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『結果として誤報に』 朝日襲撃手記新潮編集長が謝罪【東京新聞】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009041602000052.html
2009年4月16日 朝刊
一九八七年の朝日新聞阪神支局襲撃事件で、「実行犯」を名乗る男性の手記を掲載した週刊新潮が誤報を認めた問題で、早川清編集長は十五日、取材に応じ「証言はほぼ真実と確信していたが、結果として誤報になった。申し訳ない」と謝罪した。
男性と事件を結び付ける散弾銃などの物証も見つかっていなかった。
週刊新潮は十六日発売号で、早川編集長名の検証記事を十ページにわたり掲載する。取材は編集長と記者三人だけで進めたという。
同誌は一月下旬から二月にかけ、「私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」とする手記形式の記事を四回にわたり、島村征憲氏(65)の実名入りで載せた。
島村氏は「実行犯は自分」と断言していた。
しかし、連載終了後、島村氏が周囲に「実行犯ではない」と語っているとの情報を受け、新潮社が今月五日、同氏と面談。
本人は「そんなことは言っていない」と強く否定したが、新潮社は経歴や事件内容でも疑問に思う部分があったため、七日、島村氏の証言はすべて虚偽と断定し、検証記事の掲載を決めたという。
説明責任果たさず
朝日新聞社広報部のコメント 週刊新潮は、初報掲載後二カ月余りがたち、ようやく誤報を認めました。
しかし、弊社に対してはいまだに正式な謝罪はありません。
同誌編集部から事前に問い合わせを受け、男性の証言には事件の客観的事実と明らかに異なる点が多数あることを回答したにもかかわらず、「告白手記」を連載し、今になって「週刊新潮はこうしてだまされた」と被害者であるかのようなおわび記事を掲載する姿勢は疑問です。
取材上の問題点の客観的な検証や再発防止策への言及もなく、説明責任を果たしているとは言い難いと考えます。
◆誤報認める週刊新潮の記事要旨
朝日新聞襲撃事件の「実行犯手記」が誤りだったと認めた週刊新潮記事の要旨は次の通り。
二〇〇七(平成十九)年十一月、北海道・網走刑務所で服役中の男性から新潮社に手紙が届いた。
「116号事件です。僕自身が関与し実行した事件の数々を封印したままにして、去りゆくのを良しとするのか、すべて公表して人生を終わりとするのが良いのか」と、関与をにおわす内容の手紙で無視できず、本誌と男性の“文通”が始まった。
〇八年一月二十四日、取材班の二人と面会し、一連の事件のうち「阪神支局襲撃事件」などは自分の犯行と主張した。
男性には手紙の切手代や手間をかける御礼の意味で一回一万円の通信費を十回ほど送った。男性の手紙は週一度のペースで、一年余の間に約五十通届いた。
出所後、今年一月四日から三日間、インタビューを重ねた。
取材中は神経を集中させたが「うそを言っているのではないか」という不審な点は特に見受けられなかった。
古い記憶を一生懸命喚起しようとしていた。
男性の証言は大筋で(1)自分が実行したのは「東京」「阪神」「名古屋」「静岡」の四事件(2)襲撃を持ち掛けたのは在日米国大使館の佐山氏(仮名)。
動機は金。
銃器類を用意したのも佐山氏(3)阪神支局の記者二人を死傷させたのは自分(4)犯行声明の文案を考えたのは右翼の故・野村秋介氏(5)事件当時は任侠(にんきょう)右翼の団体をやっていた。
児玉誉士夫氏と親しくしている時に米国大使館と接点が生まれた。
男性には自由に話してもらい、その後重要な点について何度も聞き直し、記憶があいまいな点と断定できる点に分けた。
断定できる点は記憶が鮮明な理由も語ってもらった。
基本的にテープレコーダーを回しながらインタビューした。
事件以外の話に明確なうそがないかもチェックした。
証言はディテールに富み、内容にほとんどぶれがない。
客観的事実と異なる点があることも把握していたが、情報と違う話を、自信をもって証言するところに、かえってリアリティーを感じたりもした。
米国大使館員だという佐山氏については、男性が収監前に使用していた携帯電話に、実際に大使館職員と接触があったとおぼしき記録があった。
金が振り込まれたという銀行の入金記録も調べ、「二十年前の記録は保管していない」との回答だったが、男性は銀行に行くことを全く嫌がらなかった。
男性は、自分が実行犯であることを証明できる証拠(散弾銃、手袋、コート、阪神支局から奪った手帳)を、東京の右翼団体の人物に預けたと主張。
取材班は死亡したこの人物の実家物置を調べたが、「ブツ」はなかった。
床下も天井裏もマンホールも探した。
しかし、この人物が生前に男性に送った手紙や関係者の話から、「何か」をこの人物に預けていたのは間違いない。
証言が完全に虚偽と判断できなかった。
共犯者や事件関係者も取材し、犯行声明文をワープロで打ったという女、カオリ(仮名)の連絡先が判明。
直接取材に難色を示した男性との会話の中で、カオリは肯定ではないが否定とも言い切れない反応だった。
大使館職員の佐山氏は「私という存在が表に出ないのであれば、知っていることを話すことはやぶさかではない」との反応を示した。
取材班は男性の証言を次第に確信するようになった。
編集長は取材班に「すべてを疑ってかかること」「確たる証拠がなければ記事にしない」と伝えた。
男性が実行犯と証明できる証拠物は入手できなかったが、証言は詳細を極め、犯人のみが知りうる「秘密の暴露」が含まれているように思えた。
主要な人物もあいまいな反応を示した。
掲載まで約二百時間に及ぶ取材班とのやりとりで、証言にほとんどブレがないとの報告も受けていた。
証言は記事にする価値があると思い始め、男性の「実名のほうがいいでしょう」との言葉が後押しした。
手記にまず疑問の声を上げたのは右翼活動をする人だった。
追跡取材を進めるうちに、「経歴部分」で信ぴょう性にほころびが見え始めた。
佐山氏からの抗議があり、男性の証言の「事件部分」にも疑念が生じた。
その時点で記事を訂正しなかった理由は「核心部分が間違っている」との確証がなく、男性自身が「手記は真実」と主張していたこともある。
追跡取材中、男性が突如、「私は実行犯ではない」と証言を覆した。
不可解としか言いようがなく「想定問答を読まされた」との事実無根の発言にはあきれる。
新潮が不正支出をしたかのような報道があったが、手記を掲載すれば原稿料が発生するのは当然。
不正に類する行為は一切ない。
手記が誤報だったと率直に認めざるを得ない。
最大の原因は裏付け取材の不足にある。
虚言をろうする証言者の本質を見抜く眼力がなかったことも深く恥じ入る。
しかし手記にする際「一点の捏造(ねつぞう)もなかった」ことは明記したい。
「真実相当性がある」と判断し、手記を掲載した。
結果的に誤報となったことはおわびするが、報道機関が誤報から百パーセント逃れることは不可能と言える。
週刊誌の使命は真偽がはっきりしない段階にある「疑念」にまで踏み込んで報道することにある。
雑誌ジャーナリズムへの信頼を傷つけてしまったことはざんきに堪えない。