の必死の努力と抵抗にも関わらず、賠償と領土の割譲という、屈辱的な条約を結ばざるを得なくなります。その結果、「売国奴」の汚名を受け、失脚することになります。 このドラマからのメッセージは、「売国奴」と呼ばれてきた李鴻章こそが、実は本当の「愛国者」だったということです。このような見解は、これまでなかったわけではないようですし、自分から進んで歴史を学ぼうとする人の中には、李鴻章をこのように評価していた人もいるようですが、大多数の中国人の常識からすると、これは180度違った李鴻章だったようです。このような新しい歴史観、新しい人物像が、中央電視台という国営テレビのドラマの中で登場してきたのは、中国の一つの変化の現われだと思います。 その他にも、「反動的」な人物の典型として見られてきた袁世凱についても、非常に多様に描かれています。その時々の状況を見ながら、誰につけば自分に有利か、誰を追い落とせば自分に有利かを瞬時に判断し、清の朝廷の中の権力闘争の中で生き残っていく巧みさや、自らの野心を実現するためには手段を選ばない冷酷さも鮮やかに描かれていますが、同時に、科挙の廃止などを進めた進歩的側面や、西洋列強との交渉にも物怖じしない図太さ、守旧派の官僚との論争に負けない有能さといった面も存分に描かれています。 この点については西太后も同様で、李鴻章が必死に軍備の増強を主張していた時に、頤和園の建設を始め、豪奢な生活にうつつを抜かしていた面、義和団事件の際に、全く勝ち目がないにもかかわらず、列強八カ国に無謀にも宣戦し、反対した官僚を殺害までしたにも関わらず、八カ国連合軍の北京攻略が始まり、放浪生活を強いられると、とたんに宣戦したことを後悔し始め、戦争に完敗し、列強から西太后処刑の要求が出されると、その条項だけは除かせるように必死に部下に要求するなど、その醜さも描かれていますが、同時に、彼女の政治家としての一種のカリスマ性や指導力、自分の権力の維持ということを前提にしながら、清の改革を彼女なりに追究していた面なども描かれています。 このように、このドラマでは、これまで単純に「黒」、「悪」として描かれていた人物の正の面や、その複雑性が描かれており、そのイメージが多くの中国人の中にあるイメージと大きく異なっていたことが論争の大きな原因になったようです。もう一つの原因は、歴史学者からの批判で、ドラマに描かれた内容の一部が史実と異なるというものです。例えば、ドラマでは若き日の孫文が李鴻章を訪ね、革命の必要性を説くという場面がありますが、実際には孫文と李鴻章が会ったという事実はなかったそうです。 こうした批判にさらされた中央電視台は、何と袁世凱の進歩的面を描いていると思われる演説の部分をカットするなど、後半部の内容の一部を変更するという措置を取りました。 私が思うに、このドラマの価値はまさに、こうした人物の描写の多面性・複雑性にあると思います。ご存知のように中国ではマルクス主義が現在でも公式イデオロギーとなっており、その中には階級闘争史観があります。ケ小平が改革開放政策を開始して以来、政治の場でこの「階級闘争」はほとんど語られることはなくなりました。しかし、歴史観の中にはまだまだ色濃くその影が残っています。その影というのは、歴史の中にはいつでも「進歩的な勢力」と「反動的な勢力」、「愛国者」と「売国奴」、もっと言えば「善玉」と「悪玉」が存在しており、それがはっきりと色分けできるという考え方です。このドラマの中で描かれている李鴻章、西太后、袁世凱らは、こうした歴史観の中で、「悪玉」に明確に分類されてきた人物でした。 こうした「善玉悪玉歴史観」に対して、このドラマは新しい歴史観をアンチテーゼとして提示したのです。このドラマを制作した人たちの中には、きっと、このような意図があったと思います。ですから、中央電視台が批判に屈して簡単に内容を変更してしまったのは非常に残念であると同時に、恥ずべきことであると思います。 また、歴史家たちがドラマの内容と史実との違いを取り上げて批判するのは構いませんが、その前に、こうした新しい歴史観に対して、どのような態度を取るのかをまず、はっきりさせるべきだと思います。そうでなければ、細かい面に捉われて、このドラマの本当の意義を見失うことになると思います。 さて、このドラマでは、登場人物の描かれ方以外に、もう一つ注目すべき面がありました。それは、日本という国の描き方です。 日清戦争が、その数十年後に日本が中国に対して行なった侵略戦争と同じ性質の戦争と言えるのか、これはまた、多くの議論があると思いますが、少なくとも、かなり多くの中国人の中では日清戦争も日本が中国に対して行なった侵略戦争と考えられていると思います。ですから、ドラマや映画で日清戦争が描かれれば、「賠償金と領土を奪った憎き日本」ということが主に描かれがちです。 しかし、このドラマでの描かれ方はだいぶ違っています。このドラマでは、日本を批判するというスタンスが主にはなっておらず、主な焦点は、「一体なぜ、清は日本に敗れたのか?その違いはどこにあったのか?」という点になっています。先ほども述べたように、日清戦争前の清の政府は腐敗堕落しきっていました。西太后は贅沢三昧の生活を送り、官僚は汚職に走り、軍備に回す資金などありませんでした。ところが、その時の日本はどうだったか?ドラマでは一つの象徴的な場面で、この違いを描いています。 当時の首相・伊藤博文らが明治天皇に対して、「清との戦争を準備するためには多額の資金が必要です。しかし、それを税金で賄うと国民に多大な負担を強いることになります」と言ったときに、明治天皇は「これから清に勝つまでは朕の食事は1日1食とする。まず、朕から国民に対して範を示すのだ」と言います。また、皇室向けの費用も削って、軍事費に回しますことを指示します。これに呼応して、国民の中でも、軍事費を寄付するなどの動きが盛り上がっていきます。一方、清の国民の方は、戦争をまるで人ごとのように捉えている姿がドラマでは描かれています。つまり、このドラマでは皇后を始め、奢侈にふけり、腐敗堕落し、国民の支持を得られない清と、天皇から先頭切って節食に励んで国家を支えようとし、国民の支持を得ていく日本とのコントラストを描き出すことで、清の敗北の原因を明らかにしようとしているのです。 いま、このような日本についての描写がどれだけ史実に忠実なのか、また、こうして日本が歩んだ道とその後の歴史がどのような関係にあるのかということについては、ここでは論じません。私が注目したいのは次のことです。 これまでの中国の映画やドラマでは、日本との戦争のことになると、その非道さと残酷さを描くということに中心が置かれていました。中国側の問題点や弱点、「中国はなぜ敗れたのか?」という観点からの描写は非常に少なかったと言っていいでしょう。実は、私の友人の中でも、このような問題意識をもっている人もいました。「中国が弱いからこそ、侵略されたのだ」という考えです。しかし、このような問題の建て方をすると、往々にして、まるで日本を免罪、ひいては日本を賛美しているというような、短絡的な批判をされるため、そのような考えがあっても、なかなか口に出せないというのが実情だったようです。 しかし、このドラマはあえて、そのタブーに踏み込んだと言っていいでしょう。このことの意義も大きいと思います(なお、不思議なことに、新聞などで報じられている範囲で見ると、登場人物の描き方をめぐる批判や論争については報じられていますが、日本についての描き方については論争があったという話はありません)。 以前の日記の中で、人民日報の評論員・馬立誠氏の「我々は欠点を覆い隠したりする必要はない。あえて自身の弱点を正視してこそ、誇りある民族と言えるのだ」という言葉を引用しました。また、在日中国人の歴史学者・劉傑氏は「中国は、自己反省を重ね、自らの弊害を克服していくことが求められている。今までの中国は、外来の要因を強調しすぎたため、自身の変革が遅れたことは明白である。中国人はまず『自分に勝つ』ことを覚えなければならない」と述べています(『中国人の歴史観』)。 私は、こうした中国人の言葉を捉えて、鬼の首でも取ったかのように中国人を批判し、日本人としての「自己反省」を忘れるような日本人には賛成できませんが、しかし、彼らの観点はこれまでの中国の歴史観やイデオロギーの問題点の核心をついていると思います。このような、かつては圧倒的に少数派、さらに言えば、こんなことを言えば「漢奸」と罵倒されかねなかった考え方が、徐々に広がってきていると言えるのかもしれません。 このドラマは、袁世凱の帝政が崩壊して後、孫文がさらに「共和」に向かっての新たな闘いを進めていく、というところで終わっています。そして、最後にその後の歴史経過がテロップで流れます。 「1925年、孫文は『革命いまだならず』の言葉を残して、この世を去った」 「残された共和実現の任務は、中国共産党に引き継がれ、1949年の中国革命によって、ついに、その任務が実現されたのである」 素晴らしい、このドラマの最後に、このテロップを見て、思わず苦笑いしてしまいました。いや、このドラマの製作者ですら、このテロップを作りながら、苦笑いしていたかもしれません。中国では、孫文の奮闘も空しく、彼の死去から60年近くがたった今でも「共和」が実現していないことは周知の通りです。そうであるにも関わらず、このようなテロップを最後に流さなければならないところが、このドラマの限界でしょうか。しかも、皮肉なことに、昨日のニュースによれば、このドラマは再放送をすることすら、政府によって禁止されてしまいました(6月4日『香港商報』ネット版)。こうなると、共産党自ら『共和』など今の中国にはないことを告白しているようなものです。孫文は『革命いまだならず』と泣いていることでしょう。 いずれにしても、ドラマ『共和に向かって』は私にとっては非常に新鮮な中国近代史を提供してくれました。このドラマは優れた中国近代史の教科書にもなっていると思います。中国語のわかる方は、ぜひ機会があれば、ご覧になってください。 以前報告した、馬立誠氏の論文、そして、『共和に向かって』と、中国のイデオロギーの変化というものが見えてきています。しかし、気になるのは、人民日報の評論員、中央電視台と、このような変化が「上」の方から出てきているのに対し、政府だけでなく、市民、「下」の方からそれに対する強い抵抗が現われていることです。中国のイデオロギーが全体として変わっていくまでには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。 2003.6.5 第38回 コネ社会のネットワークの中で 数ヶ月前から、会社で購買の仕事を引き継ぐことになりました。購買の仕事の幅は広く、機械の部品や治工具など、生産に直接関係するものから、文房具や掃除のおばさんたちが使うほうきやモップといったものまで、全て購買担当者の責任で購入します。時には、ほんの小さな機械部品1個のために、何時間も走り回らなければならないこともあります。
