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(回答先: Re: ハイハイ、九州説ですよ。 投稿者 スットン教 日時 2009 年 4 月 07 日 23:10:20)
魏志倭人伝では邪馬台国を上海(東治)の真東、平壌(帯方郡)から東南
960km(12000里)という記事がある。
どうして上海の真東と判ったかというと、北極星と水平線の角度(北緯)と
同じと測定された為と考えられる。
これには魏において、主要都市の北極星と水平線の角度を記録したものがあり、
それと邪馬台国を調査した使節団の数字が一致したのだろうと思います。
上海は北緯31度で、宮崎市は北緯32度でほとんど同じ。
平壌と邪馬台国の直線距離は、北緯と東経の差からピタゴラスの定理でわかる。
北緯は北極星の角度でわかるし、東経は北極星を中心にした北斗七星の角度
の差(日の出のとき)で判る
平壌と宮崎市の東経の差は6度(500km)くらいで、北緯の差は8度
(750km)くらいで、その直線距離は950km。
魏志倭人伝の里という単位は、韓国から壱岐(一大国)までを2000里と
いう記述があり、釜山から壱岐まで160kmなので、1000里を80kmとした。
結論::::::邪馬台国は宮崎市にあった(恵也説)
ーーーーー(引用開始)−−−−−
倭(日本)人は、帯方郡(平壌)の東南の大海の中にいる……この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治(上海)の東にあたる。…
…帯方郡(平壌)から女王国(邪馬台国)にまで一万二千余里ある。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm