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(回答先: Re: 陽炎蒔絵 投稿者 金十字架 日時 2009 年 6 月 24 日 22:57:37)
" たといさとりあれども信心なき者は誹謗闡提の者也 "
「信心肝要」 文永三年(一二六六年聖寿四十五歳)
仏法の大海(だいかい)は信を能入とするという。能入とは、仏の教えの門に入り、仏道成就へと導く最良・最先の手がかりのことで、それが「信」。信ずることによってのみ仏道をきわめ入ることができると、仏説はあかす。
信心肝要、信心為先である。
仏道に入るとは、信心の志とその実修によって成仏の大果をいただくことである。仏のすくいに預かる大安心の獲得である。そのための根本条件が信の一字である。
悟りの有無、この場合のさとりは仏教の理解度をさすが、世の常の知恵・才覚は、仏道に入るための必要条件ではない。
いたずらな才能は、ややもすれば逆作用を生むから利根は不可。
むしろ鈍根者は純信ゆえに一途で正しい見識をすなお・まっすぐにもつのであって、頼もしい。
日蓮宗
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実に当たり前の事でしかない
改めて言われることである筈も無い
隷属的な慣習に慣らされれば
人間も家畜同様莫迦になり
見え透いた正義感をかさに着て
晴らせぬ抑圧に積もらせるだけの鬱憤
必ずやそのはけ口は社会的地位の
低きに甘んじている者に対して浴びせられる
名誉 金 権力
欲の支配のままに日増しに莫迦になっていく
あわれなるや
ああ実に低き所からは
人というものの本質がよく見える
選別に易し