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とりあえず、小説として、何とかしようと思っていた原稿も公開しておきましょう。
http://www.asyura2.com/09/idletalk36/msg/181.html
投稿者 考察者K 日時 2009 年 3 月 22 日 17:28:35: JjkI8nWTpj0po
 

(回答先: 考察者Kの闘病の記録が書けるか? 投稿者 考察者K 日時 2009 年 3 月 22 日 06:56:04)

 Kが職場を辞めたい訳
               考察者K
 起

「ともかく、一度様子を見に行ってあげて下さいよ。」Aが言う。
「俺だって、行ってあげたいのは山々なんだけど、仕事は忙しいし、家庭の事情もあってなかなか行けないのだよ。」
 実際の話、この職場は異常な職場だった。
 定員が全く足りていない。
 私は局長代理という役職だったが、ほとんどの場合で局の鍵を開けて業務開始準備を行っていたのは私であり、貯金・保険の募集や集金の外務員取りまとめというのも私の役割であったので、ほぼ毎日、朝7時30分から夜9時過ぎまでは職場に張り付いているという状況であり、しかも、母が膵臓癌と診断され、入院していたので、休日は、片道2時間かかる大学病院に通っているという状況だった。
「俺じゃ駄目なんです。Kさんなら何とか出来るかもしれませんけど、俺じゃあ趣味も合わないですし、単に会うだけになってしまうのです。しかし、Kさんなら話し相手にもなれるし、なんとかしてやれるかもしれないのです。」Aが精一杯の言葉で、私を動かそうとしたのは、1月の中頃だった。

 病院から、緊急再手術をしたいので承諾のために来てほしい。という知らせが入り、あわてて局を早退し、病院に駆けつけたのは、2月の初旬であった。
 何でも、最初の手術の時の縫合が不完全で、膵液が腹内に貯まっているので再手術が緊急に必要だが、生命の危険もあり、親族の承諾が必要との事だった。
 連絡を受けてから、駆けつけるまで2時間半くらいが経過していた。一刻を争うという手術の説明を医師が丁寧に説明してくれたが、
ともかく、一刻も早く手術をすることで、助かる確率が高まるのなら、早く手術をしてくれよと思っていたのを記憶しているが、後の記憶は鮮明とは言えない。
 一応、手術は成功し、私は一晩だけ近くの旅館に泊まったが、翌日、帰宅することにした。
その帰宅の途中に「妻の父危篤」の知らせを受けた。妻の父は肺癌で闘病生活をしていたが、いよいよ駄目なようだった。
そのまま、帰宅の途中で病院に駆けつけたが、すでに妻の父の意識はなく、付き添っていた妻と義理の母が「ここ2〜3日が山場」と医師に告げられたことなどを知った。私の母の状況が分かっていたので、妻はあまり私に病状は伝えなかったらしい。
「何かあったら知らせてくれ」と妻に伝えて帰宅をした。
 ドアを開けると電話のベルが鳴っていた。
母の病院からか、妻の父の病院からか、とあてて受話器を取った。
電話はどちらでもなく、Aからだった。
「Kさん、Nが死にました。」

Nの死因は首吊り自殺であった。
 今更ながらではあるが、私がAからの電話を受けた時に適切な対応をしていれば、自殺という最悪の事態は避けられたかもしれないと今でも悔やんでいる。
 私は前々から、郵便局を辞めたいと思っていた。そして、辞めるなら、Nと一緒に古本屋でも始めるかなんて思っていた。
 Nの最後の言葉は「もう郵便局に行きたくない。」というものだったらしい。
 多分であるが、私が「郵便局が嫌なら辞めればいいよ、一緒に古本屋でもやろうぜ」とでも言って誘えば、この悲劇はさけられたのではないか、と思う。

