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(回答先: 雑感 投稿者 まとおせ 日時 2009 年 7 月 05 日 14:57:48)
AHR666Generation さんどーもです。
私なぞも、手のつけられない馬鹿ですね、しかしね、そこが出発点ですよ。
「相当な」芸術家でもない限り、馬鹿でないと、あるいは、感受性の強いヒトはそれを削らないと、生きずらいとおもいます。未使用の九十パーセントの脳が使えたら?みな発狂してしまうかもしれません。
私自身、こんな馬鹿よく生きていると思う反面、まだ「人間をしている」のですから、かなり悪党です。それについて、「隠れた誇り?」が多少ありということでしょうか。
生きる価値なぞあるのかなあ、と思うこと、今でもしばしばです。
でも、やはり、そこが出発点だと思うんですね。
ワンランク上の自分を求めてもいいし、しなくてもいい。かといって、ヤケクソになることでもない、それは自分で、価値のあるものを探していく以外にないようです。
五木寛之がどこかで書いてましたが、その日、その日をそれなりに、繰り返しながら、生きていく、それはそれで大変なことです。俺の人生何なのかと嘆くこともありません。
人の栄光の背後には、犠牲者の山あること多しです。
自立と共生と書いても、「ピンと来る」日もあれば、まるで来ない日もある。
希望、野心、失望、冷静、恬淡、不安、そんなものの繰り返しのような気がしますね。
男と女の話が出ましたが、一匹の精子が、宝くじの以上の確率で、一つの卵子をとらえる、そして、何ヶ月かあとには、世の中に泣きながら一人、赤ん坊が引きずり出され、運がよければ、何十年後にまた一人土に戻る。
私はそんな生命の不思議や、自然の不思議に触れたり、無意識の中の生きる意志、そんなモノを感じると、感嘆し、まだまだ生きてやろうと思います。