投稿者 戦争とはこういう物 日時 2010 年 2 月 11 日 20:37:49: N0qgFY7SzZrIQ
地震後一ヶ月経ってから派遣された「PKO自衛隊」がマスコミでは大きく取り上げられ、地元民に感謝されているとアピール。
しかし、地震直後に医療支援にあたったNPOに付いての報道は何故か小さい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(引用ここから)
「被災地ハイチ 医療を支援」
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001002110002
2010年02月11日
首都ポルトープランスの病院で活動するTMATの隊員ら=鑓水さん提供
「被災地は衛生状態が悪く、伝染病が心配」と語る鑓水弘樹さん=山形市の山形徳洲会病院
山形徳洲会病院の管理栄養士・鑓水さん 帰国
大地震に襲われ、死者20万人以上とみられる中米の島国ハイチに、山形市在住の鑓水弘樹(やり・みず・ひろ・き)さん(40)が、NPO法人徳洲会医療救援隊(TMAT)の一員として派遣された。山形徳洲会病院の管理栄養士。一行の健康管理のために現地で食材調達に奔走、崩壊した建物や被災者キャンプを目の当たりにした。帰国した鑓水さんに被災地の様子を聞いた。(南日慶子)
衛生状態の悪化深刻 「伝染病が心配」
救援隊は徳洲会グループの医師や看護師ら11人で、1月21〜30日に派遣された。首都ポルトープランス東部の民家にベースキャンプを設営し、病院で医療活動にあたった。
物資に人々殺到
鑓水さんは管理栄養士として、医師らの食事を用意するのが主な仕事だった。食材は日本から持ち込んだレトルト食品以外は、ほぼ現地調達。隣国ドミニカで買ったミネラルウオーターで米を炊き、レトルト食品に現地の野菜を加えて栄養バランスをとった。
日中の気温は約30度。食材を買うため、エアコンなしの車で被災地を回った。首都西方の震源地に近づくほど建物の崩壊と粉じんがひどく、マスクがないと耐えられないほど。路上で人々が支援物資に群がり、暴徒化しそうになる現場にも遭遇。「怖くて車の窓を閉めました」。野菜は道路脇に並ぶ露店で調達した。米国国旗が付いた支援物資を売っている露店もあり、物資が必要なところに行き渡っていない、と思ったという。
病院も訪れた。現地入りしたのが地震発生10日後で、緊急治療は減っていたが、外科的治療や包帯交換などが必要な患者や、下痢など内科的な疾患を訴える患者が目立った。病院を囲むようにテントがあった。「入院の必要はないけれども『不安だ』『家に入りたくない』という患者が過ごしていました」
仮設住宅が急務
深刻なのは、衛生状態の悪化だ。崩壊した建物はほとんど手つかずで、死臭が漂ってくるがれきもあった。大統領官邸前の広場は被災者キャンプになり、ごみが散乱。汚物によるアンモニア臭もした。「乾期の今はまだいいが、雨期になれば汚れた雨水がテントに入り込み、伝染病が流行する」と心配する。仮設住宅の設置も急務だという。
鑓水さんは昨年「表舞台には立たない栄養士だけれど、人道支援がしたい」と、TMATの隊員に登録した。被災地派遣は今回が初めてだが、「自分なりに貢献できた」と感じた。隊員たちが下痢などを起こすことなく無事に活動を終えたからだ。
「地震は起きて欲しくないけれど、機会があれば次もぜひ協力したい」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(引用ここまで )
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