そんな購買の仕事を始めてから、中国社会のさまざまな面が見えるようになりました。 「○○さん、こんにちは。××文房具店です」 「なんで私の名前を知ってるんですか?」 「あら、○○さん、中国語がお上手ですね。あなた名前はとても有名ですよ」 購買の仕事を始めてから、こんな見え透いたお世辞を交えた電話が毎日のようにかかってくるようになりました。なぜ、こんなにも多くの店が私の名前を知っているのか?もちろん、私が有名だからではありません。答えはただ一つ、会社の職員たちが私が購買担当になったという情報を真っ先に友達に伝えたのです。 会社の中からも、私にアプローチする人が出てきました。 「私の友人が○○機の会社をやっているんですけど、買ってもらえませんか?」 「私の同郷の人が××油を売ってるんですが、今、買っているものより安く買えますよ。どうですか?」等等。 「それの何が問題なのだ。そんなことは、別に日本でもよくあることではないか。彼らが紹介したものが安くて品質の良いものであれば、いいではないか」 そう思われる方もいるかもしれません。 しかし、ことはそう簡単ではありません。中国では友達のことを「朋友」、同郷の人のことを「老郷」と言いますが、実際のところ、友達=朋友ではなく、同郷=老郷ではありません。中国では、「朋友」「老郷」との関係は、日本では想像がつかない、極めて濃厚な関係と言っていいと思います。一種、一族のような関係で、中国人は「朋友」「老郷」のためなら、骨身を惜しまず尽くすといったところがあります。それ自体は一つの文化であり、何の問題もありません。しかし、それが会社という一つの公の場に持ち込まれたとき、問題に発展する可能性があるのです。 実際、ある職員は、数社の業者のうち、自分の「老郷」の業者に有利になるように、他社の価格の情報を漏らしたりしていました。また、そのような便宜を計らうことで、業者から様々な利益を得ていたようです。また、ある職員は受け入れ検査の際、自分の「老郷」の競合業者については不良報告を頻繁に出し、購買科が「老郷」のものを買うように露骨に誘導しようとしています。ある人は、生産科の職員が自分の「朋友」の業者から入荷しているもの消化を意図的に早めていると言います。以前はもっとひどいことが行なわれており、「老郷」が業者から入荷したものを再びこっそり業者に返し、また入荷するということまで行っていたと言います。 こうした話というのは、かなり高い確度で証明されていることと、なかなか証拠がつかめないこととがあり、全てが本当とは断定できません。しかし、少なくとも言えることは、中国では自分の「朋友」「老郷」の利益、ひいては自分の利益を得るために、会社の利益を損なう行為が数多くあるということです。 中国でもう一つ問題になりやすいのが、以前にも述べたこともある「リベート」文化です。中国では購買担当者が業者からリベートをもらうのは当たり前と考えられています。私が購買の仕事を始めてからしばらくして、ある業者が営業に来ました。私は、しばらく考えさせてほしい、と言い、彼を帰しました。その次の日、彼からショートメッセージが届きました。 「○○さん、あなたの口座番号と希望金額を言ってください」 その、あまりの露骨さには開いた口が塞がりませんでした。しかし、同時に、それが中国ではいかに普遍的に行なわれていることなのかということを改めて実感しました。 私はこれまで、この問題について数多くの中国人と討論しました。私はいつも主張します。 「リベートをもらったら、公平な基準で業者を選べなくなるし、値下げ交渉もできなくなる。それは会社の利益を損なう行為であって、やってはならない行為だ」 しかし、多くの中国人は私の言うことが全く理解できないという顔をします。ある友人は言いました。 「でも、それは会社だってわかっていて、見て見ぬふりをしているんだよ。その方が、会社だってリベート分の給料を節約できるじゃないか」 もし、そのように考えている会社があるとしたら、愚かというほかはありません。実際、私が購買の仕事を引き継いでから、今まで本来の価格の何倍もの価格でものを買っていたことがわかりました。これが何を意味するのか、もちろん推測の域を出ません。しかし、普通に考えて、リベート文化を野放しにしている会社は、リベートそのものによって節約できる給与の何倍、ひいては何十倍もの損失があると考えていいでしょう。 先日、こんなこともありました。ある時、検査科から「ペンチが切れないと生産ラインから苦情が出ている」という話が来ました。私が買ったのは、これまで使っていた物と同じもので、以前は苦情が出たことがありませんでした。その時、私が思ったのは、ニセ物をつかまされたのでは、ということでした。 ご存知の通り、中国はニセ物がそこら中に溢れている国なので、いつニセ物が入ってきてもおかしくありません。そこで、すぐに業者を呼び、事情を説明した上で、返品を求めました。しかし、業者は「これは間違いなく本物だ。もう一度、現場に確認してほしい」と強く反論してきました。そこで、今度は生産科の人を呼び、もう一度状況を確認しました。すると、「そんな問題は出ていないはずだ。返品する必要はない」と言います。後で彼はこう言いました 。 「あれは本当にペンチに問題があるわけじゃないんですよ。前の業者はワーカーたちにご馳走したりしていたんですけど、新しい業者はそういうことはしていないんで、反発して、業者の物に難癖をつけているんですよ」 なるほど、そんなこともあったのかと、驚いたものです。しかし、彼の言うことも丸々信用するわけにはいきません。中国のようなコネのネットワークの社会にいると、いったい誰が本当に会社の立場に立って物を言っているのか、わからなくなってきます。 中国ではコネのことを「関係」と言います。日本語で言う「関係」とは違う意味を持っています。「朋友」「老郷」という「関係」、リベートの授受を通して作られた「関係」、この「関係」が、透明で公正なビジネスを蝕んでいると思います。これは、市場経済の発展にも悪い影響を及ぼすでしょう。かつて、欧米諸国は日本のことを不透明で不公正だとよく批判したものです。これは、アジアにある程度、共通している文化なのかも知れません。しかし、日本人の私の目から見ても、中国のそれは際立っているように思います。 改革開放以前の中国では「人民に奉仕する」精神が高尚なものとされ、「公」「国家」を「私」の上に置くことが求められました。しかし、改革開放が始まり、「公」が剥ぎ取られた後、残ったのはむき出しの「私」になってしまったのではないでしょうか。少なくとも、今の会社を見ていると、会社と「朋友」あるいは「老郷」の利益がぶつかったときに、どちらをとるかと言ったときに、会社をとるという人は少ないように思います。 かつて、日本人はよく「会社人間」「エコノミックアニマル」などと揶揄されたものです。確かに、過労死するまで働く当時の(今もいると思いますが)日本人は異常と言えるかもしれません。しかしながら、今の中国を見ていると、「少なくとも会社で給与を得て働いている以上、会社に対して責任を負って仕事をしなければならない」という精神においては、日本人は優れた面があることも否定できないと思います。 人が仕事をするのは、最終的には自分のためだといえますが、しかし、それは会社の利益を上げることに貢献するという行為を通じて実現するものだ思います。残念ながら、このような考えは、今の多くの中国人の中には少ないように思います。 ただし、私はこうした中国人の考え方は民族性に由来するものとは考えません。中国は歴史の中で、大きなブレを経験してきました。計画経済の時代は滅私奉公が強調され、それが今度は改革開放政策によって、全く変わってしまいました。これは単なく経済体制の変化ではなく、道徳観念の大きな変化でもあったと思います。 そんな中で、市場経済に見合った道徳観念−それは一つであるとは限りませんが−がまだ形成されていない、その過渡期にあるというのが現在の中国なのだと思います。考えて見れば、日本も市場経済を導入して、130年以上がたっているわけですが、それでも不透明、不公正と批判されているわけです。それならば、市場経済を導入して、わずか20数年の中国が、すぐに市場経済に適応した道徳観念を築くのは極めて困難なことだと言えます。ですから、もう少し時間が必要なのかもしれません。 コネ社会の中では、いったん友達になると、なぜここまでしてくれるのだろうか、というような、日本では考えられないような温かいもてなしを受けることがあります。しかし、その悪い面には染まらないようにしながら、今後も中国で仕事を続けていきたいと思います。 2003.7.21 第39回 中国最大のタブー、台湾問題
ここしばらくの間、仕事に追われ、日記を書かない間に、あっという間に3ヶ月近くが過ぎてしまいました。読者の方からも催促のメールをいただきました。申し訳ありませんでした。今後も仕事の関係で、間が空くことが多々あると思いますが、この日記はどのような形であっても書き続けていくつもりですので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は長いあいだ取り上げたいと思いながら、なかなか書けなかった問題、台湾問題について書きたいと思います。 8月の末、エミリー・ラウという香港立法会の女性議員が台湾で「台湾人の前途は台湾人が自ら決めるべきである」と発言しました。中国の一部のメディアはこの問題を大きく取り上げ、ラウ氏が「台湾独立を吹聴した」と断定し、激しく攻撃しました。そして、ついには「中国の領土の統一を維持する」という内容を含んだ基本法を擁護するという宣誓に反した(香港の立法会の議員は就任の際、基本法を守る趣旨の宣誓をする)として、「虚偽の宣誓をした罪」で警察が調査する騒ぎに発展しました。 いろいろなメディアでラウ氏の発言を見ましたが、「台湾独立を支持する」と発言しているものは一つもありませんでした。ただ、「台湾人が自らの将来を決めるべき」と言っているだけです。しかも、ラウ氏は大陸に比べたら相対的には自由な発言が可能な香港の議員です。にもかかわらず、「台湾独立派」と決め付けられ、メディアの集中砲火を浴び、ついには警察沙汰にまでなってしまったのを見たとき、正直なところ、恐ろしいなあ、と思ったものです。 もし、中国人との共通認識を得るのが最も難しい問題を一つ挙げろと言われたら、私は台湾問題を挙げます。私はこれまで多くの中国人と台湾問題について討論しましたが、この問題ほど、日本人と中国人の観念の違いというものを強く感じさせる問題はありません。 「台湾は大陸と統一するべきか、それとも独立するべきか」。「台湾問題」と呼ばれる問題の核心を一言で言えば、こういうことになるでしょう。中国ではほとんど99.9%の人が「台湾は大陸と統一すべき」と考えているように思います。共産党の一党独裁を批判したり、江沢民や胡錦涛を批判することはメディア上ではほぼ不可能ですが、日常生活の中ではごく普通に行われています。しかし、「台湾統一」に異を唱えることは民間でもかなり困難といっていいでしょう。これに反対することは中国ではほとんどタブーと言ってもいいと思います。 この問題について、日本人である私が「統一すべき」または「独立すべき」などという権利はないでしょう。しかし、私が少なくとも思うのは、ラウ氏と同様、「台湾のことは台湾の人たちが決めるべきだ」ということです。つまり、多数の人が統一したいと思うなら統一する、独立したいと思うなら独立する、ということです。