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人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?
http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/690.html
投稿者 PCOG 日時 2012 年 1 月 24 日 16:19:37: QQblZfjbsVI.6
 

人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

以上の命題は古代ローマ以降思想家の研究課題であった。余も齢85歳となり、そろそろ死期も近づいたと感じる昨今であるが、人生の締めくくりとして、高揚した洞察力を駆使してこの命題を考察することにする。

さて、人間の身体を創る設計図が遺伝子であり、DNAの中に人の場合30億個の遺伝子が並んでいることが分かっている。遺伝子の指示に従い人体が出来上がる過程は極めて精巧且つ複雑であり、まさに想像を絶する神秘性を帯びたものである。ダーウインの進化論や遺伝子の突然変異だけでは絶対に説明不可能である。人間はアメーバから進化した偶然の産物と考えることはどうしても出来ない。「何らかの大いなる力」が働いて、初めて人類がこの世に誕生する事が出来たと考えざるを得ない。宇宙の生成も亦然り。ここに吾人は、輪廻転生を信ずると信ぜざるとに拘わらず、造物主(神)の存在については、之を認めざるを得ないことになる。地球上の全ての生物(人・動物・植物)は何れもその細胞の核の中に、遺伝子が並んだDNAを持っている。つまり地球上の全ての生物は造物主(神)の創ったものと考えざるを得ない。そして、地球上の全ての生物は造物主によってDNAに組み込まれた指令によって、生きているものと考えられる。

つぎに、生物(人・動物・植物)と造物主(神)との意思の疎通は可能かについて考えてみる。

造物主(神)は人間の目には見えない次元の違う多次元の精神界に存在するのではないかと考えられる。更に、造物主の精神の一部は生物(人・動物・植物)の精神の一部に組み込まれているものと考えられる。生物(人・動物・植物)は死んだ場合、肉体・固体は消滅するが精神(霊魂)は精神界に吸収されることになる。そして、万物の根源は波動によって構成されているのであるから、波動によって生物(人・動物・植物)の精神(心)と多次元の精神界とは繋がっているものと考える事が出来る。

上述の推論から、人間は死んだ場合、肉体から分離した霊魂は多次元の精神界へ戻る事になる。

つぎに、人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?について考えてみることにする。

それではこの命題を解決するに当たって「大腸菌は永遠に生き人はなぜ死ぬのか」について考えてみることにする。大腸菌は安定していて異状分裂の危険はないが、反面進化がない。人間の細胞は癌に変化する危険を内臓しているが、反面進化がある。

大腸菌の遺伝子はゴム輪のような環状をしており、異状分裂を起こさない。異状分裂を起こさないから、栄養や酸素、水分といった環境が整えば永遠に生き続けることが出来る。しかし進化はしない。

人の遺伝子は進化の過程で遺伝子情報が複雑化し、環状から線状になっていった。そして、有性生殖をするようになり、線状の遺伝子は分裂などの過程で、切れたり、くっついたり、遺伝子変異をみるようになっていった。

このように遺伝子異常をもったものが永遠の命を持つと、遺伝子異常はさらに集積し、種は滅亡してしまう。線状の遺伝子を持ったもので種の滅亡を逃れたものは、実は死を獲得したものであった。人のDNAにも死がプログラミングされた。ヒトという種が絶滅しないで今も続いているのは、個々の死があったからである。遺伝子異常は集積することなく、個々の死でもって終る。

今日吾人が生きていられるのは、過去の見ず知らずの人や隣人の死があったからである。他の人の死で吾人は今生かされている。人は絶滅から逃れるために死を獲得したのである。吾人もいづれ、次世代へ命をつなぐために死んでいく。人としてこの世に生を受けた者として、自然で必要な役割であり宿命である。

さらに、線状遺伝子を持つ生物には進化がある反面遺伝子変異の発生を受忍せざるを得ない。よって、非健常者の犠牲の上に健常者の存在があることを忘れてはいけない。

そして人の遺伝子に組み込まれた生き抜くための強烈は闘争本能は、今日でも国家間の戦争を必要悪として是認しており、領土や資源獲得等のための紛争が絶えない。よって、吾人は過去の戦没者の犠牲のうえに生かされていると言える。

さらに、吾人は他の生物を食べてつまり他の生物の死の犠牲のうえに生かされている。

さて、造物主(神)が生物(人・動物・植物)を創ったあとは、生物(人・動物・植物)と精神界の造物主(神)との意思の疎通に基づく、環境により一層順応した進化がなされるものと考えられる。ここに進化は「環境順応性を高める人間と造物主との共同作業である」と言うことが出来る。

因みに、今日の自然科学はミトコンドリアDNAの解析により、現代人共通の祖先は、20万年前アフリカに現れた、一人のアフリカ人女性であるとの科学的な結論を出している。

造物主(神)は人間を生態系の頂点に位置づけられた。そして、人間の心は造物主(神)に通じている。この真理と誇りを忘れることなく、地球を宇宙の楽園にするという究極の目的に向かって、吾人が現在置かれている環境下で精一杯の努力をして生き抜くことが、造物主(神)の意思に従うことになる。

科学が進歩発達して金や物が豊かになっても、人間は幸福にはなれないことは現在の社会が立証済みである。余が85歳にして悟ったことは、「人間はこの世に貴重な生を受けたのであるから、物心がついたなら人生の目標を定め、自分が置かれている環境に応じて、軌道修正と休息を交えて、全力を尽くして目標に向って前進すればそれでよい。成功失敗は時の運であり問題ではない。とにかくこの世と別れるときに、あのときもっと頑張れば良かったと後悔するような人生を送るべきではない。精一杯頑張りぬいたので我が人生に悔いは無いと、にっこり笑って死を迎えることができたら立派な人生を送ったことになる。」ということである。

結論としては、「人間は終生、人のため、世のため、に尽くすことで己を磨き続けることに喜びを見出して、精一杯の努力を重ねつづけること」がこの世に生まれてきた目的である。 (旧提言5必参照)

最後に、極めて長いスパンで将来を展望すると、人類がDNAに組み込まれている「闘争本能」を制御して、同じくDNAに組み込まれている「協力して獲得したパイを分かち合う」という本能を駆使することで、核兵器を用いた馬鹿げた戦争を起すことなく、地球上に今後益々共存共栄した場合であっても、今日の自然科学は、極めて遠き将来においては、太陽系惑星のみならず銀河系宇宙そのものも消滅すると予言している。そして其の頃には人類が銀河系宇宙以外の惑星へ移動する手段も実用化されているものと思われる。

http://www12.bb-west.ne.jp/matuoka/  

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コメント
 
01. 2012年1月25日 20:16:19 : SRneOdi6h6
人間の生きる目的は自分の悪い心を根絶してきれいな魂になることです。

02. 2012年1月27日 23:52:52 : hFUrO4okg2
死んだら、大気に、土に、つまり地球に帰るだけ。
永劫の過去から、未来永劫に渡って、生物はそう。
そしてそれだけ。

