人間は死んだらどうなるのか?人間は何の目的でこの世に生まれてきたのか?釈迦の答えは: ブッダは、人間が死後も存在するかどうかというような人間の知識を超えることがらについては、それは独断にすぎず、無益なものであると考えて、沈黙を守りました。 ________________________________
滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? あるいはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか。世尊よ、どうかそれをわたしに説明してください。あなたは真理をあるがままに知っておられるからです。
師は答えた。 ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準がない。かれを、ああだ、こうだと論議する根拠がかれについては存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、すべての論議は絶えるのである。 (スッタニパータ 1075〜1076) 尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。
「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。すわなち --- 世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、 これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ 参って、この意味を尋ねてみよう・・・。 もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中略) 「マールンキャプッタよ、わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」 「師よ、そのようなことはありません。」 「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、そのように説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略) マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。 また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。 マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。 (マッジマ・ニカーヤ 63) ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。 (マッジマ・ニカーヤ 72)
弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマ・ニカーヤ 22) http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html (マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)
ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。
「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」 「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」 「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」 「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」 「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」 すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。 「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。 だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。 ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」 「むろんである。」 「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」 「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」 「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」 「むろんである。」 「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」 「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」 そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。 「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。 その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・ そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」 (同上、増谷文雄訳) ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。
そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。 ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。 ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。 ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html スッタ・ニパータは釈迦の本当の教えなのか?
仏教学を学ぶ者にとって、釈迦が、神の存在や霊魂の不滅性の是非を説かなかったことは、初歩中の初歩であるのだろう。そして、多くの仏教本には、釈迦は、人間にとって知ることのできない形而上学的諸問題については、それを問うても解答の出ないものであり、釈迦は、それらをことごとく捨て去ったと書かれている。(無記説) ところで、最古の経典『スッタ・ニパータ』に登場する釈迦は、「無執着説」を説きながら、一方では、「輪廻からの解脱」ということを言う。最初から、霊魂の不死性を肯定も否定もしなかった仏陀が、一体、何故に、再び「輪廻」という言葉を持ち出してくるのだろうか? これらのことは、『スッタ・ニパータ』を読んだときから、どうしても、私の頭から離れなかった疑問点であった。そして、もともと、本経典は、別々の時代に書かれた別の経典から編集されたものであり、全く別のものとして仏教を誤解釈した釈迦弟子が、仏陀の言葉として書き記したものであるのだろうか? あるいは、釈迦は最初から輪廻を信じていて、これらは、何かの点によって繋がっているものであるのだろうか? それとも、それらはナーガールジュナ(龍樹)が言うような「勝義諦」と「世俗諦」なのだろうか? 実を言うと、先日、由緒ある曹洞宗のお寺に、日本を代表する仏教学者である奈良康明先生の講演会があり、話が終わった後に、個人的に、これらの質問をもって行ったところ、お寺の奥にあった小部屋に、先生から直々に案内され、一対一で、先生からの、これらに関する解答を頂いたのでした。 『釈迦は無我説を説き、霊魂の不滅性は説かなかった。
しかし、当時の一般民衆のほとんどが輪廻思想を信じていて、釈迦は霊魂の不滅性を否定はしなかった。霊魂の不滅性を否定したなら、托鉢で飯も食えなくなっただろうし、それを信じる者には、その道で行きなさい、といった感じだった。 だから、スッタ・ニパータのは矛盾はない。』 その日の夜に、仕事が終わった後に、スリランカ出身の友人B氏と、これらについて、さらに深い部分にまで及んで話し合ったところ、まったく別の説が浮かび上がってきた。
その彼の説はこうである。 『当時のインドでは、ほとんどの人が輪廻を信じていて、釈迦は輪廻からの解脱に挑んだ。その到達点は梵我一如のそれと同じであり、ニルヴァーナに至った釈迦には輪廻それ自体が無くなってしまった。 それゆえに、神(ブラフマン)の領域にまで達した釈迦にとってはアートマンは輪廻することが無くなったために、霊魂は不滅ではなくなった。』 しかし、B氏の説はバラモン教や梵我一如とその到達点ばかりではなく、それに至る道までもが同じではないのか?
