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ムラ社会の構造的問題とは
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投稿者 伊予次郎 日時 2010 年 2 月 07 日 15:25:41: kixPLv9awJZfA
 


ネット掲示板「阿修羅」に、標題の書き込みがあった(後掲)。今日もNHK日曜討論や朝日テレビのサンプロも、ほぼ同じ視点で番組が流されている。谷垣自民党総裁は、小沢・鳩山の政治とカネ問題を異常と言うが、異常なのは野党のネガティブキャンペーン・マスコミの偏向報道・検察の裁量捜査だ。

見落とされているのは、政権交代と政治とカネの追求の関連である。昨春の西松献金事件は、「国策捜査」とも言われ、政権交代から国民の関心を政治とカネにすり替える、政治テロの役割を果たした。民主党は、企業団体献金の全面禁止を提案し、小沢代表は政権交代を優先して辞任し、鳩山内閣が発足した。

ところが政権交代の反動で、その主役二人に、野党・マスコミの政治攻撃が加えられている。検察官僚・野党・マスコミの小沢・鳩山タタキは、政治的なイジメ、国民主権・民主主義への攻撃に他ならない。小沢は、民主党大会で東京地検の手法を、民主主義への攻撃と指摘した。

米調査分析会社、ユーラシア・グループは、今年注目すべき世界の指導者10人を公表。民主党の小沢一郎幹事長は中国の温家宝首相、米国のバラク・オバマ大統領に次ぐ3位で、世界的にも注目されている。日本の世論と違うのは何故か。

政権交代を選択したのは、国民だ。ところが野党やマスコミは、その底流を掘り下げず、八ッ場ダム、事業仕分け、普天間移設、郵政人事、石油税暫定税率、天皇と習近平中国副主席の会見問題に加え、小沢・鳩山の政治とカネで、ネガティブキャンペーンを繰り広げている。そこには、政権交代に抵抗する、ムラ社会の構造的な問題がある。

この政治とカネ事件は、検察の偶発的・恣意的な対応としても、それを容認するマスコミなど、社会のあり方が問われている。世論調査などで、小沢への不信が流布されるのは、国民が、世紀的な不況の危機を捉え切れず、戦前からの集権支配の下で、政治的に未熟だからだ。

そして政治とカネでは、法を守る検察への”暗黙の信頼”がある。それは、お上依存と表裏で、戦前からの集権体制に根源がある。小沢攻撃は、国民主権に向けられている。官僚の裁量行政は、検察だけではない。戦前の統帥権を抱えた政治体制は、敗戦に当たって誰も戦争の責任を取らず、歴史問題を現在に残している。足利事件など、えん罪事件も同じ課題だ。

国会やマスコミの論議も、法の解釈を裁量している。予算には決算・会計検査の検証があるが、立法後の政令を始めとする行政は、裁量に任されているのだ。調書を取るのは、警察・検察に限らない。税務署・労働基準監督署など多岐に亘っている。

官僚主導とは、裁量行政を主権者国民の上に置くものだ。教育基本法と文科省の指導要領を思い起こす。現職の首相、立法府議員の鳩山が、検察に「上申書」を書き、不自然と思う人は少ないのではないか。根は深く、国会に、法と裁量行政を検証する仕組みが必要だ。取り調べの可視化も、弁護士の同席義務化も対症療法に過ぎない。

この官僚主導体制を、どうチェンジするのか。政治は、国の舵取りだ。政治の説明責任は、政治とカネに矮小化してはならない。先日の朝日新聞で、山口二郎は、司法の場ではなく、政治の場の闘いを求めていた。国会で、この問題の論点と解決策を示すべきではないだろうか。

天皇と習近平中国副主席の会見では、羽毛田信吾宮内庁長官の発言を、小沢民主党幹事長が批判した。これに野党とマスコミは、憲法解釈を含め、天皇の国事行為から政治利用として反論を加えた。

憲法の条文は、その成立の歴史からも国民に身近なものではない。だが自然に一読し条文の流れから全体を捉えれば、象徴天皇と国民主権は政治体制そのものである。この象徴天皇制に、羽毛田長官が、非政治性、中立性・公平性という抽象的な政治概念を組み入れることこそ、恣意的な政治利用、官僚の政治介入なのだ。

振り返ると、小学2年生で、2.26.事件の雪の朝を記憶。大恐慌時の2.26.と青年将校、グローバル不況と政治に介入する東京地検が重なる。この小沢・鳩山攻撃は、広く世界・歴史・国民の視点、政権交代と国のかたちという、大局から見なければならない。

政権交代は、日本再生の転機と捉えたい。聖徳太子の十七条憲法、天正少年使節が西欧に開いた中世安土桃山文化、坂本龍馬の船中八策が描く近代日本、石橋湛山の小国主義、周恩来と冷戦終結会談、小沢一郎の政権交代実現という歴史の流れだ。

議会制民主主義下の政治と法律、行政・立法・司法は、三権分立に加え三位一体で結ばれ、立法が最上位にある。国権の最高機関は、議会であり、議員を選ぶ国民の主権が基礎にあるのだ。政治主導は、官僚の裁量行政に対し優位に立たねばならない。

その一つとして、政治の浄化には、企業・団体献金の禁止、政党助成金の廃止、個人献金の限度撤廃と無税化が必要だ。選挙法も、流域圏による地域主権の選挙区、供託金の引き下げ、落選・辞任時の復職保障措置など、国民主導の政治に改革が求められる。

42歳の知り合いの女性は、テレビで小沢に接し、人間としての生き方に学び励まされ、健康な様子に安心すると言う。81歳の無党派の私も、支持者を前に「毎度お騒がせしています」と語る、小沢の笑顔に日本の再生を託している。

小沢一郎の笑顔は、日本の未来を照らしている。鳩山首相は、戦後の政治家には珍しく誠実に対応し、戦前の井戸塀議員のように清廉さが伺える。宇宙人鳩山の粘り腰は、国民の活力を発揮させるだろう。


投稿者 のんぽり 日時 2010 年 2 月 06 日 17:13:08: 7p9CCripgLT3w

 阿修羅のコメント欄に民主党を支持する人たちの怒涛のような小沢擁護論が投稿されるのを見て、かつての自民党を支持していた?ネトウヨと呼ばれる人たちの行動との類似性を感じてる人が結構存在するのではないだろうか?

