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(回答先: 憲法記念日に日本国憲法を思う 投稿者 Ddog 日時 2009 年 5 月 07 日 22:52:12)
○○;さん・・・ こんばんわ。> 日本が中国を殖民地として独占しようとしたのが、
原因で、< ?? 今迄、トピックを見て来ましたが・・ 事実とは全く違う。と云う
人がいました。。私は違う方面から述べさせて頂きます・・むろん戦争体験者の証言
ではありますが・・・外国関与の薩長連合が設立した「明治政府」は、欧米に憧れて、
政党政治を採用し「富国強兵政策」で、江戸時代より急に人口増加した為に、海外へ
移住するしか無く・・ブラジル・ハワイ・米国・支那の満州開拓・・・ この状況に、
危機感を抱いたのが、歴史を持つ・・モンゴル国王です。日本政府は密使を送るが・・
生還者無しで困っていたが、玄洋社の一員が紹介したのは・・支那大陸で事業を展開
して、数万の馬賊を統率していた・伊達政宗の直系、伊達順之助です。。本人は快く
引き受け、旅に出る・・刃物銃器は一切持たず遊牧民と一緒に移動し、何度も盗賊に
出会ったが、阿呆の真似して相手にされず・・ようやくモンゴル国王に密書を手渡す。
「 私達は生活移住です、欧米の殖民地支配とは違いますから安心して下さい。」と、
乞食姿の人が堂々と礼儀正しく話した事に感動して、武器の所持無しで驚いた・・・
帰路は、直属の部隊が護送したと云う・・連絡を受け一安心の政府は、伊達順之助に
多額の謝礼金を渡したと云う、順之助氏に奉天の賭博場を任されたのが黒田久米雄翁
黒田氏は 若い時、日本刀で鹿鳴館に乗り込み抗議した人物・・・と、証言していた。
○○;さん・・当時、中国は在りません。日本撤退後、共産ゲリラの*毛沢東が座り
中華人民共和国を建てたから、中国六千年は真っ赤な嘘。当時は、支那;China
と、呼ばれていました。。○○;さんの> 海軍;山本五十六氏は、最初から反対 <
の話は、軍上層部も知っていた、指示された時も「やれと言われれば、引き受けるが
その後は責任が取れない」と、軍上層部に述べていたから知っています。。 同じく、
九月六日[ 御前会議 ]で、明治天皇の御製 四方の海・みなはらからと・思う世に
など波風・立ちさはぐらむ( 正述心緒 )を、二度詠み上げた時・・青ざめたのです。
なぜか?? 天皇歴代を辿ると[ 天照大御神 ]つまり、創造者側が人間を殺せ!!
と、言う訳が無いだろう・・後は自己責任だ。と云う意味・・軍上層部は敏感だった
証拠です。。○○;さんの > 軍上層部は独走した・・< なぜか?? 既に、大手の
宣伝放送番組で流しています・・ 不平等条約に対し怒りを込めた事を、当時の大手
新聞が大きく取り上げ、専門家も後押しした結果、更に世論が盛り上がった状況では
東條英機が独裁者で実権を握っていたとしても「上げた拳」を下ろせなかった理由は
陛下の言葉より、世論;政党政治の「多数決」を、優先にするしかなかったのです。
当時の状況と、現在の状況が似ていないか?? 多数決制度 大手宣伝組織・新聞・
電子窓は、米国の「 年次改革要望書 」等々の事実を流さず、当時と同じく恐怖心を
煽り、戦争準備しながら・・ 当時の軍部を独裁者扱いでは、非常に*違和感が有る
http://ahr666generation.blogspot.com/