 その後、一年経った1月、母が亡くなった。
「この職場にいたのでは、母の見舞いにも、まともにいけないので辞めさせてもらいたい。」と言い続けながらも、私が辞めたら、残された職員が困るとの気持ちから、辞めるのを実行することが出来ないうちに母は逝った。
今でも、辞める決心をして、母の病床にもう少し付き添ってやれなかった事を悔やんでいる。
母の最後の言葉は「明日も仕事だろう。今日はもう帰って休みなさい。」というものだった。
 帰宅して、夜中に病院からの電話があり、駆けつけた時には、私と父を送り出したままの姿勢と顔で亡くなっていた。

 承

母の死亡による精神的ダメージが、まだ残っている2月の初頭に特推連(特定局推進連絡会)の会長が私の勤務する郵便局に来た。
私はその時まで会長も知らなかったし、自分とは関係のない人とも思っていたので、気にもしていなかったのだが、組合の役員である職員が騒いでいたので、人事の異動でもあるのかな、くらいには考えていたのだが、突然、私に呼び出しが来た。
「局長になってもらいたい。」
 その時の私の思考は一寸文章に出来るものではない。流石に喧嘩する訳にもいかないので、私以外の適任者がいないのか、とかの話はしたが、逃げ口実が思いつかない状況だったのは間違いがない。
 仕方がないので「試験があるのなら受けて見ましょう。試験日は何時ですか?」と言ったのは覚えている。
 その日は母の35日の法事をする予定日であり、それを理由に断った。
 流石に会長も、「そういう理由があるなら仕方がない。」と、その日は帰った。
 しかし、次の日には、坊さんにまで電話をして「法事の日を動かして」までして、試験を受けさせられることになってしまった。
 はっきり言って、この組織は、おかしい組織だと思う。
 この時、私に打算は無かったとは言い切れない。その時に勤めていた郵便局の局長代理という役職の仕事は、とてつもなく酷い仕事だった。有給は取れない。時間外労働は当たり前、昼食もまともには取れない。
 ともかく、時間も足りないし、人手も足りない。7時半から10時まで勤めても仕事が追いつかないという状況だった。
そもそも定員がおかしい、局長以下、局長代理2名、総務主任1名、職員1名というのが内務者の定員で、他に外務員が7人いる。局長は役員局長なので局にはほとんどいない。
フル出勤ならば、一人の局長代理が現金出納、もう一人が保険窓口係兼外務員への釣り銭管理等世話をする係、職員が貯金窓口係、
総務主任が後方郵便係となる。
 この段階で休暇要員がいない訳で、ゆうメイトさんが郵便の窓口を見てくれる日もあるが、郵便の窓口は「手の空いている者が見る。」という配置になっている。
 はっきり言って綱渡りも良いところで、ここに有給が入ったり、出張が入ったりするのだからたまらない。
 実はこれには訳があって、本来ならもう一名職員の定員数はあったのだが、定員が埋まっていない欠員状況が続いていたのである。
母が病んでいる時に私は職を辞したかったのだが、この状況では辞められない。辞めたら、欠員は埋まらないので「残された職員が過労死しても不思議ではない。」
さらに、局長も退職して「局長の後が埋まらない」という異常な状況だったので、辞めたいと思いながら勤めていたのである。
多分であるが、その時の職場がもう少しマシなものだったら、局長試験はきっぱりと拒否しただろうと思う。
しかし、局長になれば「少しは楽になり、給与も上がる。」と甘い考えもあったのだろう。
結果的に気が付けば、私は試験に合格し郵便局長という役職に就いていた。

