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(回答先: 原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ ビジネス・シーンで動き始めた「多様性」という“潮目” 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 22 日 23:37:17)
畢竟、勿體無いと云ふ事。
海老名
「優秀な女子学生をどうしたらとれるかということで、
1999年ソニーヒューマンキャピタルに、
CI(Corporate Identitiy)(会社の個性、目標を明確にし、
社内外に印象付けること)をお願いした。
そのため女子学生が寄ってくる玄関を造った。」
この会社の大きな得量は、
試作開発にあたる技術者の多くが女性であること。
全て有名大学を卒業した才女達。
社員94名のうち、技術者が48名、
そのうち女性23名、男性25名、
男性技術者は生産技術、多量に作るシステムを作る。
女性技術者は試作開発、ゼロからできるところまでやるのが女性。
ヱビナが積極的に女性の採用を始めたのは10年前。
以来入社する技術者の7割以上が新卒女子。」
海老名
「女性の成績を見たら10番以内、
“どうしてうちに?”と聞いたら、
“大企業はおちました。”。」
そこで取り組んだのが女性に交換を持たれる会社作り。
工場にはヨーロッパ的なレイアウトとデザインを導入。
アドバンスド・テクノロジーを意味するATなどの言葉は
ハイテク企業をイメージしたもの。
以前は畳敷きの更衣室だったというスペースは、女子休憩室になった。
さらにトイレも大幅に改装、清潔感溢れるデパート並みのものに作り変えた。
メッキ工場は工場内をきれいに保つのが難しいとされる企業の1つ。
先月開かれた来春卒業の学生を対象にした工場見学会、
ヱビナ電化では1次採用として春の段階で3名に内定をだしている。
この日の工場見学会は、さらに若干名を追加採用するために開かれた。
すでに内定がでているのは全員女子。
高いメッキ技術で業界トップ、無借金経営を誇るえびなのモットーはスピード。
仕事のスピード、経営判断のスピード。
その結果40億円を超す内部留保につながっていいる。
自分達でマーケットを開拓した独自技術であっても、
他社が追いついてきて市場が飽和状態になったらすぐに撤退。
次の新しい技術で勝負してゆく。
次の市場につながる新しい技術をどうやって見つけるのか?
その1つが業界専門誌の編集委員としての活動。
この雑誌の編集委員を23年間務めている。
海老名「編集委員は先を読める、かなり先取り。
専門家の持っている知識、ネットワークも分かる。」
東京千代田区、表面技術協会、毎月2日雑誌の編集委員会が開かれる。
海老名はこの会議に毎回必ず出席する。
現在検討しているのは来年の12月号の企画、1年先を見据えた新技術について。
また2年に1度ヨーロッパ視察、環境規制の状況や、新技術の開発動向を調べ、
次なる有望分野をいち早く捕まえる。
午後16:30過ぎ、技術者達は日報を書き始める。
自分達の担当する試作について、1日の進捗状況をまとめる。
パソコンでの入力は許されず、すべて手書き。
技術情報が外に漏れるのを防ぐためだ。
毎朝7:00前、海老名は出社する
前の日に技術者が書いた日報に目を通すためだ。
およそ50人分全てを読み終えるのに、1時間はかかる。
1件1件入念にチェックし、必要があれば赤で指示を書き込む。
関東学院大学表面工学研究所所長・本間英夫教授
(プラスチックメッキの権威)は海老名のスピード感に舌を巻く。
本間「1つ要素技術があると、深くできるし、横にも広がる。
対応がものすごく速いので、従業員もワクワクしながらできる。」
ヱビナ電化が今取り組んでいるのは、3年先5年先を見据えた技術。
定期的に開かれる技術報告会では、
燃料電池やLED分野など先端分野の研究結果が次々に発表される。
海老名「今開発したものが量産になるのは3年5年先。
そこまでその人たちを支えていけば、
自然と付加価値がある高いものが会社の仕事をうめてくれればよい。」
産業構造変化への速い対応が大切なのだ。
最先端ものづくり、ハイテクメッキ技術の現場 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!
