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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090427-01-0101.html
一郎と康夫結ぶ異端の絆
2009年4月20日 AERA
小沢一郎と田中康夫は似ている。政権交代を掲げる民主党、新党日本の代表。
献金問題をめぐる検察の捜査も、異端の同志には一試練に過ぎない。
口べたな66歳、公設秘書の逮捕以降さらに人前に出なくなった小沢。奔放な53歳、「W嬢」との逢瀬も週刊誌上での日記で明かす田中。何も接点がなさそうな2人が、秘書の起訴直前の3月24日昼、東京・赤坂の小沢事務所の書斎で向き合った。
知事時代と重ねる田中
小沢が代表続投を表明する同夜の記者会見に向け、田中は促す。「まだ夜明け前です。政権交代しかない」「カメラの向こうの人たちに訥々と語ってほしい」。小沢は大きくうなずく。ソファの脇の卓上には、愛らしい犬の顔の日めくりカレンダー。田中が毎年贈ってきた。
同じ犬好きと知るきっかけは、長野県知事の田中が脱ダム宣言で波紋を広げた2001年の月刊誌対談だ。タイトルは「だから日本はダメになる」。自由党党首の小沢は前年、「政策合意は何一つ実現しない」と自公との連立政権を解消していた。
田中 「僕も小沢さんも、一般的日本社会とは異なる考え方の手順やスピードを持っているのかもしれない」
小沢 「僕はわりと人と違うことを言うものだから、あの野郎ということになるんだろう」
意気投合した2人の軌跡は、政界で収斂していく。小沢は03年に民主党に合流し、06年には代表に就任。田中は05年に新党日本を立ち上げ、07年参院選では比例区で177万票を獲得。野党多数となった参院で両党は統一会派を結成する。
盟友は次の衆院選での政権交代を誓い合う。05年の郵政解散選挙で小泉旋風に完敗した反省から、小沢は民主党候補らに徹底した地元回りを指示する。無党派層対策が弱いとみる田中は、小沢に「死ぬ覚悟で国替えをしないと投票率が上がらない」と訴え、地元岩手から与党幹部の選挙区へ転出するよう求めてきた。
そんな矢先の献金問題だ。政治資金収支報告書に西松建設からの献金と記さなかった、という容疑での秘書逮捕。小沢は翌日の記者会見で「強制捜査は異常」「不公正な国家権力の行使」と憤った。その姿に、田中は県議会との対決に明け暮れた知事時代の自分を重ねた。
日々狭まる小沢包囲網
06年3月、田中の元後援会幹部による入札への働きかけを示す文書の破棄を田中が止めなかったとして県議12人が告発。3選を目指す田中は8月の知事選で敗れる。長野地検が嫌疑なしで不起訴としたのは翌年だ。
先月13日昼、田中は東京・八重洲のホテルに小沢を訪ね、月刊誌のコピーを手渡した。タイトルは「それでも小沢に期待する」。93年の自民党離党前の、評論家・江藤淳の寄稿だ。「田中さんと初めて会ったのは、江藤さんの告別式だったね」と小沢はつぶやく。99年に逝去した江藤は、田中が80年度の文藝賞を受けた小説『なんとなく、クリスタル』も激賞していた。
だが、そんな2人の世界への包囲網は日々狭まる。4月10〜12日のNHKの世論調査で、小沢は代表を「続けるべきだ」が10%、「辞任するべきだ」が53%。党内では衆院選への影響がなければという前提での続投容認が大勢となるなか、「小沢以外ではダメだ」と発信し続けるのは田中ぐらいになってしまった。
なぜ小沢なのか。田中は17日、筆者に語った。
「今は自民党対民主党の権力闘争。自民党の手の内を最も知るのが幹事長を務めた小沢一郎だ。保守層も託せるシンボルだから、自民党は恐れる」「匿名性に守られた役人が人事も予算も法案も作り、その上に政治家がちょこんと乗っかる。そんな官治を民治に変える装置が小沢一郎だ。そこが私と似ている」
今回の事件をどう克服するかも、あくまで小沢政権への一過程なのか。田中は即答した。
「もちろん」
(文中敬称略)
編集局 藤田直央