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自然農法
「自然農法」とは、あえていうまでもなく福岡正信さんがやっておられる自然農法のことです。福岡さんの自然農法は、決して新しい農業技術というのではなく、むしろ人間の生き方や社会のあり方そのものの根本に迫るものだと思います。
そこには、21世紀的な生き方と社会のあり方が、鋭くメッセージされているように思えます。以前四国の愛媛に、福岡さんの山を訪問したときのことなども含めて、これからゆっくり「自然農法」の考え方とそのすごさをご紹介させていただきます。
なお、「自然農法」や福岡翁に関して興味をお持ちの方は、どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
まずはじめに
(以下は、以前ぼくのフォーラムに書き込んだコメントの再録です)
「自然と人間の関わり方」という点で、福岡翁の自然農法から学ぶべきことがとても多くあるのではないかと思っています。
そんなわけで、福岡翁のことをよくご存じでない方のことも念頭におきながら、簡単にご紹介させていただきます。
【一言プロフィール】
●福岡正信(ふくおか・しょうしん)
大正2年愛媛県伊予市に生まれる。昭和8年岐阜高農農学部卒業。昭和9年横浜税関植物検査課勤務。昭和12年に一時帰農し、昭和14年に高知県農業試験場に勤務。昭和22年以来「自然農法」ひとすじに生きる。自然農法は、日本国内よりはむしろ海外で広く実践されている。主な著書に「自然農法・わら一本の革命」「無」1〜3巻、「自然に還る」「神と自然と人の革命」等多数がある。
ぼくが福岡さんのことを知ったのは、もう30年くらい前のことです(いよいよ歳が疑われそうだな…)。そして、すっかり共感し、以来個人的に、あるいは仕事上でも何度か接点を持ってきました。最近でも「映像ドキュメンタリー」や「インタビュー」などを通していよいよ接近し、翁の原稿も3本ほど書きました。その中の一文(一部)をもって、翁の概要をリード文ふうに紹介してみることにします。
………………………
愛媛県の農村で「自然農法」を続けている福岡さんは、マスコミや出版物などを通してすでに世界的に知られている。かつて、NHKの映像で大々的な報道がなされたとき、たしかにそこには、いっしょに働く幾人かの「外国人」の姿があった。もちろん現在でも、まるで「魔法の農法」でものぞきにいくような感覚で、福岡翁を訪問する者が後を断たない。
福岡さんが自然農法を始めてから、すでに五十年の歳月がたつ。その途上、実にたくさんの人々が、はるばるこの愛媛県の「福岡農場」を訪れた。そしてここから世界各地に飛び立っていった。まさにいまの時代にこそ、自然農法とその生き方が強く求められている…。そんな期待感を込めながら、福岡翁がいるはずの山に向かった。
福岡さんの山(農場)は、松山市から伊予市へと延びる国道から少し山道を入ったところに広がっていた。
車から降りて小道を歩くと、スモモの実があちこちに落ちているのにまず驚く。見上げればこんもりと生い茂った木々。足元には、野草や野菜。そして耳に響く澄んだ野鳥の声…。それがそのまま自然農法の成果でもあった。
まもなくして、野良着姿の福岡さんが現われた。日焼けした顔に笑顔がほころぶ。凛とした姿と、すがすがしいその笑顔、これまた自然農法の結実といえるかもしれない。
………………………
そしてここから、福岡翁のメッセージが続くのですが、長すぎますので、その中から、面白そうなところだけを以下に拾い出してみることにしましょう。
………………………
自然農法は収量が問題だという人がいますが、ごらんのように決してそんなことはありません。見れば見るほどたくさんの実がついているのが分かるでしょ。スモモもあれば、キウイフルーツ、ハヤトウリもなっている。果物が三重に、立体的に茂り実っているんです(笑)」
はっきりと確認したわけじゃありませんが、全部で三十種類くらいはあるでしょうね。でも同じスモモでも、いろんな種類のスモモがこの山にはあるわけでして、一つの種類が、平均してさらに五種類くらいづつ育っています。ですから、掛け算すれば百五十種類くらいはある計算になるでしょうか。
その約百五十種類くらいの果物が、次から次へと実っていく。この山は全部で四ヘクタールほどあるんですが、とても全部など収穫しきれません。実った果物のほんの一部を、「天の恵み」としていただいているにすぎないんです(笑)。
そう、自然農法というのは、まさに「生き方」の問題なんですよ。この農園を自分が苦労して作ったと思えば、全部収穫しなきゃ損だと思うのが当然かもしれませんが、実際にこの農園を作ったのは「自然自身」であって、決して僕じゃない。それに、やせ我慢でいうわけじゃありませんが、これは「人間のため」にだけ作った農園でもないんですよ(笑)。