(失敗した。)と思ったのは、局長になった直後だった。
私がなったのは、無集配特定局という郵便局の局長だが、定員は局長と職員だけ、郵便局の業務は3つの窓口と電話で実質的に4つの窓を持っている。
それでも、業務量が少ないので、ゆうメイトさんが優秀な人なら何とかなる。
しかし、私の局のゆうメイトさんは「お世辞にも優秀とは言えない。」という人材であり、しかも、業務量は決して少ないとは言えないレベルだった。
前任者が定年前に逃げ出したのだから、決して楽な仕事ではなく、もっと言うと、私でなかったら、一週間目には潰れていただろうというくらいに酷い職場だった。
その上に局長には全くの裁量権がないのである。
局の運営費は水道代を支払って、灯油代を支払うとカスカスという代物で、前任局長がしていた前年度の予算経理簿を見てみると、奨励物品(窓口で配るタオルなど)を4品買ってあるだけである。
予算を計算してみると、水道代などの必要経費を払うと2万円程度しか残らない。これでは、5千円程度の奨励物品4品程度以外には何も買うことが出来ない。
で、コピー用紙も、ゴミ袋も、トイレットペーパーも、お茶も、食器用洗剤も全て自腹という事になる。
多分であるが、ここは、対前年度比で増やす覚悟で、予算部と掛け合って予算を増額してもらうという方法は可能だろうと思う。しかし、それをするとボーナス査定でボーナスを減らされるようである。しかも、2名局では予算部と掛け合っている時間的余裕など皆無という状況だ。
さらに、問題なのは各種の式典、前任局長は地域内の全ての葬式に香典を包んで出席したとの事、当然ながら、香典は自腹である。
私は、赴任するまでその地域とは関わりのない人だったので、式典に出席する必要も無いとも思うが、局長というのは地域の名士とかで無視するわけにもいかない。
そもそも、局長になっても給与の手取りはほとんど増えていない。局長代理の手当と残業手当が無くなって、局長会の会費や積立金などが増えるのだから、少しばかりの給与のUPは帳消しになっている。
その状況で、局に必要な消耗品や、式典に包むお金を出費したら完全な赤字である。

ある日、私は上層部に現況と問題点を書いて訴えた。
間もなくして上層部から電話が掛かってきて「降格しますか?辞めますか?」と言われた。
渡りに船とばかりに「辞める決心」をしたのだが、会長始め、私がお世話になった局長達が寄って集って説得をするので、辞めることが出来なかった。
しかも、郵政公社の内部にあった公開掲示板への書き込みも禁止されてしまった。
つくづくおかしい組織だと改めて認識をしたが、すでに罠に掛かった鳥のようなもので、藻掻いてもどうにもならない「しがらみ」という足枷に捕らわれている事にも気付かされていた。

正直に言って、私は定員2名の郵便局というのを正確には理解していなかった。
Nの自殺について、過労自殺と思いながらも、それでもなお、本当の職場実態を甘く見ていたと気付いた時には手遅れだったといえる。
実際問題として、仮に局長が「仕事を部下職員に任せる」というような性格の局長だったら職員の精神的負担は想像を絶するものがあるといえる。
少し冷静に考えれば、分かると思うが、銀行の場合には最小規模の支店であっても出張所であっても4人程度の配置がされる。これは外交員を除いての要員配置である。
それが、郵便局では2名の配置であり、窓口取扱時間は貯金業務だけでも1時間長く、さらに郵便窓口は、貯金窓口終了後1時間やっている。
その上に、簡易保険業務もやっているのである。
Kが局長になった時には銀行の両替は有料化されていたので、細かい硬化が大量に入ってくる事も多かった。
郵政公社の内部規則では「両替はお断りしても良い」ということになっている。民法の規定が適用されているらしく、硬貨が20枚以上ある場合には貯金する場合であっても「業務に支障があるようなら」お断りが可能
らしい。しかし、断る場合には、「苦情にならないようにお断りしなくてはならない。」
 結局はお受けすることになるのであるが、郵政公社の内部規定では500円硬貨は新旧の硬化を分別して保管することになっている。
これは手作業になるわけであるが、手が真っ黒になる。その手で、切手や葉書はさわれないのだが、それをしなければ仕事にならない。
 局長には制服の支給もなく、対外的な折衝などもあり得るので常に背広を着ているが、普段の仕事は「農作物のつまった、泥だらけの小包」を抱えて運び、ほこりだらけの倉庫の整理、さらには雪掻きもほとんど私の仕事である。ジャンバーにでも着替えたいところであるが、ほとんどの場合、郵便窓口の係を兼務し、さらに貯金・保険の窓口に並んだお客さまは私が接客するので、着替える時間などどこにもない。
 はっきり言って、有給休暇など取りようがない。私が局長になってから約1年半の間に取った有給休暇は母の新盆だけと言っても言い過ぎではないだろう。実際には他に2日取得しているが、いずれも局長会の都合で「休まされた。」という休暇である。他にも、出勤簿は「夏期休暇等」になっているものはあるが、ほとんどが朝から晩まで8時間以上働いていたりする。
 私は性格的に、上層部には文句を言う方だが、部下職員の権利は最大限に尊重する方だから、時間外労働は極力少なくするように努力しているし、サービス残業はさせないようにしている。
 しかし、何でもかんでも部下職員にやらせれば良いという性格の局長も実際に存在すると思う。
 その場合、真面目な職員ほど潰れてしまうと私は思う。
 実際に、郵便局には局長と職員の2人で頑張っても厳しい量の業務量があるのである。
 指示文書だけでも一日で100ページくらいが出されてくる。窓口業務を行いながらでは読むことすら困難だと言えるだろう。
 その文書を読み落とせば「減給処分」とか「問責」と脅される。
 そこまで行かなくとも「取り扱いミス」は「事務リスク」となり、やたらと時間のかかる改善策入りの報告をさせられる。
 時間が無くて、指示文書を読み落とし、その事によって、事故処理という時間の浪費に繋がっていく、完全な悪循環に陥っている。