地獄も極楽もなし。出入り計算も合わんし、第一、設立者は誰やねん。
幽霊とは幻影。

死ねばさっぱり。なーんもない。
「我思う故に我あり」の我なし。故に思わず。永遠にそれだけ。
さっぱり。なーんもなし。


03. 2012年1月28日 20:53:31 : 8jEvPYN6QQ
多分、一生考えても分からないから、生まれ変わっても、ずっと考え続けてるんだと思う。

04. 2012年1月28日 22:24:29 : lqOPOFnyLE
>人間の身体を創る設計図が遺伝子であり、DNAの中に人の場合30億個の遺伝子が並んでいることが分かっている。

現在の科学知識として簡単にこう表現されているらしいが、疑問なところは数々あり、諸説の可能性がまだまだある。設計図とそれを実現できる場(というか、卵細胞のこと)、組み合わせなどによる遺伝的なものの可変性(というか、環境に応じて変幻できること)など、簡単な表現では(なにを遺伝子というか、DNAだけでは)まだまだ表せないことが、あまりに多くある。そのことを銘記しておいてほしいものだ。


05. 2012年1月29日 11:03:28 : qvKY796ZzY
人間が死ぬと、肉体とそっくり同じ形をしたエーテル、魂が残る。
魂は永遠に生き続ける。
魂は魂の周波数で見ると人間の形をしていて、生活も営める。
時々三次元の肉体を得て、三次元で生活する。
これが今までのパターン。
来年から五次元になるから、パターンが違ってくる。
三次元のときのような輪廻転生は無い。
魂のように肉体を着たまま、永遠に生き続ける。
だから、死んだらなにもなくなる、ということはありません。

06. 2012年1月29日 23:42:56 : O3nFJcYsfI
小学校4年の時に思いついた。答えは出てない。
突き詰めて考えていくと、投稿者程度の考えは如何にも浅慮の理屈で馬鹿馬鹿しく思え
さらに突き詰めると、酷い孤独感に苛まれる。

個人的な体験では、02のコメントくらいで考えるか、考えないほうがよい。


07. 2012年1月31日 08:02:33 : xLsG8UrfvU
>>02
この世にも現在のイラク・アフガンなどの住民や米国とその双方の兵士・家族たち、過去の戦争体験者、凶悪犯罪者の末路、政治・経済要因からくる餓死や、家庭内殺人犯と家族、怨恨・痴情が原因の殺人者とその家族などなどなどこの世にも「地獄」はいろいろありそうです。
これだけの地獄があるのは確かなんで、この世に人間の皮を被った物主のような「サタン」はいて、また神に近かずこうとするものたちがいても、「神」なるものがいないのは確かなようです。

近世を振り返れば、西欧諸国は布教や市場開拓のもとに覇を争い植民地を世界各地に築いたが、その浪がABCD包囲網という形で日本に及ぶと、日本人は決然と立ち向かったが、敗れ去り、今はその一員に仮したように見える。
現在も覇権は西欧諸国が握るのは間違いなさそうだが、ここにきて、中国の台頭で
世界情勢は混沌としてきたようです。
米は対テロ戦争でアフガンやイラクを破壊、さらにその爪はイランに及ぼうとしている。自分の国の側だけが核を持ち、他国にそれを認めさせないのはまさに覇権
勢力の成せる技でしょう。
もう核は世界から廃絶しなければ、いつまでもこういう争いは続き、最終的には、第2・第3の日本のような国を生み出し、核戦争も避けられないでしょう。
イラクはその道しるべといえるでしょう。
この世を今以上の生地獄の地にはさせたくないものです。

 諸行無常


08. 2012年1月31日 21:36:07 : 8rNCXQYiW2
バ〜カか。慈悲心で教えてやろう。「全力を尽くして目標に向って前進すればそれでよい。精一杯頑張りぬいたので我が人生に悔いは無い・・・立派な人生を送ったことになる」だと〜・・・。正しい洞察(正見、正思)なくして「精一杯頑張る」なんて、結局は悪魔に奉仕して罪業を積むのがオチだ。PCOGクンは別項でユダヤ金融の手先だという正体がバレてるヨ(世界政府論)。このままでは、PCOGクンは人間として生を終えてからは、大腸菌として生を受けるだろう。それが仏教でいう地獄だヨ。「人のため、世のために尽くす」というのは立派だが方向が逆では、結果は逆だ。精進のための精進は、無目的な精進より悪いゾ。

09. 2012年2月03日 10:24:49 : 7WZekNACgc
人間だけが何かの目的を持って生まれてきた?
神の姿に似せて作られたって言いたいのか?
思い上がりだね。
象や犬やバッタと同じ、単に生態系のバランス上生まれたってだけ。
目的を持って生まれてきたのではなく、目的を持って生きればよいのだ。

10. 2012年2月08日 17:22:03 : qvKY796ZzY
自分の魂はずっと大昔から、生き続けているのです。
肉体だけをとっかえひっかえ、衣服を脱ぐように輪廻転生を繰り返しているのです。
だから、肉体が死んでも、魂はその肉体から出て生き続けるのです。
その肉体の時にした悪い行いは、魂に傷がつくか魂がにごり、魂が劣化、低俗化するのです。
魂を低俗化させてはなりません。
魂を低俗化させたら、更に高い次元には行けなくなります。
地球は今年末から、三次元から五次元へ次元上昇・アセンションすることになっており、魂のにごった人や傷ついた人は五次元へ行けません。
人を苦しめて自分だけが良い思いをしているような人は上のクラスに進級できないのです。落第なのです。
人生の目的は魂を磨いて、それを永遠に続く未来に持っていくことなのです。
死んだら終わりなんだから、やりたい放題のことをするような人は失格なのです。

11. 2012年2月23日 12:51:45 : cqRnZH2CUM

>人間は死んだらどうなるのか?

何もかわらない

その人を構成していた物質は、それまで通り自然法則に従って動いている


>人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか

ヒトを作り出した人格的存在(超越者)がいるなら、その存在に聞けばいいが
その存在の思考もまた、構成要素の因果によって生じてきたなら
その存在が、どんな目的をもっていたかには意味はない

つまり、一切の存在には、絶対的な目的も意味はない

その存在の思考や感情は、その置かれた状況で決まっていき
多様な価値観や喜怒哀楽が生滅していくだけだ

目的意識や、意味感覚もまた同じこと


12. 2012年2月23日 12:56:57 : cqRnZH2CUM

>最後に、極めて長いスパンで将来を展望すると

確実に人類は滅び

この宇宙も滅びる


13. 2012年2月24日 11:03:56 : akt18jAoWg
因果関係としては
父と母がエッチをした結果産まれてきた
だろうけど、目的については人それぞれ本人が決めることだろうな。

14. harahorehirehara 2012年2月25日 15:49:09 : UrfurLbtNaUVw : G3UdYLyhsI
「人は、死ぬと永遠の時間を旅する事になる!」というような内容の本を書いている人もいますが、死んで見なければわからない事は自由に考えて、自分にどのくらいの想像力があるのか確かめる手段として、個々に楽しむものだと思います。

15. 2012年3月18日 21:22:32 : jNhLiHGQnc
>人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

人類が続く限り、楽しめるお題だ。


16. 2012年3月31日 11:25:54 : n8vLOurYuw
人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