「民主主義」という考えに慣れ親しんだ日本人にとって、この考えはごく普通のものだと思います。 ところが、中国でこのようなことを口にしたら、どこに行っても賛同を得られないだけでなく、激しい批判の対象になります。 かつて、こんなことがありました。私が武漢に留学した最初の年、留学生を対象にした「中国文化」という授業に参加していました。授業の始まる前、台湾の話になり、私は先のような考えを先生に言いました。すると、先生は急に興奮しはじめました。 「君、それは間違っている。台湾は中国のものだ。なぜ、そう言えるのか、これから説明しよう」 そう言うと、中国文化の講義はそっちのけで、台湾問題についての「講義」を始めました。普通、授業は約2時間で、間に10分休憩が入るのですが、先生は、休憩を取る様子も全くなく、まるまる2時間熱弁を振るい続け、とうとう台湾問題だけで、授業が終わってしまいました。この時は、中国人の台湾問題に対する執着ぶりに本当に驚いたものです。 しかし、先生の言う「台湾は中国の一部だ」という論理は「もし台湾が独立したら、アメリカの台湾に対する影響力が増し、中国にとって脅威になる」「中国はこんなに台湾に譲歩している」といった、「大陸側からの論理」を並べるばかりで、当の台湾の人たちがどう考えているか、という論理は全く見られませんでした。また、「日本だって北方領土は自国の領土だと言って譲らないだろう。それと同じことだ」と言いました。私は、北方領土の問題は2国間のどちらに属するかという問題であり、独立か統一かという問題とは性質が違うと言った上で、沖縄のことを取り上げました。 「沖縄でも独立を主張する人がいますが、もし沖縄の半数以上の人が独立に賛成するなら、当然、独立を認めるべきだと思います」 私がこう言った時の先生の驚愕とも困惑ともつかぬ表情を忘れられません。先生には私のこのような観念が全く理解できなかったのです。もちろん、日本人でも沖縄の過半数の人が賛成しようが、独立には反対だという人もたくさんいるでしょうし、日本政府も簡単に独立を認めるとは思えません。しかし、少なくとも中国人のような「統一」への極度な執着は日本人にはないと思います。 また、こんなこともありました。近くの大学で、毎週「漢語角」というのを開いていました。これは、「イングリッシュ・コーナー」の中国語版で、中国人学生と留学生が中国語で交流する場でした。私も一度それに参加したことがあります。その時は、留学生の参加が少なかったらしく、私が日本人だと知るや、多くの中国人学生たちが何重にも私を取り囲み、次々と質問を浴びせ始めました。そんな中で、ふと台湾のことも話題に上りました。ある女子学生が言いました。 「台湾の人たちのほとんどは統一を望んでいるのに、李登輝らの一部の人間が妨害しているのよ」 私は、これは明らかに現状と違うことを言っていると思ったので、それに反論しました。すると、彼女はやや語気を強めて、反論してきました。同時に、私を取り囲んでいた中国人学生たちの雰囲気が急に殺気立ってきたのを感じました。私は身の危険を感じ、慌てて彼女の主張を受け入れるようなことを適当に言い、話題を変えました。 中国人たちが台湾を中国の一部分と主張するのには、いろいろな理由があります。明の時代から中国の領土だった、日本がポツダム宣言を受託した時に、台湾の中国への返還を約束している、国際社会のほとんどの国が、台湾を中国の一部分と認めている、といったものです。 こうした国際法や歴史的経緯からすると、確かに台湾は中国の一部だと言えるのかもしれません。しかし、私が中国人たちの意見に違和感を感じるのは、彼らの多くに、台湾の人たちは一体なにを望んでいるのか、もし統一を望まない人がいるなら、それはなぜなのか、ということを真剣に考えている人があまりいないということです。その前に、中国人の多くは、台湾の歴史や現状をほとんど知らない、あるいは知らされていないという現状があります。 中国人のほとんどは、「本省人」「外省人」という言葉すら知りません。本省人というのは、明の時代に台湾に渡り、ずっと台湾に住みついている人たち、外省人というのは、共産党との戦いに敗れた国民党とともに1949年に台湾に渡った人たちです(このほかに、もっと以前から台湾に住んでいる少数民族もいます)。国民党の統治が始まってからは、本省人は様々な面で差別されつづけ、それに対する反抗は、徹底的に弾圧されました。 1947年の2.28事件では2万人前後の犠牲者が出たと推計されています(92年の台湾政府の調査による)。このような、本省人と外省人の対立、いわゆる「省籍矛盾」は今でも存在しています。統一派には外省人が多く、独立派には本省人が多いのは、このためです。人口の比率では、本省人の方が圧倒的に多いため、世論調査をして、統一を望むという人の比率は、低くなっています(2002年11月の行政院研究発展考核委員会の世論調査によると、台湾独立 32.3%、両岸統一 21.8% 、現状維持 19.7%となっています )。したがって、もし台湾をどうしても統一したいというなら、まず台湾のこうした現状をつかみ、どうしたら台湾の人たちが統一を望むようになるのか、ということを考えなければならないはずです。 しかし、残念ながら、大陸の人たちの中にはこのような思考方法はほとんど見られません。あるのは、まず、先にも述べたような「台湾の大多数の人たちは統一を望んでいるのに、一部の人たちが妨害している」という根拠のない思い込みです。 「アメリカや日本が軍事上、台湾の独立を望んで策動しているために、台湾が統一されない」と外部に原因を求める人もいます。アメリカや日本にこのような考えを持っている人がいないとは言えないにしても、少なくとも政府レベルにおいてはアメリカも日本も「一つの中国」の原則を認めているわけで、このような「外因論」は全く成り立たないのですが、こうした根拠のない論理が多くの人たちに信じられています。 統計的に見て、統一を望んでいる人が多数派ではないのを知っている人たちもいます。しかし、その人たちも「これは台湾のメディアが民衆を『誤導』(誤った道に導くこと)しているのだ」と言います。民主化された台湾のメディアは少なくとも大陸よりは自由であること、また、あえて言うなら、台湾のメディアにおいては国民党系の力のほうが強いことなどを考えれば、このような主張も全く的外れですが、現実にはこのような論理がまかり通っています。 そして、もう一つあるのは次のような考え方です。 「台湾は中国の一部だ。したがって、台湾の統一・独立については台湾の人たちの投票によってではなく、全中国人の投票によって決められるべきだ」 これは、台湾で統一を支持するひつが少ない現実に対応した新たな論理と言えるでしょう。しかし、これは「一つの中国」をすでに前提にした論理で、台湾の人たちからして見れば、すでに独自の政府も持っている一つの「国」の運命を、全く別の政治体制を持っている「国」の人たちによって決められるべきだなどという主張が受け入れ難いでしょう。 いずれにしても、ほとんどの中国人は台湾が統一されない理由を一部の「台湾独立派」、アメリカや日本などの外国の「策動」に求め、決して大陸自らに原因を求めようとしません。また、台湾を大陸と対等な対象と見ず、まるで子供か何かのように見る考え方があるように思います。このような考え方がある限り、台湾の人たちが進んで統一に向かうことはないのではないでしょうか。 さて、それでは中国には台湾問題に対する異論は存在しないのでしょうか?私が最初に「台湾独立容認論」に触れたのは、ある理系の大学の先生に会った時でした。その先生は言いました。 「台湾もチベットも独立したければすればいいんですよ。独立した結果、統一したほうが有利だとわかれば、こちらが何も言わなくても向こうから頭を下げてきますよ。唐の時代もそうだったでしょう。こんなことを私が言ったと決してほかの人に言ってはいけませんよ。大変なことになりますから」 この先生の考え方は、本当の意味での台湾独立支持ではなく、やはり戦略的な統一論と言えます。 台湾問題について、以前この日記でも書いたA先生に訊いたことがあります。A先生ならきっと、他の中国人とは違う考えが聞けると思ったのです。 「先生、私は台湾のことは台湾の人たちが決めるべきだと思うのですが、先生はどう思いますか?」 私がこう訊くと、A先生の顔が苦渋に満ちた表情に変わりました。そして、言いました。 「その問題に答えることはとても難しい」 「先生、もし答えにくかったら無理に答えなくてもいいですよ。すみません、こんな問題を訊いてしまって」 「いや、いいんだよ。ただ、一つだけ言えば、解放当時の中国ではレーニンの唱えた『民族自決権』ということが盛んに強調されたが、その後の中国では『民族自決権』ということがほとんど言われなくなった」 これがA先生のギリギリの回答でした。私はこれを聞いて、A先生が圧倒的大多数の中国人とは違う考え方を持っていることが知りました。しかし、授業で天安門事件の時の学生運動を絶賛するなど、タブーを恐れず発言してきたA先生ですら、このような形でしか台湾問題を語れないのを見たとき、中国でこの問題について統一に異を唱えることがいかに困難で、プレッシャーの大きいことなのかを思い知らされました。 それでは、当の台湾の人たちはどう考えているのでしょうか?私が武漢に留学していた当時、台湾の留学生が数人いました。彼らは皆、独立も統一も望んではいませんでした。ただ、「現状維持」を望んでいました。これは、多くの台湾人の考えを代表していると言えるのでしょう。 一人の台湾人留学生がこんなことを言ったことがあります。 「中国が日本に侵略されたのは、中国があまりにも遅れていて、愚かで、腐敗していたからだよ。これは日本の責任じゃなくて、中国の問題だよ」 私はこれを聞いて、びっくりしました。こんなことを大陸の人が言ったら袋叩きに合うでしょう。しかも彼はこれを卑下した感じではなく、実に爽やかな様子で言い放ちました。まるで他の国のことにようです。そうです。彼にとっては「中国」は自分の国ではないのです。彼の話を聞いて、大陸と台湾の間には、いかに大きな溝があるのかを思い知らせれました。そして、多くの大陸の人たちは全くといっていいほどこの溝の大きさを理解していないように思いました。 留学時代、ある中国人の友人が言いました。 「台湾は中国の一部という考え方は、僕らにとっては理屈じゃない。骨の髄まで染み込んだ考え方なんだ」 一体、なぜ中国人がここまで台湾に執着するのか。一つには、かつて日本を含む列強に侵略され、台湾を含む領土を切りきざまれた歴史があるように思います。中国人と話していると、チベットや新疆が独立して領土が縮小し、国家が弱体化することへの恐怖とも言える感情を感じることがあります。そのトラウマとも言えるものは侵略された民族のみが理解できるものなのかもしれません。そして、そのトラウマを知るもののみが台湾への執着を理解できるのかもしれません。 しかし、それなら、なおのこと、大陸の人たちには台湾の人たちの心にもっと思いを寄せてほしいと思います。大陸の人たちと台湾の人たちがいかに違うのかを理解してほしいと思います。本当に統一を望むのなら、それが第一歩であると思います。 2003.10.7 第40回 中国メディアは反日を煽ったか?