 私は局長になって改めて「Nの自殺は過労自殺」だと思う。
 局長が手抜きをすれば、手抜きを出来ない職員なら潰れて仕方がない。
 Nは優秀で真面目であったからこそ精神を破壊されたのだ。
 本当ならば、辞めるべきであった。しかし、一般的なイメージとして「郵便局は良い職業」というものが広く庶民に根付いている。
「郵便局も勤まらない者はどこに行っても勤まらないよ。」というのがイメージとして存在している。
 だから、辞めるに辞められないという事になる。
 しかし、実際には、その認識は間違っているのだろうと思う。
 私が前に勤務した郵便局では、郵便の窓口に採用した「ゆうメイト」さんが、1ヶ月で4人も辞めてしまった。
 結婚退職をした「元銀行員」でも保たなかった。「ゆうメイト」さんには、訓練期間中は正職員が付きっきりで応援するし、その後も正職員が自分の仕事をそっちのけで出来るだけの応援をするが、それでも辞めてしまう。
 Nは、その仕事を「応援なし」でこなしてきた実績を持っている。
 正職員が郵便窓口に入ると言う時は「配置人員が不足している」と言う時なので、応援など端から期待できないどころか、逆に後方作業の応援をするという状況になるのだが、Nは2名局へ配属される前には、その仕事を苦ともしないで行っていたのである。
 単に忙しいというだけならNは潰れたりしない。
問題は「2名局の責任の重さ」にあると私は考えている。
まがりなりにも郵便局はお客様の「資産を扱う仕事」である。
その事の精神的負担は非常に大きいものがある。
一般的には、その負担は管理職者が負う。
しかし、局長だって人間である。特に2名局では「局長も現場を持ちながら仕事をしている」ので、現業をしているという意味においては局長と職員の仕事量には、さほど大きな差が無いとも言えるだろう。
その中で庶務会計だけは基本的に局長がしなくてはならない仕事である。この庶務会計がなかなかくせ者である。局長によっては庶務会計をやるだけで手一杯になるくらいの仕事量がある。
局長によっては「文書の整理」とか「苦情等のお客様対応」を全て職員に回すということになっても不思議ではない。
仮に、そうなったとして、私が職員の立場であったなら、潰れないでいる自信はない。
私も仕事にはある程度の自信はある。現場の業務ができる局長としては、出来る方の上位1割くらいに入っていると言うくらいの自負はある。それは、私の職歴が常に現場に入ることを中心に形成してきたからであり、経験という事においても決して少なくはない量の「レアケースを処理してきた」と思っている。
それでも、2名局で、部下に仕事を回してくる局長の下に付いたとしたら、潰れない自信などない。