実は先日放映されたNHKのテレビ(心の時代)ではちょうどこの辺りに座ってお話ししたんですが、なぜNHKがあえてここで映像を収録したかといいますと、十三年前『大法輪』という雑誌に載った写真と現在の様子が全く違っていたからなんですね。
つまり十三年前の『大法輪』に掲載された写真は「まるで荒野の一軒屋」だったのに、いまはごらんのとおり「まるでジャングルそのもの」でしょ(笑)。わずか十三年の間にこんなに様相が変わってしまったということに、つまりNHKが興味をもったというんでしょうね。
実際に十三年前のその写真を見れば信じていただけると思いますが、僕がこの山に入ったその当時、この辺りは雑木さえ育たないような不毛の土地だったんです。土は固い赤土でしたから、一本のミカンの苗木を植えるにも、ダイナマイトを使って穴を開けるしかなかった。それも、二本のダイナマイトを爆発させてやっと小さな穴ができるほど土が固かった。そんなわけで、この山は農園にすることなんてとても考え
られないひどい土地だったんです。その山が、わずか十三年の間にこんなにも変わってしまった。砂漠同然の山が、いまではまるでジャングルのように変身してしまったんですよ。
十三年前には、この辺りにはミカンの木が生えていて、あちこちに鶏が遊んでいました。土はどこを掘っても粘土の赤土で、雨が降るとどろどろになり、その逆に乾けばかんかんに固まってしまう。普通なら、十三年の間にこんなに緑が増えたのだから、たしかに土が肥えたと思っても不思議じゃありません。しかし、実際は、土はなんにも肥えてはいないんですよ。
ごらんのように、どこを掘ってみても表土は10センチもないでしょ。だから自然農法をやれば土ができるとか、いい土ができるから自然農法ができるというのは、実はウソなんですね(笑)。
いったいなぜか。五十年も自然農法をやってみて、僕も自然というものが少しは分かったように思っていましたが、しかし五十年が経ったいまではもう下手にものが言えなくなってしまいました。
つまり、したり顔で自然を説明することなどもうできない。それが正直なところ、五十年も自然農法をやってきた結果の厳粛な現実そのものなんです。
この辺りはまだ十三年しか経っていませんが、しかし二十年、三十年と経ったところなら、いまはもうジャングルそのものです。あんなふうになってくると、土の養分を吸収して作物や木が育つんだなどとはとてもいえません。栄養分や水分についても、果たして水は下から上がっていくのか、上かや降るのか、あるいは植物そのものが互いに出しあうのか、そういった基本的な水の循環についてもまるで分かっていないんですよ。
とにかく、いままでの説明ではもうとうてい説明がつきません。いまでもこんな赤土というのに、たったの二年や三年で、どうしてこんなに木や植物が成長できるのか。正直な話自然というものの不思議な営みについては、もうなにもいえませんね
(笑)。
まず初めに、肥料木としての役割と、日陰を作ってもらおうと思って、最初は藤の苗木を植えました。ところがその藤の上にいまではハヤトウリが覆っている。ほら、あの小屋の屋根の上にもハヤトウリが茂っているでしょ。あれは実は小鳥が蒔いてくれたんです(笑)。
ハヤトウリというのはとても面白いものでして、一本の苗から少なくても平均三千、五千もの実がなります。普通に育てても二百や三百個がなるといわれています。ところがこの山で冬を越させたものならば、もっともっとたくさんなる。多い場合には一万個くらいを平気で実らせてしまうんですよ。
ということは、たった一本のハヤトウリで、一反もの面積を緑の葉っぱで覆ってしまう計算になります。ですからインドやアフリカなどの砂漠に植えたとしたら、わずか一年で一本が一千平方メートルもの緑の覆いを作ってくれることになる。しかもそこに約一万個もの実をつけてくれるわけですから、砂漠の緑地化にはハヤトウリを使ったらいいと僕は言っているんですよ。しかし実際に誰もそれをやってはくれるわけではありませんから、なかなか実現しませんね。
それはともかく、この山に入って五十年、五十年が経ったいまつくづく思うことは、人間が自然に介在すればするほど自然をだめにしてしまうということです。
僕もこの山に入った当時は、この荒野を「エデンの園」にしようと心を燃しました。が、結局は、僕が人間の浅知恵を加えたそのぶんだけ「エデンの園」は遠ざかっていった。人間がやればやるほど自然はうまくいかないんです。
でも、いくら失敗を見ても、必ず「エデンの園」は実現するという確信だけは絶対に揺るぎませんでしたね。実際、五十年が経ったいま、この山の目の前には、スモモ、クワ、キウイフルーツ、モミジ、サクランボ、アカシア、山桃などの木々が生い茂っています。それにハヤトウリや大根などのたくさんの野菜も地面を覆っている。見ればお分かりのとおり、これではとても農園には見えないでしょうが、昔夢見た「エデンの園」がまぎれもなくいま眼前に広がっているんです。
