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2016年12月8日、私は市のAのDに買い物に行った。すると午後12時20分頃から学生の集団が出没し始めた。今は年末で、期末試験の最中らしく、学校の授業は午前中のみらしい。学生服を着た学生もいれば私服の学生もいた。これらのすべてが悪いわけではないが、問題がある行動をする者がいる。一番近いのはK業高等専門学校だが、医療科学大学もある。またK高校もある。一人の場合にはまだましだが、集団で群れていると、とにかくトラブルが多い。集団で群れていると気が大きくなるのか、仲間にいいところを見せようとするのか、とにかく暴言が目立つ。それも非常に言葉遣いが悪い。まるでごろつきのチンピラのような言葉遣いをする。それに平気で他人に因縁をつけ、侮辱する。言いたい放題のことを言い、挑発し、嘲笑する。とにかくわーわーと無意味に騒ぎ、混乱に乗じていろいろなことをやる。はやし立てるのも得意なようだ。何が面白いのかわからないが、とにかく喧嘩を売ってくる。周囲の人間を怒らせるようなことを故意にやり、そしてすぐに逃げる。だからKに通報しても、Kが来る頃には逃げている。確かに試験の時には早く学校が終わるのかもしれないが、試験期間中は、私でも一応は勉強をした。とても間に合うものではないが、やはり、試験に備えていたものだ。ただし、試験期間の最終日は解放された気分だった。だが、この連中は、まったくそういうそぶりさえも見せず、悠々とうろついている。しかもいろいろなことをやって面白がっている。とても心配するべきことだ。帰宅しようとしてレジに向かうと、すぐに後方からごろつきが急接近してきた。こういう連中はなぜかいつも後方から急接近してくる。だが、レジに向かわないで、買い物を続けていると、いつまでもつけまわして騒ぎ、嘲笑し、わめいてからかい続ける。店員は一切関与せず、何が起きても、見て見ぬふりをする。絶対に注意はしない。それでやりたい放題となる。後方から来たのは女子学生のようであり、私服だが、あきらかに若い年齢のようで、とにかく暴言を吐き続けた。何が面白いのか、やたらに、「きもい、きもい」という言葉を連発しており、周囲の人間に対して、やたらに「きもい」を連発していた。しかし、一番きもいのはこういう連中だ。この女子学生は二人組であり、私服であったが高校生ぐらいだと思った。よく今まで生きてこられたなと感心する。そういうことを言い続けながら、今後も生きていくつもりなのかもしれないが、それは非常に難しいと思う。今まで、親や教師は何も教えてこなかったのだろうか。男女差別ではないが、女がこういう暴言を吐くことに対して、不快に感じる人は多い。男でもよくないことだが、女が言うのはまた別で、大丈夫だろうかと思う。 日本は男女平等を目指している。だが目指している段階であり、男女平等ではない。もちろんそれは女性が弱いということではない。女性のほうが男よりも知能が低いということでもない。むしろ逆だろう。だがそれでもなお男尊女卑の思想は根深く残っており、不良のヤンキーでもない限り、放置されたり、黙認されたりはしない。またたとえどんなに能力が高くても、一流大学卒の学歴があっても、女が暴言を吐くと組織内での出世は難しい。あらゆる犯罪の陰には常に女がいる。それは女の指示で男が動いているからだ。また男の発言は無視しても、女の言うことには従う男も多い。女性は常に強いのである。その強いはずの女性が暴言を吐くと、誰もがおやと疑問に思う。更年期障害だろうかとか、彼氏と別れたのだろうかとか、ストレスのせいかなどといろいろ考える。ある女性が、一流企業とされていたブラック企業の労働基準法違反で、ほとんど過労死に近い自殺をした。その後、この問題で、ブラック企業を規制するべきだという意見が増え、国は遅すぎる対応を少し開始した。これなども、もしこれが男であれば、対応は違っただろう。今まで通り、無視されたはずだ。今の時期は孤独な男性にとっては非常につらい時期である。何しろ、いつものように彼女はいないし、クリスマス会なども参加できる予定はないし、クリスマスプレゼントを交換する相手もいない。非常に寒くて、さらに孤独が身に染みる時期である。こういうときにアベックの姿を見るのはさらにつらいものがある。そういう時に、孤独な独り暮らしの男を挑発したり、侮辱したり、嘲笑したり、からかって面白がることはよくない。私は、そういうアベックは、本当は幸福ではないのではないかと思う。なぜならば、本当に幸福なカップルであれば、本当に幸福であり、楽しいはずだからだ。すべて破たんしているカップルなら、孤独な男をからかいたくなるかもしれないが。これは孤独な女性に対しても同じである。そもそもクリスマス会をやるのであれば、本当のクリスマスの意味が分かっているのだろうか?教会で行われているクリスマス会というのは、非常に地味なものであり、とても敬虔で、厳粛で、重要な意味を持つものである。それは、繁華街の酒飲み会ではない。乱痴気騒ぎをすることが本当の意味ではない。これは、K教における重要な意味を持つ意義深いものだ。YがK教を作ったということではなく、Yの活動後にK教は自然に生まれたのである。Yは全知全能でありながら、神の子としてではなく、人間として、全人類の罪を背負い、人間の代わりに自分の命を犠牲にしたのである。それはとても尊いことだ。「きもい。きもい。」と言い続けることは推奨されていない。また自分の言動に自信があるのであれば、注意されて逃げてはいけない。たいていは逃げる。それも全力で逃げる。素早く逃げる。しかに、逃げきれない。自分の言動は常に付きまとうし、逃げられない。