一体、釈迦の仏教は梵我一如であったのだろうか? いや、そんなはずはないだろう。釈迦の仏教が梵我一如の達人であったのなら、仏教は仏教である意味は喪失してしまうことになるのだろう。 私は、仏教のニルヴァーナの境地とバラモン教の境地とは、同一のものであることはB氏の意見と一致するが、釈迦の山頂に登る手法は、梵我一如のそれとは異なっていたのではないのかと思っている。 そして、「釈迦は霊魂の不滅説を説かなかった(否定も肯定もしなかったという意味)。 しかし、当時、霊魂の不滅性を信じる多くの一般民衆に対しては、霊魂の不滅性を否定はしなかった。」 という奈良先生の説に、私は賛同している。 もしかしたら、修行のレベルに合わせて釈迦は説法をされたのであろう。(対機説法) http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/47870614.html 3. 中川隆[-5770] koaQ7Jey 2018年1月30日 11:15:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523] ▲△▽▼ 世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。 しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。
かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。 釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。 そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。 たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。 つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。 善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。 要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。 しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。 http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html アメリカでもイタリアでも、あるいはアフガンやイランでも、本当はキリストやイスラムに懐疑的な人が山ほどいるのだが、あえてそれを言わない。何食わぬ顔をして、信じているふりをしている。
しかし、覚醒しているので、本当は心の中で馬鹿馬鹿しくてつきあってられないと考えている。 アフガニスタンで、イスラム教に疑問を持ったら、果たして生きていけるかどうか分からない。
不可知論者という、一種の「気配り」が考え出された
欧米では、無神論者だと思われたら共同体から爪弾きにされ、差別や報復の対象になってしまう。 だから、神を信じていなくても「自分は無神論者だ」と主張する人は少ない。 しかし、今どき「男から女を作った」「処女懐妊でキリストが生まれた」「キリストは死んでから3日後に復活した」と言われて純粋に信じる人も少なくなった。 そこで、「不可知論者」という概念が生まれている。 日本語も難しいが、英語も「アグノスチック」という難しい言い回しが使われている。不可知論というのは「神はいるともいないとも言えない」という立場である。 「神などいるわけない」と口に出して言えば危ない。自分は白い目で見られるし、相手も傷つく。親や友人が宗教を信じていて、それを嘲笑したくないときもある。 そういうときは、「神がいるかいないか私の中では未知なので、不可知論者なんですよ」とやんわりと無神論であることを主張できる。 欧米人が考え出した一種の「気配り」が、不可知論というものであると捉えれば分かりやすい。 欧米人は自分の考えや思いを主張して、ディベートする民族ではある。 それでも宗教批判はコミュニティを破壊し、相手の全人格を破壊するので、非常に「微妙」な扱いにされている。欧米人にして、「気配り」が必要なほど微妙な問題なのである。 こんな時代になっても、いまだに宗教は続いて行く
昔は、交通機関が発達していなかった。人類が「村」や「町」という共同体の中で、小さく暮らしていた。 そんな時代、宗教は共同体の維持に役に立った。 しかし、やがて人類が「国」単位で暮らすようになると、宗教は多種多様な考え方をする人を取り込めなくなってしまった。 そして、人類が「国際」「世界」単位で暮らす現代になると、今度は宗教そのものが、対立や紛争を引き起こす災厄の種になってしまっている。 宗教というのは、まだ人類が小さな共同体、つまり「村」や「町」で暮らしていた頃の伝統である。 これだけ世界がつながってしまうと、もう宗教という「共同体維持のための仕組み」は、かえって人類の足を引っ張る厄介者に過ぎなくなった。 宗教対立・宗教戦争・宗教弾圧をなくすにはどうしたらいいのか。本来であれば、「もう宗教は役に立たないので、みんなで一緒にやめましょう」と、やめてしまえばいい。 しかし、現実的にはそれは不可能である。 宗教という枠組みの中で、ヒエラルキーの上部にいる人間は、絶対にそれをさせない。共同体が崩れ去ると、自分がただの人に転がり堕ちるからだ。 また、宗教は、その人の思想、文化、両親の存在、共同体の存続すべてに関わっている。宗教を否定するというのは、その人の全人生と歴史を否定するということになる。 だから、こんな時代になっても、いまだに宗教は続いて行く。そして、裏切り者は殺され、異宗教との戦いも続く。 そして、疑い深い人がいたら、とにかく祈らせる。祈らせて、考えさせないようにする。一日に何度も、あるいは長時間に渡って祈らせる宗教は、そういうことなのだ。 祈りは、とても危険な行為なのである。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130903T0014520900.html?a=l0ll
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