このところ、チチハルの毒ガス事件、珠海「集団売春」事件、西北大学事件など、日中関係に影を落とす事件が立て続けに起こり、対日感情も一部で悪化しています。西北大学事件が起こった当初、ある読者の方から「西北大学事件の詳しい状況と見解を発表してください」というメールをいただきました。 西北大学事件とは、ご存知の方も多いと思いますが、西安にある西北大学に留学していた日本人留学生3人と日本語教師1人が『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げながら、胸に赤いブラジャー、下腹部に紙コップを付けて踊り、ブラジャーの中から取り出した紙くずを観客席に向かってまくという、極めて「下品な」寸劇を行ったために(この情報が正確かは後に論じます)、中国人学生らを激怒させ、大規模な抗議デモにまで発展し、ついには西安にある日本料理店が包囲されたり、寸劇と関係のない日本人留学生が、留学生寮に侵入した中国人学生に殴れらるなどの過激な行動を引き起こすに至った事件です。 当時、日中双方でこの事件についての報道はあり、私はそれらの記事を一部見ていましたが、最初の感想は「何ていうことをしてくれるんだ!」というものでした。日本人というのは中国ではある意味で特殊な存在です。多くの中国人の心の底では日本人という存在が「歴史、戦争」と強く結び付けられています。それは、日常生活やビジネスの中では心の奥底にしまわれ、なかなか表に表れることはありませんが、一度それに火をつける出来事があれば、たちまち燃え上がります。そして、そんな出来事が起これば、われわれ中国に生活している日本人は肩身の狭い思いをしなければなりません。チチハルや珠海の事件が起こった後、私はいくらかの緊張感を感じざるを得ませんでした。そんな中で、西北大学の事件が起こったので、正直なところ、「またか」「いい加減にしてくれ」という気持ちだったのです。 しかしながら、その一方で、この出来事は本当に事実なのだろうかという疑問もありました。 そんなわけで、私はメールを送っていただいた読者の方に次のように返信しました。 「個人的には、中国の方たちには、抗議するにしても、事実をまず、しっかり確認してからにしてほしいと思うと同時に、日本に方たちには、ただでさえ日中関係がうまくいっていない中で、反日感情を煽るような行為は謹んでもらいたいと強く思います。迷惑するのはわれわれ中国にいる日本人だからです」 それに対する読者の方の反応は、ちょっとがっかりしたという感じでした。恐らく、この方はこの事件の事実関係を疑うと同時に、中国人側の過激な反応に疑問を持っており、それに対する批判を期待していらっしゃったのかも知れません。 そんなこともあり、その後、西北大学事件に関する報道やネット上の書き込みなどに注目するようになりました。特に、中国人を激怒させた「『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」という点が本当に事実なのかどうかに注目しました。なぜなら、単に「下品な寸劇をした」というだけなら、これほどの中国人の激怒を巻き起こすとは考えられなかったからです。そんな中、「『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」というのはデマだったする報道が日本のマスコミでいくつかされました。 「Tシャツにハートマークを背中に描いた留学生を、「日本」「中国」と背中に書いた別の2人の留学生がはさむように立ち、3人で手をつないだ。ハートマークに結ばれた日本と中国を表現したかったのだ」 これは、毎日新聞(電子版、2003年11月2日)が留学生の言い分として報じたものです。 さらに、ポータルサイト「中国情報局」の掲示板には、西北大学の留学生を名乗る人から次のような証言がされています。 「まず「これが中国人だ!!」なんて叫んでもないし、紙を掲げてもいません」 「(寸劇をした留学生らは)顔にダンボールで作ったロボットのような箱をかぶっていました」 「因みにロボットの顔にはたくさんの文字が書いてありました。「中国」と書いてもありました。多分それがいけなかったのでしょう」 一般に、匿名で掲示板にされるこのような書き込みがどの程度信用できるかということはありますが、書き込みの内容が極めて具体的で詳細であることから見ると、信憑性が高いと思われます。 これらの情報を総合すると、Tシャツや「ダンボールの顔」の上に書かれた「中国」という文字から、中国人が、「ほら、これが中国人だという」というメッセージを誤って読み取った可能性が極めて高いと言えます。 「『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」という報道が事実に反していたとすると、一体、誰がこんな情報を流したのか、ということになってきます。 日本のマスコミやネット上では、「中国政府・マスコミが反日感情を意図的に煽っている」という見解がよく見られます。今回の西北大学事件についても同様な見解が見られます。例えば、11月1日付の「産経新聞」(電子版)は西北大学の事件が過剰ともいえる反応を引き起こした原因を次のように分析しています。 「なお多くの点が不明な騒ぎだが、日本人を好色で下劣な民族と印象づける▽中国人の民族感情を刺激する▽問題を外交ルートに乗せる−という三点で、珠海の「日本人集団買春事件」と共通のパターンがうかがえる。タイミングも微妙。福岡での一家四人殺人事件の容疑者として中国人拘束が明らかになった直後に『買春事件』が、瀋陽(遼寧省)で日本人旅行者誘拐事件が発生した後に今回の反日デモ騒ぎが、なぜか起きている」 この論調に見られるのは、中国政府が意図的にこれらの問題を大きくし、反日感情を刺激しようとしていると同時に、自国の非を隠蔽しようとしているという考え方です。 それでは、中国大陸のマスコミは今回の西北大学事件において、西北大学事件における過剰な反応や過激な行動を煽る役割を果たしたのでしょうか。だいぶ回り道になりましたが、これが今回のテーマです。 西北大学事件を大陸で最初に報じたと思われる10月31日の新華社通信の記事では、留学生の行為を次のように報じていました。 「日本人教師1人と日本人留学生3人が、胸に赤いブラジャー、下腹部に紙コップを付けて踊り、ブラジャーの中から取り出した紙くずを観客席に向かってまくという、極めて下品な寸劇を行った」 こう報じた上で、これに対する中国人学生の抗議やデモが行われたことが報じられています。 しかし、中国人学生らを激怒させたと見られる、最も肝心な点、そして、後で日本のマスコミでも報じられた、「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と書かれた札を掲げ」、中国人を侮辱したという点については、新華社は報じていません(この点は「産経新聞」の記事でも触れられています)。また、その後の報道でも、この4人がこの寸劇のために除籍処分になったことは報じましたが、その理由としは、あくまで「下品な寸劇のため」と報じるのみで、「中国人を侮辱したため」とは報じませんでした。 他のマスコミはどうでしょうか。深センで発行部数の多い「深セン特区報」「深セン商報」「南方都市報」は、いずれも西北大学事件を報じましたが、その内容は基本的に新華社通信が報じた内容をそのまま引用したものでした。また、扱いもそれほど大きくありませんでした。したがって、「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」ということについては、一切報じませんでした。 中国の政府やマスコミが本当に「中国人の民族感情を刺激しようとしている」のなら、なぜ民族感情を最も刺激するはずの、そして、実際、今回の事件でも中国人を最も激怒させた核心部分とも言える「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」という報道をしなかったのでしょうか? この点から見ると、大陸のマスコミが「反日感情」を煽っていたという評価は西北大学事件について見ると、妥当でない可能性が強いと言えます。むしろ、事実とは確認されていない情報について、大陸のメディアは極めて慎重な態度で報道したと言えるでしょう。 事実、日本とは反対に、私の周辺では、この事件の存在すら知らない中国人も数多く存在します。このことが、大陸でのこの事件の扱いがいかに小さかったかを示しています。 それでは、寸劇をした留学生らが「ほら、これが中国人だ」と書かれた紙を掲げていたという日本のマスコミ報道のソースは何だったのでしょうか?それは、香港のマスコミでした。この情報を最初に報じたと思われるのは親中派の香港紙「文匯報」でした。そして、同じく香港のテレビ局、フェニックステレビなども、この情報を文匯報から引用して報じました。日本のマスコミの引用も、私が見た範囲では全て「文匯報」からです。 これが、後にネットなどを通じて、「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と叫んだ」などと誇張されて広がったようです。 「『ほら、これが中国人だ』」と書かれた紙を掲げていた」というのは、事実ではない、もしくは誤解であった可能性が極めて高いことは最初に述べましたが、そうだとすれば、反日感情を煽ったメディアは、政府に統制された大陸のメディアよりも、むしろ比較的自由な環境に置かれている香港のメディアだったことになります。このことは、報道の自由が必ずしも「客観的な報道」には結びつかないことを示しています。 それでは、西北大学事件と並んで大きな問題になった、珠海の「集団売春」事件についての報道はどうだったでしょうか。この事件も、発生当初は大きく報じられました。しかし、その後、深センの新聞ではほとんど報じられなくなりました。珠海事件が再び深センの新聞に登場したのは、中国側の容疑者の裁判が始まるときでした。売春をしたとされる日本企業については、報道は極めて抑制されていました。事実関係において不明な部分が多かったために、慎重な態度が採られたと思われます。日本企業の問題について詳しく報じたのは、私が見た範囲では北京・上海の一部の新聞のみです(もちろん、中国全国には無数の新聞かあるので、全般的な状況までは把握できませんが)。 珠海に駐在する日本人の方の話でも、事件後、日本人がいやがらせを受けるなどといったことは全くなかったと言います。これも報道が比較的な抑制されていたことの1つの結果と言えるでしょう。 驚いたのは、テレビでも珠海事件についての報道が明らかに「統制」されていたことです。深センでは、香港のテレビ局の番組を見ることができますが、有線テレビを通じて見た場合、台湾情勢やチベット情勢など、政治的に微妙な問題が報じられると、突然コマーシャルが挿入され、見られなくなってしまいます。ところが、今回、フェニックステレビが珠海事件を報じ、評論家のコメントを流そうとすると、台湾情勢と同様、突然コマーシャルが挿入されました。また、フェニックステレビのニュースでは画面の下部に常にテロップが流れていますが、川口外相の珠海事件についてのコメントが流れ始めると、そこだけが「黒塗り」にされました。これは逆の意味での報道統制ですが、このことは、中国政府が、反日感情を煽るどころか、むしろ、こうした事件が拡大し、日中関係が悪化することを恐れているあかしと言えるのではないでしょうか(もちろん、この報道を流さないという判断をしたのが、中央政府なのか、地方政府なのかといったことまで確認することは不可能ですが)。 中国では胡錦涛主席が率いる新指導部が誕生して以降、対日政策に変化が見られます。以前もこの日記で取り上げたことがありますが、元人民日報評論員の馬立誠氏は論文の中で、「侵略戦争について日本はすでに謝罪済み」といった大胆な見解を打ち出し、日中関係の戦略的重要性を説いて、大きな反響を呼びましたが、こうした従来では考えられなかった見解が堂々と述べられるようになったことが、メディアの姿勢にも変化を及ぼしていると言えるかもしれません。 中国のメディアが政府の統制下にあることは事実ですが、ゆえに反日感情の扇動という単純な図式が日本の一部の人の中にあるように思えます。今回のような事件が起こると、何の検証もなしに「反日メディアが原因」など断定する傾向がありますが、一連の事件に対する大陸マスコミの反応を見ると、これは中国の政治やメディアの変化を見落とした、的外れな見解と言わざるを得ません。 今回の一連の事件に対する過剰とも言える反応の原因も、メディアなどの外因に求めるのではなく、中国人自身の日本観の中に求めていく必要があると思います。それが合理的であるかに関わらず、それと真正面から向き合っていかない限り、中国政府やメディアの責任を押し付けても、日中間の溝は決して埋まることはないように思います。 さて、最後に、先ほどの「産経新聞」の記事に見られるような「中国政府やメディアは自国の非を隠蔽しようとしている」というような考え方に対して、それとは異なる中国メディアの報道を紹介しておきます。 