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シリーズ憲法70年「護憲」「改憲」−−9条を考える 対談 中西寛・京都大教授、石川健治・東京大教授
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/457.html
投稿者 戦争とはこういう物 日時 2017 年 5 月 04 日 09:38:16: N0qgFY7SzZrIQ kO2RiILGgs2CsYKkgqKCpJWo
 

 議論は必要だ。憲法をどうするか、について「追加なら良いだろう」「学校無償化なら許されるだろう」などと、手段のために目的を選ばない安倍茶魔君の「おじい茶魔の敵討ち」に付き合うことはないが。
このレベルで、平和主義と引き換えの、前主権者の象徴存続について議論したらどうなるのだろう。

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論点
シリーズ憲法70年 「護憲」「改憲」−−9条を考える 対談 中西寛・京都大教授、石川健治・東京大教授

毎日新聞2017年5月3日 東京朝刊

オピニオン
解説
紙面掲載記事
 憲法学者は護憲、国際政治学者は改憲−−と世間は見ている。厳密にはそうとも言えないが、大づかみの傾向はその通りだろう。ともに第一線で活躍する知的権威が憲法、特に戦争放棄の憲法9条=1=について正反対の判断を持っている。それが日本の現状だ。憲法学の石川健治・東京大教授と国際政治学の中西寛・京都大教授に、9条を中心として憲法施行70年を振り返ってもらった。司会は山田孝男特別編集委員。【まとめ・南恵太、写真・宮間俊樹】

情勢に合わせ解釈変更必要 中西寛・京都大教授(国際政治学)
支える「意志」根が浅くなった 石川健治・東京大教授(憲法学)
司会 山田孝男・特別編集委員

山田孝男氏
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−−お互いに憲法学者、国際政治学者と対談するというのは身構えるものですか?

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inRead invented by Teads
 石川 特にないですね。9条で無責任な議論はできないという思いはありますが。

−−中西さんは?


中西寛氏
 中西 法律に関しては、普段から憲法学者に教えていただいています。9条は純粋の法律問題とは考えませんが(笑い)。

 石川 いろいろな国際政治学者がおられますが、中西さんの良識を信頼して、今日は議論したいと思います(笑い)。

−−施行70年、何を思いますか?

 石川 私が初めて大学で憲法の講義を受けたのが施行35年の1982年でした。それから35年ですが、憲法を取り巻く状況は変わったようで変わらない。日本の近代は「開国」以来、西欧起源の立憲主義を取り入れる流れと、日本固有の「国体」を押し出したい流れのせめぎ合いでした。しかし、第二次世界大戦後、「第二の開国」で全面的に立憲主義に帰依する憲法をつくった。そうすると今度は新しい体制から排除された人々が戦後憲法を倒そうとする。そういう構造が、35年前もあったし、今もあります。

−−変わった面は?


石川健治氏
 石川 (改憲にせよ、護憲にせよ)情念を支える実体験がない世代同士の争いになったので根が浅くなった。大阪の「森友学園」で教育勅語をあれほど軽々しく扱うというのも、右翼の根が浅くなっているからだという気がします。

 中西 石川先生とは同い年ですが、お話をうかがって共感するところと、少し違うかなと思うところがありますね。

 現行憲法は、国民主権と象徴天皇制という論理的には整合性が取りにくい、制度的な部分と精神的な部分をうまくドッキングさせた。そこがとりあえず安定していたので、人権擁護と統治機構の改革を、現代的な文明に即した形で実現する役割を果たしたと思います。

 個別に見れば問題もありますが、全体としては国民の間に定着している。35年前の中曽根政権の頃にはまだ「戦前回帰」といった議論もありましたが、今は改憲について「合理的か否か」というレベルで議論する人が増えた。その意味で議論が多少は健全になったのではないかという印象を持っています。

 石川 議論の自由度が増したのは確かですね。でも、肝心の「憲法への意志」がどこにあるかと考えると暗たんたる状況です。

−−憲法体制に参加する意志?