http://poyoland.jugem.jp/?eid=534
2009.12.16 Wednesday 00:00
最先端ものづくり、ハイテクメッキ技術の現場
東京大田区ヱビナ電化工業、メッキをローテクからハイテクへ。
長引く不況を独自の技術力で乗り切る男、ヱビナ電化社長・海老名信緒、スピードをモットーに電子機器分野のメッキ事業で業界トップを失踪。
ヱビナ電化工業成功の秘密を探る。
海老名「優秀な女子学生をどうしたらとれるかということで、1999年ソニーヒューマンキャピタルに、CI(Corporate Identitiy)(会社の個性、目標を明確にし、社内外に印象付けること)をお願いした。
そのため女子学生が寄ってくる玄関を造った。」
プラスチックメッキは特殊、日本全国で1600社あるうち、できるのは50社。
携帯電話の部品、デジカムのズームレバーなど、プラスチックの上にメッキをしている。
メッキとは金属や樹脂の素材に化学反応で金や銅などの薄い金属皮膜をつけること。
一般的には製品に美観を与える他、錆や磨耗から守る、などの目的で多くのものに使われている。
塗料を吹き付ける塗装より、素材強度を高められるのもメッキの特徴。
ヱビナ電化の主力はハイテク機器や精密電気部品へのメッキ事業。
年商16億円、内部留保約40億円。
装飾や腐食防止だけでなく、様々な機能をもったメッキ技術を確立している。
携帯電話のアンテナやパソコン基盤へのメッキなど様々。
通常ではメッキが難しいとされる素材にメッキできるのがヱビナ電化の売り。
直径約1ミクロンのカーボン繊維1本1本に銅メッキを施したもの。
セラミック素材への直接金メッキ、光通信やLED照明の放熱部品として使われる前処理のノウハウは?
2色成形(選択メッキ)、違うプラスチック同士を一緒に流し、片方にしかメッキがつかない。
境内電話の内臓アンテナを3時間反応させる。(通常は10分)
長く入れないといけない高精度なメッキ。
他の企業にはまねできないヱビナ電化ならではの技術。
その技術の高さを象徴するものがある。
ギネスブックに、人間が作ったもっとも色の黒い物質として認定されているウルトラブラック。
一体どんな技術なのか?
前処理でニッケルメッキされたアルミ合金を特殊な溶液につけると・・・黒くなりニッケルが溶け、気泡が・・・
特殊な溶液につけておよそ30秒、水にいれて化学反応を止める。
ウルトラブラックの特徴は、光の反射率を1%以下に抑えた点。
表面は真っ黒く、ベルベット状に見える。
これは素材表面を複雑にする技術によって実現できた。
反射率35%前後のものと比べると、その違いは明らか。
この表面加工技術は計測器メーカーのアンリツが発明。
それをNECグループが宇宙用に開発、ヱビナ電化に製造を委託。
ヱビナではこの技術の工業化に1年の歳月をつぎ込んだ。
優れた発明でも工業化しないと世の中ではサンプルでしかないと海老名は言う。
海老名「衛星に載せる鏡塔も手がけた。」
ヱビナ電化工業の歴史は戦後間もない1946年に始まる。
ヱビナの父平吉氏によって創業、仕事はメーカーから発注される水回り用の金具の他、様々な部品へのメッキ加工だった。
製品で代表的なものはホンダ・スーパーカブ(1958年発売)のバックミラーへのメッキ。
高度経済成長の波へも乗り、ヱビナ電化の業績は順調に伸び続けた。
ところが1985年のプラザ合意に端を発する円高不況で状況は一変、ヱビナ電化の売上は激減。
この危機を救ったのが当時技術部長だった海老名の時代を読む目だった。
起死回生のキッカケは、プラザ合意の前年に行ったアメリカ視察。
そこでヱビナはパソコンから漏れる電磁波が社会問題になっていることを知った。
ボディ内側にメッキをすれば、電磁波は漏れなくなる。
アメリカ人技術者はその原理を説いた。
帰国後海老名は仲間と一緒にパソコン用電磁波シールドメッキの研究に着手。
1988年量産化技術を確立した。
たちまちヱビナ電化にはパソコンメーカーから仕事が殺到。
その後も携帯電話を含め、電磁波シールド分野でトップシェアを獲得するに至った。
海老名「慶応大学大学院、工学部電気化学科を卒業後、1985年プラザ合意までは絶好調だった。
国内の産業もよく、さっきの仕事+オーディオのメッキは関東でうちが最大規模だった。
カーステレオ、ビデオ、テレビのボタンボリュームを、圧倒的なシェアやるぐらいのレベルだった。
1985年一気になくなり、今まではお客さんのスペック通りにやって、数値管理するわけでなく、一般の請さんと同じようにメッキへの薬品の分析は、薬品メーカーに頼み、中身は知らなくてもよかった。
そこから業種転換、産業が変わる時にITビジネスで電磁波を制御するメッキをアメリカで見つけて、日本IBMが米国IBMの生産拠点で指定され、IBM互換機というパソコンが世界中に供給された時、うちが認定をいただけた。
世界最大の会社とやるためには、メッキ液の管理はちゃんとした数値管理システムでやらなければ不良がでる。
ノートブックの電磁波シールドビジネスをやる時に初めて今までなかったシステムが必要になった。
それが平成元年。」
しかしヱビナ電化も今度の世界同時不況の波をかぶった。
その苦境を海老名はどう乗り切ったのか?