結果的にいえることは、植物の植生レイアウトは人間の頭で決めるんじゃなく、自然自身に自由に決めてもらうのが一番ということです。
つまり最初の種は自分で蒔いても、実った実は小鳥が食べて糞にして蒔き直してくれるのに任せたり、また風が運んでいってくれるままに任せたりする。実際、自然がなすままに植物をほっといてみたら、こんなふうにどんどん育っていったんですよ。しかし「自然に任せる」ことと「放任」することとは微妙に違うもののようで、人間が植えて放任したミカンは結局は全滅してしまいました。
その原因は分かったような分からないような…。しかし人間が知恵を使って植えた木は、いくら熱心に管理してみても放任しても、結局はだめになるということでしょう。
同じミカンの木でも、自然に生えてきたミカンなら、あるいは勝手に豊かに育ったかもしれませんね。こうしたことからいえることは、自然がやったものはすべてが結局は善に帰結し、人間が介入すると結果的に悪になる。そういうことなんじゃないでしょうか(笑)。
五十年前に、この山で「エデンの園」を夢見たときから、僕の「自然農法」は出発した。そして、自然農法を説明するためにいろいろとやってきた。が、五十年という歳月を費やして得たその結論は、人間が手を入れれば入れるほど自然はだめになるということ。考えてみれば僕が必死でやってきたことは、あるいは自然の邪魔をしたにすぎないということだったのかもしれませんね(笑)。
もしもそれが最初から分かっていたら、なにもせずに初めからほっておいたことでしょう。つまりは「なにもせず、自然がなすままに任せてしまう自然農法」…。
何もしなかったら、この山はいまでも荒野のままだったかもしれません。が、それはわずか五十年や百年の単位で自然を見るからであって、もし五百年、千年の単位で見たとしたら、あるいはこの山にも風や野鳥が種を運び、徐々に「桃源郷」を作りだしていってくれるのかもしれません。
人間は、とにかく急ぎすぎますし、焦りすぎるんです。「効率的な人間のための食料づくり」だけを考えるから、結局は自然を破壊しつくしてしまうんですよ。
だから僕が行き着いた究極の「自然農法」とは、人間は最小限の手を加えるにとどめるべきだということ…。そしてその最小限の手というのが、つまり「粘土団子を蒔く」ということなんです。
というわけで「粘土団子」が登場してきますが、その概要についても紹介します。
………………………
粘土団子というのは、耕さず、肥料をやらず、除草もせずに作物を育てるためのいっさいが集約されたものですが、簡単にいえばこの中に、実は耕すことの意味、肥料をやることの意味などのすべてが詰め込まれているともいえるんですよ。
その作り方はしごく簡単で、とにかく手当たりしだいにいろいろな種を百種類以上集めて混ぜ合わせ、それを粘土といっしょに混ぜて団子状にすればいいんです。
たったこれだけのことですが、こうして作った粘土団子を適当にばら蒔きます。するとその中で一番その時どきの環境と時期に合った種が芽を伸ばして、やがて根を張って育っていくというわけです。
百種類以上もある種の中からどれがまず芽を出すか、それは自然そのものが決めてくれることです。生命力のない種やその土地の環境に合わない種は、とうぜん芽を出すことはありません。しかし百種類以上もの種をいっしょに蒔けば、必ずやその中のいくつかの種が芽を出すことになる。つまりそこで育つにふさわしい種だけがまず芽を出し、土に根を張っていくというわけです。
人間は、米なら米だけ、大根なら大根だけを作ろうとして、一種類の種を蒔こうとします。しかしそういった人間管理的な勝手な秩序は自然の中にはありません。だから自然は本来のバランスを回復しようとして、いろいろな植物をそこに芽吹かせてくるんです。
しかし人間はそれを「雑草」と呼び、あるいは「害虫」と呼んで、そういった計画外の邪魔ものを駆除しようとする。そしてそのために必要になってくるのが除草作業や除草剤であり、殺虫剤というわけです。
どんなに虫がいたとしてもそのままにしておきます。普通なら「害虫」といって嫌うわけですが、虫が食って食べられない大根は一本もない。いったいなぜだろうと、大学の先生たちも不思議に思う。その理由は害虫も多いけれど天敵もたくさんそこにいるからです。だからどんなに虫がいても被害が出ない。すなわち、自然はちゃんとバランスを保ってくれるというわけです。
よく害虫で畑や山林が全滅したなどといった話を聞きますが、害虫や病源菌というのは、植物の寿命がきて、80%は枯れてもいいときにやってくるものなんじゃないでしょうか。
