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その時代時代に人類史における宗教の流行みたいなものもあるかもしれない。
仏陀とキリスト衝動の文書を読んだが、もっと広義に解釈してみたくなった。急いで書いたので細かいところはご容赦を(^_^)
BC1000頃は、ひとは罪を含んでおり、生まれてくること、生きている事が罪だと行ってる?エノク・マニなど
BC500年ころには、生きる事は苦しいことなのだと諭す。ブッダ。老荘
BC0キリストの死と復活 死後の世界と復活の希望を示唆する
中世〜ルネサンス 知への警鐘 カトリック
19世紀−現代 科学の力などによって神の領域と思われたところも人が制御できると思い、神の束縛からの解放の気にさせる
が、長い目で見れば、人類は上記をみな修得してなければならず、まず、1.自己反省をし、小さく無力な存在だと自覚し、2.過大な夢想を捨て、現状に甘んじ、先んじて感謝し、3.魂の永遠性を信じ、死後も存続する善良な魂つくりに精進し、4.知ったかぶりや浅はかな知・科学をいましめ、5.分をわきまえ、地球の生態系を保ちつつの科学や物質文明の進歩を許される。
現代の問題は、前提となる1.2.3.4.のトレーニングをマスターせずに科学や物質文明のみが先走りしていることで、ヘタをすれば星の滅亡にも至りかねない状況である。