メッキでもっとも難しいのはメッキ液の管理。
温度や濃度を調整して、ムラのない出来栄えを保つ。
かつては職人のカンだけが頼りだったメッキを、ヱビナ電化は劇的に変えた。
その心臓部が本社3階にある分析室。
1階の工場からリアルタイムで送られてくるメッキ液の状態を分析、そのデータを数値化し、コンピューターで制御している。
海老名「ここで管理した数値を基に、現場にフィードバックし、いつも使っている液が一定に保たれている。
変化に対して液を追加するのか、抜くのかを常に行う。
変化した液に浸けていたら、同じものは絶対できない。」
他社にない技術と徹底した数理管理システム、この2つが今日の不況を乗り切る大きな役割を果たしていた。
その1つが防水携帯電話ロックノブ。
海老名「うちでやっていたのを中国へ持っていったが、中国でやると全部割れるので、7月から全部戻ってきた。」
携帯電話の内臓アンテナも中国からの出戻り。
メッキは化学反応、同じ設備でも中国では品質が厳しい訳は?
海老名「自動コントローラーで、ある程度は調整可能だが、中国はメッキ液の分析ができないし、管理技術が遅れている。」
全米で人気のスマートフォン、市場拡大強壮が激しさを増す中、あるメーカーがその基幹部品の生産をヱビナ電化に発注してきた。
スマートフォンの心臓部にあたる内臓アンテナ、当初中国で作られていたが、一部に不具合が発生、今年6月ヱビナ電化に白羽の矢が立ったという。
去年のリーマンショック以降、自動車、電機、半導体は激減、日本中全滅になった。
この間ヱビナ電化はどんな影響を受けたのか?
海老名「今年の1月から売上半減、1億2千万の売上が、6千万まで下がった。
毎月3千万ずつ赤字がでてきた。
コストを安くしようとリーマンショックの後、新規の発注は中国へ持っていったが、半年たってスマートフォンも本来はアメリカ、カナダから中国へ行ったはずが、6月から中国からの出戻り。
いずれはスマートフォンも中国でやらねばならない商品。
その中核の技術のものだけを今やっている。
この間ちょっと支えてくれればよい。
それをやっている間に、LED照明、ニードル電池、電気自動車がでてきて新しい試作品がどこかで商品になればよい。
これは運。
この半年ダメだったが、あと半年でもしかしたら取り戻せなくて、63年間で初めてうちは赤字を出すかもしれない。
これはしょうがない。」
ヱビナ電化の技術の源はどこにあるのか?
この会社の大きな得量は、試作開発にあたる技術者の多くが女性であること。
全て有名大学を卒業した才女達。
社員94名のうち、技術者が48名、そのうち女性23名、男性25名、男性技術者は生産技術、多量に作るシステムを作る。
女性技術者は試作開発、ゼロからできるところまでやるのが女性。
ヱビナが積極的に女性の採用を始めたのは10年前。
以来入社する技術者の7割以上が新卒女子。」
海老名「女性の成績を見たら10番以内、“どうしてうちに?”と聞いたら、“大企業はおちました。”。」
そこで取り組んだのが女性に交換を持たれる会社作り。
工場にはヨーロッパ的なレイアウトとデザインを導入。
アドバンスド・テクノロジーを意味するATなどの言葉はハイテク企業をイメージしたもの。
以前は畳敷きの更衣室だったというスペースは、女子休憩室になった。
さらにトイレも大幅に改装、清潔感溢れるデパート並みのものに作り変えた。
メッキ工場は工場内をきれいに保つのが難しいとされる企業の1つ。
先月開かれた来春卒業の学生を対象にした工場見学会、ヱビナ電化では1次採用として春の段階で3名に内定をだしている。
この日の工場見学会は、さらに若干名を追加採用するために開かれた。
すでに内定がでているのは全員女子。
学習院大学卒業の小林さんは入社5年目、試作担当のグループリーダー。
現在小林チームが取り組んでいる試作は6件。
取引先と秘密保持契約を結んだものがほとんど。
カーボン繊維を多く含んだ銅板。
試作期間は1週間、それがヱビナ電化の試作作りのポリシー。
完成間近のもの、水素をエネルギーとして利用するために必要な部品。
膜厚は約3ミクロン、0.003ミリの厚さでメッキを施す。
同じ薬品を使っても、メッキする時間や温度、濃度の変化で出来は違ってくる。
ベストの1点を見つけることが重要。
午後16:30過ぎ、技術者達は日報を書き始める。
自分達の担当する試作について、1日の進捗状況をまとめる。
パソコンでの入力は許されず、すべて手書き。
技術情報が外に漏れるのを防ぐためだ。
毎朝7:00前、海老名は出社する
前の日に技術者が書いた日報に目を通すためだ。
およそ50人分全てを読み終えるのに、1時間はかかる。
1件1件入念にチェックし、必要があれば赤で指示を書き込む。
海老名「うちくらいの規模で社員の半分近くで試作開発をやるのは異常、かなりのリスク。」
リスクをとっても試作にかける。
ではどうやって技術の種を見つけ出すのか?