そう思うことが既に生まれながらの目的を持っていないことを示している。
そして、なにか目的を持ちたいという望みを示している。
だから、生きる目的を得ることが、そしてそれを目指すことが生きる目的ではないかと。

死んだらどうなるのか?
死ぬまでに目的を果たせるのか?死後にも遂行できるのか?
それが気になる理由でしょう。
死が遠い先にあるゴールという捉え方のせいかもしれません。
過去や未来と言うのは実存はしません。
過去はかろうじて記憶として残っていますが。
今を生きるしかないのです。
今の生き方が、その時に満足するか後悔するかを決めるのです。
一時たりとも手は抜けません。
あそこにゴールがあるから、ペース配分を考えてこうしよう
なんてことはできないのです。

個人的には、精神は物質に依存してると思うので死んだら肉体と一緒に
消滅すると思っています。
ちょっと違うな、精神と肉体は依存しあってるので、どちらかが死ねばもう一方も生きてはいられないと思います。
想像ですけど。


17. 2012年4月05日 21:44:31 : OvlUtmqlAw
人間は死ぬと
1.肉体は死んでしまいますね=これは皆が知っている通りです。
2.パーソナリティー(人格)は墓の傍で10年ー100年ぐらいで消滅して行きます。個のパーソナリティーがエネルギーとして時には幽霊として出るんですね。
3.エッセンス=(魂)=は五次元へいって『審判』を受けます。
4.大多数のエッセンス(魂)はまたすぐにこの三次元の世界にカルマの法に沿うって新しい父と母の体内に戻されて、異なった新しい肉体を与えられて再び生きます。
5.108回目の人生の死を迎えた人の大部分は『地獄へ行きます』
6.地獄で何千年の長い時間=自分の汚れたエゴを強制的に洗浄されます。
7.それが終わると=鉱物界の岩・石・土の中野精霊として何万年も生きます。
8.その後植物界の精霊として何万年も生きます。
9.その後動物界の精霊として何万年も生きます。
10.それからやっとまた人間として生きます。

ですから地獄へ落ちた人間はすぐに人間に戻れるのでなくて、岩として植物として動物として何万年も生きた後にやっとまた人間として生きます。


18. 2012年4月14日 22:14:41 : fROVgvL45E
人は死を意識するからこそ、人生に意味と価値を求め、時間を大切にするようになった。
そしてそれが、人類の進化に繋がっているからこそ、生態系の頂点にも立てた。
だからこそ、死は無であり、恐れられなければならないのだ。
生きているより、自らの死を選ぶ人の多くなったこの国(そしてそれを隠す支配層)を、心から憂いでいる。

19. 2012年4月15日 14:15:22 : rWmc8odQao
原研哉氏
「おにぎりの夢を見た。なぜか坂本龍一に一生懸命説明している。人間は「おにぎり」という環境に生きている。お握りというのは、米の粒の大きさと人間の手の大きさの比率そこに重力やら表面張力やらが働いて成立している。これが環境であると。」
https://twitter.com/#!/haraken_tokyo/status/191390884783325184

天才の言葉はいつも神秘的だ。よく分からなくて、そのくせ魅かれるものがある。


20. 2012年4月16日 22:43:14 : 4QNZ1Y02gs
永遠に誰にもわからない。

わかったと思い込むのは勝手だが・・・・



21. 2012年4月20日 15:43:25 : yodKKoJE7Y
私の場合

私の墓に私はいません。千の風になってあなたのまわりにいます。あなたを
見守っています。

  これは日本の従来の考え方そのもので神道そのものですけど

私の家では代々そのように親から教えられて今の私もそれでいいと考えてます。
自分は死んだら身は滅びますが魂となって子供や孫を見守るでいい。

神社へきてもらえれば私は正装して子供の願いを聞いてあげますし、神棚から
パンパンとかしわでをうって呼び出してもらえればを子供の心の中に現れます。

神社で アマテラスさまと読んでも お父さん 神様と読んでもいい、それが
死んだあとの私です。

ですが生前、身も清く心も正しくしてなくちゃ、お前のいうことを聞かずに
あまりいうこと聞かなかったらこちらへ呼び寄せするぞ。
生きている間はきちんといいつけを守りなさい。

だからお参りにいくまえにお風呂(水で清める)に入ってきれいにして親たち
にあいにいくと。

それでいいじゃないかって思っています。
神様からこの世で生きなさい。明るい心で精いっぱい頑張って生きることを
楽しんでいいよっていうプレゼントをいただいたのではないかと思う。

だから仲良く皆で力を合わせていきていく考え方があって、神様も酒好きで
祭では一緒に楽しむ。

そうだろうか?って小さいころは思いましたが、今はまあそれでいいじゃないか。
深く考えてもしょうがない。になっています。 

私はお伊勢さんの近くなので自然にそういうふうに育ち生きてきました。
今後もかわらないと思います。 


22. 2012年4月20日 15:57:36 : yodKKoJE7Y
私の場合(2)
私の墓に私はいません。千の風になってあなたのまわりにいます。あなたを
見守っています。

  これは日本の従来の考え方そのもので神道そのものですけど

私の家では代々そのように親から教えられて今の私もそれでいいと考えてます。
自分は死んだら身は滅びますが魂となって子供や孫を見守るでいい。

・・・・あとお坊さんにお葬式にきてもらってお経をあげてもらうのは

亡くなった人がでてしまって 
生き残った家族の人への今後の心の持ち方を教えていただき心を少しでも
いやしてもらうというのが本来の趣旨のようです。

残された人が悲しみすぎないように ショックをやわらげれられるように
お経を聞くわけですが お経の文章の中身は 残された人へのさとしの言葉
ばかりなわけです。仏陀自身は死んだあとどうなるかはわかりませんといって
いたわけで、日本に仏教が入ってひろまったのは 生きる心構えの教科書と
して普及させたし、だけどみな神社にもいくのは 死んだ人は 守り神になって
神社にいらっしゃるからです。

ま 私の家ではそのように教えてもらいました。


23. 2012年4月30日 04:23:46 : WDXVTlrXQw
「死後の世界」なるものが存在して、月や火星に探査機を送るように映像を撮って来れたら世界がひっくり返るだろうな。
正真正銘の宇宙人の画像と、正真正銘の霊界の画像、どちらか一方だけ見せてやるっと言われたら…宇宙人の方だけど。

24. ポントゥーン 2012年5月02日 13:29:43 : WpDJwdGRkvqc2 : mLq4Vd0kCc
人間を含むあらゆる生き物、生まれてくるのも、老いるのも、死ぬのもすべて自然現象だ。ただそれだけのことだ。考えてもそれ以上のことは分らないし考える意味がない。

25. 2012年5月09日 14:47:23 : jNhLiHGQnc
まだ、やってたのか。やっぱり永遠のお題だな。

26. 2012年5月24日 20:53:57 : WDXVTlrXQw
現代の日本人の中にも人それぞれ様々な生死感が有るのだな…と、
興味深く読んでいます。
科学的アプローチ、宗教的アプローチ、哲学的アプローチ、オカルト的アプローチ…
皆が納得するただ一つの答なんて無い、
「死んだら解る」それが唯一の答ですね。