10月8日付けの深センの日刊紙「南方都市報」は「中国人留学生犯罪が引き起こすイメージ危機」という大見出しの上に「GO HOME、ニュージーランドでは中国の学生が1人で道を歩いていると、現地の人がこう叫ぶのが耳に入る。同様な状況は日本やオーストラリアでも見られる」という小見出しをつけて、中国人留学生の犯罪を大きく取り上げています。その中では、福岡の一家殺人事件についても詳しく報じています。 もちろん、こうした記事の取り上げ方は、新聞によって異なっていますが、少なくとも、このような「自国の非」を明らさまにする報道が全て統制されているわけではないことを示しています。 国際化の進む中にあって、こうした問題は隠すべき問題ではなく、むしろ公にして解決しなければならない問題として中国でも意識され始めたと言えます。 「中国は一党独裁だからこうに違いない」「日本はかつて中国を侵略したからこうに違いない」」。こうした、検証なしの相互の偏見が今回起きた一連の事件を含め、日中関係を一層こじらせているように思います。「イメージではなく事実を出発点にすること」。このことが日中間の溝を埋める上での1つの鍵かもしれません。 いずれにしても、日本人が中国において、いつか「特殊な存在」でなくなる日が来ることを、中国に生きる日本人である私は強く願っています。 2003.12.9 第41回 現地採用者の未来 仕事を初めて一定の期間がたった私は、現在では本社採用という身分で仕事をしています。しかし、私が中国で仕事を始めた当初は、身分はいわゆる現地採用者でした。現地採用者と言うのは、本社を経由して採用され、中国に派遣された駐在員ではなく、現地法人に直接採用されたもの、と言う意味です。現地採用者は、以前もお伝えしたことがあると思いますが、駐在員と待遇が大きく異なっています。ボーナスは年1ヵ月のみ、社会保険はなし、当然、駐在員が得ている出張手当もありません。住居費や健康診断、帰国費用も駐在員が会社負担なのに対して、現地採用者は大体の場合、自己負担のことが多いようです。 待遇そのものでいうと、一般に深センなどの華南地域は比較的高くなっていますが、北京、大連、上海などの地域では悲しいほど低くなっています。初心者の場合、10,000元(約130,000円)程度が相場のようですが、聞くところでは、月4000元から5000元(約52,000円から65,000円)程度で働いている方もざらにいるようです。こうなると、ローカルスタッフ(中国人で管理職として働いている人)の給与とほとんど変わらないと言うことになります。これは、この地域での仕事を望む日本人が多いためと思われます。 現地採用者と言うのは、会社の中でも極めて微妙な位置に置かれることが多いようです。1人だけ身分が違うと言うことで、低く見られたりすることもあるようですし、電話一本で首切りを宣告されたと言う体験談を読んだこともあります。私のいる会社では、目だった差別のようなものはありませんでしたが、それでも、ボーナスの時期になると、ボーナスのない私の前で、「今年のボーナスは少ないよなあ」などと駐在員が不満を言うのを黙って聞かなくてはならないこともありました。 こうした待遇以外でも、駐在員と現地採用者の間には、様々や違いがあります。駐在員の方たちはローカルスタッフを指導するという立場・目的で中国に来ています。ですから、駐在員にとっては日本人以外の上司は存在せず、中国人は全て部下です。ですから、当然のことかもしれませんが、日本人=指導する人、中国人=指導される人という構図でものを見る習慣ができています。そして、その任務を終われば、やがては日本に帰っていきます。 しかし、会社にもよると思いますが、現地採用者は駐在員と違い、必ずしも人を指導するという立場で会社に入ってきていません。私が会社に入ったとき、総経理は「こちらが今後あなたの上司になります」と中国人の副総経理を紹介しました。私は会社で中国人の上司を持つ唯一の日本人です。中国人から学びながらやってきたわけです。また、「指導者」という立場で会社に入ってきていないこともあり、時には中国人のスタッフと激しいケンカになることもあります。このような日本人の存在は、かつては考えられなかったことだと思います。そうした意味では、現地採用者と言うのは、現地化が進みつつある日系企業を体現する存在、日本人=指導する人、中国人=指導される人という構図が崩れつつある時代を体現する存在とも言えるでしょう。そして、現地採用者は日本という帰る場所を持っていません。転職をするなら別ですが、そうでない限り、あくまで拠点は中国です。 中国に対する思い入れという面でも、駐在員と現地採用者では多くの違いが感じられることがあります。かつて、こんなことがありました。中国で就職活動をしていた頃、ある大企業に面接に行きました。3人の面接官がおり、どの方も長い期間中国に駐在してるようでしたが、中国に関するごく基本的なことを質問されました。そのとき、この方たちが中国のことについて、ほとんど理解していないことがわかりました。そのうちの総経理(法人代表)は中国に来て8年になるにもかかわらず、全く中国語ができないということでした。こうしたことを批判的にいうのは、筋が違っているかもしれません。なぜなら、これらの方たちは、進んで中国に来たわけでは決してなく、また、中国に来た目的も決して中国が好きだとか、中国を理解したいということではなく、あくまでビジネスが目的であるからです。また、駐在員の方たちは一般に極めて多忙で、ここの方たちも日曜日も休めないほど忙しいということでした。ですから、中国についての知識や中国語など勉強する暇がないというのが現実だと思います。 しかし、面接官の次の一言は、私を強く刺激しました。彼は、私の履歴書に中に、『日中ホンネで大討論!』(以前も書きましたが、翻訳を通じて、日中間で交流・討論するというサイトです)を主催しているという記述を発見したときに、顔をしかめて言いました。 「あなたは、就職してからも、このサイトの運営を続けるつもりなんですか?」 その表情からわかったのは、就職したら、即このサイトの運営をやめるよう、彼が要求しているということでした。仕事の支障になるというのです。彼にとっては、日中間の相互理解のための活動などというのは、全くビジネスと関係ないだけでなく、むしろ、ビジネスの邪魔でしかなかったのです。私はこの時、絶対にこのような会社には入るまいと心に決めたのです。 もちろん、このように中国に対する思い入れという点において、「駐在員」と「現地採用者」というような単純な分け方をすることには大いに異論があるでしょう。実際、私が今の会社に入ったのは、当時の総経理が、先ほどの会社とは全く反対に、私が『日中ホンネで大討論!』を主催していることを評価してくれたからでした。また、駐在員の方たちの中でも、中国に深い造詣を持っている方もたくさんいらっしゃることを私も知っています。 ただ、やはり進んで中国で仕事をすることを選んだ人と、会社から派遣されてきている人とでは、中国に対する思いに傾向として意識の違いが生じがちなのは否定できません。 このように、現地採用者というのは、その様々な悪条件にもかかわらず、中国への理解度や思い入れ、中国人とのコミュニケーション能力といった点において、駐在員の方たちにはない優れた点も持っていることも多いと言えます。そして、これらの点は、ビジネスの中でも大きな力を発揮するはずです。ですから、現地採用者の中で、駐在員との待遇の極めて大きな格差を不条理だと言う人がいるのは、当然かもしれません。 しかしながら、現実を見ると、各企業が現地採用者に駐在員と同様の待遇を与えていくという方向は、可能性としてはほとんどないと言えます。その逆に、むしろ現地採用者の待遇が悪化する方向に力が働いていると言えます。それは、ローカルスタッフとの競争です。 以前、ある企業のローカルスタッフのこんな声を読んだことがあります。 「日本人の現地採用者が日本人だというだけで給与が高いのはおかしい」 日本人現地採用者は駐在員の待遇を見て、待遇の低さを嘆きますが、ローカルスタッフと比較すれば、大概の場合、はるかに待遇がいいのです。ですから、ローカルスタッフも日本人現地採用者に同様な不満を抱いていることもあるのです。 給与というのはその人がどこの国の人か、生活費がどれくらいかによって決まるわけですありません。最終的にはマーケットが決定します。その人が企業にとって価値ある人物であれば、給与は自ずと高くなるでしょうし、なければ、給与は低くなっていくでしょう。ですから、先ほどのローカルスタッフの声にもあるように、日本人だから給与が高いということはあってはならないし、また、そのようなことはこれからなくなっていくでしょう。企業が日本人を雇うのは、日本人が中国人よりも、例えば、本社や日本の顧客とのコミュニケーション能力や仕事取り組む意識において、優位性を持っていると判断されているからだと思います。 それでは、日本人は中国人に対して、今でも優位性を持っているのでしょうか?確かに、かつては「仕事に対する熱心さが足りない」「仕事を覚えようとしない」とローカルのスタッフは言われていたようですし、今でも、以前もご紹介したように、一部の駐在員の中では「中国人は・・・」という声が絶えません。 しかし、私が見る分には、中国人の意識も市場経済の浸透の中で、大きく変わってきていると思います。少なくとも、私の周りにいるローカルスタッフを見る限り、仕事に対する取り組みという点で、日本人との大きな差を感じることはありません。また、言葉の面で言えば、高い日本語能力を持った人材は山と転がっていることは言うまでもありません。つまり、日本人はローカルスタッフに対する優位性を除々に失いつつあるのです。こうなると、ローカルスタッフの日本人現地採用者に対する不満も道理があるということになってきます。 多くの日系企業も、大きな方向としては、コストダウンのために、企業の現地化を進めようとしています。極力、日本人を減らして、ローカルスタッフで現地企業を運営していこうというわけです。日本人と中国人で能力がそれほど変わらないなら、当然、中国人を雇うということになります。もし、日本人をあえて雇うなら、日本人の給与を中国人に近いぐらいまで下げて雇おうということになるでしょう。実際、北京や上海などでは、先にも述べたように、日本人現地採用者の給与の相場はかなり低くなってきています。 つまり、中国では日本人がそれなりの待遇で力を発揮できる空間は、特別な技術でも持っていない限り、どんどん縮小しているのです。恐らく、コストの極めて高い駐在員の代わりとして、コストの相対的に安い日本人の現地採用者を雇用するという流れの中では、日本人に対する需要は出てくるでしょうし、実際そうした流れがあるからこそ、中国で現地採用者の斡旋会社などが繁栄しているわけですが、その先にあるのは、さらなるコストダウンのためのローカルスタッフへの置き換えでしょう。企業の現地化を進めるという、日系企業の大きな流れの中で、現地採用者や中国で仕事を続けることを望む日本人はどのように生き残っていくのか。果たして生き残っていく余地があるのか。長い目で見ると、これは大きな疑問です。 私が当初、悪条件にもかかわらず、あえて現地採用という道を選んだのは、もっと中国という国を知りたい、そのためには日本から派遣されるという形ではなく、あくまで中国をベースに仕事がしたいという気持ちからでした。ですから、今後ずっと中国で仕事をしていきたいと考えています。 本社採用となり、待遇も若干改善された私は、幸運と言えるのかもしれませんが、日本から派遣されてきた方たちのように、任務を終えて帰る場所があるわけではありません。私が力を発揮するべき場所は、企業にとっても、私自身にとっても、あくまで中国です。この点は今も同じです。そんな中で、私はいつも次のように自問せざる得ません。 「この仕事は本当に自分にしか、あるいは日本人にしかできない仕事なのか?これはローカルスタッフでもできる仕事なのではないか」 ローカルスタッフよりも多くの給与をもらっているからには、ローカルスタッフよりずっと高い能力を発揮し、その何倍もの価値を生み出す責任が日本人にはあります。それができない日本人は、中国から淘汰されるか、あるいはローカルスタッフと同じ給与に甘んじて働くしかありません。これが厳しい現実です。 さらに言えば、ローカルスタッフの下には、残業代を含めても月800元(約1万円)程度で働くワーカーと呼ばれる膨大な人たちがいます。日本人は、彼女たちの何十倍もの給与をもらっていることになります。彼女たちが、朝から晩まで休みもなしに働いて、必死に生み出している価値を、日本人がみすみすドブに流すようなことをしていたら、それは本当に申し訳ないことです。そういう意味でも、日本人は極めて大きな責任があるのです。 最初にも述べましたが、一般に、中国に思い入れを持ち、日本から一時的に派遣されてきたという意識ではなく、あくまで中国を拠点に仕事をしている現地採用者の存在、言葉の上においても、中国人と自由にコミュニケーションがとれる現地採用者の存在は、日本人と中国人の相互理解を考えると、非常に大きな意味があると思います。もし、『日中ホンネで大討論!』をビジネスの邪魔と見るような日本人、中国をただのビジネスの道具と見るような日本人ばかりが増えたら、どんなに悲しいことでしょう。 しかしながら、会社も市場も日中の相互理解という原理から動くのではなく、あくまで利潤追求の原理にしたがって動いていきます。そうなると、現地採用者は非常に難しい立場に置かれていくでしょう。 現地採用出身の私は、中国という場所から淘汰されずに仕事を続けていくためにも、そして、日中交流とビジネスが決して矛盾するものではないことを証明するためにも、一生懸命、仕事をしていきたいと思います。 2004.2.12 第42回 愛国心について
