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Re: ハイハイ、九州説ですよ。
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投稿者 スットン教 日時 2009 年 4 月 07 日 23:10:20: CmuKS.2SNuq/E
 

(回答先: 伝説の大陸アトランティスはアイルランドか 投稿者 kokopon 日時 2009 年 4 月 07 日 09:51:30)

某所でさんざ論じたのですが、

上図は魏志倭人伝の邪馬台国へ向かう行程についての解釈例です。この解釈が提示
されたのは昭和二十三年、東大の榎一雄氏が提示したもので、戦後は一般的に受け
入れられていたものらしいですね。最近は畿内説に押されて無視されてますが。

魏志倭人伝の「行程」についての記述は国家連合三十国の主な国の位置について
書かれた地誌であり、畿内説のように単純に直線的に道順を追ったものでないの
ではないのではないか、というのが私が強調したい論点です。

邪馬台国までの国と行程(Wikipediaより)

1. 帯方郡から倭国に至るには水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する(「従郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里」)。
2. 始めて海を1000余里渡ると対馬国(つまこく)に至る(「始度一海千餘里、至對馬國」)。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。
3. また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る(「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」)。官は対馬国と同じ。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000の家族が住める。田畑はあるが足りず、市へいく。
4. また海を1000余里渡ると末盧国(まつろこく)に至る(「又渡一海千餘里、至末盧國」)。4000余戸が有る。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。
5. 東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)。長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。丗、王が居る。皆は女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐在する所。
6. 東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)。長官は?馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離。2万余戸が有る。
7. 東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)。長官は多模(たも)、副官は卑奴母離。1000余の家族が有る。
8. 南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余。
9. 南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)。官に伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳碑があり、推計7万余戸。

これは主な国についての大まかな予想図です。諸説ありますでしょうが。
 

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