高いメッキ技術で業界トップ、無借金経営を誇るえびなのモットーはスピード。
仕事のスピード、経営判断のスピード。
その結果40億円を超す内部留保につながっていいる。
自分達でマーケットを開拓した独自技術であっても、他社が追いついてきて市場が飽和状態になったらすぐに撤退。
次の新しい技術で勝負してゆく。
次の市場につながる新しい技術をどうやって見つけるのか?
その1つが業界専門誌の編集委員としての活動。
この雑誌の編集委員を23年間務めている。
海老名「編集委員は先を読める、かなり先取り。
専門家の持っている知識、ネットワークも分かる。」
東京千代田区、表面技術協会、毎月2日雑誌の編集委員会が開かれる。
海老名はこの会議に毎回必ず出席する。
現在検討しているのは来年の12月号の企画、1年先を見据えた新技術について。
また2年に1度ヨーロッパ視察、環境規制の状況や、新技術の開発動向を調べ、次なる有望分野をいち早く捕まえる。
7年前には世界初のメッキ専門研究所テクノマークを設立。
1台1億円もするような分析機器を何種類も導入、他社にまねできないメッキ技術の開発にあたっている。
光電子分光分析装置、素材に光をあてて表面の状態を分析する装置。
メッキ液に素材がどう反応したのか、分子構造まで分かる。
関東学院大学表面工学研究所所長・本間英夫教授(プラスチックメッキの権威)は海老名のスピード感に舌を巻く。
本間「1つ要素技術があると、深くできるし、横にも広がる。
対応がものすごく速いので、従業員もワクワクしながらできる。」
ヱビナ電化が今取り組んでいるのは、3年先5年先を見据えた技術。
定期的に開かれる技術報告会では、燃料電池やLED分野など先端分野の研究結果が次々に発表される。
海老名「今開発したものが量産になるのは3年5年先。
そこまでその人たちを支えていけば、自然と付加価値がある高いものが会社の仕事をうめてくれればよい。」
産業構造変化への速い対応が大切なのだ。
ノーベル物理学賞受賞 小柴昌俊
2002年10月、ニュートリノの観測で、日本人では26年ぶりに、ノーベル物理学賞受賞。
人生の成功をつかんだキーワードは“やればできる”。
その目的達成術、研究を始めたキッカケは?
小柴「先輩の1人がイギリスで発明された原子核乾板(可視光では見えない極めて微小な素粒子を観測可能)が日本でも使えるようになったから、日本で宇宙船で素粒子の実験をやってみないかと誘ってくれた。
手探りでそれをはじめ、自分で顕微鏡でそれらの素粒子を追いかけていって、測れるということを体験した。
その時初めてこれならオレにもやれると実感した。
それ以来素粒子の実験を続けた。」
理論物理学の世界にあった素粒子を現実に観測することが出来る。
その魅力に取り付かれた小柴は、1つのアイディアを思いつく。
持ち前の行動力でそのアイディアを実現させたのが、1983年に完成したカミオカンデ(岐阜県神岡町 素粒子観測装置)。
そして1987年世界で初めてニュートリノ(物質を構成する基本的な素粒子の一種、超新星爆発などで発生し、観測は極めて困難)の観測に成功。
ノーベル賞を受賞したのは、発明から実に42年後のことだった。
小柴「受賞後急に忙しくなり生活が変わった。
年に100回くらい公演に呼ばれるが、伝えたいことは1つ、どの人も自分が本気でやりたいと思ったことをやれば、困難に出会ってもやめる気にはならないし、なんとかそれを乗り越えてゆくものだから、自分がやる気になることを見つけることが大事。」
受賞翌年、小柴は私財を投じ、次世代の基礎研究を支援するために平成基礎科学財団を設立。
小柴「76歳のなった時、国立大が独立法人になった。
日本の若者達に基礎科学はやりがいがあることだとなんとか感じさせたいと思った。
本気になれば年齢は関係ない。」
小柴は東京大学理学部を卒業した時の成績は最下位だった。
その劣勢を挽回し、自らを成長させたキーワードとは?
小柴「人生で何かをやるということは、学校の試験で先生のいうことを受けて聞いて記憶して答案に書いていい点をとるという受身の認識だけではなく、自分から何をやろうか、どうやろうかと自分で考える能動的な認識能力が大事。
受動的と能動的、両方の認識能力がかけ合わさって総合的な能力になる。」
学問だけでなく、あらゆる分野で重要な意味を持つ人材育成、ノーベル賞学者が編み出したその秘策とは?
小柴「個々の学生にどんなことを味わせたら興味を持つだろうかと考えた。
テーマを与え、弟子を導け。」
座右の銘:“やればできる!”