これまで、およそ月1回ぐらいのペースで書いてきたこの日記ですが、このところ仕事に追われ、気づいたら、4ヶ月近くもこの日記を書いていませんでした。今回はあえて、仕事に直接関係のないテーマについて書いてみたいと思います。 今、日本では「愛国心」が大きなテーマになっているようです。中央教育審議会(中教審)は、昨年3月20日の答申に、「国を愛する心をはぐくむ」という内容を教育基本法に盛り込むよう答申を出し、賛否両論が巻き起こりました。少し前に日本に一時帰国したときにも、「愛国心」をテーマにした本をいくつも目にしました。その背景には、日本人に愛国心が欠落しているために、国や社会のことを考えなくなり、結果として利己主義やモラルの乱れにつながっているという問題意識があるようです。これに関連する日の丸・君が代のいわゆる強制、卒業式などで起立しなかった教員の処罰などをめぐっても、同様に賛否両論が巻き起こっています。 確かに、戦後の日本では「愛国心」という言葉は、ほとんどタブー視されてきました。「愛国」を唱えるのは極端な右翼と相場が決まっており、「愛国党」は当然ながら右翼政党でした。その背景には、かつて日本が「愛国」の名の下に行った戦争によって、多くの罪のない人たちを殺害したばかりでなく、自国民にも多大な被害をもたらしたという痛苦な歴史があることは言うまでもありません。この体験のために、「愛国心」と聞けば多くの人が警戒心や嫌悪感を持つようになったと言えるでしょう。 私自身も、戦後教育を受けた一人であり、「愛国心」という言葉に嫌悪感を持ってきました。愛国心と聞けば、「戦争」や「自己犠牲」をイメージしました。自分の国の良さを強調するような言論には何か胡散臭さを感じていました。 しかし、中国という外国に生活するようになってから、愛国心ということについて、改めて考え直さざる得なくなってきました。 これまでも書いてきたことですが、中国人による日本・日本人批判の中には、どう見ても、公平とは思えないものが数多くあります。以前ご紹介した中国中央テレビのキャスター・水均益氏の言論などは、その典型です。このような、言いがかりとしか思えないような日本・日本人批判に数多く接するうちに、「日本や日本人をそんなに悪くばかり言わないでくれよ」「日本や日本人にも良い所がたくさんあるんだぞ」という気持ちが沸いてくるようになりました。このような感情は日本にいた時には、ほとんど、ありませんでした。 中国人から「歌舞伎や能とはどういうものなのか」などと聞かれたときに、それらを見たことも見ようとも思ったことがなく、何も答えることができない自分を恥じるようになりました。そして、自国の優れた文化について、もっと理解を深めなければならない、などと、これまで考えたともないことを考えるようになりました。 そして、気づいたのです。自分は身はどこにあろうと日本人であり、日本という国、文化から切り離すことはできない。自分はやはり日本という国を愛しているのだと。中国という外国で生活する中で、自分の心の中にある愛国心、それも外から押し付けられたものではない、ごく自然な感情としての愛国心を発見したのです。 私は、学校教育の中で、一度も愛国心の重要性などというものを教育されたことがありません。しかも、私は日本に帰国するつもりは全くなく、中国でずっと仕事を続けていきたいと考えている人間です。ある意味では「祖国」を捨てた人間と言えるのかもしれません。しかし、そのような人の中にも愛国心があるのです。 日本人というのが、他の国民に比べて、特別に愛国心が欠落した国民なのか、これを考える上で、中国人の日本に対する見方は1つの参考になります。 ご存知の通り、中国の「愛国心」事情は、日本とは全く異なっています。中国では愛国心を持つことは無条件に善であり、また義務でもあります。日本のように愛国心という言葉に嫌悪感や警戒心を持ったりなどということは、全く考えられないし、また理解もできないことでしょう(ただし、後に述べるとおり、少数民族の場合はまた違った事情がありますが)。国が「愛国教育」(中国では「愛国心教育」とは言いません)を行うことは当然であり、それに異を唱える人は、少なくとも公然とした形では、いません。学校の門には「愛国主義教育基地」と書いたプレートが至るところに設置されています。 このような日本との大きな違いの背景には、やはり過去の歴史があります。中国では、戦争とは日本という侵略者と戦い、追い出すためのものでした。そして、愛国とは、侵略者と戦うために団結するためのスローガンだったのです。ですから、中国における「愛国」には、日本のような忌まわしい歴史がまとわりついていません。こうした歴史背景の違いが、日本と中国の「愛国心」に対するイメージの違いとなって現れていると言えるでしょう。 それでは、中国人は日本人よりも愛国心が強い民族だと言えるのでしょうか? 不思議なのは、多くの中国人が日本人こそ愛国心の強い民族だと思っていることです。 私は中国に来てから、「日本人は愛国心が強く、団結しているんでしょ?」と何人の人から聞かれたか、わかりません。そのたびに私は、日本人の多くが歴史的原因のために、いかに「愛国心」というものに嫌悪感を持っているか、という話をしましたが、皆、よく理解できないという感じでキョトンとしていました。 しかし、考えてみれば、確かに中国人の目から見れば、日本人には愛国心があり、国家の下に団結していると映る理由があるのかもしれません。中国にはチベット族やウィグル族など、漢族とは全く異なる言語や文化を持った民族が広範囲に分布しており、それらの地域にいると、まるで別に国にいるかと思えるほど、漢族を中心とした地域と違いがあります。現地に行けばわかりますが、多数民族である漢族と少数民族、特にチベット族・ウィグル族との関係は、決していいとは言えません。これに対し、日本も単一民族国家ではなく、民族間の対立がないわけではありませんが、中国のチベット族やウィグル族と漢族との対立に見られるような、激しい対立は見られません。 また、中国の近現代史を見ると、様々な国家内の分裂や対立を経験してきています。軍閥間の対立もそうですし、国共内戦もそうです。日本が侵略を開始してからも、国民党と共産党がいわゆる合作をするまでは、随分と長い時間がかかりました。また、列強によって、国土をバラバラに切り刻まれてきたという歴史もあります。これに対し、日本も明治維新などの時代の変わり目に、内戦は経験していますが、それ以後、中国のような長期に渡る内戦や分裂は経験していません。 このような日本と中国の歴史の違いのために、中国人の目から見ると、「日本人は愛国心があり、団結している」と見えるのでしょう。日本という国は、中国人から見ると、「愛国心」などわざわざ強調したり、特別に教育したりしなくても、ごく自然に国民が愛国心が持て、団結ができる、ある意味で羨ましい国として映っているのです。私が中国に来てから愛国心を意識するようになったのも、日本人という国民が、愛国心を自然に持っていることの1つの表れと言えるかもしれません。 以上のような、日本と中国の愛国心の比較から、日本でさかんに議論されるようになった「愛国心教育」の是非を考えると、どうなるでしょうか。 まず、先ほども述べたように、日本人が特別に愛国心が欠落した国民だという考え方には、大きな疑問があります。 次に、中国の現状から見て、「愛国心教育」の効果がどの程度なのか、見なければなりません。 最初にも述べたように、「愛国心教育」の必要性を説く人たちには、「日本人に愛国心が欠落しているために、国や社会のことを考えなくなり、結果として利己主義やモラルの乱れにつながっているという問題意識があるようです。例えば、『新しい道徳教育』(山口彦之編)は「心の荒廃、教育の荒廃が指摘されて久しい。その原因の一つは、戦後における道徳教育の不在にある。道徳教育の不在は、青少年問題の深刻化だけでなく、社会全体のモラル(倫理・道徳)の退廃をもたらし、今日の政治、経済、社会の混迷の根本的原因ともなっている」とし、「健全な愛国心、人類愛を育むべきである」と提言しています。これは、「愛国心教育」の必要性を説く人の、ほぼ共通の問題意識といっていいでしょう。 それでは、「愛国心教育」の先進国、中国の現状はどうなのでしょうか?中国の「愛国教育は、モラルの向上に効果を発揮しているのでしょうか?残念ながら、とてもそうは言えません。様々な原因があるでしょうが、率直に言えば、中国ではゴミやタバコをそこら中に捨てる、痰をみだりに吐く、バスや電車・映画館の中などで、携帯電話を鳴らす、大声で話すなど、日常生活の中でのモラル乱れが著しいことは、すでに第12回「中国人とは一体」で述べたとおりです。こうした現象はもちろん、日本でもあり、それもどんどんひどくなっているとおっしゃる方もいるかもしれませんが、それでも中国とは全くレベルが違います。 また、仕事の中でも、「会社のために」といった意識が比較的薄く、キックバックを平気で受け取ってしまう購買担当者がたくさんいるということも、これまでの日記ですでに述べてきたとおりです。 さらに言えば、中国の官僚の腐敗・汚職は、日本とは比較にならないほどひどいということは、周知の通りです。 こんなことを言うと、私が何か中国人の人たちが劣っているかのように言っていると誤解されないことを願います。中国人の人たちに優れた面がたくさんあることも、また、これまでの日記で述べてきたとおりです。ただ、ここで言いたいのは、「愛国心教育」と「モラルの向上」「公共心の向上」には因果関係がないということです。もし、「愛国心教育」が「モラルの向上」の特効薬であるというなら、「愛国心教育」の先進国、中国でこそ、最も高いモラルが実現されるはずです。しかし、現実には全くそうなっていません。愛国心教育ではモラルの問題は解決できない、このことを中国の現実が示しているのです。 もう1つ、「愛国教育」の弊害の方も中国から学ばなければなりません。中国人の強い反日感情の原因として、中国の愛国教育、その一部としての反日教育をあげる人は数多くいます。私は、中国人の反日感情の原因を、「反日教育」だけに帰すことには賛成できませんが、中国大陸と同じように侵略を受けた香港の人たちとの意識の違いや、時に見られるあまりに不条理と思える日本・日本人批判を見ると、「反日教育」が悪い影響を与えていることも否定できません。 中国で言えば、「愛国教育」と言えば、どうしても日本という侵略者と戦い、それに勝利したという誇らしい歴史を抜きにはできません。そして、チベットや新疆の問題、文革の問題など、自国の矛盾や汚点については、わずかしか、あるいは全く語らないということになっていきます。 日本で「愛国心教育」を進めた場合に、同様な問題は起こらないのか。他国に対する偏狭なナショナリズムが発揚されたり、過去の汚点、例えば、中国を含めたアジア地域への侵略行為の歴史を十分に教育しなくなるということはありえないのか。こうした点は、中国の現状を批判的に見る人ほど、慎重に考えなければならないはずです。ところが、現状では、中国の「反日教育」を声高に批判する人ほど、自国の「愛国心教育」に賛同しているように思えます。 そして、最近起こった1つの事件が、「愛国心教育」についての再考を私に迫りました。それは、イラクの人質事件です。解放された3人の人質が政府と世論の集中砲火を浴びたのは、ご存知の通りですが、私が1番気になったのは、そうした批判の言論の中に、「彼らは反日的、反政府的だから、けしからん」というものが多く見られたことです。例えば、自民党の柏村武昭・参院議員は、「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言しました(4月26 日アサヒ・コム)。 ここで問題なのは「反日」と「反政府」がイコールになっていることです。つまり、政府の政策に反対することは、日本に反対することであり、愛国心がないという論理です。私は、国を愛するからこそ、政府に反対することもあるのであり、「反政府」と愛国心は全く関係がないと思うのですが、私が恐れるのは、「愛国心教育」の中で、「政府に反対することはいけないことだ」というような意識や雰囲気が醸成されることです。そんなことは、民主主義の日本ではありえないと思いましたが、先日の人質事件に対する異常とも思える(と私には見えました)反応を見て、そうした懸念を抱かざるえませんでした。 私は半ば祖国を捨てて、中国にやってきた人間ですが、やはり日本が好きです。「愛国心」と聞いただけで顔をしかめ、何か日本の汚点、悪い点だけを強調し、日本が非常に劣った国で、日本人が非常に劣った国民であるかのように言う人には、今では違和感を覚えます。 しかし、愛国心を改まって「教育」することにも素直には賛同できませんし、それによって、モラルの乱れなどの社会問題が解決できるという考えにも賛同できません。むしろ、その弊害を中国から学ぶべきだと思います。 中国人も羨ましがる、日本人のごく自然な愛国心、外から押し付けられたものではない愛国心というものを大切にしてほしいものだと思います。 2004.5.22 第43回 反日デモのほとぼり冷めて