27. 2012年7月08日 23:36:05 : F9SqiYedHE
イエスの言葉に「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」と言うのがあった。 この世に属するものはその支配者に返し、神から与えられた命、魂とか霊は神に返せと言う意味だろう。 そうだとすると、自分の物は何もないことになる。 自分が今生きていると思うことは、自分の意識だけのことであり、その意識もこの世に属する肉体が滅びれば消滅する。 種としての人類は継続するが、ここの人の自我の意識は肉体の死と共に確実に消滅する。 人が神と言う概念を思うのは、自我意識によってではなく、無意識によって自分が支配されていることを知っているからだろう。 ショーペンハウエルの言った盲目の意思もこの事を指していると思う。 ユングの言いだした集合的無意識も同じことだろうし、無意識の元祖であるフロイドの虚焦点も同じことを指しているのだろう。 表層意識である自意識は肉体と共に消えるとして、無意識の領域にも自己と呼べる自己意識が存続するかどうかは判らない。 投稿者よりは数年は若いが、何度か臨死体験と呼べるものを持ったが、その意識が死後の領域のものではなく、むしろ死から蘇生する時のもののような気がする。 宗教的な意味での自我からの離脱を体験したと言うことはないから、ヨーガや禅の無意識の体験の話は興味はあるが、自分にはそのような領域にまで到達したことがない。 何度も死に近づいた体験からすると、死の苦しみというものは無いと思っている。 逆に瀕死の状態から回復するときに、非常な苦しみを感じるのじゃないか。 現在の体調から見て、そう遠くない時にそれがあるだろうが、死についての恐怖はもう無くなってしまった。 それを自ら確かめられると思うと、不遜な考えだと言われるかも知れないが、なんだか妙に楽しみでもある。 N.T

28. 2012年7月12日 06:52:39 : EhlqCDnS96

このまま後二〜三百年、地球が比較的維持していたら
知能が高い人間は
やがて、ロボット化していくことだろう
(映画の見すぎかと思われるが)
ロボット化すれば、永遠に生きることが出来
他の惑星に行くことが出来るかもしれない。
こんなことを想像することが出来る人間


29. 2012年8月15日 00:07:20 : 5D411adauA
そう思う。結局どんな研究してもビックパンから地球から人間の体の神秘、それらが全部偶然からなるはずがない。1人、ダーウインが人間は猿から進化したんだ。と言う言葉を信じるのは愚かだと思う。私は猿なんかじゃない。猿が進化した生き物なんかじゃない。神様に望まれて愛されるために生まれてきたんだ。私は答えを知ってるの。ちゃんと聖書に書いてあるの。人は死んだのち裁きを受けるって。だから私は伝えたい。あなたは愛されるために生まれてきたんだって。イエス様が私の罪の身代わりとなって死んでくださって私は天国に行けるって。宗教なんか心の弱い人の信じることだって思ってる?でも宗教って類どころじゃなくて、ガチでビックニュースなんだって。本当にいた人が自分のために命を捧げてくれたんだよ。私、これが本物の愛だと思う。人間は死んだらなくなっちゃうような存在じゃない。神様が望んで私を作ったんだから。

30. 2012年8月16日 11:31:50 : DEOGt4kpzV
川の流れには 意味がないように

人の生死にも 意味はありません

自然の一部としての人生に

「目的」や「理由」を求めるのは 錯誤です

無意味を愉しみ 無常に遊ぶ

梁塵秘抄がいうように 遊びをせんとや生まれけむ 

で良いではありませんか

それでも気が収まらない人は

柳宗悦の『南無阿弥陀佛』でも『美の法門』でも

井筒俊彦の『神秘哲学』でもお読みになってはいかがでしょう。


31. 2012年8月18日 00:52:25 : o2gAJc6Fd2
人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

これは誰でも一度は考えた事が有るでしょう。

人間は死ぬとどうなるか? まずは何か人間は他の動植物と違う物と言う意識が
働いていないだろうか?これは単純に考えれば他の生命体と同じであると考えた方がしっくりする、
そう元に戻るのだ生まれる前に。意識は記憶であり思考も又同じ
と考えるとその活動が終わった時がその生命の終わった時であり霊魂などは残らない、
子供が居ればその生命は続くだけなのだ、こう考えるのが自然。
では人間は何の為には、それと同じくして他の生命体と目的を同じと考えると食って排泄する、
これに尽きる、何故ってその様に出来ている言わば自然の共生なんだよ、
これを理解するには動物と植物の共存共生関係を考える必要がある。
条件が整えば大地は草が生えやがて木の芽が伸び木になりそして森林を構成する、
その豊かな生命あふれる森を形成するには動物の力が必要なんだよ。
例えばモグラはミミズを追っかけてその大地に穴を開けまくっているがこれは
大地を耕し空気と水の循環と保持を良くする為に木々に雇われた穴掘り人
と考えるとその生命体の役割は理解出来るであろう、
勿論モグラはその生きてる意義など考える訳も無くミミズを求めて
穴を掘りまくっている訳だが、そしてモグラには休む間もなく
穴掘りに専念してもらう為胃袋が小さい、食い溜め出来ず又重労働なので
絶えず食っていなくてはいけない、そして排泄物や死んだ遺体は植物の糧なのだ、
何と言う自然の摂理であろうか。もぐら一匹でもこのありさまなのだから
その動植物の自然の絡みにおいてはそれぞれが意義が有りその亡骸も
植物が育つ土壌の糧となり森を支える。
人間は思考と記憶とそれら知識の伝達がちょっぴり他の動物とは違いそれを
活用して理想を追求する事が出来るでしょうがそれを利用し文明なる物を
持って自然と切り離された生活を送っているように思えるが所詮動物の範囲で
植物無しでは生命の維持が困難なのはやっぱり植物の奴隷なのでは無いかと思う。
結論は食って大地に排泄して遺体は埋めて
植物の肥やしが人間の本来の生きてる意義なのかもしれない。


32. 2012年9月29日 07:16:24 : bgXSBvq2tI
このテーマは、物心つく前から考えていた。
母親の手に抱かれながら、なぜ、この家の人間に生まれて来たのだろうと。
未だに、答えがわからない。人に生まれたのも偶然かもしれないし。

それよりも、人々の信じている「神」の正体が「サタン」だったらと思うと、死後の魂も救いようがない状態だろうなぁと…。

2012年アセンションを信じるのも、騙されるのも、個人の自由だと思うが、人はそれ相応の生き方しかできない生き物だと感じている。

人が生まれて来るのは、生きる目的を探すためかもしれない。見つける前に、人生終わってるかもしれないけど。人類愛に目覚めることができた人間は幸せなヒトなのだろう。
今を精一杯生きられない人間が、来世で幸せになれるとは思えないし、この世で経験した事や学んだ事しか、魂は記憶できないんじゃないかなと。

そんなものが存在するならばの話ですが。


33. 2012年10月11日 18:11:53 : jww1Eo5EvQ
飯喰うためにうまれてきた。

34. 2012年10月24日 18:13:51 : ynhHPtwBbc
本物のスピリチュアリズム関連の本読んでいただければ、解決できますよ。
人間とは、霊を携えた肉体ではありません。肉体を携えた霊なのです。肉体が物質であるがために、どうしても遺伝子がどうのこうのと言いたがりますが無理からぬことだとは思います。しかし、そのような見地からは解決できません。あくまでも物質主義の延長線上での発想だからです。