つまり害虫がついたから作物に被害が出るというんじゃなく、実はもう弱りきって死期が近づいているからこそ害虫が発生してくるともいえるわけです。
だから害虫というのは決して作物に被害を与える「原因」ではなく、むしろ「結果」であって、植物の健康度を教えてくれる存在であるのかもしれないんです。もっと分かりやすくいえば、自然から死ねと申し渡されるときに害虫がきて片付けてくれる(笑)。
自然はとにかくいろんなことを私たちに教えてくれているんです。実は、たとえ乾燥した場所であっても大根が生えるということを教えてくれたのがこの場所なんですよ。
いったいなぜ、こんなに固くて水分の少ない土に大根が育つるのか。しかも肥料など全くやらずに…。ただ土があまりにも固いものですから、大根は根を下に下ろすことができず、上に伸び上がって大きくなるんですが(笑)。
こんな土でも立派に大根が作れるわけですから、砂漠で作れないはずがありません。要は、まず大根の育つような環境を砂漠に作りだしていくことなんです。
十三年間で固い荒れ地がこんなジャングルになったのですから、それと同じ方法でやればいいんです。すなわち、まず粘土団子をばら蒔いて、砂漠の中でも芽を出す最初の植物に期待する。その点では、ハヤトウリなどがぴったりだと思います。ハヤトウリなら一本が根付けばかなり広い面積を緑の葉っぱで覆ってくれますからね。
ところで問題は砂漠のようなところで、いかにして根付かせることができるかという点ですが、そこに実は粘土団子にして蒔くということの意味があるんです。
すなわち一つの粘土団子には水分も養分もちゃんと含まれていますから、そのぶんだけでも一日に四、五十センチもの根を伸ばすパワーをもっているんです。
こうして粘土団子の力に支えられて芽を出し、根を伸ばし始めたハヤトウリの根が二、三メーターも伸びれば、砂漠とはいえその辺りには必ず湿りけのある土があります。すると根は、地下にある水源に向かってさらにいっきに伸びていく。その結果ついにしっかりと水続け脈にタッチすることになるわけです。
ハヤトウリが砂漠に根づけば、一株で約一反(一千平方メートル)もの空間を緑で覆います。そうすればいくら灼熱の太陽に焼かれていた砂漠の地表であっても、温度が下がる。すなわちハヤトウリが、それまでの砂漠とは全く違った自然環境をそこに新しく作りだしてくれるわけですね。
緑の葉っぱで大地が覆われれば、地表温度が下がるだけでなく、とうぜん露も葉っぱにつくでしょう。それが砂漠の土に湿りけを与え、さらに自然環境を整えてくれる。こうなればもうしめたもので、粘土団子の中の他の種も発芽できる環境ができあがります。しかも砂漠とはいえ、全く雨が降らないというわけでもありません。雨が降ればさらに環境が変化していきますから、やがてさまざまな種が発芽して緑に覆わ
れていくというわけです。
こうして一度砂漠を緑で覆ってしまえば、逆に植物が出す水蒸気が雲を作りだすという現象も生じてきます。こんなふうにいいますと、じつに都合のいい勝手な理論と思うでしょう(笑)、しかしこれは実際にすでに実証済みのこと。インドで実際にやってみせてきた事実なんですよ。
いま砂漠の緑地化には、アカシアとかポプラとかユーカリといった、砂漠に有効と考えられる木だけを植えようとする試みがなされていますが、しかしいままでに成功したためしがありません。むしろ砂漠化に拍車をかけるだけなんです。
現在行なわれている緑地化の方法とは、たとえば砂漠にユーカリなどの苗木を植えて、それが枯れないように毎日せっせと水をやり続けるといった方法です。これにはたくさんの人々の手がかかるのは当然で、しかも実は木そのものに対しても決していい影響を与えません。
というのも、人間がせっせと毎日水を運んできてくれるものですから、植物はすっかり安心してしまって自分の力で根を伸ばそうとはしなくなるからです。おまけに水をまけばまくほど土が固くなってしまって、結局は木が枯れてしまうか、たとえ育っても弱々しく立っているにすぎない(笑)。
いきなり木を植えてみてもほとんどむだで、下に草が生えてこそ木々も育つんですよ。そして、草が土や自然環境を作ってくれる。これまでは土が植物を育てると思ってきたわけですが、実は植物が土を作ってくれるんです。
見た限りでは単なる雑木や雑草の山に見えますが、たしかにこの山で僕はたくさんのことを教えてもらったと思います。
ここは果たして畑なのか、果樹園なのか、あるいは単なる山林なのか。日本の百姓は、これを見たらきっと腰を抜かして驚くことでしょう。実際に税務署でも、いったいどのジャンルに分類したらいいのか判断に困っていた(笑)。だから一番安い税金を収めることでなんとか済んでいるんですよ(笑)。
「粘土団子を蒔く」ことに意味、お分かりになりましたか?