留学中は、およそ月1回程度のペースで書いてきたこの「日記」ですが、最近は仕事が多忙になり、ずいぶん長い間、書かずにきてしまいました。また、仕事を始めてからは、この日記が主なテーマにしてきた「日中」という問題を、留学時代のように自由には話せなくなりました。政府レベルで日中関係がどんなに緊張していようと、ビジネスの中では、中国人が歴史問題などを提起してくることは、極めてまれです。それによって、ビジネス上の関係に影響することを恐れているからでしょう。また、私の方も、留学時とは違い、日中関係などの話題を気軽に持ち出すことはできなくなりました。なぜなら、それによって、ビジネスに影響が出たら、会社に対して責任が負えないからです。こうしたことが、しばらく筆を止めさせる原因になったかもしれません。
しかし、もう数ヶ月も前のことになりますが、日中関係というものを改めて考えざる得ない出来事が起こりました。それは、反日デモです。皆さんもご存知のことと思いますが、私のいる深センでも数回にわたり大規模な反日デモが起こりました。その後、中国政府が反日デモを禁止したため、今はほとぼりも冷めてきましたが、当時のことを振り返って、書いてみたいと思います。 4月3日、深センで最初の大きなデモがあったとき、私は日系スーパー・ジャスコに向かうところでした。しかし、いつも入る入り口は閉じられており、公安が警備していました。正門前の広場にいくと、すでにデモ隊が、「日本の常任理事国反対」「日本製品ボイコット」といった横断幕を掲げていました。広場には 1000人規模と思われる公安が警備のために配置されていましたが、すでに数千人のデモ隊と群集が広場に入り込み、正門の前に陣取っていました。彼らは、中国国旗の小旗を振りながら、シュプレヒコールを上げ、中国の国歌を歌い、気勢を上げながら、卵やペットボトルを壁に向かって次々投げつけました。続いて、一部の興奮した群集が、折りたたみ式の机(に見えました)で、ジャスコの方向表示の看板を叩き壊し始めました。異様な雰囲気でした。その時、公安は、見ているだけで、何も止めようとしませんでした。 この、公安が止めなかった、という点については、多くの日本のマスコミで報じられていましたが、これを「中国政府が反日デモを裏で操っていた、もしくは、中国政府がこうした行為を是認していた証」と評価する向きを強かったようです。しかし、現場にいた私には、そのようには捉えられませんでした。あれだけの群集が、中国では正しいとされている「愛国」という大義名分を掲げて行動している以上、一部に暴力行為があっても、それを止めたら、公安は、「売国奴」のレッテルを貼られかねません。政府の上層部の判断でもない限り、止めるに止められなかったというのが実情ではなかったのでしょうか。 しばらくすると、別のデモ隊が合流してきました。彼らは、大きな拍手で迎えられました。そのデモ隊の中にいた若い女性の突き抜けるような笑顔がとても印象的でした。中国に来てから、あのような笑顔はあまり見たことがありません。何か、生まれて初めて自己表現の場を獲得したというような感じでした。 結局、ジャスコはその日、閉店に追い込まれました。それ以外にも、日系のラーメン店、「味千ラーメン」などもデモ隊の標的となり、卵などを投げつけられ、閉店となりました。 一方、日本留学経験のある中国人が経営する「一番ラーメン」は、襲撃を避けるため、入り口に「一番ラーメンは100%と中国人の投資で、同胞と同じく中国を愛しています」という横断幕を掲げるということまで行われました。 その2週間後、やはり、昼ごろにジャスコの付近を歩いていると、200人程度の小規模の反日デモ隊が大通りを練り歩いていました。その規模から見て、反日デモは収束に向かっているものと思えました。しかし、夕方になると、デモ隊の数は、前回同様、数千人に膨れ上がっていました。デモ隊に共感した民衆が、自然に合流したものに見えました。ですが、このときは、公安は明らかに、「中国政府は暴力行為を黙認した」と日本や国際社会の批判を意識した対応に変わっていました。デモ隊の後ろには、公安の車がピッタリとつき、、「君たちの気持ちはわかるが、社会の安定がなければ、発展はない、発展がなければ強大な中国もない。日中関係は政府が必ずうまく処理するから、それを信じなさい」と、マイクで呼びかけ、暴力行為に走らないよう、牽制していました。公安は、数千人規模の人員を動員して、ジャスコの周りを包囲し、デモ隊が正門前広場に入れないよう、完全防備の体制をとりました。やってきた数千人のデモ隊は、公安が取り囲む外から物を投げたりしましたが、ジャスコ前の広場には入ることができませんでした。その後、公安は警備をさらに強化し、ジャスコのある道自体を完全に封鎖しました。車は一切、通行できなくなり、交通はかなり混乱しました。 その日は日曜日でしたが、深センの中学校や高校は、日曜日も全て授業を行いました。若くて影響を受けやすい彼らをデモに参加させないための措置だということでした。こうして、中国は、デモの抑制へと大きく舵をきりました。そして、ご存知のように、その後は、反日サイトを閉鎖したり、反日デモの組織者を拘束したりするなどして、反日デモ自体を事実上禁止する方向になっていきました。「日本製品ボイコットは中国のためにもならない」といった記事も、マスコミに流れるようになりましたこれは明らかに、中国政府が日本との関係悪化を望んでいないというメッセージだったと思います。 私のいる会社も反日デモの影響を受けました。うちのユーザーの会社でも、2000人のワーカーによるデモが起こりました。マスコミでは、反日デモの影響を受けたストライキなどは、2,3社のものしか報じられていませんでしたが、後で友人などに聞いたところによると、他にも反日デモに乗じて、ストライキを起こされた大企業があったようです。 会社では、このような事態を受けて、緊急に会議を開き、社内の寮が投石などの襲撃を受けた場合の対応などについて話し合いました。また、万が一の事態を想定して、会社の寮に住む駐在員の自由な出入りを禁止しました。食事と買い物のために用意された定期便以外には、外出ができなくなってしまいました。結局、このような不自由な生活が、ついこの間まで続くことになりました。 さて、以上は、当時の現地の状況の報告ですが、今回の反日デモをめぐる議論や日本政府の対応などについて、当時ネットなどで見ていました。中国にいましたから、正確に日本の状況をつかんでいなかたかもしれませんが、ネットの範囲で見ているうちに、疑問に思えてきました。何だか、問題の焦点が、中国人の過激な行動や暴力行為、それを見過ごした中国政府や公安の責任や賠償問題ということに行ってしまい、そもそも、なぜ、このような反日感情が今、爆発したのか、ということが十分に考えられていないように思えたからです。 いや、これはとっくにわかっている、という人もいるかも知れません。江沢民時代の過剰な「反日教育」、貧富の格差の拡大や政府の腐敗に対する不満の捌け口などなど。いつのころからか、特に、サッカーアジアカップの問題があったあたりから、反日感情の原因は主に中国側にあるという主張が日本で広く受け入られ始めたようです。 私自身、中国に来てからの5年あまりの間に、これまでの日記にも書いてきたとおり、中国の方たちの日本に対するあまりの無理解や誤解に驚き、日中関係について考えるようになった一人です。ですから、中国人の反日感情を分析する一つの角度として、「反日教育」や「中国政府に対する不満の捌け口」を指摘することには賛成できます。しかし、最近の日本の世論を見ていると、どうも、これらの反日感情の要因の一つに過ぎなかったものが、いつの間にか全てとなってしまい、ついには、反日感情は全て中国政府によって作り出された異常な感情であって、日本側には何の責任もないかのような考え方が生み出されてしまっているように思います。 しかし、以前にも書いたように、中国人の若い世代の反日感情は、決して教育だけによって作られているわけではありません。彼らは祖父や祖母の世代から、戦争体験を聞いて育ってきています。また、日本の一部の政治家の中に、わざわざ中国人の感情を逆なでするような発言があることも否定できません。 私があえて主張したいのは、今回の反日デモの問題の中で、ただ、中国側の暴力行為を批判したり、補償を中国政府に要求したりしても、また、反日感情の原因を中国側に押し付けても、問題は何も解決しないということです。今回は、中国政府が反日デモを禁止したことで、一時的には収まりましたが、中国人の中に反日感情がある以上、これからも何らかの形で、反日行動は起こり続けるでしょう。今、必要なのは、もう一度、「なぜ、中国人は、こんなにも怒っているのか?なぜ、中国人はいまだに、日本に謝罪してもらったと感じていないのか?その原因は、日本側にはないのか?」ということを我々が真剣に考えることではないでしょうか?そうした謙虚な態度なくして、根本的な問題の解決は遠いと思います。 それから、今回、反日デモが、中国政府の力によって押さえ込まれてしまったことについて、私は非常に複雑な気持ちを持ちました。これによって、会社は最終的には、私たちが自由に出入りすることを許しました。私たちはようやく、不自由な生活から解放されました。 しかし、一方で奇妙なことに、何だかデモ隊に参加していた人たちが可愛そうに思えました。もちろん、暴力行為を働いた人たちについては、何の同情もありません。しかし、ほとんどの人たちは、暴力行為をしていたわけではありません。これまで基本的に言論やデモなどの自由がない中で生きてきた彼らは、「反日」という限定された範囲ではあっても、ようやく自分の主張をする場を得たのに、それがわずかな期間の中で、また奪われてしまったのです。こう思うのは、最初にも書いたように、彼らの生き生きとした表情があまりにも印象的だったかもしれません。暴力行為に焦点が当てられすぎたために、デモそのものは、本来禁止されるべきものではないということを、「民主主義」国家の中にいる多くの日本人は忘れているのような気がします。 そして、日本の一部の極めて反中国的なマスコミには、矛盾を感じざるを得ません。彼らは日々、中国の「反日教育」と同時に、中国の一党独裁体制や言論の不自由を批判しています。しかし、今回中国はまさに言論弾圧を行ったのに、その中身が「反日」であるためか、これに対して何の批判の声も発していません。これはどういうことでしょうか。まさか、反日デモを抑制するときだけは、一党独裁と言論の不自由には目をつぶるというのでしょうか?これでは、あまりにも一貫性がないと思います。やはり、彼らにとって一番大事なのはナショナリズムであって、民主主義ではないのでしょうか。 反日デモの発生から、早くも4ヶ月が過ぎました。デモ隊に襲撃されたジャスコは、平静な状態に戻り、「日本製品ボイコット」を唱えていた中国人たちは、やはり日本のスーパーの製品を信用しているようで、以前と同じように、多くの人が買い物に訪れています。当時のほとぼりはすっかり冷め、まるで反日デモなどなかったかのようです。 中国で生活する日本人としては、日中関係が好転し、安心して日々の生活をしたいことは言うまでもありません。しかし、中国政府が反日デモを力で抑えたことは、根本的な解決ではありません。中国人の反日感情は、くすぶり続けています。それがいつまた爆発するとも限りません。その感情を弱めるために、中国側も日本に対する様々な誤解や偏見を解くための教育や報道をしていく努力をしていく必要はあるでしょう。しかし、それ以上に、日本の政治家の方たちには、ただ、時流にのって、いかにも中国と一歩も引かずに闘っている、というパフォーマンスをとるのではなく、中国の人たちの反日感情を日本の側からなくす方法はないのかということを真剣に考えてもらいたいと思います。そのような政策があってはじめて、我々中国に生活する日本人も、本当の意味で安心して暮らせると思います。 2005.8.6 http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/kangomei/ _______________ 中国のメディアの現状について 漢語迷 皆さん、こんにちは。現在、中国の武漢に留学中の漢語迷と申します。昨年、一度だけ投稿させていただいたことがあります。先日、KENさんが「 体験と情報収集」 の中で、