 余談ですが、神とは人間の思考の果てに、また英知の極みに認識されるものでななく、ただただ深い想いの中に予感されるべきものではないかと思います。人間は、とかく何でも「まな板」の上に乗せたがるものなんですね。神様さえも。


35. 2012年10月29日 21:58:03 : QabsLVrLCw
人類創造説は最も考慮しなくてはいけない事柄かもしれない、
何故なら今人類は遺伝子操作で動植物を加工し始めているし
地球型惑星を探しているから。

創造者(宇宙人)からのメッセージ

http://www.youtube.com/watch?v=OYqp9rzJYy0&feature=related

この様な考えも思考の一つとして考慮しておいて下さいな。


36. 2012年11月02日 18:51:22 : ynhHPtwBbc
35.さんへ 人間の起源が、原始スープの中から自然と始まったとうのは、わたしも納得がいきません。あくまでも、創造されたるものと考えます。ここでいう宇宙人という表現は、いわゆる代名詞的な呼称で、実際にグレーのアーモンド型の目をもつ存在が、試験管のなかで人間を創造させたということではありません。いわゆる、象徴の意味かと思います。そして、創造されたのは、あくまでも超高度な肉体機能のみです。つまり、器です。そして、その器に入れるべき霊(魂)が人間と呼ばれるものではないでしょうか。動物も人間も同じ材料から出来ています。違いは、その器の緻密さ(構造)であり、それに見合う霊(魂)が宿るということではないでしょうか。わたしは、心霊学徒の末席に坐する者で、未熟者です。故に、感覚的な表現しかできませんが、少なくとも、肉体と霊とは分けて考える必要があろうかと思います。生とは、肉体と霊との有機的結合状態かと思います。

 35、さん、よろしければ、いろいろとご指導ください。


37. 2012年12月21日 00:22:44 : RA0yuZxuRM
人類の役割
これも植物との共生との観点から考えてみるとその役割が見えて来ます、
モグラは食べる行動により土を耕し植物にとって理想の土壌を供給する事が
この動物の役目、ただモグラ自身はそれらに気が付く事は無いでしょう、
それと同様に人間にも植物にとって重要な働きが有るのです、
それは種を運ぶ事、これが人間の役割でなすすべき事なのです。
人間社会はとても複雑な役割分担によってその生活を維持発展させてきました、
人間社会全体としてはそれら個人個人の仕事が組み合わさり機能し人類の生命活動を維持する事が出来社会全体が発展して来ました、
その営みの中で仕事や趣味や娯楽異性家庭に生きがいを見出す方もいらっしゃるでしょうがそれは各個人の範囲の中での観念であり本来の人類の目的ではありまん、人類本来行動の目的は食べることなのです、食べる為には植物を育て収穫して
食べる事になるのですが、これが本来の人間の意義、植物を育て食べる行為が
植物の種を運ぶ行為になるのです。
人類は過去海洋に乗り出し世界を知りそして種を植物を持ち帰り育て食べています
この時点で植物は世界的な移動が出来た事になります、人間に育て食べられても
植物自体では出来えなかった移動をそして繁殖もしそれも地球規模の移動をやってのけました。
そして最終的な植物の野望は地球を脱出して他の地球型惑星に飛ぶことなのです、
皆様もご存知の通り地球にも寿命が有りこまま行けば確実にその生命体全体は
消滅してしまうでしょう、しかしもし他惑星に飛ぶ事が出来ればその地球生命体は
永遠の生命を得る事になります。
その為に植物は人間種に知能を与えたのかもしれません、又人間も植物の奴隷であるかもしれませんが共生の意味合いから考えるととても良い共生状態かもしれません。
今地球の人口は70億位だと言われています、そしてこのまま行けば100億を突破して人類社会は破綻するとまで言われていますが恐る事はありません、宇宙の他の地球型惑星にその生命の種を移せばいいのですから、そして今科学は進歩してその下準備は着々と進んでいるのです。

38. 2013年1月04日 08:47:42 : btltW8DzaE
正解を求めても無意味だ。我々には確かめようがない。
面白いのは、各人のそのときの境遇、精神状態により見解が形成され、
またそれらも変化するであろう事。
個人的には、造物主の創造と考える。
現世界の邪悪な支配者、権力者にとって最も厄介なものであろうから。

39. 賢者の石 2013年1月31日 04:34:54 : Qf5ShLuWtoZHs : zTN0eWeDcM
分からない事にいぎがあるのだ。
人間よ生物の頂点等とまちがっても思いあがるようなことをせず
謙虚さを持ちつづけ、自然界、宇宙へのいふのねんを忘れるなということだ。

わからない事があることこそ、不完全さの象徴であり
わりきれぬ円周率のごとく、人間への永遠の努力と謙虚さを持ち
続けよという宇宙からのメッセージである。

わからないこと苦悩するような傲慢さを捨てよということだ
わからないことがあって当然であり、宇宙は人間様の為に都合よく
できてはいないという事だ。


40. 賢者の石 2013年1月31日 04:46:37 : Qf5ShLuWtoZHs : zTN0eWeDcM
創造主がいるなどと傲慢そのもの。
人間が都合良く宇宙の全てのを理解出来るようにできているはずもなく
創造主など人間の無力、無智を認めたくない
傲慢なやからの妄想のたぐいだ。


我々は物自体も何かすら本当はわからない


創造主という最もらしい思考停止に陥らず
永遠に這いつくばってひたすら努力せよ。
無知の智を知れ人間よ。
盲目な存在であり、勝手な五感の作り出す認識によって世界を
見ているだけだ。我々の五感が真実の世界を見せている
確証なぞどこにもない。哲学では初歩的な考えだ。


41. 2013年2月23日 00:47:08 : zBYc960RaI
エネルギー不滅の法則に基づき、死は形態を大きく変化させるが消滅はしない。
かたちが変わるが存在は不滅だ。
宇宙ができた時から状態が変化を続けているだけで質量は一定だ。
だから、人を構成する物質は宇宙創生当時からそこにあった。
死んだあともそこにある。
すべては輪廻、循環するだけで消えもしなければ増えもしない。

まったくわけがわかりませんね。


42. 2013年4月26日 06:14:03 : E4bT3Bpr2w

>だから、人を構成する物質は宇宙創生当時からそこにあった。

超新星爆発がないと生命に必要な元素が作られないので「宇宙創生当時からそこにあった」というのは誤りです。

>人間は死んだらどうなるのか?

人間に意識というものがなければ、このような問題について思考する事すら出来ない訳ですが、では、その意識が生命進化の過程のいつ頃に発生したのか?