「一度、息子の職場を見に行ったことがあるのですが、いつ途切れるかという大量の客が並んでいました。その時の印象ではK局よりも忙しいという印象でした。私はしばらく様子を見ていたのですが、声もかけられそうもないので引き上げましたが、その間、息子一人だけが仕事をしていて、誰も手伝いには入りませんでした。」
 2年目の命日にNの家を訪ねた時にNの親父さんの言葉であるが、K局というのは、4人の、ゆうメイトさんが立て続けに辞めてしまった、私とNの元勤務していた郵便局である。
 Nが最後に勤務した郵便局は、夏場は猛烈に忙しいという郵便局で、確かにK局より忙しいと言う時もあると思う。
 しかも、地元のお客さまと都会のお客さまという「要望が全く違う」という種類のお客さまを交互に相手をするというような困難もあるという話も聞いている。
 地元のお客さまには「丁寧に、世間話などしながら対応しないと、ツッケンドンとか思われる。」のだが、都会のお客さまは「スピーディでキビキビした対応が好まれる。」というのが一般的であるが、地元のお客さまのつもりで都会のお客さまに間違った対応などすると「直接、本社に苦情が行ったりする。」という話も聞いているが、少なくとも「同じように並んだお客さま」であっても「スーパーのレジ」とは違って複雑な処理が必要なのが、郵便局の仕事になっている。
 郵便局では、規則的には代書は全面的に禁止されている。なんでも「盲人協会から盲人が困っている時には、郵便物の宛名を代書してほしい」との依頼も「正式に断った」というくらいだから、徹底している。
 しかし、それを組織としては積極的にお客さまに周知してはいない。全ては現場対応に任せている。
 勿論、費用対効果の面から色々と周知の限界がある事は理解できなくもない。「代書の禁止」には理由もあり、職員ならば「それくらいは理解できる。」
 しかし、両替と同様に「それを全てのお客さまに理解していただく」のは容易ではない。
 単に「規則ですから」と割り切って切り捨てる事が出来る職種であるなら「多少印象を損ねても仕方がない」という部分もあるが、郵便局では、「日頃の利用者は、営業上のターゲット」でもある。
「機嫌を損なわないように、お断りする。」と言うことの困難さは並大抵ではない。
 ここで、選択肢は3つある。
「代書」を正式な規定で処理するというのも、その内の一つである。これが「非常に手間」と感じるように「規則としては存在」しているが、おそらくは、「上層部の責任逃れのために規定だけはある。」と言うような代物で、現実的には「規則を作る方も、恒常的に使用される事は前提にしていない」というレアケースの「例外規定」と割り切って作っているとでも思うような「実用性に乏しく、余計な時間のみ浪費する規定」で、作った方も「使わないで」と暗に指示しているというような印象の代物なのである。
 結果的に、全ては現場に押しつけるという体質なのだが、民営化の前から様相が変化してきた。
 規則があるのだから守って下さいという事になり、守っていない場合は「問責する。」との方向性になったのである。
 私の勤める郵便局は「田舎の小さい局」である。
 正直に言って「文字すら書けないようなお年寄り」が利用者の相当数を占める。
 「名前だけは書くから、後は書いておくれ。」という言葉が「合い言葉」でもあるかのように普通に言われる。
 はっきり言って「今までの局長さんは、全く断らなかった。」のだろう。
 郵便局の内情を知らない人は「断る、断らない」は「人間性の差」と考える。
 実際には「真にやむおえない場合」以外の代書は「郵便局の内部的には、処分項目」である。
 面倒なので「代書」してくれない。と多くの人が思うだろうが、実際は真逆で、「代書」するのは「代書できないという説明をするのが、面倒」なのであり、押し問答で「余計な時間を費やしたくない」という心理状況から行われるのである。
 実際に「親切丁寧」に説明をしても、最終的にお客さまは、「今度の局長さんは堅い人で、融通が利かない。」との印象と「代書してくれる親切心がない。」との負の感情を持つだけである。
 都会の郵便局であれば「その積み重ねが信頼感に繋がる」という面もあるが、田舎では「口コミ」で「堅い・親切心がない・融通が利かない・うるさくなって利用しにくくなった。」とのイメージだけが広がっていく事になる。
 極端に言えば「その地域の住民は、全員が親戚関係にあるようなもの」なので、規則を規則通りにやってしまうと「営業上に支障をきたす。」
 しかし、だからと言って「規則を無視してお客さまの要望を受け入れたら」減給を含む処分を覚悟する必要がある。
 これだけで、ノイローゼになるような職場実態があったのである。

