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(回答先: <福井女子中学生殺人事件>前川彰司さん:「僕はやってません!僕は無実です。」(1) 投稿者 gataro 日時 2009 年 12 月 20 日 12:47:40)
自分たちのいいなりになる証人の「証言」で警察がデッチあげ、名古屋高裁金沢支部が飛びついた事件のストーリーはこちら。 ⇒
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警察が作り上げたストーリー
1986年3月19日牛後9時ころ、前川さんは証人Aの住むマンションヘ行き、そこにいた証人Bの運転する車(スカイライン)に乗って事件の起きた市営住宅に向かい、前川さん1人で現場に向かう。
被害者宅に行き、被害者の頭などを灰皿で数回殴打し、電気カーペットのコードで頸を締め付け、2本の文化包丁で、顔、頸、胸などを数十回、めった突きにして殺害した。
車を降りてから20〜30分後の午後10時ころ、前川さんは、車に戻ってきた。車に戻ったとき、前川さんは、衣服などに血を付けていた。
前川さんがAのマンションに向かうスカイラインの中で、Bから右手の血痕を見とがめられて、「けんかをした」と答え、「あの女、馬鹿やろう」等とつぶやいた。
前川さんが、翌20日午前0時過ぎ、喫茶店で遊んでいたAに対して、電話で、「人を殺してしもたんや。どうしていいんか分からんのや」と話した。その喫茶店の前の路上で、Aが、前川さんが衣服などに血を付けているのを見て、「どうしたんや」と尋ねたところ、「死んでしまったかも知れん。この前誘おうとした中学生の女や」と答えた。
体や衣服こ血を付けたまま、その喫茶店から移動し、Aの友人Dのアパートにかくまわれた前川さんが、証人C、証人Dおよび証人Eに会っている。
翌20日の朝午前6時ころ、前川さんがAのマンションに、衣服こ血を付けたままやってきた。前川さんは、そのマンションで寝ているとき、「ギヤー」とか、「ウワーツ」と大声を出すなどし、うなされていた。
犯行翌日、前川さんと一端に前川さん方に赴いたAに対して、車中で、前川さんはAに本件殺人を犯したことを告げた。
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<前川さんの実際の行動は>
3月19日の本件犯行時間には、前川さんは、自宅で、母、祖父、姉夫婦らと夕食を共にしていました。
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有罪にした根拠は崩れた
有罪判決の誤り@
暴力団関係者の証言は客観的事実と食い違う
(1)血まみれで車に乗ったというが、車内から血液反応が出ない
証人たちの「証言」では、犯行現場から戻ってきた前川さんは手の甲や指先に濡れた血をべっとり付け、胸全体に血を付けていたとされているにもかかわらず、スカイラインから血痕反応が出ていません。また、Aが血痕を拭き取ったとする車(スカイライン)のダッシュボードからも血痕反応が一切なく、前川さんがかくまってもらったとされるアパートの部屋からも血痕反応が出ていません。
(2)前川さんの服には、べっとり血が付いていたというが、その服はどこにも発見されない
Aは、前川さんが着ていたとする血の付いたズボンや白いトレーナーについて、最初は買い物袋に入れて前川さんの家に持って行ったと証言し、その後、前川さん宅に行く途中、川に捨てたと証言を変え、さらには、実は福井市内に隠してあると言い、その後、何度も隠し場所を変え、その場所は忘れた、などと証言しています。
これほどの変遷も異常ですが、捜査当局の捜索にもかかわらず、証人たちが主張している前川さんの血まみれの服が結局、どこからも発見されていないということは、そのような服は実は存在しないことを示しているのではないでしょうか。
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有罪判決の誤りA
警察は暴力団関係者を利用
―警察に弱みを握られた人物が「証人」に仕立てられた―
●「殺人事件の夜に血を付けた前川を見た」などと証言した証人らは、みな覚醒剤などの犯罪歴や非行歴があり、警察に逆らえない状況だった
証人たちは、みな覚醒剤やシンナー事犯等の犯罪歴ないし非行歴を有し、警察の言うことに反抗できず、その誘導に乗りやすい状況にありました。また証人たちは、いずれも暴力団組員または暴力団と深い関係がある者で、かつ、本件取調べ当時、A(暴力団員)は勾留中、Bは保護観察付き執行猶予中であり、CCは少年院に入院中で取り調べも少年院内でなされています。証人たちの多くは、二重、三重に警察に迎合しやすい状態でした。
●自分の罪を軽くするためにAが作った前川犯人説!
Aは、自分の刑事事件の罪を軽くしてもらおう、留置場での待遇を良くしてもらおうと、前川さんが本件犯人であるとの証言をし、そのための情報収集を友人らに依頼していたことが分かっています。
●変遷に変遷を重ね、不可解極まる証人たちの「証言」
Aは、Bの行動を別人の行動として証言したり、血の付いた衣類等の処分に関する証言も、一旦具体的詳細な本当に体験したように証言しながら、後にはウソだったといとも簡単に撤回するということの繰り返し。Bも、前川さんの右手の血に気づきながら、目立つ状態の胸元一帯の血の付着には気付かなかったとか、他の関係者の証言と矛盾しています。C、Dも、Eも、その証言が変遷したり、客観的事実と食い違うことが多いのです。
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有罪判決の誤りB
再審で出した新証拠で前川さんの無実明らか
(1)服に血は飛ばない
コタツカバーを掛けた上で刺突行為に及んでいるため、犯人の衣服等に多量の血はつかなかった。(内藤鑑定)
被害者の後頭部の傷からも、顔面の傷からも、包丁が刺さっていた首の傷からも血の噴出はなかった。したがって、犯人が大量の血液が衣服などに付けた可能性は低い。(大島鑑定)
(2)有罪判決とは違う「第3の凶器」が存在した
凶器は包丁以外にも犯人が持ち込んだ小刀のような刃物が使われたと考えられ、犯人は複数。(内藤鑑定)
胸の傷のひとつは、まっすぐな包丁によっては出来ない傷であり、首および胸にある2つの傷は、現場に残された2つの刃物のどれによってもできない傷。つまり、「第3の刃物」が犯行に使われた。さらに、「第3の刃物」について何も言っていない証人らの「証言」がウソではないかと考えられる。(押田鑑定)
(3)前川さんを乗せたというスカイラインは借りられない
Bは、車の持ち主をシンナー吸引に誘ったところ、持ち主が「シンナーの件で捕まり、今度裁判になるのだ」という理由でシンナー吸引を断ったので、持ち主から「スカイライン」を借りたと述べています。
しかし、スカイラインの持ち主に対する判決書謄本(新証拠)によると、持ち主の裁判は、昭和61年3月14日に執行猶予付有罪判決の言い渡しで終了していました。
そうするとBがスカイラインを借りたのは、3月19日ではなく、3月14日以前のことだということになります。