個人的には、神経系が出来始めた頃だろう、と考えています。従って、大腸菌は精巧に出来た機械みたいなもので意識を持たないが、神経系のあるクラゲ等は原始的な意識を持っている、と思うのです。

つまり、意識は、電気信号の極めて複雑なやり取りにより発生し、今の所、そのやり取りを実現出来ているのは、神経系を持つ生物だけだ、と考えている訳です。

電気信号は電磁場によって伝えられ、その電磁場は光子によって実現されており、その光子で宇宙は満ちている。だから、宇宙には至る所に意識の元がある。しかし、意識が実在のものになる為には、その処理系として、神経系が必要なのです。

従って「人間は死んだら、その肉体を失い、意識は消え去るのみ」です。意識は、元の光に戻るのです。

>人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

1番の目的は「種」を繋ぐ為、次に「種の生存に有利となる知識や環境を残す」為。

宇宙という壮大な実験場におけるモルモットでもあります。


43. genome_j 2013年5月12日 18:45:29 : DetC1KwLcE9Is : uCUTvTPDeU
 人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

→まず、肉体的には分解され無機物になる。そして、同化反応により再び有機物へと西合成される、という物質循環に取り込まれていくだけだと思います。死というのは、その節目の1つでしょう。次に肉体以外ですが、これは何とも言えませんね。そもそも生物以前に「物」はすべてエントロピーに抗う秩序の中で存在しています。最新の科学だと、素粒子レベルでは存在している状態と存在していない状態が同時に起こっている。クオーク、レプトン、ゲージ粒子という3つの基本素粒子の他にヒッグス粒子という第3の素粒子があり、さらに素粒子の挙動を制御しているヒッグス場の力学によって森羅万象は支配されている、となるでしょう。
つまりヒッグス場こそ神の姿かもしれません。肉体以外のエネルギーはプラズマ化して、このヒッグス場の力学により宇宙の中に散逸されるのではないでしょうか。
 次に何の目的で生まれてくるのかということについてですが、「命あるものは所詮死ぬ。形あるものは所詮壊れる。」それなのに生まれ、作られる。何のために?という質問だと自分なりに思っています。勝手な解釈ですが、生き物は目的があって生まれてくるものではないと思います。細菌類からヒトに至るまで、生物は単に確率的に発生しただけ。それだけのことだと思います。命が尊いなどと考えているのは人間だけです。何か、根本的なところで人間は誤解してるのかもしれませんね^^。


44. ぷえー 2013年10月01日 13:31:31 : mXTV7DLaQ3eo2 : b5ScVEWNSE
人間が死んだらどうなる……って考える、考える行為そのものは人間らしくていいけど、死んじゃったらそれまでなのは人間も犬も猫も虫も花も一緒だし。

そんなわかりきった事をわざわざ考えるような自我は、生物が生み出した学習能力(最低限、生きていく為の学習)のバグみたいなものですよね、自分が特別だと思ってしまう、そんな環境を作ってしまう人類の集団的な精神病みたいな

だから人間が生まれてくる事に意味なんてないし、地球が今ちゃんと廻ってるのも偶然

ただその(確率は知らないけど)ものすごいラッキーでここに自分があるっていう奇蹟を、自分が勝ち取ったものじゃなく神様のせいにするっていうのなら、まあそれもアリですね


45. 2016年12月11日 19:21:41 : EOXZRDSzLM : uypfXXFTIns[45]
この様になります。

【閲覧注意】江戸時代の遊女が徐々に腐敗していく様子を描いた絵(九相図)がヤバイ 嘘のような本当の衝撃??江戸時代の美女も・・思わず二度見

https://www.youtube.com/watch?v=QAS1GuOFl8M


46. 2017年3月02日 05:30:01 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[14]
エネルギー循環、そのエネルギーはエントロピーの法則に支配されている、
何を言ってるのかって?高いエネルギーは低い所に移行するって言うか
水は高き所から低い処に流れる、その中での生物はそのエネルギーを吸い取り
ちょっぴり高みに持ち上げる、何を言いたいのかは生命そのものが宇宙の仕組み
の一端って事。つまり生命の仕組み=宇宙の仕組み。

47. 2017年3月02日 05:44:20 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[15]
やがて来る死、その事実を認めれば何を力んで戦争や闘争なんかに現を
抜かすのでしょうか、与えられた環境条件の中で皆仲良く楽しく
暮らせば良いだけでその楽しさを後の者に伝えればよいだけで
人類はもっと楽しく楽になれるのに。


48. 2017年4月30日 10:30:30 : hKRNRNsg7U : ZKs9_WJa1ss[322]
生きる目的も神も宗教も死後の世界も人それぞれに存在するのであって、

80にもなって自分のそれを見つけたというならまあかまわんけど、自分用のそれを
人類共通だと思い込んでいたとしたら痛いな。


49. 悪は必ず亡びる[391] iKuCzZVLgriWU4LRguk 2017年6月30日 03:59:41 : cU8YufSQdA : tN@BxeFKMik[91]
肉体は魂を入れるための器。
肉体が死亡すれば、魂は肉体から抜け出る。
そして、意外と早くまた生まれ変わる。

しかし、生きながらにして既に魂が亡んでいる者がいる。
犯罪者の多くは恐らくそうらしい。
これっきりの、一度限りの人生だからと悪の限りを尽くしていると
生きながらに魂は滅び、二度と生まれ変わることもない。
運よく魂が残って、例え生まれ変わることが出来ても
来世では「人」でない可能性が高いということだ。


50. 2017年7月17日 07:19:09 : uvQhSLyGMk : _cSbAn_PfDE[1]
>何の目的でこの世に生まれてきたのか?
最終的に泥舟の乗組員になる目的です。
生命の素材を宇宙に再配布する仕組みらしい。

[32初期非表示理由]:担当:スレ違い多数により全部処理
51. 2017年9月11日 20:20:46 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[302]
自然環境と捕食者。 生物が食べるという意味と自然のバランス。
これこそが生物の存在理由。

オオカミってやっぱすごい!ほんの少数のオオカミの群れが自然に奇跡をもたらすまで(米イエローストーン国立公園)

http://karapaia.com/archives/52202394.html


52. 2017年10月08日 19:41:17 : WlrOftztpM : Gq_Wfvv_F2U[3]
生まれてきた目的なんてありません。

53. 2017年10月20日 06:52:32 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[335]

「9歳、宇宙のしくみを語る」


https://www.youtube.com/watch?v=0elS0Y5x_vU


54. 2017年10月22日 10:08:28 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[336]
 


スライヴ (THRIVE Japanese)

https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


55. 2017年11月12日 11:36:00 : fgqeAI41Co : iXzxMekb7qc[1]
動物や植物と同じく「ただ、そこに存在する」だけのものでしょう。
もしも本当に神がいるとしたら、その神は「貧困も争いも、少なくなるどころか拡大している今の世界を肯定している」わけだし、個々の人間(支配層も庶民も)何を言っても何をやっても結局は「生まれて、苦しんで、死ぬ」だけの存在。
よって生まれてきた意味も目的もないのです。
人生なんぞ、どんな生き方をしても「無意味」。私たちはただここに存在しているだけ。

56. 2017年11月14日 06:27:50 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[357]
>もしも本当に神がいるとしたら?