 私は上層部に「局長の交代を機会に、今まで行われていなかった規則の周知を住民にしなければ、今後、行き詰まるので、その点は努力するが、それをしたら、営業が成り立たないので、一段落したところで局長の交代をしてほしい。」と要望した。
 その結果が、先の「辞めますか?」との回答である。
 これでは、頑張る方向性がない。
この表現は正しくはないだろう。お客さまの意向に沿って、規則を適当に無視しながら、その日暮らしのような「体裁を取り繕う」という手法は残されている。
しかし、それは「その場しのぎの綱渡り」であり、「問題の先送り」でしかない。

相当多くの職員さんが、「この職を続けるリスク」に気が付いている。
人員配置的、人間の能力的に「守りきれない規則」があり、それを「守っていない事は懲戒免職に繋がる」のである。
現実問題として「営業成績のために、自らの簡保生命保険に加入した局長が告知義務違反との事実が発覚して懲戒免職」とか「仲間の30年勤続のお祝いの通知をOBに無料郵便で送った」とかの事例が発生している。
過労自殺と思われる自殺の報告も少なくはない。全てはインターネット上でも確認できる情報であり、頑張って「勤務を続けても、一年先に勤めている保証などどこにもない。」
「辞めたら、失業だけど、退職金なしの懲戒免職になるよりはマシ」との意見も良く聞く。
「懲戒免職にならないように日々を法令遵守すれば、何の問題もない」のは誰でも知っているが、銀行等との比較において、大幅に少ない人員で「銀行と同様の業務をしろ」という時点で「無理」であり、後は「運次第の綱渡り」を選択するか、営業成績を無視した「堅い慎重な業務」に徹するのか、後者の方が正しい選択肢ではあるが、それは、勤務時間を無視した「長時間過密労働」を覚悟する延長線上の選択になる。
当然であるが、局長という管理職には「時間外労働手当」などは支給されず、仮に支給されるような規則になっても「そのための予算はない。」
現実的に「職員に対して、超勤(残業)を付けられないから、自らが処理をする。」のであり、業務だけでなく、掃除・買い出しなどの雑用から、庶務会計と物品管理、営業計画や勤務時間管理、そして「7万ページ以上の分量であり、随時、もの凄い量で改正され続けるような規定」を中心に、日々、信じられないようなペースで出される指示文書を「守れる訳が」ないし「覚えきれる訳」もないのである。
「上層部の指示を全て守っていたら、毎日泊まり込みで、休日全て出勤しても無理」と言った局長さんもいるが、決して大げさとは思えない。
必然的に「何時、踏んでも不思議ではない地雷と隣り合わせ」で勤務を継続するという事になる。

私は「2名局の局長」という仕事を完全に見誤っていた。
企業の内部にいながら、これほどの「実態」だとは全く知らなかったのである。
今、感じるのは「2名局の局長になろうという人は現実を知らない人」なのだという思いである。