 石川 支える意志ですね。コンラート・ヘッセ=2=という戦後ドイツの憲法学者が、ニーチェの「権力への意志」=3=をもじって「憲法への意志が憲法の規範力を支える」と言った。日本の場合は、「憲法への意志」が、9条とその支持層に限られており、憲法の核心をなす立憲主義の本体が、それによってのみ支えられるという構造になっている。そこが35年たっても変わらなかった。他方で、いたずらに憲法を敵視する復古的な勢力だけが、依然として改憲への「意志」を持っている。この状況でもかまわないという立場を取ると、立憲主義そのものの否定に加担することになると思います。そうやって憲法の根幹を奪われてしまうことへの危機感が、「真ん中」には感じられません。もしそこに、立憲主義の敵を退ける強い「意志」を見いだせる状況ならば、9条の是非を視野に入れた、より広範な憲法論議が可能になりますが。

−−大多数を占める中間層が無関心というご指摘ですね。

 中西 たとえば米国の場合、忠誠の対象は憲法で、大統領個人ではなく、憲法に基づいて選ばれた大統領だから忠誠を尽くすわけです。

 それと比べて日本では、憲法に対する愛着心が薄いということは確かに感じます。象徴天皇制と国民主権を両立させた現行憲法の大枠には広い支持がある。(それなのに)憲法への国民一般の愛着心は薄い、あるいは憲法をめぐる議論にある種のシニシズム(冷笑的な態度)がつきまとう背景には、やはり9条の問題があると思います。

 9条が、政治のリアリティーにもう少し整合した形で制定されていたなら、その後の憲法論議も変わっていたのではないか。制定段階からあまりに大きな乖離(かいり)があったゆえに、その後の議論が後付けの理屈のこね回しにならざるを得なかった。それが憲法をめぐる政治論争の中心になり、石川先生のおっしゃる「憲法への意志」、あるいは愛着が薄くなった面があると感じます。

−−改憲の核心は依然9条ですね。

 中西 9条の問題は憲法の制定過程に結びついています。特に国連憲章ができた当時の理想主義を直接に反映している。憲法草案は1946年3月には大枠ができていた。敗戦から半年、国連憲章が署名されて9カ月です。マッカーサー(連合国軍最高司令官)も、日本国民も、国連の集団安全保障が機能する、と考えていた。その時点で憲法を固めてしまったわけですが、その後、冷戦になり、米ソがそれぞれ同盟をつくって再軍備が進む流れでした。同じ敗戦国のイタリアや西ドイツは少し後に憲法をつくったので、自衛力や同盟、つまり集団的自衛権を認めるような条文になっています。

 日本も早期にイタリアや西ドイツ型に改正すればよかったと思いますが、政治的にそれができない中で、自衛隊、個別的自衛権のみ認めるという解釈になった。その過程自体が大論争でした。安保条約改定(60年)以降はそれで一応落ち着いていたのですが、冷戦終結以降は国際環境が変わり、国連の集団安全保障による武力行使、同盟における日本の軍事的役割が問われる状況になった。

 私は、安倍政権が(9条の)解釈を変えたと考えていますが、制定時から現実とかけ離れた9条については、「憲法改正がほぼ不可能」と政治が判断したなら、現実に合わせて、一定の範囲で解釈を変更することも認められるべきだと思います。

単独自衛より同盟で−−−中西氏
安保法制は枠超えた−−−石川氏
−−安保法制の評価が出ました。石川さんはノーですね?

 石川 そうです。私は、安保法制以前の政府見解の変遷は、解釈改憲(条文解釈を変更し、事実上、改憲してしまったに等しい状態)だとは理解していなかった。自衛隊創設については違憲論が有力ですが、法解釈をやっている人間から言えば、政府の合憲論も導き出せないことはない。9条という規範の論理的な枠(許容範囲)の中での対立でした。

 その枠を超えた議論を持ち出し、解釈によって改憲してしまったのは今回(安保法制)が初めてです。こういう手続き(閣議決定による憲法解釈変更)で憲法の根幹を動かすことは、座視できないと考えました。

