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(回答先: 四川大地震から1年/復興と癒えぬ心と【しんぶん赤旗】 投稿者 gataro 日時 2009 年 5 月 17 日 10:43:41)
四川大地震から1年/“震災見物”頼み(1面のつづき)【しんぶん赤旗】 以下は「しんぶん赤旗記事情報/G-Search」から検索、貼り付け。 ======================================== 四川大地震から1年/“震災見物”頼み(1面のつづき) 壊滅的打撃の北川県に生きる「この仕事しかない」 中国四川省北川チャン族自治県は昨年五月十二日の大地震で壊滅的打撃を受けました。住民十六万人のうち約二万人が死亡または行方不明。深い谷あいにあった県中心部は手の付けようがなく、多くの住民が埋まったまま放棄されました。立ち入りは全面禁止され、二百bほど上の山から望むしかありません。 露店ずらり 役所もアパートも学校も、乱ぐい歯のようにあちこち向いていたり、がれきの山だったり、いまなお地震のエネルギーのすさまじさを見せつけています。左岸の山から崩れ落ちた大量の土砂が街の一部をのみ込んだままです。悲惨な光景をときおり霧が隠します。 この山上とそこへ通じる道端には“観光客”相手の露店がずらりと並んでいます。いずれも被災者が開いた店です。メーデー連休には各地から数万人が地震の跡を一目見ようと押しかけました。ふもとの道路に「観光客はここから引き返すこと」と警察が看板を立てましたが、無視されました。 店に並ぶのは地震のDVD一枚七元(約百円)、視察に来た温家宝首相の大判写真、Tシャツ、チャン族の民芸品…。食堂もいくつか開店しました。 山へ通じる道路は一般車両乗り入れ禁止。通行止めの地点から歩くと三十分かかるので、唯一車の通行を許されている地元の被災者が無免許タクシーをしています。 運賃は数倍 声をかけてきた女性運転手の車に乗って記者(山田)も山の上に取材に行きました。往復四`ほどで四十元(約五百八十円)。都会のタクシーの数倍の運賃です。 「これしか収入がないのよ。夫は不況で出稼ぎ先がなく、うちにいてすることがないし」とハンドルを握りながら語ります。途中、千人以上の生徒が倒壊した校舎の下敷きになって死亡した北川中学の跡地前を通りました。 「山の上には行きたくない。見ればあの日を思い出すから」。地震当日は仕事で北川にいませんでした。急いで帰ってきて行方がわからなかった母を捜しました。幸い無事でしたが、そのとき見た街の光景が頭に浮かぶとつらいといいます。 彼女が住むのはプレハブの仮設住宅。生活補助金は被災後三カ月まで。いまは自分で生計を立てなければなりません。新しい住宅については役所から何も知らせがありません。 国の発表では農村被災者の住宅問題は九月までに解決することになっています。どうなっているのか。 女性が住む擂鼓鎮の幹部によると、山東省が全面的に請け負って工事を進めています。ただ、昨年九月に起きた大規模な土砂崩れで計画を変更せざるをえなくなりました。北川県は標高五四〇−四、八〇〇bの山岳地帯です。国から各種の資金援助があっても、鎮まで届くのに時間がかかるのも悩みだと打ち明けました。 私の息子よ 女性運転手に、記者が昨年ここを取材したとき書いた記事を見せ、そこに出ている人が今どうしているか知らないか聞いてみました。写真を見るなり「息子だわ」。 畑から集めてきた野菜を調理してがれきの間で食べていた姉弟とおば一家を取材した記事でした。そのとき北川中学の倒壊現場を案内してくれたのが劉清雲君(10)。いま目の前にいるのは母親の董宏さん(39)でした。中国では夫婦別姓なのでたいてい片方の親と子の姓は違います。 「息子に会っていってください」と山の下の仮設小学校まで車を飛ばし、背が伸びた劉君と再会しました。 「大きくなったら警察官になりたい。地震のとき助けにきてくれたから」 校内に戻る劉君に、董さんは先ほど記者が払った四十元を握らせました。この学校は全寮制です。予定外のこの運転に記者が料金を払うといっても董さんは絶対に受け取りません。 「子どもは立ち直りが早いけれど、おとなはつらいことを忘れられない」と董さんは悲しそうです。この思いが消えるのはいつのことでしょうか。 (四川省北川チャン族自治県=山田俊英 写真も)
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10262457381.html から転載。
2009-05-17 09:33:39
gataro-cloneの投稿
テーマ:世界の動き
2009.05.11 日刊紙 3頁 総合 (全1,610字)
連休に数万人来訪立ち入り禁止の街望む
山上から望んだ北川県中心部
山上の露店=8日、四川省北川チャン族自治県
1年ぶりに記者と再会した劉清雲君(左)と母親の董宏さん=8日