O局の局長さんが「辞めた。」
そんな話を聞いたのは、就任後1ヶ月くらいの時だった。
私より一回り若い局長さんで、K局では一緒に勤務したことがあり、指導していて「非常に優秀」と思っていた局長さんだった。
正直なところで、私とは「出来が違う」という人材であり、何をやらせても「そつなくこなす」し「人当たりも柔らかい」という、爽やかなスポーツマンという印象の局長さんであった。
実は、私の就任歓迎会で、その局長さんは「辞めたい」との言葉を言っていた。
しかし、それは「私の意見に合わせての話。」だろうと解釈していた。
前述のように、この時点で私は「局長を辞めますか?」と言われた人材であり、その辺を含め、「何時、辞めるか分からない」という話をしたので、元先輩に話を合わせたのだろうと思ったのだ。
「実は家計が成り立たないのです。職員の時は何とか、月給で家計のやり繰りが出来たのですが、局長になったら、月々は完全に赤で、ボーナスで補填して、それでも苦しいという状況です。」というような事を言っていたのを覚えているが、実際の家計状況は分からない。
局長と言っても「基本的には、管理職手当分が多いだけで、一般職と比較して極端に多い給与は支給されていない。」年齢の若い局長さんだと、確かに給与は少ないだろうと思う。
局長に就任前のK局は繁忙局なので、時間外労働手当、営業手当などの手当次第では局長になった方が支給額は少なくなるという事は十分にあり得る。
私も「月々の給与」では家計的に赤字であり、ボーナス入れても「赤字は解消しない」という状況であるが、これは「浪費」という部分があるのだろうとも思っている。
今まで、郵便局の実態を書き記してきたが、多少の苦労・理不尽があっても、家計が成立し、生活が成り立っているのなら、頑張るしかないという選択肢は残るのだろうと思う。
しかし、苦労して尚かつ生活が成り立たない給与しか支給されないのなら、これは、頑張れない。
当然ながら「生活が成立する方法論を模索し、必要なら職を辞す」しかないだろう。
局長という職では「貯金を食いつぶしたら、その後の生活が成立しない」という予想が出来るからである。

これまでの流れの中で私としての結論は「辞めるしかない」というものに達していた。
この状況を分析して、郵便局に残っても「何の展望もない」と考えていた。
そして、時期を伺ったのだが、これが、更なる失敗であった。

機を逸して、民営化移行の時期に突入してしまったのである。

実は、ここまでは序の口だったのである。
本当の地獄は「民営化移行」の困難に比べれば「まだ可愛い方」というくらいの出来事だったのである。
民営化移行前には「一月全く休暇なし」という事態も発生する。
郵便局そのものが、休日返上体制だったのだが、別に局長会という組織も「休日集合」で活動していて、様々な周知をしていた。
一番の問題は「システムの切り替えの際に
各種システムが動作不安定に陥った事」であるが、その際に「照会先が不明確であり」判明しても「回線オーバーで繋がらず」奇跡的に繋がっても「何の指示も引き出せない」という状況になったのである。

 民営化の準備は第一弾としてゴールデンウィークの連休明けから始まった。
 貯金事業の全面改正であり、日々の決算の方法が、仮締め、本締めの2回とされ、2ライン制による相互監査という方式が導入されたのだが、こんなものは「2名しか勤務しない郵便局でどうするのだ?」という代物だったが、現場の声は完全に無視され、トップダウンで強行された。
 その前後の期間に「フロントライン研修」という研修が強行スケジュールで実施された。
 私の郵便局では「職員が連続2週間不在」という状況であり、ほとんど全ての業務を私一人で処理するというような状況であり、職員に与えるべき計画休暇は「全てすっ飛んだ」のだが、残業時間の管理、休暇管理は「厳しく履行せよ」との厳命が下った。
 上で、命令するだけなら「誰でも出来る」のだが、現場では「業務運行するにも支障をきたす」というのが実際のところだった。

難問が山積する中、一番の問題になったのが、非常勤職員の「やる気のなさ」だった。
10年選手の非常勤職員は「貯金業務を教えても覚える気も何もなく。」
 「民営化は大変ですよね。」とか他人事のように言うだけで、切れた正職員は「口も聞かない」という状況になった。
 さらに「こんな非常識な奴と一緒に仕事は出来ません。辞めさせて下さい。」との要望になった。
 実はこの非常勤職員は「前局長が辞める時」に「一緒に辞めよう」と説得したという非常勤で、私が赴任して以降「掃除すらしない」という状況であり、私も機会あるごとに「注意・指導を繰り返していた」のであるが、全く改善せず、勤続10年なのに「勤め始めて1週間以内の新人」というような「冗談のような人材」であり、本来なら、とっくの昔に解雇されているという存在であり、この非常勤を抱えていては「民営化移行は乗り切れない」と判断するしかないという非常勤職員であった。