 私は「九条の会」(9条改正に反対する市民団体)のメンバーではありませんし、運動的なるものには一切関わってこなかったのですが、今回は枠を超えたと判断したので、柄にもなく出張って(マスコミなどで発言して)きたわけです。

−−専守防衛の自衛隊創設はいいが、集団的自衛権に踏み込んだ安保法制はやり過ぎだ、と。

 石川 安保法制に関しては論外だということです。確かに安全保障環境はどんどん変わる。それに対し憲法は(変化が)遅いシステムであるところに意味があると思うのです。反射的に勝負しなければならない側面と、じっくり考えなければならない側面を切り分けるためにこそ憲法があり、厳格な改正手続きがある。冷戦があり、湾岸戦争があり、その後も状況は変遷したが、同盟政策を排除する9条の規範があったおかげでアメリカに「あまり要求しないで」と言えたし、危険な状況に日本が陥らずに済んだ面があると思います。

 中西 私は9条が同盟を排除しているという考えは取りません。むしろ場合によっては同盟的なものも含んだ国際協調を実現することが、単独で自衛するよりも、外交面でも、安全保障面でもプラスになるという選択があり得ると思う。日米同盟があるからといってアメリカのやることを常に支持したり、アメリカの軍事行動に巻き込まれたりするものではない。同盟関係があるからこそ、アメリカの行動を抑制したり、自前の価値を訴えたりして世界に影響力を持つことができると思うのです。

現実とのバランスを−−−中西氏
めざす理想を制度化−−−石川氏
 石川 E・H・カー=4=が「危機の二十年」で国際政治におけるユートピアニズム(理想主義)とリアリズム(現実主義)を論じています。

−−カーの結論は「両方とも必要だ」でしたね。

 石川 そうです。カーが下敷きにしているのはカール・マンハイム=5=の「イデオロギーとユートピア」で、日本の(特に戦前の)憲法論ではよく参照されてきました。たとえば、国会は「全国民を代表する議員で組織する」(憲法43条)というが、全国民は永田町によって代表されているか。現実に「全国民の代表」だと捉えてしまえば、その時点で政権を握る者にとって有利なイデオロギー、現状正当化になりますが、それを「支配者がこれからめざすべき理想・ユートピア」と捉えるなら、被支配者にとって利益になる。そういう議論ですね。

 生存権の憲法25条=6=も戦争放棄の9条も、そうしたユートピア(まだ実現していないもの)を制度化したものです。現実とは距離のある観念を憲法はあえて置く。ユートピアニズムが制度化された中での、より強靱(きょうじん)なリアリズム。戦後の国際政治、安全保障がめざすべきはそれであって、安易な同盟政策のリアリズムではないように思います。

 中西 9条については、それこそカーの基本的な主張である「ユートピアを語る必要はあるが、まずリアリズムから」があてはまると思います。日本国憲法に平和主義が含まれていること自体は、日本人の多くにとって誇りでしょう。ユートピアとしての価値と、現実に向き合う法規範としてのバランスをどう取るか。その議論を重ねていけば、憲法への関心も高まると期待します。

−−ちょっと視点を変えましょう。先日、トルコが憲法を改正しました=7。どう見ますか?

 石川 近年、ポーランドやハンガリーなどで、「民主主義に自由はいらない」とか、「選挙で国民の負託を受けた以上は何でもできる」というたぐいの民主主義が勢いづいています。トルコの改憲もその流れの中にある。51%の得票率で大統領が強権を獲得し、国民の分断が進んでいます。指導者の個性の強さ、大統領権限強化という統治機構の大改革をめざした点、数は力の多数決万能主義。他山の石だと思いますね。

 中西 戦後、西側社会が誇ってきた自由民主主義体制のほころびが広がり、機能の低下が見えてきた。トランプ米政権登場の背景にもそういう要素があると思います。強権への渇望が生まれやすくなっていて、トルコの場合、それをエルドアン大統領がうまく利用した。

 戦後国際秩序が制度疲労状態に陥り、ポピュリズム(大衆迎合主義)が広がっています。統治能力の低下に対するいら立ちが指導者への権力集中を後押しする、という流れが勢いを増していると思います。

