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「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」の[128]「なぜ、八百万(やおよろず)の神々は11月に出雲大社に集まるのか? 」から下記を転載投稿します。
=投稿開始=
今日は11月21日ですが、11月(旧暦の10月中旬)に、日本の神々が出雲に集まるのは、よく知られています。神々は旧暦の10月10日から7日間滞在して、いろいろ議論するのだそうです。このとき、出雲大社では、神在祭(かみありさい)と呼ばれる祭りが間催されます。
旧暦では10月なので、「日本中の神々が出雲に集まるので、10月は神無月(かんなづき)と呼ばれる」という話がまことしやかに語られています。出雲では、逆に、10月は「神在月」と呼ばれているそうです。宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」にも、神々が集まってくる場面がありましたが、これは出雲大社が舞台でしょう。
さて、ではなぜ、旧暦の10月中旬に神々は集まるのでしょうか?
納得できる答えはないようです。
1978年、稲荷山古墳の鉄剣に、文字が記されているのが発見されました。これにより、いわゆる倭の五王と呼ばれる「讃、珍、済、興、武(それぞれ、履中天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇)」の実在が証明されました。
この稲荷山古墳鉄剣の文字の最初には
「辛亥年七月中記」
と記されています。ここに「七月中」という文字が見られ、普通は、これは「7月に」と解釈されています。
しかし、これは単に「7月に」という意味ではありません。この「中」は二十四節気(にじゅうしせっき)と呼ばれるものです。二十四節気では、ひと月に「中(ちゅう)」と「節(せつ)」の2つがあります。今では、春分、秋分とか我々が呼んでいるものです。(米山忠興著『空と月と暦』)
例えば、立春は「十二月節」(ウイキペデイアでは「正月節」になっている)、秋分は「八月中」です。
したがって、稲荷山古墳の鉄剣の「七月中」は「処暑」、現在のお盆の頃になります。
中国の初期道教である五斗米道(ごとべいどう)では、この二十四節気で「一月中」、「七月中」、「十月中」の3回、一族が集まって祝宴をしたことが知られています。以下、ブリタニカの道教のところの初期道教のところから引用します。
<引用開始>
Both the nuclear communities and the “Daocratic” realm as a whole were bound together by a ritual cycle, of which only fragmentary indications remain. Among the most important ceremonial occasions were the communal feasts (chu) offered at certain specific times throughout the year (during the first, seventh, and 10th months) as well as on other important occasions, such as initiation into the hierarchy, advancement in rank or function, or the consecration of an oratory. These feasts were of varying degrees of elaborateness, depending on the circumstances. The common essential element, however, was the sharing of certain foods, in prescribed quantities, among masters and disciples. This was envisaged as a communion with the Dao, at once attesting the close compact with the celestial powers enjoyed by the members of the parish and reinforcing their own sense of cohesion as a group.
<引用終了>
なかなか読みにくい英語です。
真ん中に「最も重要な儀式はchuと呼ばれた住民の祝宴であり、一年間に決められた時(最初と七回目と十回目の月の間)に催された」とあります。chuは「中」だと思います。ブリタニカでは、1月、7月、10月の3回、「中」という祝賀があったと解釈しています。
いずれにしても、一月中、七月中、十月中の三回、そろって祝賀をする風習があったことがわかります。
したがって、稲荷山古墳の鉄剣も、埋葬のため7月に作られたわけではありません。辛亥の年の「七月中」という一族の祝宴の席に添えるため、わざわざ、この鉄剣を用意して作らせたということです。一族の名前が金文字で刻まれている鉄剣ですから、まさに、この饗宴の場にふさわしかったでしょう。ちなみに別の江田船山古墳の剣では「八月中」となっています。これは、二十四節気そのものだと思います。
現在では、一月中は上元、七月中は中元、十月中は下元と呼ばれています。夏にお中元を贈る人も多いと思いますが、あの「お中元」はここから来ています。
また、上のブリタニカの文章では ”initiation into the hierarchy” (階級社会の入会)の時にも一族でお祝いをしたとあります。これは入社式や成人式(1月15日ですから「一月中」です)にあたりますから、これらが現在の日本でも残っているのは興味深いことです。西洋には、入社式も成人式もありません。
さて、それでは元に戻って、なぜ旧暦10月の半ばに、出雲に全国の神が集まってくるのでしょうか?
実は、上のブリタニカの文のなかに、「全体としての道教国(the “Daocratic” realm as a whole、Daocratic は神政政治(Theocratic)のしゃれ)でも、祝いの儀式を行っていた」という重要な記述があります。この王国はいわゆる祭祀(さいし)同盟(Amphictyonia)と呼ばれるものです。同じ神や宗教を持った国々がゆるやかな都市連合を組んでいたわけです。古代ギリシャのポリスみたいなものです。五斗米道では24の地域に分けていたことが知られています。
有名な三国志魏志東夷伝には「辰韓(しんかん)12国」「弁辰(べんしん)12国」の都市同盟があったことが記されています(岡田英弘「日本史の誕生」より)。これらは合わせると24国です。魏志倭人伝から、倭にも都市同盟があったと見ていいでしょう。
問題は、この都市同盟が、本当に祭祀同盟、特に、道教国(the “Daocratic” realm)だったかです。
今、それはおいといて、このような祭祀同盟があったとすれば、なぜ10月の半ばに、出雲に全国の神が集まってくるかが説明できます。つまり、旧暦10月に神々が集まるということは、倭国内の祭祀同盟の王たちが「十月中」に出雲にあつまって、話し合いと祝宴を一週間行っていた、そして、それが出雲神社に伝承として祭りの形で残った、と考えることができるからです。
これは、前に書きましたが、あの邪馬台国で有名な卑弥呼が仕えた「鬼道(きどう)」とは、上記の初期道教である五斗米道(ごとべいどう)の神、あるいは五斗米道そのもののことです。歴史学者の岡田英弘氏が「日本史の誕生」の中で述べています。ですから、祭祀同盟(Amphictyonia)があったとすれば、まさに、卑弥呼は道教の祭主であったということになります。
そして、下のブリタニカの文章を読むと、なぜ、卑弥呼が倭王として祭り上げられたのかという日本古代史最大の謎の答えがわかります。
<引用開始>
Under a worthy dynasty, which governed by virtue of the Dao, the role of the celestial masters was that of acting as intermediaries for celestial confirmation and support. Only when a responsible ruler was lacking were the celestial masters to take over the temporal guidance of the people and hold the supreme power in trust for a new incumbent.
<引用終了>
「王(a responsible ruler、責任のある支配者)がいないときに限って祭主(the celestial masters)が人々を導き、新しい王の最高権力を一時的に預かる(in trust)」と書いてあります。つまり、ジャンヌ・ダルクのようにさっそうと卑弥呼が現れて、人々がそれにひれ伏したわけではないのです。もめて(倭国大乱といいます)、新しい倭王が決まらなかったので、「仕方なく」、「慣例に従って」、祭主の卑弥呼が最高権力を握ったということです。
また、逆に、卑弥呼という女性祭主が、倭王の決まらないときに倭の女王に選ばれたという歴史的事実が、この祭祀同盟(Amphictyonia)が存在したことのひとつの証明になっているわけです。
倭国には、このように「鬼道」を共通の神とする祭祀同盟、都市連合があったわけです。
=投稿終了=
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