もうちょっと、続けさせてください。
………………………
僕の自然農法は、突き詰めれば粘土団子を蒔くことだけ。その中にすべてが含まれているんです。こんなことをいうと簡単すぎて、人はかえって疑うでしょう。しかし繰り返しますが、人間の手を加えるほどに自然というものはおかしくなる。だから作物や果物を育てるにも人間が下手に手を加えず、簡単にやったほうが結果は驚くほどすばらしいんです。
その意味においても、自然農法は結局生き方の問題になってくるんです。でも勇気をもって生き方を変えれば、そこにはそれまでとは全く違った世界が開けてくる。そのほんの一例を紹介してみることにしましょう。
アメリカで、自然農法によって、いま三千ヘクタールもの米づくりを行なっている経営者がいます。その経営者は、僕の話を三時間聞いただけで、自然農法を始める決心をしたんです。
僕の話を聞いた彼は、これは大変だ! 大革命だ! と感激して、さっそく6人の従業員の首をきり、トラクターも廃止した。そしてただ粘土団子を飛行機で蒔くだけで、りっぱに大量の米を収穫しているんです。
自然農法の米作りの仕事は、ただ種を蒔き、そして収穫するだけです。実に単純でシンプルです。無耕起、無肥料、無農薬で、不思議なくらいに成功する。しかもそれまでは三千ヘクタールの全部で米作りをすることなどできなかったわけですが、自然農法なら三千ヘクタール全部が毎年連作できるんですよ。
まるでウソのような話ですが、実際にアメリカで、いま自然農法が営まれている。なにしろアメリカでは、「これはいいぞ」と思ったらすぐに実行に移すといった精神風土がありますから、もしアメリカが本気で自然農法に取り組み始めたら、日本はとてもアメリカにはかないません。
一方、「息子が僕の本を読んで感激した」といってドイツからはるばるここにやってきたある経営者も、それまでやっていたヨーロッパ一の食品会社(ハム・ソーセージ会社)を、その後全く新しいかたちに変えてしまった。すなわち、それまでの経営拡大指向をやめ、農場・牧場とレストラン、住宅を一箇所に配置し、生産からサービスまでを一貫して提供できるようにしたわけです。
その人に「僕の本のどんな点に共感したのか」と聞きますと、「スモール・イズ・ビューティフル」といいましたから、すかさずに僕は「スモールよりも無のほうがベターだ」と言い返した(笑)。「無の哲学」こそが自然農法の真髄であるからです。
そもそも僕が自然農法を始めたきっかけは、あるときに、この世界の実相をすっかり見てしまったからなんです。 いまからもう50年も前のこと、僕が25歳のときのことでした。そのころふとした病気が原因で、死の恐怖におびえ、人生への懐疑と懊悩の日々を送っていました。
そんなある日、日夜を徹した彷徨の末、疲れ果てて木の根にもたれてまどろむともなくまどろんで夜明けを迎えると、突然、ゴイサギが鋭く鳴いて飛び立って行ったんです。そのとき突如として僕の口から飛び出した最初の言葉は、「なにもない。なにもなかったじゃないか」というものでした。このとき、僕は「神の全貌を見てしまった!」と直感したんです。
「なにもない。なにもなかった!」…。その神秘的な体験から、自然農法が出発したんです。
ただ人の目には、貧乏百姓が好き勝手なことを言い、夢ばかりみて遊んで過ごしているように見えたかもしれません。しかし僕にとっては、「なにもなかった」というそのときの鮮烈な体験を、以来50年の歳月を通して改めて確かめてきた。つまり人間に生来与えられている農の営みが、知識や道具や機械によって「農業」となったとき、そこにさまざまな悩みや問題が生じてきたことを発見させられたというわけです。