 基本的には、私に一番欠けているのは「部下に対する厳しさ」だろうと思う。
 上層部には「容赦ない苦言を呈する」が、部下職員には「厳しく接することが出来ない」のである。
 結果的に「全ての仕事を背負い込む」ということになる訳であるが、これは「局長という管理職には、最初から不適切な人材」という事である。
 実は、この非常勤職員は「局舎のオーナー」という立場であった。それなので、前局長も「解雇できなかった」のである。
 私とすれば「解雇したくないので、出来うる限りの指導・教育の努力をした。」つもりである。
 元々、私は、仕事さえ正常に運行されているのなら「細かいと事には拘らない」という性格であるし、局舎のオーナーで、郵便局の社員で唯一の「地元の住民」を解雇しても「良いことなど何もない。」
 本人にも「局長になって、この郵便局を継ぐのが良い。」と言ってきたのだが、これは、そうすれば「私が辞められる」との考えもあったからでもあるが、本人に「その気もない」としか思えない。
結論として「この人材は解雇するしかない」との決心をして上層部に相談をした。

「民営化を理由にした雇い止め(解雇)は、一切行いません。」
それが、上層部の判断だった。

現場が困って「このままでは、民営化を乗り切れない。」と苦渋の相談をしているのに、これが回答である。
職員などは怒り、「フロントライン研修の合格が与えられない」(職場の研修は支社の研修を受けた者が、職場で行い。合否を判断するという制度になっていた。)と上層部に電話を入れたが「合格するまで、研修を繰り返しなさい。」との回答が返ってきた。

この件で、職員は完全にモチベーションを失った。
非常勤職員は「変化する郵便業務すら覚えようとせず、戦力外というより、足を引っ張るような存在と化してきた。」
「局長さんが、出張の時に、非常勤職員を頼まないで下さい。一人で仕事した方が、お客さまが理解してくれて、待ってくれますから、一人でやった方が業務が正常に回ります。」とまで職員は主張したが、防犯上の問題からそれは出来なかった。
結果的に「安心して出張にも行けず、休暇を取るなど考えられないと状況」になった。

この頃は、私の予想した悪い状況は「ほとんど実現する。」という状況で、悪夢のような状況になっていた。

上層部からは「民営化関連物品」を容赦なく送りつけてくるのだが、日常の業務運行にすら支障が出ている状況で、送ってくる物品の整理はおろか、「送付に関する指示文書」すら読むことが出来ない。
何か問題が発生しても「電話で照会する」という時間がない。
昼食時間もまともには取れず、朝1時間余り、勤務時間終了後2時間程度の時間外労働をしても「全く仕事は追いつかず、山のような文書を斜め読みするのが精一杯で、休憩室はゴミの山に埋まっている。」という状況であり、とても金融機関とは思えないという惨状であった。

この惨状を乗り切ったら「今度こそ、辞めよう。」
そう思いながら「責任感だけ」で夢遊病者のように日々を重ねていた。

結果的にではあるが、民営化の混乱は何とか乗り切ることができたのだが、はっきり言って「綱渡りの連続」であり、あと一歩のところで「運」が勝ったというところである。
私の実力などではなく、「地雷を踏まない運が多少は残っていた。」というのが正当な評価である。
次はない。次には「間違いなく地雷を踏み、懲戒免職という処分を受けて、退職金も失って、無一文で解雇される」だろうと思う。

全てが「常識の範疇から逸脱している組織」なのである。
理屈も道理もあったものではない。

現場の局長という存在自体が「トカゲの尻尾」として存在し、上層部の安全弁として配置されているだけで、完全に使い捨ての消耗品でしかない。

この職業を「辞めたくない。」と思う方が異常なのであって、Kが「辞めたい」と思うのは、何も不思議ではないのである。

最後に記しておくが「これから、郵便局長になろう」と思う人は、せめて「局長の実情」を身近な局長に聞いてからにしてほしい。
Kのように、知らずになる職ではない。
 

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