もしも神がいるのだったら崇めろとは言わない、
地上生命の根源太陽はあがめろとは言わない。
美しく咲いている花々は崇めろとは言わない。
毎年生きる糧を与える植物は崇めろ徒は言わない。
本当の神は何も言わず与えてくれている。

崇めろと言うのは征服者のみ。


57. 2017年11月14日 06:52:41 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[358]
そしてその恵みに気付かない人は
自分が生きている意味にも気付かない。


58. 2017年11月14日 21:58:37 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[359]
食べる事の尊厳。

人が食べるものの殆どは命ある物
その命を奪って生きる糧にして自らの命を繋いでいる。
肉は生きてる動物を殺し食とし
野菜麦米など生きてこれからの物を食とする。

それらを尊び感謝する心が無い物は自分自身にも尊びと感謝をしない。
昔は”いただきます”と食べる前に言っていた、それはそれらの命を
頂く尊厳とそれを手にする労働を尊ぶ言葉。


59. 餌手麺杏器[2] iWGO6JbLiMeK7Q 2017年12月31日 17:27:31 : giccq13fE2 : OVM1EcqpaIc[3]
タイトルとは裏腹に、創造主の存在と人類の目的(自我の在り方は不問であり、肉体情報をより長く存続させる業)が予め想定されている価値観における論説である。
(思考の翻訳上、主語の無い文法が存在しないため、已む無く創造主という言葉を人類の説明に使用した可能性も完全には否定できない)
>人類がDNAに組み込まれている「闘争本能」を制御して、同じくDNAに組み込まれている「協力して獲得したパイを分かち合う」という本能
>>02の通り。また本能と頭脳は複雑に癒着している。本能は頭脳を操り、頭脳も本能を操る。その均衡度合いは先天性と後天性の細胞分化と細胞網である範囲をうねる。
>科学が進歩発達して金や物が豊かになっても、人間は幸福にはなれないことは現在の社会が立証済みである。
これは個人差が大きい。発達する前においても奴隷制のような代替手段によって幸福に在りつき、高い自己満足評価を記録していたた人物は存在していた。
人類全体の総幸福数の定義も、哲学界や宗教界において自然科学指標のような普遍的な指標に落とし込める形では成されておらず、人体学の発展も不十分である。
>太陽系惑星のみならず銀河系宇宙そのものも消滅すると予言している。
暦時間単位においては各々の時間差は途轍もなく大きなもので、今後、大きな宇宙の変動が観測されなければ人類の存続可能性を
語るうえで銀河系宇宙そのものも消滅を考慮に入れるのは、人類誕生から現代までの時間を考慮すると太陽系が滅んだ後でも十分である。
>>02
少なくとも現状では仮定的な遺伝子の分類の方がたった4種類の血液型分類よりは、
生活現場への暫定的な応用としては役に立っている。遺伝子は人種問題を連想させて
タブー視させる勢力も依然として存在する(差別を使用した政治的な戦略に応用が
可能なため)が、肌の色等の見た目の部分と内面に違いの関連性は少なく、異なる
人種間でみなし血縁となっているケースが多数存在する。(性格、欲求、情緒、免疫、
運動、感覚、循環…すべての機能の種別で見る場合)
サンプル集めと解読が何よりも時間が掛かるのが難点何だが、投資が増えれば加速
するだろう。ただ、AGIへの投資に比べれば生身の人間への期待値はかなり小さいの
が現状だ。

60. 中川隆[-5608] koaQ7Jey 2018年2月21日 19:06:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?

釈迦の答えは:

ブッダは、人間が死後も存在するかどうかというような人間の知識を超えることがらについては、それは独断にすぎず、無益なものであると考えて、沈黙を守りました。


________________________________


滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? あるいはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか。世尊よ、どうかそれをわたしに説明してください。あなたは真理をあるがままに知っておられるからです。

師は答えた。

ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準がない。かれを、ああだ、こうだと論議する根拠がかれについては存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、すべての論議は絶えるのである。
(スッタニパータ 1075〜1076)


尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。

「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。すわなち ---

世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、

これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ 参って、この意味を尋ねてみよう・・・。

もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中略)

「マールンキャプッタよ、わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」

「師よ、そのようなことはありません。」

「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、そのように説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略)

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。

また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。
(マッジマ・ニカーヤ 63)


ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマ・ニカーヤ 72)

弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」

「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマ・ニカーヤ 22)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html


(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)


ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。

「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」

「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」

「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」

すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。

「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。

だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。

ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」

「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」

「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」

「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」

そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。

「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。

その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・

そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」

(同上、増谷文雄訳)


ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。

そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。

ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。

ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。

ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html


スッタ・ニパータは釈迦の本当の教えなのか?

仏教学を学ぶ者にとって、釈迦が、神の存在や霊魂の不滅性の是非を説かなかったことは、初歩中の初歩であるのだろう。そして、多くの仏教本には、釈迦は、人間にとって知ることのできない形而上学的諸問題については、それを問うても解答の出ないものであり、釈迦は、それらをことごとく捨て去ったと書かれている。(無記説)

ところで、最古の経典『スッタ・ニパータ』に登場する釈迦は、「無執着説」を説きながら、一方では、「輪廻からの解脱」ということを言う。最初から、霊魂の不死性を肯定も否定もしなかった仏陀が、一体、何故に、再び「輪廻」という言葉を持ち出してくるのだろうか?

これらのことは、『スッタ・ニパータ』を読んだときから、どうしても、私の頭から離れなかった疑問点であった。そして、もともと、本経典は、別々の時代に書かれた別の経典から編集されたものであり、全く別のものとして仏教を誤解釈した釈迦弟子が、仏陀の言葉として書き記したものであるのだろうか?

あるいは、釈迦は最初から輪廻を信じていて、これらは、何かの点によって繋がっているものであるのだろうか? それとも、それらはナーガールジュナ(龍樹)が言うような「勝義諦」と「世俗諦」なのだろうか?

実を言うと、先日、由緒ある曹洞宗のお寺に、日本を代表する仏教学者である奈良康明先生の講演会があり、話が終わった後に、個人的に、これらの質問をもって行ったところ、お寺の奥にあった小部屋に、先生から直々に案内され、一対一で、先生からの、これらに関する解答を頂いたのでした。


『釈迦は無我説を説き、霊魂の不滅性は説かなかった。

しかし、当時の一般民衆のほとんどが輪廻思想を信じていて、釈迦は霊魂の不滅性を否定はしなかった。霊魂の不滅性を否定したなら、托鉢で飯も食えなくなっただろうし、それを信じる者には、その道で行きなさい、といった感じだった。

だから、スッタ・ニパータのは矛盾はない。』


その日の夜に、仕事が終わった後に、スリランカ出身の友人B氏と、これらについて、さらに深い部分にまで及んで話し合ったところ、まったく別の説が浮かび上がってきた。

その彼の説はこうである。

『当時のインドでは、ほとんどの人が輪廻を信じていて、釈迦は輪廻からの解脱に挑んだ。その到達点は梵我一如のそれと同じであり、ニルヴァーナに至った釈迦には輪廻それ自体が無くなってしまった。

それゆえに、神(ブラフマン)の領域にまで達した釈迦にとってはアートマンは輪廻することが無くなったために、霊魂は不滅ではなくなった。』


しかし、B氏の説はバラモン教や梵我一如とその到達点ばかりではなく、それに至る道までもが同じではないのか?

一体、釈迦の仏教は梵我一如であったのだろうか?