頭の非常に良い人でも、このことを忘れている。後で知らないとか、記憶にないとか、適当にごまかせばそれで済むと考えている。確かにKは何もしないかもしれない。組織も守ってくれるだろう。だが、そういう人間は、いつもあちこちで暴言を吐くので、もはや誰にも止められないし、いくら注意しても耳を貸さない。非常に多いのは、女が男を侮辱して殺害されるという事件だ。もちろんそれは危害を加えた側が悪いのだが、挑発行為をした側も悪い。恐らくそれは男女平等が徹底している理想社会の中では起きない事件かもしれない。インド人はとても知能が高く、学習能力が高く、技術の面でも非常に優れており、忍耐強いけれども、カースト制度が昔から続いている。これは徹底した差別階級制度で、昔の日本の士農工商制度に似ている。このカースト制度があるために、非常に残念な結果になっている。インドの非常に優秀な女性の能力が十分に活用されていないのだ。女は身分が低いとして正当に扱われていない。それどころか大変に差別されている。これは日本にも同じことがいえる。こういう男女差別がなくならないと、社会の進歩が停滞してしまう。ただし、それは女性が何をしてもいいということではない。男女平等であれば、女性も暴言を吐くのを許すべきかもしれないが、すでに暴言を吐いている。その結果、離婚率は上昇し、家庭崩壊も増えている。アメリカは男女平等が進みすぎたせいか、ものすごい離婚率だ。もはや離婚は普通のこととなっており、再婚もするので、子供は複雑な状況に追い込まれる。昔ながらの懐かしい平穏な普通の家庭はもはやほとんど存在しない。だがそれでもまだカップルになれるのは良いほうで、一生独身のケースも増えている。ただ、この「きもい。きもい」と言い続ける女がどういう家庭環境なのか、どういう学歴なのか、どこの学校卒なのか、中退か不明だが、あまり幸福ではないようだ。暴言を吐き続けることは、非常に危険であり、思いもよらない結果を招きやすい。自分だけは安全だと思うかもしれないが、決して安全ではない。また、特定の一流有名大学とか、一流有名企業に所属していても、必ずしも安全とは言えず、警戒は必要である。何かトラブルが発生したときには、必ずしも組織は味方になってはくれない。それから、暴言を吐き続けると、どんなに地位が高くても、過去にいろいろな実績があっても、有名人でも、しだいに信用は低下し、味方がいなくなり、孤立してしまうものだということを知ってほしい。社会的に何の地位も肩書もなく、有名人でもなければ、自治会長でもなく、貧しい者を侮辱して面白がるのは許されると思うかもしれない。相手は何の抵抗も反撃もできず、Kも何もせず、孤立しており、味方はおらず、友人もいないということで、見下しやすい。だが、必ずしもそうとは限らない。またそういう風にいつも男を見下していると、大変な事態を招くこともある。どんな男にもプライドがあることを知っておくべきだ。それを侮ると危険だ。もちろん女にもプライドがあるし、実績もあるだろうし、友人もたくさんいるかもしれない。そして男の要求は不正であり、間違っており、誤解に基づくものかもしれない。しかし、男を侮るのは危険だ。たとえホームレスであろうとも、まったくの平社員とか、契約社員、パートアルバイト、無職であろうとも、侮ることは危険だ。それは男が偉いとか偉くないとかそういうことではない。男は反撃するのだ。女も反撃するが、計算して反撃することができる。男は何も考えないで、計算などしないで反撃する。重要なのは男にしろ、女にしろ、その人が何を一番重要に思っているのかということだ。金持ちは、金こそがすべてだとしているし、確かに金の力はすごい。だが、金持ちは、金を失うことを極度に恐れている。金の奴隷となっている。地位や肩書を優先する者は、それを自慢し、さらに上を目指すだろう。だが、すべての人間が最高の地位を獲得できるわけではない。若さを自慢しても、それは消えてしまうものだし、美貌や容姿やスタイルを自慢しても、これもやがて衰退してしまうのは避けられない。信仰は消えない。年齢で衰退しないし、生活状況にも左右されない。それを生み出したのがクリスマスだ。つまり、Yの誕生である。仏教ならBの存在がある。神教ならA神なのか、よく知らないがそういう存在がある。つまりクリスマス会の本来の意味というのは、プレゼント交換とか、宴会をすることではない。カップルがいちゃつくことでもない。クリスマスというのは、一つの宗教の誕生であり、世界改革であり、世界革命である。人類の新しい生き方が生まれたことを祝うためのものだ。クリスマスケーキを食べることが目的ではない。これは無敵とされてきたローマ帝国の崩壊を意味するものであり、人間の支配ではなく、神の支配に時代になったことを意味する。ローマの官僚主義ではなく、本当の意味での民主主義が始まったのだ。しかし、残念なことに、日本の民主主義は崩壊しつつある。官僚主義が支配し、日本国憲法も無視され、捻じ曲げられ、改悪されつつある。歴史は再び繰り返すということだ。そういう意味では、「きもい、きもい」と言い続ける女二人組の叫びは、あながち間違いではないのかもしれない。時代の変化に気が付くのは女のほうが敏感だ。ちなみにこの日はクリスマスプレゼントを買いに行った。100円ショップの商品のプレゼントでは、あまり喜ばれないかもしれないが、予算的に100円ショップにするしかないと判断した。アメリカには1ドルショップの店があり、この1ドルショップの商品をクリスマスプレゼントにすると、子供からもブーイングが出るそうだ。そうだろうなと思う。
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