 中には理路整然と主張し、おいら自身もなるほどと納得させられる投稿も多少は認められるが、大半は誹謗中傷や差別発言、そして印象操作であると感じる。これらには己の主張も、反論する相手の問題点の指摘もなく、ただただ、相手を否定し、あるいは身内を庇う短い文章ばかりである。

 これは何故なんだろうか?結論から言えば、これはムラ社会という日本の隅々にまで浸透している構造にあるのではないだろうかと考える。政治家には政治家のムラ社会、官僚には官僚のムラ社会、経営者には経営者のムラ社会・・・があり、排他的な行動原理が支配している。

 今回の小沢問題でも、民主党(支持)というムラ社会が自浄作用を働かすこともなく、組織防衛に走ったのではないだろうかと感じられるのである。これは何も民主党に限ったことではない。

自民党不祥事が起こるたびに証人喚問を要求する野党に対し、与党は本人が決めるべき問題だとかわし、挙句、武士の情けとか惻隠の情などと言いながら身内をかばってきた。そこには論理はない、甘えの構造があるだけである。勢い、政治もムラ社会同士のぶつかり合いと化し、政策ではなく政局の諍いに堕している。

 さらに問題なのは、甘えの構造ゆえの脇の甘さが、身内同士ならまだしも、外部にも、国際社会にも出てしまう、危機管理能力のなさであろう。官僚の無駄遣いや不祥事も、経営者の隠ぺい体質も政治屋の脇の甘さも自身の所属する組織への甘えと、かばい合い、排他性というムラ社会特有の性質がもたらしたものとはいえないだろうか。

 無論、常に緊張を強いられたら人間おかしくなってしまうから、安らげる場が必要であることは言うまでもないが、それは公私が混在したムラ社会ではない。公と私これをすみ分けた社会を作る必要があるのではないかと考える。
   

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コメント
 
1. 2016年7月02日 23:46:40 : w7qzIKpWuA : ZXN2yvKwwoc[10]

佳作 寺田高久さん 20年後の三陸海岸

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201108030594.html?ref=chiezou

 (2) 新しい絆のある“ウエルネス・ムラ社会”

 三陸海岸域は、昔から住民同士の絆が深い地域だ。その絆の質が変化した。その背景には、T氏のように都市からUターンしてきた人々の存在がある。T氏は若い頃に離農したが、晩年に帰農。同じように離漁したが、大震災を機に帰漁した人も多い。大都市では老年人口が急増し、人口オーナスに苦悩。都市の住民全体がワーキングプアー化し、経済的に豊かな暮らしが望めなくなったからだ。2031年、都市が限界集落化の危機にある。

 農漁村のように地縁・血縁でつながる情緒重視型の共同体と、都市のように社縁で出来た利益分配型の共同体。それらがT氏のような人々の増加で融合。そこに新しい価値観でつながるコミュニティーが成立した。それは「ウエルネス・ムラ社会」と命名された。

 同ムラ社会には、従来の都市とも農漁村とも異なる新しい価値観がある。それは「ウエルネス」とも呼ぶべき絆だ。住民が自律的にひとづくり、まちづくり、ものづくり、ふれあいづくりを行う。人口ボーナスによって育まれていた都市のメリット。それが無くなりかけた時期に、大震災が発生。そこで、社縁を断ち切って帰郷したT氏たち。経済的な豊かさも大事だが、日常の何げない幸せの大切さに目覚めたのだ。

 一方、古い農漁村によくある共同体意識とも異なる。やはり自律する個人個人の意識は都会譲りだ。そんな複眼的な価値観に富む。エコやスローだけに矮小(わいしょう)化された価値観とも違う。あえて言えば、正義やケア、公共心、QOL(生活の充実)、あるいは善だ。それらを含めた価値観はウエルネスと呼ばれ、そんな農漁村が、ウエルネス・ムラ社会だ。

 東北州、特に州都仙台には、戦国時代から伊達者(だてもの)という伝統的なダンディズムがあった。2031年には、外見だけではない、中身のある新しいライフスタイル、ワークスタイルとしての伊達者が誕生した。T氏もそんな伊達者だ。仕事だけではなく、趣味や歴史・文化の素養にも優れ、知識欲が旺盛で、携帯端末、ICTも使いこなす。職業だけでなく、寄付やNPOを通じた社会貢献にも意欲的だ。ウエルネス・ムラ社会では、男女を問わずアクティブで新しい伊達者たちが活躍する。

 定刻の14時を回った。やはり州知事は遅れているようだ。EVの公用車がまだだ。会場は何百キロも続く三陸沿岸の松原だ。20年前のあの日、松原には、松が1本だけ残った。その一本松は不屈の松として、復興と鎮魂の象徴となった。その後、松原復興運動が起こり、名勝に育て上げられた。T氏は、強く信じている。

 「使命感や自己犠牲とは違う別の連帯社会が東北に生まれ、この松原が再生されたのなら、少なくともその部分では、この大震災を無駄とは言わせないっ!」

 曇りで寒い日になった。夜半には雪との予報だ。それは大震災当日と同じだ。T氏の脳裏に、あの日の想(おも)い出が、ゆっくりとよみがえって来た。


(以下略)


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