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(回答先: 素晴らしい老婦ですね。 投稿者 キルケゴール 日時 2009 年 5 月 02 日 03:39:41)
その老婦は言った
「私が話をしたいと思っていた時にあなたが来た」
難解主義者はこの話をどのように片付けるだろうか
私が迷ってその山道を昇った事
道を辿り広場に出ると行き止まりであった
まさか人など居ない筈と降り立ったのは
そこが心地良い場所だと感じていたからだ
桜の樹の横すぐ傍まで行くと
庭へと下っていく小さな石段をみつけた
その時暖かい気は頭から被さってきた
行動と思考
言動と心一致していればこそ
身体のあちこちに違和感を感ずる者
それは心技体不一致によるもの
心を開き
目を曇らせる事無く
己の所在改めて明らかにせよ
その地の空気が私を包んだのは
赤子の所作にて頭を下げて
自然体となり
自然の時流に足を踏み込んだ為である
何も出来ぬ叶わぬその訳を
他から支配されている為と感じるならば
まずその心もって自身自ら己を支配せよ
赤子の所作にて赤子の心を知る
赤子の目は何を映すか
その心にて世を見んと欲せよ
その心もって目に映るものは何かと
その心で人を見よ
道半ばにして
何処を向いてるのか
何故佇んでいるのかと
その心で人に接しよ
接すればこれ渡りに舟と
皆助け舟を出すだろう
その心得ひとつもって万難を排す
赤子の心にて
赤子の所作にて
常に我が身にその心抱き
心躍らせてゆけば
この世はなんとでもなるだろう
赤子の意識なにひとつ相対的にあらざれば
赤子の意識これ絶対的とある
何処に居てもどんな時にも
頭を下げこの心活用のままに動けば
これ「禅」の境地
その境地に居ながらにして
なに普段通りに活動していられる
誰もが通ったその姿を憶うべし
赤子の姿 己に返すべし
誰もが赤子にて生まれ
赤子の姿に似て還る
逝くだけでなく生まれる事も
何抗う事ひとつ出来ない
生まれるも逝くも受け入れるままに
すべて諦めの中から生まれて来た
完全なる諦めをもって
この世に存在しうるのだ
速くと憶う事も無く
遅れると憶う事も無い
これ丁度と憶う事も無く
優れているとも
劣るとも憶わず
絶対的視野にて
人本来の姿にて
時空を心で逝く
相対的になにひとつ
誰と比べるでも無く
ただ人を憶い
人の為を憶い
子は母を
母は子を
赤子の姿
何処までも柔軟に
何処までも鋭い
赤子の声
何処までも弛まず
何処までも力まず
無駄なきが故に
理に生きて
意識は何処までも澄んでいる
赤子だからこそ
一心に集中する意識は絶対的である
赤子だからこそ
善悪無対の善を知る
世界もまたそのようにしてある
何がどう成長したという事は無い
初めから完成されているのだから
千年かかるとも
万年かかるとも
その心得常に忘れる事無く
人を憶い人に欠ける事無く
ただ水の流れに倣い逝くのみ
自然だけが自然の時の流れを知る
自然の時に乗れば後は運ばれるだけである
「人は人以上のものに成れない」というならば
「人は赤子以上のものになる必要が無い」と言おう
人と比べて得る苦労なども無ければ
人と比べて得る倖せなどもまた無いのだ
ただある
そのただ有る事への感謝から
喜びというものは出ずるのだ
人を敬う君への感心と同時に感謝も私はしているのだ