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貴方は<民主主義者>でしょうか?
だとすると、国家(官僚とその統治機構)に絡んで、<民主主義>をどのように理解
されるでしょうか? 私は、オーソドックスに、国民から選ばれた代表者=政治家が
この<官僚とその統治機構>を指導し、又チェックするところにあるー少なくとも間接
民主主義においてはーと考えます。
そうだとすると、検察と政治家が対立した時、一も二にも無く政治家、即ち国民の代表者を支援すべきではないのか?<民主主義者>であるなら。
また、官僚の中の官僚、最も権力的な存在である検察が、明らかに職務権限を有しない
一般の政治家、取り分け野党に手を入れること自体、明々白々たる<民主主義>への挑戦ーその意味で「国家テロ」と言うべきではないのか?
かかる「国家テロ」が国民の代表者に向けられたということは、即ち我々国民に向けられたということではないのか? 「国家テロ」が国民に向けられてるこのような時は、それこそ思想・信条を超えて「テロ」を弾劾すべきであって、超然と、検察の意図を彼是詮索したり、況してや「国家テロ」を掛けられてる者を貶めるようなマネは厳に慎むべきではないのか?<民主主義者>であるというのなら。
そうして、このような観点に立てば、ロッキード事件の際に”検察ガンバレ!”
”角栄御用!”と叫んだ社会党や共産党、市民派リベラル諸氏は「民主主義の破壊者」と断罪されるべきと思えるけど、仁王像さんの感想は如何?
因みに、私自身は<民主主義>については懐疑的ではあります(否定ということではありません)が、その点については別の機会に論じようと思います。
一応仁王像さんを名指しはしているけど、特に応えを求めようとは思いません。
仁王像さんは「引かれ者の小唄」と言ったけど、そうではない「小沢評」(ついては、
それは田中評にもなります)を次にお見せしようと思ってるからです。
それは現在を全く異なった角度から見ることであり、同時に日本の近代を全く異なった
角度から眺めてみることでもあります。
言わば歴史と現在を同時に、統一的に見る視点(左右の近代化史観とは異なる)を提示してみようと思うのです。