僕が砂漠に関心をもったのは、いまから十数年前のことでした。ある夏、北米に飛んだときのことですが、広大な緑の沃野を予想して行ったアメリカ大陸が、意外にも褐色の荒廃した半砂漠の国であることに驚いた。そしてそのときに思ったのが、カリフォルニアの砂漠化・気候変化は農耕法の間違いから出発しているにちがいないと推測したんです。
そしてある早朝、褐色の草原がどこまでも広がるアパー高原で、小さなわき水で顔を洗いながらふと見たところ、ネズミの巣の中に浸み込んだ水で雑草の種が二、三センチ芽を出しているのに気がついた。暑いから草が枯れると思っていたのに、事実はフォックステールなどの雑草が平原を独占して、他の緑を追い出していただけだということが分かったんです。この雑草は、二百年前にスペインから侵入したといわれます。だからこの草をうまく利用すればきっとこの砂漠にも緑が復活する。そう考えて早速実験にとりかかったんです。
まず日本から持ち込んだ色々な野菜種を混ぜ合わせ、枯れ草を大きな鎌でなぎ倒してその中に蒔きました。そこに山上の溜まり水をビニールパイプで引いたところ、「案ずるより生むが易し」で褐色の草原の中に緑が生えた。もちろんこの緑はフォックステールの緑です。それから1週間後、水がきれると芽を出した雑草は暑さで枯れ始めましたが、その中からカボチャ、キュウリ、トマト、オクラ、大根、トウモロコシといったものが繁り始め、結局は褐色の草原の真ん中が野菜畑に変わっていった。つまり、頑固な雑草はいったん芽を出して枯れ、その跡に野菜が生えてきたわけです。
こうした体験からいよいよ本格的な砂漠の緑地化実験がスタートしていったわけですが、地球のあちこちがどんどん砂漠化しているその元凶は、結局人間の人智や人為にあったということができるでしょう。
だから、これさえ排除することができれば、自然は自然に復活する。人間がやるべきことは、ただ色々な食物の種や菌類を集め、それを粘土団子にして蒔くことだけ。それが唯一の人間の自然への奉仕ということになるんですね。
要するに、人間は自然の偉大さや自然の神秘な営みについてまるで分かってはいないということでしょう。それなのに技術が絶対であるように思い込み、人知や科学が万能であるかのようにすっかり錯覚してしまってきた。しかし文明化されすぎた便利な社会はむしろ危険であって、いったんその危うい人工的な調和が崩れ出すととんでもない事態が発生してしまう。文明化されすぎた社会は、ちょっとした気候の変動や天災によってもろくも崩れ去ってしまうものなんですよ。
僕が理想とする「農の風景」とは、果物がたわわに実る農園の樹の下に、クローバーや野菜の花が咲き乱れ、蜜蜂が飛び交い、麦が蒔かれていて、自給自足で独立して生きられるといった環境です。また地鶏やウサギが犬とともに遊び、水田にはアヒルやカモが遊泳し、山すそや谷間では黒ブタやイノシシがミミズやザリガニを食べて太り、またときには雑木林の中からヤギが顔をのぞかせる。そんなのどかな風景の中に生きることができたとしたら、僕としてはこれ以上の幸せはないだろうと思いますね。
こんなことを言うと、まるで経済性のない原始的な世界と思われるかもしれませんが、しかしこれは「人畜と自然が一体となった素晴しい有機的共同体」であって、人間はそのような世界での自由で自立的な生き方を、本当は心の奥底で望んでいるのではないか。そしてそういった生き方をやろうと思えば、誰もがすぐにでもできてしまうんですよ。
………………………
長くなりましたが、いかがですか? 翁の言葉はまだまだ続きます。でも、だいたいその概要はお分かりと思います。翁の言葉は「農」だけでなく、すべてに通ずるものなんではないでしょうか。(はい、お疲れさま。質問がありましたら、なんなりとどうぞ!)
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