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(回答先: 消費の為の生産への変更を主張しているのです。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 7 月 26 日 21:40:20)
お付き合いくださりありがとうございます。ワヤクチャさんの考えが垣間見えるようです。
>今は消費されるかどうかが分からない生産をしています。
これを事をやめさせるべきだという主張です。
J どの位の量が消費されるのかも解らず、必要量をどのように生産するのですか? 例えば食料ですが人間が飢え死にしないためには生産が先にくるものと考えます。まずは生産された物を人々が消費をする。これが当たり前の社会ではないでしょうか。
>物を作ってそれを広告の力で無理やり売るのはやめさせましょう。
広告費まで消費者が支払うのはバカバカしい限りです。
この事を取るに足りない事と思うか大きな違いと思うかという問題です。
J 無理やり売るというやり方には問題がありますが、ある意味市場経済の中では広告はやむ終えない部分があるといえます。社会は日々進歩していくもの、その中で新しい商品を開発していくのが人間の生き方だと考えます。このようなことはこの先何十年、何百年変わらないと思われます。その中で新しい製品をどのように人々に知らしめていくか、その方法として広告は必要だといえます。私はどのような時代においても市場経済が人間生活の基本でなくてはならないと考えます。
>生産物は人間(=命)の為の手段に過ぎず手段に過ぎないものを目的視する事が転倒だと申し上げております。
J 厳密に言って生産することを最優先に考える社会が、今迄本当にあったのかを考えてしまいます。つまり無駄な物を承知で作る社会のことです。消費を多元的に捉えたとき、消費者の選択できることが豊かな社会ではないでしょうか。そこにはある程度無駄があるかも知れませんが、消費者に飽きられるとか、そっぽを向かれてしまったとき、最初生産する側ではそのことを予測しているわけではなく、消費されることを予測して作っている。そこには消費者の選択から排除されてしまったがため、無駄なものを生産したことになりますが、生産した企業は即社会からの退場ということなり、生産は止まります。ここが需要と供給のバランスが保たれた社会ではないでしょうか。
>計画経済という概念は需要と供給のバランスを量的に調整するという概念だと思います。
私は個々の人間の消費欲求に具体的に対応するという事を主張しているのであり従来の計画経済の概念の先を見越しているのです。
>これは市場経済のことではないですか。でも貴方が考えている社会は計画経済に近いものです。消費が先に来て供給が後から発生する社会はありえないことです。以下の書き込みから。
>消費者が注文してから生産をするという事を最大限追求する経済です。http://www.asyura2.com/09/idletalk36/msg/700.html 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 7 月 24 日 21:47:05:
>労働は具体的にしか評価できず労働一般という抽象的概念では評価の対象にはなりません。
J 貴方が歪曲して労働一般にしているわけです。
>労働一般が価値を作るのではなく具体的欲求に従った労働が具体的な使用価値を作るのです。
J 生産を計画していなくては無理ではないでしょうか。何をどのように作るかが「具体的欲求」であり生産に対する計画を作るというわけです。計画経済になると考えますが。
>商品一般(生産物一般)に価値があるワケではなく消費されてこそ使用価値が生じるのです。
J これは当たり前のことではないでしょうか。市場に並べても売れないものには何の価値もない。売れて初めて価値のある商品であったという評価がされるわけです。
>交換価値は私の中では価値として認められません。
J 交換という言葉を使ったとき既に商品は貨幣と交換されているということです。
>商品が消費されず交換価値にとどまる限りそれはゴミでしかありません。
J 交換と消費は同義語かと思いますが、交換価値というよりも商品価値ではありませんか。
J それともう一つ、以前の書き込みのなかでこのような文章がありましたが、これを読んだとき相当な違和感を覚えました。悪く言えば本当にこんなことが実現できると考えているのかということでした。
>>通貨発行権を最貧国政府のみに付与する事と発行された貨幣が世界の最も貧しい人々に無償で給付する事によって循環を始めるというシステムを構築すべきだと思っております。