いや、そんなはずはないだろう。釈迦の仏教が梵我一如の達人であったのなら、仏教は仏教である意味は喪失してしまうことになるのだろう。

私は、仏教のニルヴァーナの境地とバラモン教の境地とは、同一のものであることはB氏の意見と一致するが、釈迦の山頂に登る手法は、梵我一如のそれとは異なっていたのではないのかと思っている。

そして、「釈迦は霊魂の不滅説を説かなかった(否定も肯定もしなかったという意味)。

しかし、当時、霊魂の不滅性を信じる多くの一般民衆に対しては、霊魂の不滅性を否定はしなかった。」

という奈良先生の説に、私は賛同している。

もしかしたら、修行のレベルに合わせて釈迦は説法をされたのであろう。(対機説法)
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/47870614.html




3. 中川隆[-5770] koaQ7Jey 2018年1月30日 11:15:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼

 世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。
しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。


 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。

かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。

釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。

 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。

 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。

そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。

 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。

 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。

たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。

つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。

善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。

 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。

要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。

 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。

 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。

しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html


アメリカでもイタリアでも、あるいはアフガンやイランでも、本当はキリストやイスラムに懐疑的な人が山ほどいるのだが、あえてそれを言わない。何食わぬ顔をして、信じているふりをしている。

しかし、覚醒しているので、本当は心の中で馬鹿馬鹿しくてつきあってられないと考えている。


アフガニスタンで、イスラム教に疑問を持ったら、果たして生きていけるかどうか分からない。


不可知論者という、一種の「気配り」が考え出された

欧米では、無神論者だと思われたら共同体から爪弾きにされ、差別や報復の対象になってしまう。

だから、神を信じていなくても「自分は無神論者だ」と主張する人は少ない。

しかし、今どき「男から女を作った」「処女懐妊でキリストが生まれた」「キリストは死んでから3日後に復活した」と言われて純粋に信じる人も少なくなった。

そこで、「不可知論者」という概念が生まれている。

日本語も難しいが、英語も「アグノスチック」という難しい言い回しが使われている。不可知論というのは「神はいるともいないとも言えない」という立場である。

「神などいるわけない」と口に出して言えば危ない。自分は白い目で見られるし、相手も傷つく。親や友人が宗教を信じていて、それを嘲笑したくないときもある。

そういうときは、「神がいるかいないか私の中では未知なので、不可知論者なんですよ」とやんわりと無神論であることを主張できる。

欧米人が考え出した一種の「気配り」が、不可知論というものであると捉えれば分かりやすい。

欧米人は自分の考えや思いを主張して、ディベートする民族ではある。

それでも宗教批判はコミュニティを破壊し、相手の全人格を破壊するので、非常に「微妙」な扱いにされている。欧米人にして、「気配り」が必要なほど微妙な問題なのである。


こんな時代になっても、いまだに宗教は続いて行く

昔は、交通機関が発達していなかった。人類が「村」や「町」という共同体の中で、小さく暮らしていた。

そんな時代、宗教は共同体の維持に役に立った。

しかし、やがて人類が「国」単位で暮らすようになると、宗教は多種多様な考え方をする人を取り込めなくなってしまった。

そして、人類が「国際」「世界」単位で暮らす現代になると、今度は宗教そのものが、対立や紛争を引き起こす災厄の種になってしまっている。

宗教というのは、まだ人類が小さな共同体、つまり「村」や「町」で暮らしていた頃の伝統である。

これだけ世界がつながってしまうと、もう宗教という「共同体維持のための仕組み」は、かえって人類の足を引っ張る厄介者に過ぎなくなった。

宗教対立・宗教戦争・宗教弾圧をなくすにはどうしたらいいのか。本来であれば、「もう宗教は役に立たないので、みんなで一緒にやめましょう」と、やめてしまえばいい。

しかし、現実的にはそれは不可能である。

宗教という枠組みの中で、ヒエラルキーの上部にいる人間は、絶対にそれをさせない。共同体が崩れ去ると、自分がただの人に転がり堕ちるからだ。

また、宗教は、その人の思想、文化、両親の存在、共同体の存続すべてに関わっている。宗教を否定するというのは、その人の全人生と歴史を否定するということになる。

だから、こんな時代になっても、いまだに宗教は続いて行く。そして、裏切り者は殺され、異宗教との戦いも続く。

そして、疑い深い人がいたら、とにかく祈らせる。祈らせて、考えさせないようにする。一日に何度も、あるいは長時間に渡って祈らせる宗教は、そういうことなのだ。

祈りは、とても危険な行為なのである。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130903T0014520900.html?a=l0ll


[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理

61. 2018年7月07日 18:24:56 : 8X06MUzLBE : G5yo2knpVQ8[197]
何かを成し遂げる人は一握り。では何故生きているのか?何のために生きているのか? この世に生をうけた。死に至るまでただひたすら生きていく。命尽きるまで。
その存在はただ生きているだけで誰かのお役に立っている。必ず。
地位のあるなしも 男女の違いも 国籍の違いも いずれは必ずその終わりを迎える。
その日まで精いっぱい生きていくのみ。

62. 2018年8月07日 20:47:11 : N0JuVH9iZA : 9oIP5DWuQPg[51]
やがて訪れる死、その時思う事は?

スティーブ・ジョブズ最後の言葉

https://www.youtube.com/watch?v=KPVqKlq25nI


やさしい顔になってるね。


63. 2018年8月14日 02:32:04 : yERre7895E : 2zSNupbVtbw[46] 報告
 命

        佐藤 蓮

人間の寿命は決まっている
でも分からずに生きている
良いことをしても
死は待ってくれない

(千葉県松戸市・第一中学2年)

64. 2018年8月23日 18:19:31 : FsizpaDkFM : Vu4dlMWg8mc[1] 報告
人間の心臓の寿命回数は2億回 使い切ったら、あの世行き
中学、高校と貧血(栄養失調で)で朝礼中にぶっ倒れていた 
目の前、真っ暗になって気を失い 教室に運ばれること幾たびも...

運ばれる途中で遠くから話し声が聞こえて意識が戻るのだが教室で黄泉帰り...
悟りましたよ 神様もお釈迦様も現れませんでした 賽の河原も当然無かった

と言うことであの世は無いのだよ アノヨ〜!

65. 2018年12月04日 23:02:01 : P1CDFecoMw : fXTD2RvfbXw[1] 報告
肉体が死亡すれば、魂は肉体から抜け出て新たに生まれ変わると仮定して、地球が滅び生物がいなくなったら、魂はどこに宿るの??霊魂だらけの地球??どこか他の惑星に魂が移住するの??宇宙人になるの??
66. 2023年2月09日 16:26:01 : GsMUD38czA : RHZtdmRYamljRU0=[1] 報告
小生のウェブサイトです。
http://lifeafterdeath.vip/jap.html
67. 2023年2月25日 16:33:51 : xJbz8F86rg : aVNZN0sucHlsVXM=[383] 報告
スタートレックはフィクションで、太陽は超新星爆発をしないようなので、他の星系に地球の生物が行き着く可能性は低い。また、人は死んだら時間が止まり、潜在意識に蓄積された幻想の中で暮らすと思う。それに、天使や悪魔になれる行いをしていたら、無名ではいられない。

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