)このコラムで私がひとつ期待したいのは、議論や意見交換のみなら)ず、各自の経験に基づいた情報の提供です。このコラムの参加者には数多くの海外居住者が居られますし、色々)な分野の職業の方が居られます。お互いのPRIVACYの尊重に気を付け)て極力客観的な実地体験の情報を提供するのも議論の内容を深める大事な材料と思います。 とおっしゃられ、中国のメディアの現状にも触れられていましたが、私は中国のメディアに対して、少し違う見方を持っているので、投稿させていただくことにしました。
)多分にして中国情報などは政府が書きたいことを書いて、うそは少)ないまでも意図的な情報選別で、(新華社などは)自国以外の日本やアメリカ、台湾の情報は敢えてその国のカッコ悪いニュースを徹底的に集めて並べ、自国に関しては「明るい未来、発展」などといった記事ばかり並べている。日によって違いはありますが、はっきり言って反日、反米、反台湾の記述が多く認められます。不愉快ではあります。 もし、中国のメディア総体について言うならば、このようには言えないと思います。 例えば、ブッシュ大統領が訪中する前、中央電視台の人気ドキュメント番組『焦点訪談』は、米中国交回復30周年を記念して、米中関係30年を振りかえる番組を特集しましたが、そこでは、当時はあれだけ大騒ぎした、中国大使館の「誤爆」事件や、戦闘機の衝突事件についてはほとんど触れられず、まるで、この30年間、米中が一貫として仲良くやってきたかのように編集されていて、驚いたものです。
日本についても、「カッコ悪いニュースを徹底的に集めて」いるとは言えません。もちろん、靖国参拝や教科書問題は、日本のマイナス面として報道されます。一方、科学技術に関しては、プラスの報道が数多くなされています。例えば、中央電視台のニュースでは、「ソニーがこういう新しいロボットを開発した」といったニュースが頻繁に流されています。ここには、日本の進んだ技術に学ぼうという姿勢が見られます。皇太子妃の出産についても、明るい話題として報道されました。小泉首相が盧溝橋に行ったことも、そこで発表した談話も、もちろん報道されています。 次に、国内報道についていうと、日本やアメリカの報道と比べたら、プラス面の報道が多いのは事実ですが、「自国に関しては「明るい未来、発展」などといった記事ばかり並べている」かと言ったら、メディア総体について言うと、そうとは言えないと思います。
例えば、中央電視台の『焦点訪談』『新聞調査』『今日説法』と言った人気番組は、地方政府の腐敗や様々な社会問題など、主に中国の政治や社会における負の面を取り上げた番組です。人気の週間新聞『南方週末』は、政府や司法機関の腐敗の暴露で有名で、かなりの読者数を誇っています。 実際、いくら中国のメディアがプラスの面だけを取り上げても、国民は腐敗の存在をちゃんと知っているわけですから、むしろ、こういった問題を積極的に取り上げて、解決を図ることで社会の安定を保つ必要があるというのが、中国政府の考えだと思います。
)一言で言えば、バラバラになりそうな13億という人口を纏め上げるための仮想敵を作る戦法でありますが、多分反日トーンが高いときほど国内のまとまりが悪いときであるとか、大きい国内問題を抱)えているとか隠したい事情がある。
中国政府が国内問題から国民の目をそらすために、反日・反米感情を煽っているという考えは最近よく目にしますが、私が思うに、むしろ逆で、国内問題がたくさんあって大変だからこそ、あまり外交分野で事を起こしたくない、というのが中国政府の本音のような気がします。 例えば、北京大学国際関係学部の葉自成氏と馮菌氏は『現代米中関係の八つの特徴』という文章の中で、次のように書いています。(『南方週末』2002.2.21) 「中国外交における米中関係の重要性は、アメリカ外交における米中関係の重要性を上回っている。したがって、米中関係における問題は、常にアメリカ側が引き起こしたものである」
つまり、中国にとってアメリカはとても重要な国なので、中国側から関係を悪化させることはできない、中国は強く出られない立場にあるということです。だから、中国政府としては、反米感情を煽ったりして、アメリカとの関係を悪化させるようなことがあっては困るというのが本音なのではないでしょうか。先ほど紹介した『焦点訪談』の内容にしても、江沢民の専用機に盗聴器がしかけられた事件をめぐる対応にしても、こうした本音が表れていると思います。
日本についても、同様なことが言えると思います。中国にとって、日本の位置はアメリカほど重要ではないにしても、やはり、関係をうまく保ちたい国の一つだと思います。今回の小泉首相の靖国参拝に対するかなり抑制した反応にも、それが垣間見られます。 中国と言うと、一党独裁の国なので、どうしてもマスコミ=政府の宣伝機関、それに煽られる国民、という上→下という見方で見られがちですが、こうした見方は一つ重要なことを見落としていると思います。それは、市場経済下の中国では、マスコミも売れる新聞・番組を作らなければならないということです。つまり、消費者にとって面白いものを作らなければ、中国の新聞だって売れないし、テレビだって視聴率が落ちてしまうのです。 ですから、中国メディアが反日・反米的なことを報道するとしたら、それは政府が煽っているのではなく、むしろ中国の国民の感情の反映と見るべきなのではないでしょうか。実際、中国人の中には、現在の中国政府の日本やアメリカに対する態度を「軟弱」と考える人たちもかなりいます。中国の新華社や『人民日報』などのメディアは、本音ではあまり強硬な反日・反米報道をして、日本やアメリカとの関係を損ないたくないが、あまり穏やかな報道をして、「軟弱」という非難を浴びるのを恐れているので、いちおう問題が起こったら、反日・反米的な報道もせざるえない。しかし、その後には、先に挙げた『焦点訪談』のような報道をして、フォローをする。この方が実情に近いというふうに思います。 もう一つ、中国のメディアの現状について言うと、日本のメディアでは、中国の主要紙というと『人民日報』や『中国青年報』などがよく取り上げられますが、これらの新聞を読んでいる中国人は決して多くありません。中国人だって、面白くないと思っているのです。そもそも、これらの新聞は、街頭では売っていません。みんなが買っているのは、先ほど取り上げた『南方週末』や、地方紙です。 (ただし、人民日報社が発行している『グローバルタイムス』という、国際ニュース専門の新聞は、街でも売っていますし、読者も多いと思います)
ですから、『人民日報』に書いてあるような記事が中国国民の世論をリードしているとは必ずしも言えないということを見ておく必要があると思います。 もちろん、中国は一党独裁の国であり、政府がメディアに対して様々な規制をしていることは疑いのない事実です。たとえ『南方週報』と言えども、例えば、台湾独立論などを掲載するのは絶対に不可能でしょう。中央政府に対する批判も制限があると思います。 ただ、私が言いたいのは、「一党独裁=国内報道はプラス面ばかり、外国報道はマイナス面ばかり」とか「一党独裁=メディアは政府の宣伝機関、それに洗脳される国民」といった単純な見方で見るのではなく、現代中国のメディアの多様な姿と言うものを正確に見る必要があるということです。 http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/1405032.htm 中国の一党独裁について はじめまして。中国の武漢に留学中の漢語迷と申します。
このコラムでは中国についてふれられることが非常に多いので、中国にいる者として、いくつか意見を述べさせていただきたいと思います。 まず、このコラムに投稿されている多くの方が 「中国は一党独裁=全く言論の自由がない=政府筋の情報以外は知るよしもない」 と単純に考えられているようですが、これには誤解があります。中国が一党独裁であること、このため、報道など公の場で共産党中央を批判したり、共産党と違う見解を述べることにはかなりの制限があることは疑いのないことです。しかし、普通の日常生活においては、言論は基本的にはほぼ100%自由であるといっていいでしょう。 大学の授業においては先生は好き放題にものを言っています。例えば 「李宏志(法輪功)を中国政府は批判するが、個人崇拝という意味で毛沢東がやっていたこととどこが違うんだ?」 「君たち、南京大虐殺で30万死んだというが、大躍進で何人死んだか知っているか」 などといった言葉が飛び交っています。一党独裁を批判する見解はもちろん、中国革命そのものを公然と批判する先生すらいます。大学以外の場で言うと、例えば電車の中で共産党員の友人が共産党を批判するなどということはごく普通のことです。僕は中国人と何度も政治的な問題について電車の中で大声で討論しています。 この点、制限があるとすれば少数民族の方たちでしょう。ウィグル族の友人は漢族との間の問題を語ることにかなり慎重でした。 (中国の少数民族がおかれている実態に興味がある方は僕の日記をよろしかったら読んでみて下さい。) http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/kangomei/index.html したがって、中国人が中国政府の見解に大きく左右されるのは言うまでもないことですが、
「中国人は中国政府の見解以外は知るよしもない」 「中国には全く言論の自由がない」 というのは、想像の産物でしかないということを申し上げておきます。 中国には多くのこのコラムに投稿される方の想像とは違って、柔軟な考えを持った人たちがたくさんいます。ある先生は 「中国人は日本の侵略などの批判はするが、大躍進・文化大革命などで自ら犯した罪はすぐに忘れてしまう」 と、中国人の「歴史健忘症」を授業で痛烈に批判しました。ここで、誤解しないでいただきたいのは、彼 が決して日本の侵略(僕もそう認識しています)を決して軽く見ているわけではないということです。彼は日本への留学経験があり、その際にある老人がバーベキューをやりながら中国での戦争体験を自慢げに語るのを見て、日中間にある戦争認識の絶望的な溝を感じると同時に、怒りを感じたと言います。しかし、彼はそうであるにもかかわらず、なおかつ中国人自らを痛烈に批判しているのです。僕はこの懐の深さに敬服せざる得ません。僕は多くの日本人は彼のような懐の深さに学ぶ必要があると思います。 彼は「歴史健忘症」はアジア人に共通した特徴だ、と言います。僕もそう思います。 「日本は過去そんなに悪いことはやっていない。中国はこんなにひどいことをやっている」と他国・他民族の罪悪だけを批判し、自国・自民族の罪悪を顧みない人が日本にはどれだけ多いことでしょうか。(もちろん、同様な中国人も沢山います)僕はこの先生のような心の広さを持った人が日中双方に増えていくことを望んでいますし、またそれが最終的には日中双方の利益になると思います。 ついでながら、チベットの問題に触れさせていただきます。一つ指摘したいことはこのコラムで過去の日本の侵略を擁護される方の意見と現在の中国政府がチベットや新彊に対する支配を正当化する論理は酷似しているということです。僕が中国人にチベットや新彊のことを問題にすると必ず彼らは
「チベットや新彊は不毛の地で一番貧しい地域だ。独立してやっていけるわけはない。中国政府が大量の金を彼らのために投じて、開発を進めているから何とかやっていけるんじゃないか」 と言います。そして、これはある程度事実でして、現在も皆さんご存知の通り、「西部大開発」ということで、これらの地域の開発にまたまた大量の資金を投入しているわけです。こうして、中国政府としては 「我々はこんなにチベットや新彊のためにやっている。たくさんの彼らだけでは決して作れない近代的な 設備も作った。これは彼らのためではないか。彼らの役に立っているではないか。なにが悪いのだ」 ということになるわけです。いつの時代も支配する側の論理というの同じです。もし、この論理に納得がいかないのだったら、同じ論理で過去の日本を擁護するのは止めるべきだと思います。逆に日本をどうしても擁護したいのなら、「中国のチベット侵略」などいう言い方はやめた方がいいと思います。 つまり、ここでもやはり「私は悪くない、あなただけが悪い」という偏狭な見方はやめた方がいいということです。東京裁判は僕も不公平だとは思いますが、それも「お前らも裁かれていないんだから、俺も裁かれる必要はない」という論理ではなく、「俺は裁かれるのは当然だか、お前らも裁かれなければならない」という論理で批判していく必要があるのではないでしょうか。 http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/kak3/1304052.htm |