−−統治機構改革という論点が出ました。日本にも衆参両院関係など再考すべき課題がある。この領域こそ「憲法を支える」主権者、国民が議論して是正すべきだと思いますが。

 中西 同感です。両院関係については、憲法制定過程を見てもきちんと詰めた議論をしているようには思えません。以前は参院が比較的、政党化されずにいた(議員の投票行動が所属政党に縛られなかった)のですが、近年は政党化が進み、ねじれ国会(両院で与野党逆転)になると、何も決まらない権力バランスになってしまっている。

 2院制をとるなら両院の役割分担をもっと明確にする。選挙制度についても、ほとんどすべてを(一般の)法律に委ねている現状は問題です。票の平等をめぐる混乱が続かぬよう、基本的な考え方を憲法に書いておくべきだと思います。

 石川 それはどうでしょうか。憲法は論理的には参院(の責任追及)による倒閣を予定しています。だからこそ、政権交代をはじめ、新しい政治の息吹は必ず参院選から出てきました。現在の両院関係は悪いことばかりではありません。他方で、「ねじれ」時代の<弱い政府>も、安保法制を力業で実現した<強すぎる政府>も、それぞれが憲法のもたらしたもので同じメダルの表と裏の関係にある。その振れ幅の大きさについては、私も問題だと思っています。

−−天皇退位で、憲法第1章(天皇)や皇室典範への関心も高まっています。70年間の平和と自由の基盤となった戦後憲法のどこを改めるべきか、注意深く見極めていきたいと思います。ありがとうございました。

 ■ことば

1 憲法9条
 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

2 コンラート・ヘッセ(1919〜2005年)
 ドイツの法学者(憲法・教会法)。フライブルク大学教授の傍ら、1975年から87年にかけてドイツ連邦憲法裁判所の判事も務めた。

3 「権力への意志」
 ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900年)の思想の基本的な概念。人間が自らの力の拡大と、より高みを目指す存在として持つ根源的な生の衝動、行動原理。「力への意志」とも。

4 E・H・カー(1892〜1982年)
 エドワード・ハレット・カー。英国の歴史家、外交官、論説記者。第一次世界大戦後から第二次大戦に至る国際政治の動きを論じた「危機の二十年」(1939年)は今なお世界中で読み継がれている国際政治学の古典。

5 カール・マンハイム(1893〜1947年)
 ハンガリー・ブダペスト生まれの社会学者。知識社会学の先駆者として知られる。フランクフルト大学教授を務めていたが、ヒトラーの台頭を受け英国に亡命した。

6 憲法25条
 (1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

7 トルコの憲法改正
 4月に実施された国民投票で承認された。議院内閣制を廃止して大統領が国家元首と行政の長を兼ね、国会を解散し、非常事態を宣言する権限も持つ。大統領任期は最長2期10年だが、旧憲法下の任期を含めず、2014年から大統領のエルドアン氏は19年の大統領選で当選すると、29年まで大統領職にとどまることができる。

 ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100−8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp

 ■人物略歴
なかにし・ひろし
 1962年生まれ。京都大大学院修士課程修了。米シカゴ大留学を経て現職。安倍晋三首相が設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」のメンバー。著書に「国際政治とは何か」、共著に「『新しい安全保障』論の視座」など。

 ■人物略歴
いしかわ・けんじ
 1962年生まれ。東京大法学部卒。東京都立大教授を経て現職。憲法に従った民主政治の回復を目指す「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。著書に「自由と特権の距離」、編著に「学問/政治/憲法」、「憲法の争点」など。

 ■人物略歴
やまだ・たかお
 1952年生まれ。早稲田大政経学部卒。毎日新聞政治部長などを経て2007年から月曜朝刊コラム「風知草」を担当。同コラムで14年度日本記者クラブ賞を受賞。

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コメント
 
1. 戦争とはこういう物[2015] kO2RiILGgs2CsYKkgqKCpJWo 2017年5月04日 09:43:25 : 9PG0M0b68Q : jKnbezZWN40[658]
リンクミスです。
以下の通り↓
https://mainichi.jp/articles/20170503/ddm/004/070/044000c

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